一橋大学「連合寄付講座」

2009年度“現代労働組合論II”講義録
労働組合の課題と取り組み

第12回(1/8)

労働・生活・社会の激動とリスクマネジメント
金融危機をどう乗り越えるのか 新たな社会の構築に向けて

ゲストスピーカー:逢見直人(連合副事務局長)

1.わが国の「雇用社会化」

 今日は、「金融危機をどう乗り越えるのか」について、2008年に起きたアメリカ発の世界金融危機を労働組合として、どう乗り切る取り組みをしてきたのかということを中心に話したいと思います。
この話を始める前提として、わが国の「雇用社会化」ということについてお話しします。働き方にはいろいろありますが、例えば農業をやっている人とか八百屋さんや魚屋さんを自営でやっている人、あるいは自分で会社を興してやる人もいますが、就業者の圧倒的多数は雇用者です。雇用という関係を会社なり、公務員の場合は国なり地方自治体、あるいはNPOならそのNPOとの間で、雇用という関係を結んで働いている人たちです。2年前の統計で見ると、日本の就業者6,365万人のうち5,420万人、85.1%が雇用関係を結んでおり、この比率はどんどん高くなっています。日本でも1950年代や60年代は、このような数字ではありませんでしたが、いまやわが国は働いている85%の以上の人が雇用という関係の中でつながっています。
したがって雇用というのは、人々の暮らし、働き方に大きな関係を持っています。だいたい20代から60代の初めぐらいまでの人生の一番成熟した時期、多くの人は「雇用」という関係で職業生活を通じて、能力を発揮していきます。雇用は自己実現を図っていく場であると同時に、さまざまな社会現象、例えば少子高齢化や女性の社会進出などといった問題とも大きく関係しています。雇用の受け皿ができなければ、高齢者が社会に出て働くことも、女性が働く場を確保することもできなくなります。
グローバル化、金融化(マネー経済化)という経済環境の変化も雇用に大きな影響を与えます。世界金融危機が起きたときにも、雇用にも大きな影響を与えました。グローバル化や金融化はただ単にそれが現象として起こっているだけではなくて、それによって人々の暮らしや働き方、生活がどう変わるかということを見ていかなくてはならないわけです。労働組合の役割というのは、およそ経済社会で起こっている現象すべてに関わってくるといってよいと思います。
2008年秋にリーマンショックという形で起こった金融危機で、世界は戦後最悪の不況になりました。世界全体、先進国、途上国それぞれを見ても、世界経済は2008年秋から大幅に落ち込みました。2009年に入って少し回復しています。最悪期は脱出しましたが2007年や2008年初頭の水準に戻るという所までは至っていません。
日本も例外ではありません。当初、金融危機はあまり日本には影響ないのではないかと言われていたのですが、日本の実体経済の落ち込みは、実はアメリカ、ヨーロッパよりも大きかったのです。われわれは戦後最悪の不況を経験し、いまもまだ完全にその傷跡から回復できていないということです。完全失業率と有効求人倍率だけをみても、2008年はだいたい4%台、月によっては3.8%の月もありましたが、2009年に入ってからは、毎月のように失業率が上昇して、7月には5.7%に達しました。その後ちょっと数字は下がっていますが、有効求人倍率は0.4倍台です。失業率は少し下がっているように見えますが、有効求人倍率から見て、雇用情勢は決して改善していないということが言えると思います。

