1.はじめに
本日皆さんにお配りした略歴に、「自分はラッキーな男」だと書きました。私は1997年にアルプス技研に入社したのですが、その頃はまだ株式を店頭公開しているだけの会社でした。ところが、入社して3年たつと、東証2部上場という、資金調達力と信頼性の高い会社になって一段格上げとなりました。入社した途端に一流の会社に成長したわけです。そしてその数年後にアルプス技研は東証1部に上場しました。自分はラッキーだと今も思っています。
2.会社概要
アルプス技研は、設計や開発を行う企業(メーカー)に技術者を派遣する常用雇用の派遣会社で、創業45周年を迎えます。単体で2,300人くらい従業員がおり、本社はみなとみらい(横浜市)のクイーンズスクエアにあります。
従業員の収入は、技術力によっては青天井です。私の友達は40歳手前ですが、年収が1,000万円を超えています。そういう点では、なかなか面白い会社だと思います。派遣と聞くと、派遣されない間は給料が払われないと思われがちですが、常用雇用なので、派遣に出ていない間も給料は支払われます。派遣のない期間は自分で勉強して次の準備をします。
ただ、ネガティブな部分もあります。プロ意識が強く、1人親方という意識を持った人たちが集まっていて、「俺は一人で生きていけるんだ」というマインドが一部にあります。それから、派遣先のメーカーの社員と一緒にお昼を食べ、退社後に飲みに行ったりするうちに、アルプス技研に所属しているという意識が低くなりがちです。
そういう状態はよくないと、会社は月に1回、派遣に出ている人同士が情報交換するために月例ミーティングを行うようにしています。しかし、出席率はあまりよくないというのもネガティブな部分です。
3.なぜ労働組合をつくろうと思ったのか?
(1)社会的風潮としての地位の低さ
10年ほど前、会社側が社員に愛社精神や帰属意識がないのは問題だと、技術マネージャー制度を導入し、私も横浜営業所の技術マネージャーになりました。徐々に横のつながり、縦のつながりができてきたと思っていた頃に、後輩が「ハケン社員だと彼女のお父さんから結婚を認めてもらえないので、転職します。」と言ってきました。私はそれを聞いて、派遣で働く我々の社会的ステータスを変えていきたいと思いました。マスコミで派遣という時、「ハケン」とカタカナなんです。そういう社会の風潮が、常用雇用でありながらも「派遣」というだけで、悪いイメージで取り扱われてしまいます。また、働く側としても気持ちがひねくれてしまうわけです。
私は当時、横浜営業所で技術者マネージャーとして150人の技術職社員を取りまとめる立場にあったのですが、自分で直接育てた人間がメーカーにどんどん引き抜かれてしまいました。要は、カタカナの「ハケン」からいっぱしの「派遣」になった人がどんどん引き抜かれてしまうわけです。私はすごく悔しくて、アルプス技研からできのいい技術者がいなくなってしまうかもしれないという危機感を覚え、何とかしなくてはいけないと感じるようになりました。
(2)経営に届かぬ現場の想い
このままではアルプス技研は大変なことになると、今起きている状況について上層部に意見しようとしました。しかし、営業所長、事業部長、業務執行役員のラインの中でその意見はつぶされていきました。
私は、現場で起きていることが、伝言ゲームのように消えていくメカニズムから、直接経営を担っている人間に対して、堂々と意見が言える仕組みが必要だと確信しました。
(3)日本の社会に貢献しているハズなのに
私は、プロの派遣社員として、胸を張って仕事をしたいという思いがありました。ところが、メディアは、雇用の調整弁などといって、若い社員を変な気持にさせ、どうせ「ハケン」だからという諦めを与えてしまうような報道が許せませんでした。
私たちの働き方は、労働力需給調整機能としても社会に貢献しているはずなのに、なぜこのような扱いを受けるのかといったフラストレーションみたいなものがありました。
4.どうやって労働組合を作ったのか?
