埼玉大学「連合寄付講座」

2008年度後期「若者・働き方・労働組合」講義要録

第1回(10/1)

若者の働き方をめぐる課題
―労働運動の歴史からみえてくるもの―

ゲストスピーカー:高木郁朗((社)教育文化協会理事・山口福祉文化大学教授)

1.はじめに
  ご紹介いただきました、高木でございます。今日は、「若者の働き方をめぐる課題-労働運動史から見えてくるもの-」ということで話をしたいと思います。
  その前に、一つだけ申し上げておきたいことがあります。この授業は「連合寄付講座」という形をとっています。これは、日本の労働組合の総合的組織である連合の関係団体である教育文化協会を通じて、埼玉大学経済学部に授業を寄付していくというものです。 何のために授業を寄付していくのか。少なくとも僕の理解では、若い皆さんにきちんと労働教育をしていきたいという思いがあるからだと思っています。
  「労働教育」とは、キャリアアップとか、今流行のいかに職業を実践的に身につけていくためだけの教育ではありません。「労働」ということが、どのような意味を持っているのかを教育し、伝えていくということです。このことについて3つの分野で考えていきます。
  第1に、何のために人は労働するのかということです。皆さんは大学を卒業したら、圧倒的な人が就職をして、働くことになると思います。そこで、何のために働くのかということを考えてもらいたいのです。たぶん皆さんの多くは、収入のために働くと答えられるのではないかと思います。これはとても大事なことです。今は、せっかく一生懸命働いても自立して生活していくことのできない若者たち、ワーキング・プアと呼ばれている人たちが、非常に増えています。ですから、自立して生活していくために働くということは大切なことです。
  しかし、僕はそれだけではないと考えます。働くということは、それを通じて社会に貢献することだと思います。何らかの形で財やサービスを作り、あるいはそれを流通していく。こうした活動を通じて社会に貢献していくということです。社会的に働くという意欲を持っているということが大切だ、と僕は思っています。たとえば、自分のやっている仕事は、人々のためにきちんとした食料を供給するためだということがわかっていれば、汚染米の事件などないかもしれません。こうしたことから、何のために働くのかを考えていくことは非常に重要なことです。労働教育の第1の課題として考えていきたいと思っています。
  第2に、現代は雇われて働くということが主流です。雇われて働く上ではルールがあります。たとえば、雇う人が一方的に命令する通りに働くということになると、現実にあるように過労死をしたり、メンタルな落ち込みになってしまったりと、いろいろな弊害が起こってきます。この弊害をなくしていくには、働くことをめぐるルールを伝えていくことが必要です。このルールを理解していくことが、労働教育の第2の中身になると思います。
  第3に、ルールを作るのはだれかという問題です。たとえば、労働基準法を政府が国会で作るとか、あるいは就業規則を企業が作ることはあります。しかし、僕は、働く人々自身がルール作りに参加をしなければいけない、主体的に働くルールを作る上で積極的な役割を果たしていかなければいけない、と思っています。
  その手段の非常に重要な部分の一つが労働組合です。労働組合という形で、みんなでまとまってルールを作る、というように、ルールを作る上で、働く人が参加をしていくことが大切だということを、労働教育の3番目で考えていきたいと思います。
  このようなことから、埼玉大学に寄付講座を申し出ましたら、喜んで引き受けていただきました。こうした経緯で始まっているのがこの寄付講座の中身だと考えてください。前期は「ジェンダー」を課題にして、今のような労働教育の中身を考えていきました。後期は「若者」を課題にして、講義をしていこうということになっています。その初回として、「若者の働き方をめぐる課題」を簡単に話してから、労働運動の歴史に照らした話をしていきます。

2.「若者」とは誰のことか?
  このレジュメを作っているときに、僕の机の近辺にあったものを見ますと、結構「若者」という言葉があふれている事に気づきました。たとえば、『世界』2008年10月号に「若者が生きられる社会宣言」が特集されていました。ここでは、ワーキング・プアの問題が非常に多く取り上げられています。
  それから、9月23日付朝日新聞『社説』にも「若者にも人気があるといわれる麻生氏だ・・・」というように「若者」という言葉が出ていました。また、同じ朝日新聞第2東京面には「政権交代に懐疑的 半数強、パソナ 若者ら163人調査」というの記事が載っていました。
  これらのことから、現代の社会問題にしても、政治問題にしても、若者が焦点になっているということがわかります。しかし、これらを見てみましても「若者」とは一体誰なのかは、どこに書かれていません。皆さんは「若者」というと誰のことだと考えますか。「僕のことだ、私のことだ、」というのは正しい答えだと思います。ただ、なぜそう言えるのかを聞かなくてはなりません。議論というのは、一定の定義をしておかないと問題が起きますので、「若者」とは一体誰なのかということを考えみたいと思います。