2.政策のパラダイム転換―「希望の国」へ舵を切れ

 この金融危機は、ある一定時期を過ぎれば景気は元に戻るという循環的な不況ではないので、政策転換をしなければいけません。なぜかと言えば、この金融危機は新自由主義政策がもたらした負の遺産であるからです。したがって、それを改善するためには政策転換をする必要があるということです。政策転換のキーワードは、「連帯・公正・規律・育成・包摂」です。金融危機以前までは、市場原理主義が非常に強くなり、効率と競争を優先する経済政策が行われていました。そういう中で、格差が拡大し、低所得層が増加という問題が起きました。連合は、これまでの延長線で景気対策をやってもだめであって、政策転換によって改善していく必要があるということで、政策のパラダイム転換ということを主張しました。
具体的には、2008年10月に「歴史の転換点にあたって~希望の国日本へ舵を切れ~」というアピールを出して、日本版「グリーン・ニューディール」政策を提言しました。ちょうどアメリカ大統領に就任したオバマさんが、この頃はまだ大統領選挙の最中でしたが、グリーン・ニューディールという政策を訴えました。ニューディールというのは1930年代の世界恐慌のときにアメリカのルーズベルト大統領が出した政策です。環境に視点をおいたニューディール政策をオバマさんは訴えたわけですが、日本でもそういう視点を取り入れようと提言したわけです。環境すなわち低炭素化という方向で行動すれば、そこには技術革新の種がいろいろありますので、新しい政策が実行できるはずです。連合は、グリーン分野だけでなく、医療・介護・福祉という分野など日本にとって必要な雇用ということで3年間で「180万雇用」の創出を経済界や政府に訴えました。
併せて、雇用を維持し、守るための努力を日本経団連、使用者側にも訴えて、2009年3月3日に連合と経団連で「雇用安定・創出に向けた共同提言」を、さらに3月23日には政労使三者で「雇用安定・創出の実現に向けた政労使合意」を出しました。連合は、雇用安定・創出のために、①雇用維持の一層の推進、②職業訓練、職業紹介等の雇用のセーフティネットの拡充・強化、③就職困難者の訓練期間中の生活の安定確保、長期失業者等の就職の実現、④雇用創出の実現、⑤政労使合意の周知徹底を訴えています。「経済情勢と連合の考える総合対策」の具体的イメージをまとめてあります(第4-1図)。

 最上段は世界の金融市場が悪化してそれが世界同時不況になったということを示しています。2段目は内需の冷え込みが日本国内にどういう影響を与えたか、金融市場の機能低下、企業行動の萎縮、需要不足、それが企業の倒産問題や雇用問題に影響することを示しています。その対策として何を行ったかというと、3段目の左上の所に「事業再生強化」とあります。これは、企業倒産によって雇用が失われるということではなく、事業を再生させることによって雇用を維持する、そのための仕組みとして企業再生支援機構という組織をつくりました。いまこの仕組みのなかでJALを再生しようとしています。その下の「信用収縮対策」というのは、特に中小企業等への資金が回らない状況下で、政府系金融機関の資金供給の拡充、あるいは信用保証制度の抜本的拡充ということを位置づけています。
それから、真ん中の「雇用・生活のセーフティネット強化」では、雇用調整助成金の拡充、180万人雇用創出、就労・生活資金給付制度の創設など、セーフティネット強化策についても取り組みました。
右端は、「株主主権主義からの転換」とあります。90年代以降、株主主権主義という主張が日本の経営者にも広まりました。企業は誰のものかという議論があります。1つは、「企業は株主のもの」「株主利益最大のために企業は存在するのだ」という伝統的な議論があります。しかし、それが唯一の答えではありません。企業というのは、株主だけではなくて、そこに働く従業員、取引先、地域社会、消費者と、いろんな関係があります。こういう人たちをステークホルダーと呼びますが、このステークホルダーとの良好な関係を維持しながら企業の社会性を維持していくというステークホルダー主義というのがあって、我々は株主主権主義ではなくて、ステークホルダー主義をとるべきだと主張しています。
特に世界同時不況以降は、解雇が安易に行われることを懸念して、企業行動のプライオリティの高いものとして「雇用維持」を位置づける、企業法制の中に労働者の位置づけを明確化させる、企業買収・防衛のルールを整備することを主張しています。従業員から選出された人を企業の監査役に入れるべきだという主張もしています。これについては、最近の新聞で、千葉法務大臣が「公開会社法」(仮称)について、法制審議会に法制化を諮問すると報じられましたが、この法律の草案には、従業員代表による監査役就任も含まれるというのがあります。これは連合が言い続けてきたことで、これを法制化しようと主張しています。
それから「内需主導型経済への転換」の中では、日本版グリーン・ニューディール政策やスクラップインセンティブ制度の創設、所得再分配機能の強化について提起しています。

