一橋大学「連合寄付講座」

2010年度“現代労働組合論I”講義録

第3回(4/23)

開講の辞:一橋大生に学んで欲しいこと

ゲストスピーカー:岡部謙治(教育文化協会理事長)

情勢認識・課題:労働組合の役割

ゲストスピーカー:團野 久茂(連合副事務局長)

開講の辞:一橋大生に学んで欲しいこと(岡部謙治)

 教育文化協会で理事長を務めている岡部です。よろしくお願いいたします。連合寄付講義をご受講いただき、大変ありがとうございます。連合寄付講義は、2005年に日本女子大学で始まり、現在は、同志社大学、埼玉大学、そして一橋大学の3大学で開講しています。

1.労働組合の組織と連合

  連合(日本労働組合総連合会)はナショナルセンター、労働組合の全国中央組織です。1989年に連合が結成されて20年です。当時、複数あったナショナルセンターが1つになり、文字通り、わが国を代表する労働組合の全国中央組織として誕生しました。
少し歴史を振り返ると、第二次世界大戦が終わった1945年に日本を占領した連合国軍(GHQ)が、日本社会の民主化のために労働組合を積極的に奨励する政策を展開しました。その結果、会社ごとに労働組合が次々と誕生しました。
なぜ労働組合があるのか。私たち一人ひとりは弱い存在です。そのため、みんなで集まって団結をして、強力な経営者に対して、組合員あるいはすべての働く人たちの生活の権利や労働条件の改善を進めていく役割を果たす組織が、労働組合です。
しかし、企業別労働組合の力だけでは不十分です。賃金や労働条件を上げようと思っても1社だけでは困難です。仮に賃金を上げることができても、物価が上がれば、実質的な賃金のアップにはなりません。賃金からは、税金や、医療や年金などの社会保険料も引かれます。これらは法律で決まりますから、経営者に下げてくれと言っても、経営者自身ができるわけではありません。物価についても同様です。したがって、個別労働条件の改善と同時に、社会的な制度・政策に対しても、労働組合がきちんと発言をしていくことが求められます。
そのため、個々の企業別労働組合が集まって、同じ産業に働く者の集まりとして、産業別労働組合を作ります。自動車会社を例にとると、トヨタや日産、ホンダ、スズキなどで働く人たちの企業別労働組合が集まって、自動車総連という産業別労働組合を作ります。電機やサービス、デパートなどの労働組合も、それぞれ産業別組合を作っています。この後、講義する團野さんは鉄鋼会社の出身ですが、鉄鋼や造船重機などの会社の労働組合で基幹労連という産業別組合を作っています。私は都道府県や市町村の地方公務員などの労働組合である自治労の出身です。
産業別労働組合が集まる組織が連合です。1989年の連合発足当時、約800万人の組合員を有していました。現在は680万人と、構成人員が減少しています。これには色々な理由があります。働く者全体に対する労働組合に加入している人たちの割合を組織率といいます。戦後すぐ多くの組合が誕生した時に比べれば、組織率は大幅に低下をしています。連合はこの組織率の低下を非常に問題視して、とりわけ、非正規労働者の処遇改善や組織化を精力的に取り組んできました。昨年ようやく組織率の低下に歯止めがかかり、約7万1,000人の新しい仲間を増やして少し上昇しました。現在18.5%ですので、社会に対する発言力がまだまだ十分ではありません。組織率アップのために一層努力をしています。

