職場の課題とその取り組み[7]
公務労働の現状と良質な公共サービスをめざす取り組み
1.はじめに
今日は皆さんに私の仕事の内容や介護現場の状況をお伝えしたいと思っています。そして、労働組合があるからこそ安心して仕事ができる、こともお伝えしたいと思っています。
はじめに自己紹介をさせていただきます。私は宮城県仙台市にある仙台福祉サービス協会の訪問介護事業所で、サービス提供責任者をしています。主にヘルパー派遣調整をしています。仙台市には5つの区、青葉区、太白区、泉区、宮城野区、若林区がありますが、その中の太白区にある太白ヘルパーステーションという所が私の勤務場所です。
私は1996年から登録ヘルパーとして仕事をしてきました。その後2001年には32時間、週4日勤務のヘルパー募集に応募して採用され、2009年からはサービス提供責任者となって現在に至っています。ヘルパー歴としては1996年からの17年で、現場のプロとして自分なりに自信を持って仕事をしてきています。
2.事業所の紹介
私の働く事業所は、訪問介護事業所、居宅支援事業所、地域包括支援センターを2か所持つ事業所の6か所です。訪問介護事業所はヘルパー派遣を行うところです。居宅支援事業所は、ケアマネージャー、つまりケアプラン(介護(予防)サービス計画)をつくる人がいるところです。地域包括支援センターは、中学校の学区ごとに1つある、介護に関する相談窓口・情報提供・ケアプラン作成を行う機関です。
皆さんのご家族やご親戚の中で、介護保険制度を利用しているという人はいませんか。今はいないという人もいずれ介護保険に関わりを持つようになると思いますので、こうしたそれぞれの機関やその仕事について覚えておいていただきたいと思います。
私の働く事業所には、職員、本部を含め総勢104名の人がいます。6か所の事業所で登録ヘルパーを444名抱え、仙台市では大きな事業所になると思います。ちなみに私が今勤務している太白ヘルパーステーションの登録ヘルパー数は約80名です。5・6年前までは100名前後のヘルパーさんがいたのですが、現在は80名に減っており、これは退職者が出ていることにもよりますが、最近ではヘルパー不足がその原因となっています。
3.サービス提供責任者の仕事
私の仕事は介護保険制度にもとづくヘルパー派遣が主な仕事です。それ以外には、「障害者自立支援法」、これは今年から「障害者総合支援法」と名前が変わりましたが、この法律にもとづく仕事や、仙台市からの委託事業である、「一人親」、「育児ヘルプ」、「高齢者生活援助サービス」なども担当しています。この「一人親」事業では、シングル・ペアレント、つまり父親または母親だけで子育てをしている人への援助を行っています。「育児ヘルプ」では、赤ちゃんが生まれた人に、10回までのケアサービスを行っています。「高齢者生活援助サービス」は、介護認定で「自立」と判断された人が利用できるものです。65歳になって介護が必要な人は介護保険制度を利用できますが、その際は認定調査が行なわれ、その結果「自立」と判断される人もいます。この自立と判断された人が利用できるのが、「高齢者生活援助サービス」です。
私の仕事であるサービス提供責任者は、介護保険法にもとづいて配置されています。この仕事の中心は、お客様の所にヘルパーを派遣するための調整ですが、その他に、ケアマネージャーを中心に、利用するお客様と家族、他機関の人たちとの話し合いをもつ担当者会議への出席や、書類作成、へルパー給与のチェックなども行っています。さらには、同行訪問や代行・訪問調整、クレーム対応なども大きな仕事になっています。
[1]実際の仕事-担当者会議と書類作成
担当者会議では、介護認定の更新時や支援内容が変更されたとき、例えば、家事援助に加え身体介護が必要になった、今までの調理に加えておむつ交換が必要になったので訪問回数を増やして欲しいという要望などについて話し合いが行われます。この担当者会議は私たちの業務では一番大事な会議と言え、平均すると月に3・4回あります。ただ、率直に言えば、この会議に時間が取られ、サービス提供責任者本来の仕事をするには時間が足りないとも感じています。
書類作成では、「訪問介護計画書」という書類をつくっています。この計画書がないと、監査や県からの指導があったときに指摘されてしまうので、私たちサービス提供責任者の必須の仕事になっています。
[2]実際の仕事-ヘルパー給料チェック
ヘルパー給料のチェックでは、毎月末にヘルパーの皆さんは自分が働いた時間を計算して私たちに申告してきます。その内容に間違いがないかをチェックし、給料計算の数字を確認します。ちなみに、私たちの事業所ではヘルパーの皆さんに交通費が出ます。有給休暇も取ることができます。こうした点では他の事業所に比べ、良い条件の登録ヘルパー事業所になっていると思います。
[3]実際の仕事-同行訪問
