埼玉大学「連合寄付講座」

2008年度後期「若者・働き方・労働組合」講義要録

第12回(1/7

若者が直面する課題と連合の取り組み―働くことの社会的な意義を考える―

逢見 直人(連合副事務局長)

はじめに
 皆さん、こんにちは。連合で副事務局長をしている逢見です。今日の講義は、3つの大きなパーツに分けて進めていきます。1つは、昔の人々は働くことについてどう考えていたのか、ということです。そこには、現代にもみられる2つの対立する考え方があります。その2つの対立について、古代まで遡って歴史的に考えてみたいと思います。次に、現代の労働をめぐる課題、特に、現在、日本で起こっている労働問題とはどういうものなのか、そして、その中で労働組合はどういう働きをしているのかについて、説明します。全体を通して、若者の問題に焦点を当てた話をしたいと思います。

1.労働(働くということ)とは何か
(1)古代の捉え方
 旧約聖書『創世記』のアダムとエバの話をご存知だと思います。アダムとエバは楽園に住んでいましたが、禁断の木の実を食べたことにより楽園を追われました。その楽園の中では、いつでも食べ物はあり余るほどあって食うには困らなかったため、労働をする必要はありませんでした。しかし、楽園を追われたことによって、自ら額に汗して働かないと食べ物が得られなくなりました。人間は神に背いたことにより、罪として労働という苦痛を神から与えられたのだ、と旧約聖書は教えています。
 同様に、ギリシャ神話にプロメテウスの話があります。プロメテウスは全能の神ゼウスから火を盗んで、それを人間に与えました。人間というのは、極めて弱い動物ですが、火を扱うことによって、いろいろな道具を作ることができるようになりました。その道具で、農作業ができるようになるし、武器を持ち獲物も獲れるようになりました。また、火を使うことで暖をとることができ、寒い冬も過ごせるようになりました。火というのは、人間が生きていくための貴重なツールであるわけです。
 しかし、ギリシャ神話の中では、プロメテウスが火を人間に与えたことによって、ゼウスは人間に罰を与えます。それまでは、神が人間の命を守ってくれました。しかしそれ以降、人間は神の庇護から離れて、大地から命の糧を自らつくり出さなければならなくなりました。このようにギリシャ神話においても、自分の手で働かないと食糧を得られない、労働という罪が与えられたという話があります。
 また、ギリシャの哲学者であるアリストテレスは、「労働は市民を腐敗させ、徳の追求を困難にする」といっています。ソクラテスも、「市民は商業などに従事しては、友情や愛国心を失うから、労働は市民に禁止されるべきだ」と述べています。当時は奴隷がいて、日常的な糧を手に入れる労働は、全部奴隷にやらせていました。市民はそういうことから離れていることで、徳の追求や友情、愛国心とかが得られると考えられていました。ここでいう労働とは、頭脳の労働ではなくて、手の労働のことです。手の労働は、人間が神から与えられた罪であるという考え方が伝統的にあります。
 しかし、もう一つ別の考え方がギリシャ時代からありました。たとえば、「労働は恥ではない、働かぬことこそ恥なのだ」と、ギリシャの詩人ヘシオドスがいっています。「働きたくない者は食べてはならない」という考え方もありました。また、イエス・キリストの弟子であるパウロは、「落ち着いた生活をし、自分の仕事に励み、自分の手で働くように努めなさい」と聖書『テサロニケの信徒への手紙』の中で書いています。このように、労働を肯定的に受け止める考え方も、古代ギリシャおよび初期キリスト教にありました。労働について、このような2つの対極的な考え方が、古代からありました。これは今日も伝統として残っています。

(2)近代社会での捉え方
 フランス革命によって封建的な身分制度が消滅し、近代社会が始まりました。そこでは、労働は市民社会を動かす中心的概念となります。
 たとえば、経済学の父といわれるアダム・スミスは、「国の富というのは、労働の生産物を市場で交換をするそれぞれの行動の中で増えてくるだろう」といっています。労働とは「社会における物質的必要を満たすために振り向けられる肉体的活動」であるともいっています。近代社会において、労働の経済的、社会的意義という概念がつくられました。
 その後、産業革命により、農業から工業が自立し、多くの産業労働者が生み出されました。そして、科学・技術の発展と応用によって、国富が飛躍的に増大しました。
 「労働は神聖なる業である」。これは、マックス・ヴェーバーが示したプロテスタントの思想です。封建的身分制の社会では、最初から各人の仕事は決まっていて、急に豊かになれる可能性はありませんでした。しかし、近代社会では熱心に働けば、いろんな人に機会(チャンス)がめぐってくる、そしてその機会を逃しさえしなければ成功する、という可能性が生じました。

