埼玉大学「連合寄付講座」

2009年度後期「働くということを考える」講義要録

第5回(11/11)

賃金と処遇について考える①連合の賃金政策

ゲストスピーカー:團野 久茂(連合副事務局長)

1.はじめに

 はじめに、私が就職をした頃の話をしたいと思います。私は、1973年に日本鋼管に入社しました。今でも忘れられないのは、日本鋼管のある川崎駅に初めて降りた時の光景です。当時、川崎駅は非常に古い駅舎で、螺旋階段を下りると、作業服を着た労務者が酒を飲みながらたむろしていました。その日は、夕方の6時半ごろ川崎駅に着いたのですが、西ではなく東の空が夕焼けのように見えました。それは、日本鋼管の高炉で、鉄鉱石を溶かして鉄を取り出す作業がおこわなれていたからでした。
  当時の職場風土はどういうものかといいますと、「職場の安全は自分で守らなければ守れない」というものでした。また、作業長が、労働者一人ひとりの家族構成まで全部頭の中に入っている、そういう労務管理をする現場でした。賃金も常に高い職場でした。その頃の日本で、一番賃金が高い職場は炭鉱でした。危険な職場ではありましたが、通常の労働者の賃金の2倍でした。その次に高かったのが鉄鋼で、通常の労働者の賃金の1.8倍でした。ですから、優秀な人たちがたくさん集まっていました。普通の人と違った優れたものを持っていた人たちが、鉄鋼会社に入ってきていました。
  それから当時は、養成工制度というのがあって、中学校を卒業して1年間教育を受けてから職場に配属されるということになっていました。その後、工業高校の人を採用して、1年間会社で教育して、現場に配属するようになりました。もっと優秀な人は、鉄鋼短大が奈良にありましたが、そこに派遣されました。そういうところを出ると、現場の作業員ではなく、技術指導員として職種転換をして採用するというような時代でした。このような制度や仕組みは今ではなくなりましたが、そういう会社に入ったわけです。
  1971年に、京浜運河の沖合に縦4キロ、横3キロの人口島をつくり、製鉄所をつくる計画がスタートしました。そこで高炉を立ち上げる仕事をしてくれということで、京浜地区の勤務となりました。
  その後、2年間の約束で造船事業部・津造船所へ異動しました。調度その頃、当時の通産省が、造船の受注を大幅にカットするという指導をおこなったため、各企業が大減産をおこないました。その影響をうけ、津には実業団で2部に入れるか入れないかのバスケット部がありましたが、それを廃止するということになりました。そのため、若い部員たちが、バスケットのできる環境へ異動できるよう会社側と交渉をしました。それが、私が労働組合にかかわった最初の経験でした。その後本社に帰り、その延長線上で、労働組合の専従になったということです。

2.主要先進国の雇用システムと賃金処遇上の変化方向

 賃金・処遇を考えるにあたっては、最初に、各国の雇用システムの比較をしたいと思います。私は、皆さんに話をするために、図書館やブックセンターに行きまして、賃金・処遇に関わる本を探してみました。しかし、全くありませんでした。どういう制度を、どうのように導入すればよいかというのはありますが、賃金・処遇を考えるという本は全くありませんでした。このため、私が30年間労働運動に携わってきて、自分なりにつかんだことを今から申し上げたいと思います。