2-1.制度上の「若者」・・・年齢から
  まず、制度の上で、若者がどのような取り扱いになっているか、確認しておきます。ILO(国際労働機関)という国際組織があります。ILOは、各国の政府と経営者団体と労働組合の代表が集まって、国際的に守るべき労働上の最低限のルールを、条約や勧告という形で決めていく組織です。そこで最近作られた重要な条約の一つが、第182号条約「最悪の形態の児童労働の禁止及び撤廃のための即時の行動に関する条約」です。ここでいう児童労働の対象は「18歳未満のすべてのもの」となっており、18歳が一つの区切りとなっていることがわかります。
  日本の労働基準法では2つに分けて取り扱っています。一つは、「児童が満15歳に達した日以後の最初の3月31日が終了するまで、これを使用してはならない。」(第56条)という規定です。つまり、15歳未満の年少者は、特別な場合を除いては使用してはならないということです。ですから、働く若者ということでは15歳を超えないと若者にはならないといえます。もう一つは「使用者は、満18歳に満たないものについて、その年齢を証明する戸籍証明書を事業場に備え付けなければならない。」(第57条)という規定です。この規定からは18歳までは特別扱いをしているということがわかります。
  要するに、働く若者とは年齢だけで言えば18歳以上と考えていいと思います。しかし、実際には、15~18歳未満でもいろいろな形で働く若者たちもいます。この人たちに対してもきちんとしたルールが必要だと思います。

2-2.イギリスの最低賃金制度から
  次に、18歳から上がどのようになっているかをみておきます。いろいろな規定を調べてみた中で、面白いのはイギリスの最低賃金制度の規定です。イギリスではひどい低賃金での労働をなくすということを20世紀の初頭という早い時期から最低賃金制度をつくってきました。この制度は1980年代のサッチャー政権のもとでいったん廃止されましたが、その後、労働組合の強い要求で、1999年に労働党を率いるブレア政権のときに復活をしました。
  この最低賃金制度(以下、最賃制)は、年齢の点から見ると非常に面白い規定になっています。年齢が22歳以上、18~21歳、16~17歳の3つの段階に分かれています。22歳以上がAdult Rateといって、もう一人前の成人として働いて一人前の賃金をとってもいい年齢となっています。18~21歳までDevelopment Rateといいます。それから、16~17歳までは名称上の規定はないのですが、一つのグループになっています。
  Developmentとは発達している人ということです。すなわち、18~21歳までは、いろいろな形で自分の能力を発達させている人々ということになります。発達が22歳で終わるかどうかは別の話になりますが、この3つの分類で見られる非常に重要なことは、若者というのは「発達する人たち」であるということが、この最賃制の中で見られるということです。
  イギリスの最賃制は日本と比べると、次のような特徴があります。一つは、イギリスはスコットランドを除くと全国一律の最賃です。しかし、日本では都道府県ごとに金額が決まっています。また、イギリスでは一番低い年齢の16、17歳でも、日本より高い水準になっています。今年の最賃の金額改定で日本も少し水準が高くなってきましたが、日本の最賃は、22歳の人が自立して暮らしていける金額とは考えられていません。実際にイギリスがそうなっているかは別ですが、考え方としては、Adult Rateですから一人前の暮らしをしていけるような賃金という考え方をもっているといえます。

