1.自己紹介・ホテルについて
(1)プロフェショナル
私は、1986年に帝国ホテルに入社しました。ホテルにはいろいろな職種があり、入社するといろいろな職場のOJTで仕事を覚えていくことになります。私が最初に配属されたのは、レストランの厨房でした。
そのレストランは、当時の帝国ホテルで最高級のフランス料理のレストランで、ベテランのプロが集まって、一つの厨房で一からすべて作っているレストランでした(一般的にレストランや宴会場で出す料理はホテル全体で分業されています)。当時私はインスタントラーメンぐらいしか作ったことがなく、それでも血気盛んでしたから、そのレストランで何かやらなければと思っていました。ところが、ある先輩が私のところにきて、「なあ新人、お前はずっとコックでいるわけではなくて、営業でいろいろな商品を売ったりすることになるんだから、お前がすることは、帝国ホテルの味を覚えておくことだ。それから、俺らの仕事がどんな仕事かちゃんと目に焼き付けておけよ。」と言われました。
次に私が配属されたのは、ルームサービスでした。ルームサービスは、ホテルに泊まっているお客様の部屋に料理を運ぶ仕事です。そのルームサービスで一番忙しいのは、朝6時から9時までの時間帯です。お客様の中には、ルームサービスで料理だけを頼んでいるわけではなく、朝食を運ぶ時の「コンコン」というノックを、モーニングコール代わりに使われる方も結構多くいらっしゃいます。ですから、あまり早く行っても、遅く行っても怒られてしまいます。前後5分くらいで、料理を全部運びこまなくてはなりません。朝食を運ぶ時間を15分刻みでリクエストをとるシステムになっていて、客室が900室くらいあり、多い時間帯には20件くらいの注文があったりします。ですから、どうやって時間通りに朝食を運ぶかを前の日から作戦を練って、きちんと持っていけるようにしました。
(2)帝国ホテルは労働集約モデル
帝国ホテルは、1890年に鹿鳴館の隣に開業しました。明治時代の当時、不平等条約を直すために、日本も西洋式だということをアピールしようと、最初から本格的な西洋ホテルとして生まれています。今は東京のほかに、夏の間だけオープンしている長野県の上高地、大阪の3つのホテルで営業しています。
東京の場合、年間200万人のお客様が帝国ホテルにいらしてくださいます。1日あたり、宿泊される方が1,000人くらい、レストランやバーを利用される方が2,500人くらい、宴会が1,500人くらいと、大体5,000人くらいのお客様がいらしているという規模です。
従業員は、約2,000人が東京で働いています。年間で平均すると、大体4人のお客様に対して、1人の従業員という状態です。非常に人手がかかる労働集約型の極地みたいな産業です。
2.サービスの4つの特徴と感情労働
(1)サービスの4つの特徴
では、どうして人手がかかるのでしょうか。サービス業には4つの特徴があると言われています。一つは、サービスには形がないことです。「無形性」といわれています。もう一つは、お客様とサービスをする人間が一体でないと成り立たない「不可分性」。それから、いろいろな変動があるという「変動性」。そして、サービスはサービスをした瞬間になくなってしまいますので「消滅性」。この4つがサービス業の特色だと言われています。
[1]「無形性」
帝国ホテルのサービスといっても、サービスを受ける瞬間までお客様にはどういうサービスかわかりません。受けて初めてこんなサービスだったとわかります。でも、それでは商売にならないので、帝国ホテルで売っているサービスについてお客様にアピールしなければなりません。どうやってアピールするかというと、従業員の身だしなみや制服をきちんとしたり、また、お店の中にきちんとサービスをする人数を揃えたりします。
[2]「不可分性」
サービスは、お客様とサービス員がいなければ成り立ちませんから、どうしても人手がかかります。帝国ホテルに有名な「バイキング」というセルフサービスのレストランがありますが、そこ以外では、サービス員がお客様について、サービスをしています。
[3]「変動性」
お客様にコップに水を入れて渡すというサービスがあります。このとき、丁寧に渡しても乱暴に渡しても、コップを渡す行為は成立します。しかし、渡し方一つでサービスのレベルは大きく変動します。
[4]「消滅性」
客室を例にしますと、1000室あって今日900室売れました。残り100室は売れませんでした。では残りは明日売ろう、とはできません。今日の分は今日売ってしまわないと、明日は消えてしまいます。ホテルではよく客室稼働率を問題にしますが、「何部屋売れて、何部屋売れ残った」ことは、結構大きな問題だと言われています。
また、サービスは在庫できないものですから、今日人手が余っていても、明日その人手を使うことはできません。その瞬間ごとに、サービスをする人間を用意しておかなければならないわけです。
こういったサービスの特徴からも、ホテルは人手がかかるということです。
(2)感情労働
私たちは、お客様を相手にしていますので、お客様の感情を捉えて仕事をしなければいけません。さらに、お客様にどんなことを言われたとしても、自分の感情をコントロールしなければなりません。これを私たちは、感情労働と呼んでいます。
感情をコントロールするのは、高度なテクニックといえます。それと同時に精神的にかなりの負荷がかかります。悲しくてもニコニコしていなければならないし、怒っていても平気な顔をしなければいけないということです。
3.サービスはただですか?
