職場の課題とその取り組み[5]
雇用と生活を守る取り組み~契約社員の正社員化事例を通じて
はじめに
広島電鉄では、2009年に在籍していた契約社員全員を正社員にしました。いま日本では非正規労働者のあり方が大きな社会問題になっていますが、当時、この取り組みは大変先進的なものとしてマスコミでも大きく取り上げられました。
本日の講義では、私たちの労働組合が非正規労働者の問題をどう捉えて、どのように正社員化を実現したかということをお話しします。また、この問題は一労働組合の力だけでは解決できず、会社も絡んできます。講義の中では、会社はどのように考え、どのように正社員化したかということも含めてお話ししたいと思います。
まず、私自身の自己紹介をします。私は山口県の出身で、高校を卒業後広島電鉄に入社しました。入社したときの私の職種は電車の整備士です。電車にも車検があり、2年に1度車体を分解し手入れを行って検査をします。私はそういう仕事を選択して入社し、現場で約10年油と汗にまみれながら仕事をしていました。そして、10年たった時点で労働組合の専従役員になり、職場を離れて労働組合の仕事をするようになりました。いまでは、現場で過ごした期間より労働組合の専従期間の方がはるかに長くなってしまいました。
次に、私が労働組合の仕事をしようと思った動機についてお話しします。一般的に、労働組合に入ったり、役員をやる動機には、会社に対する不満の解消や要求を実現しようというものが多いと思いますが、私は少し違います。私が入社した当時、広島電鉄の内部には2つの労働組合が存在し、しょっちゅう喧嘩をしていました。2つの組合は非常に仲が悪く、組合員数がほぼ同じということからも、どちらが存在感を示すかで常に対立していました。新入社員が入ると、どちらの労働組合が組織化するかで競争になり、新入社員は勧誘の渦に巻き込まれます。私には、そうしたいがみあいのある職場環境はいかがなものか、という思いがありました。私は、労働組合は、そして働く人は1つにまとまらなければならないという思いから、労働組合の専従役員になったわけです。
1.広島電鉄株式会社の概要
広島電鉄という会社と労働組合の紹介を織り交ぜて本題に入りたいと思います。
広島電鉄の本社は広島市にあります。主要な事業として、路面電車と鉄道電車、路線バス、不動産という3つの事業があります。その他にグループ企業がたくさんあります。タクシー会社やスーパー、ホテル、ロープーウエイなど、世界遺産になった安芸の宮島には観光船も走らせています。従業員数は1,558名、うち女性は68名です。圧倒的な男性職場ですが、最近は運転業務を志望する女性も増えていて、電車やバスの運転手に女性が進出し始めています。
広島電鉄は2012年に電車の開業から100年という節目の年を迎えました。この100年間に、企業の存続にかかわる大きな出来事が2つありました。1つめの危機は、1945年8月6日の原子爆弾による被害です。人類最初の原子爆弾がさく裂し、広島市は壊滅的な被害を受けました。当然のことながら、路面電車も壊滅的な被害を受けました。従業員も400名以上が死傷し、その運転手の多くは高等女学校生だったという事実があります。戦争が始まるまで運転手は全員男性でしたが、男性が戦地にとられてしまったので、苦肉の策として高等女学校生を動員して運転業務に当たらせていました。
広島電鉄は、この壊滅的な被害の3日後、8月9日には一部の路線を復旧させて電車を走らせています。これはもう生き残った従業員の不眠不休の復旧作業の結果であったわけですが、被災した市民は、復旧した電車の姿を見て非常に勇気づけられたという話が残っています。私たち現役世代もそういう輸送を担う精神を誇らしく思っています。
もう1つの危機は、昭和40年代のモータリゼーションによるものでした。自家用車が普及して路面に自動車があふれてくると、路面電車は正常な運行ができなくなります。狭い道路に自動車がどんどん増えてくるわけですから、電車の線路の中にまで車が入ってきます。そうなると、路面電車は思うように走れなくなり、時間通りの運行ができなくなります。その結果、利用者がどんどん減って、利用者が減ったため便数を落とす、こうした堂々巡りで、市民からは路面電車が厄介者扱いをされた時代でした。当時は日本全国が同じような状況となっており、かつては日本各地でたくさんの路面電車が走っていましたが、モータリゼーションの波に押されて次々に廃線となっていきました。