こういった3つの大きな理由から、労働組合が必要なのかもしれないという思いが生まれました。実は当初は、労働組合をよくわかっていませんでした。伝言ゲームを介さず、直接自分たちで自治組織を作って経営側に意見ができ、しかも誠実な回答を求めることができるメカニズムがあることを知り、「目から鱗」でした。
Stage1.酒飲みながらグチ→気づき:『労働組合が解決策かも』
以前、三菱電機に派遣され、種子島で半年間くらい缶詰になりました。その時一緒に仕事をした三菱電機の仲間とは、つながりが非常に強くなり、そこでの仕事が終わった後も、その仲間たちと飲みに行ったりしていました。その席で、アルプス技研の現状について話をしました。そうしたところ、三菱電機の人から「アルプス技研には労働組合が必要なのではないか。」と言われました。
当時、私は労働組合について全然わからなかったのですが、大きな労働組合をもつ三菱電機の友達から真剣な顔で言われたので、ちょっと不思議な気持ちでその日は帰りました。
Stage2.労働組合組織に飛び込んで失礼なことを言ってみました
そして、労働組合について話を聞いてみようと思いました。話の中に出ていた「電機連合」についてインターネットで調べ、電話し、「ちょっと話をうかがいたい。」と言って、電機連合に出かけて行きました。
そこで、担当の2人と会い、自分が労働組合に感じていた、反社会的組織なのではないかということなどを20分くらい延々と言ってしまいました。かなり失礼なことを言ったのですが、それに対して黙って聞いてくれ、話し終わったところで「君、それで終わりかい」と大笑いされました。「君が思っているような労働組合も実際あるから、今日来たのが電機連合でよかったよ。」と言われました。
Stage3.孤独な『労働組合設立までの計画を練りつつ勉強』
アルプス技研に労働組合をつくろうと決心したものの、私は、労働組合に関しては完全な素人だったので、労働組合を立ち上げる手順や必要な法律的知識といったことを勉強しました。昼間は会社で総務の仕事をして、夜は労働組合の勉強をして、週末も電機連合に通って勉強しました。
ただし、孤独です。労働組合を作る準備をしているから手伝ってほしいと周りに言ったりすれば、クビになる可能性があるからです。やはり、経営者にとって労働組合は邪魔な存在で、作ろうとしていることが耳に入れば、設立する前に「あいつ、飛ばしてしまえ!」ということになりかねません。異動させられたり、退職に追い込まれたりすることもありますから、とにかく誰にも話せないわけです。一人で勉強し、一人で計画を練っていたこの時期は、本当に孤独でしんどかったです。
Stage4.コアメンバーの1本釣り!全国から9名の仲間を集めた
ようやく、仲間を広げていく作業になったのですが、この作業は本当に楽しいものでした。全国の事業部からコアメンバーを一本釣りしていくのですが、慎重に見極める必要がありました。楽しい反面かなり気も遣いました。
私は、横浜営業所150人の代表であったことや、社内で「アルプスロボットコンテスト」というプロジェクトを立ち上げて全国大会を作ったりしたこともあって、結構顔が売れていました。また、技術マネージャーになって全国会議に出ていたので、各営業所に協力してくれそうな人がいないか見てきていました。それでも、実際に会うと、この人とは組合はやっていけないなと思う人もいて、話し出すまでに労働組合のことが悟られてはまずいので、少しずつ見極めながら、用意周到に仲間を集めなければなりませんでした。
そして、全国から9人の仲間を一本釣りして、設立準備員会を開催することになりました。この時私は、全国に自腹で行っていて、もうお金がありませんでした。半年前に中古で車を買ったのですが、それを売ってお米を買ったほどです。どうしようかと思っているときに、電機連合が、そこまで本気でやっているのだったら、資金援助しましょうと申し出てくれました。