(3)日本での捉え方
 日本でも労働は、非常に苦痛だという考え方がありました。たとえば、明治中期には、農作業の中で水汲みが『嫁殺し』といわれたほどの重労働であったことや、商店に小僧として入った人は、朝3時に起こされ、朝食も立ち膝で食べなければいけなかったといった話が残っています。こういう時代には、働くということは逃げ出したいくらいに苦痛なことでした。
 一方で、労働は神聖なものだという考えもありました。たとえば、仏のもとに仕える修行としての労働という考え方があります。また、人というのは労働によって食べ物を得ることが自然の秩序なのだから、労働を切り離しては生きていけないという考え方があります。ここでは労働を「道=倫理」という捉え方をしています。「奉仕に明けて、奉仕に暮れるなら、必ず栄える」すなわち、勤勉に働けば、必ず豊かになっていくといっています。

(4)社会主義思想の台頭と新自由主義の考え方
 ヨーロッパでは、19~20世紀にかけて資本主義経済が広まっていく一方で、貧困、年少労働、長時間労働など、いろいろな矛盾が出てきました。そういう中で、中央政府による国民経済の一元的統制を行い、市場原理ではない社会を作ろう、という社会主義思想が台頭しました。その背景には、貧富の差の拡大があります。労働のみで生活をしていかなければならない人たちがいる一方で、不労所得で豊かに生活できる人たちもいる、という資本主義社会における矛盾は、20世紀まで追求され続けてきました。ソ連型共産主義は崩壊しましたが、ヨーロッパ社会では社会民主主義というかたちで、分配の公平を求める考え方が続いています。
 その一方で、新自由主義が20世紀に台頭してきました。代表的な経済学者はフリードマンです。彼は、「合理的期待仮説」により、利己心に基づいて私的利益を自由に追求できる経済・社会システムが理想であると考えます。これが行き過ぎると、すべてを市場の中で捉えようとする「市場原理主義」となります。新自由主義では、採用・解雇は自由な流動的労働市場でおこなう方が合理的であり、それが理想的市場であると考えています。労働者個人の能力は、市場価値によって評価されます。
 日本でも、近年こうした市場原理主義的な労働市場を理想とする考え方が非常に強まり、規制緩和によって自由な労働市場を作ろうとしました。能力のある人がその中で力をどんどん発揮するという考え方で、雇用政策をすすめました。その結果、生まれたのが貧富の差、格差の拡大や、二極化の問題です。派遣労働者が解雇され、住むところがなくなっているとか、若者に内定の取り消しが次々出ているとかも、規制緩和の中で起きていることです。このように、現代社会の労働についても、どういう考え方でどのような政策をとっていくか、いくつかの対立する考え方がでてきています。

(5)市民法原理としての労働の権利
 労働は、法的に権利として位置づけられ、保護が与えられています。それがどういう発想で出てきたのかをお話しします。フランス革命以降の近代社会の中で、「人権」は普遍的な概念として確立されました。それが1948年に「世界人権宣言」としてまとめらました。その23条には、労働の権利がうたわれています。一つは、「すべて人は勤労し、職業を自由に選択し、公正かつ有利な勤労条件を確保し、及び失業に対する保護を受ける権利を有する」、二つは、「すべて人は、いかなる差別をも受けることなく、同等の勤労に対し、同等の報酬を受ける権利を有する」、これは均等待遇の権利です。三つは、「勤労する者は、すべて、自己及び家族に対して人間の尊厳にふさわしい生活を保障する公正かつ有利な報酬を受け、かつ、必要な場合には、他の社会的保護手段によって補充を受けることができる」、四つは、「人は、自己の利益を保護するために労働組合を組織し、及びこれに参加する権利」です。これらが権利として確認されるまでの間には、人々は弾圧を受けて血を流してきた歴史があります。その積み重ねの上に、このような労働の権利が作られてきました。
 日本でも憲法の中に、労働の権利に関する条項があります。労働関係に特有の個別的原理ないし権利として、27条第1項「勤労の権利及び義務」、27条第2項「勤労条件の基準の法定」、27条3項「児童酷使の禁止」、28条「団結権・団体交渉権・団体行動権の保障」を規定しています。これらの考え方のベースになっているのは「世界人権宣言」です。

