「働くことを軸とする安心社会」の実現に向けて
はじめに 逢見UIゼンセン同盟副会長
今日は修了講義ということで、はじめに古賀連合会長より、「働くことを軸とする安心社会」の実現に向けた連合の取り組みをお話しいただきます。その後、皆さんの質疑を受けた意見交換を行いたいと思っています。
なお、今日のお話しに対する質問に加え、これまでの講義でだされた質問にも回答しながら進めていきたいと思っています。どうぞよろしくお願いします。
課題提起:「働くことを軸とする安心社会」に向けて 古賀連合会長
1.現状認識と課題
(1)1989年:連合結成と世界の転換期
連合は1989年11月に結成されました。1989年というのは極めて大きな時代の変革期となった年で、ドイツでは11月にベルリンの壁が崩壊し、中国では天安門事件が起きました。日本では年号が昭和から平成に変わり、3%の消費税が導入されました。
また、この年ビルマが国名をミャンマーに変えました。これを行ったのが当時の軍事政権であったことから、私たちは未だにミャンマーとは言わず、ビルマに関する国際労働運動の会議も「ビルマ会議」と言っています。今年6月のILO(国際労働機関)総会では、アウンサン・スー・チー氏が特別演説を行いましたが、彼女も固有名詞以外は全部ビルマで通しました。ちなみに、私たち連合はビルマの民主化を支援し続けています。
さらに日本では、1989年末の日経平均株価の最終値が38,915円という超高値をつけました。そして、1990年代に入るとバブルは崩壊します。
私たちが注目しなければならないのは、ベルリンの壁の崩壊によって東西ドイツが融合したことのみならず、社会主義国家が雪崩を打って市場経済に転換し、単一世界市場が形成されたことです。1990年代に入るとIT革命がどんどん進展していき、Windows も1990年代の初めから中盤に開発がすすみ、誰もがIT機器を使うようになりました。世界の単一市場化とITの進展によって、「ヒト・モノ・カネ・情報」が一瞬のうちに国境を超える時代になりました。グローバリゼーションが激化する、そういう時代を迎えたわけです。
(2)「無極化」の時代
世界はいま無極化の時代と言われています。「無極化」という言葉は、リチャード・ハースという、アメリカ国務省の元高官が最初に雑誌に書いた言葉です。20世紀はいくつかの大国が存在する多極化の時代、そして二つの大戦を経てソビエト連邦とアメリカ合衆国による東西冷戦という、二極化の時代が続きました。その後、ベルリンの壁の崩壊によって東西冷戦構造が終焉します。次はアメリカの一極支配になるのかと思われましたが、アメリカン・スタンダードが世界を席巻することにはならず、リチャード・ハースはこれをNon-polarity、無極化と呼びました。したがって、いま世界も日本もその無極化の中からどんな秩序をつくっていくかという、大きな転換期を迎えています。
(3)新自由主義モデルからディーセント・ワークへ
世界単一市場化、グローバリゼーションの進展を推進した経済思想は、「新自由主義」でした。例えば、イギリスのサッチャリズム(サッチャー主義)やアメリカのレーガニズム(レーガン主義)、市場経済万能主義がこの思想にあたります。日本でも小泉政権が新自由主義を強く打ち出しました。市場に任せれば秩序は整う、官(公務)は効率が悪く、民間に委ねればその効率は上がるという考え方です。また、官から民への流れのなかで、政府は必然的に小さければ小さいほど良いというフレーズが使われました。
しかし、世界の人々は、2008年のアメリカの金融危機に端を発した世界同時不況を経験し、本当に今の経済政策・社会政策で人は幸せになれるのか、ということを立ち止まって考え始めました。連合は、新自由主義から「ディーセント・ワーク」への転換を、すなわち質の高い雇用を求めて、働きがいのある人間らしい仕事をベースとした社会政策や経済政策を進行させなければならないことを訴えています。
