開講の辞:連合寄付講座で一橋大学のみなさんに学んでほしいこと
課題提起:労働組合がめざす社会像とは
はじめに
連合は寄付講座を3つの大学で開講しています。この講義を通じて、やがて社会を支えていく皆さんに、日本における労働者の働き方や現場の様子、さらには労働組合の取り組みなどを是非知って頂きたいと思っています。そして、「働く」ということについて、自分なりに知識や考えを深めて頂きたいと思います。
日本は雇用労働者が約5500万人、総人口は1億2000万人ですから、既にリタイアしている方々を含めれば、圧倒的に雇用労働によって成り立っている社会です。したがって、社会で働くときのワークルール、働き方、働くことに対する自分の考えなどは、「生きる」ということに直結する問題だと思います。
今、連合は「働くことを軸とする安心社会」の実現を訴えています。この寄付講座は、これを基本テーマとして展開していきますので、その骨格や考え方については、後ほどご紹介したいと思います。
1. なぜ労働運動を仕事としたのか
私は大学を卒業後福岡県の中間市役所に就職し、地方公務員としての生活をスタートしました。中間市は人口約5万人の小都市で、職場の労働組合は自治労(全日本自治団体労働組合)に所属しています。自治労は、都道府県や市町村など地方公務員の職員を中心に組織している労働組合です。私はやがて自治労の県本部の役員となり、その後中央本部の役員、最終的には本部委員長に就任、同時に連合の副会長、そして連合の会長代行になりました。
私が労働運動を仕事にしたきっかけには、中間市役所時代の2つの大きな出来事があります。その1つは救急医療体制の確立です。私が最初に配属された中間市の市立病院は、中核病院としての機能を果たしていました。しかし、休日や夜間の体制になると非常に貧弱で、医療スタッフの不足などから急患に対応できず、診療を受け入れられないことがありました。そのようなとき、私たちは受け入れ先となる病院を一生懸命探します。概ね隣の北九州市の大きな病院で受け入れてもらいましたが、そういったことを毎晩のようにやっていました。
救急医療では、手当てが遅れて重篤になったり、命を落としたりする場合もあり、1974年当時、全国でこのような問題が起こっていました。そのような中、千葉県木更津市で、交通事故にあった青年が20数回たらい回しにあった挙句、亡くなるという事件が起こりました。その青年の父親が福岡県庁の元職員で、自治労の先輩であったことから、その方と自治労本部が連携し、受け入れ態勢がしっかりしていれば防ぐことができたとして、国と県と病院を相手に救急医療たらい回し訴訟を起こしました。当時このことが大反響を呼び、マスコミでも連日報道され、救急医療制度の確立が本格的に進みました。労働組合が原告を全面的かつ全国的に支援し、それが国を動かしたこのことが、私が労働運動を仕事にしたきっかけの出来事の1つです。
2つめは自治体の財政破たんに直面したことです。当時、私は中間市役所の労働組合の書記長に就いていましたが、中間市の財政状況は非常に悪くなっていました。1979年に第2次オイルショックがあり、中東戦争の影響で原油価格が高騰し、日本経済は混乱し痛めつけられました。そのあおりを受けて地方の財政も悪化し、市当局からは、このままいくと「赤字再建団体」になってしまうとして、初任給の切り下げや定期昇給の抑制など合理化の提案を受けました。自治体の場合は「倒産」ではなく、「赤字再建団体転落」という言い方をします。労働組合は、当然反対の姿勢で交渉に臨みましたが、現に財政は行き詰っていて、そのまま行くと破たんする状況にありました。
そこで、なぜ財政破たんになったのか、労使で徹底して財政分析をすることにしました。労働組合の中には、財政破たんは使用者の責任であり、労働組合がそこまでやる必要はない、という意見も強くありましたが、私は、財政分析によって原因を明らかにする必要がある、労働組合にも責任があると考えていました。財政分析の結果、「ハコモノ事業」いわゆる建設土木事業の無計画な実施に原因があることが分かりました。借金をしてハコモノを建てていく、やがて借金が膨らんで、どうにもならないという状況になっていたわけです。このことを当局は認めたくなかったのですが、最終的には市長が認め、これからは無計画な建設事業は抑制し、労使で財政再建計画を立てることを取り決めました。
そのとき私が思ったのは、労働組合も自分たちの市の財政に対して無関心であってはならないということです。市長の放漫経営が起きると、最終的には働く者にしわ寄せがきます。また、自治体は市民にさまざまな公共サービスを提供していますが、その質が低下し福祉水準が下がっていきます。本来、財政力が非常に弱くなり、財政破たんしたところほど福祉水準を厚くして、その自治体に住む人たちを支えなければならないはずですが、皮肉なことに実際は逆の結果が出てきます。したがって、労働組合も自治体の経営にきちんと目を光らせ、発言していかなければならないと、このとき痛感しました。