2.連合の関係団体

  連合は3つの関係団体を持っています。1つは連合総研(財団法人連合総合生活開発研究所)という連合のシンクタンクです。政党や政府に対して、働く者の立場から政策・制度について提言するため、調査や研究をしています。労働政策だけでなく社会保障や税制、最近では非正規労働者の問題を取り上げて、研究成果を発表しています。春闘での賃上げ交渉に向け、内外の経済情勢を分析した『経済情勢報告』を出して、それぞれの組合が交渉に役立てています。
もう1つは国際労働財団です。ここでは、途上国の働く仲間に対する支援を中心に取り組んでおり、特に、職場の安全衛生の改善と児童労働の撲滅に力を入れています。途上国はまだまだ職場の安全衛生管理が悪くて、職場での事故や病気が多いため、安全衛生推進の支援をしています。また、途上国では児童労働が依然深刻な問題です。家族のために児童が働かなくてはならず、学校に行けない児童に対して、教材の提供や学校に戻って教育を受けられるように支援しています。
3つ目は教育文化協会です。この寄付講義を企画・運営しています。この講座を受けた一橋大学の卒業生の中から連合の職員採用に応募いただき、今連合で働いています。私たちにとっても嬉しい効果が出てきています。このほか、次代の組合リーダー育成を目的に「Rengoアカデミー・マスターコース」という研修教育を行っています。文化事業では、組合員だけではなく幅広い方から絵画、写真、書道などを募集し、優秀な作品を表彰する文化展もやっています。また、労働運動や労働政策について提言していただく「私の提言」も毎年実施しています。こちらも、過去には一橋大学の学生さんから入賞者が出ています。是非この講座を聴かれているみなさんにも、「私の提言」に応募していただきたいと思います。

3.寄付講義で学んでほしいこと

 この寄付講義では、労働組合とは何か、今働く現場がどのような状況にあって、労働組合はどのような取り組みをしているのか、私たち労働組合が提起をしている制度や政策、めざす社会はどのようなものかについて、連合本部や産別本部の様々な講師がお話をします。
私は、働くことについて雇用と社会保障の観点から少し述べたいと思います。昨年11月に、北海道大学の宮本太郎教授が『生活保障 排除しない社会へ』を出されました。宮本先生は今、鳩山政権の「雇用戦略対話」で委員を務めています。本書は社会保障がメインテーマですが、働くことの意味についても非常に考えさせられる内容になっています。そこから少し引用してお話します。
宮本先生は、雇用と社会保障を結びつける言葉として「生活保障」と言われています。人々の生活が成り立つには、一人ひとりが働き続けられて、病気や失業など、やむを得ない事情で一旦働けなくなるような時でも、きちんと休業補償として所得が得られて、再び雇用の場に戻れる、あるいは新しい雇用の場に就ける、そういった支援策が必要である、つまり、雇用と社会保障の新しい関係を再構築しなければいけないと提起されています。
従来、大多数の人が安定した仕事に就くことができた時代は、雇用と社会保障は、ある意味では別立てで機能していたといえます。社会保障は、例えば、仕事中の怪我や失業、あるいは病気など、稀に起こる所得の中断に対して備えるためにありました。
しかし、今日本社会は大きな変革の時にあり、これまでの制度の仕組みがまったく通用しない時代になっています。非正規労働者が急増していますが、低賃金の非正規労働者が保険料を払えなくなると、年金や医療保険などの社会保険制度は成り立たなくなります。逆に、非正規労働者に対して、社会保障の立場から所得保障や技能訓練などの支援策が求められます。
つまり、これらの変化は正規、非正規の問題だけではなく、働く人たちすべての問題として起こっています。その点で雇用と社会保障の関係を新しく再構築する必要があるのです。
大多数の人が安定した仕事に就労できる、社会に参加できる社会を作ることが必要です。単に所得の保障だけではありません。例えば、職場や地域、家族が生活をしていく、生きていくことに張り合いが得られる、そういう「居場所」を確保する仕組みでなければいけません。そのためには、誰かに存在を認められ、社会から存在を承認されることが必要です。そういう意味で、生きる場が保障される社会保障が求められており、宮本先生はそれを「生活保障」と言っています。
これは私なりの考えですが、働くことは、単に生活の糧を得るための労力だけではなくて、社会の中で自分の存在を認められる行為でもあります。そこが非常に大事だと思います。連合は「労働を中心とした福祉型社会」の実現を掲げています。これは今後の講義の中に出てきます。そのために、私たちは「ディーセント・ワーク」、すなわち、働き甲斐のある人間らしい仕事、仕事と生活を調和(ワーク・ライフ・バランス)できる働き方・生き方がすべての働く人たちに満たされるようなワークルール、政策・制度を提言し、取り組みを進めています。
この連合寄付講義を通じて、将来社会に出て、社会を担っていただく一橋大生のみなさんに、今お話ししたことを理解していただくとともに、労働運動を理解し、働くことの意味を考えていただければと思います。よろしくお願いしたします。