3.雇用安定・創出の実現に向けた政労使合意

 先ほど、雇用安定・雇用維持のために政労使合意を3月に結んだと言いました。この合意文書のエッセンスをここで確認します。

  • 景気が急速に悪化する中で、雇用の維持は最重要の課題である。このため、労使は最大限の努力を行うこととし、我が国の労働の現場の実態に合った形での「日本型ワークシェアリング」とも言える様々な取組みを強力に進める。
  • このような取組みについては、個々の企業の労使間で、自主的に十分な協議を行い、労使の納得と合意を得る必要がある。
  • 経営側は、どのような経営環境にあっても、雇用の安定は企業の社会的責任であることを十分に認識し、個々の企業の実情に応じ、成果の適切な分配や労働者の公正な処遇に配慮しつつ、残業の削減を含む労働時間の短縮等を行い、雇用の維持に最大限の努力を行う。また失業がない形での労働者の送り出し、受け入れ等に努める。
  • 労働側は、生産性の向上は雇用を増大するとの認識の下、コスト削減や、新事業展開など経営基盤の維持・強化に協力する。また、失業のない労働移動の取組みに協力する。
  • 政府は、残業の削減、休業、教育訓練、出向などにより雇用維持を図る。いわゆる「日本型ワークシェアリング」への労使の取組みを促進するため、雇用調整助成金の支給の迅速化、内容の拡充を図り、正規・非正規労働者を問わず、解雇等を行わず雇用維持を図るための支援などを早急に行う。

  ここで皆さんに考えていただきたいのは、「雇用の維持」ということの意味をどう考えるかです。例えばアメリカの経営者は"employment at will"という考え方です。これは、「雇用は随意である」「景気が悪くなれば雇用を減らすことは企業にとって当たり前の行動」という考え方です。アメリカには一時帰休と呼ばれている"レイオフ(lay off)"というのがあります。工場の稼働率が下がればそれに応じて雇用量を減らすことですが、それを通常の経営行動としてやるわけです。そこにはあまり雇用を維持するという発想はありません。
しかし、日本はアメリカ流の考え方をとって来ませんでした。景気が悪くなってもすぐには解雇をおこなわないという経営手法をとってきたのです。1990年代頃からは、「そうした日本的経営の考え方が時代遅れであって、グローバル化の時代には意味はない」という主張が出てきました。この2009年の金融危機のときに、「雇用の維持」ということの意味を、政労使でもう一度きちんと確認しようと連合が働きかけました。その結果、先に述べたような合意の中に盛り込んだのです。
ただこれは法律によって強制できるものではありませんから、政労使三者の役割を合意の中に示しました。まず、「経営側はどのような経営環境にあっても、雇用の安定は企業の社会的責任であることを十分に認識し…」ということで、「社会的責任としての雇用維持」という論理を使いました。また、「労働側は、生産性の向上は雇用を増大するとの認識の下」ということで、雇用の増大には生産性の向上が必要であるという認識を示しました。これは「生産性三原則」を踏まえたものです。さらに、政府は「日本型ワークシェアリングへの雇用調整助成金の支給の迅速化」ということで、政府の役割として雇用を維持するために必要な予算措置を採ることを盛り込みました。
このように経営者の役割、労働者の役割、そして政府の役割を明確にしたものを、2009年に政労使合意としてつくったわけです。

