埼玉大学「連合寄付講座」

2009年度前期「ジェンダー・働き方・労働組合」講義要録

第2回(4/22)

私たちが歴史から学ばなければならないこと
―女性の社会進出において労働組合が果した役割と課題―

ゲストスピーカー:高木郁朗((社)教育文化協会理事)

1.今日のテーマ

 紹介いただきました高木でございます。連合寄付講座では、働く現場で起きている具体的なことを通して、皆さんに「働くということ」を勉強していただくことが主眼です。来週以降は、働く現場に詳しい講師に毎回来ていただいて皆さんに講義をしていただくことになります。
 きょうは、次回以降の講義に役立つよう歴史に沿った話をしていきます。キーワードとして、male breadwinner model 、female caregiver model という言葉を覚えていただきたいと思います。male breadwinner modelの一般的な日本語訳では、男性一人働きモデルということになります。これでは面白くないので、僕は「男性パン稼ぎ人モデル」と訳しています。
 そして、female caregiver modelは「育児介護担当職モデル」ということです。育児も介護も英語ではcareになります。このように男性は外に働きに出て収入を得るbreadwinner、女性は家の中で家事育児介護を担当するcaregiverという役割分業をしているというのが世界の古典的なモデルです。
 先進国は、ほぼどの国もこのモデルから脱却をしました。男性女性が共に収入を得て働くことを中心に、平等に社会参加し、さらに共に地域や家庭において役割を発揮する時代に入ってきています。ジェンダー平等社会は、こういう内容を含んでいます。ジェンダー平等社会を実現する上で、労働運動が非常に大きな役割を発揮してきました。きょうはこの点を学んでいただきたいと思います。
 ジェンダー平等の動きは、先進国の中でわが国がもっとも遅く、平等を保障する制度も十分に確立されているとは言えません。そういう意味では、労働組合の活動も不十分だと思います。少子高齢化社会と言われますが、わが国は2005年をピークに人口減少社会に突入していて、非常に大きな社会問題になっています。ジェンダー平等が十分に実現していないことで、わが国では、様々な社会問題を発生させていると言ってもよいと思います。
 女性が労働組合運動、活動に積極的に参加して、労働組合の活動のあり方も変えていくことは、わが国を改革する上で、中心的な課題の一つであると考えています。そして、きょうはそのことを歴史を中心に話していきたいと思います。

2.女性の就業率の高い国ほど出生率が高い

 明石書店から出版されている『図表で見る世界の社会問題』に大変面白い統計数字が掲載されています。この数字を見ると、女性の就業率が高い国ほど出生率が高く、合計特殊出生率が高いことがわかります。わが国では、女性が働きに出るようになったために、色々な条件が重なって少子化が進展してしまったと主張する人がいます。しかし、国際的な統計で見ると、この主張は必ずしも合っていません。
 女性が一生の間に生む子どもの数を合計特殊出生率と言います。この合計特殊出生率が1.7前後以上の国はたくさんあります。長期的に考えると2.1くらいでないと人口は減ってしまいますが、寿命は延びていますから1.7くらいあれば、一定の時期までは人口は維持されると考えられています。
 合計特殊出生率が1.7を超える国は、アメリカ、デンマーク、スウェーデンなどで、これらの国々では女性の就業率も高くなっています。統計では、女性の就業率が高い国は合計特殊出生率も高いということがはっきりとあらわれています。わが国はどうかと言いますと、韓国と非常によく似ています。わが国も韓国も合計特殊出生率は非常に低くなっていて、OECD加盟諸国の中では、韓国が最低でわが国は下から二番目です。わが国も韓国も女性の就業率は低くなっています。特に、わが国の女性の就業率は先進国中最低です。
 ただ、これは皆さんに気をつけていただかなければいけないのですが、就業率が高くなれば自然に合計特殊出生率が高くなるというわけでは絶対にありません。出産は女性にしかできないのですが、育児は男性女性ともにできます。社会もできます。働くことと出産育児を両立する制度をしっかり作っていることによって就業率の高い国と合計特殊出生率が高い国が一致する状況が生まれています。