集めた人間は、選び抜いただけあって、絶対に動ける、人間力がある、後輩に対しても正しく伝えられるという人物ばかりでした。初めての顔合わせから教育を行い、次々に物事を決めていきました。次々に意見が出て決まっていきます。ここでは新しい行動を起こすわけですから、そこに向けて「ナゼナゼ論理」(技術系のトラブル解析方法。「なぜ」を5回繰り返して根本原因を探る論理。)は不要です。また、「どのように失敗する」という論理も不要でした。「どうすればうまくいくのか」を徹底的に話し合い、メンバーの誰に聞いても、同じ回答が返ってくるレベルまで認識を一致させ、一枚岩を演出するようにしました。
こういった決めごとをするときにありがちなのが、「こうすればいいんじゃないの」と横から言って、でも自分は動きたがらない人がいることですが、このメンバーの中にはそういう人はいませんでした。自分が何をすべきか一人一人がわかっていて、行動していました。こういうメンバーに恵まれ、私はものすごくラッキーだなと思いました。
当時会社組織は、事業所・営業所という単位でしたので、札幌営業所、仙台営業所、郡山営業所は、札幌サブブロック、仙台サブブロック、郡山サブブロックという組織形態を取ることにしました。そして、先ほどお話しした月例ミーティングをやるところをエリアと呼び、それぞれにエリア長、サブブロック長を置くようにしました。
はじめは、エリア長よりも職場委員のほうがわかりやすいのではないかと電機連合に言われたのですが、日本人は「長」というポストに就きたいと思っていても、なかなか手を上げられないということもあり、それぞれのエリアにいる人を職場委員というのもちょっとかわいそうなので、エリア長としました。
Stage5.ドキドキ!『組合結成準備通知』を社長に通知しました。
2008年5月18日朝9時30分、人事部(労務担当部署)に行き、人事部長に『労働組合の結成準備についてのお知らせ』を提出しました。それをちらっと見て人事部長は、「ちょっと向こうで話をしようか」と言って、階段の方に行き、「憲法で保障された権利なので、この文書は正しく受け取ります。ただ、こういった話だから、私ではなく社長と話をしてくれないか。」と言われ、人事部長と一緒に社長室まで行きました。
そして、直接社長に「アルプス技研労働組合設立準備委員会を発足させましたので、その報告に参りました。社内設備、施設、特にイントラネットを利用させていただくことを容認頂きたい。」と伝えました。社長からは、「それは、労働者の権利だからいいんじゃないの。」と言われました。それから、上部団体はどこかと聞いてきたので、私は「健全な労使関係を構築したいと思っているので、電機連合にご指導いただいております。」と言いました。
社長は、「経営側に要求したいことがあるのはわかる。けれども、労使が協調して、会社を発展させていくことにもぜひご協力いただきたい。社の発展は、労使協調の延長線上にあると認識している。まずは、発足おめでとう。これからもがんばっていけよ。」という言葉をいただき、社内のイントラネットの使用を認めていただきました。
これがドキドキの社長への通知報告です。実は、当日、設立準備メンバーの名簿を渡していませんでした。もし、社長がヒステリックに「おまえなんかクビにしてやる」と言った場合、クビになるのは私だけになるよう、名前を伏せて私一人で行ったわけです。
Stage 6.全国30名の仲間を集め『想い』を語る集団を作りました
社長に労働組合結成の通知をした後、全国の営業所の代表者を選び出し、約30名が集まって1泊2日の全体研修を行いました。その研修は、今後、全国で一斉に労働組合設立に向けた説明会を開催してもらうことになるので、コアメンバーに成り変わって説明会を開催し、しっかり皆に伝える行動をしてもらうためのものでした。
現在までの経過の報告と設立までのスケジュール説明、労働組合に関する法律の学習、実際に労働組合を設立した後の組織体系などの説明をしていきました。そして、説明会の開催方法(会場の手配や経費清算の方法)の説明を行い、説明会で実際に話をする内容説明とグループに分かれてのロールプレイを行いました。
この宿泊研修では、お金がないこともあって、大部屋をいくつか借りていたのですが、前の晩に一つの部屋に皆が集まり、朝4時まで、お酒を飲みながら大討論会になってしまいました。そういうこともあって、「中心人物との濃いつながり」が形成されるという副産物を生みだすことになりました。
Stage 7.全国に『想いを伝える連鎖』を起こせるかがKEY!