4.日本的長期雇用慣行の理念型と人材育成型モデル

 この考え方のバックボーンには、日本的長期雇用慣行というものがあります。日本的長期雇用慣行の理念型とは、①期間の定めのない常用雇用を基本とする、②一旦採用した従業員は定年まで雇用することを暗黙の前提とする、③事業が不振の時でも、解雇のリスクは抑える、④雇用の調整弁として期間工、臨時工などの非正規雇用を採用する、⑤正規雇用者は幅広い熟練を形成させることで、多能工を育成する、⑥事業の拡大等にともなう広域配転にも応じる、⑦従業員は技術革新にも積極的に対応する、⑧従業員は、企業に対して高いロイヤリティをもつ、⑨恒常的残業もいとわない――等です。
このような理念型は、戦後1950年代から70年代の半ばぐらいまでに出来上がってきましたが、日本の企業の中では90年代に大きく変わりました。非正規雇用も大きく増えました。そういう意味では常用雇用を基本とするという考え方もだいぶ後退しています。それから、一旦採用した従業員は定年まで雇用することを暗黙の前提としていますが、実際には雇用を抱えきれないので、途中で、定年前でも外に出すという企業行動もありました。ただ、金融危機が起きたときに長期雇用慣行を捨てて"employment at will"の方向に行くことについて、我々は非常に強い危機感があり、理念型として大きく崩れていますが、長期雇用慣行の思想というものは残そう、と主張しました。それが政労使合意の中に盛り込まれているということです。
イギリス人の経営学者、社会学者であるロナルド・ドーアさんが、「資本主義は単一のモデルではなくて、アングロサクソン型の資本主義もあるし、ドイツ、日本にみられるような共同体モデルもある」ということを言っています。
日本とドイツは資本主義のモデルで言うと非常に似た所があります。共同体的企業社会というものを築いてきた長期安定雇用のイデオロギーがあり、これが「人材育成型モデル」を形成して、日本企業の強みを支えてきました。
それがグローバル化の進展によって、共同体型の理念や意識が失われて、経営者にとって株主から見た企業価値のみが最大かつ最高の経営目標となりましたが、「雇用保障を軸とした人材育成型の企業こそ、真の意味で成果を上げる企業であって、これが日本経済の強みになっているのだから、そういうモデルをわざわざ捨て去る必要はない」とドーアさんは言っています。私自身もそう思っています。これは決して非合理的な行動ではなく、不況のときに雇用を維持するというメッセージを伝えるということは、「人材育成型企業」にとって、きわめて重要なことであると考えているからです。

5.生産性三原則について

 この考え方の背景には「生産性三原則」があります。戦前の産業合理化運動は、増産のために、みんながクタクタになるまで長く働くという働き方でした。戦後復興のために「生産性運動」をやろうと経営側は呼びかけたのですが、労働組合は戦前戦中の産業合理化運動のように、みんなが長時間労働を余儀なくされる経験をくり返すのは嫌だということで、生産性運動に参加することに反対する人たちも多かったのです。そのときに打ち立てられたのが、生産性三原則というものでした。生産性三原則をつくった人は、中山伊知郎という先生です。
生産性向上というのは、例えば今まで10人でやっていた仕事が8人でできるようになるということです。では、2人はどうするのか。残った2人が失業者になってしまうのであれば、生産性向上をすれば誰かが失業するということになります。それでは誰も協力しようとしないわけです。
生産性三原則では、「生産性の向上は、究極において雇用を増大するもの」とされています。なぜ雇用が増大するかというと、生産量が一定のものでなくて、生産性の向上は経済の成長をもたらします。そこで生産量が増えていくということです。経済が拡大して物がたくさん売れるようになれば、そこに雇用が生まれてきます。しかし、過渡的には過剰人員が生じます。生産性三原則では、過渡的に生じる過剰人員については、「能う限り配置転換その他により失業を防止」するとあります。
ある部署で生産性の向上をして余剰人員が出たら、企業はその余剰人員を別の部署に振り向けるようにします。それでも過剰人員が吸収できなければ、雇用を維持するために政府も協力します。これは個別企業だけにその責任を押し付けるのではなく、政府もそのためにいろんな施策を実施しようということです。官民挙げて過渡的な過剰人員吸収をしようとしたわけです。これが生産性三原則の第1です。
第2は、「生産性向上のための具体的な方式については、各企業の実情に即し、労使が協力してこれを研究し協議するものとする」ことです。これは労使協力の原則といわれているものです。経営者の一方的な決定によって、「今日からこういう生産方式で、労働者諸君はみんなこれに従ってやれ」と言われても、自分が納得して働かなければ生産性向上にならないわけです。そこには労使の協力が必要です。どうやって生産性を向上するかは、経営者だけが一方的に指示して決めるのではなくて、労使が協力する中で物事を決めていく、労使が協力して手を握るということです。これが2番目の原則です。
3番目の原則は、「生産性向上の諸要素は、経営者、労働者および消費者に、国民生活の実情に応じて公正に分配されるものとする」ことです。これは公正分配の原則です。生産性を向上した果実が経営者だけに行ってしまう、あるいは株主だけに行ってしまい、働いている労働者に成果が分配されないということになれば、誰も協力しません。ですから、これは公正に分配する必要があります。重要なのは、経営者と労働者だけでなく、消費者にも分配するということです。具体的には、安くて良質な製品を市場に提供することによって、消費者も利益が得られるわけです。これが生産性向上の公正分配の原則です。
日本では1955年に生産性三原則が打ち立てられ、民間産業を中心にこれらの原則に基づいた生産性向上への運動が進んできました。先ほど述べた長期雇用慣行のモデルというのも、実はこの生産性三原則に裏打ちされて出来上がっているものです。経済危機のときにこそ、もう一度確認してその意義をとらえ直す必要がある原則だと思います。