こうした中で、広島市議会でも路面電車は廃線にしてはどうかという議論がなされ、会社も廃線の方向へ舵を切りかけました。しかし、労働組合はこれに強く反対し、路面電車を活かすためには、まだやるべきことがあるだろうと、廃止反対闘争を始めたのです。
労働組合は、ヨーロッパに組合役員を派遣して視察を行いました。当時でもヨーロッパでは路面電車が都市の交通機能の主流でした。そういった姿を見てきた私たちは、広島の路面電車はまだまだやれるという思いから、存続運動を始めたわけです。路面電車を廃止させないためには、実際に行政を動かさなければなりません。そのためには私たちの代表を議会に送ろうということで、県会議員を擁立しました。そして、地道な努力を積み重ね、最終的には県の公安委員会によって「軌道敷内自動車乗り入れ禁止の県条例」をつくることができました。これによって軌道には車は入ってはいけないことになり、路面電車のダイヤは定時性が守られるようになりました。今も路面電車は広島市民の大事な足となっていて、一日15万人が利用しています。
そういった2つの大きな存続の危機を乗り越えて今の広島電鉄があります。
2.労働組合の概要
広島電鉄支部は私鉄総連という上部団体(産業別労働組合)に加盟しています。私鉄総連は、北海道から沖縄まで約11万人の組合員を組織していて、連合に加盟しています。
私たちの労働組合は、組合員の範囲を会社と協定しています。それは「すべての従業員は組合員にならなければならない」という「ユニオンショップ協定」というものです。ただし、例外はあります。課長以上の管理職や、秘書、労務、経理担当の人など、会社の業務に直接携わる人については除外することになっています。こうした例外を除き、全員を組合員にするという「ユニオンショップ協定」を締結しています。
広島電鉄支部には11の分会があります。分会とは電車やバスの営業所単位の組織をいいます。組合費についても知っておいてもらいたいと思います。広島電鉄支部では、毎月、各自の本給の2.5%を組合費として徴収しています。初任給は22万円ですから、それだけで5,500円となります。それに加えて、交通政策などの政治活動や分会が行う学習活動やレクリエーション活動への補助を行う、連帯活動資金があり、これは一律1,000円です。また、それとは別に闘争資金が2,000円、これでトータルは8,500円です。さらに、団体生命共済が3,100円です。そうすると最低でも11,600円程度が毎月徴収されるということになります。決して組合費は安くなく、私も高いと思っています。
ただ、闘争資金については積立だと思って下さい。労働組合が仮にストライキをすることになった場合、会社はその分の賃金を払いません。闘争資金は、会社による賃金カットの補てん用に個人名義で積み立てを行っていて、会社を辞める際に全額を返金することにしています。この闘争資金は、最近はストライキを打っていませんから、たまる一方です。私のような30年選手では、70万円もたまっています。組合全体の積立額は約6億円です。これがストライキ用の資金となって、何かあった時にはこれを取り崩して組合員に賃金カット分を補てんすることになります。組合員からは、「もう積立はやめたらどうか」という声もでています。しかし、私は、この積立金を持っておくことが会社に対する圧力になると思っています。6億円ということは、一人当たり平均では40万円になり、1カ月間のストライキを打てるということになります。このように、労働組合が闘争資金を持っているということは、会社にとっては脅威になります。年に1度の賃上げ闘争(春闘)の時は、組合員に投票してもらい、過半数の賛成を得てストライキ権を確立します。そうすると、会社側はこの労働組合を怒らせるとストライキをやりかねない、という気持ちに当然なります。私は、会社に対する抑止力として闘争資金は必要であり、組合員の闘争力のバロメーターとしてもこれを持っておきたいと考えています。