このディーセント・ワークへの転換は、ILOが1999年に提起した政策です。政府代表、労働者代表、使用者代表の三者構成で意思決定を行うユニークな仕組みを持つILOがこれを提起した頃、国際通貨基金(IMF)や世界銀行、経済協力開発機構(OECD)においても、ディーセント・ワークは主要な政策の横に置かれていました。
2008年以降、社会政策・経済政策を世界の枠組みで議論する場は、G7からG8へ、そして新興国を含めたG20へと拡大していきます。2008年11月の第1回のG20では、質の高い雇用を世界経済回復の中心に置くという宣言が採択されました。そして、ILOがこのG20の枠組に加えられるようになりました。昨今では、IMFのラガルド専務理事がITUC(国際労働組合総連合)と共同でディーセント・ワークを追求していくと公言するようになりました。OECDも、過去に主張した市場原理だけでは人々は幸せになれない、と方針を転換しています。いま、世界は大きく転換しつつあります。
ILOは、第二次世界大戦末期の1944年に、アメリカのフィラデルフィアで総会を開き、ILOの行動指針となる、「フィラデルフィア宣言」を採択し、そのなかで、「労働は商品ではない」と宣言しています。労働とは単なる商品ではなく、人が働くということなのだと。そしてもう一つ、「一部の貧困は全体の繁栄にとって危険である」と宣言しています。一部の貧困を見過ごしていると全体がおかしくなるということです。これは、現在の日本の状況にも当てはまり、貧困をなんとか解消しなければなりません。
ところで、1944年のフィラデルフィア宣言より前に、日本で同じことを言っている人がいました。それは明治後期から昭和初期までを生きた詩人、宮沢賢治です。彼は、「世界中が幸せにならなければ個人の幸せはありえない」という言葉を残しており、フィラデルフィア宣言と極めて似ています。
先ほどふれたG20は政府代表の会議ですが、2011年のフランス開催からL20、B20が組み込まれるようになりました。L20のLはlabor、労働者、20カ国の労働組合の代表の会議です。B20はBusiness、経営者・使用者代表の会議です。現地ではL20とB20が一緒に会議をやり、労働に関する問題を含めて論議しG20に提言することを始めました。L20には、私も労働代表の一人として参加をしています。
(4)脅かされる日本社会の持続性
このような流れのなか、世界ではディーセント・ワークにむけた土壌が整いつつあると思います。しかし、現在日本では、非正規労働者が全労働者の35%を超えています。そして、年収200万円以下の人々が1,200万人を超えて、雇用労働者の25%を占めるに至っています。また、生活保護の受給者が210万人を数え、年間の自殺者は10年連続で3万人を超えています。このような状況に加え、日本は世界に類を見ないスピードで超少子高齢化も進行しており、日本社会の持続可能性が脅かされています。
国立社会保障・人口問題研究所が今年の初めに将来人口推計を発表し、50年後の日本の姿が明らかになりました。日本の人口は、2010年の1億1千数百万から、50年後の2060年には8,600万人強になる。そして、15~64歳までの生産年齢人口が激減し、2010年には8千数百万人であった生産年齢人口が、2060年には4,400万人強となる。65歳以上の人口の占める比率は、現在の23%から2060年には40%になると予測されています。
野田総理がテレビでこんなことを言っていました。「昔は65歳以上の人たちを胴上げの様に沢山の人たちで支えていた。しかし、今は騎馬戦型といって、高齢者1人を3人で支えている。そして30年40年先には、肩車型、1人で1人を支えなければならない超高齢社会が来る。社会保障をより健全なものにするには負担と給付の関係を考え、消費税を上げないといけない。そして、社会保障を全世代支援型にしていくために、負担を分かち合って下さい。」これは、いま政府が訴えている社会保障と税の一体改革の議論です。
労働力がどんどん先細りしていくことは、経済の供給面からも問題があります。一方、お年寄りが増えるので必要な財やサービスという需要構造も、現在とはかなり変わったものになっていきます。