(6)「労働は商品ではない」~ILOフィラデルフィア宣言
 ILO(国際労働機関)は、第一次大戦後のベルサイユ条約に基づいて設立されました。ILOは1944年に「フィラデルフィア宣言」を採択しました。その中に「労働は商品ではない(Labor is not a commodity)」という言葉があります。
 これはどういう意味なのでしょうか。労働は、労働した分と賃金との交換関係によって成り立っています。そういう意味では、労働を商品と考えてもいい側面があります。ただし、果物を買うのと労働を買うのとは違います。たとえば、りんごを買ったら、いつ食べようと買った人の勝手です。食べずに腐ってしまったとしても、腐らせた責任を追及されることはありません。しかし、労働者には人権があります。労働の場合は、労働力を買ったからといって人権までも侵していいというものではありません。
 そして、労働市場には特殊性があります。その一つは、労働はストックがきかないということです。モノであれば、買ってすぐ使わないでおいても、何も価値は変わりません。しかし、労働は、働く側では生きるということにつながっていますから、働くところがなくて、賃金が得られないとしたら、生活できないということになります。今日働いて賃金を得られないと困る、というぎりぎりの立場におかれている人には、労働のストックはありません。
 それから、「情報の非対称性」があります。雇う側は、様々な人たちがいる中で誰を雇えばいいか、幅広い選択があり、いろいろな情報をもっています。それに対して、雇われる側は「私を雇ってください」という以外に、他にどういう人がいるか、自分は誰と競争をしているのか、通常はわかりません。そういう意味では、雇う側と雇われる側とでは情報量が違います。それを是正するために、一人ひとりではなくて、労働組合を作り、働いている人が一つの団体になって、集団的に交渉をして労働条件を決めていくのです。労働組合には、情報の非対称性を補完するという機能があります。
 また、労働力は資源であり資本であって、単なるコストではありません。教育や訓練によって個人が持つ労働能力や価値が上がっていきます。単純作業しかできなかった人が教育や訓練を受けることで、より複雑な作業ができるようになります。熟練することによって、より高度な仕事ができるようになります。企業が生む付加価値は、最終的には働く人たちによって作られるものです。価値というのは、全て人間の労働から生み出されるものだと考えられます。そういう意味で、「労働は商品ではない」といえます。

(7)ディーセントワーク
 ILOでは、1990年代後半から「ディーセントワークの実現」に取り組んでいます。ディーセントワークとは、「働きがいのある人間らしい労働」という意味です。具体的には「働く人と家族が健康で安全な生活を送ることができ、子どもに教育を受けさせることができ、比較的しっかりと家族を養うことができ、老後の生活を営めるだけの年金をもらうことができ、必要に応じて社会的保護を受けることができ、適正な収入を得て、働く人たちの権利が守られ、社会的対話に参加できるものであること」です。
 一見、当たり前のことをいっているようですが、実現は難しいことです。日本でも、必ずしも実現できているとはいえません。まして、開発途上国においては、まだまだこういうレベルには到達していません。しかし、労働を働きがいのある人間らしい営みとしていくために、このような目標を掲げていくことは大切です。
 労働組合の原点も「労働の尊厳」を大切にする働き方の追求であるといえます。「労働の尊厳」とは、働くことを通じて、社会に貢献していることに自信と誇りを持つ思想です。かつて、肉体労働をする人は、それしか能力がないと考えられていました。そういう人たちは、酒や博打でしか憂さをはらすことができませんでした。しかし、どんな仕事でも、社会に貢献していることに変わりありません。「労働の尊厳」とは、全ての労働には社会的価値があり、きちんと誇りをもって働くという思想であるともいえます。そういう思想を通じて、労働の社会的意義を高めていきます。その上で、産業・企業の健全な発展と生産性の向上をめざし、労働組合が主体的な役割をします。国全体の富というのは、一つひとつのミクロの経済活動の積み重ねです。労働を通じて得られた富が全体としてどれだけ増えたかということが、国民経済的にみると付加価値になるのです。