3.女性労働者は初期の労働運動から大きな役割をはたした

 そうだとすれば、男性女性が平等に社会に参加する、平等に育児、介護を分担する社会、制度を作り上げることはどのようにして確立されてきたのかということが焦点になります。歴史的にたどってみますと、労働運動が果たした役割はとても大きいと思います。
 近代の労働運動は産業革命から始まります。最初、労働運動が発展するのはイギリスです。労働運動は当初、政府によって弾圧されましたが、1830年代ごろから政府も労働運動を認めることになります。その頃、労働運動を指導していたのがロバート・オーウェンです。近代の労働運動において、非常に大きな役割を果たした人でありますし、今日の生活消費者生活協同組合運動を最初に作った人でもあります。ロバート・オーウェンは、もともとは資本家、経営者で、彼が経営していた工場の跡地がスコットランドに残っていて世界遺産になっています。保育施設が設置されていて1802年と書いてありました。ロバート・オーウェンは、そういう早い時期から、保育ということに資本家として力を入れた人だったことがわかります。要するに、当時の労働運動の発展に尽くしただけでなく、消費生活共同組合の発展にも非常に大きな貢献をした人です。
 そのロバート・オーウェンが指導した労働組合が、世界で最初の大規模なストライキを行いました。皆が仕事を辞めてしまい、自分たちの要求を実現させよという行動を起こしたのが1834年のダービー争議です。直接的には、労働者が解雇されたという事件がありまして、それに抗議をするという形でストライキが発生しました。その記録を見ますと、男性は500人くらいですが、男性の数以上に女性がストライキに参加しています。また、当時は児童労働が多かったので、子ども達もストライキに参加をしていました。実は、このように女性たちは労働運動の初めから非常に大きな比重をもって活動に参加をしていました。
 女性労働者たちの賃金は極めて低いものでした。わが国の生活保護の元祖にあたるイギリスの救貧法という制度があります。所得が非常に低い人は、一定の扶助を受けられる制度です。働いていてもこの救貧法の対象になっていた人がかなりいて、それだけ低賃金だったということがわかります。こうしたことを、どうやって克服していくのかということが労働運動の最初からの課題となっていました。そういう運動に参加していた女性労働者あるいは一緒に活動していた男性労働者たちが、何を目指し、何を求めたのかということを、きょうは整理して話したいと思います。

4.女性労働者たちは何をもとめたのか

(1)工場法による女性労働者の保護
 1つ目は工場法を確立することです。工場法は今日で言いますと労働基準法にあたります。長い労働運動の歴史の中で、労働基準法の制度は、最初、工場法として作られました。1819年、9歳以下の子どもは働いてはいけないということで児童労働が禁止されました。しかし、国際的には、今でも児童労働は残っていて、幼い子ども達が学校にも行けず、多国籍企業の下請けなどで働かされているという事態は続いています。そのためILOでは「最悪の形態における児童労働を禁止に関する条約」を最近、作りました。
 工場法では最初の時点で児童労働を禁止しました。そして、最終的には1847年法として、14歳以下の子ども達と18歳以下と女性労働者の10時間を超える労働の禁止を決めました。
 女性労働者が求めていた第一の内容とは、今日の労働基準法による工場法によって女性労働者たちをきちんと保護しようということでした。工場法成立以前ですと1日あたり13時間とか16時間と長時間労働をさせられていました。それがその後、9時間なり8時間なり今日の労働基準法でいえば40時間になりました。ただし、残業がありますからこれが最長時間というわけではありませんが、法律上は、すべての労働者に対して使用者は週40時間を超えて労働者を働かせてはならないという規定になっています。こうした制度を作り上げてきたのが、最初の時点では、女性労働者を保護するという立場に立った労働運動だったわけです。