労働組合では、組合費を一般会計として1年間で1億4,000万円使います。そのうち人件費は7,000万円です。人件費とは、専従役員・職員の賃金、組合活動をする組合員の賃金の補てん分です。勤務時間中に組合活動をした場合も賃金はカットされます。例えば、10時から役員が集まるとなると、他の人がその仕事を代行することになり、そうなると、組合役員の賃金はすべてカットされますので、それを補てんしなければなりません。他の企業では、労使の取り決めにより組合活動中の賃金をカットしないところもありますが、広島電鉄支部の場合は、賃金カットされるという会社との関係を維持しています。それだからこそ、会社は組合の活動に介入することはできません。好きな活動が好きなだけできるわけです。会社から賃金を保障された場合、会社から組合の活動に制約をかけられることもあると思います。また、労使関係が一歩おかしくなると、そういったこともできなくなります。組合活動を自由闊達に行うためにカットを甘んじて受けて、私たちの主張したいこと、やりたいことを実行する、そのためにはこれだけの組合費が必要です。
会社の介入のない自由な組合活動ができること、これが重要であることを皆さんに伝えたいと思い、組合費の額を引き合いに出しました。ちなみに、私たちが会社から便宜供与を受けているものは、社内電話の使用と組合事務所の敷地を賃貸で借りていることのみで、あとは完全に会社からは経済的にも人材的にも独立した組織として活動しています。
3.広島電鉄における契約社員制度導入の背景
それでは、本題に入ります。まず、契約社員制度がどのような経緯で導入されたのかということからお話しします。
広島電鉄に契約社員制度が導入されたのは2001年のことです。職種限定で、自動車の運転士と電車の車掌だけが対象でした。なぜ会社はこの制度を導入しなければならなかったかというと、2002年に道路運送法が改正され、新規参入などの規制が緩和されました。バスや鉄道業界もこの規制緩和によって、競争社会に放り込まれることになったわけです。改正前の道路運送法では、バスや鉄道事業は認可事業でした。需給バランスを見て国が認可するため、むやみやたらにバスや電車を走らせることはできなかったのです。しかし2001年の改正以降は、誰が走らせようと営業の内容も含め自由となり、認可事業から許可事業に変わりました。
当時、すでにバスや電車の業界は、少子高齢化によって利用者がぐんと落ち込み始めていました。そのため、国や自治体から欠損、つまり赤字分の補てんをしてもらわないと事業を続けられない会社ばかりでした。会社は、「今後は補助金を当てにしているようではだめだ」と考え、内部努力によって企業の存続を図ることを方針として掲げました。
ただ、収入は落ち込むばかりで、補助金も入らないとなるとどうやって存続させるかということになります。そうなると、内部のコストを下げるしかなく、新しいバスや電車の購入を控えるということもしますが、一番手っ取り早いのは人件費を下げることです。
そこで会社が考えたのは契約社員制度の導入でした。契約社員の条件は、雇用契約期間は1年、労働時間は正社員より長い労働時間です。正社員は労働組合が頑張って取り組んだ結果、労働基準法が定めている労働時間より短い4週150時間ですが、契約社員は法定労働時間の4週160時間です。賃金は、何歳で入社しても、どれだけ経験があっても同じ金額です。例えば運転士は23万1000円で、発足当時は22万円でした。年間の賞与は、正社員は月給の4.0ヵ月分+α、概ね実質4.8ヵ月分です。それが契約社員は、当時は2ヵ月分でした。契約社員には退職金制度もありません。こういった条件で契約社員を採用し、コスト削減を図る、これが会社の考え方でした。このような動きは広島電鉄だけではなく、他の電鉄会社も同様の方法でコスト削減を図ろうと、躍起になっていた時代だったのです。
4.労働組合の対応
労働組合は、契約社員の労働条件を見たとき、このような条件で募集をしても、応募してくる人がいるわけはない、と思ったのです。ですから当初この制度導入には反対しました。しかし、会社は、「これは会社と応募者個人との問題だ。雇用契約の問題は、労働組合がとやかく言う問題ではない」と主張し、ほとんど交渉になりませんでした。私たちは、「この条件で応募してくる人がいるのであれば、それは仕方がない。しかし、こういう条件で長年勤めさせるというのはいかがなものか。とくに安全を担保しなければならない乗務員が、生活もままならない環境で働くことは容認できない」と主張しました。そして、「導入時から3年経過後は正社員に登用する」という要求を出しました。しかし、この交渉は不調に終わり、会社はしばらくたってから回答を出すということになり、私たちの要求は実現しませんでした。
