職場の課題とその取り組み
雇用と生活を守る取り組み[2]~労働組合をつくる
1.はじめに <大出>
(1)自己紹介
みなさんこんにちは、連合の大出と言います。現在、連合本部でアドバイザーをしています。
まもなく70歳になる私が社会人としてスタートをしたのは1967年です。栃木県にある中堅の繊維メーカーに入社しました。日本では今、一世を風靡した電機産業が、産業構造の変化から国内空洞化の問題に直面していると言われていますが、繊維産業も遡ること30年ほど前、すでに日本に工場を置かずに、東南アジアや中国や台湾などに工場を移しました。その結果、国内の繊維産業は合理化が進み、人減らしによって事業規模が縮小していくという過程にありました。私が30代半ばを迎えた頃、縁あって、UAゼンセンの前身であるゼンセン同盟で仕事をすることになりました。このゼンセン同盟における最初の10年間は、組合をつくることが専門でした。その後は結成した組合の運営についての指導や助言などを行いながら定年を迎え、現在連合でも、労働組合の結成を支援する仕事をしています。
(2)「労働組合」には愛がある!
「組合」というと、農業協同組合あるいは漁業協同組合などもあり、必ずしも「組合=労働組合」とストレートに受け止められることばかりではありません。
みなさんにお伝えしたいことは、この組合の「合」という文字を、愛情の「愛」に置き換えて労働組合を理解してほしいということです。愛がないのは組合ではない、単なる「組」です。労働組合は愛があるから労働組合なのだ、愛がなければ労働組合とは言わない、私はそう考えています。
(3)労働組合の歴史・理念を知ろう
本題に入るまえに、労働組合の歴史にふれておきたいと思います。18世紀から始まったイギリスの産業革命によって、人手を使っていた仕事がどんどん機械に取って代わられる、極端な言い方をすると、人がいらなくなるという事態になりました。そこで、「労働者に仕事をさせないとはけしからん」ということで、労働組合の活動が芽生えてくるわけです。働く人たち同士が、お互いに助け合う、つまり相互扶助の考え方のもとで、労働組合は育っていきました。
日本の労働組合の歴史は、「友愛会」に遡ります。ここにも「愛」という文字が出てきます。友愛会は、労働者同士がお互いに励ましあう、あるいはお互いに助け合うという形で発展をしてきました。日本は、第二次世界大戦の敗戦と同時に、連合国軍に支配されてしまいます。そのときの連合国軍最高司令官マッカーサーは、なぜ日本が惨めな第二次世界大戦に突入してしまったのか考え、その答えとして、日本には民主主義がないからだと結論づけました。その民主主義を日本に根づかせるために、マッカーサーが取り組んだのは、労働組合の結成を奨励することでした。戦前にも労働組合はありましたが、日本では労働組合は「非合法」とされ、時の政府によって弾圧されたり解散させられたりしていました。そこでマッカーサーは、言論を封じてしまうようでは、民主主義は育たない、民主主義をしっかり根づかせるために必要だとして、労働組合をつくるよう奨励しました。これが戦後の労働組合の歴史の特徴です。
連合は、総評、同盟、中立労連、新産別という4つの労働団体が1989年に統一し、結成されました。今から遡ること25年前のことです。
一般社会では、「労働団体=政治団体」と受け止められることがあります。しかし、私たち労働運動を志す者にとっては、とんでもない誤解です、と私は折に触れお話しています。労働組合の根っこにあるのは、お互いが困ったときに助け合うことで、それが私たち労働組合の真骨頂だと申し上げておきたいと思います。
(4)いま、労働現場で起きていること
卒業して社会に出た先輩方がどういう状況に置かれているかを、ちょっとのぞき見してみたいと思います。今、さかんに耳にするのが「ブラック企業」という言葉です。労働相談では、学生さんから「この会社、ブラックじゃないですか」という質問がよくあります。勤め始めて2~3年経った方からは、「年次有給休暇がとれないけれども、どうしたらいいですか」、「職場でパワハラやいじめに遭って、メンタルヘルスの問題を抱えている」などの相談があります。こうした相談に代表される「ブラック企業が蔓延している」と社会を一括りに見る見方が広がっていると思います。数日前に、某ファッション企業がパートタイマーを正社員にする、某外食産業がパート・アルバイトで働く人の労働条件を良くするというマスコミ報道がありました。こうした動きは実は、人手が集まらないからやっていることを、みなさんすでにご承知でしょう。働くということが、景気の波に左右されてしまっていいのかを第一に考える必要があります。