(1)これまでの雇用システムの再点検
  一般には、日本は終身雇用といわれていますが、これは真っ赤な嘘です。結論から申し上げると、長期安定雇用というように理解していただければいいと思います。日本の賃金専門家の楠田丘氏は、日本の雇用システムは、定期採用、定年制、継続的な人材育成とそれに基づく内部昇進制度、定期昇給制度の5つから成り立っていると言っています。また、その特徴としては、会社の人材育成のノウハウの蓄積を可能にする、柔軟に対応できる、良好な労使関係ができやすい、集団画一主義といった4点をあげています。
  そして、これらを兼ね備えた終身雇用制をとっている企業がどのくらいあるかというと、データをみると、終身雇用の従業員が50%以上となっているのは、従業員が1000人以上の大企業の男子大卒者、従業員が5000人以上の大企業で働く男子の専門学校卒、高卒者だけです。したがって終身雇用という言葉は、国際的にもいろいろと誤解を招くということで使用しない方がいいと思います。それよりも、長期安定雇用や長期継続雇用という言葉のほうがふさわしいと私は思っています。
  それから、長期安定雇用は日本独特のものではなく、他の国にもあるということです。一般には、日本独特のもので、経営側の負担が大きいと言われていますが、OECDの資料によると、同一企業に20年以上勤めている労働者の割合は、日本19.6%、ドイツ16.7%、フランス15.8%、スペイン18.4%、アメリカ8.8%となっています。アメリカ以外は、ほとんど変わりないということです。
  また、男子の40歳代前半での企業における残存率は、日本80%、ドイツ70%、フランスとスペイン85%、アメリカ55%という状況です。ここでもアメリカだけが、著しく低いということです。さらに、終身雇用と言われている日本では、男子の勤続年数は非常に長いと思われがちですが、中小企業も含めた全体の平均は12.5年にすぎません。終身雇用とはとても言えない年数です。他の国では、ドイツ12.1年、フランスとスペイン10.6年、アメリカが7.6年です。10年以下というのはアメリカだけです。女子の勤続年数は、日本7.3年、ドイツ8年、フランス9.1年、スペイン8.2年、アメリカ5.9年です。ここでもアメリカだけが短いということであります。
  ここでわかることは、日本は長期勤続の労働者の割合が高く、かつ勤続年数の数値が比較的に長いということです。そして、この割合はドイツやフランスでもほとんど同じだということです。ただし、アメリカはその対極にあって、長期勤続の労働者の割合が最も低く、勤続年数も最も短く流動的だということが、OECDの数字から言えるというとこです。
  一方、雇用調整の方向について比較をしてみると、日本・ドイツ・フランスは、正規従業員の解雇を避けるという努力をこの間ずっとしていきています。そのため、雇用の安定性は高いと言えます。これに対してアメリカは、先任権(セニョリティ)制度となっています。業績悪化の際には、勤続年数の短い順にレイオフをする制度であるため、雇用の安定性は低いということです。これらのことから、長期雇用の安定は、アメリカを除けば、先進各国の共通する慣行であると言えます。したがって、長期勤続雇用が、国際競争力を妨げるといった認識は正しくないということになります。

(2)労働市場の国際比較
  雇用システムと賃金・処遇条件というのは当然深く結びついていきます。雇用システムがあって、その上に賃金・処遇条件がその上に成り立っています。ですから、雇用システムをきちんと理解しておかないと、賃金制度は理解できませんので、そういう観点で申し上げたいと思います。

①日本型内部労働市場
  労働市場は、内部型労働市場と職業別労働市場の2つに大きく類型化することができます。日本とアメリカは、内部型労働市場がこれまで中心的役割を果たしてきました。しかし、日本では1990年代後半から、急速に非正規労働者が増え始め、今では約3割を占めています。非正規労働者の市場は、企業内部ではなく、企業の外部にできている労働市場です。したがって、日本では、内部型労働市場が7割、外部型労働市場が3割というのが現状です。
  内部型労働市場は、基本的に企業の内部だけで異動をするというのが特徴です。また、生産減反などで所属する工場にいられなくなれば、他の工場や他の事業所に異動するという形で雇用を守ってきました。今は同じ事業所だけではなくて、グループや関連企業を含めた市場、そこも大きな意味での内部市場ということで、そのなかで異動するように変わってきているわけです。それは、異動だけではなく、内部昇進も含むシステムです。
  企業に入りますと、OJT(on the job training)といいまして、自分たちの先輩が横について、作業の仕方や安全の確保など、独り立ちするまで、きちんと教育するわけです。そのような内部教育に基づく技能形成ということも内部労働市場として特徴づけられます。そういうことで、知識を身につけ、業務技能を積み重ねていき能力が伸びていく、そして、その伸びた能力と処遇を結び付けて、年齢ごとに処遇があがっていくわけです。このようなことは、日本だけの特質だと思います。
  教育による業務知識の積み重ねだとか、技能が伸びることに合わせて処遇も伸ばすということ、これが日本の雇用の大きな特質だと理解していただければと思います。