一方で、私たちがもう1つこだわったのはユニオンショップ協定の締結です。「正社員は全員ユニオンショップ協定のもとで組合活動をやっている。この協定を契約社員にも適用する」という要求をだしました。これについては会社も譲歩して理解を示し、ユニオンショップ協定を締結することになりました。
これが一番のターニングポイントでした。このとき契約社員を組合員化していなければ、今日のように全員を正社員化することはできなかったと思います。ちまたでは、非正規社員の組織化すらできない、人間は保守的ですから組織の外の人間について、そこまでエネルギーを費やすことは、既存の組合員が許さない場合もあります。そのような中、制度の導入時点で契約社員を組織化することにより、彼らの要求を酌んで交渉するという土壌ができたことは、労働組合にとって一番の成果だったと思います。
5.労働組合分裂の経験
皆さんは、なぜ広島電鉄の労働組合は非正規社員の正社員化にこだわったのか、また会社もそれを簡単に認めたのか、疑問に思われたのではないでしょうか。労働組合には、過去の苦い経験があったが故に正社員化にこだわったという部分があります。この点を理解いただくには、広島電鉄の労働組合の歴史を少しお話ししなければなりません。
広島電鉄の労働組合は終戦直後の1946年に結成されました。占領軍のマッカーサーが労働組合の結成を奨励し、広島電鉄の労働組合もこの占領軍の方針に従って結成されました。結成大会を開き役員を決めて申請しました。ところが、最初の届け出は受理してもらえなかったのです。なぜならば、組合の委員長は部長、三役を含めて管理職を労組役員として届け出たからでした。労働組合法をご存知の方はわかると思いますが、労組役員は企業の利益代表者ではいけません。当時はその程度の認識の労働組合結成だったわけです。
労働組合の活動は、終戦直後で食べるものも着るものもない、住む家もないという混乱期ということもあって、高揚していきました。ストライキで電車を止めることも頻発して、乱暴な運動も横行するようになりました。そうすると、労働組合の活動を良く思わない人も出てきます。そうした人たちを会社がテコ入れする中、1954年には労働組合が分裂し、たくさんの労働組合ができました。乱暴な労組は必要ない、民主的な労組をつくろう、ということから分裂していったわけです。労働組合は、その後1993年に組織統一を果たしますが、分裂状態は39年間も続きました。
私が入社した当時も分裂していました。新入社員が入ったときは勧誘合戦となり、飲ませ食わせなど、いろいろな手を使って組合員を増やそうとします。私自身はそういう時代を知っていますから、労働組合の分裂によって職場が分断されているということが、どれほど悲しいことかがよくわかります。私が入社して配属された電車整備の仕事は、部品が重いのでグループで作業をしていました。そのとき先輩から教えられたのは、あの人とあの人は第二組合にいるので、仕事では必要最低限の話はしてもいいが、それ以外の関わりはもたないようにということです。仕事の後のつき合いも一切してはいけないと教えられました。社員食堂でも真っ二つなのです。こちらからこちらは第一組合の人、こちらからこちらは第二組合の人というように、食事の時すら口をきかないような状況です。したがって、職場は非常にギスギスした環境にありました。私自身がそういう経験をしていますから、契約社員という、正社員と違う身分の人が入った時にそのまま放置すれば、過去と同じ組織分裂になるのではないかと感じました。また、第一組合と第二組合の間でいろいろな差別事件もありました。例えば、会社は新車を導入すると第二組合の人には新車を担当させ、第一組合の人にはお古のバスを運転させます。先輩たちは、こうした差別の中で耐えて生活をしていたということもあったので、どうしても分裂した職場の再来は避けたかったのです。契約社員は1年という有期雇用で賃金も低い、労働組合としては何ができるか、組織化には少し不安もありました。しかし、組織分裂の再来はなんとしても避けたいという一念で、契約社員を組織化し、会社側にユニオンショップ協定を締結させました。
