埼玉大学「連合寄付講座」

2013年度後期「働くということと労働組合」講義要録

第1回(9/30)

連合寄付講座で埼玉大学のみなさんに学んでほしいこと
「働くということ」をどう捉えるか-労働組合がめざす社会像とは

公益社団法人教育文化協会 理事長 岡部 謙治

1.はじめに

 連合寄付講座の目的は、もうすぐ働くことを通じて社会に参画していく学生の皆さんに、労働運動の第一線で活動している労働組合役員などから職場の取り組みや実体験に即した話を提供していただき、それを素材にして働く現場では何が起こっているのか、何が問題なのか、それに対して労働組合はどのように取り組んでいるのかなどを、自らの問題として捉えていただくことです。
 今、連合は目指すべき社会像として「働くことを軸とする安心社会」を提起しキャンペーンを続けています。これは、今後の講義を貫く連合が追求する価値観を示しています。この講座を通じて、今の日本社会で「働く」ということの意味について考察を深めていただきたいと思います。

2.なぜ労働運動を仕事としたのか

(1)職場のあり方で労働組合と出会う
 私は1972年に大学を卒業した後、福岡県の中間市役所に採用され、最初の配属先が市立病院でした。当時の病院は、休日・夜間の緊急時に備えて、医師、看護師、事務職員の最低限のスタッフを置いていて、休日の夜間、平日の夜間、土日祭日、そして日勤とまわしていました。休日・夜間に飛び込んでくる急患が、当直の医師の専門の診療科ならば問題ないのですが、そうでない場合、特に重篤となると対応できない場合があります。そうなると、消防署とタイアップして、受け入れて治療してくれる病院を探して送り出さなければなりません。こういったことを毎晩のようにやっていました。
 当時、このような状況は全国的な問題でした。1975年には、千葉県木更津市で救急のたらい回しに25回あった挙句、青年が死亡するという事故がありました。死亡した青年のお父さんは、福岡県庁のOBで私達の先輩でした。そして、このお父さんが病院と国、県の3つを相手に訴訟を起こしました。「救急医療たらい回し訴訟」として、全国的にも注目される訴訟となり、自治体職員の労働組合である自治労では、組合員の先輩であるそのお父さんの訴訟を全面的に支援する闘いに取り組みました。
 その結果、第一次、第二次、第三次の救急医療体制がとられるようになりました。自治労という労働組合が警鐘を鳴らすことで、制度の実現に寄与したわけです。自分たちが一生懸命働いているなかで感じた矛盾や課題をきちんとした制度にしていくことを労働組合の力で実現していきました。そこで私は労働組合に出会ったわけです。それが自治労でした。

(2)組合役員として自治体の財政悪化に直面する
 中間市職員労働組合の書記長時代には、財政悪化を理由に市当局から合理化提案が出されました。その時私は、なぜ財政悪化になったのか、その原因を徹底的に分析しなければ協議には応じられないと反論しました。
 そこで、労使で財政悪化の原因を分析することになりました。しかし、私は市役所に入って9年足らずで、なおかつ市立病院勤務で役所の財政については全く知識がありませんでした。そこに降って湧いてきたような財政難で、その時も自治労が非常に力になってくれました。自治体の財政手法であるとか、研究者の手配であるとか、そういうことを上部団体の自治労からいろいろ資料をもらって、自分の市が今直面している財政問題に取り組むことできたわけです。
 しかし、労働組合が財政分析を行ったら、当局と同じ立場になって、結果的には合理化をのまされるだけになってしまうので断固反対、という意見も非常に多くありました。それでも私は、自分たちの町の財政について労働組合が全く知らないということは、やはり問題があるのではないかと徹底的に財政分析を行いました。その結果、中間市の財政悪化の一番大きな原因は、市の財政規模を超えた無計画な建設事業にあることが判明しました。その建設事業で抱えた借金の返済のために財政が圧迫され、苦しくなっていることを労使で確認したわけです。
 この結果について、当局側、特に市長は、自分がやっていたことが間違えていたことになるので、認めるのを非常に嫌がりました。しかし、財政を圧迫するようなことであれば、結局は自分の首を絞めることになるので、最終的には財政悪化の原因として認めました。こうして、お互いが財政悪化の原因を認め、次に計画的な財政運営をしようということになり、労使で財政健全化委員会を作りました。それが予算や執行状況のチェックをはじめ、労使による財政健全化・地方自治確立の推進につながりました。
 財政悪化に直面して私が学んだことは、財政悪化の犠牲になるのは、市役所で働いている職員の雇用・労働条件だけではないということです。それ以上に犠牲になるのは、そこで暮らす市民です。自治体の公共サービスや福祉サービスの基準は、どこも一緒だと思われるかもしれませんが、それぞれの自治体の財政能力、やり方によって違ってきます。財政が悪化すれば当然提供されるサービスは最低のラインになってしまいます。たとえば、保育にかける費用が少なくなると、保育士が減らされます。そうなると保育の水準が下がることになります。
 要するに市民サービスが下がっていくわけですから、自治体で働く者として、財政悪化を知らないのは許されないことだというのが、その時の私の結論でした。ですから、たとえ労働組合であっても、自分たちの職場の経営状態をチェックする必要があると考えました。

