働く人のための労働条件・職場環境の整備―健全な企業別労使関係のあり方
はじめに
皆さん、こんにちは。今、中北先生からご紹介いただきました、西原と申します。私は、1976年に大学を卒業して、日産自動車に入社しました。もともと車が好きだったというのが最大の理由ですが、同時に、真面目に学校に行かなかったものですから、成績がきわめて悪くて、当時日産自動車は、大学時代の成績をあまり考慮しない選考方法をとっておりまして、こういう企業は珍しくてですね、日産に入ったという次第です。入社後は、途中で滋賀県の販売会社で1年間車を売ったこともありましたけれども、基本的には、いわゆる調達部門で働いておりました。自動車の場合は大体3万点くらいの部品を使って車を1台つくり上げるんですけれども、調達部門では、そういった部品や車を作るための材料などを外部から買ってくるという仕事を中心にやっていました。
特に鉄鋼の材料を調達するセクションで少々長く働いていたんですが、入社して何年か経ったときに、日産自動車が海外で工場を建てる際に、現地で部品購入ルートを開拓するという現地支援プロジェクトを担当することになりました。冒頭申し上げたように、私は学生時代ちゃんと勉強しなかったので、英語がまともにできませんでした。そのためかわかりませんが、私の担当は、インドとイランとメキシコでした。特にインドのプロジェクトがちょうど立ち上がるときで、その関係の仕事をやっていました。これが実は、労働組合に入るきっかけとなりました。当時日産自動車が、インドのアンドラ・プラデシュ州の州政府と合弁で、トラックの工場をインドに作ることになりました。インドのど真ん中にデカン高原という台地があって、そのちょうどど真ん中のハイデラバードという大きな町があるんですが、この郊外のザヒラバードという砂漠の真ん中に工場を作って、現地での部品調達の支援に約1ヶ月くらい、長期出張をさせられました。実はザヒラバードというのは、インドの中でも最も気温が高い。しかも一番暑い時期の5月頃に、毎日40度を軽く超える暑さの中で、仕事をする。かつ、ちょうどインドのど真ん中ですので、当時は物流もちゃんとしてないため、少なくとも海からのものは入ってこない。要するに、魚なんか一切食べられない。私は、今でもカレーは好きなんですが、そこでは、朝昼晩カレーでした。加えて、赴任したときに、冷蔵庫を開けたら、透明な液体が入った瓶が2本ありまして「これなんだ」と聞いたら「血清だ」という。瓶に下手くそなコブラの絵とサソリの絵が描いてあって、「これに噛まれたら、自分で注射を打て」といわれました。なぜなら、医者がいるところまで行くのに2時間かかるので、行ってる間に死んでしまうから、自分で注射を打てということで、現地で最初に習ったのが注射の打ち方でした。そんなところでですね、えらいとこに来ちゃったな、と言いながらも仕事をしていたんです。
そうしていましたら、ちょうど1ヶ月の出張期間が終わる直前に、本社から電話がありました。相手は、本社の労働組合の支部役員でした。そこで「君はインド駐在者のリストに入っている、駐在で行くと3年間、ザヒラバードの工場で働かなきゃならない」と言われました。当時、私は結婚したばかりで、これは家族を連れては赴任できないと思いました。そこで、「3年間は勘弁してくれ。何とかならないか」という話をしましたら、労働組合の役員から「唯一日本に戻れる方法がある」と言われ、「それは何か」と聞くと、「労働組合の専従役員になる、要するに、労働組合で働くのであれば、お前は日本に帰れるチャンスがある。どっちがいいか」と言われました。当時、職場で様々な労働組合の活動に、職場の役員として若干は参加していたんですけれども、労働組合の意義というものを十分に理解して、前向きに一所懸命頑張るという役員では全然なくて、インドから逃れるためという理由で労働組合の専従役員になりました。
ただ、専従役員になって、様々な経験をする中で、当時は日産自動車の経営が厳しい状況でしたが、組合員の雇用をどう守るのかや労働条件に関するハードな交渉が続く中で、やはり職場の人たちからの、期待や激励なりサポートなりというのを見て、これは逃げられないな、と覚悟を決めましたし、活動を通して、労働組合の良さが分かってきた部分もあります。例えば、思い出すことがあるんですけれど、日産自動車の労働組合の委員長をやっているときに、会社と団体交渉でなかなかうまく結論が出せないことがありました。頭にきて、夕方事務所の近くの汚いビールケースを椅子にするような居酒屋のカウンターで、一人で飲んでいたんです。面白くねえな、このまま家に帰れねえなと。そうしましたら、店の人から「あちらの方からビールの差し入れです」ということで、生ビールが来たんです。どこかのバーで妙齢の女性からカクテルが来るんだったらまだしも、むくつけきおじさんたちが並んでるわけですよ。よく見てもあまり知らない人だったのですが、そしたら、その男性たちから「あんた日産の組合の委員長だろ、お前は知らないかもしれないけど、俺らはお前のことを知っている。大変なのは分かるが、俺たちのために本当に頑張ってくれ」ということで「今日は1杯奢る」と言われました。このような経験も何回かある中で、やはり職場というものが、労働組合に対してどういう思いを持っているのか、切実な期待を寄せているのか、そういうことを知ったら、これは手を抜いてはいけない仕事だなというのを、本当に自覚してきましたし、やりがいも感じました。
結果として、私は先ほどお話をしたインドから始まって、1985年から30年以上、労働組合で専従役員として仕事をしてきました。専従役員というのは、会社に籍はあるんですけれども、給料は全部労働組合から貰って、フルで労働組合の仕事をやる役員のことです。日産の組合の場合は、常任委員という言い方をしますが、専従で、会社の指揮命令から離れて、労働組合だけの仕事を100パーセントやる。給料も全て、組合員の皆さんが出してくれた組合費から出るという形で仕事をしてきました。今日は、そういった中で私自身が感じたことも含めて、経験的な話を中心に、お話をさせていただきたいと思っています。
皆さんもいずれ社会に出る方も多いと思うんですが、例えば、働いている人が、自分の賃金が安いのでこれを何とか改善したいというときに、会社の経営者に対して個人で要求し交渉して実現するというのは、かなりハードルの高いことだと思いませんか。他にも、非常に残業が多くて家族ともろくに顔を合わせることもできない、そういった不満を経営者に対して直接ぶつける、声をあげるというようなこと、これは相当勇気のいることです。かつ、そういった不満が解消される、あるいは改善するということは、かなりハードルが高いことだと思います。一般的に働く人たちと、経営者との関係で見れば、情報量が格段に違う部分があります。同時に、働く人の方が経済的にも弱い立場にいるということは間違いない。
そういった中で、働く人たちが労働組合を結成すると、会社と対等な立場で交渉ができる。そして、自分たちの声、仲間の声を届け、働くうえでの様々な環境の改善を図っていく。これができるように、日本国憲法28条は、3つの権利を、働く人たちに与えている。憲法28条の労働三権です。1つは、労働者が労働組合を結成する権利である団結権。2つ目として、労働者が労働組合を通じて、経営者・使用者と交渉する権利、これはいわゆる団体交渉権。3つ目が、例えば、ストライキなど集団で行動する権利、いわゆる団体行動権。今申し上げた、団結権と団体交渉権と団体行動権、この3つを労働三権といって憲法が保障している。加えて申し上げれば、労働組合法という労働組合に関わる法律があります。この中で、労働組合の定義が規定されていまして、そのまま申し上げれば、「『労働組合』とは、労働者が主体となって自主的に労働条件の維持改善その他経済的地位の向上を図ることを主たる目的として組織する団体又はその連合団体」と定義されています。要するに、労働組合というのは、自分たち、働く人たちが主体となって、自主的に、会社と対等に交渉できる組織を作って、その中で自分たちの労働条件の改善を含めて、経済的地位の向上、生活の向上を図る。それが労働組合の最も重要な役割だと思います。