生産年齢人口の減少がこれだけ加速をしていくわけですから、性別を問わず、年齢を問わず、働く意欲と能力のある人は働くことを通じて社会に参画し、全体で社会を支え合う、そういう構造にしていく必要があります。女性の労働参加率のアップ、若者の就業促進、元気な高齢者への働く機会の提供などをミックスしていかなければならないと思います。
2.連合の政策理念と「働くことを軸とする安心社会」
(1)5つの政策理念
私たち連合は、2008年の世界同時不況を契機に、もう一度連合の運動や政策の理念を再生しようと5つの政策理念を提起しました。
その1つ目は「連帯」です。人と人とが支え合い、繋がり合う、あるいは結びあう。お互いに足らざる点を助けあうことです。2つ目は「公正」、3つ目は「規律」です。社会の隅々まで公正や規律が保たれているかどうかを点検する必要があります。この2つは労働の側面からみても重要なキーワードです。4つ目は「育成」です。人材育成だけでなく、みんなで育む社会という理念です。5つ目は「包摂(インクルージョン)」です。人あるいはある層を排除しない、弱者を排除しない、すべての人たちを包摂する社会をつくっていくことです。私たちは、この5つを政策理念として掲げました。
(2)「働くことを軸とする安心社会」
連合は、結成から20年たった2009年に、私たちのめざすべき社会像を社会に問うてみようと議論を始めました。私たちは、働くことに最も重要な価値を置く社会をつくりたいと考えています。働くことの主体は、雇用労働者だけではなく、地域活動に携わる人、子育てを一生懸命やっている人、家事をやっている人などであり、みなそれぞれの持ち場、持ち場で、働くことを通じて社会に参画をしています。公正な労働条件がすべての人々に担保され、それぞれが社会的経済的に自立していくために支え合う、私たちはそんな社会を「働くことを軸とする安心社会」としました。
長い人生の中では、思いがけない病気や事故にあうこともあります。働く現場を見てみても、一生懸命仕事をやっていても、大きな産業構造の変化のなかで職を失うこともあります。私たちは、病気や事故にあったり、職を失った時には社会がそれを受け止め、次のステージに挑戦できるようなセーフティネットがきめ細かく張られている社会をめざしています。
私たちは、「働くことを軸とする安心社会」の理念を共有し具体化を図るため、2011年後半から全国各地でタウンミーティングや対話集会を開催しています。現在まで6か所で開催し、開催地の知事や行政の方、経営者、大学の先生、非正規で働いている方々に来てもらい、対話集会やタウンミーティングを通じて議論を行いました。このような行動を含め、安心社会の実現をめざして運動を展開しています。
また、めざす社会を実現するには、日本社会だけではなく、世界の大きな枠組みの中で解決しなければならないこともあります。「ヒト・モノ・カネ・情報」が一瞬で国境を越える実体経済とかけ離れた世界をどう規制するのか、国際的枠組みをどうやってつくっていくのかという議論も必要です。
3.連合運動の基軸と課題
連合は、「働くことを軸とする安心社会」の実現にむけて、「復興・再生に全力」、「新たな社会・経済モデルの構築」、「労働運動の社会化」という、3つの基軸を立てて運動を展開しています。
(1)復興・再生に全力
東日本大震災の発生から1年数カ月がたちました。しかしその復興・再生の槌音はまだまだ弱いと言わざるを得ません。私たちは時間と距離が離れていても、被災地に寄り添うことができる筈です。被災地に関心を持つこと、そして、私たち1人ひとりに何ができるかを考えることが大切です。あの大震災を決して風化させてはいけません。
連合は、大震災の後の半年間、絶え間なくボランティアを送り続けました。一定量のボランティアが絶え間なく被災地に入ることは、受け入れ側にとっても大きなメリットがありました。そのほか、カンパを集めて送る、救援物資を送るなどの支援をしました。当然、政府に政策要求も行いました。現在は、被災三県の地方連合会とともに、その地その地にあったニーズは何かを探しながら、行動を起こしている段階に入っています。
