はじめに
こんにちは。ILOの理事をしている中嶋です。
ILO(国際労働機関)は第一次世界大戦後の1919年に設置されました。いまある国連機関の中で最も古い機関です。ILOは他の国連機関と違う特徴を持っています。他の機関はすべて政府代表によって構成されますが、ILOは政労使三者で構成され、政労使の代表の意見交換や合意を基礎として、すべての決定がなされ、運営されています。それはILOが課題とする労働の世界に実効ある政策を提起して、その実施をはかっていくためには、直接の当事者である経営者と労働者の意見をきちんと組み込むことが必要だという考え方に基づいています。
総会は年1回開かれ、各加盟国から4名の代表が投票権を持って参加します。4名の内訳は政府代表が2名、労働代表が1名、使用者代表が1名です。三者構成なのに、なぜ1:1:1でないのか。政府には政策を決定する権限と責任、実施する権限と責任があります。その意味で、労働者代表1、使用者代表1に対して、2の責任をもってそれぞれの決定に関わるという構造になっています。
理事会は、政府代表が28名、労働者代表が14名、使用者代表が14名、合計56名で構成をされています。183加盟国の中で理事を務める代表は28ヵ国だけなので、自分の出身国、出身組織の利益だけを考えるのではなくて、他の国の労働の世界をめぐる様々な課題について共通の改善や前進を図っていく立場に立つことが求められます。労働者、使用者代表もまた然りということです。
毎年3月、6月(総会に併せ開催し短期間)、11月に、2週間半~約1ヵ月間理事会が開かれます。ILOは何をしているのかを理解していただくために、3月の理事会のエピソードをご紹介します。
労働側理事の中にギニア出身の女性がいます。彼女はギニアの労働組合のナショナルセンターの事務局長で、一貫してギニアの民主化を求めて闘ってきました。ついに大統領を退陣させた後、ギニア再建のために国家再建委員会が組織され、新しい民主的な選挙が行われるまでの間、彼女がその議長としてギニアの最高権力者の位置につきました。労働側の理事は全員、彼女が非常に苦労して闘い続け、幾多の弾圧を受けてきたことを知っていますから、労働側理事の代表であるルロイ・トロットマン(バルバドス出身)が彼女の例を挙げて、「闘い続ければ世の中を変えられる。しかも世の中を変えるために重要な役割を担うこともできる」と言いました。
もうひとつ例に挙げられたのが、JRの採用差別事件です。JRは、以前は日本国有鉄道と呼ばれていました。24年前に民営化された時、民営化に反対した国鉄労働組合(国労)などいくつかの労働組合に所属をしていた当時の国鉄職員のうち、1047名をJRは採用しませんでした。この事件について、ILO結社の自由委員会は、「所属組合の違いによって採用に差別を持ち込むのは、結社の自由に対する重大な侵害である」と、不採用の撤回と適切な賠償を求める勧告を9回にわたって出しました。日本政府は、ずっと勧告に従わずに来ましたが、今年の3月に、「1047名の不採用に関して約200名余りをJRは再雇用する、無年金問題などを含めて1人あたり平均2200万円の補償金を支払う」と発表しました。これは24年ぶりの解決です。
理事会の労働側グループでは、ギニアと日本の国鉄労働組合の例を挙げて、「Never give upという言葉はわれわれの運動にとっては非常に重要だ。これからも国際的な連帯活動を基礎にして、労働者の権利を守るためにお互いに力を尽くしていこう」という話がありました。このような事案を含めて、ILOは労働の世界での国際的な基準を作って、それを守ることを通して平等性を確保するさまざまな取り組みをしています。
今日はILOの活動に触れながら、労働組合が国際的にどのような活動をしているか、いま最も深刻で早急に解決しなければならない課題である雇用問題を中心に話をしていきたいと思います。
1.労働組合と国際活動
(1)労働組合がなぜいま国際活動を重視しているのか
雇用や賃金・労働条件の維持・改善は、労働組合がメンバーのために最も重視する基礎的な課題ですが、国際的な影響を大きく受ける環境のもとにあります。春闘で賃上げ要求を出すと、会社側は、「グローバル市場の中で他企業との競争力を確保し、それを強めなければいけないから要求に応えることはできない」と答える場合がよくあります。交渉の冒頭から、グローバルな環境の中で賃金や雇用のあり方が話題になります。貿易関係を律するWTO(世界貿易機関)や先進工業国30ヵ国が加盟するOECD(経済協力開発機構)などの国際機関が、貿易に関する基準や多国籍企業に対するガイドラインを設定して、一定のルールのもとで企業活動を行う環境を作っています。その中に労使関係をどのように位置付けさせるか。また、G8、G20などの政府間会合で経済政策、金融政策、雇用政策が決定されますので、それらに対しても、労働組合は注意を払い、自分たちの働き方や賃金、労働条件にどういう影響を与えるのかを考え、対応をはからなければなりません。