一方、労働組合というのは、労働者のためだけじゃなくて、経営者にとっても非常にメリットがあります。例えば、一人ひとりから、賃金を上げてくれとバラバラに求められても、経営者は大変です。労働組合という1つの組織が、みんなの声をまとめて、例えば、賃金はこういうふうに改善してほしい、残業時間をこういう形で削減してほしい、ということをワンボイスで主張してくれば、非常に効率的です。また加えて、働く人たちの様々な不満・不安・不平に対して、会社がそれに対応できる体制をつくり、しっかりと改善するということになれば、働く人たちのモチベーションも当然上がるし、やる気も出るし、活力も上がる。さらに、その結果、会社の業績なり、会社の発展に繋がる可能性がきわめて高くなる。したがって、労働組合の役割というのは、働く者だけでなくて、会社にとっても、当然メリットがある話だと思うんです。
今日はそういったことを中心にお話をしたいと思っていますが、もう1つ覚えておいてほしいのは、日本の労働組合の基盤、ベースというのは、いわゆる企業別組合、要するに、企業レベルで組織された労働組合となっています。企業レベルで組織された企業別組合が、具体的に経営者との協議、あるいは交渉を担っている。これがかなり一般的な姿です。全部が全部企業別組合ではありませんが、ほとんどが企業別組合を中心に活動が成り立っているということです。もちろん労働組合というのは、経済的な問題だけではなくて、様々な組合どうしの助け合い、あるいは社会的な問題に対して、国の政策などにも関与しながら非常に幅広い活動をやっています。これはあとで説明しますが、労働組合の組織構造の中でそれぞれ分担しながらそれをやっていまして、これはこの寄付講座のプログラムの中で、全体像がある程度網羅されているのではないかと思いますけれども、今日は企業別組合を中心に話をしたいと思っています。
また、その中で今日は、1999年の日産リバイバルプランを事例に説明しようと思います。実は、日産自動車が倒産の危機を迎えて、企業存続を図るために、フランスの自動車メーカーのルノーから、資本を受けて、提携関係を持って、事業再生に取り組んだ。このときに、例えば工場の閉鎖など様々な提案が会社からあって、それに対して労働組合が、どう対応したのかということを皆さんにお話をしたい。それは日本の労働組合、企業別労働組合がどういう役割を果たしているかということにも通ずる部分があろうかと思います。全部が成功したわけではないし、必ずしも全てが満足のいく形にはなりませんでした。ただ、そうした部分も含めて、今日は率直に皆さんにお話をさせていただきたいと思います。
労働組合の組織構造
日本の労働組合の基本構造というと、いわゆる連合のようなナショナル・センター、日本語で言うと、全国中央組織となりますが、これに、産業別組織、それから企業別組合が加盟するという3層構造になっていることをまず覚えていただきたい。
図だと4層に見えるかもしれませんけど、これは自動車産業の特殊な状況がありまして、自動車産業では企業別組合の上にいわゆる企業グループ、例えば、トヨタグループ、日産グループ、ホンダグループ等の企業別組合が集まって、「労連」という組織を作っています。日産の場合は日産労連となります。そして労連単位で産業別組織である自動車総連に加盟しています。労連単位でみると、自動車総連に加盟しているのは、12組織しかありません。
連合の組合員は、現在約686万人。ナショナル・センターというのは日本には連合以外にもあるんですけれども、日本における労働組合員の70パーセントが、連合が加盟しています。連合の仕事というのは基本的には、国や地方自治体の様々な政策を改善するために、国や地方自治体に働きかけることになります。あるいは、色々な政府や地方自治体の審議会の委員として参画するという形もとっています。、そのような中で、ナショナル・センターの場合は、自分の組織、組合員のためだけではなく、働く人すべてを代表するという意気込みと決意で、すべての労働者のために、例えば、労働に関わる法律の問題や、あるいは社会保障の問題などに取り組んでいます。ここで、連合のカウンターパートになっているのは、いわゆる経営者団体、例えば、経団連、日本商工会議所などになります。日本商工会議所は、中小企業が中心の経営者団体です。こういったところと連合は話し合いを行い、そこで例えば、賃金の引き上げの考え方を説明したり、国の政策についての意見交換をしたりということをやっています。
それから、産業別組織。自動車は自動車総連。同様に、例えば電機産業ですと、電機連合という組織があったり、地方公務員には、自治労という組織があったり、いくつかの産業別組織がここにあります。産業別組織の仕事ということでいくと、産業レベルの様々な課題に取り組む。自動車総連で言うと、例えば、自動車関係は凄まじく税金が高いんですよ。例えば、ガソリンにも税金がかかっています。これを何とか軽減して、少しでも自動車保有者の負担を減らすための活動をしています。あるいは、自動車メーカーの場合は、年間を通していつ休むのかというカレンダーを、基本的には各社でかなり共通化してます。これは自動車総連が方針を出して、企業別労組が交渉をしています。具体的には、土日休みが基本なんですけれども、それ以外にも、例えば夏休みとか、ゴールデンウィーク、年末年始の休みは、基本的には全部揃えています。自由に設定できるのは3日間だけで、あとはすべて揃えています。なぜそのようなことをするのかというと、自動車メーカーの付加価値のかなりの部分は、部品企業が作ってくれた部品を買ってきて車を作り上げるわけです。ところが部品を作る会社というのは、トヨタにも日産にもホンダにも部品を納入する。したがって自動車メーカーの休みがバラバラだったら、部品企業で働く人は休みをとれなくなってしまう。そこでカレンダーについて自動車総連がまとめて方針を作って、そこで労使関係を持っている産業レベルでの経営者団体、自動車工業会や全国の販売店協会とか、色々な経営者団体、そういったところと様々な話し合いをしています。
今、自動車総連の組合員は77万1千名です。企業別組合の数でいくと、1080あります。1000超える企業別組合が自動車総連に加入しています。その自動車総連には、日産労連だけではなく、例えば全トヨタ労連とか、全ホンダ労連とか、三菱とか、マツダとか、いすずとか、日本の自動車メーカーのグループが「労連」という形態で加盟しています。日産労連の場合は12万9千名の組合員がいます。さらに、定年退職した組合員が加入する日産エルダークラブという組織もあります。エルダークラブの場合は、月々600円の会費を徴収して、助け合い活動を行っています。例えば、年をとると生命保険に入りづらくなるので生命共済のような制度を作ったり、あるいは、カラオケ大会やゲートボール大会など様々な娯楽の場を提供したりしています。このエルダークラブが大体3万名くらいいますので、実質は15万9千名の組合員となります。企業別労組は360あります。
そして、日産労連でいうと、中心となる自動車メーカーの労組として日産労組があり、今、組合員は2万5千名です。そして、労連には、グループの部品企業や販売会社などの企業別組合が加盟しています。
以上が労働組合の構造の話で、実際に賃金の改善や労働時間を短くするといった交渉、あるいは経営に関する労使協議は、基本的にはこの企業別組合が担っているということをまず覚えていただきたいと思います。