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情勢認識・課題:労働組合の役割(團野久茂)

 みなさんこんにちは。今日与えられた課題は、労働組合の役割「情勢認識と課題提起」です。それでは、レジュメの順番に沿いまして、お話しをさせていただきます。

1.私たちの「世界を知る力」

 私たちの「世界を知る力」とはどういうことなのか、申し上げます。人間はその時代時代に生きています。我々の認識は、自分の生きてきた時代や環境に大きく左右されます。個々人の認識の幅によってその理解も違います。様々な本を読み、認識の幅を広げれば正しく理解できるでしょうし、認識の幅が狭ければ、一見正しいと思ったことも間違いということもあります。世界を知るといいながら、実は偏狭な認識の下で、世界を間違って見ているかもしれない。少々理屈先行型かもしれませんが、そのように考えるべきではないかと思います。
 IT技術が発達し、情報社会となっていますが、反対に世界を知ることはますます難しくなっていると思います。これまで培ってきた手持ちの世界認識の枠組みでは、さっぱり見えなくなっているからです。時代や環境の制約から完全に自由になることはできませんが、凝り固まった認識の鋳型を解きほぐして、世界認識をできるだけ柔らかく広げる。そして自分たちの物の見方や考え方の限界がどこにあるのか、しっかりと捉え直すことが必要なのではないかと思います。
 我々はいまを生きています。生きていることは過去と未来を繋いで存在をしています。これからどうすべきなのかと未来を見つめたときに、過去に縛られ過ぎてはいけませんが、勇気をもって過去に踏み込むことも、また必要ではないかと思います。現在へと繋がる過去の軌跡や道筋を継承することによって、未来を生きるための知恵を得られると思います。
アメリカの軍事顧問のジョージ・フリードマンが、著書『100年予測:世界最強のインテリジェンス企業が示す未来覇権地図』の中で、100年先の状況を見出すためには、過去の歴史に遡って、事実がどのように流れてきたかを確認し、100年先を考える。そうしなければ解からないのだと言っています。情勢を認識するためには、そういう考え方をきちんと持つ必要があるのだということを、まず申し上げておきたいと思います。

2.アメリカを通じてしか世界を見ていない戦後の日本

  2千数百年間、日本人は生きてきています。しかし、今我々は、戦後65年の見方で物を見ているのではないか。要するに、我々はアメリカを通じてしか世界を見られなくなったと言われています。そこを少し考えてみる必要があるのではないかと思います。

(1)敗戦と日本の戦争責任追及
 1945年8月15日に、日本は連合国に降伏をして戦争が終わりました。我々はアメリカ軍に負けたと認識しています。実はそうではなくて、中国を含んだ連合国に負けたのです。そういう認識が今の日本にはまったくないと思います。そのような事実を受け止めておく必要があります。4年間弱の太平洋戦争による日本軍の死者は174万人に達しました。一般市民を含めると270万人です。1941年当時の人口の約4%が戦争の犠牲になりました。
 1945年8月30日、神奈川県の厚木飛行場に、日本を占領した連合国軍(GHQ)の最高司令官マッカーサーが降り立ちました。ドイツは国家組織そのものが崩壊しましたので、連合国軍が直接占領しました。日本は政府が残っていましたので、1952年まで間接占領となりました。
 沖縄は、日本の敗戦前にアメリカ軍にすでに占領され、1972年までアメリカの統治が続きました。中国地方の5県と四国は、呉に本部が置かれたイギリス連邦軍によって、5年間占領されました。GHQは、日本の戦争責任の追及と社会や経済の民主化を通じて日本を二度と戦争を起こさない国に作りなおす任務を持っていました。