また、中小企業には組合は必要ないという人が結構います。今朝も労働相談の電話が一本ありました。それは、「年次有給休暇を申請したい。会社にそういう制度があるのかどうかわからない。上司からはこの日休まれたら困るので、ダメだと言われた」という相談でした。法律には、年次有給休暇の取得は労働者の権利と定めてあります。会社は、年休を取る時季を変更すること(これを「時季変更権」と言います)はできる、つまり「都合が悪いから別の日に変えてくれないか」とは言えますが、「年次有給休暇をあげない」とは言えないことをお話ししました。そして、相談者に「あなたの会社に労働組合はあるのですか」と尋ねますと、「うちは中小企業なので、労働組合はありません」と言うのです。だいたい、みなさんそうおっしゃいます。労働組合は、大手企業だから必要で中小企業だから不必要というのではなく、現実はまったく逆です。大手企業はしっかりとした経営風土を持っています。しかし、中小企業ほど、経営者のそのときどきの思いつきや判断で、職場環境やルールが変わってしまい、結果として多くの労働者が振り回されます。私は、「中小企業こそ労働組合を組織して、労使がきっちり話し合うルールをつくらないとダメですよ」と申し上げています。
学生のみなさんには、労働組合は自分とは関係ないと考えるのではなく、社会人になって勤務する職場に労働組合があるのか、それが機能しているのか、そういう視点をもっていただきたいと思います。
(5)「絆」文化の創造を担うのは労働組合
東日本大震災の後、「絆」という言葉がさかんに言われました。阪神淡路大震災のときにも、この「絆」という言葉が多く叫ばれました。大事なことです。しかし、なにか事件が起こったから絆が大切だというのは少し違うのではないかと思います。労働組合はもともとの目的が助け合いですから、組合の生命および日々の活動が「絆」です。極端な成果主義で、隣の人を蹴落とすことがさかんに行われているような企業では、「絆」はなかなか芽生えません。そういうときに、労働組合は極端な成果主義にブレーキをかける役割を果たしています。
それでは、MEMC労働組合の産みの親であり、委員長である瓦井さんにお話を伺っていこうと思います。まずは、労働組合を結成したきっかけについてお尋ねしましょう。
2.「MEMC労働組合」を結成したきっかけ <瓦井>
(1)自己紹介
みなさんこんにちは、瓦井と申します。私は、MEMC株式会社の社員として働きながら、MEMC労働組合の執行委員長を務めています。私の経歴について少し紹介しますと、パイロットをめざし、16歳で自衛隊に入りました。自衛隊で4年間勤務した後、家庭の事情で地元に帰らざるを得なくなり、松下電子工業(現パナソニック)に入社しました。20歳の時です。当時、電機業界は活況を呈しており、入社を決めた理由は交代制勤務であることと給料がいいことでした。松下電子工業では16年間勤務しました。ここを辞めたきっかけは、会社の事情による事業所の閉鎖です。そのとき会社側から人生の選択を迫られて、私は退職する道を選びました。そして、エンジニアとしての自分の力を試したいという思いから技術派遣の道を選び、本田技研で2年間武者修行をしました。そこで自分の技術に自信が持てたので、ちょっとハードルが高い外資系企業にチャレンジし、MEMC株式会社に入社しました。現在、入社10年目になります。
最近、ブラック企業という言葉をよく耳にしますが、良い企業でも必ずブラックな面はあります。一人ひとりの価値観が違うので、例えば、良い先輩に当たれば良い企業、悪い上司やひどい先輩に当たればブラック企業となるかもしれません。私は、みなさんがそれをどう捉えるかによって企業評価は変わってくると思っています。私が入社したMEMC社に関しても、ブラックな面がたくさんあったということは事実です。その中で、私が2008年に行動を起こしたことについて、これからお話しします。
(2)会社の概要
MEMC社は、ICチップの基となるシリコンウェハーを製造する企業で、米国に本社を置くサンエジソングループの子会社として世界6カ国で事業を展開しています。日本では宇都宮に拠点を構え、390名ほどの社員が働いています。取引先の95%がインテルやサムスン、LGなどの海外メーカーとなっています。
(3)労働組合の概要
MEMC労働組合の設立は2008年6月です。2009年には、同業他社労組と一緒に活動しようと考えて、上部団体となる電機連合に加盟しました。現在、組合員310名、執行委員8名という体制です。組合結成6年目ですので、まだまだ多くの課題があり、運動の難しさを日々痛感しています。