(2)最低賃金制度の成立
 今日でも男性と比べて女性は非常に低い賃金に置かれています。時間当たりの賃金で見ましてもわが国では男性と女性とでは100対67くらいです。OECD加盟のヨーロッパの標準的なものを見ますと、格差はないわけではありませんが100対82くらいです。わが国の女性にはパート労働者が多いので、実質賃金ではもっと差がつき、100対50あるいは40とかなり低くなります。要するに同じ労働者同士で比較してみても、わが国では男女間の差が極めて大きいということです。
 差が大きいことの一つの原因に、低賃金の分野で女性を働かせるということがあります。どの国においても、賃金の低い分野で女性が働かせられるということが多く見られます。具体的な例では繊維産業です。賃金が低い分野の繊維産業では、女性および児童労働が非常に行われていました。このような労働は、sweating labor(苦汗労働)と呼ばれていて、本当に忙しくて、さらに肉体労働という大変は労働にもかかわらず、賃金がとても低いわけです。
 男性の熟練労働者たちは、労働組合を作り、経営者と団体交渉をする過程で、自分たちの賃金はいくらだという宣言をして頑張ることができました。しかし、こういったsweating laborの人たちは、熟練的な仕事ではないので労働組合には入れませんでした。そのため、まとまって自分たちの賃金を上げていくことがとても難しかった。そこで、彼女達は法律で最低賃金を作ることにしたわけです。
 今日でもこういう考え方は非常に重要だと思います。今日、わが国の労働の分野におけるとても大きな問題に非正規労働があります。非正規労働者は、雇用が非常に不安定で労働条件も極めて悪く、格差も大きくなっています。そこで必要となってくるのが「均等処遇」という考えです。同じ仕事をしているならば同じ賃金であるべきだという考え方です。政府が作りましたパート労働法では、均衡処遇という言葉を使っていて、均衡待遇を目的にしていかなければいけないわけです。いきなり均等が実現するわけにはいきませんが、それを実現していくためには、低いところの人を上げていかなければいけません。一番低いところを「ミニマム」といいます。そうするとミニマム保障をしていくということが必要となります。
 19世紀の終わりから20世紀のはじめの労働運動において、女性たちが最低賃金の引き上げを強く要求し、1900年代に入ってイギリスで――イギリスが最初ではなくニュージーランドが最初だったのですが――最低賃金制度ができました。ミニマム保障がされたわけです。これは女性労働者たちがひどい待遇から抜け出していくために制度として求めてきたものだと言って良いと思います。

(3)パンとバラ
 3つ目に女性労働者が求めたことについて歴史をたどってみます。
 皆さんは、毎年3月8日を国際女性デーと言っていることをご存じでしょうか。わが国の政府はあまり力をいれず、労働組合が中心となって啓発活動などを行っているのですが、他国では、政府自らが国の重要な行事の日と位置付け、取り組んでいるところもあります。
 国際女性デーの始まりは1904年の3月8日です。アメリカのニューヨークで女性たちが参政権を求めてデモを行いました。この時に掲げられたスローガンが「パンとバラ」でした。パンは、賃金や労働条件の向上という意味、バラは、女性の人間としての尊厳、つまり人権の確保ということを表わし、これらのことがスローガンにされたわけです。このことは、男女平等の非常に大きな運動の始まりで、これについても労働運動が非常に大きく関ってきています。