(2)GHQによる三大改革
 GHQは戦争の責任を追及すると同時に、大きく分けて3つの改革をしました。
 1つは農地改革です。日本は封建社会の色が濃く、国内の生産力も十分ではなかった。これが日本のアジア侵略の原因であり、大地主と小作人という封建的な関係が日本社会の基盤になっている。これを解体しなければいけないと、日本の民主化の一環として農地改革に踏み切りました。
 2つ目は財閥解体です。日本は巨大な力を持つ財閥によって労働者の給料が低く抑えられ、国内に十分な市場が形成されなかった。そのために、日本企業は市場を求めてアジアに進出をし、それが日本軍のアジア侵略に繋がった。こういう認識の下で財閥解体をしました。韓国は財閥が解体されていないので現代(ヒュンダイ)やLGなどの財閥が、今もあります。日本は財閥解体によって、いち早く近代的な産業社会に突入することができました。
 三井、三菱、住友、安田の4大財閥をはじめ、中小財閥を含めて83の財閥が解体整理されました。三井は約170社に、三菱は約120社に分割されました。私の出身の鉄鋼では、日本製鉄は八幡、富士など4製鉄所に分割されました。しかし、八幡製鉄と富士製鉄は1970年に合併して新日本製鉄という形で再スタートをしました。ビール会社も、大日本ビールは日本ビール(現在のサッポロビール)とアサヒビールに分割されました。寡占状態のビール会社を分割したことによって隙間ができ、そこに入ってきたのがキリンビールでした。分割がキリンビール躍進のきっかけになったのです。そういう歴史を知っておくことも、今の産業構造や課題を知る上で、極めて有効だと思います。
 現在、諸外国に比べて、同一産業内の企業数が多いのが日本の特徴です。当時は近代化に役立ちましたが、グローバル市場経済の下で国際競争力を持たなければならない現在では、企業数が多いことは反対にウィークポイントとなっています。たとえば、ドイツやフランスでは、電機会社は1社か2社ですが、日本は数え上げればキリがないと思います。
 3つ目の改革は、労働改革です。労働組合の結成を促し、労働条件を改善する。給料を引き上げれば国内の購買力が増加し、国内に市場を広げることができる。そうすれば日本企業は無理にアジア進出をする必要がなくなる。こういう観点から労働改革を行いました。
 太平洋戦争が始まった1941年当時、日本の労働組合はすべて解散をさせられていましたが、GHQは、経済の民主化の一環として民主的な労働組合の結成を推奨しました。1945年12月には労働組合法が制定されました。翌年6月には1万2,000の組合が結成されて、組合員は約370万人、組織率は41.5%となり、労働者の半数近くが何らかの形で労働組合に入っていました。しかし、次第に、労働運動が政治闘争の様相を見せ始め、1947年2月1日に400万人の労働者がいっせいにゼネラル・ストライキに入る計画を立てました。スト決行1日前にGHQが中止命令を出して、これをきっかけに、公務員の団体交渉権とストライキ権は取り上げられました。
 現在もこれが問題となっています。ILOからは、日本政府に対して公務員に労働基本権を付与しなさいという勧告が出ています。しかし、これを日本政府はずっと応じていない。そういう状況がずっと続いています。
 いずれにせよ、この3つの改革により、日本の経済民主化が進み、近代的な歩みを始めました。

(3)ドッジラインによる経済発展政策の遂行
 GHQは、日本を自由主義陣営に引き止めておくために、日本経済の発展が必要だと考えました。経済が低迷をすれば、労働運動や社会主義運動が盛んになってしまうと恐れたからです。そのために、インフレ回避と為替レートの確定という2つの方針を打ち出しました。このリーダーシップをとったのは、アメリカから派遣をされたジョセフ・ドッジという経済顧問でした。ドッジによる財政金融引き締め政策は、ドッジラインと呼ばれました。為替レートは、1ドル=300円が適当という調査結果でしたが、それでは国内でモノをつくって輸出をしてもなかなか売れないだろうということで、為替レートを1ドル=360円に固定しました。ここまで日本に肩入れをしたのが、当時のアメリカだったのです。
 占領下では、何をするにもGHQの許可が必要でした。お伺いを立てないと何もできなかったことが大きく影響して、日本人の多くがアメリカを通してしか世界を見ない傾向が刷り込まれたのではないかと、私は思います。時代が変われば、モノの見方もより進化すると言われますが、戦後日本人の世界認識は、むしろアメリカという存在を受けて、極めて限定的で融通の利かないものに変わってしまったのではないか。言い換えれば、戦後の特殊な時空間に閉じ込められたことで、戦前には見えていたことも、見えなくなってしまっている。それが今も続いているのかもしれない。そういう問題意識を持っておく必要があるのではないかと、私は思います。