(3)自治労の専従役員に
 このような2つの大きな経験があって、その後は、市の職員を辞めて自治労の専従役員となりました。その後、今日までずっと労働運動を自分の仕事にしてきました。

3.日本労働組合総連合会(連合)について

(1)連合について
 連合は、1989年に結成され、現在約680万人の組合員がいます。
 1989年の結成というと、まだ新しいと思われるかもしれませんが、労働組合は戦前からありました。戦前、労働組合は弾圧されていましたが、1945年に第二次世界大戦で敗戦し占領されたときに、日本の民主化政策の一つとして労働組合の結成が促進されました。労働組合は、持続する安定した資本主義社会にとっては必要不可欠な存在であるということで、占領軍が労働組合を積極的に作ることを奨励したのです。この時期多くの労働組合が生まれました。今ある日本の労働組合のほとんどがこの段階で誕生しています。
 しかし、その後の米ソの冷戦構造の影響を受けて、日本の労働組合も様々な潮流がありました。その中で労働組合は、「できる→分裂→できる→分裂・・・」を繰り返していました。労働組合は、もともとは弱い労働者が一つになろうという団体なので、こんなバラバラな状況ではいけないと、1989年に4つのナショナルセンターといわれる組織を統合して、今の連合が誕生しました。

(2)単位組合(単組)と産業別労働組合(産別)
 これからの授業で、労働組合の独特な用語が出てくると思いますので、少し紹介しておきます。
 まず、「単位組合」、略して「単組(タンソ)」といいます。会社ごとの組合のことです。つまり、会社の経営者がいて、労働者がいて、成立する労働組合があるということになります。例えば、車の会社にトヨタ、日産、ホンダ、三菱といった会社がありますが、それぞれ会社のなかに労働組合がありそれらを単組というわけです。
 そして、業界ごとに単組が一つになって作っているのが「産業別労働組合」です。略称「産別(サンベツ)」といいます。
 「単組」と「産別」は、これからの授業でしょっちゅう出てくると思いますので、ぜひ覚えておいてください。

(3)ナショナルセンター
 連合のことをナショナルセンターと呼んでいますが、これは労働組合の全国中央組織と考えてください。ナショナルセンター連合には、産別が加盟しています。その組合員が今680万人います。私がいたのは自治労という産別で、正式名称を全日本自治団体労働組合といいます。地方公務員と、地域公共サービスで働いている人たちが中心に集まっている労働組合です。今、組合員が約80万人いて、連合の中では2番目に大きい産別です。1番大きい産別はUAゼンセンといい、組織している業界の幅が広く、組合員が約140万人います。パナソニックや日立、東芝など電機関係の産別は電機連合といいます。都市銀行と証券会社の労働組合は連合ではまだ組織されていないのですが、あとはほとんどの産業別に組織があって、連合に加盟しています。

4.連合の関係団体

(1)公益財団法人連合総合生活開発研究所(連合総研)
 連合総研は、連合のシンクタンクです。経営側と交渉して賃金が上がったとしても、税金や社会保険料が上がってしまえば手取りの賃金は増えません。そういうことについては、ナショナルセンターである連合が、経済団体である日本経団連や、政府、各省庁、与党・野党を含めた政党などと交渉し、話し合い、政策を要求していくことになります。その政策立案のためのデータを提供したり、調査・研究等を担う組織としてつくられました。