6.雇用調整助成金制度について

 先に政労使合意の中で、「政府は雇用調整助成金を活用する」ということを挙げましたが、雇用調整助成金とは何かというと、「景気の変動などの経済上の理由による企業収益の悪化から、生産量が減少し、事業活動の縮小を余儀なくされた事業主が、雇用する労働者を一時的に休業、教育訓練または出向させる場合や、残業削減を実施することにより雇用を維持する場合、当該事業主に対してその賃金等の一部を助成する」ものです。
失業したときには生活を保障する失業手当というものがありますが、雇用調整助成金は、失業させないために雇用を維持して、休業という形で雇用を維持して凌ぐというものです。例えば工場で生産量が激減しても、レイオフしないで雇用を維持したいが、仕事はないので休業せざるをえないときに賃金の一部を雇用調整助成金から支払います。これは雇用保険料の中の積立金を原資として、休業して雇用を維持する所にお金を出すという仕組みですが、これができたのが1974年、日本が石油ショックに見舞われたときです。生産量が縮小したときに雇用を維持するために積立金を投入することは、決して無駄な出費ではないと思います。2008年度の第2次補正予算では大企業の助成率1/2を2/3に引き上げ、中小企業の助成率2/3を4/5に引き上げました。そして、派遣労働者を雇い入れた事業主にも奨励金を創設し、2008年度に拡充を行いました。2009年度の補正予算でも、解雇等を行わない場合の助成率を上乗せし、大企業は2/3を3/4に、中小企業は4/5を9/10に、また残業を大幅に削減して解雇等を行わない場合の非正規労働者への助成も追加しました。

7.労働市場改革の光と陰

 1990年代以降、労働市場改革が進められてきました。そこに、世界同時金融危機が起きました。派遣切りの問題等いろいろ出ましたが、こういう問題が起こる背景には90年代を通じて行われてきた労働市場改革の問題があります。ここには光の部分もありましたが、陰の部分もありました。今度の金融危機ではいろんな問題をあらわにしたと思います。
例えば、「外部労働市場拡大のための制度改革」の問題があります。労働者派遣法を緩和して派遣を使いやすくするようにしました。それは外部労働市場を拡大するという政策目的で行ったのですが、一方で、低賃金労働者を増加させるという陰の部分をもたらしました。
それから、「過剰雇用を削減する」という問題があります。いわゆるリストラという言葉で「過剰雇用の削減」という意味をなすようになり、日本語として定着してしまいました。90年代から2000年代の前半に企業はずいぶんリストラをやりました。リストラは企業にとって、過剰雇用を減らすということでは合理的だったわけですが、それは、労働者の企業に対するロイヤリティを低下させ、個別労働紛争の増加という問題を引き起こしました。
正社員はできるだけ少なくして非正規の人を増やすという企業行動も増加しましたが、正社員の雇用機会が縮小して、非コア業務を担う非正規雇用が増加するという結果になりました。しかし、均等待遇原則がなかったために、低所得者の増加という問題を引き起こしました。それから、「資本重視、株主重視の経営」の問題です。それは一方で、人材育成を軽視するという方向になります。
こうした労働市場改革の結果、不安定・低賃金雇用が増大し、これに政府の所得再配分機能、社会的セーフティネットの弱体化も加わって、金融危機によって、これらの問題が一気に表面化しました。
2008年の年末時点で、ILOは失業保険の給付を受けていない失業者の率と数を出しました。これを見て驚いたのは、日本で、2008年年末の時点で失業保険の給付を受けていない失業者が77%、210万人もいたことです。この数値はブラジル、中国よりは少ないものの、アメリカ、カナダ、イギリスよりもずっと多くなります。日本は、どうしてこんなセーフティネットの弱い国になってしまったのでしょうか。