一方、会社にも分裂の時代は再来させたくないという思いがありました。どういうことかというと、物事一つ決めるにしても二つの労働組合と協議しなければなりません。二つが競合している状況では、片方の組合がOKを出しても、片方はなかなかOKを出しません。そうすると一つの事案でいつまでも時間がかかってしまうのです。社内全体がまとまらず、ダイヤ改正すらできないという時代が続き、会社も分裂には手を焼いていました。冒頭の会社紹介では、広島電鉄では不動産事業もやっていると言いました。郊外の宅地造成を行い、そこにバスや鉄道の路線をつくって利益を拡大するというのは、全国各地の私鉄産業の常套手段です。広島電鉄も郊外に団地をつくり、バスを走らせ、バス路線を拡大しようとしましたが、労使の協議が難航して話がまとまりません。家はどんどん建っているのにバスが走らない、もたもたしている間に別の会社がバスを走らせてしまった、ということもありました。それは会社にとって損ですが、働く者にとっても損になります。そういったマイナス事案が多くあり、会社にも組合分裂の再来は避けたいという思いがあったと思います。
6.契約社員制度導入後の労働組合の活動
3年経過後は正社員に、という要求を掲げたものの、実現しないまま契約社員制度は導入されました。これに対して労働組合ではいろいろな取り組みを進めていきました。さまざまな組合員の権利と義務を平等化させ、組合規約を整理して、できる限り統一した扱いをするように努力しました。当初は準組合員という扱いで賃金が低いことから組合費も低かったのですが、それはおかしいだろうということで、最終的には統一しました。
そのような中で、ある日契約社員から、「正社員の組合員がいる場では自分たちの意見は言えない」という意見を聞きました。正社員は先輩であり、自分たちは身分が違うという自覚からの意見だったのです。それを聞いた執行部は、契約社員の人だけを対象とした職場集会を企画しました。勤務日はバラバラですから、執行部も1週間のスパンをとって、それぞれの休みの日に参加できるよう集会を企画しました。この集会には70%の組合員が参加して、いろいろな話を聞かせてくれました。正規の職場集会では出ない意見を聴くことができたのです。例えば、会社からの圧力だけではなく、組合員同士で圧力をかけあっていることや、差別的な扱いをされているということなどでした。また、彼らから一番よく聞こえてきたのは、「契約社員として納得して入社したが、いつになったら正社員になれるのか。組合も要求を掲げてくれているが、このまま正社員になれないとすれば、別の職を考えたい」という意見でした。私たち執行部は、早く何とかしなければという思いをこの集会の中で強く持ちました。
制度導入後の活動は、特に正社員との格差是正を目標に掲げて交渉を進めてきましたが、制度導入の3年後に動きが出てきました。私たちの要求が一歩前進し、会社側が、「正社員にする」と回答してきたのです。「正社員Ⅱ」という制度の誕生です。
ただ、その中身はと言えば、あ然とするものでした。会社は、「賃金や労働時間や退職金制度は一切変えない。雇用期間だけは定めのないものに変える」といってきたわけです。これまでの制度のうち、1年の有期契約が無期契約になっただけでした。会社側も交渉では粘り腰を見せて、「労働組合は正社員とは定年まで働ける権利がある者と言っている。そうであるならば、『正社員Ⅱ』という制度をつくり、3年たったら正社員Ⅱにする」といってきたわけです。
労働組合としては、この回答は納得できるものではなく、交渉を続けることにしました。しかし、その当時契約社員だった人は、これはこれで評価をしてくれました。1年契約であることの精神的ダメージが大きく、雇用期間が満了する直前になると、自分は次に更新してもらえるのか、という不安がよぎるらしいのです。特にお客さまから苦情が入ったことがある、事故を起こしたことがあるなど負い目がある人は、契約が更新されないのではないかと不安になるようです。「正社員Ⅱ」になれば、こうした不安だけは免れるということで評価してもらえましたが、労働組合は均等待遇の実現をゆるぎない目標に掲げ、交渉を続行することにしました。