(4)労組結成のきっかけ
労働組合を結成したきっかけは2008年、社長から送られてきた一通のメールでした。その数か月前には、今期最高の生産量を記録したということで、全社員に5万円の特別報奨金が手渡されるほど業績は好調だったにもかかわらず、5月になっていきなり、社長から「夏の賞与は支給しないことになりました」という一文が全社員に送信されてきたのです。突然のことで、最初はみんな悪い冗談かと思いましたが、それが実際に強行されることが判明して社内は騒然となりました。社員の中には、賞与をあてにして住宅ローンを組んでいる者も多く、賞与の不支給は一大事です。期日までにお金を工面するため、「どこからか借金をしなければいけない」、そういう切実な声があちこちから上がりました。私にも住宅ローンを抱える部下が3人いました。彼らから相談を受け、私は「本当に賞与は払われないのですか」と社長に直接聞きに行ったところ、「君にそれを答える必要はない」と取りつく島もない返事でした。そこで、私は社員会にアプローチし、社員会も動いてくれましたが、社長は「社員会であろうとも俺の判断には従ってもらう」と、全く聞く耳を持ってくれませんでした。
そのとき私は、労働組合を通じて会社に物申すしかないと思いました。実は過去に、MEMC社で労働組合を起ち上げようとした社員が数名いました。しかし、「労働組合をつくった時点でクビになりますよ」「社員として生きていく道はなくなりますよ」などと会社から言われ、クビ覚悟で決行できる人はいなかったのです。私の場合、自分の技術力に自信があったので、どこでも食っていけるという思いがありました。そこで、クビを覚悟で行動に移しました。
実は部下から相談を受けた際、彼らのためになんとかしたいと思い、「自分のクビをかけてでもおまえたちの賞与を獲得してやる」と答えました。そう言い切れるほど、私は一生懸命仕事をしていましたし、誰よりも強い愛社精神を持っていると自負していました。今もその気持ちは変わりません。また、当時私は管理職ではなく、組合をつくれるポジションにいたことも幸いしていました。
(5)労働組合結成の経緯
まず連合栃木ユニオンの労働相談ダイヤルに電話し、「組合をつくりたい」と相談しました。つくった組合が連合ユニオンの支部になれば数名で活動可能なこと、一方で、組合員にならないと交渉もできないということを知りました。つまり組合員になれば、交渉ができるのです。実はそのときの担当アドバイザーが非常にぶっきらぼうな人で、「おまえ、本当にクビをかけて組合をつくる覚悟があるのか」と言うのです。しかも、「覚悟が決まったらもう1回電話してこい」と、ガチャンと電話を切られてしまいました。こんな人に相談してよかったのかなと正直困惑しましたが、他にすがるところがありません。違う系列の労働組合もありますが、私は、社会でも認められている「連合」というナショナルセンターしか考えていませんでした。
そこで、翌朝もう一度電話をしました。実は他にもうちの会社から3~4名が電話をしてきたようです。しかし、「クビになる覚悟があるか」と言われた瞬間、みんな「考えます」と答えたきり、二度と電話をかけてこなかったそうです。唯一私だけが再び電話をしたのです。そのぶっきらぼうなAアドバイザーに、「自分はAさんにかけます。力を貸してください」とお願いし、「じゃあ来い、泥舟かもしれないが俺がつくって、一緒に乗ってやるから」と受けてくれました。その泥舟が、のちに大きな戦艦ヤマトに化けます。労働組合にはこんなにも力があるのかということが、のちのちわかってくるのです。
3.労働組合を結成する際に苦労した点、良かった点
大出:大変な場面にさしかかり、瓦井さんのように腹をくくって取り組んだ、ここが労働組合をつくる入り口の非常に重要なところです。
さて、そうは言っても、ずいぶん苦労をされたでしょう。会社ににらまれたらどうしようと思う人たちもたくさんいたと思います。そこで、組合づくりで苦労した点や良かった点について教えていただけますか。
瓦井:苦労した点はたくさんありますが、仲間を増やす活動はつらく苦しいものでした。
私は労働相談を機に連合栃木ユニオンに個人加盟していましたので、一緒に活動してくれる仲間をつくることから始めました。まず気のおけない職場の同僚5名に声を掛け、私は「クビになるかもしれないけれど、組合を立ち上げて、自分たちの生活は自分たちで守る。会社との交渉ができる環境をつくらないと、会社の雰囲気はもっと悪くなり、離職率も上がる」と訴え、賛同を呼びかけました。当時、MEMC社は本当に離職率が高かったのです。外資企業には自分のキャリアを積んだら転職し、外資系を渡り歩くという人が大勢います。ジョブホッパーと呼ばれ、外資系では一般的です。MEMC社も例外ではなく、人材が流動的で社内の人間関係は希薄でした。そういった中で、自ら声を上げて組合を立ち上げていく大変さは、一言では語り尽くせません。ただ、恵まれていたのは、私を信頼してくれる仲間がいたことです。わずか数名でもいてくれたことが、今につながっています。苦労した点と良かった点がイコールになっているのです。
