1.はじめに
(1)開講の挨拶
今日は後期最初の授業ですので、教育文化協会の理事という立場から、まず、開講のご挨拶を申し上げたいと思います。この授業は、「連合寄付講座」という名称が付いていますが、かたちの上では社団法人教育文化協会の寄付授業です。教育文化協会は、連合がバックアップして創設された社団法人です。したがって、連合がバックアップして開講している寄付講座だということで、「連合寄付講座」という名称を付けているわけです。
教育文化協会がどういう団体であるかということについてご説明しますと、定款に書いてあるように「労働者教育と教育文化活動を通じて、勤労者・労働者の生涯にわたる学習、文化活動を支援し、それを通じて、労働運動にいろんな形で関わっていただける人材を養成していこう」ということが、当協会の目的になっています。
当協会は、いろいろな事業を展開しています。その一つとして、埼玉大学を含めたいくつかの大学で寄付講座を設けています。それから、当協会独自のプログラムによる労働組合のリーダーたちが勉強する場も設けていますし、絵画・写真・書道・俳句・川柳の展覧会を開催するという文化事業もおこなっています。また、労働関係の出版事業もおこなっていますので、皆さんのお目にとまることがあるかもしれません。詳しくはホームページをご覧いただければと思います。
ここで、皆さんにお伝えしておきたいことがあります。毎年、当協会では連合の委託を受けまして労働組合・労働運動に関する論文を募集しています。これは、連合の組合員だけでなくて、誰でも応募できるようになっています。今年は残念ながら埼玉大学からは応募はなかったのですが、同じく寄付講座を開設している同志社大学や一橋大学から応募された方が入賞されています。入賞されますと、賞金もつきます。寄付講座のなかで学んでいただいたことや、自分でアルバイトをやって気付いたことなどを論文にまとめて応募していただきますと、入賞する可能性があるということです。当協会はこういう事業もおこなっています。
(2)連合とは
教育文化協会をバックアップしている連合ですが、正式名称は日本労働組合総連合会といいます。連合を一言でいえば、日本の労働組合の全国中央組織ということになります。全国中央組織のことを、ナショナル・センターといいます。ほかにもナショナル・センターを名乗るところがないわけではありませんが、圧倒的に大きなナショナル・センターという意味では、日本で唯一のナショナル・センターです。つまり日本全国の労働組合が集まって、労働者の共通の問題を取り上げて、労働者の生活と福祉を改善していく活動をしているのが、連合という組織です。
日本の労働組合は、基本的にはそれぞれの企業の中に作られています。なかには、地域に根差した組合や、個人加盟の組合もありますからすべてとは言えませんが、圧倒的多数は企業の中に作られています。こういう形の組合を、企業別労働組合というわけです。
それぞれの企業別組合は、関係する産業が一つのまとまりになった組織に参加しています。たとえば、日立製作所、パナソニックといった電機メーカーの組合は、電機連合という組織に一緒に加盟しています。こういう組織を産業別組織といいます。略して産別といったりしています。この産別が加盟して組織しているのが、連合だと考えていただいていいと思います。
おおよその仕組みとしては、賃金をいくらにするかとか、労働時間を何時間にするかということを具体的に決めていくのは、企業別労働組合と産別です。しかし、そういうものだけでいろいろな制度が決まっていくわけではありません。たとえば、労働時間について、最長何時間という基準を定めている労働基準法や、今非常に問題となっている労働者派遣法といった法律は、産別で取り扱うのではなくて、連合が取り扱っています。こういう形で、日本の労働者全体に関わるいろいろな問題点を扱って、政府と交渉をしたり、あるいは政党にはたらきかけることをつうじて、要求の実現をめざして取り組んでいるのが連合です。言ってみれば、日本の労働組合全体をまとめている砦であると考えていただいて結構だと思います。
現在、産別は52組合あり、連合に加盟をしています。合計すると約680万人の労働者が、この連合の組合員になっているわけです。皆さんもよくご存じだと思うのですが、今年の8月30日の総選挙によって政権交代がおこなわれました。1955年から50年以上にわたって、日本の政治は自民党が担ってきたわけです。自民党政権から民主党政権という形で政権交代が行われたのは日本の歴史上で初めてのことです。