(2)公益財団法人国際労働財団(JILAF)
 労働運動は国際的なものです。日本だけで解決できない問題もあり、世界の国々と連携しています。
 とりわけ、今、先進国の立場としては、途上国の支援に力を入れています。先進国を除くと、アジアやアフリカや南米の生活状況は、まだまだ遅れています。当然、そこで働いている労働者の労働条件も悪いです。そういう地域の労働者の支援であるとか、日本に来ていただいて、日本の労働法や会社の実態がどうなっているかということ等を紹介します。
 あるいはそういう国に赴いて、直接現地支援をしたりしています。例えば、児童労働があれば、現地で教師を育成するなどの支援を行い、児童労働から早く抜け出せることができるように取り組んでいます。児童労働といってもピンとこないかもしれませんが、とりわけ途上国では、子どもが労働力として働かせられている現状があります。日本では憲法でそれを禁止していますが、途上国ではそんなきれいごとでは済まないという現状があります。そういったことをなくす支援をしています。

(3)公益社団法人教育文化協会(ILEC)
 教育文化協会は、私が所属する組織です。連合の組合員のためだけではなくて、日本において働く全ての人たちに対して、働くことの権利や、労働法の知識といったことを伝える取り組みを行っています。この連合寄付講義もその中の大きな取り組みです。その他にも労働組合役員の教育なども行っています。
 それから、教育文化協会が直接かかわっているのではありませんが、連合が2015年に法政大学に大学院を設置することになりました。そういった活動も連合やその関連団体では一生懸命取り組んでいます。

5.働くということの意味と我が国が目指すべき社会像

(1)労働法の理解は社会人として不可欠
[1]労働契約の意義
 法的には、会社と従業員の関係は、対等な契約関係となっています。例えば、会社だったら、電気もガスも使っており、ガスについては、会社はガス会社と契約します。その契約にもとづいてガス会社はガスを供給して、会社は使った量の料金を払います。会社と従業員の間もこれと同じです。勝手に変えていいという話ではありません。お互い合意した契約にもとづいて実施する関係にあります。
 労働契約関係の基本は、労働者が使用者に労働への従事を約束し、その対価を受け取ることです。労働への従事とは、指示に従って働くことです。労働に従事することを労働者は暗黙の了解のうちに約束していることになります。これに対して会社側はきちんと従えば代金を払います。それが賃金です。
 皆さんが会社訪問をして、会社から内定通知が来たとします。内定通知がきて、皆さんが行きますと言った瞬間、合意にもとづく契約関係が成立します。それは書面でなくても成立します。内定取り消しなどという問題が時々ありますが、採用内定通知を出して、両者が合意した場合、それを持って簡単に取り消しなどはできないというのが裁判所の判例です。つまり、労働契約関係とは、それだけ重いということです。

[2]労働者は会社の一部ではない
 景気が悪くなった時に、会社が「経営がよくないので、賃金を下げさせてくれ。皆さんは会社の一部なんだから、わかってほしい。」と言ったとします。しかし、私達は会社の一存でいくらでも賃金を下げてもいいなどとは契約していません。会社に、「私達は一定程度の賃金をきちんとしたルールに従って受け取る契約をしている」と本来は言えるはずです。
 しかし、なかなか個人では言えません。だから、労働組合があるのです。一人では言えない弱い立場の人が集まって、対等な関係で使用者と交渉していく、そのために労働組合が存在しているのです。