その後、全従業員に賛同を呼びかけていくのですが、最も苦労した点は、賛同してくれた人たちに組合に加入してもらうことでした。連合栃木ユニオンの組合員になるには月2,000円を払う必要があり、その説得には苦労しました。6月中には会社になんとか賞与を支給させたいという思いが強かったので、休み時間にトイレに呼び出したり、業務後に倉庫に集めたり、隠れて同僚たちを勧誘して回りました。時間がない中で何回も同僚と飲みに行きました。まさにゲリラ的な活動で、会社に見つかったら、その時点で海外に飛ばされたり、即刻解雇を言い渡される可能性もありました。仲間がクビにならないよう細心の注意を払いながらの仲間づくりは本当に大変でした。その結果、所属部署のメンバー37名が組合員になってくれて、2008年6月には連合栃木ユニオンMEMC支部の結成に至り、会社との団体交渉に踏み出すことができました。
なぜ組合をつくらなければならないか、そのメリット・デメリットについてよく質問されますが、労働組合にはメリット・デメリットだけでは語れない部分がたくさんあります。人とのつながりを大切にする、友愛という言葉に象徴されるように、MEMC労組には愛があります。胡散臭いと思われるかもしれませんが、これは自信を持って言えます。
良かった点は、過半数の社員が自分に賛同してくれて、結果的に1年も経たないうちに単独の労働組合(MEMC労働組合)を立ち上げることができたことです。奇跡的と言えます。仲間と運に恵まれたおかげなのですが、もしこのタイミングが悪ければ、自分はクビになっていたと思います。大出さんとの出会いや、今日みなさんの前でお話をする機会もなかったでしょう。でもそうならなかった運命的なものを私は感じています。
4.労働組合ができて変わった点、今後めざす方向性や課題
大出:私がMEMC労組を知ったのは、今から4年ほど前です。連合栃木の学習会で、今みなさんにお話しされていることを瓦井委員長が報告されたのです。そこで瓦井さんの深い情熱や使命感、勇気ある行動に感動しまして、連合本部に何度か講師としてお招きし、今日のこの場にもつながりました。
それでは、次に労働組合ができてから変わった点と、今後めざす方向性や課題についてお聞きしたいと思います。
(1)労働組合結成による変化
瓦井:みなさんにとって、労働組合は抽象的でつかみづらいところがあると思います。MEMC社で私は労働組合の活動だけでなく、生産現場で後輩への技術的な教育も担当しています。組合をつくったきっかけは、会社を良くしたいということでした。今もその思いは変わりません。
大きく変わった点は、以前は経営陣と共に良い会社をめざすということはありませんでしたが、組合結成によってそれが実現したことです。この変化はみんなが感じています。働く環境が良くなっていけば、当然会社のことをいろいろ考えます。また、今までは隣の席の人ともメールで会話することも多くみられましたが、できるだけ声をかけ合うようになりました。特に今、メンタルヘルスの問題を抱える人が多い世の中です。うちにも数名メンタルヘルス不全による休職者がいます。プレッシャーを抱えながら仕事をしなければならない職場で、しっかりした労働組合があり、社内の問題は会社だけには任せられないという気持ちの社員がいれば、救われる労働者が多いのも事実です。労働組合ができたことによって、社員同士お互いにフォローできる体制になったことが一番良かった点であり、変わった点だと思っています。
人とのつながりを大切にしていくという活動は地味ですが、大変重要です。こうした活動によって、社員は給料のためだけに会社に行くという状況から、会社を良くするため、自分の生活をエンジョイするために働こうという気持ちになると思います。ワーク・ライフ・バランスのとれた環境をつくることが労働組合の役割でもあるので、私自身、今非常にやりがいを感じています。
(2)今後、労働組合がめざす方向性