企業別組合の強みは、不況で自動車販売台数が低迷した場合や、技術革新など働き方に大きな影響が出るようなことが起きた際に、企業別の労使関係のもとで柔軟かつ即座に対応できることです。これがこれまでの日本経済なり自動車産業なりの様々な変化に対して、企業別組合が非常に有効に機能してきたということで理解をされています。
ただ、一方で弱点もある。それは企業の枠の中での運動・活動がどうしても中心になりますから、社会的な課題に対しての感度が鈍ってしまう。例えば、非正規雇用労働者の問題があります。パート労働者や派遣社員、あるいは契約社員の人たち、そういったことについて、特に企業別組合は、これまでほとんど正社員しか組織化してこなかったため、こういった問題への対応が大変後手に回った。私が自動車総連の会長をやっているときに、ちょうどリーマン・ショックとよばれる金融危機があって、これで自動車の生産が一気に半分以下になり、多くの派遣社員の人たち、あるいは契約社員の人たちの雇用がきわめて厳しい状況に陥ったことがあります。これは正直言って私自身の反省なんですけれども、こういった問題に対しての感度というか感性というものが、もうちょっときちんとできていればよかったと思います。やっぱり企業別組合として、今までの育ちの中でやった部分で対応してきた結果が、こういった1つの結果になったと思っています。私自身の大きな反省でもありますが、こういった問題に弱い。ただ、こういった社会的問題とか企業の枠を超えた問題については、さきほど申し上げた、例えば、日産労連とか、自動車総連とか、連合とか、そういった上部団体と役割分担をしながら、それぞれやっていこうということになっています。そうは言っても企業別が基盤であることは間違いないので、企業別組合は今後もなくならないと思います。ただ、役割として、そういった上部団体に対して、企業別組合がサポートする体制を、これから強くしていかなければならないと思っています。
企業別労使関係
これは企業別労使関係というものを図にまとめたものです。労働組合が左にあって、右に経営者がある。経営者あるいは会社と労働組合というのは、、よく車の両輪だと言われます。これはどういう意味かというと、例えば、左にいた労働組合が左に行こうとする。右にいた会社・経営者が右に行こうとする。右と左とタイヤの向きが逆方向に進もうとしたら、車は当然のことながら、ロックして前に行かない。ですから、あくまでも経営者と労働組合というのは車の両輪として、前にどう向かうべきなのかを相互に考えなければならないということです。そして、労働組合と経営者の関係は、対立的な側面と協力的側面というものがあると思っています。対立的な側面を担保する制度が団体交渉、そして協力的側面を担保する制度が労使協議ということです。団体交渉と労使協議はこのあと説明します。労使関係の基本的性格、要するに、普遍的な性格ということで申し上げると、使用者や経営者などと呼ばれる労働者を雇用し賃金を支払う人たちと、いわゆる被雇用者、労働者あるいは従業員といってもいいと思いますが、いわゆる労働を提供する人との間の対立関係というのがまず基本だということをおさえていただきたい。やはり、経営者の論理、そして労働組合の論理というのは明らかに違います。これがまずベースにある。
そのうえで、日本的労使関係とよばれるものがあります。これは我々の先輩たちが、戦後の労働運動の歴史の中で作ってきた、日本的な知恵というものがこういう形で結実したと思っていますけれども、1つは、相互に独立・自立・対等の関係でなければならない。例えば、経営者が労働組合の活動に介入してはいけません。逆に、労働者から経営に介入してもいけません。相互不介入という原則があります。実は労働組合法の中では、使用者の不公正な行為というものを、「不当労働行為」と定義しています。この不当労働行為というのは、いくつかの類型に分類されています。1つは、組合員であることや正当な組合活動をやっていることに対して、不利益な取り扱いをする、例えば、労働組合の役員をやった、あるいは労働組合としてこういう行動をとった、それに対して、解雇したり、賃金を下げたりしてはいけない。それから2点目として、労働組合の結成とか運営に関して、これを支配し、これに介入してはいけない。この場合、懐柔するという手があるわけです。例えば、ある組合役員に対して、裏からお金を渡し、その代わりに経営側に有利なことをするように指示する。こんなことをやったら、労働組合としての役割を果たせませんよね。こういったことも禁止されている。そして大きいのはもう1つ、団体交渉です。正当な理由なく団体交渉を拒むことはできない。要するに、団体交渉に対して誠実に対応するということが義務付けられています。いずれにしても、日本的労使関係の特徴の1つは、相互に自立・独立・対等の関係というものが重要だということです。
それから2点目は、対立と協力の併存・調和。対立というのは、いわゆる配分を巡るものです。例えば、企業が生み出した付加価値を労働者と経営者がどう公正に分けるか、その配分の仕方は対立しますよね。それと同時に、分ける原資となる付加価値を作り出す、それはやはり労使が協力しなければ作り出せない。配分のためのパイを増やす。ここの部分については協力という関係になっています。
3点目は、基本的目標の共有です。これは要するに、企業の発展と雇用と生活の安定向上。この全てをベースにする考え方が、相互信頼という言葉になります。労働組合の立場と経営者の立場は違いますが、そのことをお互いが理解し尊重する。そういった相互理解、相互信頼というものが、このベースにあるということをぜひ覚えておいていただきたい。このことは、日産自動車の労働協約の前文にも書いてあります。労働協約は、労働組合と会社の約束事を書面にしたものです。労働組合法では、労働協約に特別の効力を与えています。労働協約の中身は、例えば、賃金はこういう制度でいくら払いますということが書いてあります。あるいは労働時間や勤務体制はこうです、といった働く条件、環境を取り決めている部分と、もう1つは、労使間のルール、例えば、団体交渉をやるときは、どういうメンバーでどういうことを論議するかなどを決めた部分があります。労使協議についても、どういうテーマでどういうシステムでどういう形でやるかが決められています。その他、ストライキをやるときにも、どのようなルールで、いつまでに会社に対してそれを通告して、どういう形でやるかという労使間のルールを決めています。この両方が契約として労働協約という形になっています。かなり分厚い中身です。この労働協約の前文に書いてある精神が、先ほど私が申し上げた内容です。労使が対等の立場に立って、お互いの責務を全うする、それによって健全な労使関係を確立し、協力して取り組んで、会社の永続的発展と従業員の雇用の安定および生活の維持向上を図ることを目的とする。これが労働協約の前文になります。
労使関係と団体交渉
次に、団体交渉と労使協議の違いを表にしてみました。
今、話した中身とかなり重なるので簡単に申し上げます。表の「目的」の欄を見てください。労使協議ではいわゆる成果の増大、つまり生産性を向上させる、それによって企業の成長、そして付加価値、利益の増大を図ることを目的としています。一方で、団体交渉はそのようにして生み出された成果というものを、労使がどう分配するのかを目的にしています。労働組合の立場から言えば、まさに労働条件の改善ということになります。当然配分の考え方というのは、経営者と労働者だけでなくて、税金として支払う部分もありますし、株主への配当を通じた還元や企業による社会的な貢献・地域への貢献なども含まれます。つまり、様々なステークホルダー(利害関係者)に対しての配分というものをどう考えるのかということです。ただ、ベースはやはり働く人たちと、そういう人たちを雇用している会社との関係の中で、どう成果を分配するか。