8.ディーセント・ワークとグローバル・ジョブズ・パクト

 これまで日本の問題を述べてきましたが、世界中に、失業や貧困という問題が起こっています。こうした問題を改善する手法として「ディーセント・ワーク」という概念があります。
ディーセント・ワークは、日本では「働きがいのある人間らしい仕事」と訳しています。これはILOのソマビア事務局長が示した考え方で、「働く人と家族が健康で安全な生活をおくることができ、子どもに教育を受けさせることができ、比較的しっかりと家族を養うことができ、老後の生活を営めるだけの年金を受給することができ、必要に応じて社会的保護が受けることができ、適正な収入を得て、働く人たちの権利が守られ、社会的対話に参加できるものであること」に基づいています。
一見、当たり前のことを言っているように見えますが、先進国においても必ずしもこれが実現できているとは限りません。日本でもこれが完全に実現できているとはいえず、それぞれの国で課題を抱えています。ILOは、世界同時金融危機が起きたときに、ディーセント・ワークというものが失われてしまってはいけない、雇用危機、世界同時金融危機からの脱却のときに、雇用の質が悪化する、あるいは雇用が景気回復したにもかかわらず雇用が伸びていかないという状況を"jobless recovery"というのですが、そういう結果をつくってはいけないということで、去年、「グローバル・ジョブズ・パクト(仕事に関する世界協定)」というものをつくりました。
世界金融危機の回復のプロセスにこういう政策をいかにして盛り込むか。これが世界の労働組合の重要な役割として認識されたわけです。2009年に、日本では政権交代が起こって、鳩山内閣が9月16日に成立しました。その直後18日にピッツバーグでG20金融サミットが開かれましたが、世界の労働組合はこのG20で雇用の回復を首脳たちに訴えました。私もこれに参加しました。世界の労働組合のリーダーは個別にサミットに参加した政府代表に面会しましたが、日本で政権交代をなしとげた鳩山さんにもお会いしました。そこで、グローバル・ジョブズ・パクト、あるいはディーセント・ワークを実現することについて、きちんとしたメッセージを出す必要があると訴えました。
これがピッツバーグサミットの中の声明に入れられて、「我々は、人間らしい働きがいのある仕事を支援し、雇用の保全を助け、雇用の増加を優先する回復計画の実施にコミットする。加えて、我々は失業者と最も失業の危機にさらされている人々に対して、所得、社会的保護及び訓練支援を引き続き提供する。我々は、今回の危機が国際的に認知された労働基準を無視し、又は弱める口実にはならないことに合意する。世界的成長が幅広く利益となることを確保するため、我々は、ILOの労働における基本的原則及び権利と整合的に政策を実施すべきである」という声明が出されました。

9.政府の緊急雇用対策

 連合はいま鳩山内閣と政策協議を行っています。距離感から言えば、前の自公政権の時代よりはだいぶ縮まっています。連合と総理とのトップ会談、あるいは官房長官との定期協議、各府省庁の会議…、私もメンバーの一人としてそういう会議に参加して、政務3役と直接対話する機会を得ています。
2009年の秋には、緊急雇用対策を示しました。連合の「180万人雇用プラン」です。これは、成長戦略にどう組み入れるかが課題でしたが、2009年12月30日に鳩山内閣の新成長戦略で、環境、健康、観光という3つの分野で雇用をつくっていこうという考えが示されています。さらに、ディーセント・ワークの実現も成長戦略に入りました。その中には、ディーセント・ワークの実現に向けた同一価値労働同一賃金に向けた均衡均等待遇の推進、最低賃金の引き上げ、ワークライフバランスの実現に取り組むことなどが書かれています。国際的な合意をつくることと合わせて、国内における政策にディーセント・ワークの実現という概念を反映させることができました。