もちろん、労働のルールに関してはILOが大きな役割を負っていますから、ILOにより良いルールを作らせるために、世界の労働組合は統一した対応や力を合わせた取り組みをしています。
企業が多国籍化し、同じ企業が、たとえばフィリピンやインドネシア、タイで操業し、経済活動をしています。それぞれに働く労働者がいて、その雇用のあり方や賃金、労働条件の水準が適切なものであるか、各国の労働組合と日本の労働組合が緊密な連携を取りあいながら、雇用の安定と賃金や労働条件の向上について、力を合わせていく必要性が増しています。
(2)データから考える
実際にどのような領域で相互協力を考えていく必要があるのかを、いくつかのデータから考えてみましょう。
まず、GDPに占める労働市場政策への支出です。2007年の日本の労働市場政策への支出は、GDPの0.49%です。 一方、ドイツ2.40%、フランス2.16%、オランダ2.49%、ベルギー3.29%、デンマーク2.81%、フィンランド2.28%です。 経済規模の違いはありますが、GDPの中でこれだけの分を労働市場政策に使っています。日本はヨーロッパと比較して極端に低いです。具体的な項目は、公共職業サービス、職業訓練、雇用インセンティブ、就業支援・訓練、直接的雇用創出、創業インセンティブなどの積極的な施策、消極的な措置としての失業・無業者への補助や支援、早期退職スキームへの支援などです。
為替レート換算で、製造業における労働費用はどれくらい違うのか。日本を100とした場合の主要国の水準は、ドイツは160超、フランスもそれに近い。イギリスも150超、アメリカで120台です。労働費用という観点からみても、日本は非常に安上がりな労働力をつかって競争力を保とうとしている実態が浮かび上がってきます。春闘で賃上げ要求を出して交渉する場合に、国際競争力の面から賃上げができないという企業側の回答に対して、「いや、主要国に比べて日本の労働コストの水準は低いではないか」と反論できます。お互いに経験や情報をシェアして有利に使い合うということも、国際労働組合運動の一つの側面としてあります。
主要国の労働組合組織率の推移では、日本は95~2008年の間に23.8%から18.1%に下がっています。アメリカも下がっていて、日本より低いです。韓国はさらに低い。イギリスが20%台後半で、ドイツも同様に組織率停滞の傾向があります。オーストラリアも同じです。総じて先進工業国では、労働組合の組織率が低下傾向にあります。
ストライキの労働損失日数は、2008年に日本は1万1000日、アメリカは195万4000日です。日本のストライキ件数や日数が非常に少ないことがわかります。これは2008年の数字なので、アメリカでリーマンショックによる工場閉鎖や倒産があり、それに対する争議やストライキが広範に発生したことも、数字に影響を与えていると思います。
女性の年齢階級別労働力率では、1番上の台形を描いている線はスウェーデンです。2番目がフランスで、3番目がドイツです。日本は30-34歳と35-39歳の2つの層でラインが落ち込む、いわゆる「M字型」です。結婚や出産で職場を離れる女性の比率が非常に高いことを示していて、女性の労働への参加が出産や育児などで抑制されていることが、顕著に表れています。ドイツやフランス、スウェーデンのように台形にするにはどうすればよいか。女性の社会参加、労働への参加のために必要なことは何か。母性保護の施策についてドイツやフランスでは何をしたか。それらを踏まえて、国際基準として何が必要かを議論し、国際労働組合運動全体として取り組んでいます。
労働時間については、日本は労働基準法の改正の影響で減ってきて、現在、年間総労働時間は1772時間です。アメリカの1792時間よりもわずかに少ないです。しかし、ドイツの1432時間やフランスの1542時間などと比べますと、日本の水準はまだまだ長時間労働体質から抜け出したとはいえません。
製造業の1人あたり賃金を購買力平価で比較すると、日本を100とした場合にドイツは157です。労働時間や賃金水準を見ても、日本はまだまだ遅れています。
他国の取り組みの経過や実態、経験を参考にしながら、日本の運動に生かしていくために、国際労働組合運動への参加は重要な意味を持っています。しかし、それにとどまらず、協同して国際的な基準を作り、それを実施させていくことも重要な意義といえます。
(3)国際労働組合運動の組織と課題