私は、救急医療体制の確立と自治体財政の立て直しという2つの体験から、労働運動を仕事にしようと決意しました。私は地方公務員として出発し、途中からは役所を一定期間休職し、労働組合の活動に専念する仕事に就きました。これを「専従」と言いますが、民間企業の場合と異なり、公務員の場合は、「専従」を通算7年続けると公務員を退職しなければなりません。そこで私は7年経った時点で公務員を退職し、自治労の専従役員として労働運動を仕事とする道に入り、2009年に自治労本部委員長と連合会長代行を退任するまでの26年間、専従役員として活動してきました。
2.連合とは
連合は1989年に誕生した労働組合の全国中央組織、ナショナルセンターです。現在の連合は、約680万人の組合員で構成されています。
時代をさかのぼって戦後の話になります。日本は1945年に敗戦を迎え、新しいスタートを切りますが、当時の占領軍は、日本の民主化のために労働組合の結成を奨励しました。そのため、続々と労働組合ができていき、最初の労働組合は、いわゆる企業別労働組合で結成されていきました。企業別労働組合は、その企業で働く人たちの賃金や福利厚生などについて経営側と交渉し、労働条件を勝ち取ります。
しかし、ある企業の労働条件はその企業だけで決まるわけではありません。また、同じ産業の別の企業の賃金や待遇も当然影響します。そこで、同じ産業の企業別労働組合が連携する必要がでてきます。この同じ産業単位でまとまった労働組合を産業別労働組合、略して「産別」と言います。例えば自動車産業では、トヨタ、ホンダ、三菱自動車などの企業別労働組合があり、それぞれが集まって、「自動車総連」という産別をつくっています。
ところが、産別でもまだ不十分で、例えば賃金の引き上げを勝ち取ったとしても、税金や物価が上がる、社会保険料が上がるということでは生活に影響がでてしまい、こうした問題は企業や産業の労使だけは解決できません。そこで、法律や制度といった社会の仕組みづくりに対しても、労働組合は、しっかりモノを言っていく必要があります。そのために産別が集まってつくった労働組合がナショナルセンター、連合です。
ナショナルセンターの仕事は、産別の意見を集約し、労働組合全体としての方針をたて、政党や政府、財界への対応を行うことにあります。連合は1989年の結成時は約800万人の組織でしたが、現在は約680万人にまで減っています。雇用形態の多様化が進み、現在では雇用労働者5500万人のうち、1800万人が非正規労働者といわれています。その変化の中で、「仲間」を増やしていくことができなかったことは非常に大きな問題ですが、一方、連合には、ナショナルセンターとして連合傘下の約680万人の組合員だけではなく、全ての雇用労働者のための政策をつくり、実現していく役割があります。
3.連合の関係団体
連合はナショナルセンターとして、関係団体を3つ持っています。
1つは連合総合生活開発研究所、略称「連合総研」です。連合総研は、連合が運動展開、政策展開する際のシンクタンクとして活動しています。
2つめは国際労働財団です。連合はさまざまな国際労働運動に関わっていますが、国際労働財団は途上国支援に重きを置いて活動し、特に、労働安全衛生の問題、児童労働の問題、さらに生産性向上の問題に取り組んでいます。生産性向上については、日本の場合、早くから労使で力を合わせてやってきましたが、今アジアの途上国、新興国の労働組合からの強い要望で、現地で生産性向上の研修会を行っています。
そして3つめはこの連合寄付講座を提供している教育文化協会です。教育文化協会では、働く人たちへの学習・文化活動への支援や労働運動を担う人材の育成などを行っています。
4.働くということの意味と我が国が目指すべき社会像
次に、連合が今一番重視している取り組みに関わって、「働くということの意味と我が国の目指すべき社会像」についてお話ししたいと思います。
まず、労働のあり方を一番よく示しているものに、ILOの「フィラデルフィア宣言」があります。この宣言は1944年5月にフィラデルフィアで開催された、ILOの第26回総会で採択されたもので、「労働は商品ではない」「一部の貧困は全体の繁栄にとって危険である」という2つの言葉が一番有名です。
この宣言が採択された翌年の1945年に第二次世界大戦が終わり、イタリア、ドイツ、日本が降伏したのは1945年8月ですが、その前年にILO総会に参加した世界中の労働者が考えていたことは、二度と戦争を起こしてはならないということです。そうした考えの中で宣言はつくられ、この2つの言葉が出てきます。