連合は民主党と非常に密接な関係を持っていて、民主党の選挙活動に協力する組合も非常に多いわけです。したがって、この政権交代については、連合も非常に大きな責任をもっています。ここからどうしていくかについては、鳩山内閣では、連合あるいは産別のリーダーとして活躍していた人が何人も大臣に就任しています。それだけに、日本の政治にも非常に大きな責任を負っているのが連合です。
にもかかわらず、連合がどういう団体であるか、さらにいえば労働組合とはどういう組織であるかについては、皆さんはあまり知っていらっしゃらないと思います。ぜひ、この寄付講座を通じて、労働組合とはどういう組織であるかということを、楽しく勉強していただければいいと思います。
講義を全部きちんと聞いてその内容を覚えていただくことは、僕自身の学生時代の経験からも難しいことだと思います。それでも、毎回の授業の中で一つくらい印象に残るキーワードがあると思います。それを覚えておいていただきたい。労働組合とはどういう組織であるかということを覚えておいていただければ、僕も含めて教育文化協会としては、非常にうれしく思います。
(3)労働者とは
ここで、「労働者」とは何かということについて考えてみたいと思います。労働基準法には「労働者とは、職業の種類を問わず、事業又は事業所に使用される者で、賃金を支払われる者をいう」となっています。この定義は、第9条に出てくる規定です。では、賃金とは何かというと、これも労働基準法第11条に書いてあります。「この法律では」と限定していますが、「賃金、給料、手当、賞与その他名称の如何を問わず、労働の対償として使用者が労働者に支払うすべてのものをいう」となっています。
今、日本でいろんな形で仕事に就いている人は約6400万人います。そのうちの5500万人は、この労働基準法でいう労働者です。統計用語では「雇用者」という言葉を使います。これはあまりいい日本語ではなく、正確に言えば被雇用者となるのですが、この雇用者は約5500万人いて、就業している人の86%を占めています。すでに退職した人もいますし、今学校で学んでいて、これから労働者になる人もいるわけですから、国民の多数は労働者、統計用語でいいますと、雇用者であると考えていいと思います。
ですから、国民が福祉を達成しようと考えると、この労働者を中心に見ていくことになります。「福祉」という言葉は難しい言葉ではなくて、漢和辞典を引いてもらうとわかりますが、「福」も「祉」も「幸せ」という意味です。国民が幸せを得るためには、何より労働者が健全な生活をしていくこと、これは仕事の面でも家族生活や地域生活の面でもですが、これが国の福祉の決定的な中身になってきます。
しかし、わたしたちは時折このことを忘れてしまいます。なぜ忘れるかというと、いろいろな労働者がいますから、「労働者」と言ったとき、自分自身のことを言っているのかどうかがわからないといったことがあります。しかし、一番大切なことは、労働者の福祉を達成していくことであり、それが国民の福祉を達成することの基本だということを、強調しておきたいと思います。
(4)連合寄付講座の目的
そういう立場にたって連合では、学生の時から労働問題、あるいは労働組合について親しんでもらおうという目的で、寄付講座をおこなっています。皆さんも、大学を卒業すれば圧倒的多数の人が、賃金を受け取って暮らすという意味での労働者になるわけです。「労働者として、生涯を送っていくために必要なことはなんでしょう」ということを、講義全体をつうじて伝えていきたいというのが、この寄付講座の目的です。
講義のやり方としては、オムニバスという形態をとります。毎回、労働をめぐる様々な場面で活躍されている講師の方にご登壇いただいて、現場の中から(僕はこれを「現場主義」といっていますが)、労働とはどんなものでしょうか、あるいは労働組合はどんなことをおこなっているのでしょうかということを、皆さんに伝えていくということになっています。それぞれ、情熱を持って活動されている人が多いわけですから、皆さんに情熱をもって、実態を伝えていただけるのではないかと思います。