同行訪問では、新しいお客様からの派遣依頼の際は、私たちサービス提供責任者が必ずヘルパーに同行しています。私がサービス提供責任者になったばかりの頃の失敗談なのですが、初めて同行訪問をしたときに、私自身がお客様の家の物を壊してしまった事があります。本来であればヘルパーに、「ここに気をつけて」と指示しなければいけないことの1つだったので、私にとっては苦い思い出です。
[4]実際の仕事-代行調整
私たちサービス提供責任者は、代行や訪問調整という仕事に日々追われています。朝8時半頃になると、ヘルパーさんから、「今日はちょっと体調が悪い」、「家族が病気になった」などの理由で休みたいという連絡が入ります。そうすると、私たちは代行探しにとりかかります。ヘルパーの皆さんは8時過ぎから活動しているため、なかなか連絡が取れません。そのため代行探しに2時間、3時間、ときには半日かかることもあります。どうしても調整がつかないときは、サービス提供責任者自身がその現場に行くことになります。
皆さんはありえないと思うかもしれませんが、この仕事をしていると家でお風呂に入っていても、ヘルパーをまちがいなく派遣したか、代行者を忘れず派遣したかなど、いろいろ心配になってきます。職業病かもしれませんが、そういうことがあります。
皆さんには、サービス提供責任者という職務は、ヘルパーとの関わりを持ちながらやっている仕事だということをわかっていただければと思います。
[5]実際の仕事-緊急訪問
緊急訪問の実例を紹介します。先週の金曜日のことですが、ヘルパーが予定どおり朝9時に利用者宅を訪問したところ、インターホンをいくら押してもドアを開けてくれないということで、事務所に電話が入りました。私からは、もう一度玄関が開くかどうか確認するようヘルパーさんに伝えたところ、チェーンが掛っていることがわかりました。私は、これはおかしい、家の中で何か起きているのではないか思い、急きょケアマネージャーと現場に向かいました。その途中にも利用者宅に電話を掛けましたが応答がなく、亡くなっているのではないかと想像して、ドキドキしていました。このような場合、私たちは警察にも連絡をします。緊急事態であればチェーンを切って中に入らなければなりません。このときは、団地の管理者にもお願いし、警察がくるまでの間一緒に待っていただきましたが、命を第一に考え警察がくる前にチェーンを切って、ケアマネージャーと団地の管理者、そして私の3人で家に入りました。声を掛けても返事がなく、不安な思いで部屋に入ったところ、その方はベッドで寝ていました。まずは本当にほっとしましたが、その方が言うには、薬を飲み過ぎたようでした。また、近頃色々なセールスがやってくるので、インターホンが鳴ったときはまたかと思いながらも、起きることができなかったと言うのです。
このケースでは、結果は何も問題なく本当に良かったのですが、私たちにはこのような緊急訪問という仕事もあります。
[6]実際の仕事-クレーム対応
クレーム対応も沢山あります。ホームヘルパーは、個人宅を一軒一軒訪問し、掃除や家事サービス、介護サービスなどを提供しています。そうした中で、皆さんどんなクレームがあがってくると思いますか。まずはあってはならない、「ヘルパーが来ていない」という苦情があります。担当のヘルパーさんが時々忘れることがあるのです。それから、「近所に住んでいるヘルパーには来て欲しくない」、「ヘルパーが集中して仕事をしていない」などもあります。「ヒヤリハット」も含め、掃除の際にモノを移動させようとして花瓶が落ちて壊れてしまった、そういう事情で物を壊したことも苦情となってしまいます。
一方、これも先週あったばかりのことですが、ヘルパーが良かれと思ってやったことも苦情になる場合があります。朝、ヘルパーがおむつ交換のために利用者宅に行き、おむつ交換をした後の汚物を新聞紙に包んで袋に入れて処理をしました。このケースでは、ヘルパーが前回そのお宅へ行った際には新聞紙が見当たらなかったため、自分の家から新聞紙を持って行って処理したのです。このお客様は、「家に新聞紙はあるのに何故持ってきたのか」と怒ってしまい、「うちはそれほど貧乏ではない」という話になってしまいました。このときは私が出向いて謝罪をしましたが、ヘルパーが良かれと思ってしたことがお客様によっては逆に取られることもあり、私たちも心を痛めています。
介護の仕事には、今お話ししたように様々な仕事があり、やりがい・生きがいは感じていますが、本当に辛い仕事も多く、給料もそれほど良くないというのが実情です。
4.ヘルパーの仕事
次にヘルパーの仕事をご紹介します。私の勤務する事業所では、ヘルパーの仕事は在宅型で、訪問先で家事援助と身体介護を行っています。また、ヘルパーは登録制になっていて、ヘルパー自身が稼働できる時間帯を登録できるようになっています。平均すると、1週間に19時間働いています。なお、29時間勤務型の登録もあり、この場合は厚生年金と健康保険に入ることになり、19時間型と29時間型が選べる制度となっています。