したがって、労使の関係でいくと、労使協議というのは、共通の理解のための協力、パイを大きくするということ、これは労使対立しませんよね。だって、賃上げしようと思っても収益が上がらなければ、賃金を引き上げるのは難しい。これが共通の利益のための協力ということで、労使関係のベースになります。一方で、団体交渉は、分配を巡る利害の対立、これは言うまでもないわけですね。
したがって、労使協議のテーマは経営政策とか企業運営上の諸問題などきわめて広範囲にわたります。これは後ほど具体的な事例でご説明します。一方、団体交渉は、雇用や労働条件に加え労使関係上のルールを決めます。団体交渉には誰と誰が出て、どういう論議をして、どういう形で決着するのか、あるいはストライキをするときのルールなどを結構細かく決めます。なぜなら、自動車会社で言えば、熱処理やエネルギー関係の設備などは24時間動かさなければなりません。これをストライキで途中で従業員が抜けて1回でも止まったら、次は動かなくなってしまいます。なので、こういったところについては最低限の人数はストライキから外すとか、事前に全部取り決めをしている。
それから、この労使協議の中身について、いわゆる経営政策に関しては、これは「労使間の合意」の欄に書いてある通り、組合主張の尊重、決定は使用者の責任という関係になります。正確に言うと、使用者は組合の主張を最大限尊重しますけれども、最終決定はあくまで経営者です。労使合意は必要ない。最後は経営者が決めることができる。ただ、決める際には労働組合の意見を最大限尊重する。これはなぜかというと、経営者が決めるにしても、やはり働く人たちには現場の知恵というのがいっぱいあるわけです。かつ、労使が合意するということは、全社的にみんなが理解するということです。企業活動というのはやはりチームプレー。例えば、海外へ工場を出します。そのためには色々な部署がそれに協力する。ただ、それに対して「そんなことをしたら国内の雇用がなくなってしまうのではないか」、という不安を抱えながら仕事をするよりは、労使が話し合って、これはやっぱり頑張ろうという形で方向が一致したほうが、全社的な協力体制が高まる。そうなれば、より迅速に効果が発揮される可能性が高まることになります。
一方で団体交渉は、交渉の結論を必ず出さなきゃならない。これは労使合意が絶対的に必要です。労使合意ができないときには、争議行為に移る。典型的なものはストライキになります。この争議行為については、労働委員会という中央レベルと全都道府県にある独立行政委員会に訴えることによって斡旋や調停がはかられます。例えば、少しお互いに頭を冷やして、こういう形でやったらいいんじゃないのというような斡旋案とか調停案が出てきて、それを尊重する。このような解決手段があります。日産労組の場合は、平和条項というものを労働協約で定めていて、事前に労働委員会による斡旋や調停をはかることにしています。そこでうまくいかなければ、いわゆる最後の手段として、争議行為に打って出るということになろうかと思います。
争議行為というのは、今、日本ではかなり件数が減っています。私は30年間労働組合で活動をしていますが、自分が責任者になって争議行為をやったのは、1回だけです。これは、自動車総連の会長のときに、茨城県のグローバルレベルの部品企業なんですけど、労使間で大きな問題が発生しました。具体的にお話しますと、経営者が不当労働行為をして、組合役員に対して、賃金を下げたり、不当に配転しようとしたりして、かつ、それに合わせて、組合役員の多くが働いている工場を閉鎖して、海外に持っていこうというようなことがありました。その提案が出されて「これはやっぱり労働組合としてストライキでしか解決できない」と判断しました。もちろん、ストライキの前には、私も直接出席して十分な団体交渉をやったのですが、うまくいきませんでした。それで、ストを打ちました。結果としては、4日間生産ラインが止まりましたけれども、会社が当初の提案を全部引っ込めて、かなり健全な方向で解決した。実は、労働組合にも色々問題があったのです。それで、自動車総連は、この会社を良くするために、もう一度労使関係を作り直しましょうと提案しました。先ほど申し上げたような、企業別労働組合の考え方というものを、もう一度労使で勉強してもらう機会を1年間、自動車総連の本部から現地に役員を送って、労使関係の立て直しをやりました。そしたら会社がとても良くなりました。この会社もともと素晴らしい技術力を持っていて、自動車関係のゴムの部品会社なんですけれども、トヨタから日産からホンダから日本の自動車メーカーのほとんどに納入していて、グローバルに、海外メーカーにも納入しているし、きわめて優秀なメーカー。でも業績が上がらなくて、当時ボーナスが年間1ヶ月くらいでした。これが争議の後、去年の事例でいくと、年間5ヶ月のボーナスまで、要するに5倍に増えるぐらいに業績が伸びました。これは労使がきちんとしたコミュニケーションをとって、労使が話し合って、問題を解決するという形の体制をとれてきたからです。そのときにストをやったんですけれども、私が実質指揮をしながらやったのは、この1件だけですから、今争議というのはかなり回数的にはは減っています。できるだけ話し合いの中で解決するということを、われわれは求めます。しかし、どうしてもこれは解決できないというときには、最後の手段として、ストライキも含めて、労働組合としての役割を果たしていくことが必要になる場合もあるということだと思います。
1点、団体交渉について、さっきも少し申し上げたんですけれども、憲法28条で団体交渉権が労働組合に対して保障されています。これは使用者が団体交渉を正当な理由なく拒否するというのは、不当労働行為として禁止されていますので、労働組合から要求があった場合には、きちんと受けないといけないということと同時に、誠実団交義務というのがありまして、形だけ団体交渉をやったのではダメ、ということがあります。要するに、経営者として、ちゃんと主張の根拠を示す、必要なデータを提示して、合意を得るために最大限努力するという姿勢が問われている、ということを付け加えておきたいと思います。
日産自動車における労使協議
次に、日産自動車における具体的な労使協議の仕組みについて申し上げたいと思います。
まず、日産労組では、中央労使協議会というのを年に2回やっています。これは経営政策とか経営課題とか企業業績、あるいは中期経営計画などを取り扱います。この出席者は、組合が10名、会社も10名。お互い10名で同数としているのは、労働協約で人数を決めているんです。どういうことを論議しているのかというと、例えば、日本で作っていた車の生産を海外に移すという海外進出。そうなったときに、どうやって日本の雇用を守るのか。いわゆる海外戦略を進める際の、国内の雇用確保や事業を進めるうえでの様々なリスクについて、どう会社が考えているのかということを労使が協議します。また、開発力強化に向けて、日産の直近の例でいくと、電気自動車にかなり開発力をシフトしています。それが果たしてハイブリッド車との関係で日本の市場において、われわれの雇用を守るだけの台数というのがきちんと確保できるのかどうか。そういった経営に関わる全ての項目を協議します。これは基本的には労働組合が職場と論議をしながら、どういったことに組合員が不安を覚える、あるいは関心を持っているのかということを事前に調査した上で、いくつかのポイントになる論議項目を整理して会社に要求をします。こういったことを論議したいという要求です。それに対して会社の方からは事前にそのためのデータとか、考え方に関する書類などの情報が提供され、労働組合は事前に読み込んだ上で労使が論議をする。