さて、皆さんが生まれる前になりますが、1980年代から2000年代において、とくに小泉内閣の時代に頂点に達したわけですが、市場万能の時代が続いてきました。すべてお金で解決しよういうことで、お金がある人が一番偉くなり、勝ち組はお金のある人、ない人は負け組というような時代が続いていました。しかし、そういう時代ではやはりだめだということが、今回の政権交代にもあらわれています。また、今からちょうど1年前ですが、リーマンブラザーズの問題から始まって世界的な不況が起きて、みんなが大変迷惑を被っています。皆さんのなかで特に3、4年生は、実際に就職の問題で大変な思いをされていると思います。これは約30年にわたるお金万能主義というか、市場万能主義ということによって、経済が著しく悪くなってしまったことの結果が表れていると思います。
少し考えればわかるように、人間が必要なものは、人間の労働によって作られます。作られたものの取引にはお金が必要ですが、一番の根本は人間が働くということ、すなわち、労働にあるわけです。本当はそれが一番偉くなければいけない、こういうことを新しい時代のなかで復権させていこうと、僕たちは考えています。これを「労働の復権」と言っているわけですが、こういう時代を皆さんと一緒に作っていくことができれば大変うれしく思います。そういう意味で、この連合寄付講座がおこなわれるのだと考えていただければ、僕は大変うれしいわけです。
2.人は何のために働くか
次に本日の本論ですが、多少、これからの話に関わる前提条件を申し上げていきたいと思います。これからの講義では、大きくわければ4つのことを、皆さんに学んでいただきたいと思っています。
1つ目は、日本と世界の労働組合の現状がどうなっているかということです。たとえば、これはこの講座の10回目に、現在の国際的な労働運動の流れをテーマとした講義があります。その中で使われる用語が「ディーセント・ワーク」ということです。ディーセントという言葉は、わりにやっかいな言葉で、日本語に翻訳しづらい言葉です。オックスフォードの辞典では、"十分にいい基準"とか、"質を伴っている状態を示すもの"という説明があります。このディーセント・ワークという言葉は、1998年以降、国際的なルールを作っていくILO(国際労働機関)のなかで、よく使われるようになりました。
僕は、ディーセントを「人間的な」と訳していたのですが、最近連合が正式に使っている訳では、「人間の尊厳に値する」という言い方になっています。要するにその中身は、男女の差別などなく、人間として安心して働けるような仕事をきちんと実現していこうということです。皆さんもよくご存じだと思いますが、昨年の暮れから、世界的な大不況のなかで、派遣労働者の雇止めが多くおこなわれたり、あるいは賃金が切り下げられたりしています。こういうような労働ではだめだという気持ちが、ILO(国際労働機関)が推奨するところのディーセント・ワークという言葉に表現をされているわけです。
このようにディーセント・ワークという形で、国際的にもきちんとした形の労働の在り方を求めていこうという動きが、現在出てきているわけです。日本と世界の労働組合運動が何を求めていこうとしているのか、ぜひこの講義全体をつうじて皆さんに知っていただければ大変うれしく思います。
2つ目は、日本の労働組合の問題です。日本の労働組合の一番基盤になっているところは、先ほども申したように企業別労働組合です。企業別労働組合は、企業の中の労働者が参加をするということです。企業の中で働く労働者すべてが参加しているわけではありませんが、とりあえず、企業の中で働いている人たちが労働組合を作りました。そして、賃金や労働時間について、企業との間で団体交渉というものをおこないます。団体交渉というのは、労働者の集団である労働組合と経営側の間で、集団的な契約を取り結んでいくための活動です。そういうことをつうじて、労使が対等で労働に関する条件を決めていくわけですが、その一番末端のところが、日本では企業別労働組合となっています。
団体交渉をおこなって労使が対等で物事を決めていくということは、19世紀の終わり頃からあったことです。ウェッブ夫妻という、労働に関するさまざまな問題について研究した人たちがいますが、『産業民主制論』とか『労働組合運動歴史』といった著書を残しています。彼らは、その本の中で「産業民主主義」という言葉を使っています。産業民主主義というのは、労使が対等でルールを作り上げることです。そのルールを作り上げる手段が、団体交渉だといっているわけです。日本の企業別労働組合は、この団体交渉を含め、実際どんなことをおこなっているか、次回以降の講師の方々から適切な事例を交えてお話していただけると思います。これにはぜひ耳を傾けていただきたいと思います。