2-3.60万人のニートと呼ばれる若者たち
  さらに、この「若者」が誰であるかということを考えるために、ニートということを取り出しみることにします。ニートというのは、Not currently engaged in Employment, Education or Trainingです。Employmentは、国際的には「雇われている」という意味だけではありません。engaged in ということになっていますから、「就業」も含まれます。ですから、就業もせず、訓練や教育も受けていない人たちをニートといっているのが国際的な定義です。年齢については、OECDなどでは15~19歳と20~24歳の年齢層に分けられていて、大体20~25歳までが若者ということになっています。その年齢層において教育も受けていない、仕事もしていない若者をニートと定義しています。
  ところが、日本の定義は独特です。日本ではニートを34歳以下と定義している上、国際的には全くない定義である、配偶者のいない独身者ということも入っています。これは、日本は男性の片働きモデルがまだ支配的であることを示しています。つまり、専業主婦と呼ばれる人たちや結婚や出産によって働けなくなった人たちは、ニートには入れないということです。

2-4.要するに「若者」とは・・・
  国による様々な違いや日本的な特徴をあわせて考えてみますと、働くことに関連して、「若者」についての明確な定義はないことがわかります。ただ、それぞれの定義において言えることは、発達していく人たちである若者が、労働政策の上できちんとした位置を与えられ、自立した職業に就き、自立した生活者となって生きていくことが非常に重要だということです。
  各国の状況をみると、15歳未満はほぼ働く若者には入っておらず、就業は原則禁止となっています。15~18歳までは保護の対象です。これは各国共通で、ILO条約にも見られます。したがって、それ以降の年齢層が働く若者たちであると考えられます。ほぼ22歳までは、イギリスの最賃制の例のように、発達の段階であり、教育・訓練といった育成の対象です。22歳を超えると一人前の労働者として扱われるという関係が成立していると思います。

3.働くことについての若者にかかわる問題点
  若者を20歳前後から30歳台前半までの年齢層の人たちとします。そうすると、これからの講義の中で勉強をする課題として、どのようなことが問題になるでしょうか。
  まず、日本では、若者ということで一括していいのかどうか、非常に問題となります。同じ30歳前後の人を考えてみると、日本では男性と女性の間で非常に大きなジェンダー差があります。ここをどう考えるかが大きな問題となるのですが、今回はその問題は取り上げません。このことを別にして、3つの問題点に注目したいと思います。
  1番目は、若者というのは発達過程であり、一人前の労働者となっていくプロセスであるとして、教育・訓練を受ける権利が保障されているか、という点です。
  2番目は、教育・訓練を受けた結果、しっかりした就業機会が保障されているか、という点です。これは国際的にも非常に大きな問題です。若者というのは最も失業率が高い層であり、この高い失業率をどうするかが大きな問題となっています。
  3番目は、仕事を持っていても、自立した生活を送るための必要労働条件が保障されているかどうか、という点です。今、ワーキング・プアと呼ばれる若者が非常に多くなっていますが、このことも大きく関わってくることだと思います。
このような3つの問題点についてどうしていくか、皆さんの世代で考えていただきたいと思っています。

4.産業社会における若者と労働運動
  労働運動の歴史を見ますと、いろいろな場面で若者が登場してきます。たとえば、1850年以降にイギリスで発達したクラフトユニオンは、熟練労働者としての地位をはかると同時に、若者階層を非常に重視し、次の世代を育成していく職業訓練を労働組合が一生懸命やってきました。20世紀に入ると、主にヨーロッパ大陸の諸国では、労働組合と協力して若者たちに対する教育の機会均等の実現を労働運動としてやってきました。
  また、若者たちが発達過程にあるということで、一般に低い賃金で雇われてしまう傾向があったため、最賃制を作ってきちんとした賃金を支払うようにしてきました。最賃が生活できる賃金といえるかどうかは問題ですが、「少なくともこれ以下はない」という賃金制度を作ることも労働運動がやってきたことです。これは、女性労働対策と同時に若者にも行われたものです。このようにいろいろな形で、若者たちの労働条件のミニマムを作っていかなければいけないという考え方が、労働運動のなかで強くあったのだと思います。
  日本でも、国の制度として最賃制を作ると同時に、各事業所の労働組合が自分たちの企業の中で最賃を作ってきた歴史があります。ただ、残念なことに、この企業内の最賃が適用されるのは正規従業員だけでした。今でも、非正規労働者にこの制度が適用拡大されていかないのは問題だと思います。
  もう一つ例をあげれば、どの国においても、18~25歳未満の年齢層の失業率が一番高くなっています。現在の深刻な金融危機は、アメリカのサブプライム・ローンに端を発しているわけですが、これが雇用に非常に大きな影響を及ぼすのではないかと心配です。逆にいえば、政策上金融機関をどうするかより、まず先にきちんとした雇用対策をやっていくべきだと思っています。
  若者の失業が多いのにはいろいろな理由がありますが、その一つに労働組合が関わっています。日本でもドイツでも、労働組合は自分の組合員をまず先に守らなければならないと考えます。つまり、まだ組合に入っていない若い人たちよりも、また同じ雇用労働者でも、労働組合に入っている年齢の高い従業員を重視するところがあります。これは、たとえばアメリカの労働組合が作ってきた先任権制(セニョリティー)というものです。
  しかし、そうした制度は若い人たちに失業を招くことになるため、労働組合は様々なことを考えました。特に、1970年代のドイツの労働組合は、早期退職制という制度を作り、高齢の労働者に公的年金の受給前に退職してもらい、その代わりに企業が年金を払って、若者を雇用するということをしています。
  労働時間短縮も、若者の就業機会や雇用機会を増やすのに非常に重要です。残念ながら日本では、第一次オイルショックが起こった1973、74年以降、むしろ企業業績をよくするために、労働時間が長くなりました。しかし、ドイツの労働運動は、特に若者たちの雇用対策ということを含めて、労働時間短縮を進めてきました。今、ドイツと日本の年間総実労働時間の差は、350時間以上開いています。この開きは、雇用を重視して労働時間を短縮しようと考えた労働運動かどうかも、大きく関っていると考えられます。

