一橋大学「連合寄付講座」

2009年度“現代労働組合論II”講義録
労働組合の課題と取り組み

第4回(10/23)

非正規労働問題と連合の取り組み

ゲストスピーカー:團野久茂(連合・副事務局長)

はじめに

 こんにちは。私の出身は日本鋼管ですが、現在は、川崎製鉄と合併しまして、JFEといいます。日本鋼管は、1971年から川崎の京浜運河の沖合に縦4キロ、横3キロの人工島をつくり、製鉄所を建設しました。私は、1973年に入社し、そこに配属されて、1号炉、2号炉を立ち上げた後、2年契約で三重県に行き、ずっと設備の仕事をしました。ちょうど造船産業が大不況の年で、今度は大合理化を経験しました。その後、本社に戻り、しばらくして組合の役員となったという経歴です。日本鋼管での組合専従を終わった後、全日本金属産業労働組合協議会(金属労協・IMF-JC、200万人)の事務局長をやり、それから連合に派遣されました。

1.自民党政権から民主党政権の発足

 本題に入ります。皆さん学生ですから、選挙に行かれた方、行かれなかった方が、半々ぐらいかと思います。8月に実施された第45回の衆議院選挙を皆さんはどのようにごらんになられたでしょうか。それぞれ評価の仕方があったと思います。民主党が308議席を取りまして、圧倒的多数で政権をとりました。私は、戦後の体制を改革するためには、もう待てない政権交代であったと考えていますので、ギリギリ間にあったなと思いました。それぐらいここ数年間の自民党の政治はひどかったと思っています。自民党は日本の経済社会の劣化にも、また国民生活の疲弊にも危機感を持っていませんでした。それどころかまったく気にも留めていないとしか思えませんでした。
振り返れば、1993年に自民党は、一時政権を当時の日本新党に奪われました。しかし、自民党は社会党と協力して政権を取り戻しました。社会党は、自衛隊は憲法違反とし、社会主義を標榜する政党でした。自民党は自由主義で、自衛隊は合憲だと主張しています。本当は一緒にやれない政党が一緒になってしまうくらい自民党は政権に固執していました。社会党は、村山富市さんを首相にするという条件で自民党にすり寄りました。しかし、社会党は、自分たちの主張とは違う考え方の政党と一緒になり、政権を握りましたが、それ以降、急落をします。自民党は、社会党がだめになると、今度は公明党と一緒になって、政権を維持してきました。その時々の首相を振り返っていただくと良いと思います。橋本龍太郎さんは96年から首相になります。この人は国民に人気があるということで首相になった人だと思います。政治が国民に向いていることは良いことですが、自民党は実際には、国民に対して人気を得ている人を前に立てて、ポピュリズム気取りの政治をしていきました。絶頂期が小泉政権です。