②職業別労働市場
  これに対して、ドイツやイギリス、北欧は職業別労働市場に類型化されると思います。内部型労働市場と職業別労働市場の違いは、技能形成にあります。内部型労働市場はOJTでしたが、職業別労働市場のドイツの場合は、マイスター制度といわれる徒弟制度です。そのシステムの中できちんと技術・技能を積み重ねていくわけです。職業高校などできちんと教育を受けて企業に入ると、マイスター制度に則って、彼らは、不熟練工ではなくて熟練工として育っていくわけです。それ以外の人たちは熟練工ではなくて不熟練工だということで、ここで区分けをされるということです。ヨーロッパでは、企業に入ってから教育を受けるというとはありません。自分の努力で訓練を受けて、その能力のアップについては、後から保障・評価されるということです。
  アメリカについては、その技能形成の方式からいくと、内部労働市場ということになります。ただし、雇用システムの観点からみると、際立って高い外部柔軟性という特徴を持っていて、これはアメリカ独自のパターンとして見ることもできます。
  また、アメリカの勤続年数は、6年~7年くらいの間です。明らかに諸外国に比べ短いわけですが、失業期間が短いということも特徴として出ています。失業期間は50%の人が、6カ月以内ということです。そのうちの90%が6カ月未満で再就職をしています。したがって、失業してもそれほど深刻ではないといえます。しかし、再就職はすぐにできますが、元の職場のような高い賃金は保障されません。
  アメリカの6カ月という数字は失業保険が給付される期間と一致しています。失業保険については各州によって異なっていますが、おおむね賃金の60%が保障されるということになっています。これに対して、北欧のノルウェーでは、失業しても給付水準が90%保障されています。こうなると今度は、これだけ保障されれば別に働かなくてもいいということで、失業期間が極めて長いということになります。そういう部分では、見直しをする動きも見られ、失業の内容によって給付期間の長短が出てくるかと思います。これが今までの状況です。

(3)「新時代の日本的経営」の功罪と反論
①「新時代の日本的経営」の内容
  1995年5月に日経連が「新時代の日本的経営」という提言を発表しました。このなかにおいて、日本の特徴である長期雇用は、3つのグループに分けられるのだと主張しています。
  1つ目が、長期雇用安定グループ、2つ目が、専門能力短期雇用型グループ、3つ目が雇用柔軟型グループです。このように、長期安定雇用を3つに類型化し、働き方、労働条件についてもこの3つに切り分けられるのだと主張したわけです。私は、このことが、日本の雇用システムを大きく変化させる出発点になったのでないかと考えています。
  また、一般職と技能職については、短期雇用化を主張しました。そうすると会社を支える部分が、正規雇用という集団から離れてしまうものになってしまうのではないか。そうなると、企業の競争力や技術力を根本から失うのではないか。一時的には、労働力コストが下がり、収益があがるかもしれないが、中長期で考えると、本質的な企業の産業力を弱めてしまうのではないか。我々からすると、この類型分けは全く話にならないということです。

②非正規労働者の実態
  1987年~2009年までの正規労働者と非正規労働者の推移を見ると、正規労働者は、1987年で約3337万人、それがずっと増えていくわけですが、1997~98年の約3800万人をピークにして減少しています。それに対して、非正規労働者がどんどん増加していることがわかります。パート、アルバイト、契約社員、派遣社員を非正規労働者と呼んでいますが、この非正規労働者が、現在では、3380万人強の正規雇用労働者に対して、1700万人ということになっています。
  厚生労働省『賃金構造基本統計調査』を基にして正社員の賃金を時間給にすると、平均1918円が大体のところです。これに対して、短期間働者は999円、契約社員は1195円というようになっています。正規と非正規ではこのくらい処遇条件では違いがあるということです。さらに、一時金や退職金をふくめて考えると、この倍ぐらいの違いが出てくるだろうと思います。
  厚労省によると、現在の貧困率は15.7%程度で、OECD諸国の中で、後ろから数えて4番目です。このことを踏まえて、国税庁が出している税務統計で年収分布をみると、年収100万円以下の割合がどんどん膨れ上がっているということがわかります。1996年は7.2%でしたが、2008年では8.4%になっています。200万円以下にすると、1996年が10.7%、2008年には14.9%です。つまり、日本人の約23%が200万円以下の層だということになります。300万円以下までとすると、全体の4割ということになります。これが日本の実態だと考えていただきたいと思います。