ITUC(国際労働組合総連合)は、事実上唯一のインターナショナルセンター(全世界の労働組合の結集体)です。2006年に、それまであった2つのインターナショナルセンターが統一し、そこを基礎にいくつかの有力な独立組合が参加してITUCが作られました。ILOの労働側理事14名と19名の副理事は、全員がITUCの推薦を受けています。そこからITUCの影響力の大きさを見ることができます。ITUCの当面の重要課題には、ディーセントワークの実現と貧困撲滅、不平等の縮小、公平な所得分配が挙げられています。
日本のナショナルセンターである連合は、ITUCに加盟して、ITUCのアジア太平洋地域組織であるITUC-APにも加盟しています。それともに、OECDのTrade Union Advisory Committee(OECD-TUAC、OECD労組諮問委員会)に加盟しています。この労組諮問委員会の相手方はBIAC (Business & Industrial Advisory Committee、OECD経済産業諮問委員会)です。OECDはTUACを通じて労働者側の意見、BIACを通じて使用者側の意見を聞いて、政策を決定する仕組みになっています。
連合に加盟している産業別組合は、国際産業別労働組合組織にそれぞれ加盟しています。10の国際産業別労働組合組織があって、ITUCと緊密な連携をとりながら活動しています。このすべてを総称して、Global Union Federations (GUF)と呼んでいます。ここがILOの労働側グループと提携して、ILO活動を推進しています。ILOの労働側グループは、ILOでのさまざまな議論や基準を作る動きなどをGUFに知らせて活動の中に生かしていくという関係になっています。
GUFの主要な組織の1つはIMFです。これはInternational Monetary Fund(国際通貨基金)のIMFではなくて、International Metalworkers Federation(国際金属労連)で、金属関係の労働組合です。ITF(国際運輸労連)は交通運輸関係、PSI(国際公務労連)は公務関係、EI(教育インターナショナル)は教育関係の労働組合です。国際産業別組織は、それぞれの産業にとって重要な政策や労働基準について協議して方針を決めて、統一して取り組みを進めています。
2.「グローバル危機」がもたらした雇用への影響と見通し
(1)深刻な「雇用危機」は続く
こうした国際労働組合運動の現状を踏まえて、100年に1回の危機ともいわれた2008年秋のリーマンショックと国際金融経済の破綻に対して、どのような対応をして、いまどのような取り組みをしているのかについて、話を進めます。
最近IMF(国際通貨基金)は2010年の世界経済の成長率が3%台後半まで回復するという見通しを立てました。ブラジル、中国、インドなどの新興国が、予想以上のスピードで回復基調に入っていて、中国は年率換算にして約11%の成長を示すだろう、危機の克服、危機の脱出は近いという見通しです。実際、危機がもたらした失業などマイナスのインパクトは、当初予想されたよりも少なくてすみそうです。例えば、日本でも麻生内閣で71兆円の緊急公費投入を実施しましたが、そうした景気刺激政策を各国が協調して行ったことから、いわゆる二番底に落ちる危険は避けられました。その結果、予想よりも早い回復が見込まれると言われています。
しかし、雇用に関してはそう楽観的な状況にあるとは言えません。「雇用なき回復」という言葉があるように、雇用を深刻な状況においたまま、経済的な指数だけが上向き傾向を示しています。逆に言うと、非常に安い賃金や脆弱な雇用状況の下、労働者に犠牲を強いる形で企業のみが業績を上げていて、景気が経済指数的には上向きで回復基調にあるかのごとく見られているということです。
失業者の数を見ても、ILOが調査した加盟国54ヵ国で、2000万人超の失業が出ています。そして、約500万人が失業の危機にさらされています。本来ならば、生産が縮小して余剰人員になり首を切られる労働者が多く出るのを、景気刺激政策や補助金、助成金などで、かろうじて労働者の雇用を守っている状況です。一時帰休などの手法により全面的な失業には至っていないレベルにいる労働者が、まだたくさんいるということです。
ILOは、先進工業国の失業率は依然として増加しており、まだ増える傾向が続くと見ています。世界全体でさらに2億人以上の労働者が極貧に陥り、特に社会的セーフティネットがないに等しい途上国は、ワーキングプアが14億人も増えると予測しています。堅実な回復、安定的な経済成長のためにも雇用は重視されなければならず、緊急な対策が必要だと言っています。
(2)雇用危機に関する協調の課題