ただ、現段階での日本の労働運動の一番大きな問題は、労働組合を最も必要とする人たちが参加していないことです。日本では就業している人の85%以上が、雇用されて働く労働者です。数にしてみれば、5500万人ということになりますが、そのうち実際に労働組合に入っている人は1000万人弱です。連合の組合員は約680万人ですので、現在連合以外の組合も含めて、多くの人が労働組合に入っていないということになります。
不安定な働き方をしなければならない人々や、働いていても自立できないような低賃金しかもらえない人々(一般的には、年収200万円以下の人たちをワーキングプアといっています)は、5500万人のうち、約5分の1います。こういった人々こそが、本当は労働組合が必要なわけです。にもかかわらず、彼らは、労働組合に参加して自分たちの働く条件を労使対等で決める状態になってはいません。なぜかというと、企業別労働組合はこれまで、企業のなかのいわゆる正社員だけで組織されることが多かったからです。今では、多くの組合が、それではいけないということで、非正規労働者の人も加入してもらうよう努力しているところです。
そこで、3つ目は、非正規労働者をめぐる課題ということです。企業別労働組合は、過去の歴史でいうと、正社員の人だけで組織されていて、本当に労働組合が必要な人たちが労働組合に参加してきたかというと、必ずしもそうではなかったわけです。しかし、パートタイマー、派遣労働者、あるいは期限付きで働く有期労働者などの非正規労働者の人たちは、日本の労働者のなかで3分の1以上を占めている現状があります。女性の労働者だけを取り出してみると、50%以上が非正規の労働者となっています。こういう人々の問題を今考えておかないと、日本の社会は非常に悪くなってしまう。すでに悪くなりつつありますけれども、政権交代もあって、もう1度そういう問題を労働運動の立場からも本格的に考えてみようというわけです。このことを、この講義の中で皆さんに聞いていただきたいと思っています。
4つ目は、結論となるのですが、全体としてどう考えていくかということです。この講義がどのような論点でおこなわれていくかというと、やはり、働くうえでのきちんとしたルールを作らなければいけないということです。今、昨年のリーマンブラザーズのショックにより、政治的にも経済的にも非常に大きな転換期にあります。その中で、働くためのルール、一般的にワークルールといっていますが、これをきちんと作り直していかなければいけません。このことを、寄付講座全体をとおして、皆さんに理解をしていただければ大変よいだろうと思います。
3.「働く」=労働とは
(1)さまざまな働き方:労働の根源的な意義
そういうことを前提として、今日は僕のほうからは、働くということはどういうことなのかということを、皆さんと一緒に考えておきたいと思います。
皆さんは働くということについて、どんな事をイメージされますか。アルバイトをやっている人は、ホールで食べ物を運んだり、お茶を注いだりするような仕事をする代わりに、850円とかの時給を受け取るようなことがあると思います。これも働くということです。こういうように、働いた結果として賃金を得ることを「有償労働」あるいは「有給労働」といいます。
もう1つの働き方は、たとえば自分の家で、年老いたおじいさん、おばあさんの介護をする。こうしたことで賃金を受け取るわけではありませんので、これは「無償労働」あるいは「無給労働」といっています。つまり、働くうえで、ペイドワーク(paid work)とアンペイドワーク(unpaid work)というのがあるということです。
有償労働の中には、自営業者として自分でお店を持ったり、農業のように自分で畑を耕したりしてできた財産物を売って所得を得るという労働もありますが、圧倒的多数は、雇われて働くということになるわけです。皆さんの場合も、埼玉大学を卒業したら、大学院に進学したり、親から引き継いだ会社の社長になったりする人も少数ながらいるかもしれませんが、圧倒的多数の人は、どこかの企業に就職をして働くことになると思います。
そこで皆さんに、何のために働くのですかということを質問したいと思います。1つ目は「賃金を得て自分と家族の豊かな生活を維持するため」、2つ目は「仕事をつうじて自分の能力を発揮し、社会的な地位を向上させるため」、3つ目は「他の人や社会に有用な財やサービスを生産するため」、〈他の人〉とは、一般的に言えば、社会ですね。人間社会のために頑張るのだということで、この3つを掲げておきますが、どうでしょうか。それぞれ重なる部分もあるのですが。