契約社員制度が導入された2001年当時のバス部門は赤字の温床でした。2001年当時の赤字は約1億8,000万円です。2002年も赤字でしたが、2003年は、1億3,900万円の黒字に転換しました。バス部門は21年間黒字になったことがなかった部門でしたが、黒字を計上することができたのです。これはひとえに契約社員制度導入の効果です。契約社員の年収は300万円そこそこです。定年退職で辞めていく人の年収は当時約800万円でしたから、一人入れ替わればコスト500万円減ということになります。新陳代謝の激しい時期ということもあり、どんどん人件費が下がり、その結果としての黒字転換だったのです。
労働組合は、「バス部門の黒字化を果たしたからには、契約社員の正社員登用は免れない」と主張し続け、2006年に「職種別賃金制度の導入」ということで、最終的な労使合意を得ました。このとき、どういう方法で彼らを正社員にするか、いろいろ考えました。まず私たちが考えたのは、賃金制度を統一して、そこに契約社員も正社員も組み入れることで、均等待遇を実現しようということでした。社長との直談判で私が、「社長、そろそろ5年も経つのだから契約社員の正社員化にウンと言って下さい」というと、社長は、「何か方法があるのなら、それを教えて欲しい」と開き直るのです。そこで私は、「人件費の総額を変えなくて良いから統一しましょう。この方法によって全員を正社員にして下さい」と言いました。社長は、「人件費総額を変えない方法で正社員化ができるのであればやってみよう」ということになったのです。これが2006年の労使合意でした。
7.難航した賃金制度の変更
契約社員全員の正社員化は、ここからがひと悶着あって、最終的には3年かかりました。
具体的には、労使による賃金問題専門委員会(会社側=専務ほか労務担当者、組合側=執行委員長ほか三役)を設置して、制度の基本を議論しました。この中で会社側は、能力型の賃金制度を提示してきました。それは、例えば、運転手の賃金は3段階となっており、初任給、中間どころ、もう一歩上の賃金というものでした。一方、労働組合は年功序列型を原則とするものを提示しました。なお、私たちは、会社との協議を進めながら、組合員との話し合いも進めなければなりませんでした。会社は社長独断で決めることができますが、労働組合は働く人の代表として、組合員の意見を聞きながら会社と交渉をしなければなりません。
私たち執行部は、そういう意味では二重の交渉を行いながら、制度づくりを進めていかなければならなかったのです。組合員からは、「人件費の総額を変えないとなると賃金が下がる人も出てくるのではないか。どの程度下がるのか教えてほしい」という意見がだされました。また、広島電鉄では定期昇給は1円もありません。賃金にカーブがついているのは、これまで春闘で頑張ってきた成果の積み重ねによるものです。それを下げることについては、組合員も大きな異論を唱えてきました。「組合のやろうとしていることは理解している。しかし、賃金を下げることはまかりならん」という意見です。組合員も相当悩んだと思います。契約社員には若い世代が多く、正社員の組合員からみれば、自分の子どもと同じような年齢の社員です。そういった人たちが低賃金で働いているのを見て、「何とかしてやってくれ」という組合員もいました。しかし、自分の賃金のことになると、「どれくらい下がるのか、組合が率先して下げるのか」と言ってきます。労働組合が組合員全体に説明して周知徹底を図ろうとすると、2週間ほどはかかります。執行部案をつくり、組合員の了解を得て、1回1回集会を開き決定しながら進めていくため時間がかかりますので、労働組合の対応に会社が業を煮やしたこともありましたが、3年かかった背景には、こうした組合員への理解を得る労働組合の活動がありました。
8.制度移行と激変緩和措置
こうした過程を経て、2009年に最終的な賃金制度、職種別の基本給制度が決定しました。例えば運転士の場合は、初任給21万円からスタートし、700~800円の昇給ピッチで階段があり、上限が32万円ということになります。なお、新しい賃金制度では上限がつくられることになりました。それ以前の制度は青天井で、年功があがればあがるほど賃金が上がるようになっていました。また、他にもいろいろな矛盾があり、下位の職種の人が上位の人を追い抜く逆転現象の賃金体系でもありました。そこで、新しい賃金体系では、下位職が上位職を絶対に追い抜かないことにしました。新たな制度は、会社の思い(能力型)と組合員の思い(年功序列型)をミックスしたような賃金体系となりました。