私たち労働組合が一番憎むべきこととして、不払い残業があります。残業してもお金を払わない、これを「サービス残業」と呼んだりしています。サービスを売っている人間からすると、どうしてタダなのかと実にさびしい気持ちになります。サービスを売る私たちは、サービスの値段は一体いくらなのかと日々悩んでいます。
ホテルやレストランを利用すると、サービス料を払うことがあると思います。この「サービス料」を考え付いたのは、帝国ホテルです。戦争中、ホテルを利用する人も少なく、まともな給料を払うことができない時に、お客様に近いところで働いている人は、若いスタッフでもチップをもらうことができ、それで生活ができました。ところがコックなど、直接お客様と接しない人たちには、このチップが届きません。そこで、当時の総務課長が知恵を働かせて、お客様からチップの代わりにサービス料をいただいて、それを分配しようと考えました。当時は、給料を補うものでした。
戦後すぐに帝国ホテル労働組合ができたときに、最初の交渉のテーマは、サービス料の分配でした(今は、応分の給与を求めています)。今でも東南アジアのホテルの労働組合では、サービス料の分配が交渉の大きなテーマとなっています。
4.最低保障賃金
日本のホテル業界の賃金水準は、厚生労働省が日本中の給料を毎年調査して発表している『賃金構造基本統計調査』から見ることができます。調査は産業別になっていて、ホテルは宿泊・飲食サービス業に分類されます。それを見ると、全ての産業及び年齢において、宿泊・飲食サービス業の賃金水準は、最低か、よくて最低から一個上という大変悲しい状態です。
帝国ホテル労働組合が所属しているサービス連合は、ホテルの労働組合とJTBなど旅行業の労働組合の集まりです。サービス連合では今、大きなテーマに取り組んでいます。
2013年、地域別法定最低賃金が平均749円から15円上がって764円になりました。県別で見ると沖縄など9県が一番低くて664円、東京が一番高く869円です。これ以下で働かせると、経営者が捕まり、50万円以下の罰金をとられることになります。
実はホテル業は、この最低賃金に張り付いた給料で働いている人が多いです。そこでサービス連合は、法律をぎりぎりで守っていては、最下位からいつまでも脱出できないと、法定最低賃金に10%上乗せして、それを私たちの産業の最低賃金にしようと呼びかけました。少なくとも、労働組合があるホテルから始めようと、会社側と産業別最低保障賃金協定を結ぶ運動をしています。東京の場合、最低賃金869円に10%上乗せすると960円くらいになるのですが、そこを最低にしようというのは、なかなか大変なことです。
5.帝国ホテル労働組合の運動
(1)人間性の回復
今日、私が労働組合として皆さんにお伝えしたいのは、「真っ当な処遇の為の真っ当な声は、真っ当な仕事を全うさせる」ということです。このことについて、帝国ホテル労働組合がどう取り組んできたかを残りの時間でお話しさせていただきます。
帝国ホテルは、明治時代から営業していて、しかも最初から本格的な西洋式ホテルですから、私たちはホテルマン(今はホテリエと呼ばないといけないのですが)として、外国人を相手に働いているというプライドがあります。ただし、給料が伴っていない。これは非常にギャップがあります。戦後すぐに労働組合ができ、当初は、サービス料の分配について交渉したとお話ししたとおり、そのギャップを埋めるのが、労働組合の一番大きな仕事でした。
その後、帝国ホテル労働組合では、「人間性の回復」をスローガンに運動をすすめていたことがあります。少し大げさに聞こえるかもしれません。しかし、「お客様は神様です」「滅私奉公」という言葉を聞いたことがありませんか。もし、お客様が神様であれば、私たちホテルの従業員は何なのでしょうか。人間として、真っ当な処遇であるはずの給料をあまりもらっていないにもかかわらず、「お客様は神様」として、私たちに真っ当な仕事を求められるという時代がありました。
(2)ストライキを打ってでも
1970年代前後はストライキが頻繁にあり、帝国ホテル労働組合もストライキをしました。労働組合としては、ストライキをしてでも、「お客様は神様です」という企業文化、産業文化を直したいと思いました。ストライキは、みんなで仕事を止めてしまうことです。ホテルでも、ウェイターが料理を運んでいても時間になると、運ぶのをやめて集合しなければなりません。お客様満足度と従業員満足度を比べると、昔は、お客様満足度の方が大切だと言われてきましたが、今は、従業員満足度も大切な要素だと言われるようにやっとなってきました。ストライキを打ってくれた先輩たちのおかげだと思っています。