労働には、いろんな労働があると先ほど言いましたが、何のために働くかということをぜひ皆さんに、考えていただきたいと思っています。一言でいえば、「人が働くということは、人間社会にとって基本的な条件である」ということを忘れないでいただきたい。要するに、人間が働くことをやめたら、自分の所得がなくなるだけではありません。大勢の人たちが働くことをやめたら、社会自体が成り立っていかなくなります。
つまり、人間労働というのは、人間社会を支えている基本的条件だということです。一部例外はありますが、原則的には、人間社会にあるいろいろな職業は、お互いにつながり合っています。そして、それぞれが、人間社会の存立に貢献しているという基本的な意味を忘れないでいただきたいと思います。さきほどの質問で言うと、3つ目ですね。そのために能力を磨いて、その能力を発揮するために頑張っていくのだという側面が、「働く」ということの中にはあるということを覚えておいてください。
そうはいっても、実際には、お金で雇われて働くということは、現代の市場経済では、当然のことだと言わざるを得ません。しかし、お金で雇われていても、やはり社会に貢献している「働き」だということを、忘れないでいただきたいと繰り返して申し上げます。たとえば、会社からお金を受け取っているから、少し会社が悪いことをして見過ごしておく。たとえば、食品会社がこうすれば安くできるからと言って、人間の命にとって有害になるようなことをやっていることがわかっていても、文句も言わないで社長の命令で働く。こういうことは、僕はやはりいけないことだと思います。
そうではなくて、自分たちの労働が、人の命にかかわる食品を作っているのだ、という意識をもつことです。そうであれば、やはり言うべきことは、きちんと言わなければならない。人間労働の根源というのは何かということです。自分たちが働くのは、お金のためだけではなくて、自分たちの労働が社会のために必要なことだから、そのために積極的な役割を果たしていくのだという思いを、ぜひ忘れないでいただきたいと思います。
(2)古代エジプト・ピラミッド労働者のストライキ
ここで、皆さんに1つのエピソードをお話します。日本の労働組合は、この頃ほとんどストライキをやりませんけれども、伝統的には労働組合は、ストライキということをやります。このストライキとは何かというと、たとえば賃金を引き上げろということを経営者に要求をして、賃金が引き上げられるまで、仕事をみんなで休んでしまうことをいいます。
では、世界で最初のストライキがおこなわれたのはいつでしょうか。通常は近代の労働運動というのは、産業革命以降に始まったといわれていまして、イギリスでは1760年代以降、日本では1890年代以降の時期に労働組合が発展したと考えられています。ですから、ストライキもこういった時期に多くおこなわれたわけです。しかし、「こんな条件では仕事をやるのは嫌だ」と仕事を休んでしまうことだけを考えてみると、世界で最初にストライキらしきものがおこなわれたのは、紀元前14300年くらい前のことです。これはエジプトの労働者がおこなったという記録が残っています。
これは、先ほど言いましたウェッブ夫妻の著作に出てくるエピソードです。なぜこれが面白いエピソードかといいますと、ピラミッドをつくる労働者が王様の代理人のボスから、「今まではとは違うやり方でピラミッドを作れ」と言われました。今までは、安全を配慮して、土の中に藁を入れてそれを焼いてレンガを作って、ピラミッドを建てていました。それが、「藁を入れるのはもったいないから、それをなしにしてやれ」と言われたわけです。それに対して労働者は、「いや、僕たちのやる仕事は、きちんと何千年にもわたって残るものだ。だから、きちんとした仕事をしたい」ということで、王様の言うことを聞かないで、仕事を休んでしまったということが、記録に残っているわけです。
このように、労働組合は、単に自分たちの労働条件、すなわち、賃金を引き上げたり、労働時間を短くしたりするだけではなくて、「自分たちの労働・働きが社会のために役立つような働き方をしたい」と思って、運動をすすめてきたという歴史を持っていることも覚えておいていただきたいと思います。
(3)働くことはつらいこと?