「労働は商品ではない」というと、経済を学んでいる方々からは、「労働力は商品ではないのか?」という反論が当然出てくるかもしれません。しかし、労働は生身の人間の営みです。在庫ができるわけではなく、また、そういうものでもありません。したがって、ILOは労働を商品として扱ってはいけないということを宣言しました。
もうひとつ「一部の貧困は全体の繁栄にとって危険である」という言葉について、戦争の原因は様々ありますが、中でも大きいものは社会不安です。第一次、第二次世界大戦は恐慌による社会不安から起こっています。そして、その社会不安を起こすのは貧困であり、貧困は経済的な不平等あるいは劣悪な労働条件によって起こります。働く労働条件が極度に劣化していくと社会不安につながり、その社会不安が戦争の引き金になる。人類は、第一次、第二次世界大戦を通じてこの教訓を学びました。このことは、今日的には正規、非正規労働者間の賃金格差や労働条件の格差という問題も含んでおり、非正規労働者の労働条件が限りなく下げられていくと、おそらく正規労働者の賃金や労働条件もそれに引きずられて下げられてしまうでしょう。
1944年にフィラデルフィア宣言が発せられて68年経ちますが、今もこの2つの言葉の持つ意味は重く、市場原理主義的な経済政策による世界の金融危機、日本の場合は東日本大震災による経済へのダメージが重なって、社会不安が深刻化しているように思います。
連合は、こうした社会不安を克服していくための目指すべき社会像として、後ほどご紹介する「働くことを軸とする安心社会」を提起しています。
5.現在の社会経済、雇用をめぐる状況
日本経済は戦後目覚ましい復興を遂げ、GDPで世界第2位、1人当たりのGDP でも世界第3位というときがありました。しかし、2008年にはGDP総体は世界3位ではあるものの、1人当たりGDPでは23位まで落ちました。また、日本の相対的貧困率は約16%となっており、OECDの中では悪い方から2番目です。今ヨーロッパは深刻な国家財政危機に揺さぶられていますが、それでも貧困率は約10%です。つまり、今日本は格差が大きい社会になっているというわけです。
かつての日本は、政府、というより「官」が業界を保護し、産業を発展させていく「護送船団方式」によって、経済を発展させてきました。正社員の男性を稼ぎ頭に妻と子供を養育するために必要な賃金や福利厚生などを提供する、こうした仕組みも日本経済を復興させる原動力となっていました。しかし、現在この仕組みは機能していません。グローバル化や新自由主義的経済の台頭によって、護送船団方式はできなくなっているのです。また、公共事業で地方の経済を豊かにし、中央経済を回していくということも、国家財政の悪化によって出来なくなっています。労働者の働き方も、派遣、契約社員、パートなど、いわゆる非正規型の雇用形態の多様化が進み、その結果、様々な社会不安現象が起きています。
このような中、どうすれば安心社会ができるかということになりなす。配布資料の連合チラシの片面は漫画家のやくみつるさんのイラストですが、もう片面の5つの橋がかかっているイラストは、連合が追求する「働くことを軸とする安心社会」のイメージ図です。
若い方々には、果たして安定した収入を得て家庭を持てるだろうか、という不安や焦りがあるのではないかと思います。母親である女性の方々には、育児と仕事の両立が難しいことや、子育ての悩みに疲れ果てているという状況が見られます。子どもを持つ方々には、学費の工面や自分自身の退職後の生活設計への不安などがあります。
また、非正規雇用で働く人たちは、低い賃金でどうやって生活を成り立たせたらよいのかと苦労しています。「雇止め」を通告されて仕事がなくなるのではないか、日々恐れながら暮らしているという状況もあります。
一方、正規雇用で働く人には、毎日の長時間労働、あるいは過剰な競争、コスト削減という流れの中で疲れとストレスが溜まり、精神的に不調をきたすという人が非常に増えてきています。さらには、人間同士の絆というものが非常に細くなってきています。
社会の中で人々が孤立し、誰からも顧みられていないという不安に苛まれている、自殺者が3万人を超える状況が続いている、このような社会は本当に異常だと思います。
6.「働くことを軸とする安心社会」に向けて
