埼玉大学「連合寄付講座」

2012年度後期「働くということと労働組合」講義要録

第9回(12/3)

【仲間を守りつなぐ(1)】(雇用と生活を守る取り組み)
―自動車産業労組の事例―

日産労連 会長 高倉 明

はじめに

 自動車産業では、これまでいろいろな苦境に立たされ、その中では雇用問題も発生しました。今日は、その時に、我々がどのようなことをおこなってきたかをお話させていただきたいと思います。
 1991年、バブルが崩壊した時に、日本の神話が崩壊したとマスコミ等に書かれました。それまでは、日本の大企業、ましてや銀行や証券会社等の大企業は潰れることはないと言われてきました。それがバブルの崩壊後、山一証券、北海道拓殖銀行といった名だたる大きな会社が、次々に経営破たんしていきました。
 私が勤めていた日産自動車も倒産するのではないかと言われていました。それまで日産自動車は、赤字が続いても銀行がお金を貸してくれていましたから、当面の運転資金は、どんなに赤字が増えていこうが大丈夫でした。それがバブルの崩壊と共に銀行が一斉に資金の蛇口を閉めたのです。それにより、これまでのような運転資金の調達が困難になり、企業が潰れるという危機に立たされたわけです。
 そして、2008年にはリーマン・ショックがあり、その後の東日本大震災、タイでの大洪水が立て続けに起こり、生産活動に大きな影響を及ぼしました。このような経験を含めて話を進めていきたいと思います。
 それから、政治的なことについても触れていきます。なぜかというと、政治が、リーダシップをとって解決しなければならないことが、我々の雇用を守ることに直結するからです。政治活動も、我々労働組合にとって一つの大きな活動となっているからです。

1.日産労連について

(1)日産労連の組織形態
 ナショナルセンターである連合には52の産業別労働組合が加盟しています。そのうちの自動車総連が、自動車産業の産業別組織になり、その自動車総連には、12の労連が加盟しています。労連というのは、企業グループ別の連合会組織です。そのうちの一つが、日産労連です。日産労連には、全部で375の労働組合があります。言い換えれば、375の会社が傘下にあるということです。
 日産労連の、現在の組織人数は、14万7千人です。ピークは、1993年で、23万人の組合員がいましたが、いろいろな雇用問題があり、どんどん人数が減っているということが事実としてあります。
 日産労連の正式名称は、全日産・一般業種労働組合連合会といいます。正式名称がこのようになっているのは、車や車の部品の製造や、車の販売・サービスの他にも、日産とは関係のない業種、食品や、教習所などの労働組合が加盟しているためです。

(2)日産労連の特徴
 日産労連の特徴として、労働組合として、社会福祉活動をおこなっていることがあげられます。代表的なものとしては、劇団四季の皆さんと、毎年全国22カ所くらいを回って、ハンディキャップを持った人とその家族を、ミュージカルに御招待しています。この活動をはじめてから35年になります。また、劇場に来ることができない重度の障害の方とその家族のために、劇団四季とは別の劇団ですが、演劇を楽しんでもらうという活動もおこなっています。
 それから、組合員とその家族のためのいろいろな共済制度を持っています。生命共済、火災共済もありますし、無料の法律相談、メンタルヘルスの相談、住宅相談などをおこなう機能ももっています。
 葬儀共済という面白い制度ももっています。我々がやり始めたのですけれども、本人、配偶者・子どもの葬式が、無料でできるという共済です。これは画期的な共済だと思います。そういった組合員、家族のための共済制度というのももっています。
 また、定年退職をされた方は現在3万名くらいいますが、退職された方がいろいろな労働組合の活動に参加できるような仕組みがあります。