3.日本の「立ち位置」「向かうべき方向」について考える

  明治時代の啓蒙思想家で、慶応義塾の創立者でもある福沢諭吉をご存知だと思います。彼はアジアを捨てて欧州に入れという「脱亜入欧論」を書いています。日本の進むべき道として、日本は近隣諸国の開明を待って共にアジアを発展させる道を選び時間を浪費するのではなくて、アジアの一国という立場を離れて西洋の文明国と運命を共にすべきであると述べたものです。
 しかし、この提言とは逆に、明治維新以降の日本の台頭は、結果としてアジア諸国の植民地からの解放に繋がったと認識すべきだと、私は思います。確かに、日本が戦争を起こしてアジアに進出したことは悪かったかもしれない。一方で、植民地支配をされていたアジア各国にとっては、植民地からの解放に繋がったことも変えがたい事実です。そういうことも認識として持っておく必要があるかもしれないと思います。

4.大航海時代(15世紀中頃)以降の大きな歴史的うねりと日本

  過去に遡って現在を知るということをお話ししていますが、もう少し遡るとよく分かると思いますので、大航海時代に遡って見てみたいと思います。

(1)陸の時代から海の時代へ
 大航海時代は15世紀中頃です。世界が陸の時代から海の時代へと変わった時代です。新航路の発見によって、海のネットワークが構築されて、香辛料だけでなく、中国の絹織物や陶磁器、お茶、日本の銀、マレー半島の錫、宝石など様々な物が、特産品として欧州に送られました。新大陸や日本が産出する金銀が世界に流通して、経済事情を根本的に変えることになったのです。今と同じです。世界の通商圏が飛躍的に拡大し、物流や人的交流も盛んになって、海を跨ぐ世界市場が拡大した時代でした。その後、ヨーロッパに産業革命と市民革命が起こり、国民国家が生まれ、19世紀の列強時代に入っていきます。
 日本にとっても日本と中国、インドという三元的世界観は、南蛮を通じて修正され、日本の世界認識は大きく広がったといえます。

(2)アメリカの西進
 アメリカはイギリスの植民地から独立した東部13州から始まりました。1776年の独立宣言後に、西部開拓精神(フロンティアスピリット)の名の下で、北米大陸を西へ向かい、他国の植民地を買収したり、インディアンの土地を併合しながら、領土を拡大していきました。1836年には当時メキシコ領だったテキサスを奪い、カリフォルニアなどのメキシコ領を併合しました。その後南北戦争を経て、ロシアからアラスカを購入し、太平洋に突入する時代になりました。そして、1853年にペリーが日本に開港を迫ってきたのです。
 簡単に言えば、ロシアは南に下がるとともに、東に進む。アメリカは西に進んでいく。こういう流れの中で、日本は開国を迫られ、戦争が起こっていったのです。