被災地の復興・再生を日本全体の再生にどう繋げていくのかが問われています。被災地域は日本の先行モデルです。少子高齢化が進んでいる、第一次産業は漁業、農業、林業のすべてがある、世界のサプライチェーンが止まったと言われたように、技術力がある工場も点在し、特徴をもった大学があります。過疎も進んでいます。こうした被災地域を再生させ日本全体の再生に繋げるという、一つの先行モデルにしなければならないと思います。
(2)新たな社会・経済モデルの構築
先進国は成熟社会に入っており、成熟社会にあっては右肩上がりの高度成長は望めません。低成長で、しかも価値観や国民の欲求・欲望は多様化する時代に入っています。私たちは好むと好まざるとにかかわらず、多様化した価値観をどう一つの概念にまとめていくかという、極めて難しい時代を生きています。新たな社会・経済モデルの構築のため、めざすべき社会像を掲げ、そこにむけて一歩ずつ進んでいくことこそが私たち連合の運動です。
最近、二項対立の意見が余りも多すぎる気がして仕方ありません。例えば、反原発か原発推進か、経済成長か財政再建か、労使交渉では、企業の存続か労働者への分配かなどです。私は、足して2で割る政策が良いということではなく、私たち自身が多くの価値観を別の次元で統合しながら、新たなコンセプトをつくりだしていく、それが今の時代を生きていく私たちの役割ではないかと思っています。過去のコンセプトに照らしていると、ゼロかイチかの議論になってしまうのではないかと思っています。
(3)労働運動の社会化
戦後たくさんの労働組合ができましたが、現在の労働組合の組織率はかなり低下していて現在は約18%です。高度成長時代はパイがどんどん拡大し、ビッグユニオンがパイの配分交渉で結果を出せば、それが社会に波及し社会の成長にも繋がっていました。
しかし、いま日本は間違いなく成熟社会に入っています。パイが拡大しないなか、私たち自身がメンバーシップに閉じこもった運動だけをしていては、メンバーシップの幸せも追求できない時代を迎えています。労働運動をメンバーシップだけの運動ではなく社会化していく、社会運動の一環として労働運動をやらなければなりません。そのためには、様々な人たちや様々な団体など、志を一つにする人たちとネットワークを組んで行動や運動、活動を行っていく、政策提言を行っていくことが重要です。
そして、私たち自身が仲間を増やし、18%という組織率を引き上げていくことが不可欠です。2011年10月に開催した連合第12回定期大会では、目標に「1000万連合」を掲げました。実はこの目標は、1989年の結成大会で掲げたものです。連合は、2020年に1000万連合を実現することを大会方針で決定し、現在その具体策について議論を進めています。
「働くことを軸とする安心社会」は容易にできるとは思いません。しかし、私たちは働くことに最も重要な価値を置く社会をめざし、労働運動に取り組んでいきたいと思います。
質疑応答:前回までの講義で出された質問への回答 逢見UIゼンセン同盟副会長
アルバイトをしていますが、自分たちの意見が尊重されず、お客さんの期待に添えないという悩 みを抱えています。イオンの労働組合がパートからの働きかけではなく、組合自らがパートの人たちの意見を聞こうと思ったきっかけは何ですか。パート・アルバイトからは発信できないのでしょうか。
イオンリテールの越川さんが非正規労働者の組織化と処遇改善の取り組みをお話しした時の質問ですが、これはおもしろい視点だと思います。パートの発言や発信とはどういうことなのか。これを理論的に説明するものに、「発言・退出モデル」があります。アメリカのハーシュマンという学者が考え出し、これをフリーマン=メドフというアメリカの経済学者が約30年前に労働組合の行動に当てはめて考えたモデルです。
会社にいて不満、例えば、賃金が安い、労働時間が長い、もうこんな会社で働くのは嫌だと思った時にどういう行動をするか。行動の一つは「退出」(イグジット)、要するに辞めてしまうことです。これは、不満の局面からは離れられ、本人にとっては問題の解決になります。ただし、残った人にとっては問題そのものが残っています。