労働組合の強みは何かというと、現実の活動をやっている人たちというのは、組合員なんです。例えば、海外で生産を立ち上げる、あるいは、営業上の色々な案件を企画する、場合によれば、CMで矢沢永吉を使う、こういったことの多くは組合員が企画して練ったものです。労働組合は組合員から、そういった情報を聞いた上で、それを主張に反映するわけですから、非常に臨場感のある主張になるわけです。また、そういった中で、会社としての気づきがあれば、ここはちょっと修正するとか、ここをどういう形にしたほうがいいとか、組合の同意を得るように努力をするという形になります。
同じように、生産分科会というのが年に2回あります。これは日産の場合は、4月から9月までを年度の上期、10月から翌年3月を下期という形で2期に分けて、それぞれ期がスタートする1ヶ月前に生産分科会というのを設けて、自動車を何台つくるのか、何台販売するのか、そのために何人従業員が必要なのか、そのときの勤務体制、具体的には残業や年休などはどうするのか、そういったことを全部確認した上で、その計画の実行に入ります。出席者の人数に「程度」と書いてあるのは、これは労働協約で人数を確定していないので、実質10名程度でやっているということになります。そうはいっても、広範な論議項目がありますから、生産分科会でできないものは、販売・海外・技術・厚生・開発などの他の分科会で議論されることになります。厚生は分かりにくいと思うんですが、例えば、寮や社宅とか、組合員の住宅購入への支援の問題とか、食堂とか、そういったもの、いわゆる福利厚生に関わる、あるいは企業から提供する様々な健康保険の関係だとか、そういったものを論議します。
次に同じような形で、月次生産協議というのを毎月やっています。毎月、翌月以降の生産販売計画を全部ここで論議して、問題があるかどうかということを確認します。例えば、モデルチェンジした新車を投入する。果たしてその生産の準備が上手くいっているのかどうかというのを事前に確認します。組合は、今の体制のままじゃ上手くいかないので、もうちょっと人を投入してほしいとか、そういった話を会社側に提案します。
④の特別労使協議というのは、雇用とか生活に直接影響するような施策について、適宜論議をしていくということであります。
それから、勤務・働き方・労働条件に関する労使検討委員会というのがあるんですけれども、ここでは、現段階の委員会の名前を書きだしました。賃金制度とか、生産現場の働き方とか、海外勤務、60歳以降の働き方、パートナー組合員などを議論する。シニア社員というのは、日産は60歳で定年なのですが、65歳までは希望者全員働けるので、60歳以降になったら、このシニア社員という形に職務が変わります。このように難しい課題は、労使でメンバーを限定した委員会をつくり、継続的に時間をかけて話し合いをしています。私のときは、女性の参画、女性の活躍をどういう形で社内で実現するかを話し合いました。今、日産は結構女性登用が進みまして、それでもまだ少ないんですが、管理職の10パーセントが女性となっています。今、自動車は女性の声が入らないと絶対売れないんです。私が若い頃も、車を買うかどうかというのは、当時も女性が確かに決めていました。ただ、どの車を買うかというのは男性が決めていました。今はどの車を買うかというのも女性が決める時代ですから、開発関係も含めて女性の声をしっかり受け止めないと、本当にユーザーニーズにあった車は開発できないという状況になっています。そのような理由も含めて女性の活躍を労使で進めていました。今はどちらかというと、シニア社員とか契約社員、短期間の有期雇用の問題を委員会で論議しています。なお、60歳以降の人の働き方というときに、60歳以降になると1回定年になって当然賃金下がるので、それが下げすぎではないか、もうちょっと引き上げないといけないという労働条件の改善の話になった場合は、委員会は打ち切って、団体交渉に移る。団体交渉で今度は組合が要求して、例えば、現役時代の4割しか賃金が出ていないけど、6割にすべきだとか、それについて団体交渉で決める。こういうパターンがあります。
次に、日産労組の各支部、地区という資料がありますので見てください。
各支部というのは、事業所単位ということになります。例えば、工場とか本社とか開発。工場は例えば、日産の場合は、栃木や神奈川、九州などにあり、支部という単位で労使協議をしています。これは全部、事業所の労使で、要するに、先ほどの本社・本部間の論議等を受けて、より細かい具体的な議論をする。例えば、来月、車の生産計画からすると、土曜日に2日間だけ休日出勤をしなきゃいけない、そこまでは本社・本部間で決めるんですよ。でも、その2日間をどの曜日にやるかということは、支部に任せる。要するに、例えば、福岡に近い工場では、この日に祇園山笠といったお祭りがある。そうなると、その日は外さないと、どうせ工場を動かしても誰もこないぞということで、この日を休みにしようと。そういった部分で分担しながら支部が決めるという形になります。月次生産協議もそうです。
最後に、職場ごとの労使意見交換会というのがあります。
要するに、ここでは職場環境の問題とか、残業とか、年次有給休暇などについて話し合います。例えば年次有給休暇とは、従業員にそれぞれ付与されて、個人で休みを指定して取得できるものですが、これが本当にきちんと取得できるのかどうかということを話し合います。自動車の場合は、年次有給休暇は、トヨタ・日産・ホンダは、ほとんど100パーセント取得できます。どうやってやると年休がとりやすくなるのか、1つだけ言っておきますと、管理職の評価の対象にするということです。要するに、年休を取らせない管理職は無能だ、部下をきちんと休みをとらせてしっかりリフレッシュして働けるような環境にしない経営者、監督者、課長なり部長なりというのは、マイナス評価だと。日産の場合は、これを入れてから一気に年休取得率が上がりました。
日産自動車における団体交渉
次に団体交渉。これは日産自動車における団体交渉、具体的には今年の春季生活闘争を簡単にパターン化したものです。自動車総連、日産労連、日産労組と階層化しています。もちろんナショナル・センターである連合が大きな方針、大枠の考え方は出すんですけれども、実際の要求案などは、産業別組織以下で作っていきます。これはもう見た通りです。それぞれ毎年秋くらいから論議を始める。1つ注目していただきたいのは、要求案を検討する際に、上部団体といいますか、例えば、日産労組では日産労連の方針作成に参加している。さらに日産労連は自動車総連の方針決定に参加している。自動車総連は連合の方針決定に参加するという形で、企業別労働組合の意見というものをナショナルセンター・レベルまで繋げるような仕組みになっているということをご理解いただきたい。どのようにして賃金の要求をしているかというと、これはすさまじい分析をやるわけです。企業連レベルも単位組合も。世界経済、日本経済、物価動向、雇用情勢、それから組合員の生活実態を知るためにアンケート調査をやったり。それで一体どういったところを論点にしながら今年は要求を組むかということを本当に真剣に論議しながら決めている。それも幹部だけで勝手に決めるんじゃなくて、職場の中の討議の積み上げで決めています。