(3)時の流れを歪めた戦後60年
 我々日本人の体の中には、中国、アジア、ユーラシアを起源とする2千数百年に及ぶ歴史的時間が蓄積されています。1945年以降の戦後は、わずか65年です。この2千数百年間を1日に換算すれば、65年間は30分です。自らの体内に蓄積された膨大な歴史時間を忘れるほど、アメリカに影響され続けたのが、この65年だったのではないか。そのことを常に認識してこれからの時代を考えなければいけないと思います。
 第二次大戦が起きる前と、今の状況は極めてよく似ています。例えば、鳩山首相が東アジア共同体構想を発表しました。基地移転問題で日米関係がギクシャクし始めていますが、長い間、日米関係は良い関係が続いてきました。しかしこの先は、アメリカと中国の関係が日本に影響してくるのではないでしょうか。アメリカは中国を重視するようになり、日本との関係はそれほど良くない、むしろ悪い方向に働くのではないかと思います。この関係をみても、極めてよく似ていると思います。
 第二次大戦当時、アメリカは遅れて中国に進出しました。その時すでに、世界の列強各国は中国を半植民地化していました。そこでアメリカは、もう一回中国を解放するように主張するわけです。そうしたことを背景にして当時の中国はアメリカと手を結び、アメリカのことを美しい国(美国)と呼んだという経過もあるのです。こういう歴史を見て、現在をきちんと認識しておく必要があると思います。

5.連合のアプローチ

  配布資料(『月刊連合』2010年4月号10?11頁)に、連合のアプローチとして「雇用さえ守れば生活が保障される時代ではなくなった。すべての働く人を支えるシステムをつくり直すときだ」と大きく表題を縦書きしています。

(1)完全雇用の時代から非正規労働者の急増
 日本は91年にバブルが崩壊して、その後の10年間は「失われた10年」と言われました。2000年までの10年間の実質経済成長率は、年平均で0.75%です。2001年4月に小泉-竹中政権が発足し、最初の5年間の実質成長率は、平均2.5%でした。ところが、2008年にアメリカのバブルが崩壊して、経済が失墜します。鉱工業生産指数は一時ピークに対して40%弱まで落ちました。結局、過去10年間の実質成長率は年平均で▲2%に落ちてしまいました。失われた10年どころか、「失われた20年」を我々は経験しているのです。このまま放置をすると日本は没落してしまうかもしれない。戦後築き上げてきた成果をこの20年間に失ったかもしれない。そういう危機感に立つべきだと思います。
 この失われた20年の間に、日本の雇用と労働は規制緩和によって相当が傷つきました。日本は完全雇用の時代が続き、人並みに頑張って人並みに働けば、人並みの生活ができるという時代が続いてきました。これまでは、働くことが最大の社会保障でした。失業した場合には、いかに再就職させるか、失業対策をするかという政策で十分でした。そういう意味では、日本は消極的な労働政策のみしておけばよかったのです。
 ところが、この失われた20年の間にそうした働き方がどんどん崩されました。1995年5月、当時の日経連が『新時代の「日本的経営」』を発表しました。これは経営者自らが、長期勤続雇用を前提とした日本型雇用システムの崩壊を宣言したものです。雇用を「長期蓄積能力活用型」「高度専門能力活用型」「雇用柔軟型」という3つのグループに切り分け、労働時間や処遇もそれにあわせて3つに切り分けるという宣言をしたのです。これをきっかけに、非正規労働者の比率が拡大して、現在は全労働者の約3割が非正規労働者となりました。非正規労働者は雇用が極めて不安定で労働条件が低いのです。
 戦後しばらくは、男性が外で働いて家族を養うための収入を得て、女性は家事を担うという一人稼ぎ世帯が主流でした。ところが、徐々に共稼ぎが増えて、1997年には共稼ぎ世帯数が一人稼ぎ世帯数を上回ります。しかもそれまでは、パート、アルバイトはあくまでも家計収入を助けるための補助的な働き方として成立していたため、それ自体は問題になりませんでした。
 ところが現在では、自分たち自身の家計を支える主たる生計者として、非正規で働く人が非常に増えました。ここで大きな問題が発生し始めたのです。年収200万円以下の層が1,000万人を越えて、全体の22.3%になっています。これを何とかしていかなければいけないと思います。