2009年12月にILOの研究所が発表した雇用予測のデータでは、2008年第4四半期の初めに起こったリーマンショック当時の雇用水準を100とすると、1人あたりGDPの高い国では、2013年第2四半期の終了時にようやくその雇用水準に回復するだろうと予測を立てています。これはみなさんにも直接関係があって、要するに、この傾向が続く限り、新卒を含めた就職戦線は非常に厳しいということになります。したがって、われわれはできるだけ早期に雇用を回復させたい、そのために、国際的な取り組みを強化したいと考えています。そういう観点からG20の雇用労働大臣会合に対する提言を行い、それを基に議論を行っています。
一方で、1人あたりGDPの中間国(中国、インド、ブラジルなどの新興国を含む)は、今年の終わりから来年初頭には2008年第2四半期の水準まで雇用水準が戻ると予測されています。2008年の金融危機は、実は1人あたりGDP中間国のほうが1四半期早く影響が現れていたため、その分先進工業国より早く元の水準に戻るだろうということです。
経済成長の回復が弱く、雇用改善も弱ければ、先進工業国では、6年もしくはそれ以上長く深刻な労働市場の困難さが続く恐れがあります。各国が、雇用の改善に焦点にあてて、景気後退への対応と経済成長政策を行うならば、労働市場の困難さは3年以内に緩和される可能性があります。各国が協調し、そうした政策を促進することが重要であるという指摘もあります。それは、あくまでも実体経済をベースにすることが前提であり、その担い手である政労使三者の協議が重要です。
次に重要なのは、全てに通用するもの、one-size-fits-all的な考え方ではダメだということです。経済の規模や構造、歴史的な経過などから、危機の表れ方、雇用に対する影響の表れ方は、世界の国々で違います。また、雇用回復は、常に経済回復よりも遅れるという遅効性がありますので、それを政策立案の際にきちんと盛り込む必要があります。
(3)求められる政策は
労働需要が弱い時期には、高い失業リスクとワーキングプアの増加を避けるために、十分に生産的でディーセントな仕事の創出・拡大に焦点をあてることが求められます。また、グローバルな雇用危機の厳しさが続く中では、労働市場の困難さによって生み出された脆弱な労働者のための社会保護の増強が必須です。つまり、雇用創出と社会保護の拡充を2大テーマとする考え方、焦点のあて方をしながら、国際労働組合運動は活動をしています。
3.「危機」克服に向けたディーセントワーク実現の取り組み
(1)ディーセントワークとは
危機克服に向けたキーワードが「ディーセントワーク」です。1999年に現ILO事務局長のファン・ソマビア(チリ人)が事務局長に就任したときに、ILOの中心的な課題として提起しました。
1989年は歴史の節目の年でした。歴史的に重要な出来事は同じ年に集中して起こるという傾向があります。1989年は昭和天皇が逝去した年です。中国で天安門事件がおきました。北京の天安門で学生を中心に民主化を求める大規模なデモがあり、中国政府は軍隊を出動させて、武力で弾圧しました。戦車の前に学生が仁王立ちになって軍隊の進行を止めるという衝撃的な映像が世界を駆けめぐりました。そして、ベルリンの壁が崩壊しました。まさに時代の転換点で、東西冷戦構造がそれを契機に急速に崩壊をしていった年です。最終的には1991年に旧ソビエトが解体されて、世界市場が単一化されました。グローバル化が急速に進展し、それと共に格差が拡大して、金儲けのためなら何をやってもいいという風潮が全世界に拡大しました。中国が本格的に市場経済に参入しました。それらの結果、「労働の劣化」が進みました。このままいくと世界中に大きな格差が広がり、不安定な社会状況が作り出されてしまう、なんとかしなければいけない。労働の観点からそれを克服するためには、ディーセントワークを世界各地で実現することが必要である、と提起したわけです。
ディーセントワークとは何か。適切な水準の社会保障、賃金・労働条件が確保された社会的意義のある生産的労働。一言でいうと、「働きがいのある人間らしい仕事」です。
(2)ディーセントワークと4つの戦略目標
ILOにはジェンダー平等原則と4つの戦略目標があります。ジェンダー平等の原則を踏まえた上で、4つの戦略目標の達成を通して、ディーセントワークは実現されると位置づけられています。
戦略目標の1つ目は、中核的労働基準の尊重・遵守です。労働において、基本的な原則や権利はきちんと保障されなければいけません。組合を作って交渉ができて、自分の生き方や働き方などに不満があった場合に、自由にモノが言える、そのことについて経営者と話し合いができる、話し合いの結果、合意に達したら、その合意に基づいて改善がなされる、ということです。