それから、あとは2月から団体交渉に入っていくわけですけれども、団体交渉の出席者は日産労組の場合は、労使それぞれ10人。これに傍聴が20人くらい加わる。例えば、経営側では事業所の事業部長とか、工場長などが傍聴で入る。労働組合だと支部の委員長などの役員の人たちも入る。そして、今年の場合は2月15日に要求書を出して、団体交渉を3回行いました。自動車総連の場合は全部同じ日にメーカーが交渉します。回答日もこの日の10時ということで日時を指定する。実際、指定の日時に回答を引き出せるのはトヨタ・日産・ホンダくらいしかないんですけど、その日のうちには基本的にはメーカーは全て結果を出す。いわゆる集中回答という形をとっています。団体交渉の場合は、職場に交渉の中身をかなり細かく機関紙に書いて、全部翌日の朝に配る。それと昼休みには集会をやる。工場だと、場合によっては1000人くらいで集まってもらって、そこで、こういう交渉になっている、だから最後までわれわれを支持してくれという形で組合員に訴える。それに対して組合員は、どう思ったのか、どう考えているのか、どういう希望を持っているのかということを全部紙に書いてもらいます。日産労組の場合は約2万5千名組合員がいますけれども、大体1回で7千枚くらい紙が集まってくる。その中身を全部分析して次の交渉にいかすというサイクルで交渉しています。3月15日の団交が回答日になるのですが、まあ賃金を決めるというのは大変で、私も委員長のときは何度もこの団体交渉を責任者でやりましたが、結局やっぱり人と人との関係なんですね。だから、団体交渉というのは結構人間性みたいなものが出てきます。私も委員長のときにですね、3回目くらいの団体交渉だったと思うんですけれども、実は、その前日にお腹壊しちゃいまして、これなんで壊したかというと、一緒にやっていた若い組合役員と牛丼を食べに行って「フルコースで食べませんか」って言われて、思わずそれに乗っちゃった。フルコースって何かというと、牛皿と牛丼の大盛とみそ汁なんですけど、全部食べたらお腹壊しちゃいます。それで団体交渉の最中、お腹が痛くなっちゃった。お腹が痛くて、そのときに限って、会社の社長の答え方が非常に曖昧な答え方で、具体的な数字を提示してこない。いくら出せるんだといっても、いや、そこはもうちょっと検討してと。流石に頭来たということもあるんですけれども、それ以前にトイレに行きたくなった。まさか途中でトイレに行ったら恰好つかないわけです。どうしたか。団体交渉を打ち切ったんです。突然私が立ち上がりまして、これ以上論議をしても無駄だと。したがって、本日は団体交渉を打ち切って、会社も頭を冷やして、もう一度考えて、団交に臨んでもらいたいということで、退出しちゃったんです。一緒に団体交渉に出席している組合側のメンバーはそんな事情を知りませんから、委員長が出ちゃったんで、まさか残るわけにはいかないんで、全員退席。多分日産労組始まって以来のことだと思います。そのまま私はトイレに直行したんですけれども。そのあと会社側は、残った経営側のメンバーで論議をしたら、委員長の顔がきわめて真剣なんてもんじゃないと。食い入るような眼で団体交渉を打ち切ったと。これは相当な決意だと、組合は。ここはやはり社長、ちゃんとある程度前向きに対応しないとえらいことになります、という話になって。その結果、当初私どもが考えていた以上の回答が取れたということがありました。ただこれは何度も使えない手なんですけれども。まあそういった、色々人と人との交渉のなかでの話だから、そういうことはやっぱり出てくる。そんなこともあります。つまらない話ですけれども以上でございます。あと、日産労連の関係は後ほど見ておいていただければいいと思います。
日産リバイバルプランにおける労働組合の対応
具体的な事例として、冒頭に申し上げた1999年の日産リバイバルプランについて説明したいと思います。1990年代に日産は凄まじい経営危機が続いていました。理由は3つです。1つは車が売れない。市場で売れたすべての車の台数に対する日産自動車の割合を日産の販売シェアというんですけれども、グローバル販売シェアが1991年に6.6パーセントあったんですが、なんと99年に4.7パーセントまで下落してしまった。2点目は利益が出ない。なんと91年から99年までの8年間で7年が赤字。この利益が出ない途中の4年間、私が日産労組の委員長だったということになります。3つ目は、巨額の有利子負債。特に自動車事業に関連する有利子負債、要するに、借金が多いということです。車が売れない、利益が出ない、そして借金が多い。99年当時の段階で、日産は1兆3500億円の借金を抱えていた。それでも92年、93年頃には3兆円くらい借金があったんで、一所懸命コツコツ返していたんです。返していたけれども、ちょうどこの90年代の後半というのは金融危機といって、多くの金融機関の経営がうまくいかなくなって、お金が貸せなくなった時でした。そのため、日産みたいな危ないところにお金を貸せるかという話になる。しかし、自動車というのは新車を1台開発するのに、例えばモデルチェンジをやったら数百億円かかるわけです。エンジンなんて下手すると1千億円単位の開発費用がかかる。だから、お金がないと、魅力ある車、商品が出せない。
こういった中で、労働組合の認識としては、日産あるいは日産グループというのはまさに存亡の危機にあるということでした。それから、生き残っていくためには、働く者、われわれもある面、痛みを承知で、抜本的な事業構造改革をやらざるを得ないんだというふうに覚悟しました。当時日産は、ダイムラークライスラーといって、今は分かれてしまいましたが、ドイツのダイムラーベンツと、アメリカのクライスラーという自動車会社が合併している会社から支援を受けるという形で提携交渉をしていました。ところが、99年の、忘れもしない3月10日に、ダイムラークライスラーが、もうこの交渉は打ち切るということを一方的に発表してしまったのです。突然発表されて、日産自動車の格付けといって、要するに日産自動車の信用は、投資不適格、つまり、日産なんかに投資したらお金が返ってこないということが、格付け会社からバーンと発表されて翌日には株価が大暴落。まさに日産が倒産する直前まで行ったわけです。そうした中、3月17日に、それまで水面下で交渉してきた、フランスのルノー社から、いわゆる資本参加を含む提携の申し入れがあって、ようやくそこで一息つきました。ルノーが6千億円以上のお金を日産に対して拠出し、そのお金で日産は銀行に借金を返して、そこから再建をスタートしたという形になります。
リバイバルプランというのは、3ヵ年の日産の経営再建計画のことです。その計画には、3つのコミットメントがありました。それは、2000年度に、連結当期利益を黒字化する、営業利益率4.5パーセント以上、そして借金を何千億円未満にするというものでした。そして、このときにカルロス・ゴーンが最高執行責任者としてルノーから送られてきました。彼が来たときに労働組合が最初にやったのは、日本的労使関係、そして日産の労使関係というものを、しっかりと理解してもらわないといけないということで、話し合いの場を持ちました。私も含めて日産労連と日産労組の役員4人でゴーンのところに行きまして、先ほど皆さんにご説明した日本的労使関係、そして日産の労使関係について話をしました。そのときにゴーンが4点についてコメントしました。1つは、日産を再建するためには、労働組合の協力が不可欠だということ。それから2点目として、労働組合と経営側が異なる認識・見解を持つのは当然だけれども、誠実な協議・交渉を通して、共通の理解に立つことが重要である。それから3点目として、労使のパートナーシップが重要である。したがって、健全なコミュニケーション・ラインを維持する必要があるということ。そして4点目に言ったのは、組合の意見・主張は明確に尊重するということでした。