80年代から90年代にかけて帝国ホテルの賃金も人並み程度になってきました。帝国ホテルのスタッフは、お客様に対していい仕事をしたい、いい商品を提供したい、という思いが強いです。そこで、労働組合は賃金だけを要求していればいいのか、という思いになり、帝国ホテル労働組合も仕事に目を向けていくことになります。
(3)衣食足りて、仕事に向かう
どうしたらいい仕事ができるでしょうか。私たちはメーカーではありません。日々自分たちがどうするかが、商品の全てですから、職場で仕事のことを考えるしかありません。上から言われてやるのではなく、自分たちが日々工夫をしなければいけないような産業です。労働組合もそのことについて正面から向かわなければいけないと交渉をしてきました。
労働組合が交渉する際に最も一般的なのは、組合側と会社側で行う団体交渉ですが、帝国ホテルでは、いろいろな交渉のスタイルがあります。その一つに、職場交渉という、レストランなどの職場ごとに、そこの部長と交渉する仕組みがあります。ここで一番大きなテーマになるのは、職場に何人従業員を配置するかです。また、残業時間については、労基法36条により、何時間残業させていいかを職場ごとに交渉し、決めています(サブロク協定と我々は呼びます)。この職場交渉を行うことについて労働協約を会社側と結んでいて、いい仕事をしようと日々交渉をしています。
6.非正規雇用労働者の処遇改善
(1)エリア社員制度
以前は帝国ホテルにも契約社員という名前の非正規労働者がいました。これが生まれたきっかけは、大阪のホテルができたときで、1996年に契約社員制度ができました。大阪にホテルを作ることを計画したときは、バブルまっただ中で、贅を尽くしたホテルを作り、お客様もたくさん来てくれるだろうと思っていました。しかし、開業のときにはバブルが崩壊してしまい、大変苦しい中で開業することになりました。
また、就職状況も超氷河期と言われはじめていた時期で、特に高学歴の女性には就職が厳しい状態でした。非正規の数が日本で増えだしたのもこの頃といわれています。先に大阪に進出していた、他ホテルからの情報で、「本来はホテルに就職したいわけではなく、ホテルをステップにして、本当に行きたい産業を目指す優秀な女性を契約社員で採用できる。」ということを聞いて、帝国ホテルの経営者も、労働組合に対して、大阪で契約社員制度を取り入れたいという提案をしました。
制度の中身は、まずは1年契約で、年収は同じ年齢の正社員の9割、定年は契約更新をしたうえで60歳。当時正社員は55歳まで昇給がある制度でしたが(今は違います)、30歳までで頭打ちとする。そして雇うのは女性のみという内容でした。当時は募集・採用における女性差別は禁止されていませんでした。
当初、労働組合は同一労働同一賃金の原則に反するため、反対していましたが、やむを得ず、この制度を受け入れました。しかし当時の委員長が、「同じ職場で働いていて、1割だとしても給与に差がある。また、昇給は30歳で頭打ちなら、絶対将来問題が起きるから、全員組合員にしたらいい。」と打ち出しました。そして、契約社員は全員組合員ということで、エリア社員制度がスタートしました。
エリア社員制度を入れて大阪は開業したのですが、1年しか黒字が出ませんでした。2年目から赤字ばかりとなり、そのうちに、募集・採用時の女性差別を禁止する改正男女雇用機会均等法が1997年に成立し、1999年に施行されました。会社は「男性にもエリア社員制度を入れないと、法律違反になってしまう。」とひどい解釈をしました。この時も赤字続きでしたから、労働組合として男性にもこの制度を入れることを許してしまいます。さらに大阪だけでなく、東京にも適用されるようになりました。
もともとは、若い女性を対象にした制度であったものが、男性にも適用され、いろいろな場所で適用され、そのうち支障が出ることになります。
(2)「労使合意の壁」と「機会平等の原則」
労働組合は、全員を組合員にしていますから、いろいろな声が上がってくるわけですが、労使合意でこの制度を導入したことが大きな障害となりました。会社と労働組合は、いろいろな決めごとをします。そして、会社は決めたことは守らなければいけないということが、労使関係においての基本中の基本となります。逆に、労働組合も、決めたことは守らなければなりません。
もう一つ労働組合を縛っていたことがあります。機会平等というものです。帝国ホテルでは、当時正社員も契約社員も採用していました。ですから、入社したい人は、どちらでもエントリーができるわけです。正社員の採用数の方が少なかったのですが、それでもチャンスは平等に与えているのだから、本人は納得済みだということになるわけです。組合役員からも、本人は納得して入って来たんだろ、ということをよく言われました。