2.自動車産業のグローバル化

(1)グローバル化の変遷
 自動車産業の歴史を振り返ってみると様々な出来事があり、その都度再編が行われてきました。
 1883年、ドイツでベンツという会社ができ、その3年後にガソリンエンジンの車を開発しました。その後、1903年に、アメリカのフォード社が設立され、日本では1904年に国産の蒸気自動車が開発されました。その後、フォードに続いて1908年にGMが設立されました。フォードではT型車が有名です。量産がここから始まったわけです。
 そして、その100年後にリーマン・ショックが起こり、GMとクライスラーが経営破たんをしました。つまり100年という節目で自動車産業では大きなことが起こったということです。
 日産自動車は、1933年に設立されました。その4年後にトヨタ自動車が設立されています。日産は戸畑鋳物という鋳物屋が原型で、戦前は、日本産業という財閥の自動車部門の一員でした。日産の名前は、日本産業からきています。
 第二次世界大戦後、1952年に日産はイギリスのオースチンと技術提携をしています。当時は、欧米に比べ日本の自動車産業は遅れていましたので、技術を欧米に教えてもらうという時代が続きました。
 1952年に国際通貨基金(IMF)、1955年に世界保健機関(WHO)等にも加盟していくようになり、それと同時に、国民車育成要綱ができます。そして、1960年代には、ローンを組んで車を買えるような法律もでき、高度成長につながっていくわけです。
 モータリーゼーションの広がりは、自動車の生産を拡大すると同時に、途上国を中心に海外へも進出していくことになります。また、1969年の自動車資本の自由化の決定は、海外企業との資本提携を加速することになります。
 そして、1971年にオイルショックが起こります。この時、1ドル360円から308円に切り下げられ、非常に円高となりました。さらに、1978年に自動車の輸入関税が撤廃され、現在、日本は輸入関税“0”です。どこの国から車を持ってきても関税はありません。たとえば、今、EUへ車を輸出すると、10%の関税がかかりますが、EUから日本に車を持ってきても関税はゼロです。アメリカへ輸出をするときは、乗用車は2.5%、商用車は25%の関税がかかりますが、それに対して日本はゼロです。
 1980年代に入ると、日本から安くて燃費の良い車がどんどんアメリカに輸出され、アメリカの自動車産業は大変な状況に陥ることになります。日本車の影響で、自分たちの雇用が失われると、当時は日本車を壊したりする映像が毎日のアメリカから発信されていました。それではいけないということで、日本のメーカーは、アメリカに工場を作るようになります。アメリカに工場を作り、現地のアメリカ人に働いてもらって、雇用問題を少しでもなくしていこうということが加速していった時代です。
 1985年にプラザ合意があり、1996年に、フォードがマツダの株を3分の1取得し、1998年にはダイムラーベンツとクライスラーが合併しました。この合併は当時世紀の大合併と言われましたが、2007年に解消されています。
 そして、1999年に日産は赤字が累積し大変な事態となり、フランスのルノーと資本提携をし、現在に至っているということです。そして、2009年、リーマン・ショックを経て、GM、クライスラーにアメリカ政府が介入し、再生がおこなわれました。2010年に今度は日産・ルノーが新たにダイムラーとも資本の提携を始めました。

(2)自動車産業を取り巻く環境変化
 2007年に海外生産台数が国内生産台数を上回りました。1990年の1,350万台が国内の生産台数のピークでした。現在は、震災などいろいろな影響により、1千万台を大きく下回っています。労働組合としては、国内生産1千万台を維持してほしいと経営側に言っているのですが、大きく下回っている状況です。海外の生産台数が増えてくると、国内の生産が空洞化するのではないかという懸念があります。そして、空洞化は雇用問題へと直結します。
 日本の円が高くなっている状況では、企業は、まず海外で生産を始めます。日本から輸出をすると為替差損が出てしまいますから、他の国で製造して輸出をするといった選択肢をとるようになります。それから、車両の部品も海外の部品メーカーから購入して、日本で作る車に取り付けます。今まで購入していた部品メーカーに注文しなくなるわけですから、ここでも雇用問題につながっていくことになります。
 円高の他にも、国内産業空洞化を進展させる要因として、外国に比べて高い法人税の問題があります。また、自由貿易協定の問題、そして、電力の問題等があります。日本各地で電力料金値上げの問題が起きています。モノづくり産業にとって電力料金の問題はとても大きな位置づけとなります。今後の日本のエネルギー政策をどうしていくのかということも雇用問題を考える上で非常に重要なことだと思っています。