③「新時代の日本的経営」に対する労働組合の反論
  ですからここのところを何とかしなければいけないということです。大きな課題は、非正規労働者と正規雇用労働者の賃金格差をなんとか均衡が取れる状況にまで持っていかなければいけないということです。そのことによって、多くの労働者が低所得におちいっている状況をなんとかしなければいけないと労働組合では考えているわけです。
  1980年代の後半は、1億総中流と言われていました。アンケートを取ると、みんな「わたしは中流です」「人並みのいい生活をしている」と感覚的に認識していたわけです。それが今やそうではなくて、全体の4割が300万円未満しか年収がないという状況にいたっています。そうした出発点が、1995年の「新時代の日本的経営」という経営側の主張であったと労働組合ではみていると理解をしてもらいたいと思います。
  それから、1990年代の後半に、2回にわたって、年功的賃金よりも業績連動型賃金や能力反映型賃金にするようにということを日経連は言ったわけです。これは中小の企業にとっては、人件費をカットするには一番簡単な方法ということで、必要以上に制度変更をしてしまいました。しかし、賃金制度の基本は、一番大切なのは、働き方にうまくあった賃金が支払われているかどうかということです。あまりにも高すぎても納得性が出てこないわけです。仕事のやり方と賃金水準が合致し、そこに納得性のある賃金でなければ、高くても何の意味もないということになります。

3.日本における賃金制度の改定経過

(1)概括
①1945~1960年:生活給
  日本の賃金制度は、15年ごとに大きな変化をとげていると理解してください。第2次世界大戦が終わった1945年~1960年は、生活給の時代だったと言えます。第二次世界大戦で敗戦し焼け野原となり、そのなかでどうやって生活をするか、生活できるだけの賃金をよこせ、というのが要求だったわけです。
  このような要求は、労働運動を通じておこなわれたわけですが、終戦と同時にGHQが民主化政策の一環として、日本に労働組合の設立を働きかけました。それを受け、日本の労働者も、早く企業と対決をして賃金をあげないと生活ができないということで、非常に速いスピードで労働組合が結成されていきました。
  その時に、日本では企業別に労働組合を作ることが一番効率的だということで、企業別もしくは事業所別に労働組合が作られていきました。同じく敗戦国のドイツも、アメリカに占領され、日本と同じように労働組合がつくられました。ただし、ドイツの場合は、職業別に労働組合を作った方が効率的だということで、職業別に労働組合が作られました。ですので、ドイツでは産業別組合が8組合しかありません。日本はそれに対して52もあります。この数は多すぎると思います。

②1960~1975年:職務給
  当時、GHQは日本に職務給の導入をすすめました。その結果、日本の多くの企業において、職務評価、職務規律、職務等級などを取り入れるようになり、次第に職務給が広がっていきました。これが、1960年~1975年までと捉えることができます。
  この期間において日本は、経済的に大きな成長を遂げていきました。1950年にサンフランシスコ講和条約を結びますが、その頃は、アメリカとソビエトが対立していた東西冷戦時代でしたが、当時の吉田首相は、ナショナリズムに流されずに、現実的にアメリカの傘下にはいることによって平和を実現していく方向をとりました。そういう枠組みの中で、鉄鋼、電機、特に造船といった重化学工業を早く近代化することにより、大量の雇用を発生させて、国民に仕事を提供するという政策をとったわけです。その延長線上で、1960年に首相になった池田勇人が、所得倍増計画を出したわけです。それは、10年間で日本の所得を10倍にするという宣言でした。その宣言通りにその後、重化学工業によって経済を発展させ、雇用をつくり、所得を2倍にしました。
  そして、田中角栄が首相に就任したときに、公共投資という形で日本全国にその成果の配分をしたということです。ですから、高度成長ということは、国民全体に所得配分がいきわたったということで、これらが非常に有効に機能し、一億総中流と言われる1980年代後半の経済の繁栄につながったわけです。
  そういう経済成長の時代ですから、職務給に無理が出てきました。職務給というのは、ずっと職務がかわらなければ安定していていいわけですが、高度成長時は、毎年企業規模が拡大し、収益も拡大します。事業所もどんどん増設します。そうなると新しい仕事がどんどんできるわけです。そうすると、新しい仕事に対する職務評価や、新しい序列をつけ直すといったことを毎年おこなうわけです。こんな非効率なことはないわけです。経済が成長を続け、技術が進歩する中で、この職務給というのは、当時の状況に全く合わなくなってしまったということがあります。