(8)社会の岩盤としての労働
 働くことに価値を置くことは、社会の岩盤です。働くということを通じて、経済や社会が成り立っているわけです。働きたくとも働けない人たちが町中にあふれるということは、社会の岩盤が揺らぐことになります。それだけ労働は、社会において重要なことです。
 働くことは権利でありますが、一方では義務でもあります。また、仕事は楽しみでもあります。人類は、肉体による労働の苦痛をできるだけ軽減するために科学技術を発展させてきました。家事労働でいえば、電気洗濯機ができたことで、冷たい水で洗濯をするという労働の苦痛から解放されました。あるいは、激しい肉体労働をロボットにさせることによって、肉体的な労働の辛さから解放されました。このように労働の苦痛をできるだけ取り除いて、仕事というものを楽しみにしていく、あるいは自分を活かせる仕事をしていくという形の中で、労働は価値のあるものとなっていきます。そして、そのことがディーセントワークにつながっていくわけです。もちろん、今でも大変苦痛な労働はありますが、歴史的な積み重ねの中でいろいろな改善をしているわけです。今後も積み重ねの中で、労働の価値や労働の尊厳は高められていくと思います。

2.日本における労働問題
(1)わが国の「雇用社会化」
 日本の就業者は6,365万人のうち、雇われて働く雇用者は5,420万人で、その比率は85.1%です。昔はこの比率はもっと低かったのですが、中小企業経営者、農業、商店などを自営でやっている人の比率がどんどん下がっていき、現在では、就業者の大部分が雇用関係の中で労働をしています。雇用を中心とした社会では、雇われている本人だけでなく、その家族も含めてその雇用によって支えられています。
 雇用は、人々が能力を発揮して、自己実現を図る最大の場でもあります。就職をして、定年まで40数年間いろいろな形で働きます。雇用を通じて、人生の半分以上を社会の一員として暮らすわけです。もし、労働が嫌でたまらなければ、ずっと苦痛な人生になるかもしれません。しかし、自分が選んだ仕事を通じて自己実現を図るようにすれば、苦痛な人生とはならないはずです。
 雇用は、高齢化による職業生活の延長にも関わっています。かつては55歳定年でしたが、今は65歳まで働くことが保障されています。また、以前は結婚や出産で仕事を離れる女性が多かったのですが、今は働き続ける女性が増えています。女性の働く場への参加の伸展も雇用との関わりが大きいわけです。
 グローバル化、金融化などの経済環境の変化も雇用に大きな影響を与えています。今、アメリカ発の金融危機の中で、職を失うだけでなく、年金や住宅を失う人が出てきています。アメリカやヨーロッパで起こっている問題が、国内の雇用にも大きな影響を与える時代になっています。働く人の利害や主張を反映し、実現していくために、働くという立場からいろんな意見を主張していくのは、労働組合のほかにはありません。

(2)働くことをめぐる様々なリスク
 日本は、世界の先進国の中でも、とりわけ雇用社会化が進んでいる国です。雇用社会においては、働く中で起こる様々なリスクがあります。例えば、採用の自由と差別の禁止があります。雇う側が、採用時に男性を雇おうと女性を雇おうと自由ではないかといっても、それが差別につながるとすれば、そういう採用の入り口を閉ざすことはできなくなります。
 それから、内定取り消しと本採用の拒否があります。内定を取り消された側は、その会社に入ると決めていたため、今更いくところがないという状態になります。また、試用期間後に本採用にしますと言われていたのに、本採用の時期になったら拒否されるということがあります。こういう人たちは、それで納得できるのかという問題があります。
 一旦採用された後にも、配置転換、出向、転籍などによって職場が変わることがあります。同じ職場に長期間居続けるのは、極めてまれなことです。一般的には途中で職場をいろいろと変わります。たとえば、東京の本社にいた人が九州や北海道に転勤だといわれます。しかし、自分は年老いた親の面倒をみなければならないので転勤できません、という個人の事情もあるでしょう。会社側は「これは命令だ」と、人事権を行使することができます。こうした場合に、老親を残してまで転勤しろというのは、権利の濫用に当たらないのかどうかという問題がでてきます。
 民法上の原則では、一方が契約をやめようといえば、やめられます。労働契約も民事契約の1つですから、雇用契約の終了も原則は同じです。しかし、法令上の解雇制限があり、こういう場合には解雇してはいけない、というルールがあります。また、解雇権があるとしてもそれを濫用してはいけないという判例もあります。では、濫用の内容にあたるものは何か、という問題があります。
 労働条件の変更という問題もあります。月給20万円で雇われて、途中で賃金が上がっていく場合は、あまり問題ありません。しかし、今までは月給25万円だったのに、会社も大変だから5万円カットさせてほしいと言われた時は、不利益変更になります。この不利益変更をどう考えればいいのか、ということです。
 働いている間に、災害にあうこともあります。高いところに登って作業する時に落ちてしまい、ケガをしたとします。その場合、管理の仕方が悪く、足場が悪かったために落ちたとしたら、これは使用者側の管理責任が問われます。こういう労働災害が起きた時にどうするか。肉体的な災害だけでありません。最近では過労による問題があります。過労が原因で心臓発作や脳血栓を起こして倒れることがあります。あるいは、うつ病のように精神的な疾患にかかる場合もあります。 
 このように、働く中で起きるいろいろなリスクがあります。こういうリスクをどのように解決していったらいいのか、が問題です。