仕事の内容は、調理と掃除、掃除のみ、買い物のみなどがあります。今一番求められているのは服薬確認で、飲み忘れがないように支援しています。そのほか、トイレへの移動、おむつ交換なども含め、いろいろな支援を行っています。
私たちホームヘルパーは、一人ひとりが自覚を持って仕事をしていこうということで、「ヘルパー憲章」を策定しています。その内容をご紹介したいと思います。
この憲章は、日本ホームヘルパー協会が策定したものですが、私たちは、毎月行われるヘルパー会議の時にこの憲章の読みあわせを行って、お互いの行動を確認しあっています。
私は、ヘルパーに応募してきた人の面接では、そのきっかけを聞くことにしています。その中には、「家族の介護経験から、ヘルパーをやってみたい」、「兄弟に障がいをもっている者がいるのでやってみたい」、「将来親の介護が必要になると思うので勉強したい」などがあります。私がヘルパーになったきっかけをご紹介します。私の弟は23歳の時に交通事故に遭い、植物状態と診断されました。私も親も必死な思いで看病したのですが、その甲斐があってか、なんと7カ月目に目が覚めたのです。医師からは奇跡だと言われました。入院時には、「命はない」と言われていたのですが、医師や看護士の力と弟が頑張ってリハビリをした結果、在宅で生活できるようにまでなりました。私はこのとき、いつか先生や地域の皆さんに恩返しをしたいと思いました。そして、弟が在宅で生き生きとした生活を送っている姿をみて、在宅で生活する意義の深さを実感し、ヘルパーの募集に応募したのです。私には自信過剰なところもあって、これが私に似合う仕事と思ったのも1つの理由ですが、この家族の看病体験が、私がヘルパーになったきっかけです。
ところで、ヘルパーの仕事では辛い場面も多くあります。先日は、利用者から怒鳴られ、テーブルに置いてあったタッパーを手で払いのけられたという出来事がありました。とても几帳面な利用者で、蓋の開け閉めにも注文がついていたのでしょう。ヘルパーの仕事は玄関から入り、玄関を出るまでどんなドラマが起きるかわからない、私自身もヘルパーの皆さんの身に何か起こっていないかと、毎日心配しながら仕事を進めています。
最近では、マスコミなどでも認知症のことが取り上げられるようになりました。皆さんも認知症についてご存知かもしれませんが、認知症の主症状は「モノ忘れ」です。人によっては物盗り妄想や急に怒り出す症状の人もいます。ヘルパーが認知症の利用者から泥棒扱いされてしまったことがありました。「5枚あった皿が2枚なくなった。多分、あのヘルパーが旦那さんと自分の分を持って行ったんだ」と言われ、ヘルパーにとっては大変ショックな出来事でした。また、これも実際にあった話ですが、冷蔵庫の中に便が入っていたりします。正直ぞっとする話ではありますが、私たちは、認知症のあらゆる症状に気をつけながらヘルパーとしての仕事をしています。
介護現場でも認知症の人が多くなっていく傾向にあり、データによれば、認知症の高齢者が2010年は280万人でしたが、2025年には470万人になると言われています。こうした認知症への対応も多くなっている中、2012年に介護保険制度の改正と介護報酬の改定がありました。去年までは90分単位で1軒1軒の調理や掃除を行っていたのですが、改正により、1軒当たりの標準時間が45分になりました。45分で家事援助をするとなると大変です。皆さんのように若い人はこの時間内でいろいろな家事援助ができるかもしれませんが、私の勤務する事業所のヘルパーは平均年齢が59歳です。しかも高齢の利用者の動きに合わせた仕事をしなければならず、45分間で掃除や調理、そして一番大切なお客様の健康チェック、体調管理をしています。ヘルパーの現場は、昨年の制度改正によってどたばたしています。
ところで、ヘルパーにはしてはいけないことがあります。例えばお客様の所でお茶やお菓子をいただくことはできません。ヘルパーにはしてはいけないことについての規定もあり、契約書には、お茶などのおもてなしはしないようにして下さいと記載しています。
<小休止>
皆さん、私の話を聞くばかりでちょっと疲れたのではないでしょうか。ここで皆さんとご一緒に運動をしたいと思います。この指の運動は介護予防や高齢者むけの運動です。皆さん見本をご覧になれば直ぐにできると思いますので、どうぞやってみてください。
いかがでしたか、少しは気分転換できましたか。それではもう少し、私の話におつきあいください。
5.働く環境として大切なこと
皆さんは就職するにあたって、何を一番に望んでその職場を選びますか、働きやすい環境というお答えをいただきましたが、その中で具体的にイメージするものには何があるでしょうか。まずは生活していくうえで「給料が高い」ところがよい、それを一番に考えるという人もいます。そのほかには、「働きがいがある」ということもありますね。私自身、自分の立場では、「人間関係が良い」ということです。給料も大事なものですが、最終的には人間関係がいいところが働きやすい環境と言えるのではないかと思っています。もちろん、このことは介護現場に限ったことではないと思います。