われわれ実は、リバイバルプランの発表まで、ゴーンのことをきわめて警戒していました。当時カルロス・ゴーンは、「コストカッター」という名前で知られていました。ルノーが90年代前半に経営危機を迎えたときに、相当な事業構造改革、リストラをやったんです。ベルギーの工場を閉じたときには、ベルギー政府を巻き込む大変な労使紛争が起こりました。そのため、われわれはゴーンに対して非常に警戒心を持っていました。例えば、ゴーンと協議する際、しばらくは労働組合側の通訳と会社側の通訳と両方用意しました。それは、会社側が用意した通訳だけだと、不利に訳される可能性があるからです。ただ、彼の場合は、コストカッターというあだ名が、そのあと「セブンイレブン」になった。要するに、朝7時から夜11時まで働いている。そういう面では、少し雰囲気が変わってきたんですけれども、少なくとも、われわれはこの段階では、不安とか警戒心が払拭できませんでした。ただ、日本的労使関係を理解しようということについては、われわれのそういった姿勢は伝わったと思っています。
その後、7月に労使トップ会談というのをやって、組合は、ゴーンに3項目の申し入れを行いました。1つは、抜本的な経営改善策の策定と労使による目標の共有。2点目として、目標の達成責任の明確化。3点目として労使関係の重視。これは結果的には申し入れは守られたということになります。雇用・労使関係に関わるあらゆる決定項目、先ほど労使協議は、経営側が最終的にはやっていいよ、合意は必要ないということを申しましたが、ただ雇用に関わる部分ですから、これはやはりきちんと合意をとっていこうということで申し入れをして、それをゴーンは受け入れたわけです。
もう1点、われわれがゴーンに対する信頼を高めたのは、2番目の、目標の達成責任の明確化、要するに、2000年度に黒字化します、2001年度にはこうしますという数字について、これを達成できない場合は、あなたはどう責任をとるのかと、労働組合は、中央労使協議会でゴーンに迫ったんです。それに対するゴーンの回答は「コミットメントが未達となった場合には、交渉相手が変わる。われわれは誰もいなくなる」というものでした。副社長以上のECメンバーは全員いなくなると。しかも、何も条件をつけませんでした。例えば、為替レートや市場の変化によって自動車の経営状況というのは大きく影響を受けるのですが、どんな状況だろうが、コミットメントが達成できなかったら、俺も辞めるし、ここにいるECメンバー全員が辞めると。そこまで覚悟するのか、というのはありました。
リバイバルプランは、99年10月に社内外に一斉に発表されたのですが、このとき大きなポイントになったのは、発表前に労使協議に入っていたということです。日産労組と日産労連、特に日産労組が中心になって協議に入っていた。実は、ここでの協議内容が外に漏れると株価に影響してしまうので、その場合はインサイダー取引となって証券取引法で捕まってしまいます。したがって、守秘義務というものを負わなければいけない。ただ、これはオープンにしてから論議したというのでは遅い。そこで、われわれもメンバーを限定して協議に臨みました。これだけの内容ですから。特に村山工場をはじめ、工場の閉鎖などは雇用にかかわる問題です。なので、事前に組合員には報告できないですけれども、執行部の責任で労使協議に入りました。労使協議の際に、いくつかの確認だけしました。それは先ほどの繰り返しになりますけれども、こういう問題については、労使がきちんと合意できなければリバイバルプランには協力できないということ。それともう1点は、日産労組の雇用確保の3原則、要するに、「雇用を守る」ということの定義を確認しました。例えば、希望退職とか色々ありますけれども、無理やり辞めろというふうに迫られて、個人が自分の意思に反して辞めさせられたと思ったら、それは雇用を守ったことにならない。1人でもそういった人を出すのであれば、われわれはリバイバルプランには合意ができないということを条件にしました。これについては会社が、守るという条件で、これがスタートしたという形になります。
このとき、経営に関わる施策もかなり広範囲にわたるので、日産労組と日産労連で分担をしながら協議をやりました。特に中心になったのは、日産労組の村山工場閉鎖の問題なので、ここに特化してお話をさせていただきたいと思います。
日産の村山工場というのがあって、ここでマーチやスカイラインなどの量販車や高級車をつくっていました。非常に優秀な工場でしたが、これを閉鎖することになりました。閉鎖したら、そこで働いていた人の雇用はどうなるのかと。会社の提案は、マーチという車は追浜工場で製造します、スカイラインは栃木工場で製造するので、そこでみんな働いてもらいたいということでした。働いてもらいたいといったって、それは家族の問題、地域との関係含めて、簡単に決着がつくものじゃないし、組合員が本当に異動できる状況がつくられない限りはできないわけです。
まずこれがオープンになったときに、日産の社内、組合員にはどういう形で受け止められたかというと、端的に言うと、不安と期待がありました。不安というのは分かりますよね、雇用と生活はどうなるのかという不安です。会社は本当に倒産しないのかという不安。雇用がどうなる、労働条件がどうなる。その一方で期待があったんです。どういう期待かというと、90年代ずっと日産は様々な厳しい施策に取り組んできて、いい加減にもうここできちんと会社を立て直して、安心して働ける会社にしてほしい。これが期待という形で出ました。ただ、村山工場の組合員から見ると、冗談じゃないと。不平不満、そして非難の嵐。要するに、一言でまとめるというのは難しいんですけれども、村山工場の人たちの当時の気持ちというのを端的に申し上げると、日産の再建に改革は必要だと、それは理解する。だけれども、何でここまでやるんだと。それともう1つは、なぜわれわれがその犠牲にならなきゃならないんだと。こういうことです。
日産労組の協議は、まさにこういった声に沿う形で進みました。われわれ本部の役員も、もちろん村山支部の組合の役員も、連日職場に入って様々論議をしながら、その声をいかす形で協議を継続しました。その中で、ある程度の時期が経ったときに、ちょうど翌年の2月くらいだったと思いますけれども、工場閉鎖について納得はしない、納得はしないけれども、ぎりぎり理解する、というのが職場の大勢になったんです。理解するけれども、ただ、本当にきちんとみんなが別の工場に移ることができるのかどうか、要するに、団体交渉で異動するための様々な環境整備、条件をきちんと作って、実質的にわれわれの雇用を守ってほしいという声に、村山工場全体の意見が集約されました。そこから、われわれは異動のための条件、例えば、東京の三多摩地区から栃木や追浜に移るわけで、家族を連れていく人たちも、家を売って向こうで家をまた買う人、社宅に入る人、そして単身赴任者も当然出てくるわけです。そういう人たちの条件、これについては、対象となる職場の方からアンケートをとって、要望・意見を労働組合で集約して、団体交渉に持ち込みました。