③1975年~1990年:職能資格制度による職能給
  職務給は、1975年頃から変化します。その背景の重要な事件として、1973年の石油ショックをあげることができます。石油ショックは、1973年に起こったのですが、それと同時に、物価が2~3倍に跳ね上がりました。それに合わせて賃金も上がるという時代で、ストライキを背景にして、毎年平均3万円上がっていました。しかし、同じだけ物価も高騰していたので意味はなかったわけです。このようなことを背景にして、賃金制度は職務給から職能給へと変わっていきました。
  職務給は、年俸職階級という言われ方もしていて、職務等級制を導入して、その職務等級制によって賃金が増えていくという賃金制度です。それが、1975年から職務遂行能力を中心とした職能資格制度ということで、職能給が普及し始めます。
  職能給と職務給の違いですが、職務給は、こういう職務だったらいくらかということになるわけです。そして職務ごとに等級をつくって、その等級によって賃金の水準を全部決めるというものです。それに対して職能給は、仕事を遂行する潜在的な能力を段階的に作るということです。その職務を遂行する能力を潜在的に持っているか否かということで評価されます。たとえば、1段階、2段階という段階を作り、その職能資格制度を軸にして、個々人の仕事の評価をして賃金を決めていくといった賃金制度です。

④1990年~:成果主義賃金の広まり
  1990年頃から、高齢化の進行、価値観の多様化、雇用形態の多様化、国際化の一層の進展といった環境の変化の中で、職能給と能力給が一つになっていくようになりました。そして、それを全部能力主義と捉えて、一般職には役割業績給、管理職には年俸制という業績給という形で、成果主義賃金が広がってきています。
  現行の年功給と能力給のウエイトというのは、会社によって全然違いますが、大まかに申し上げれば、年功給4割、能力給6割というような状況だと思います。

4.新たな貧困の発生

 非正規雇用と労働所得格差の拡大の現状は、先ほど申し上げたとおりです。ここでお話したいのは、かつては非正規労働者というのは、主婦が家計補助的な収入を得ようとして、スーパーなどでアルバイトをする、学生が勉強をしながら収入を得るということで、アルバイトをする、この2つが大きなタイプでした。ですから、その賃金で、自分の生活全てを賄うという考えはなかったわけです。したがって、1980年代においては、ワーキングプアなどということはなかったわけです。
  それが、1990年の初めのバブル崩壊後、本人が望む、望まないにかかわらず、非正規とならざるを得ない新卒の若者が急増したわけです。ロストジェネレーションと呼ばれている世代がそうです。ただし、フリーターになっても親の家で生活をして、親の庇護のもとで、住宅費も食費もかからない状態であれば、貧困は発生しませんでした。しかし、当時20歳だった人は、もう40歳になっていて、その親御さんは60歳になっています。そうすると、親自身も定年退職などで、安定した定期的な収入が得られなくなってきます。そういう状態の中で、自分たちの子どもがアルバイトで生活をしている、そういう状態になったときにワーキングプアという状態になるわけです。
  そういう意味でいうと、新たな貧困の発生ということが起き始めているということです。これまでの社会保障の考え方というのは、人並みに努力をして、人並みに仕事をしていれば、全員が人並みの生活ができるということが前提でした。今起きている新たな貧困の問題というのは、人並みに努力はしてきた。だけれども、自分のせいではなくて、働けない、もしくは極めて低賃金の収入しかえらないというものです。先ほど見たように、人並みに働いても、労働者の23%は200万円以下の収入しか得られないというような事態が発生しています。
  ですから、ここを直さないと、みんなが安心をして働けるという明るい未来がなかなか築けないのではないかと思います。今、連合では、社会保障制度を見直そうとしています。政府とも話し合って見直しを実現していきたいと思っています。