2つ目は良質な雇用の確保です。すべての男女に適正な雇用と所得を確保する機会を増やすということです。不安定でいつ首を切られるかわからない、そのうえ、いくつも仕事を掛け持ちしないと生活できないような低い賃金水準では、良質な雇用は確保されません。
3つ目は社会保護です。会社が倒産しても失業給付がもらえる、病気になっても無料もしくは低い負担で医療が受けられる、そして、こうした社会保障のあり方について政労使で話し合いをする。そういう話し合いがないのは、ディーセントでない仕事です。これは4つ目の社会対話の促進が関係してきます。
ディーセントでない労働とは何でしょうか。皆さんが卒業して職に就いた。しかし、その会社には労働組合がない。新人にいやなことを押しつけて、会社を辞めさせようとする変な上司がいたとします。苦情を申し立てると、「文句を言うほうがおかしい」と言われて首になるとしたら、これはディーセントな仕事とは言えません。そういうことが起こったら、組合に苦情を言って、組合が当人の意向を反映して会社側ときちんと話し合い、問題の解決を図るべきです。また、連日残業で帰宅が深夜になり、過労死しそうとか、メンタルヘルス不調に陥って過労自殺してしまうかもしれません。こうことに対して改善を求める場がないというのでは、いくら賃金が良くても、社会保障があっても、ディーセントな仕事とは言えません。
このように、戦略目標が達成されない、実現されていない仕事が「ディーセントでない」ということです。そして、ジェンダー平等の原則は、まずその前提になければならないということです。
(3)国際労働組合運動からG8、G20などへの提言
ITUCでは、ディーセントワークをいかに実現していくかについて、各国の実情を持ち寄って協議し、労組宣言としてまとめて、国際機関や政府間会議などに対応して、取り組んでいます。
2008年10月のワシントンでの第1回G20サミットを皮切りにして、G20やG8の会合があるたびに、労働組合として提言を行い、対話を通じて考え方を反映していく取り組みをしています。2009年7月に、イタリアで行われたG14レベルの雇用労働大臣会合では、労働組合の提言を受け入れて、各国の労働政策の中にそれを謳うという姿勢を明確にし、「人々を第一に。危機の人的側面にともに立ち向かう」と題する議長総括を明らかにしました。その意味で、この会合は非常に画期的な意味をもっていました。この会合には、G8プラス、エジプト、南アフリカ共和国、中国、インド、ブラジルとメキシコが加わっていました。現在は、さらに拡大してG20になっています。
2009年9月のG20ピッツバーグ・サミットでも、深刻化する国際的な雇用危機への取り組みが急務であるとして、最重要課題としての雇用をはじめとする6つの政策課題について提言を行いました。その時に初めてG20の場にILOの事務局長が招待されて、「グローバル・ジョブズ・パクト(仕事に関する世界協定)」を説明しました。
先週、G20の雇用労働大臣がワシントンに集まり、共通して雇用危機を克服するためにはどうしたらいいか、2日間議論をしました。それに対して、G20の労働組合代表もワシントンに集まって、雇用労働大臣と直接対話をする、あるいは地域ごとに集まって議論をする、あるいは各国の組合代表が自国の代表と協議をするなどして、9項目にわたる提言を行いました。具体的な内容は、配布資料「G20雇用労働大臣会合(ワシントン、2010年4月20?21日)に向けたグローバルユニオン声明」に、さらに詳しい中身は、3ページの「Ⅱ. 雇用創出と社会的保護」以降に書いてありますので、参考にして下さい。
これらの取り組みは、組合側が一方的にやっているのではありません。労働組合が討議してまとめたことを雇用労働大臣の会合に問題提起をし、大臣たちはそれを一緒の場で討議して、大臣会合の結論として決定するという形をとっています。この会合では、(1)持続的回復と将来の成長を確保するための雇用創出の加速化、(2)社会的保護制度の強化と包括的な積極的な労働市場政策の推進、(3)国内および世界の経済戦略の中心に雇用と貧困削減をおく、(4)人々のための雇用の質の改善、(5)将来の挑戦と機会にむけた労働者の能力開発、以上5項目を雇用労働大臣の会合の結論として提言としました。この5項目は労働組合の提言にもともと含まれていた内容であり、労組の提言にもとづく議論の中で共通の認識に立ち至って、雇用労働大臣の提言ができたということです。このように、国際労働組合運動は具体的で現実的な役割を果たしています。
(4)「危機」克服に向けたILOの取り組み