この2つが邪魔をして、積極的に制度を変えることにならなったわけです。
(3)当事者の運動
具体的に制度を変えるきっかけになったのが、2004年です。ちょうど私が東京支部の書記長になった時、17階のバーラウンジの職場から、エリア社員が組合役員になりました。彼は非常にやる気のある青年で、将来はチーフバーテンダーになりたいという夢をもっていました。チーフバーテンダーは、カウンターでお客様に飲み物を出すのを仕切る職種なのですが、当時は正社員でないとなれませんでした。エリア社員がたとえ60歳の定年まで働いたとしても、チーフバーテンダーにはなれないという職場ルールがありました。
そこで彼は、労働組合になんとかしてほしいと、執行委員会で訴えたわけです。それを受けて、当時はエリア社員が正社員になれる道筋はありませんでしたので、せめて正社員になれる道筋をつけようと、会社と交渉することになりました。
会社も根本的に制度を変えないなら、社員になる道筋を作るくらいはいいということで、2年後の2006年に社員登用制度ができました。当事者の彼は、その第一号になったのですが、現状では試験を受けたとしても社員になれない人がほとんどです。
(4)愚痴では終われない
エリア社員制度ができてから10年くらい経ち、エリア社員の状態をみると、3年から5年で退社してしまいます。やはり、30歳で給料は頭打ちだし、やりたい仕事もやらせてもらえないので辞めてしまうわけです。そうなると技術の伝承に間が空いてしまうことになり、これは職場にとっては大問題です。
こういった状況のなか、労働組合は、機会平等の原則から離れて、「当たり前に帝国ホテルに勤めていて、当たり前に仕事をしている人は、きちんと生活できるようにしなければだめだ」と2009年にやっと重い腰をあげました。そして、エリア社員を正社員にしろという要求を、労働組合として会社側にすることになります。
かなり難航しました。会社側だけでなく、従業員サイドでも、「本人は納得して入ってきているのにどうして今更・・・」という声があがりました。なぜかというと、1割ですが労働条件が違いますから、もしそれを引き上げることになると、今までの正社員の賃金を引き下げないと会社がもたないことを皆わかっていたからです。
また、職場の中でも、あまりエリア社員に関係のない職場の人たちは、「かわいそうだからなんとかしてやれ。」とかわいそう論が出てきたりします。しかし、実際にエリア社員のいる職場では、「かわいそう」という他人事ではなく、技術がつながっていないわけですから必死です。
(5)当たり前の生活と処遇を
結果として2011年の春闘で、契約社員でなく、期間の定めのない雇用という回答を引き出します。そのまま条件を上げていく闘争に入っていきたかったのですが、東日本大震災が発生しました。ホテルもかなり厳しい状況になりましたから、1年かけて、今年の4月から条件を整えることができました。
名前を東京社員・大阪社員に変えて、昇給も45歳までとなりました。モデル賃金で、300万円ちょっとだった年収も546万円まで引き上げることができました。本当は、正社員との年収差をゼロにしたかったのですが、ボーナスで詰めることができず、それでも年収差10%から5%まで近づけることができました。
同じにできなかったことで、職場の中でいろいろな波紋がありました。正社員の給料を下げたことでも、いろいろな波紋がありました。それでも、年収500万円を超えたことで、真っ当な暮らしができるようになったのではないかと一定の評価はしています。
(6)職場改善の運動方針への全体関与
本人たちからは、「これで帝国ホテルにいる自分の将来が、見えるようになった。」と言ってもらえました。帝国ホテルで将来何をしよう、どういうホテルにしようということにやっと視点が動くようになってきました。
ホテルはサービス業ですから、自分たちでよくしていくことを真剣に考えなければならない産業です。その時に、「自分たちの将来が心配で、ホテルの将来のことなんか考えられない」という仲間がいたのでは、全体としていい仕事には向かいません。そういう意味では、やっと帝国ホテルの将来も併せて考えてくれるようになったということで、「真っ当な処遇の為の真っ当な声は、真っ当な仕事を全うさせる」ことのスタートラインにつけたのではないかなと思っているところです。
以上で私の話を終わりにしたいと思います。ご清聴ありがとうございました。