(4)労働における男女平等:均等処遇と両立
 太平洋戦争後には女性の運動を中心にした新しい課題が積極的に押し出されるようになってきます。その背景に何があったのかと言いますと、太平洋戦争を境に、女性が多くの職業分野に大幅に進出するようになった事実があります。
 例えば、JRの前身である国鉄を見てみますと、第二次大戦中に兵隊に徴兵されていた男性労働者の穴を埋めたのは女性たちでした。国鉄以外の色々な職場にも女性たちが進出していったわけです。そして、進出するだけでなく、女性たちが一人前の人間として社会に参加したいという民主主義的な願望が強くなっていくようになります。女性が職業に参加する、暮らせるだけの賃金を受け取って社会に参加する、こういう傾向が一挙に高まっていくわけです。
 しかし、現実にはさまざまな差別が存在していました。そういう差別をなくしていこうという運動が起きてきます。19世紀は「保護」を求めていましたが、第二次大戦後は「平等」を求めるようになりました。
 保護をするためのルールは必要ですが、色々なルールの中で女性に対する差別も数多く存在してきました。わが国で言いますと男女別々の定年モデルがあります。男性は55歳が定年ですが、女性は30歳定年ということが平気で行われていた時代がありました。そこで、そういう差別をなくすため、規制で保護されるということだけではなく、男女間で働くことを中心とした平等を確立していくということが太平洋戦争後の中心的な課題となります。
 一つは雇用における機会の平等です。わが国の法律では「男女雇用機会均等法」という名前になっていて、男性女性の間で雇用に関して差別をしてはいけないということが非常に大きなポイントになります。男女雇用機会均等法を作る過程で、労働組合は非常に大きな役割を果たしました。ただし、法律ができたからといって、平等に関することが一挙に実現したとは言えません。ですから、日常的な努力が必要であり、これについてどういう努力が行われてきたのか、あるいは今どういう努力が行われているかということは、来週以降の講義で取り上げられると思います。
 雇用の条件として賃金は非常に大きな課題です。このことが今日一番進んでいるのはカナダです。同一価値労働同一賃金、つまり同じ価値を持っている労働であれば同じ賃金でなければいけないということを実現していくことがあります。
 以上のような考え方が今日では中心的な課題となってきています。でも、これで男女差別がなくなるのかというと、僕は非常に疑問に思っています。スウェーデンは労働運動の力が大変強く、そのことを背景に女性の社会進出が進んでいて、賃金格差も100対85ぐらいで比較的小さいものです。それに対して、わが国は100対50、ちょっと調整をして100対60で、どうしてこんなにひどい格差を生んでいるのかという話になります。しかし、ヨーロッパの人と話をすると、スウェーデンでも15%の賃金格差があって、この間、その格差が全然縮まっていないということが国際会議などでも話題となります。
 同一価値同一賃金労働と言いましても、違った種類の仕事に男女が就いてしまうと差が出てしまいます。端的にいいますと、医者は男性が多い、看護士は女性が多い。医者の賃金の方が看護士よりも高い。その結果平均すると、依然として男女差はついてしまうことになるわけです。ここで必要となってくるのは、男女間の職域の区分を克服していかないと本当の平等は達成されないということです。
 ヨーロッパの労働運動で、スウェーデンはよくやっているけれども、だめな国もあります。確かに女性の就業率は高いけれども、その就業先は介護や看護の分野です。その分野の賃金は低いのではないかということです。これは依然として男女間で職域の分離があるのではないかということが議論になります。しかし、わが国の現状からすればうらやましい論争です。