(2)第2のセーフティネットをつくる
 1989年に連合が結成され、10年後の結成10周年のときに「労働を中心とした福祉型社会」の構築をめざすという目標を確認しました。しかし、今申し上げたように、労働そのものが大きく変っています。したがって、働くことを希望するすべての人たちが、何らかの形で就労を通して社会に参加する、様々な働き方をするということを前提に、すべての働く人たちを支える様々なシステムを作っていく必要があると考えています。これまで、セーフティネットは、働くことが第1のネット、そしてもうひとつ、病気や失業などでどうしても食べていけなくなったときの生活保護がありました。この2つのネットしかありませんでした。
 そこで、政府に要求して、この2つの間に、新しいセーフティネットとして、生活給付を受けながら職業訓練を受けられるシステムがスタートしました。ただし、3年間の暫定措置となっているので、恒久措置に切り替える必要があります。

(3)多様な働き方を支える制度をつくる
 多様な働き方に応える制度も必要です。仕事を一時中断して子育てに専念したい人には、育児休業制度があります。仕事を一時中断して大学へ行って勉強し直したい。ところが今は、正規雇用で働いていて一旦退職すると、再び元の収入や同じような働き方を実現するのは非常に難しいです。何らかの理由で一旦仕事を中断しても、復職する際には元と同じような収入で、同じようなところに就職できるようにしなければいけません。
 現在、新卒はほぼ4月の一括採用です。果たしてこれでよいのか。本当は年齢差別です。年齢差別の適用除外として、一括採用があるのです。一括採用ではなく、通年採用に切り替えるべきだという議論があります。
 大学在学中に職業を経験した方が良いという意見もあります。一回トライアル雇用で働いてみると、人生観が変わるかもしれない。社会に出て働くということがどういうことか、良く分かるかもしれません。そういうことを経験してもう一度大学に戻って勉強すれば、何のために勉強するか、目的が明確になってくるでしょう。そのようなことも考えていくべきではないだろうか。このような様々な仕組みを考えていかなければいけないと思います。

(4)均等・均衡処遇を確立する
 何よりも一番大切なのは均等・均衡処遇だと思います。事務職で働いている人はみんなホワイトカラーと言われていますが、これから、ホワイトカラーは限定的なものになっていくだろうと思います。事務職の仕事はもっと細分化して、様々な働き方が出てくると思います。それが均等・均衡処遇できちんと支えられていくように、つくり変えなければいけないと思います。

(5)最低賃金を引き上げる
 現在の東京の最低賃金は1時間あたり791円です。みなさんはアルバイトをしていると思いますが、仮にそれを下回る時給で働いていたら、最低賃金法違反になります。
 ただ、791円でも低すぎます。地域別最低賃金は、都道府県ごとに4つのランクに分かれています。東京が791円で九州地区が630円程度と、県ごとに金額が違いますが、いずれにせよ低すぎるのです。賃金の底支えをするために、この最低賃金を引き上げていく必要があります。民主党は最低でも800円、全国平均で1000円に引き上げる必要があると言っています。我々も同様の水準に引き上げるべきであると考えています。

(6)非正規労働者の教育訓練の機会をつくる
 非正規労働者の大きな問題は、教育訓練を受ける機会がほとんどないに等しいことです。一般的に正規雇用であれば、義務教育を卒業して、高校、大学へ行き、その後就職して、企業の中で職業人として社会に通用する教育を受けます。
 ところが、非正規労働者はそういう機会がまったくありません。単純労働的な仕事が多く、業務知識を増すための訓練を受ける機会も少ない。仕事を通してキャリアアップすることができません。その意味で、公的職業訓練や公教育をどうするかも大きな課題です。低い処遇と不安定な雇用、職業能力開発のための教育機会が少ないという、この3つを改善しなくてはいけません。

(7)労働を通じて社会に参画できるシステムを作る
 このような考え方のもとで、これから連合は、労働を通じて社会に参画することを中心に、それを支える様々なシステムをつくり直していきたいと考えています。
 労働組合の生活ビジョンも、例えば25,6歳で結婚して、30歳過ぎに子どもが生まれる。次に持ち家をつくるという生涯生活ビジョンを描いていました。いまや、そうした画一的なビジョンはまったく描けない時代に突入しました。そういう認識の下で、日本型の「労働を中心とした福祉社会」を再構築するために尽力していきたいと思います。
 私からの課題提起については以上にさせていただきます。ご清聴ありがとうございました。

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