5.日本の賃金決定システムと「春闘」の本質的改革

 2010年春季生活闘争の「要求」の基本な組み立てについて説明します。春闘がスタートしたのは1955年です。労働組合は一人でもつくることはできますが、一人で交渉しても弱いわけです。ですから、徒党を組んで交渉をして、賃金や労働条件を改善していくのが春闘だと理解していただければいいと思います。
  春闘は、日本の高度成長を背景に、全ての産業が「今日も明日もいい」という状況を前提として、スタートし発展してきました。その状況の中で、組合は力を合わせて、賃金・労働条件をあげていったわけです。その時の春闘における賃金の決定パターンは、国鉄、今のJRが先ずストライキをおこなって回答をめざします。それをもとにして、鉄鋼業などほかの産業全てが回答を引き出すというものです。このように、関係がない産業の交渉をモデルにして、それ以上か同等の回答を引き出すという決定パターンで闘えたのは、マクロの経済状況がよかったからです。
  ところが1990年代以降、経済状況が全く変わっていくわけです。同じ産業であっても個別の企業の状況が全く違う、事業所内での課題も全然違ってきています。そうすると、今までの春闘のような決定パターンは当然できなくなります。そこで、私は、春闘の推進の総括責任者も兼ねていますので、昨年、今までのような決定パターンではなく、産業基盤が同じところを5つのグループに分けるように提案しました。金属グループ(鉄鋼、造船、電気、自動車など)、流通サービス(スーパー、デパートなど)、化学・軽工業といった金属以外のグループ、電力・JT・情報通信といったインフラ整備をおこなう産業のグループ、交通・運輸のグループに区分けをしました。
  そして、このグループごとに力を合わせて、状況を改善していくという体制をつくりました。このことによって、それぞれの自らの力によって交渉をして回答を引き出す。そうすると、5つの回答を引き出すことになるのですが、横の連携をきちんとしながら、回答を引き出す体制をきちんとしていきましょうというものです。
  今年は、内外需バランスの実現をしていくこと、政府の政策の見直し、企業部門と家計部門の配分のアンバランスの是正、正規と非正規の処遇バランスの見直しをしなければいけないということで要求を整理しました。ポイントの一つは、非正規労働者を含むすべて労働者を交渉の枠内に全部入れて、闘争を組み立てるということです。
  もう一つは、賃金水準の低下の歯止めをかけるということです。1998年~2008年までの賃金水準の低下をグラフにして、30歳・35歳・40歳の年齢別に大企業と中小企業の賃金を比較してみると、30歳では、大企業3700円、中小企業1万1700円下がっています。35歳、40歳も同じように対比して見ていただくと、どれだけ下がっているのかわかります。ですから、賃金水準の低下の歯止めや、低下を阻止するという形での運動の展開が重要です。それから、総労働時間を徹底的に縮減させるという取り組みもあります。

6.さいごに

 連合では、共闘連絡会をつくり、共闘連絡会ごとにガイドラインをつくりました。これまで日本は、企業別組合ですから、企業ごとに交渉をして企業ごとに労働条件をつくりあげるのが基本でした。それに対して、働き方別に労働条件や賃金をつくり上げるのが、ナショナルセンターとしての連合の役割だと思っています。それから、非正規労働者と正規労働者の均等・均衡処遇を実現しなければいけません。そのためには、働き方別の賃率や労働時間に関する基準をつくらなければいけないということです。時間はかかると思いますが、3~4年をめざして実現させていこうと考えています。
  これが、労働の変化に対応する取り組み方法であるとともに、2010年春季闘争「要求」の基本的な考え方ということでご理解いただきたいと思います。


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