働くということは、このように自分の能力を発揮し、社会の役に立つという意味を持っているわけですが、とはいっても、やはり働くことはつらいことです。経済学の父と言われるアダム・スミスは、『国富論』の中で、「労働とは、toil and trouble(苦労と骨折り)である」と書いています。ですから、その見返りにきちんとした賃金を支払わなければいけない、というのがアダム・スミスの考え方なわけです。確かに基本はそうですが、それでもやはり、たんに賃金と労働時間といった見返りだけではなくて、やはり、労働のあり方そのものにも関心をもっていただきたいと思います。
なぜ、労働がつらいのかを考えてみますと、特に近代社会では、他人に雇われて働くということで、つらいことがたくさんあるということになります。雇う側から言えば、都合のいい時だけ雇い、都合が悪くなればすぐに首を切る、ということにした方がいいということになります。それから、仕事に対して、どういうものをどういう形で作ったらいいかという権限がありませんでした。こう状態を「パワーレス」といいます。場合によっては、製造業などでは、製造工程のほんの一部の仕事だけをさせられます。自分のやっている仕事の意味がわからないという「ミーニングレス」ということもあります。
(4)働くうえでのルールを知っているか
つまり、雇われて働いているために、きちんとした人間労働となっていないということがあるわけです。働くうえでのルールがきちんとしていないことが、働くうえでのつらさになっているのだと考えていいと思います。
ここで、また皆さんに質問をしますが、ルールということを申し上げたのですが、これは法律上のルールです。法律上のルールを、皆さんがどのくらい知っているのか聞いてみたいと思います。1つ目は、労災保険というのがあります。仕事をやっている時に、怪我をしたりすると保険が適用されます。これは、アルバイトの人にも適用されますか?・・・適用されます。
2つ目は、仕事の都合上必要があれば、社長はいつでも残業を命ずることができますか?・・・できません。
3つ目は、ファストフードの店長が残業をした場合、社長は残業手当を支払わなくてもいいですか?・・・現状では支払わなくてはいけません。けれども、店長の場合は管理職ですから、労働基準法上一定の規定を満たしていれば、支払う必要はありません。つまり、本当に管理職としての内容の仕事をやっていて、それにふさわしい賃金が支払われていれば支払わなくてもいいわけです。しかし、現在のファストフードの店長の扱いは、普通の従業員と同じです。ですから、残業手当は支払う必要があります。
4つ目は、年次有給休暇というのがあります。労働基準法上でいいますと、働いてから半年後には、この年次有給休暇というのが付与されることになっています。そこで、半年以上働いていているパート労働者には、年次有給休暇は付与しなくてもいいですか?・・・基本的には付与しなくてはいけません。
4.労働運動はどんなルールをつくってきたか
(1)ルールの整備に向けて
この授業全体をとおして、皆さんに考えてもらいたいことは、まず、労働の意味を考えてくださいということです。そして、労働をめぐるルールをしっかり作っていかないと労働者の福祉は得られないということです。これをどういうふうに作っているかということを、これからの講師の方々から講義を受けるわけです。
たとえば、賃金ではどうか、どんな労働者にたいしても、賃金をきちんと支払わなければいけない。その前に、まず雇用を安定させなければいけない。そうはいっても失業してしまうかもしれないから、雇用保険法という制度を作る。労働時間短縮ということについて、日本は国際的にみると遅れている。労働運動の最初のころから存在した労働時間の問題に対するルールを、きちんと作っていかなければいけないということです。
(2)ソーシャル・セーフティネット