[3]近代市民法の修正としての労働法の必要性
 契約社会の原則は、お互いに自由な意思によって約束したことは、国家といえども簡単に侵してはいけないことになっています。これが契約の自由、市民社会の原則です。市場でのマーケットメカニズムは、契約の自由ということになります。お互いに合意したことを破った場合には、罰則が科されます。これが近代社会の市民法の原則です。
 しかし、労働に関することには例外を作り、修正をかけました。産業革命後、契約自由の原則をそのまま労働の現場で適用して、会社の言い分だけが通る契約になるということが、労働者に大変悲惨な状況を生み出した歴史から証明されていたからです。
 契約自由の考え方は、市民社会の原則ではあるけれども、労働契約については、契約の自由に任せておくと、労働者は限りなく悲惨となる結果しかもたらさないことが、発達した資本主義国の中では共通理解となっていきました。そこで、市民法のなかに労働法というものを加え、市民法に修正を加えることになります。労働組合の権利を認め、対等に会社側と交渉できる権利も認めたわけです。
 労働組合は、1780年代にイギリスで誕生したと言われています。イギリスのパブに労働者が集まって、病気やけがをした労働者を救済するためにお金を積んだことが労働組合の出発だといわれています。しかし、労働者が団結していこうとすると、イギリス国家は弾圧したり、そのことを認めないという法律を作ったりするわけです。
 また、メーデーは、1886年5月1日にアメリカの労働者が一日8時間労働を求めて、ストライキなどの行動をしたのが出発点です。その時のスローガンは、「仕事に8時間、休息に8時間、自分のしたいことに8時間」です。1886年に労働者はこれらを要求しているのですが、現在においても働く条件が非常に悪くなっているのではないかと強く感じます。
 日本でも戦後、憲法第27条と第28条、及び、労働者に対する保護政策ができていきました。そして、これらは日本だけではなく、世界中の先進国において全部同じです。なぜならば、これらの権利は、世界中の労働者が立ち上がって、獲得してきたものだからです。

(2)国際労働機関(ILO)「フィラデルフィア宣言」
 1944年にフィラデルフィアで開催されたILO第26回大会のなかで、「労働は商品ではない」「一部の貧困は全体の繁栄にとって危険である」という言葉が採択されました。私は、この言葉が、労働運動の原点を示していると思っています。
 「労働は商品ではない」とは、生身の人間がしている労働ですから、それを商品として売っているのではないということです。そして、使用者は労働を商品として扱ってはいけないということで、これは大変重要な言葉だと思っています。
 それから、「一部の貧困は全体の繁栄にとって危険である」という言葉は、2つの世界大戦において膨大な犠牲者を出した教訓から出てきました。これは、世界のどこかで貧困があれば、それは社会不安を生み、戦争につながるということで、絶対にあってはならないことです。
 今日本では、働き方が多様化してきて、非正規待遇の労働者がおよそ2,000万人を突破したという統計が出ています。非正規と正規の間では賃金格差があり、このまま放置しておけば、働く者全体の水準が下がり、非常に劣悪な状態になると言えます。そういう意味でも「一部の貧困は全体の繁栄にとって危険である」という言葉は、今の労働運動でも忘れてはならない言葉だと思っています。

(3)生産性3原則(1955年5月 第1回生産性連絡会議)
 日本の労使は、戦後の復興のために、「雇用の維持・拡大」「労使の協力と協議」「成果の公正配分」からなる「生産性3原則」を確認しました。そのなかでも特に「成果の公正配分」について紹介します。「生産性向上の諸成果は、経営者、労働者および消費者に、国民経済の実情に応じて公正に分配されるものとする」となっています。
 企業が得た利益は、経営者や株主だけのものではありません。賃金引き上げという形で労働者にも分配されなくてはなりませんし、商品やサービスの値下げという形で消費者にも分配されなければなりません。これが「成果の公正配分」の考え方です。この考え方は、税金や社会保障にもあてはまります。会社側も労働者側も成果によって報酬を得、所得税等の税金を支払う、社会保険料を支払う、そういったものをきちんと納めて、それが分配されることを再分配といいます。税金を納めた国家によって、国民の手に再分配される、低所得者層にはいろいろな手当てをするといったことも含めて、きちんと分配されることを言っています。
 日本は政府も会社側も労働者も、この生産性3原則に基づいて日本をここまで発展させてきました。戦後、目覚ましい高度成長をとげてきた背景には、政労使のこういう考え方があったということです。これは、今、政府側にも会社側にも忘れないでいてほしいと労働者側としては強く言いたいところです。