私たちは、ヘルパーの皆さんの働きやすい環境づくりに力を入れています。ヘルパーの皆さんの健康状態を気にかけ、電話の声の小さな変化も聞き逃さず、ちょっと寂しそうな声かな、ちょっと疲れた声かなということをキャッチして、仕事の調整をはかったり、話を聞いたりしています。
私の息子の話になりますが、息子は私に似て覚えが悪いのか、職場で、「何をやっているんだ」、「まだ覚えられないのか」、「早く持って来い」など、よく怒鳴られたそうです。山形で勤務しているので時々帰省しますが、帰ってきては、「辛いなぁ」と言うのです。その息子が、最近は先輩が自分をかばってくれる、営業で帰りが遅いと机の上にお菓子を置いてくれたりする、そういう職場の人の優しさを感じられるようになって、「やっぱりお母さん、仕事はお金だけじゃないね」と言ったのです。働きやすい環境として大切なことが何かわかったようです。ただ残念なことは、息子の会社には労働組合がないことです。私には3人息子がいるのですが、私がこのように組合役員として活動していて、夫の勤務先には労働組合もあり、家では二人で時々組合の話もしています。しかし、長男の会社はコマーシャルにも出てくるような大きな会社ですが、労働組合はありません。私は息子3人の残業の仕方や賃金などを見比べたりするのですが、労働組合がない職場は大変だなとつくづく思います。私は労働組合があって、本当に安心して仕事ができています。ちなみに私が登録ヘルパーだったときはパートタイムだったので、組合には加入していませんでしたが、現在の32時間勤務の職種になったときに仙台市職員労働組合に加入しました。私たちの事業所は、もともとは仙台市の事業所でしたが、現在は民間の事業所となり市の外郭団体という位置づけになっています。民間の事業所で働く現在も、引き続き仙台市職員労働組合の組合員として活動を続けています。
働く環境を自ら整えていくためには労働組合が必要です。皆さんも就職先の職場に労働組合があったら加入して、自分たち現場の声を伝えていく場として活用していただきたいと思います。私が職場に労働組合があることが大切だと思った身近なエピソードがもう1つあります。それは、15年前に私の夫が勤めていた会社が破綻した時のことです。突然のことで頭の中が真っ白になりましたが、このとき夫の会社には労働組合があったので、組合員の生活を守る交渉が行われ、1年間の給料が保障されました。このときも、現場を大切にする労働組合の力によるものだと身に沁みて感じました。
私の仕事の現状や、家族のことばかりお話ししてきましたが、それは私が一番感じていることを皆さんにお伝えしたいという思いからです。どうぞご理解ください。
6.労働組合の活動
最後に、介護労働者の処遇改善にむけた私たち労働組合の取り組みをお話しします。今日皆さんにお配りしたパンフレットは、2013年の5月に自治労の介護部会でつくったものです。2015年の制度改正にむけた私たちの声を集め、改悪にならないよう取り組むことを呼びかけた資料です。 私たち自治労では、厚生労働省に現場の声を届けるための活動を進めていますが、一方、介護現場で働く人たち中にも制度をきちんと理解していない人もいます。そこで、職場の様子をマンガで紹介したQ&Aを掲載した、このパンフレットを使ってオルグ活動を進めています。
また、このパンフレットを使って労働組合に入っていない介護事業所の人たちにも声を掛け、組織を広げていこうと思っています。そして右の「かいごり君」ハガキは、介護労働者だけでなく、多くの方々に介護に対する一人ひとりの思いを書いてもらい、その声を厚生労働省に届ける取り組みとしてつくりました。皆さん、そして皆さんのご家族にも書いていただきたいと思い、こちらも配らせていただきました。
おわりに
今日は皆さんに、介護現場のお話しをするとともに、「職場に労働組合があることは本当に良いことだ」と受けとめて欲しい、よい職業に就き働き続けて欲しい、そういう思いからお話をさせていただきました。今日、私がこうやって皆さんとお会いできたのも、私が組合員になって組合活動をしてきたからこそのことです。このような機会をいただき本当に感謝しています。
そして、2年前の3.11東日本大震災のときに、多くの皆さんにご支援をいただいたことについても、この場を借りてお礼を言わせていただきたいと思います。ありがとうございました。大震災では、心が折れそうになったことが何度もありましたが、いまではこうして命があることに感謝して、これからも頑張っていきたいと思っています。
皆さんとこうして出会ったこと、一緒に過ごしたこの時間に感謝して、私の話を終わらせていただきます。
以 上
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