10.その他の連合の取組み

(1)労働者派遣法
労働者派遣法は1986年施行以来、何回かの改正を経て規制が緩和されてきたのですが、2008年に、当時の舛添厚生労働大臣は、要件の緩和を逆に厳しくする方向に見直そうとしましたが、国会では1回も審議されずに廃案になりました。その後、政権交代で、民主、社民、国民3党連立政権合意の中に、派遣の要件を厳しくする方向で労働者派遣法を改正することが入っており、2009年12月28日に労働政策審議会で建議が出されました。次の通常国会に派遣法の見直しが提案されることになります。

(2)最低賃金の取り組み
日本の最低賃金は、フランス、イギリスに比べると、日本を100とするとフランス180、イギリス169で、2倍近い差(2006年時点)があります。アメリカは103で日本と同じぐらいだったのですが、2006年の中間選挙で当時のブッシュ政権を支えた共和党が大敗して民主党が伸びました。そのときの民主党の公約で最低賃金を5.15ドルから3年かけて7.25ドルに上げることになりました。
日本も最低賃金の引き上げが必要だということで、最低賃金法が2007年に改正されましたが、法改正だけでは水準の引き上げができませんので、政府は、成長力底上げ戦略円卓会議を設置して検討を始めました。2008年最終合意を得たわけです。太田弘子さんが当時の成長力底上げ戦略会議の担当大臣でした。
最低賃金は、2004年から06年までは1円2円しか上がっていなかったのですが、戦略会議をつくってからは全国で14円、16円、10円、東京だけでいうと20円以上上がっています。少しずつではありますが、底上げという形で最低賃金が上がりつつあります。ただ、それでも全国で713円ですから、まだ生活できる賃金とはいえませんが、ようやく底上げということの必要性が認識されています。

(3)労働基準法改正の取り組み
改正労働基準法が、2010年の4月から施行されます。時間外労働と休日労働の割増率の引き上げが行われることになっています。週60時間以上働く時間外労働については割増率が50%以上になります。ペナルティとしての割増率を引き上げることによって、長時間労働を抑制しようということが行われています。

(4)企業再建の取り組み
経営が苦境に陥った企業の再建の問題です。いまちょうどJALがこの問題に直面していますが、それにどういう対策をとるかです。今日の新聞見ると、JALが法的整理にするか私的整理で行くかということが大きな議論になっていると書いています。法的整理をすれば、更生計画の中で金融債権をカットすることが決められますが、私的整理の場合は相手の銀行が納得しないとできません。不良債権を償却するということは、株主や債権者に大きな痛手を与えるわけです。また、そこで働く従業員の雇用や処遇にも大きな影響を与えます。
このような問題を処理するために、連合は、「倒産が増えることにまったく手当てしないで金融の不良債権処理だけやってはいけない。事業再生の受け皿の仕組みをつくる必要がある」と主張して、2002年に産業再生機構(IRCJ)ができることになりました。産業再生機構は、2003年から業務を開始しました。
ダイエー、カネボウのほか、4つの大規模不動産開発会社、9つの地方ホテル、4つの交通関係企業などが対象になりました。当時私はUIゼンセン同盟でこの仕事をしていまして、ダイエーもカネボウも加盟組合でしたので、産業再生機構を使い、企業を再生することに労働組合として関わりました。企業の合併、買収という手法も使いながら企業を再生したということもあり、この中で日本の企業の再生という1つのモデルができたのだろうと思います。
産業再生機構はもう解散しましたが、今度の不況の中で、中小企業、中堅企業を再建するモデルとして、企業再生支援機構をつくろうということになりました。これがなかなか困難でしてが、2009年の春に設立にこぎつけることができ、10月に業務が開始されました。
ここにいま日本航空が入るかどうかということが大きなヤマ場になっていますが、ここにも労働組合が関わっています。本学の卒業生で浅見ゼミの出身の人がゼンセン同盟に入局し、この企業再生支援機構に出向しています。企業再生にも労働組合はいろんな役割を果たしています。
今日は、金融危機をテーマにして、労働組合がどういう役割を果たしてきたのかということをお話ししました。ご清聴ありがとうございました。

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