3.データからみた労働問題
 次に、いくつかのデータから、現代の労働問題について話したいと思います。

(1)正規労働者と非正規労働者
 1990年代後半以降、急速に正規従業員が減り、非正規従業員が増えるという労働市場の構造変化がおきています。現在では、雇用者の約35%が非正規であり、この10年間で約600万人増えています。なかでも、1990年代後半以降、派遣労働者が増加しており、現在はおよそ370万人といわれています。
 非正規労働は量的に増えただけではなくて、それに付随していろいろな問題が生じています。たとえば、賃金を比較すると、2006年では、正社員の時間あたり賃金を100とすれば、パートは50と、正社員と比べてパートならば時間当たり賃金は半分ですむことになります。つまり、非正規を増やすということは、企業にとって人件費コストの引き下げにつながっているといえます。
 労働分配率は低下傾向です。国際的にも同様の傾向がありますが、特に日本は、ほかの国と比べると労働分配率の落ち込み方が激しいです。東西冷戦の壁が崩れ、90年代後半にグローバル競争が起こりました。その結果、企業はコストが安い国に生産拠点を移し、全体の賃金を下げるようになりました。低賃金でモノを作る国が出てくると、それに引っ張られてしまうグローバル化の問題や、正規から非正規にシフトする非正規雇用の増加という問題などが重なって、労働分配率が下がる傾向となっています。
 その中で格差の拡大が生じています。民間給与所得は9年連続低下して、特に、給与所得者の2割が年間所得200万円となっている現状です。

(2)拡大する所得格差と長時間労働
 若者の貧困率も高まっています。平均所得の半分以下の人の割合を、相対的貧困率といいますが、若者ではこの割合が16.6%です。就職氷河期などにフリーターとして働かざるを得なかった若者が増え、そのために、相対的に貧困率が高まったということです。生活保護世帯が増え、「ワーキングプア」といわれる生活保護水準以下の給与しかないという層が出てきて、新たな貧困問題が起こっています。
 その一方で、長時間労働という問題もあります。国際的に比較すると週50時間働く労働者の割合が、日本では断トツに高いというデータが出ています。
 1990年代後半以降、労働市場改革を進めた結果、低賃金労働者が増え、リストラをすることによってロイヤリティも低下しました。また、正社員の範囲が限定されたことによって、非正規が増加する一方、正社員の縮小が起こりました。それが、長時間労働につながっているわけです。資本重視、株主重視の経営が行われ、総額人件費が抑制された結果、こうした労働市場改革の光と影がおきているのです。

4.労働者保護に向けての取り組み
(1)派遣法の見直し
 1986年に労働者派遣法が施行された後、大きな法改正が1999年と2003年にあり、規制緩和を行ってきた結果、派遣労働者が大量に増えました。そして、今日のような不況がくると、その人たちが契約を切られ、職を失うだけでなく、住宅も失うことになるという問題が起こっています。これに対して、2008年11月に日雇い派遣を原則禁止にする改正法案が国会に出されました。国会では審議未了となりましたが、今見直しの動きが出てきています。

(2)労働条件の見直し
 長時間労働の問題について、時間外労働の割増率を高めることで、残業のコストを上げ、残業を抑制したらどうか、という考え方があります。これに基づいて、2008年12月に労働基準法が改正され、2010年4月から施行されます。改正法では、時間外労働が月60時間を超えた場合は、割増率を現行25%から50%に引き上げることになりました。月45時間超の場合は政令で25%を超える割増率にしますが、45時間以下の場合は従来通り25%です。こういう改正によって長時間労働を抑制する動きがあります。
 それから、最低賃金の見直しです。2006年のデータでは、日本を100とした時にイギリス170、フランス180です。アメリカは103でしたが、2006年から3年かけて5.15ドルから7.25ドルへの引き上げが決まっています。その結果、日本はアメリカとも大きく差が開く状況になりました。
 このため、日本でも最低賃金の引き上げに取り組みました。2007年に最低賃金法を改正し、地域別最低賃金の必要的設定ということと、生活保護との整合性も考慮するよう決定基準を明確化し、併せて、最低賃金以下で働かせた場合の罰金額を大幅に引き上げました。
 さらに、安倍内閣の時に「成長力底上げ戦略円卓会議」が発足し、成長力底上げ戦略の一つとして最低賃金の引き上げの実施について、政労使三者で議論をしました。2008年6月に、「賃金の底上げを図る趣旨から、社会経済情勢を考慮しつつ、生活保護基準との整合性、小規模事業所の高卒初任給の最も低位の水準との均衡を勘案して、これを当面5年程度で引き上げることを目指し、政労使が一体となって取り組む」という最終合意をして、5年間で思い切って取り組むことにしたわけです。
 この結果、2006年には全国平均で610円だった最低賃金を、2007年は平均14円引き上げ、2008年は16円引き上げて、この2年間で平均30円引き上げました。