瓦井:めざす方向性は、結論から言えば、会社と組合、社員がひとつのベクトルに向いた会社をつくることです。一般的に、会社はやる気のある社員ばかりいるわけではありません。私の経験上、自分から発火できるタイプは社員の1~2割程度で、残りの5割以上は受け身なタイプです。組合は、受け身的な社員の気持ちに配慮しなければいけませんし、労使で合意した場合、会社のめざす方向に彼らを一緒に向かわせなければなりません。一方、会社がおかしな方向に行こうとした場合には、組合は組合員の意見を伝え、しっかり会社と協議しながら、常によりよい方向性を模索していくことが重要だと思います。
今、電機業界はご存じの通り、雇用が守られていない状況です。本人の意思とは関係なく、会社の事情で肩を叩かれることもあります。特に今、半導体業界は深刻です。しかし、生き残る道は必ずあります。企業経営が行き詰まったとき、会社側の一方的な説明だけでは、社員は納得しません。会社はなにか隠しているのではないかと疑います。しかし労働組合があると、会社は労働組合に重要な情報をきちんと開示してくれ、社員は労働組合を通してしっかりと説明を受けることができます。例えば、今こういう経営状況だから賃上げはできない、もしかすると希望退職者を募集するかもしれないという会社提案があったとします。会社が生き残るために必要な措置だと労働組合も納得すれば、労働組合は会社と目線を同じにして社員に説明しなくてはいけないのです。労使が一体になるとはこういうことなのです。
私たちは今後も、組合員や社員の雇用が守られた環境をつくり、明確なビジョンを持って企業を成長させていくことをめざしていきたいと考えています。こうした方向性は、労働組合運動に携わる者はすべて同じだと思っています。会社を良くしていく、そこで働く人たちのモチベーションを上げてより良い労働条件を会社と共につくる。これが、労働組合の良さであると思っています。
ただし、1点だけ忘れてはならないことがあります。組合のリーダーは情熱を持った人、組合員から信頼され心を割って話せる人でなければなりません。そして、コミュニケーションやノミニケーションも大切です。「労働組合運動をやりましょう」と呼びかけるだけでは、人はついてきません。そこで私たちはこれまでボーリング大会や飲み会、イチゴ狩り、ディズニーランド旅行など人が集まるイベントを企画し、参加を呼びかけました。そういう人が集まる機会をしっかりつくって、会社の成長のためにより良い職場環境を地道につくっていくことも、今私が考えている組合活動の方向性です。
(3)最近の取り組みと今後の課題
大出:これまでのお話で、瓦井委員長の心のうちを十分お聞きすることができました。
最後に、組合結成以降、労働組合を引っ張っていく執行部や職場代表の教育など、リーダー教育をどのようにしてこられたかについてお話しいただけますか。
そしてもう1つ、最近の取り組みについても触れていただきたいと思います。労使対等の話し合いテーブルができた後、MEMC社では人員削減の提案があったと聞いています。そしてこの春の賃金交渉があったと思います。これら2つの局面への対応についてお聞かせいただけますか。
瓦井:組合役員の教育はいたって簡単です。私は、周囲の推薦と自分の意思により委員長を務めていますが、いつまでも自分がやっていては労働組合の活性化は続きません。自分のポジションをぶんどるくらいの後輩を早く育てなければいけないと思っています。また、組合の執行部は管理職と同等です。会社のことをしっかり考える執行部を育てることは、組合活動を通じて会社の管理職になれる社員を育てることにもつながっています。すでに組合役員経験者から、3~4人の管理職が出ています。組合役員になる人には、まずは会社において自分たちが置かれている環境、それから日本の現状を知ってほしいと思っています。
今一番ポイントとしている教育は、自分がなんのために労働組合の活動をしているのかということを常に考えてもらうことです。言いかえれば、会社での人生のあり方を常に考えてもらうということです。具体的には、週に2回執行部が集まって、最低でも2時間は議論をしています。自分たちがどういった目的でなにをすべきかを常に考える。現状を把握して、今自分が改善すべき点、課題点は何かを常に自分の言葉で話す。そして自分でアクションを起こしていく、いわゆるPDCA(Plan、Do、Check、Actionの頭文字をとったもの)で回すための議論を行っています。しかし、それが意外に難しく、PDCAをしっかりと教育できる人は管理職にもなかなかいない状況で、それだけ難しいのが社員および組合員の教育です。