(5)所得、時間、社会サービスの3つの資源
 現在、女性が求めてきたものは、意識的な平等の方向に進んで来ていると考えていただいてよいと思います。今、一番新しい面白い論争があります。デンマークでは、社会民主主義の政党が長い間政権を担ってきましたが、21世紀に入ってから保守政権ができました。そのデンマークで政府と労働組合(LO)の間で大論争がありました。どういう論争かと言いますと、子育て―デンマークでもやはり少子化をどうやって克服していくかということは非常に大きな問題になっていますが―その支援をどうしていくのかということです。
 子育て支援には色々な方法があります。第一に子ども手当の支給が考えられます。わが国でも民主党が主張しています。第二に、育児休業といった時間の支援です。これは子育てのための時間を保障するということです。そして、第三に、社会サービスでの保障があります。保育所、高齢者の介護で言えば介護保険法で支援をするといったことです。
 デンマークでの論争はなんであったのかと言いますと、デンマークの保守党政権は子育てのために育児休業をもっと長くしましょうということを主張しました。今世界で一番長いのはオーストラリアの3年で、デンマークでも3年にしましょうと提案しました。つまり時間の支援で子育てを保障しましょうと主張したわけです。労働組合は反対をしました。なぜ反対かというと、3年も休んでいたら女性が仕事の場で平等に仕事を覚え、発達をし、ちゃんと自分の職業生涯をまっとうしていくことができないのではないかという理由からでした。このことを主張して大論争がおこりました。労働組合は、社会サービスを充実させなさいと主張したわけです。
 わが国では、お金を出せば子どもをたくさん生んでくれるのではないかという考えがあります。この点では、民主党も自民党もあまり変わらないかもしれません。男女平等を軸としてどういう手段で保障していくかということを、今までわが国では論争が行われていなかったわけです。所得でもなんでもいいやということになってしまうのですが、実はその保障する内容によって男女平等のあり方にとても大きな影響がでるということがデンマークの労働組合と政府の間の論争でわかると思います。
 まとめて言いますと、労働運動が求めてきたものは、最初は女性の保護です。長時間労働や危険な労働から解放する、きちんとした労働基準を作る、そしてミニマム保障です。そこでは、少なくとも自立できる程度の最低賃金を支払って、女性労働者が低賃金で働かせることから脱しようということでした。
 それから、雇用における男女均等法、均等処遇も含めて保障しよう、そして現時点での新しい問題として、男性女性を含め、仕事と家族、地域生活の両立、両立するような仕組みを作る、こういう形で歴史的に発展をしてきたということが言えるわけです。
 ただ、わが国ではここまで発展してきているでしょうか。来週からの講義でワーク・ライフ・バランスの問題を取り上げます。形の上では国際的にも最後の運動段階に入ってきてはいるのですが、僕は途中を飛ばしているような気がします。というわけで、少しわが国の方も見ておきたいと思います。

5.わが国の女性における労働運動

(1)わが国で最初のストも女性たち~工場法の成立
 わが国の労働運動でも初期においては、女性が大変大きな役割を発揮しています。わが国で一番最初のストライキは、山梨県甲府市の雨宮製糸工場の女性労働者たちです。生糸を作る工場の女性労働者たちがストライキを起こしました。それから、工場法を求める活動も行われました。しかし、工場法がようやく定められたのが1911年です。保護の内容も不十分で、イギリスで10時間労働ができたのが1847年法ですけれども、それ以降の中心的な流れは女性に対して深夜労働を強制するかどうかということでした。女性に対する深夜業についての禁止は、わが国の工場法でも行われますけれども、それは15歳未満が対象で、最終的に女性全般に深夜業が禁止されるのは1929年のことです。
 現在のことをついでに申し上げますと、労働基準法では深夜の労働を女性には禁止していません。現代では先ほどの流れでもはっきりしていると思いますが、保護ではなくて平等が非常に重要になっているという観点だからです。ただ、長時間労働とか深夜業を規制しなくともよいかというとそんなことはありません。もし、規制する必要性があるとすれば、それは男性女性共に行うべきことです。女性だけが以前の労働基準法のように1週間の残業を6時間にしますというのはおかしなことです。
 労働基準法が少し変わりますが、1か月あたり60時間以上の残業については残業代の割増率が高くなります。本来、法律に60時間を最長にし、それ以上残業をしてはいけないということが規定されなければいけないのですが、わが国ではそうはなっていません。わが国の工場法についても、今日の労働基準法にしても、平等にした上で、ちゃんとした規制をし、人間らしい労働をするため、それは男女共に適用されるものでなければいけない時代になってきています。

(2)戦後労働運動~女性労働者保護の時代
 わが国では、戦前期から色々な運動がありました。1945年まで労働運動は政府によって弾圧されることが多く、十分な発展が遂げられませんでした。敗戦後の民主化により1946年以降急速な発展を遂げるようになりました。その中で女性に関して言いますと、1947年に労働基準法ができ、女性労働者を保護するという時代に入ってきます。ただ、この保護という考え方は、特にわが国では労働組合といっても男性中心というところがありました。そのため、Breadwinner Modelから脱却をできないでいたということがあります。保護でよいではないか、平等は十分発展しなくてもよいではないかということで長い期間過ごしてきたわけです。このことはわが国の最低賃金にも見られます。