5.故・岩井章の足跡から
  このように、いろいろな形で労働運動は若者たちと関わってきました。今日は、岩井章さんという人を一つの例にして、若者と労働との関係を考えてみたいと思います。
  最初に、日本の労働運動の歴史について説明しておきます。この寄付講座の冠となっている連合は1989年に成立しました。連合成立以前は、ナショナルセンターは、総評、同盟、中立労連、これらに比べ小規模ですが新産別という4つの全国組織に分裂していて、労働4団体時代と呼ばれていました。この4つの中で最大の労働団体が、総評でした。
  1950~80年代にかけての30年間は、総評が日本の社会をリードする1つの主役だった時代といっていいと思います。総評は1950年に結成され、加盟団体には、国鉄労組(今のJRの労組)や、日教組、鉄鋼労連、今はなくなりましたが、非常に強い組合だった石炭産業の組合の炭労、化学産業の組合である合化労連などの組合がありました。このように総評は、日本の労働運動の中心的な存在であったわけです。そして、1955年以降、今日まで続く春闘を組織しました。春闘で毎年賃上げをやり、日本の労働者の所得の上昇に非常に貢献してきました。
  岩井章さんは、この総評の事務局長だった人です。事務局長というのは、労働組合の委員長と並んでトップリーダーです。日本の労働組合のトップリーダーをしてきた、岩井さんを取り上げるのはなぜかというと、日本の少し前までの産業社会の若者のあり方の代表をしていたのではないかと考えるからです。

5-1.貧しい農民の子から国鉄の機関士へ
  岩井さんは1922年長野県に生まれました。生家は、半分は貧しい零細の小作農・半分は日雇い労働者で「ものすごい貧乏育ち」でした。当時の若者たちの典型で、お金がないということから進学を断念し、義務教育終了後すぐに、地元の電鉄会社に給仕(お茶くみ)として就職をします。当時の義務教育は、小学校6年、高等小学校2年の合計8年ですから、14歳で就職をしたわけです。その後15歳で国鉄に入社をし、能力が高くないと入れないのですが、鉄道教習所に入所して、機関助士になります。助士になったあと、蒸気機関車の機関士になるための昇進試験を受けます。この試験もまた非常に難しかったということですが、そのような超難関な試験に合格して、機関士になります。
  機関士というのは、国鉄の中で非常に重要な位置を占めていて、当時は中級官僚と同じ扱いでした。つまり、国鉄の中の現場の労働者としては最高の身分を持つ人々だったのです。せっかく機関士になったのですが、召集され軍隊に入隊して、第二次世界大戦の敗戦後、1946年24歳の時に日本に復員しました。その後、労働運動に身を投ずることになるわけです。
  岩井さんは、『総評と共に』(読売新聞社刊)という自伝的なものを書いていますので、参考にしていただくといいと思います。