こういう動きと並行して、ILOは2008年危機の直後から討議を深め、2009年6月の総会で「危機からの回復、グローバル・ジョブズ・パクト」を採択しました。この文書は、社会に対して非常に大きなダメージを与える雇用の危機を政労使が協力して克服していくために、知恵を出し合ってまとめられたものです。これは、「みんなが尊重する原則を確認しましょう。その原則はこういうことです」という内容になっています。「回復と開発を促進するための原則」として、11の原則が掲げてあります。政府、労働者、使用者の立場を超え、発展途上国、最貧国、先進工業国の立場を超えて、共通の原則として確認しましょうとした上で、次の「ディーセントワークの対応」では、「以下にいくつかの具体的な政策の選択肢を提示する」とあります。危機の表れ方は、経済の規模や歴史的な沿革、産業構造などさまざまなことが作用して一律ではないため、オプションとして、必要な選択肢を提起してありますよ、活用して下さい、という姿勢で貫かれた文章です。
使用者は、初めは「拘束性のある文章は嫌だ。mustという言葉は使いたくない」と言いましたが、労働側といくつかの政府は、「できるだけ拘束性を持たせることによって、加盟国が取り組まざるを得ない状況を作らないと、実効ある取り組みを全世界的に展開することは難しい」と主張し、その妥協の産物として、「メニュー方式」が導入されました。メニューを示して、そこから自国の現状に一番あったものを選び出して、それを政労使の協力で着実に実施に移すことで、実効性を高めるという形で最終的に合意しました。全会一致でした。ILOは条約や勧告を作る場合も、協定や宣言を採択する場合も、総会で3分の2以上の賛成が必要です。政府が全体の2分の1、労使がそれぞれ全体の4分の1の票を持っていますから、3分の2以上の賛成票を確保するには、労使の賛成と多数の政府の賛成がないと難しいということになります。
この内容で注目すべき点はいくつかあります。GJP本文2ページの「3.世界は、より良く機能しなければならない」は、危機をもたらした投機的な経済、それをきちんとコントロールできるようなガバナンスの確立が世界的に求められていると言っています。それから、「6.危機後の世界は、新しいものに変わっていなければならない」は、危機は単なる回復をもって克服されるわけではなく、危機以前の、危機をもたらした原因を克服した中身を伴っていなければいけない、ということです。この表現をめぐって侃々諤々の議論がありました。労働側はもっと直接的に、「新自由主義的な投機的な経済のあり方が経済の危機をもたらしたのだから、そのことに対する反省をきちんとして、2度とそういう手法がとられないようにしなければならない」と主張をしました。しかし、使用者から強い抵抗があって、最終的に、このような表現に落ち着きました。
(5)不安定雇用からディーセントワークへの移行
OECD-TUACは「不安定雇用からディーセントワークへの移行」を提言しています。みなさんは、次のような一部の学者や評論家などの主張を聞いたことがあると思います。「正規労働者の雇用が非常に安定的で首が切りにくい状況になっているから、非正規の人たちとの格差が縮まらない。格差を解消するためには正規労働者の首を切りやすくする、整理解雇の4要件をもっと柔軟にすれば、全体の水準が上がって、格差もなくなる。」これは一見、小さな企業でゼロサム的に考えると、中間点に集約すれば格差がなくなって、みんながハッピーになることが成り立つ錯覚に陥ります。しかし、一国規模、あるいは世界的規模では、必ずその通りになるかというと、ならないわけです。組合がないところで正規労働者が勝手に首を切られて、正規労働者が減った分だけ非正規労働者の条件が良くなっているかというと、そうではなく、更に悪くなっています。雇用保護規制指数が日本は高いのだから、これをもっと下げれば格差の問題はなくなるという主張に対して、OECD-TUACは、そういう労働市場に対する考え方を見直すべきであると提言しています。
今までは、規制緩和と福祉の削減を推奨することで不安定雇用の増加を促進してきました。しかし、そういう政策がとられている限り、堅実で安定的な成長はあり得ない。そうした政策を見直し、優れた仕事の創出や仕事の質の改善を主たる目的とした戦略的な労働市場政策の実施を促進する必要があるということです。こうしたことから、企業に対しては、生産と雇用に対する「ロー・ロード」アプローチから「ハイ・ロード」アプローチへの転換を働きかけることを提言しています。
ロー・ロードからハイ・ロード、あるいは戦略的労働市場政策とはどういう考え方か。ロー・ロードは「邪道」という訳をあてる場合もあり、ハイ・ロードは「王道」「正道」と訳されます。要するに低コスト、低賃金の仕事よりも、質の高い商品とさらにそれを生み出す高給で生産性の高い仕事を創出することが、今こそ安定的な成長のために必要だとOECD-TUACは提起しています。
4.ディーセントワークの実現と日本の実態