(3)わが国の最低賃金
 わが国の最低賃金がどれくらいかと言いますと、2008年10月の時点で、一番高い東京で1時間当たり766円、山形県では629円です。この賃金で年間2000時間働いて一体いくらになると思いますか。週6日間週40時間として年間1800時間を標準にしますから、年間2000時間というととても長い時間になります。それだけ働いても山形の最低賃金でいくと年間120万とか130万円ぐらいにしかなりません。これがわが国の最低賃金です。なぜそうなのかといいますと、最低賃金審議会という組織が都道府県別にありまして、その審議会において、家計補助的な女性が外で仕事をするのにつける賃金だから最低賃金は低くてもよいではないかと経営者側が主張するためです。だからなかなか最低賃金が上がらない。上がらない結果、今、先進国の中でわが国の最低賃金が一番低くなっています。3年くらい前までは、アメリカの最低賃金がわが国より低かったのですが、上下両院選挙で民主党が勝ったことにより政治的な決定で、最低賃金が一挙に上がり、わが国が最低となってしまいました。
 要するにBreadwinner Model的な、男性が働きに出て、結婚していて妻や子どもを養うのは男性ということであれば、女性が働きにでるのは家計補助でよいでしょうということを経営者も考えたし、労働組合も考えたところがあって、非常に中途半端な形で最低賃金が決められているわけです。そういう意味では、男性も女性も自立して生活できる最低保障、ミニマム保障が、残念ながらわが国ではまだできていないということです。これからの課題として解決していかなければならないと思います。

(4)各種の制度にみられる「保護」
 今、色々な制度の中で男女の差別があります。あからさまに〈女性〉と記されて差別されているものもあります。例えば、母子福祉手当はありますけれども父子福祉手当はありません。これは明らかに男女差別・ジェンダー差別です。また、労災保険の給付において、女性の配偶者なら無条件で受け取れることが男性の配偶者だと所得制限があったりします。
 このような男女差別・ジェンダー差別の特に大きな事例として次の2つが挙げられます。一つは税制上の配偶者控除の制度です。いわゆるパート減税で、年収が103万以下のパートの女性労働者は結婚していれば男性の扶養家族として扱い、130万円未満だと社会保険は被扶養者として夫に養われている者として扱われるとなっています。この制度には男性とか女性とか書いてなく〈配偶者〉とだけ書いてあるのですが、実際にはMale Breadwinner Modelが関係しています。これに対して、わが国の労働運動はどんな対処もしていなかったし、今もなかなか十分な対処をしていないと労働組合の中でも論争があります。具体的なことは次回以降の講義で聞いていただくとよいと思います。
 もう一つは国民年金の3号被保険者制度です。3号被保険者は、2号被保険者の配偶者のことです。サラリーマンの妻たちは、年金の保険料を納めることなく、生涯的には基礎年金を受け取ることができるという制度になっています。これが3号被保険者制度です。
 主婦の〈婦〉は〈夫〉でもよいのですが、実際にはそれは女性です。そうするとこのような制度は、主婦を中心とするパートは103万以上働いたら扶養からはずれて損をするということで、103万円以下で働くようになる。また、130万円以上働けば保険料を支払うようになりこれも損をするから働かない。働くことを通して主婦には、社会参加をさせない方に誘導するという仕組みを今も持っているといえます。