5-2.若者たちの「出世」の道
  当時の日本の若者たちは、どういう気持ちを持っていたのでしょうか。明治維新以降第二次世界大戦までの若者たちの心情は何かというと、一言で言えば「出世」、要するに、社会的地位を上げたいということです。これには2つの道がありました。
  一つは、戦前の大学を卒業するコースです。大学とは違うレベルになりますが、高等専門学校や、軍隊の士官学校なども含まれます。上級学校を卒業して、高級官僚や大企業の社員になるわけです。今は、正規従業員ならば社員ということになりますが、当時、社員というのは管理職ポストに就ける人々のことでした。実際、工場で働く人は社員ではなく、工員と呼ばれていました。このように身分制度があったのです。一定のお金のある家に生まれた人は、このように上級の学校に進学し、官僚や大企業の社員になり、高級管理職になっていくという出世のコースがありました。
  もう一つは、貧しい家に生まれた岩井さんが歩んできたようなコースです。企業に入り、企業の教習所に入って訓練を受け、企業の中の準エリートに育っていくというものです。教習所とは鉄道訓練所や逓信講習所といったもので、国有企業だけでなく民間企業にも養成施設がありました。現在の高校資格の学校で、ここを出ると企業の中の現場のエリートとして処遇されるというコースがありました。
  しかし、この第二のコースから第一のコースに入ることはほとんど不可能でした。要するに、岩井さんには駅長になるコースはほとんど開かれていなかったということです。つまり、この時代の若者たちの多くは、身分制度のもとで、自分たちの能力を発揮する機会が著しく制約されていたということになるわけです。

5-3.戦後日本のもう一つの「出世」の道
  岩井さんは、貧しい家から出発をして、一生懸命努力をして、第二のコースに入り、機関士というレベルの高い技能労働者になりました。さらに、戦争を経て労働組合に入り、33歳の時に総評事務局長になります。33歳の若者が日本の労働運動をリードする総評のリーダーになったのです。このように、岩井さんの場合は、第二のコースを選択して、第二次大戦後の労働組合運動が発展していたところに、労働運動のエリートとして参加していくことで出世をしていきました。こういう道筋をたどって、若者らしい活動をして、日本のリーダーとして成長していく。岩井さんは、このような出世を遂げた一つの典型だと言えると思います。
  当時、岩井さんのような若者は一人だけではありませんでした。僕は今70歳ですが、僕より10歳くらい上の人たちに多くの聞き取り調査をやったところ、多かれ少なかれこのような道を歩んできた人たちが労働組合のリーダーになっているのです。ですから、岩井さんを単数で語るのではなく、複数で語らなければならない。そして、「若者・岩井」たちが、何を求めてきたのかということを、歴史では考えていかなくてはならないだろうと思います。

5-4.「若者・岩井」たちは何を求めたのか
  「若者・岩井」たちが日本の社会で求めたものを、国鉄という組織で図式化して言えば、「まっとうな暮らし」と「誇りある職業生活をだれもが送れるようにしたい」ということです。貧困から抜け出して、まっとうな暮らしをしていきたいという気持ちが、一つは出世を通じて、もう一つは労働運動を通じて出てきたわけです。
  労働運動を通じてというのは、「自分だけが」ということではありません。みんなで貧乏から脱却し、はじめから身分が決まっている社会や、いくら努力をしても自分の能力を発揮できる機会が奪われてしまう社会に対し、そうでない社会を作りたいと「若者・岩井」たちは反抗しました。労働運動の歴史の中で、その表れとして1971年の国鉄の人事協約が上げられると思います。
  また、身分制の中で押さえつけられていることから脱却するために、エリートたちと対等の発言権を持つということもやってきました。これはエリートに対してだけではなく、国に対しても同じです。その対等性を、労働組合を通じて確立していきました。典型的には1964年の「池田・太田会談」がありました。池田というのは当時の総理大臣池田勇人、太田というのは当時の総評議長太田薫です。そこに岩井さんも出席しました。この会談では、賃金のあり方について、総評代表と政府の代表で決めるということをしました。このように、対等な発言権を「若者・岩井」たちは確保したわけです。