最後に、ディーセントワークの実現と日本の実態を見ていきます。課題はジェンダー平等と4つの戦略目標です。
(1)ジェンダー平等原則
ジェンダー平等原則に関連して、ILOに4つの条約があります。100号条約(男女の同一価値労働・同一賃金)は、同じ仕事、あるいは同質の仕事に就いている男女の間の賃金格差はあってはならない、というものです。日本は批准しています。
111号条約は雇用・職業上の差別は一切禁止であるという内容です。残念ながら、日本はこれを批准していません。なぜかというと、差別が起こったときに、訴え出て解決をはかる人権擁護・救済の機関が日本にはないのです。人権擁護法を作って救済機関を設置すれば、この条約を批准できますので、この条約の批准が急がれます。
156号条約は、男女の労働者の家庭責任に関する条約です。しかし、日本では、夫は単身赴任で遠隔地にいて、妻は家にとどまり、子どもの教育や親の介護などすべての家庭責任が女性に任されているような状況があります。日本は批准をしていますが、条約適用上多くの問題を抱えています。
183号条約は母性保護です。日本はまだ批准していません。この条約は画期的な中身をいくつか含んでいます。経営者は妊娠・出産を理由にして首を切ってはいけないということです。しかし、実際に首を切られて、裁判をした場合には、妊娠・出産が原因で首を切られたという立証責任は原告側が負わされます。しかし、この条約では、首を切った使用者の側が、権利行使が理由ではなく、他の正当な理由で首を切ったのだと立証しなければなりません。立証責任を使用者側に負わせたという画期的な中身を持っています。日本は原告が立証責任を負う法体系になっていますが、この条約の影響を受けて、この場合に限って、立証責任を企業の側に負わせる形に、均等法の当該箇所を改正しました。これは非常に優れた進歩です。
出産休暇で働けない期間は、最低3分の2の賃金保障をしなければいけません。日本の場合は、健康保険から出産手当金が支給されます。母性(出産)休暇が終わった後、現職あるいはそれに類似する職、当然賃金も同レベルの職に復帰させなければならないことがこの条約の中に規定してあります。しかし、日本の使用者が猛烈な抵抗をして、批准できていません。これを批准できて、安心して子どもが産めて、仕事に復帰したときにも元の職に戻れる、またはそれに近い収入を確保できる職に就けるようになると、女性の出産に対する、あるいは仕事に対する継続性という観点からも非常に大きな進歩が望めます。この批准を急ぎたいと思います。
(2)戦略目標1(中核的労働基準の尊重遵守)
男女平等原則を基礎にして、1つ目の戦略目標は、中核的労働基準です。これは4分野8条約で表されています。ILO条約は188ありますが、その中で最も重要な条約がこの8つです。第1分野(結社の自由・団結権、団交権の効果的承認・保障)は87号条約と98号条約、第2分野(強制労働の禁止)は29号と105号、第3分野(児童労働の撲滅)は138号と182号、第4分野(平等・反差別の促進)は100号と111号です。111号がなぜ批准できないかは、先ほど申し上げました。
105号条約は、労働規律および思想信条の自由に対する規制や制限に関するものです。公務員は中立であることを社会的に担保するために、公務員に対して一定の政治的自由に対する制約を加えることは妥当であるとして、日本ではそれを破った公務員に対して懲役刑を科することができる法体系となっています。また、公務員は一律全面的にストライキが禁止されています。
このため、奇妙な現象が起こります。東京都23区の清掃事業のゴミ収集トラックを考えてみましょう。民間の車を借り上げて運転手も民間の労働者です。当然ストライキ権があります。後ろに乗っている作業員は公務員で、ストライキ権はありません。運転手がストライキに入ると車が止まりストライキの効果は発揮されるけれど、後ろに乗っている人はストライキ権を与えられていないという矛盾した状況が起こります。
公務員がストライキ禁止規定を破ってストライキをしたらどうなるか。ストライキを企画し、煽りそそのかした組合の指導者に懲役刑を科することが法律上可能です。しかし、この場合の懲役刑は、ILO105号条約の強制労働となります。つまり市民的自由、労働者として持っている当然の権利として政治的自由やストライキ権があり、それを刑罰で抑制や禁止をしてはいけませんといっています。日本ではこの一部を禁止して刑罰の対象にするので、適用上問題があります。