もう一つに発言(ボイス)があります。これは会社の中で、例えば、「賃金が安い、もっと上げてくれ」「労働時間が長い、仕事がきつい、もっと改善してくれ」と相手に対して発言することです。アメリカでは、労働組合は既得権を守る組織というイメージが非常に強くありましたが、フリーマン=メドフが「発言・退出モデル」を開発したことによって、労働組合の新しい機能が理解されるようになりました。
日本の労働組合も同じ機能を持っていますが、組合は正規の人たちでつくるものだというイメージがあり、非正規の人たちに拡大してこなかったわけです。しかし、現在は流通産業を中心に、組合員の範囲を非正規労働者まで拡大しつつあります。この議論に関しては、法政大学の佐藤厚さんが『連合総研レポートDIO』No.240、2009年7・8月合併号に「非正規労働者の声をくみ上げる」という論文をまとめています。その中で、「不満を解決する方法には、[1]転職して条件の良い職場に移る(端的にイグジット、つまり離職)、[2]組織内での条件向上を図るために不満のないポジションに移る(端的に昇進)、[3]労働組合などの集団を通じて不満を発言する(端的にボイス)の三つが考えられる。」と整理されています。非正規の人にとって、[1]、[2]の行動はありうるのか、佐藤さんは「実質的にみると非正規の場合の不満解決方法は結局のところ発言しかないのが現状ではないか」と分析しています。そして、「パート・アルバイトや派遣労働者は正社員よりも労働組合が必要と認識している。」「非正規の組織化のニーズは労組のある職場では強いが、職場に労働組合がない場合には労組の必要ニーズを低下させてしまう。」と結論づけています。非正規の人にとっては労働組合の必要性が高いのだと分析しています。何故かと言えば、非正規の人たちにとっては、発言によって問題解決をするという方法しかないからです。したがって、労働組合が非正規に対してそのウィングを広げ、そういった人たちの声を拾い上げることが、労働組合の行動にとっても、非正規・パートの人にとっても解決方法として重要だということです。
なぜ労働組合の人気がないのか、その理由についてどう考えているのでしょうか
労働相談からみた職場の現状と労働組合の役割についてお話しした田島さんの講義ではこうした質問がありました。
NHKの放送文化研究所が5年に一度、同じ質問を無差別に選んだ人たちから聞いている調査があります。この調査結果はNHKブックスから『現代日本人の意識構造』として出版されていますが、この中に「権利についての知識」という質問があります。「この中で憲法によって義務ではなく、国民の権利として保障されているものは何だと思いますか」として、例えば、「思っていることを世間に発表する」「税金を納める」「目上の人に従う」「道路の右側を歩く」「人間らしい暮らしをする」「労働組合をつくる」という項目があげられています。例えば、生存権、人間らしい暮らしをする権利は国民の権利として保障されていると思っている人は70%以上います。思っていることを世間に発表する、つまり言論の自由が憲法で保障されていると思っている人は約40%です。最近ちょっと下がってきて約30%です。労働組合をつくる権利は団結権、これは憲法28条に労働基本権として保障されています。労働組合をつくることが権利として保障されていると思っている人は、1970年代は30%以上でしたが、だんだん下がって、2008年には22%となっています。権利であることを認識していない人々が増えている傾向にあり、その点で、学校での労働教育が弱まっていると思います。
同じ調査で結社・闘争性(職場)をみるものがあります。これは「仮にあなたが、新しくできた会社に雇われたとします。しばらくしてから、雇われた人々の間で給料や働く時間などの労働条件について、強い不満が起きたとしたら、あなたはどうしますか」という質問に対して、「1.できたばかりの会社で労働条件はしだいによくなっていくと思うから、しばらく事態を見守る」(静観)、「2.上役に頼んで、みんなの労働条件がよくなるように、取りはからってもらう」(依頼)、「3.みんなで労働組合をつくり、労働条件がよくなるように活動する」(活動)の3つの選択肢があります。静観は、1970年代は37%だったのですが、最近は50%、半分の人が黙って見守るを選択しています。依頼、上役に頼むというは23~26%で変わりません。労働組合をつくって活動するは30%台だったものが、2008年には17.8%と、どんどん下がっています。自ら活動し何とかしようという意識がだんだん弱くなっている、よく、草食系男子などと言われていますが、おとなしくなっているのだろうと思います。