(4)「働くことを軸とする安心社会」(2010年12月連合中央委員会)
[1]なぜ今、改めて目指すべき社会像の提起なのか
 今、日本社会の多くの人たちは、たくさんの不安を抱えながら生きていると感じます。少なからぬ若者たちが、安定した職を得られるのか、家族をもつことができるかと、先の見えない不安と焦燥感にさいなまれています。若い母親は、育児と仕事の両立に疲れて悩みを抱え、途方に暮れています。非正規雇用で働く人達は、低い賃金でどうやって生活を成り立たせるか、いつ、雇い止めになるか恐れながら暮らしています。他方、正規雇用で働く人も、毎日の長時間労働とストレスにさいなまれながら、健康に不安を感じたり身体の不調に悩んだり、自分の働きに見合った賃金を得ることができないことに不満を募らせています。
 人は努力や、才覚にふさわしい所得や豊かさを得て良いと誰しもが思うものです。しかし、今日本では、経済的・社会的な格差が非常に広がってきています。才能を磨くことが虚しく感じられるようになっています。
 さらに、人と人との間の距離が広がり、人間の相互のつながりが弱くなってきて、自分は孤立している、誰からも顧みられていないと感じる人が増えてきています。人々の安心を保障し、社会と制度を支えるのは、人と人との絆であるはずなのに、その絆が弱まっていると私達は見ています。
 そういう状況のなかで連合は、2010年12月に「働くことを軸とする安心社会」という、今後目指すべき社会像を提起しました。今、それに基づく様々な政策提言をしているところです。これは、今後の授業の根底を流れる基本的な考え方ですので、覚えておいてください。

[2]「働くことを軸とする安心社会」とは
 連合が考える「働くことを軸とする安心社会」とは、一つは、働くことに最も重要な価値をおき、誰もが公正な労働条件のもと多様な働き方を通じて社会に参加でき、社会的、経済的に自立することを軸とし、それを相互に支え合い、自己実現に挑戦できるセーフティネットが組み込まれている活力あふれる参加型社会です。誰もがいつでも働く機会、参加の場を得ることができるという安心が人々の希望につながる社会の要となります。
 そして、人々が就労し、健康で文化的な生活を送るに足る所得を得て、税金を負担し、社会保険料を払うことは、社会を支える根本をなすもので、こうした考え方が私達の目指す社会の中心となっています。また、同時に私達が目指す社会は、困難を抱えた人たちに恩恵や保護を与えてよしとする社会ではありません。それでは、人々から自己実現の機会やともに生きる場を奪ってしまう社会になりかねないからです。連合が今目指しているのは、困難を感じている全ての人々に対して、その困難を除去して、受け入れていく社会です。

[3]雇用につながる「安心の橋」
 そして、家族、教育、退職、失業、そして正規と非正規に雇用につながる5つの「安心の橋」をかけて、誰もが就労に参加できる社会を作ろうと考えています。
 この中で、正規と非正規に関して言えば、正規と非正規の働き方を選べるようにするのではなく、正規はフルタイム、非正規は短時間という、働く時間を選べるようにするというものです。今の日本では、非正規労働者は、基本的に正規労働者の4分の3以上の労働時間でないと、健康保険や年金制度に入れません。そういった社会保障制度を改善していくということです。受け取る賃金は働く時間の違いで、差があるかもしれないけれども、そういう諸制度については、正規も非正規も同じように扱っていこうという考え方です。

6.終わりに

 2003年9月、「連合評価委員会」において、連合は組合員の数も減っていき、社会的影響力が弱まっているではないか、また、大手企業や公務員の労働者ばかりで、中小企業の労働者のことをどこまで考えているのか、といった厳しい指摘を受けました。
 そして最終的に、「労働組合員が働く人々全体のなかでは恵まれている層であるという自覚のもと、労働組合員が自分たちのために連帯するだけでなく社会の不条理に立ち向かい自分よりも弱い立場にある人々とともに闘うことが要請されているのである。」という言葉をいただきました。連合では、このことを念頭に置きながら様々な提起をしています。
 なぜ、最後にこのことを紹介したかというと、皆さんはこれから社会に出られて、いろいろな分野で、最終的には指導者として活躍していく方々だと思います。そういう方々に対して、働くということ、労働の歴史ということについて、連合自らが自分たちに言い聞かせている言葉を、皆さん方にもぜひ理解していただきたいと思ったからです。

 これで私からの話を終わらせていただきます。ありがとうございました。


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