5-5.岩井の足跡からわかること
  こうした岩井さんの足跡からわかることは、産業社会の転換の中で、若者たちは労働運動を通じて、貧困と身分的な差別を打破するため積極的に行動したということです。
行動の道筋として、一つには個人で努力するということがありました。岩井さんを例にすれば、機関士の試験を受けてエリート社員になるということです。しかし、自分一人でそうなっただけでは全体の制度を変えていくことは不可能でした。そのために、自分だけではなく、集団として制度を作りあげていこうという方向で活動をしてきました。
  結果的には、皆のために労働運動のなかで働くことが、自分のためにもなっていったのです。大雑把ではありますが、これが岩井さんの足跡だといえます。

6.30年前のドーアの心配を超えて
  時代が変わり、今は蒸気機関車も炭鉱もありません。また、製造業さえ空洞化していて、脱工業化時代といわれている時代です。でも、見えないところ、見えるところに限らず、あまり気がつかないところに身分制が張りめぐらされています。そして、一部の人たちが貧困に陥って、自立して生活していけないような若者が出てきています。にもかかわらず、「若者・岩井」たちのような若者が少なくなっているのは、どうしてなのでしょうか。
  このことを考える上で、イギリスの社会学者であるロナルド・R・ドーアさんが書いた『イギリスの工場・日本の工場』(1973年)という本が参考になると思います。ドーアさんには、『会社は誰のものか』『働くということ』などの新書があります。これらもぜひ読まれるといいと思います。
  かつて、岩井さんたちが活動をした、製造業を中心にした日本の経済成長の時代を離脱し、産業社会・脱工業化社会になる直前に、ドーアさんはこの本の中で「管理社会だか管理者の社会だか知らないが、一枚岩で、経済効率以外の価値を、弱者が強者に抵抗しうる能力を、正義感を、つむじまがりの人間を、窒息させるようなメリットクラシーの社会を形成しつつあるのではないか」という心配をしていました。
  「メリットクラシー」とは、会社や組織の利益にどの程度貢献したかによって地位や処遇が決定されるという意味での業績主義ということです。業績に応じて、組織の秩序が保たれる社会になっていく中では、一部の人たちが貧困に陥って、自立して生活していけない人たちが出てくるようになります。そのときに、そういうものに抵抗をし、改革をしていこうという若者の能力はなくなってしまうのではないかと、ドーアさんは心配しているわけです。僕は、現代の若者たちを見ていますと、このドーアさんの心配がとても当たっていると思います。世間からつむじまがりと見られようとも、やはり社会的正義とか公正ということを掲げて活動するのが、若者の基本的な姿ではないかと、ドーアさんはこの中で言っているのだと僕は思います。
  皆さんにつむじ曲がりになってほしいとは言いません。でも、時々はつむじを曲げてほしい。これが僕の期待です。つむじというのは、ドーアさんの表現を借りれば、業績主義で、実際には身分制や貧困がある社会に目を向けて、それを直す努力を若者としてやっていくことです。若者たちは発達の過程にあります。ですから、自分の発達を自分で保障するように、社会のあり方にも目を向けて変えていくこと、そして、与えられた制度の中で自分さえよくなればいいということではなく、皆のために自分が行動するということについて考えていただきたい。これからの授業の中で、このようなことを皆さんが考えていかれたらいいと思います。

7.『世界』の特集に一言
  最後に、最初の方で話した『世界』の特集について、一言申し上げておきます。この特集において、若者たちの現状とどのような制度改革をすればいいかという提言については、かなりよくできていると思います。しかし、肝心な点が抜けているのではないか。制度改革をして適切な世界を作っていくためには、若者がどのように行動をすればいいのかということが、この特集では抜けているのではないかと思います。
  岩井さんたちが、当時の若者として行動したときにもモデルがあったわけではありません。しかし、自分達自身が発達していく段階で、自分にとって必要なシステムを作ると同時に皆のために作るのだという気持ちが、当時の労働運動の若いリーダーたちの行動に反映していたのだと思います。皆さんに、ぜひそこまで踏み込んでいただきたいと思います。
  どのような行動をしたら、今の、実質的には身分制や貧困のある社会を直していくことができるのかを、若者たち自身で考えてほしいということを再度申し上げて、僕の話を終わりにしたいと思います。大変ありがとうございました。


ページトップへ

戻る