労働組合に対するステレオタイプ的なイメージもあります。労働組合は既得権を守るために活動する組織、大企業や公務員の組織だ。恵まれた人たちがやっているのが労働組合だ、というイメージがあります。しかし、組織率は低いものの中小企業の労働組合で活動している人たちもいます。労働組合に入る非正規の人たちもどんどん増えています。既成のイメージから労働組合の人気がないと言えますが、地道に取り組んでいるところは少なからずあります。それが一つの答えです。
日本はILOの労働時間条約を批准していないというお話しでしたが何故でしょうか。連合はこうした国際条約の批准に向けてどのような働きかけを行っているのでしょうか。
労働時間を中心とするワークルール確立にむけた新谷さんの講義では、ILO条約の批准に関する質問がありました。ILOの労働時間条約の1つは、1919年の労働時間(工業)条約(第1号)です。工業における労働時間を1日8時間、週48時間に制限した条約ですが、日本は批准していません。1919年は第一次世界大戦が終わった年ですが、当時の日本には、もちろん労働基準法はなく、例えば当時の主要産業だった紡績業では、1日12時間を2交替で働くというのが一般的でした。また、いわゆる工業的企業に働く人の比率は低く、家内工業で働く人たちは、もっと長い労働時間で働いていました。その頃の日本は批准できる状況ではなかったわけです。そこで、日本は例外として扱ってくれと国際社会に要請し、特殊国条項の中で日本は週最長57時間、生糸工業は60時間ということをあえて認めてもらった、そういう時代でした。
2つめは、1921年の週休(工業)条約(第14号)です。7日ごとに1回少なくとも継続した24時間の休暇を受けることができるように定めたもので、当時の日本では、西洋から入ってきた習慣として公務員は日曜日に休んでいましたが、民間は月2日ほどが休みという状況でした。なぜ7日に1度、日曜日に休むのかというと、これはキリスト教の安息日なのです。6日働き7日目は休むという宗教的規律を国際条約のなかに入れたわけですが、当時の日本にはそういう習慣はなく、条約は批准できませんでした。
1930年代に入ると日本は戦時経済体制に入ります。やがて、日本は国際社会から孤立するようになり、国際連盟と同時にILOも脱退しました。日本がILOに復帰するのは1951年です。サンフランシスコ講和条約によって世界の仲間入りができ、現在では日本は理事を出し、リーダー的役割を果たしていますが、1951年までは、このような国際条約について蚊帳の外でした。戦後初期の時代には、戦争からの復興に力が入っていたため、労働時間まで手が回りませんでした。
日本が労働基準法で40時間制をとったのは1997年からです。段階的に47時間を46、44、40に短縮してきましたので、1997年からまだ20年も経っていないのです。労働時間の短縮では日本は他の先進国に比べると遅れをとっており、今でも商業サービス業には週44時間という特例があり、この特例もまだ撤廃できていません。
日本では、労働時間条約の批准について、政府や使用者側が非常に消極的です。もちろん、労働側は早期批准を求めてきましたが、ずっと抑え込まれてきた歴史があります。
企業内で、会社幹部になって行く人と、労組で事務局をする人とが路線が別立てになっている印象をぬぐえませんが、労働組合で活躍した人で会社に戻り経営を担ったようなケースはあるでしょうか