そして、重要なことは、「セーフティネット」という考え方です。セーフティネットとは、どういうものかといいますと、サーカスで空中ブランコをやっているときに落っこちてしんでしまうかもしれません。このため、途中でネットを張りまして、ここから先は落ちないようにしていくというのがセーフティネットです。
人生のなかでは、病気をしたり、失業したり、あるいは高齢になったり、いろんな形で仕事ができなくなることがあります。このような状態を放っておくと、所得がなくなり、暮らしができなくなるわけです。そのために、社会的なネットを張っていこうということです。日本では、失業した時の雇用保険、年をとって働けなくなるときの年金制度、それから病気になった時の健康保険というものがあります。
こういうネットをきちんと張って、安心して労働者が生活していけるようにするというのがセーフティネットの考えです。
(3)ディーセント・ワークの実現
労働運動の基本的な任務は、企業のなかで、社会的なレベルでもってルールを作り、ディーセント・ワークを実現していくということです。
最近は、均等処遇ということがいわれていて、正社員として働いている場合でも、パート労働者として働いている場合でも、共に同じ仕事をするなら、同じ賃金を受け取ってもいいではないか、それは当然ではないかということも新しいルールとして議論されているわけです。それについて、どういうルールを作ってきたかということは、これからの講義で聞いていただきたいわけです。
大事なことは、ルールを作る当事者は誰ですかということです。健康保険をどうするかとか、年金をどうするかという、政治のレベルで解決しなければいけないこともたくさんありますが、先ほども申し上げたように産業民主主義というのは、当事者が参加して決めることです。理想的に言えば、みんなが労働組合に参加して、その労働組合が企業と対等に交渉して決めることです。
つまりルールを決めるのは、経営者など誰かが一方的に決めるのではなくて、労働者と使用者が対等に決めるということが大事なわけです。このことも、これから10数回にわたる授業のなかで、皆さんに勉強してもらいたいことであります
5.労働・就業を軸に経済を再建する~市場万能主義から労働の復権へ~
最後に、今は経済が大変な状態になっています。皆さんも、就職をするうえで苦労をされると思いますが、何を基本にして、経済を再建していくかということを、この授業を通じて、皆さんにぜひ考えていただきたいと思います。
僕は、労働というものを基準にして、労働に関することをきちんと整備することによって、経済というものは再建されると考えています。たとえば、日本人一人あたりの国内総生産(GDP)は、OECDの統計でみますと、1992年に世界で第1位になりました。それ以降日本のGDPはだんだん減っていき、今では18位くらいにまで下がってきています。
これはなぜかというと、当たり前のことなのですが、働いている人の比率が非常に低いからです。特に、女性の働く比率がスウェーデンやデンマークに比べると20%くらい低くなっています。ですから、保育所をつくるとかいろいろなことをやって、女性が働く場をきちんと作りあげて、雇用就業に関することをきちんと整備すれば、一人当たりのGDP は上昇するにきまっているわけです。
経済を再建するときに、金融をどうするかとかもありますが、一番大切なのは、労働を基軸として経済再建を図っていくことが最も重要だということを、これから講義のなかで皆さんに理解していただければ、僕はとてもうれしく思います。
ぜひ、こういう形で、これからの授業を楽しみながら聞いていただきたい。そして、聞くだけでなく、積極的に議論に参加していただきたいと思います。こういうことをお願いして、僕からの話は終わりにしたいと思います。どうもありがとうございました。
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