(3)国内需要の低迷
 日本国内における自動車販売台数ですが、1990年は778万台でした。その後、600万台、500万台レベルで下降していき、リーマン・ショックや東日本大震災の影響でさらに減少し、今は400万台レベルに落ちてきています。一度落ちた需要はなかなか上がっていかないということで、1,000万台を日本国内で作ろうとすると、やはり日本国内で600万台位は売れてほしいわけです。
 しかし、消費動向の多様化により自動車への購買志向が変わってきています。大学生の興味関心のある商品ランキングのデータを見てみると、今40代、50代の人たちが大学生の時は、自動車の関心が非常に高かったといえます。それが、2~3年前のデータでは、現代の大学生は、パソコン、ファッション、旅行、通信機器などが上位で、自動車への関心は相当低くなってきています。
 それから、少子化の影響もあるのかもしれませんが、24歳以下の運転免許取得率も減少傾向にあります。今年就職した私の息子も大学のとき免許をとりましたが、友人の中に別に免許はいらないという人も結構いるらしいのです。
 また、自動車の税金が非常に高いというのも需要低迷の要因と考えられます。日本の自動車の税金は、総額で8兆円です。国家予算の一般会計が約90兆円なので、1割弱を自動車関係の税金でまかなっているということになります。
 自動車にはたくさんの税金がかかります。購入時には自動車取得税、自動車重量税、自動車税、消費税を支払い、保有してからは自動車税を毎年支払い、車検のたびに自動車重量税を支払います。そして、燃料のガソリンや軽油にも税金がかかっています。車体課税を国際比較すると、なんとアメリカの50倍です。とにかく、日本で車を乗る上での税金は、複雑なうえ高いです。
 労働組合では、政治家にこのような自動車の税金の仕組みを変え、自動車取得税、重量税を廃止するよう働きかけています。特に車が生活の足となっており、保有率の高い地方の方々には高い税金が大きな負担となっています。東日本大震災で影響を受けた地域も、車の保有率が高いところです。税金を安くすることで、車を買いやすい状況にすることも震災復興につながるということで、現在、税金を下げるよう活動をしているところです。
 また、消費税率の引き上げも問題です。1997年に3%だった消費税を、5%に上げたときも需要がガクンと下がりました。100万台以上も国内販売台数が減り、それ以降減少を続けています。消費税は2014年に8%に、その翌年に10%にと、2段階で上がるようになっていますが、このまま何もしないでいると93万台販売が減少するというシミュレーション結果が出ています。雇用も27万人失われ、生産減少も6.3兆円という試算も出ています。
 そもそも自動車を購入したときに、なぜ消費税と自動車取得税の2つの税金を支払わねばならないのでしょうか。贅沢品を購入したときに支払う、物品税という税金がありました。この税金は、消費税導入時に廃止されましたが、自動車取得税は残りました。しかし、地方では、生活の足として自動車は乗られています。それを考えると、贅沢品という概念はおかしいということです。
 そこで、われわれは、消費税を上げるのだから、自動車取得税は廃止するように求めています。廃止することで、需要がまた増え、生産台数が増加します。雇用の創出に直結する重要な政策だということです。

(4)自動車産業の経済波及効果
 国内の産業のなかで、自動車産業は生産誘発係数の高い産業です。つまり自動車産業は、経済の回復に大きく寄与することができるのです。
 自動車産業は、製造、販売、サービスのほか、ガソリンスタンドや、自動車のアクセサリー販売など、すそ野が広い産業です。自動車産業就業者は、全就業人口の約8.7%を占めています。しかし、それだけではありません。電気産業のなかにも自動車の部品を製造している企業があります。私は、自動車に関係する仕事をしている人は、全就業人口の10~20%くらいいるのではないかと思っています。
 自動車産業の、設備投資額は全製造業の13%、研究開発費は19.7%、輸出額は21.4%になります。