生保労連の磯村さんの賃金処遇に関する取り組みの講義では、このような質問がありました。国際的にみると日本はちょっと変わっています。会社の組織があり、上の方に経営者がいて下の方に従業員がいます。一方、アメリカとヨーロッパの会社組織はワーカーと経営者(マネジメント層)は完全に分かれています。ワーカーとマネジメントは階級が違い、話す言葉も違う、そこでは、ワーカーがマネジメントになるということはほとんどあり得ないわけです。しかし、日本では、最初はワーカーから入り、徐々に昇進していき企業のトップにもなり得ます。いま社長をやっている人で新入社員の時から管理職だったという人はまずいません。一従業員から経験を積んで企業のトップになっていく、そのプロセスで労働組合の役員をやるという人は珍しくないのです。労働組合の委員長をやり、会社に戻って会社のトップをやった人もいます。例えば、つい先年亡くなった、本学の先輩で味の素の社長をやっていた江頭邦雄さんという方がいます。味の素を国際企業に育てた功労のある方です。この方は味の素の組合の委員長をやり、その後会社にもどって社長になりました。講師の磯村さんの所属している第一生命の社長、渡邉光一郎さんは、東日本大震災の時に、生保協会の会長として震災に伴う生命保険給付を早く認定し下ろしていくことに努力をした人です。この方も労働組合の委員長をやり、生保労連という産業別組織の書記長もやりました。ほかにも川茂夫さんという、ゆうちょ銀行の会長がいます。郵政三事業が民営化されて郵便会社、ゆうちょ銀行、かんぽ生命に分かれましたが、その時に民間の発想が必要ということで民間から経営者を迎えました。川さんはイトーヨーカ堂の労働組合の委員長をやっていた方ですが、最初は郵便会社の社長、それからゆうちょ銀行の社長になりました。こうした例は幾つもあり、他の国に比べると、日本は労働組合、ワーカーの代表だった人がマネジメントの代表になるということは珍しい話ではないということです。
さいごに:皆さんへのメッセージ 古賀連合会長
それでは、最後に私から皆さんへいくつかメッセージをお送りしたいと思います。
1つは、コミュニケーションの重要性です。単に会話不足や報告不足がコミュニケーション不足というのではないと思っています。コミュニケーションとは、価値観が違う人たちがその価値観を相手にぶつけ、お互いの違いをどのように埋めていくかということです。もし仮に埋まらないのであれば、価値観の違いを認め合う風土をつくっていく、それがコミュニケーションだと思います。価値観の違う人たちとその違いを埋め合おうとする努力は物凄くしんどいです。ですから本来の意味でのコミュニケーションをせずに単なる会話、単なる報告に終わらせてしまいがちです。劇作家の平田オリザさんが、コミュニケーションというのは価値観を擦り合わせることだと言っていましたが、正にそういうことだと思います。
2つ目は、1人ひとりは非常に弱い、弱いからこそ仲間をつくる、組織をつくる、そうやって社会をつくってきたのが人間です。社会に出て、様々な場面で壁にぶつかった時のために、このことを是非心に刻んでおいて欲しいと思います。
3つ目は、決断や判断で重要なことは、いつ決断するか、いつ判断するかというタイミングです。常に私たちはタイミングをみて決断や判断をしなければなりません。私たちは1日を生きていくなかで何度も判断をしているでしょう。卑近な例では、「今日、昼飯は何を食おうか」これも判断です。昼飯に何を食べるかを夕方の4時頃判断しても意味はありません。リーダーになればなるほど、このタイミングが狂えば、組織に無用な混乱を起こしてしまします。
最後は行動することです。過去、目標が誰かから与えられ、そこに到達するために行動するという時代がありました。しかし、現在のような大きな転換期にあっては、私たち自身が目標をつくり、どのような道を歩むかを考えながら生きていくことが重要です。考えながら暮らしていく、考えながら働いていく、いわゆるトライ・アンド・エラーを繰り返し、失敗してもその失敗から学びもう一度行動する、過去と違う行動を起こしていくことが重要です。
自分自身への自戒も含めて、以上をみなさんに送るメッセージとしたいと思います。
以 上
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