87号条約は結社の自由と団結権を保障しています。この条約を批准していて、公務員に団結権を与えていて、消防職員に団結権を与えていない国は、1984年にILOがすべての加盟国に調査したときに3つありました。日本とスーダンとガボンでした。94年に再調査をしましたが、その10年の間に、スーダンとガボンは国内法を改正して消防職員に団結権を与えたので、残ったのは日本だけです。いまだにその状況は続いています。ヨーロッパの多くの国は警察職員にも団結権を与えていますし、軍隊に団結権を与えている国も6ヵ国あります。そういう中で、警察・軍隊とは明らかに違う消防職員に対して、先程の条件下つまり87号条約批准、公務員に団結権保障をしながら団結権を与えていない国としての後進性を、日本は加盟国の中で指摘されている唯一の国です。
(3)戦略目標2(良質な雇用確保)
戦略目標2は、良質な雇用の確保です。非正規労働者が急増し、一方的な解雇や日雇派遣が増えています。正規労働者も長時間労働を強いられて、過労死や過労自殺がおこされたり、セクハラやパワハラが横行しています。まるで労働が商品であるかのように、フィラデルフィア宣言の精神に反する事態が横行しています。日本は181号(民間職業紹介所)条約を批准しています。この条約の目的は派遣労働者の権利を守ることであると明確に示されています。しかも、派遣する会社が雇用した労働者を利用する企業に提供するのが派遣労働である、と定義しています。ところが、日雇派遣は、名前と携帯電話番号だけを登録しておいて、企業が何人必要といえば電話やメールで集めて連れて行きます。明らかにこの条約の定義する派遣とは違います。
175号(パート労働者)条約では、賃金など労働条件のうち可分なものは比例、権利などの不可分なものはフルに与えられるということを原則としています。8時間労働者に対して、同じ労働に就いている4時間労働のパート労働者は2分の1の賃金となります。それ以上低くしてはいけません。一方で、産後休暇が8週間付与される場合に、フルタイム8時間のところ4時間しか働いていないから、休暇も4週間というのは認められず、母性保護などの権利は同等に与えなければいけません。これがパート労働条約です。日本は批准しないできました。他方、パート労働者と正規労働者の大きな格差が生まれています。
(4)戦略目標3(社会保護の拡充)
次は、社会保護の拡充です。雇用保険をはじめとした社会保障の適用を受けない労働者が非常に多くなっています。失業者のうち、雇用保険の失業給付を受けている人は、日本では23%しかいません。これを調査した当時は、1年以上継続した雇用が見込めなければ雇用保険に加入させなくて良いという制度でした。しかし、この間、法律改正が進んで、2009年4月から6ヵ月以上の雇用見込みとなり、2010年4月から31日以上へとさらに短縮され、少しずつ適用が拡大されました。しかし受給に大きな改善は見られません。使用者の義務を免れるために31日未満の雇用が蔓延っているからです。他方、ドイツ、フランスなどは8割以上の失業者が失業給付を受けています。セーフティネットの水準の低さ、綻びの大きさを何とかしなければいけないと、取り組みを進めています。
(5)戦略目標4(社会対話の促進)
戦略目標4は、これまでお話ししたジェンダー平等原則と3つの戦略目標を前に進めるために、政労使の社会的対話を促進することです。ところが、日本の三者構成は、この点に関してILOの原則から外れています。日本の場合は、政労使の三者構成ではなくて、公労使の三者構成です。政というのは一歩引いて事務局ですが、公を任命しているのは政です。原案を示しているのも政です。実質四者構成で、政は一歩引いた事務局的役割をしていますが、全体をコントロールしています。これが日本の三者構成の実態で、世界でいう三者構成の実態とは大きくかけ離れています。日本は世界に冠たる安定的労使関係であるといわれてきましたが、雇用形態が多様化して、非正規労働者が急増し、成果主義が導入され、組合が労働者全体を代表できない状況が進行しています。それをどう克服するかが大きな課題となっています。
「労働なきCSR」と言われている企業の社会的責任のあり方も大きな問題です。詳しくふれる時間はありませんが、OECDの「多国籍企業ガイドライン」や国連の「グローバル・コンパクト」などについても、インターネットなどでぜひ調べていただきたいと思います。
CSRを促進するために、GUFが企業と「グローバル枠組み協定」を結んでいます。これは、労使が協同してディーセントワークの実現を図るという重要な取り組みです。協定を結んだ企業が、関連するサプライ・チェーンや取引業者等に対しても、中核的労働基準を中心にしたディーセントワークを波及させるようにするものです。現在、この協定を結んでいる企業は世界で80社あります。日本ではまだ高島屋1社だけです。こうした状況の克服も大きな課題です。
長時間ご清聴ありがとうございました。
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