(5)自動車産業の現況
 全世界の自動車の保有台数は約10億台です。そのうち日本には、7,540万台があります。1年間の世界の販売台数は7,410万台、その中で日本のメーカーの自動車は、2,100万台ですから、世界の車の3台に1台は日本車ということになります。しかし、生産は、海外で6割、国内は4割という状況になっています。
 最初は、日本で作っていたものを海外に輸出していくことがグローバル化でした。それがだんだん技術提携や、資本提携に変わってきて、いまや日産も含め、日本の企業の多くに外資が入っています。グローバル化といっても、中身はいろいろ変わってきているということです。

(6)グローバリゼーションと国際労働運動
 ヒト、金が、グローバル化、ボーダレス化、IT化と言われる世の中ですので、昔では考えられなかったことが起こります。従って、そういったことに対して、労働組合同士の連帯活動というのも非常に必要になってきています。
 国際的な労働運動の組織として、世界のナショナルセンターである国際労働組合総連合(ITUC)、産業別の国際労働組織(GUF)があります。また、国際労働機関(ILO)、経済協力開発機構(OECD)を通じて活動もおこなっています。
 また、企業の社会的責任(CSR)をはじめ、国連のグローバル・コンパクト(UNGC)や、国際基準を定めた国際標準化機構(ISO)などたくさんのコンプライアンスがあります。それらを企業が守らず、不正をし、それが世間で問題になると、売り上げは大きく落ち、仕事がなくなり、雇用問題へとつながっていくことになります。
 従って、コンプライアンスをきちんとチェックしていくことも労働組合の重要な役割と考えています。

3.自動車産業労組の取り組み

(1)基本原則
 生産性三原則というものがあります。一つ目が、雇用の維持・拡大です。仕事がなければ始まらないわけですから、仕事を確保していくのが最優先ということです。
 二つ目が、労使の協議・協力です。労使関係は、お互いの立場が違いますから、対立するところがあります。しかし、協調も大切です。対立もあれば、協調もある、その棲み分けが重要になるということです。
 三つ目が、成果の公正配分です。今、ステークホルダーという言葉を日本でもよく聞くようになりましたが、企業は誰のためにあるのかということです。企業は株式会社なのだから、企業は株主のためにあると答える人が多いようですが、それだけではないと思います。株主以外にも、対等の利益当事者はたくさんいます。従業員も大切にしなければいけないし、儲かった時には利益を適切に配分するということが一つの基本的な考え方となります。

(2)日本的労使関係の特徴
 日本の労使関係の特徴として、企業別組合があげられます。企業別の組合がベースとなり、産業別労働組合、ナショナルセンターを構成しています。欧米の産業別労働組合と異なり、日本の労働組合は、企業の発展と同時に、働く人たちの雇用と生活をしっかり守ることを念頭において活動しています。
 企業が儲かっていくためにも労働者にきちんと賃金を支払い、労働条件をあげていく。それが、労働者のモチベーションを高めることになり、利益につながっていくわけです。つまり、企業も発展して、働く人も幸せになれるという考え方です。
 また、対立と協力の調和。これも大事です。「団体交渉」と「労使協議」という2つの大きな仕組みがあります。これらの大きな違いは、団体交渉というのは、組合が会社に要求を出して交渉をする、たとえば賃上げ交渉などがあります。この場合、会社は交渉を断ることができないことが、法律に明記されています。
 一方、労使協議は、会社は嫌だったら受けなくてもいいのですが、日本では労使協議制度が定着しています。労使協議の場で、労使が腹を割って話し合いをすることができます。日本の労使関係はそのようになっています。