どんなに用意周到にスタートしても、実際には障害が次から次へと起こります。管理職が不当労働行為をしたり、説明会に人が集まらなかったり、ヤジがひどかったりといろいろありました。
具体的な例では、宿泊研修に来た人が説明会を開いたときに、その場で先輩社員から厳しい意見を言われて、凹んでしまったことがありました。そういう時には、我々が援護に行くのですが、その時は、本当にひどくて、「余計なものを作りやがって」といった罵声を50名くらい集まった会場からワーッと浴びせられたことがありました。
それから、ある営業所長が「君、組合のエリア長やるの?そうすると出世できないよ。」と言ってしまったこともありました。そういったことは他にもあって、どこで、誰が、なんと言われたか、全部ひとつひとつ記録して、社長に持っていき、不当労働行為として対処をお願いしました。
また、入社20年くらいで地方に住んでいる人は、「労働組合なしでも今までよかったんだから、このままで別にいいんじゃないの。それに、組合って面倒くさいってよく聞くよ。」ということを言うわけです。そうすると、「先輩が言っているんだからそうなのかな。」となり、労働組合づくりに対して消極的な状況を作られてしまったりもしました。
しかし、こういった悪いことばかりではなくて、実際に中央でしっかりやっている人や、説明会をきちんとまとめている人も多くいました。こういった熱心に取り組んでいる設立準備委員会のコアメンバーに触発されて、「ああいうふうになりたい。」という後輩の動きもずいぶんありました。このようなコアメンバーの本気の熱が中間層に伝わり、熱を帯びた中間層の本気が連鎖を作りだしていきました。それは、全て「伝えたい」という意思からできあがったのだと思います。
Stage 8.やっとの思いで『設立大会を開催』社長も出席願う
やっとの思いで、設立大会を開催する運びになりました。お金は電機連合から出ているといっても、いくらでも使っていいわけではないので、先ほどお話ししたアルプス技研のロボットコンテストの翌日に設立大会を開催して、全国から来る人達の旅費がかからないようにしました。社長には「これから社が続く限り、この労使関係も続いていくので、この組合の誕生を共に祝っていただきたい。」と臨席を要請し、お祝いのメッセージをいただきました。
大会後、小規模な設立祝賀会をやったのですが、そこには電機連合60万人のトップである中央執行委員長も出席してくださいました。
5.労働組合をつくる過程で大変だった点
大変だったことは、いくつもあります。アルプス技研は、日本全国に19カ所の拠点があります。このいろいろなところにいる人たちを集めて組合を作るということがやはり大変でした。それから、説明会などを開くときに、仲間をいつでも助けられるように工夫しなければならなかったことや、法律や組合について勉強しなければならなかったこと、仲間に入れて大丈夫なのか人を評価しなくてはならなかったことも大変でした。
また、情報の秘匿性ということにも苦労しました。組合設立計画の資料などを用意するとき、「これは労働組合設立の準備をしているな」と気づかれないように、誰も関心を示さないような他のパンフレットを資料の最初に重ねておくといった工夫もしました。さらに、派遣会社・派遣社員の特性があります。アルプス技研ではない派遣先の会社と、自宅を往復している彼らが、実際にアルプス技研という会社に気持ちを持ってきてもらわないと組合も作れないので、そこに乗せるのが大変な作業だったと思います。地方へ組織化にいったとき、思った通りの返事がもらえず、恥ずかしい思いをしたこともありました。
6.労働組合ができて会社はどうなったのか?
やはり、労働組合ができて一番嬉しいのは、経営活動にしっかりと影響を与えていることを実感できることです。組合員からもよかったとの様々な声があがっています。
それから、客観的に見ていていいなと思うのは、管理職も組合ができたことによって、組合員よりも無知では困ると、労働法をしっかりと勉強をしているところです。それと、愛社精神が育まれつつあることです。「アルプス技研っていい会社だったんですね。」とわざわざ私に言ってくる人がいました。そういったところが、ありがたいところです。
そして、もっと当社で働いている誇りを感じてほしくて、昨年『Pride in Alps』という組合の基本理念を制定しました。また、ロゴマークも作りました。
7.今後の課題
(1)アルプス技研労働組合の課題
アルプス技研はグループ企業ですので、今後は、子会社も組織化していきたいと思っています。それから、もっと議論が活発な組合にしていきたいし、労使間の問題だけでなく、産業政策、社会政策、雇用政策についても提言できるよう、より高度な議論ができるさらに強い集団になっていきたいと思っています。
(2)運動家個人としての課題
労働組合という組織に対する誤った認識を改めるような発信をしていきたいです。今、雇用労働者の18%しか組合員はいませんが、連合の発言力をより高めていって、それをもっと増やしていかなければいけないと思っています。そのためにも草の根運動をしていくつもりですし、これから組合を作ろうと考えている人たちの相談にも乗っていきたいです。
(3)アルプス技研社員としての課題
派遣という働き方が社会的に正しく認知されるようにしていって、当社の社員がプライドをもって働くことを実現していきたいと思います。将来的には、組合役員経験者をなるべく早いうちに会社に戻して、出世させて、実際に経営を判断するときに、現場の発言を尊重してもらいたい、そういったことも考えています。