(5)保護から平等へ
 こういう形で、わが国の制度の中に男女差別と言えるものを作ってきたわけです。
 それを打ち壊す上で、労働運動は力を発揮することになるわけですが、国際的に比較してみると日本の労働運動はまだそこまでいっていないと思います。これは労働運動の大きな課題として残されていると思います。このように基本的な部分にいろいろな問題は残っていますが、保護から平等へということが進展しました。
 1985年に男女雇用機会均等法ができました。この法律が成立する時には、労働組合は非常に大きな力を発揮しました。けれども、実態的には差別がなくなっているかと言えばそうではありません。それで、それぞれの労働組合の人々は日夜苦闘しているわけです。その頑張っている具体的な内容については、来週以降の講義で取り上げられると思います。

(6)男性は過労死するほど働き、女性は差別される
 結局、現状はどうなっているのかと言いますと、男性は過労死するほど働き、女性は差別される、パートという身分です。たんに短時間働くということだけでなく、いわゆる正規従業員とは違う低い身分の労働者として企業の中では扱われています。
 一方、正社員は、あなたは正規従業員だから残業をバリバリやりなさいということになります。これで残業手当が受け取れるならまだしも、サービス残業といって手当も受け取れない人もいます。月間の残業時間が80時間という人が結構いて、このような残業時間の長さが過労死という事態を作りだしています。こういう社会は、男性にとっても女性にとっても悪い社会です。男性が過労死するのも悪いし女性が差別されるのも悪い。どちらも悪い社会ですから治していかなければいけません。こういった現状がたくさんあると思います。
 この場合の中心的な問題は労働時間です。仕事と家庭生活の両立ができていないわけです。例えば、女性の場合、仕事で頑張ろうと思うと男性正規社員と同じ働き方をしなければいけませんから、結婚をしても子どもを作ることはできないわけです。
 最近は、子どもを生む年齢を遅らせる女性が増えています。企業の中で一定のポストを確保してから、例えば、主任というポストを確保するまで出産の時期を遅らせるということです。これはデパート関係の女性従業員の調査で明らかになったことです。仕事で自分の能力を発揮し、社会に認められたい、こういう要求は男性にも女性にもあるわけです。
 そういう要求の一方で、家族生活を充実させたいという願望もあります。しかし、これらを両立させる制度ができていません。なぜ、できていないのかというとMale Breadwinner Modelをいまだにひきずっているからです。労働運動もまだそれを克服できていません。
ということで、残念ながらわが国の不幸はまだ治っていません。このことが少子化に大きくつながっているということを皆さんに考えていただきたいと思います。

7.おわりに

 歴史的にみると、「パンとバラ」を求める女性の運動は、労働組合と一体になって発展していきます。その中から「保護から平等へ」ということが進められてきました。そして、現段階では、働く人間としてのあり方「ディーセント・ワーク」ということがILO国際労働機関でも提唱されています。ディーセントは、国語辞典でひきますと〈心地良い〉とでてきますが、オックスフォード辞典でひきますと〈良い質を伴った状態〉ということです。僕はこれを〈人間的な労働〉と言っています。
 今は、〈人間的な労働〉・「ディーセント・ワーク」を実現していかなければいけないと思います。例えば、仕事と家族生活の両立が求められています。そして、そういったことを追求しているのが労働運動であり、その実現のためには、きっちりした社会的な規制というものが必要となってくるということです。
 また、1995年に北京で行われた女性会議で、「ジェンダーメインストリーミング」ということが出てきました。ジェンダーメインストリーミングとは、さまざまな政策の中でジェンダーを主流化していくということです。これには2つの意味があります。
 一つは、様々な政策の中で性差別をなくし、平等にするということを中心としなければいけないということです。もう一つは、ジェンダーメインストリーミングは女性だけの問題ではなく、男性にとっての問題でもあるということです。そのことを踏まえて、男女両方の問題であるということをしっかり意識したうえで取り組むことが重要だということです。こういう中身についてはこれからの講義で取り上げられることだと思います。
 このように歴史に沿って、女性労働のあり方を考えてみると、わが国を良くするにはどうすればよいのか、非常にはっきりと見て取ることができると僕は考えています。どうもありがとうございました。

ページトップへ

戻る