(3)日本的企業経営の特徴
 今はどんどん欧米流になってきていて、終身雇用制度等が見直されてきています。欧米から見れば、終身雇用制度というのはおかしいと思うわけです。ただ日本でも、長期雇用安定制度といった制度があるわけではなく、慣行的にそういうふうになっています。
 それが悪いという欧米の皆さんと議論をするとき、私は、「愛社精神や、愛国心という気持ちで、定年までがんばって働くことができる。だから、会社のために尽くそうという気持ち自体を悪いとは言えない。」と話します。
 終身雇用制度が問題になるのは、仕事をしなくても、年数だけ経てば賃金が上がっていくということです。仕事もしないのに、雇用も確保され、収入も確保されていることがよくないということは否定しません。しかし、長期雇用はそういう悪い面だけではありませんから、会社と労働組合は論議をしているわけです。会社は成果主義型に変えたいなどという論議があるのですが、長期的観点に立った経営で考えるならば、それはそれほど簡単にはいかないと思っています。
 それと、モチベーションをどう上げていくかということが非常に大事だと思っています。また、これは日本のよさと言えますが、チームワークの重視です。能力主義、個人主義になっていくと、チームワークが軽視され、そうなると後輩の育成をしなくなります。成果は一人占めしたい、そういう狭い考え方では、経営はうまくいきません。
 こういったことを考えながら、今後、新しい制度を取り入れていかなければいけないということになります。

(4)日本の経済・社会発展と労働組合の役割
 リーマン・ショックの時に派遣切り、派遣村などの問題が起きました。我々の企業でもそういう状況が起きました。
 リーマン・ショックの時は、正社員も仕事がなくなりました。そうすると、非正規の派遣社員の皆さんには、申しわけないけれども仕事がないのでということになります。ただし、契約期間の途中で切ることはしません。契約の期間が満了したときに、申しわけないけれど、もう仕事がないのでということで再契約はしませんでした。このようにルールに基づいてやっていて、会社は法律に違反しているわけではありません。
 しかし、社会的責任をどう取るのかということを、労働組合では、会社側に要求をしました。あのときは、他に仕事がありませんから、寮に引き続き住まわせてあげてほしいと会社と交渉しました。そういったことを会社といろいろ調整をしたということです。

(5)政府への政策要求を通じた社会的公正の実現
 いろいろな政治的課題がありますが、それを解決していくのに労働組合として政府に要求をしています。
 たとえば、雇用調整助成金といって、企業が労働者を一時的に休業・教育訓練・出向させる場合に、政府がその費用の一部を負担するという制度があります。しかし、その手続きが非常に面倒なものとなっています。ですから、もっと手続きを簡素化する、中小企業の支援策をもっと厚くするといったことを要求しています。そうしないと企業は、従業員を解雇せざるを得ない状況になってしまいます。
 また、東日本大震災の復興支援として、車両の早期撤去や、一時保管場所の確保といったことも労働組合でおこなっています。

4.日産のグローバル化と労組の対応

 労働組合は、企業経営者に対して、企業には日本国内での雇用をきちん創出させるという社会的責任がある、円高だから海外に生産を移すというようなことを、簡単に判断をしないでほしいと言っています。問題はいろいろありますが、粘り強くやっています。
 日産は、1999年にルノーの資本に入ったということで、大きな転機がありました。その時にゴーン氏と交渉をしたのは、まずは雇用です。あの時、「21,000人の首切り、工場閉鎖」ということが新聞の一面に載りました。しかし、実際には21,000人の従業員一人も首を切っていません。他の工場への異動や、何らかの事情で異動できない人のためには、もとの工場のところに仕事を作らせました。それまでと同じような仕事ではありませんが、仕事を作ることを会社と交渉しました。ですから、自分の意思に反して会社を辞めさせられた人は、一人もいません。それが事実です。

おわりに

 これまで自動車産業は、様々なうねりを経験してきたという話をしてきました。これからもいろいろなことがあると思いますが、労働組合は今後も、企業を持続的に健全に発展させていくために、生産性を向上させ、そこで働く人が生き生きと仕事をし、生活していけるようにしていく。この二つのことを、立体的に実現していけるよう頑張っていきたいと思います。
 就職活動を始める皆さん、雇用がなければ、就職ができません。そういうことも含めて、皆さんのためにも頑張らねばならないと思っています。ご清聴ありがとうございました。


戻る