制度移行にあたっては、従来の賃金がこの範囲で収まる人の場合、文句はないわけですが、それから外れる人は賃金ダウンになります。新制度の適用によって、平均で2、3万円超過した人は300人、また、契約社員として恩恵を受ける人も300人いました。しかし、月給が35万円から32万円に下がる人がでてきました。私たちは、3万、4万円と一気に下がるというのは問題だと思いました。そこで、どうすれば良いか考えた結果が激変緩和措置です。10年間かけて32万円にしていくという方法で、例えば2万円下がる人の場合、月2,000~3,000円の範囲内での減額であれば容認できるだろうという判断をしたわけです。これについて会社は5年の措置期間を主張しましたが、最終的には10年で合意しました。
9.賃金制度の変更と同時に定年延長を実施
一方、措置の対象となるのは50代後半のまもなく定年を迎える人がほとんどです。そこで、10年の激変緩和措置に合わせて定年年齢を65歳に引き上げました。
従前の制度は、60歳の時点で賃金は2割ダウンになり、60歳以降はパート勤務での再雇用でしたが、新しい制度では65歳まで正社員として働き続けることができます。これらの制度の組み合わせによって、月給が10年間逓減される人たちも、従来の制度と比較した場合、新しい制度の方がいいということになり、そうなると組合員もそうは怒りません。
こうして、2009年3月に最終的な合意を得て、11月には新しい賃金体系に移行し、それにより、契約社員全員が名実ともに正社員になりました。契約社員の中には気の早い人もいて、新しい賃金体系が適用されると同時に車や家を買うなど、生活設計を大きく変える人もでてきました。契約社員からは、「本当にありがとうございます。実は辞めようと思っていたのですが、新しい制度になったので定年まで頑張ります」という声が寄せられました。正社員からは、「月給が2,000円から3,000円程度下がるが、毎年の春闘で賃金があがっていけば下がった分も相殺されていく、下がり続けるわけではない。玉虫色ではあるけれども評価する」という声が寄せられました。
10.正社員化による成果と今後の課題
契約社員の正社員化によって、労働組合に対する信頼感が出てきました。会社としても効果があったと思います。苦情の件数も激減し、責任事故(接触事故)の減少が顕著に表れました。最近は苦情もメールですからダイレクトで、会社のみならず、陸運局、国土交通省にまでいきます。そういった苦情が減りました。また、採用希望者が非常に増えました。それも全国各地から応募してくるケースが目立つようになり、良質な労働力の確保ができるようになりました。
一方、新しい制度にも矛盾点はあります。職種間の格差問題や移行措置への不満など、労働組合内部の意見も含めて、まだまだ調整しなければならないところは残っています。
おわりに
私たちが2009年に実現した非正規労働者の正社員化の取り組みは、先進的事例との評価をいただきました。しかし、それ以降、広島電鉄以外の企業でそれが進んだかというと、決して進んではいません。私はこの現状を非常に憂いています。非正規労働者が正社員になりたくないと思っているわけでは決してありません。労働組合ができることはたくさんあります。とりわけ非正規労働者の正社員化、これは労働組合がやるしかありません。会社が自ら進んでやってくれるとは誰も思っていません。
私は、世の中の労働組合の人たちには、非正規労働者の正社員化をもっと真剣に考えてほしいと思っています。労働組合が先頭に立たなければいけないと思っています。そういう意味では、労働組合の力量が問われており、特に幹部は意識を持って取り組み、そこに結集する組合員との信頼関係をつくっていかなければならないと思っています。
皆さんは、まだ社会人ではなく、労働組合のことはよくわからないと思いますが、皆さんがしたい仕事、やりがいのある仕事をしようと思った時、労働組合の助けが必要です。皆さんがそれぞれ社会に出た時は1人、誰も助けてはくれません。その時助けになるのは労働組合しかないのです。そういったことを頭に入れていただいて、労働組合のあるところに就職していただきたいと思います。もっと言えば、労働組合の活動も率先してやってくれるような人になってほしいと思います。
以 上
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