(3)採用内定取り消し問題への対応
 今、採用内定取り消し問題が起こっています。2008年12月の時点で、約700人にのぼると言われています。採用内定というのは、一般的には「あなたを4月1日から採用することになりましたので、このことを通知いたします。2009年4月1日に○○にお越しください」というものです。内定通知がきたということは、そこで雇用契約が成立したと考えます。
 大日本印刷事件という判例で最高裁は、採用内定により成立するのは「入社予定日を就労の始期とする解雇権留保付労働契約である」と判断しています。「解雇権留保付労働契約」であっても、労働契約が結ばれたことに変わりはありません。したがって、内定段階で労働契約が成立するので、企業の側が自由にこれを解約(内定取り消し)することはできません。これは解雇権濫用法理と同様の規制が及びます。つまり、解雇権留保はあるけれども、その留保は濫用できない、社会通念上相当な合理的理由がなければ、一方的に内定取り消しの通知はできない、というものです。
 内定取り消し問題の対策として、一つは、法的規制を行ったらどうかという考えがあります。最高裁判例を実定法にしようという考え方です。これについて、2008年12月に野党は「採用内定取り消し規制法案」を出し、参議院で可決されましたが、衆議院で否決されました。また、社会的規制を与えるということで、悪質な内定取り消しをした企業名を公表するということもあります。これは実施される方向です。インセンティブとして、内定を取り消された就職未決定者を正規雇用する事業主について、助成金を出すということもあります。これは2009年度の予算案に盛り込まれ、内定を取り消された人を雇った企業について、1人につき中小企業で100万円、大企業で50万円が助成されます。

(4)個別労働紛争
 このように法律による改正を行っても、実際に問題はおきます。一方的に解雇されたとか、労働条件において差別されたなどという場合、行政機関が行っている個別労働紛争解決制度を利用して、解決する手段があります。
 行政が設けている全国の総合労働相談コーナーには、2006年では約100万件の相談がきました。そのうち個別労働紛争が約18万件でした。もう1つ、司法の場でこれらの紛争をより迅速に解決する目的で、2006年に労働審判制度を作りました。これは普通の訴訟と異なり、迅速に解決できる制度です。たとえば、突然解雇されたという人が裁判所に申し立てをしてから、3回以内の審判で調停ができるようになっています。労働審判では、裁判官と労使双方から出された労働審判員が合議で紛争を解決しますが、労働側の審判員として労働組合が関わっています。この結果、2006年には877件、2008年には1444件の労働審判の申立があり、その多くが双方が合意するかたちで解決しています。

5.労働組合の社会的責任
 労働組合の社会的責任として、公正・平等な福祉社会の実現や、雇用社会における「労働の尊厳」を大切にする社会を築くなどさまざまなことがあります。その中でも特に大事にしているのは、「社会正義」です。社会正義というのは、貧困、失業、不平等、格差の拡大、人間疎外といった社会の不条理に対する人間愛に基づく反抗、企業や組織の倫理的行動の追求、そして、個人の利己に基づく無制限の競争よりも、社会的連帯の精神に基づく理性的計画によって社会を秩序づけようとする要求、他人の痛みを、わが痛みとして受け止める「友愛」の精神、といったことです。
 毎年内閣府が実施している世論調査によれば、2008年は特に様々な問題が起きて、悪い方向に向かっていると考える人たちが増えています。恐らく2009年は、さらに悪い数字が出てくるのではないかと思います。そういう時こそ、社会正義を大切にして、公正・平等な社会をつくるという労働組合の役割が、ますます高まるのではないかと思います。
 これで終わります。ご清聴ありがとうございました。

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