実は、このとき会社側は、組合の要求に対してほぼ満額に近い形で回答をしました。それはなぜかというと、われわれはこういうことを言ったのです。今回、村山工場が閉鎖して、他の工場に移る人たちというのは、日産自動車の再生を本当に信じている。信じてなかったら行きませんよね、会社が危ないのに、わざわざリスクをとって、今まで住んでいたところから離れて、違う土地で新しく生活をスタートして仕事に入る。彼らが一番日産を信じているんだと。しかもその中で仕事をしようというわけだから、再生計画に対してきちんと参加しようと前向きな組合員がこれ以上いるかと。彼らに対して最大限報いるのが会社の責務だと言ったのです。そこまで言われたら会社は抵抗できないです。それで労働組合が提示した条件については、会社側はほぼ受け入れました。例えば、赴任の特別条件として、最大300万円の一時金を払うとか、単身赴任となった場合の帰郷旅費を月2回から3回にするとか、家族がお父さんに会いに行くための体制を作るとか、東京で学生生活を送っている社員の子どもたちに対しては日産の独身寮を開放してそこから大学に通ってもらうだとか、ありとあらゆることを考えて、細かく要求しました。ここまで制度が整えば、少なくとも自分の意思に反して辞めるという人は出ないだろうという確信の中で、労働組合は団体交渉を終えて、職場に提案をしました。日産労組が、日産リバイバルプランに合意したのは2000年5月です。前年の10月に提案されて、それ以降の約8ヶ月あまりで、約100回以上、本社・本部間の協議・交渉がありました。移動対象の個々人に対しては、会社側は1人あたり3回の個人面談をし、異動のときにどんな問題があるか、家族の健康状態とか、あるいは様々な経済的な状況だとかというのをヒアリングしていく。労働組合は、会社が従業員に対してヒアリングをするときのやり方については、そのやり方やマニュアル作りに参加をして、誤解が出ないようにやりました。異動した後の条件についてもかなり協議をやりまして、例えば、村山工場から栃木に移って同じ自動車の組み立てをやる方についても、1年間は査定を下げない。アップはあっても、下がるのは1年間禁止するとかですね。あとは、数年間にわたって、そのあと村山から移った人たちが、昇進について不利にならないかどうかというのを労使で確認するようなこともやりました。
これはあまりオープンになっていない数字ですけれども、村山工場の閉鎖によって、実はそれでも移れない人はいたんです。やはり家族の病気の関係とか、色々な形で、どうしても村山から移れないという人がいました。その方たちが約300名おられた。その300名のために、3年間限定で生産工程を村山工場内に残したんです。生産工程を残したというのは、車はもう作れませんから、経済的には割が合わないのですが、部品の工場を作って3年間そこで働いてもらって、その間に、地域の中で日産の関係会社とか、日産としてきちんと世話ができる職場を開拓して、その人たちに斡旋するという形で、3年間、最後の1人まで雇用が確保されるという形を担保して、300人分の仕事を作りました。結果として、300名の方が、いわゆる出向とか転籍という形で、関係会社等に行ってもらった。出向というのは、籍は日産に残って、違う会社で働く人たち。転籍というのは、籍も移って、日産を辞めて、退職して、他の会社に行く人たち。出向と転籍って、皆さんも将来対象になるかもしれないので覚えておいてください。出向というのは、あくまで企業の籍はそのまま残っている。だけれども違う会社で働く。転籍というのは、籍も移っちゃう。だから退職して行く。結果的に、この300名の方と、2300名の方が他の工場に移ってもらった。その他、530名の方が、定年退職と、それから転身支援制度を利用した自然退職というかたちで日産を去られました。転身支援とは、定年前に辞める方の退職条件を優遇する制度です。それを活用して、村山工場の場合は、退職時の条件を少し引き上げることにしました。
2001年3月に生産を中止した日産車体の京都工場なども、ほぼ同じやり方で対応しました。日産車体も日産労連に加盟している会社で、京都の工場を閉鎖する際には、どうしても移ることができないという人には、200名分のマイクロバスを製造する新しい会社を作って、他の方には、平塚の湘南工場に移っていただきました。他にも、車両とエンジンをつくっている愛知機械という会社では、幸いなことに、閉鎖対象となった港工場のすぐ近くに本社工場がありましたので、本社工場と日産への転籍で雇用を吸収するということになりました。
最近の新聞で、ときどきリバイバルプランの話が出て、2万1千名従業員を減らしたとか解雇したとか出ていますけれども、実は、あれ解雇じゃないんです。まさにこれは数字のマジックになるんですけれども、この数字の中には連結会社が含まれています。連結会社とは、1つの会社が、子会社の株式をある程度の割合以上持っていると、同じように決算とか全部一体的に捉えて1つの会社みたいに扱う制度ですが、リバイバルプランの際にこうした関係会社の株式をずいぶん売って、関係会社が日産から離れて、自力でやっていくことになりました。その際に連結から離れた会社の人数というのが、約1万数千名いました。それが実はこの2万1千名の中にカウントされている。それとグローバルレベルでやった話なので、それも2万1千名削減に含まれています。もともと労働組合も、これはちょっと解雇という形にはならないというふうに認識していました。現実、日産自動車は、あの後3年間に、人が足りなくなって1万4千名採用しているんです。ですからそういう面では、何とか雇用は維持できたかなというふうに思っています。
最後に一言だけ言うと、日産自動車は、資本が外資系の企業に代わりましたけれども、日本的労使関係は一応守られている。それと、労働組合が、全部ができたと思っていないし、やはりいろんな思いを持って辞めた人もいたことは間違いないと思うんですけれども、少なくとも無理やり辞めさせるということを阻止できたのは、労働組合があったからだと思います。カルロス・ゴーンは、サラリーマンとか働いている人の気持ちはよく知っているんですよ、日産自動車は、よく従業員に対して意識調査をやるんですけれども、彼は、会社の意識調査はあまり信用しないと言います。労働組合も同じことをやってくれと何度も言われて、同じような調査をするんです。それはなぜかというと、会社がアンケートをとって、それが部長や課長などの管理職から従業員に降りてきて、例えば、今の経営者を信用できますかという問いがあった場合に、従業員が本当のことを言えるのかと、まだ労働組合の方が正しいだろうと。それはそうですと、そういうことになります。
ただ、ゴーンと意見が大きく分かれたことがありました。ゴーンが就任して日産は経営の意思決定のスピードがすごく早くなった。ゴーンからは労働組合に対しても、意思決定、要するに、協議・交渉で決断をするのを早くしてくれという要請がきました。これは正直、労働組合は断りました。なぜなら、意図的に遅らせるようなことはしないし、努力はするけれども、しかし、労働組合と経営とは組織構造が違う。経営の場合はトップダウンです。特にカルロス・ゴーンのようなカリスマ的経営者がいて、トップダウンで落ちてきたら、それをきちんとやり遂げるというのが企業組織。でも労働組合というのは職場がスタートなんです。職場が原点で、そこで論議をして積み上げて、その合意をもってわれわれは声につなげていく。したがって、民主的な論議をするなかで、時間もかかるしお金もかかるわけです。そこはやっぱり労働組合と会社の違いだと思っています。
まとめ
最後に一言だけ申し上げておきたい。私ももともと労働組合の役員になるにあたって、それほど自覚的な形で、高邁な理想や理念があったわけではありません。どちらかというと、様々な状況のなかで、もう逃げられないというか、そういった部分もあって、ここまでやってきました。でも私は30年間やって、労働組合役員をやって本当に良かったと思っています。職場では人と人とのかかわりのなかで物事というのは進んでいく。その中で労働組合が果たしている、そして果たすべき役割というものがあります。今日は企業の労使関係の話が中心ですけれども、この講座全体のなかで、様々な労働組合の活動を皆さん聞いていただけると思います。そして、みなさんが就職して、組合専従役員をやれとまでは言わないけれども、少なくとも労働組合から協力を求められたら、極力それに参加し協力するような姿勢だけはとっていただきたい。そして、最後は自分たちの拠り所として、働く者の仲間が、それはあなた方1人ひとりがそれを作り上げていく。そのことを是非忘れないで、これから社会に出ても頑張っていただきたいと思います。
以 上
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