連合は、こうした状況を変えていくため、「働くことに最も重要な価値をおき、誰もが公正な労働条件のもと、多様な働き方を通じて社会に参加でき、社会的、経済的に自立することを軸とし、それを相互に支え合い、自己実現に挑戦できるセーフティー・ネットが組み込まれている活力あふれる参加型の社会」の実現を目指しています。誰もがいつでも働く機会、参加の場を得ることができるという安心が、人々の希望につながる社会の要と考えています。そして、人々が就労し、健康的で文化的な生活を送るに足る所得を得て、税金を負担し社会保険料を払うことは、社会を支える根本をなすものです。こうした考え方が私たちの目指す社会の中心をなしています。しかし現実には、様々な困難が立ちはだかっており、そうした困難を制度によって取り除くことが必要です。
そこで、連合は、その制度のイメージを5つの「安心の橋」で表しました。
その橋の1つは、「家族と雇用をつなぐ橋」です。例えば、仕事を続けたい、あるいは仕事に就きたいと思っていても、残念ながら保育所に空きがないため子どもを預けることができない人は就業できません。あるいは、家族の介護が必要で働くことができないなど、いろいろなケースがあります。こうした問題に対しては、保育所や介護制度の充実など、受け入れ体制や制度を充実させて解決しようということです。
2つめは「教育と雇用をつなぐ橋」です。これは、働くために必要な学力を習得する機会を保障するということです。経済的な困難を抱えていても、必要な学力や、やりたいことを習得できる場を可能な限り保障していく制度が必要です。奨学金制度など、いろいろな制度をもっと充実させようということです。
3つめは、「失業と雇用をつなぐ橋」です。やむなく職場を離れることはかなりの頻度でありえます。いったん職場を離れても再び職場に戻る、再び仕事に就くチャレンジのための制度を充実すべきです。連合は、リーマンショック後、給付つきの職業訓練制度を要求し、「求職者支援制度」という形で実現しました。連合の強い要望により、月10万円程度の生活給付を受けながら、職業訓練を受けられる制度が実現したのです。
4つめは、ボランティアなども働くことに含め、退職後も働くことを通じて社会と関われるようにするための「退職と雇用をつなぐ橋」です。
そして、5つめとして、橋の真ん中に、「働き方を選べる」橋があります。これは、公正なルールのもと、自分の意志で正規、非正規などの働き方を選べるようにするということです。なお、正規、非正規間で働き方を選べるという表現を使っていますが、私たちが目指すルールからいえば、この表現は正確ではありません。というのは、日本の場合、正規・非正規間には待遇の差があります。非正規は雇用が不安定であり、すべての人が雇用保険や健康保険などに入れるわけではありません。
「働き方を選べる」橋は、そうした正規、非正規を自由に選べるということではなく、ともに公正なワークルールにもとづく正規雇用であると考えて下さい。同一価値の労働をしていれば、同一の報酬を得られるべきだという考え方があります。ヨーロッパでは、この考え方が支配的であり、フルタイムで働く働き方を選んでも、あるいは短時間、例えば5時間、3時間といった働き方を選んでも均等待遇となっています。賃金は働く時間数によって変わりますから当然収入は下がりますが、その他の、例えば退職金制度や年金制度、健康保険制度などについては、短時間で働く場合も保障される、権利を得られるようにするというものです。日本では、これらの制度が正規労働者にはすべて適用されていますが、非正規労働者、とりわけ短時間の労働者については、すべて適用とはなっていません。そこで、例えば、いま自分は子育てにウェイトを移したいので8時間勤務から5時間勤務に変更したい。あるいは、6時間勤務に変更し、あとの時間は自分の研究に割きたい。このように、働き方を自分のライフスタイルに合わせて選べるようにします。短時間勤務の場合、収入の差はあるとしても、年金に入れない、健康保険に入れないということがないよう手立てを講じてしっかり働く、そういう雇用を前提に実現していこうということです。
これら5つの「安心の橋」がセーフティー・ネットになります。そして、これらの多くは公共サービスとして提供されていくことになると思います。公共サービスは、従来、国や県、市町村などの行政がすべて提供するものと考えがちでしたが、5つの「安心の橋」はそうではありません。民間企業やボランティアの力も大いに活用しながら、厚みのある、幅広い公共サービスを社会のなかにつくり出す必要があると考えています。
最後に、私たちが目指す安心社会は、困難な状況にある人たちに恩恵や保護を与え、あきらめを促す社会ではありません。働こうと思っても、今はキャリア形成ができていない、そういう場合には職業訓練の機会を提供するというように、困難な状況を除去し、その人が雇用、就労に挑戦できる機会を保障しようというものです。
以 上
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