今春の賃金交渉についてですが、電機連合ではMEMC労組も含めて、平均8,000~10,000円の賃上げを要求しています。MEMC社では、今年の賞与支給は4か月確保できました。しかし、企業業績が芳しくなかったため、労働組合も合意したうえで今年の昇給は見送りました。企業ですので、良いときばかりではありません。昇給がない、賃上げできないとなると、陰で不満を洩らす労働者も多いかもしれません。しかし、労働組合があれば、会社は労働組合にしっかり企業業績を説明して、労働組合は自分たちの意見を述べたうえで納得して合意することができます。たとえ賃上げなしの回答でも、今年は私たち社員が努力しますと、会社との交渉を通じて表明できます。今回MEMC労組では3~4か月間の労使交渉を要し、組合員の理解を得るのは簡単ではありませんでした。実は会社側は賞与もカットしたかったくらい、企業業績が悪かったのです。しかし、来年頑張るという社員たちへの期待を込めて、ボーナスについては4か月分を出すというところで折り合いがつきました。この結果は、土日返上で交渉にあたり会社のあり方を率先して考える執行部メンバーがいたから得られたもので、一般組合員の人たちの生活に最低限のセーフティーネットが張られることになっているのも事実です。こういう交渉を毎年のようにやっています。
5.おわりに
大出:ありがとうございました。企業業績によっては、労働条件の改善がスムーズに進まない場合もあるという生々しいお話をご披露いただきました。
今のお話を受けて、ちょっと解説をしておきましょう。それは、団体交渉の権利は労働組合のみに認められた権利であるということです。日本には労働組合法という法律がありますが、この労働組合法というのは、冒頭に申し上げた、マッカーサーが日本に民主主義を根づかせるために組合をつくりなさいと言ったことから始まります。労働組合法には、労働者が組合をつくる、つまり団結する権利を定めています。そして要求すべき内容をまとめあげて経営者に要求をする権利も定められています。これを団体交渉権と言います。重要なのは、この団体交渉権は労働組合にしかないということです。そして、会社は労働組合から団体交渉を申し込まれたら応じなければならない義務があります。このことを本日の大きな収穫として、ぜひみなさんに覚えていただきたいと思います。
労働相談を受けていると、「困っているので、私に代わって交渉してもらえませんか」という虫の良い相談がきます。そんなとき私は「あなたは組合員ですか」と尋ねます。すると相談者は、「いいえ、組合なんて聞いたことありません。組合員じゃありません。組合員になったらお金をとられるでしょ」と言うのです。組合員でない人の交渉を代わってやってくれと言われたら、みなさんできると思いますか。気の毒だからと仮に私が出て行って、社長に面談を求めたとします。社長から「彼は組合員ですか」「なんの根拠があって、大出さんは彼の代理交渉をするんですか」と言われれば、私は回れ右をして帰ってくるしかありません。これを強行しようとすると、「愛」のない「組」にされてしまいます。つまり、ヤクザと同じことをやることになってしまい、不法侵入や恐喝などの刑事事件に発展します。ですから、こうした相談者には、まず自分たちの権利とは何か、組合員になったら何ができるのかという労働者の権利を勉強していただきたいと思います。特に、社長と対等な立場で堂々と交渉ができる権利(団体交渉権)について知っていただきたいと思います。
それでは、最後に、瓦井さんからみなさんへのメッセージをいただこうと思います。
6.みなさんへのメッセージ
瓦井:みなさんには、社会に希望を持って飛び立っていただきたいと思っています。
私がみなさんに伝えたいことは、「自分を信じてください、なにかあったときに仲間を信じてください、そして仲間が困ったときに声をかけられる人になってください」ということです。労働組合がない会社に入った場合でも、相談できる相手がいることで、組合をつくろうという話になるかもしれません。
一方、社会に出ると、希望を持つことや夢を持とうという気持ちがどんどん失せていきます。歳を重ねると尚更です。それでも、仲間と自分を信じる、自分の可能性を信じて実行すれば社会は変えられる、その力は一人ひとりが持っているということを信じ続けてください。社会は相当厳しいですが、厳しいからこそ楽しいこともたくさんあります。日本社会が大きく変わろうとしている今、みなさんには主体性を持った当事者であるという意識を持って社会にどんどんアピールし、それぞれの想いを行動で示してほしいと思っています。
みなさんの輝かしい将来に大きな期待をしていますし、ひとりの先輩として、みなさんの今後を応援したいと思います。
以 上
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