2.日本の経済社会の成功

 世界に冠たる雇用社会の日本は、80年代までは一億総中流と言われていました。落ちこぼれはなくて、みんなある意味では平等感を持っていました。日本をこれほどまでに格差が拡大した社会にしてしまったのは、90年代以降の自民党の政権、その中でも小泉−竹中政権に大きな原因があったと私は見ています。
21世紀に入って、グローバリゼーションによって経済の垣根がなくなり、世界が1つの経済になりました。2008年の秋口からアメリカの低所得者向けの住宅貸し付けに端を発した金融バブルの崩壊が表に出てきました。そして、アメリカの覇権に揺るぎが見え始めてきました。それに比べて、中国やインドが力強く台頭し始めています。一方、日本はこうした大きな世界の構造変化にまったくついて行けない、このまま放っておくと日本は没落してしまうのではないかと思わざるを得ない状況です。
ローマ帝国以来、人口がどんどん減る中で栄えた国は一国もありません。日本の現在の合計特殊出生率が1.37(2008年)ですから、放っておけば100年後には日本の人口は2分の1になります。こういう状況に対して、日本を没落させないためにはどうしたら良いかというと、政権交代しかなかったと思います。私は、ここ数年のうちに、日本の経済社会構造に抜本的なメスを入れないと、没落してしまうのではないか、という危機感を持っていました。私だけではなくて、心ある有権者の多くはそう考えていました。必要な改革は明治維新に匹敵するぐらい大きなものだと言う学者もいました。近代化には成功したけれども、それに続く新しい世界に日本は一刻も早くキャッチアップしていく必要があります。
貿易総額を見ると、アメリカがこれまで大きかったですが、2?3年前には中国に追い抜かれました。しかし、日本はラッキーです。それだけ発展をする国の隣に位置しているからです。中国がどんどん大きくなり、それに次いでインドが追いかけています。そうすると、鳩山首相が言うように、東アジア共同体をつくれば、日本は技術的にはまだまだ先を走っていますから、共に歩めば、発展する道が見えてくると思います。
93年が1つの変わり目でした。92年の秋口に、金丸信さんという自民党の大御所、田中角栄に次ぐ実力を持った人が政治資金規制法で捜査を受けます。翌年には所得税法違反で事務所に捜査が入ります。その時に36億円分の有価証券と金の延べ棒がごろごろ出てきました。当時の宮沢首相は、新しい政治体制をつくれなければ、退陣すると発言しており、93年に政権交代が実現します。
しかし、細川政権は10か月で倒れて、自民党に政権が戻ります。改革が必要だと議論がなされ、橋本政権の金融ビッグバンや行政改革、小泉政権の道路公団民営化や郵政民営化など、改革は実行されました。しかし、現在でも縦割り行政は残っていますし、防衛省や社会保険庁に見られるようにスキャンダルも出てきました。行政の機能は大きく低下しており、これを立て直さなければならなりません。小泉政権のシンクタンクであった「構想日本」の加藤秀樹代表は、「道路公団の民営化は完璧な失敗だった。道路のムダは膨らむ一方であって、小泉改革は虚構である。そこにきちっと目を向けなければならない」と言っています。彼は現在の行政刷新会議に民間代表として入っていますので、この指摘は正しかったのだろうと思います。表向きは改革という形で民営化をしました。しかし、実質は道路を造るか、造らないかを含めて国が決定するシステムで、中身はまったく変えず、外側だけを民営化して見せて、改革だと称しているだけです。
戦後の日本は奇跡の高度経済成長を成し遂げたとよく言われます。しかし、それだけではありません。「格差なき高度経済成長」を遂げました。ここにポイントがあります。それまで先進国が実現できなかったことを成し遂げたのは日本だけでした。それを指導・牽引したのは当時の自民党でした。1945年から1970年代、80年代まではすばらしい国家建設をしたのではないかと思います。振り返れば、吉田茂首相が平和国家路線を打ち出し、保守主義でしたが、ナショナリズムとは大きく距離をとって、軍備に関しては現実的に対応しました。この吉田首相のグランドデザインを引き継いだのが池田勇人であり、田中角栄でした。冷静に見るとそういう流れだったと思います。1960年に首相になった池田勇人は、大蔵省、日本銀行、日本興業銀行などの資金を核に産業政策を推進し、「所得倍増計画」を掲げました。国民の所得を10年間で2倍にしますという計画を打ち出します。そのおかげで、鉄鋼や重化学工業などが急速に発展していきました。日本経済を効率的に高度経済成長にまで導いていったのが池田首相の政策でした。GNPの1人あたりの生産高も2倍になり、所得も2倍になりました。計画通り行ったわけです。それを引き継いだのが田中角栄でした。田中角栄は高度経済成長で増えた税収を公共事業によって地方格差を埋める「日本列島改造論」を発表しました。所得を2倍にした後は、今度は列島を改造します。手段としては公共工事を全国にバランス良く実施することによって、地方格差を是正しながら全体が高度経済成長の成果を受けられるシステムを作ろうとしました。農家に対しては減反政策をとり、作らなくてもその分は税金で担保する収入を作りました。高度成長を遂げて、国民は成果の配分を受けました。それは戦後の廃墟から立ち上がるために、きわめて適切な政策だったわけです。それが戦後体制でした。
アメリカは、東西冷戦構造の中で、日本にソビエト陣営に行かれては困るので、アメリカの資本を日本に投下しました。国家予算の3分の1はアメリカからの資金投与によって賄われたと言われました。軍備だけではなくて、それだけ資金を投下して、日本を自由主義の経済圏に置く政策がなされました。その枠組みの中で日本が成長しました。その枠組みをうまく生かして吉田、池田、田中がうまく政策を打ちました。
日本を世界で2番目の経済大国にまで引き上げて、一億総中流と言われるほどの平等社会を作り上げたというのが戦後体制でした。成長の富を公共事業という手段、ツールによって地方に配分し、国民全体に成長の成果を行き渡らせる政策を遂行したということです。

3.日本経済社会の行き詰まり:非正規労働問題の顕在化

(1)小泉改革:政策遂行の失敗
それまでは良かったわけですが、経済の枠組みや社会の状況、それから世界との関係が大きく変わる中でその体制が変えられなかったところに大きな問題がありました。これが今日の経済格差と深刻な状況を作り上げてしまったことに結びつきます。どうして、このようなことになったのでしょうか。これは政府の政策に大きな原因があります。小泉改革では、アメリカ型の市場原理主義の必要性を主張して、改革という規制緩和を進めなければ世界に遅れてしまう、だから改革をしなければいけないのだ、改革を否定する者は悪だ、ということを国民に対して訴えたわけです。こうした政策が格差拡大を助長してきました。雇用労働分野における規制を撤廃し、フリーにしてしまった結果、格差の拡大を促進してしまいました。小泉・竹中路線による政策遂行の失敗が今日の格差拡大につながっていったということです。

(2)日経連の新時代の日本的経営路線
政府の政策だけでなく、経営者団体の方針も重要な役割を果たしました。経営者団体には、日本経済団体連合会(日本経団連)、全国中小企業団体中央会、日本商工会議所、経済同友会という代表的なものが4つあります。そのうちの1つ、日本経団連の前身である日本経営者団体連盟(日経連)が1995年の5月に「新時代の日本的経営」という提言を出しました。
それまで日本は、簡単に言うと、いったん会社に入ると定年までその会社に勤める、終身雇用に近い長期勤続雇用を大切にしてきました。しかし、日経連はその雇用を、「長期蓄積能力活用型グループ」と「高度専門能力活用型グループ」、「雇用柔軟型グループ」の3つに切り分ける必要があると主張しました。そして、給料の支払い方法はその働き方に応じて切り分けるべきだと、そして、個別企業経営に対して、そのように経営を舵取りしなさいと指導しました。これも大きな一因だったと思います。長期蓄積能力活用型グループは、雇用期間の定めのない正社員として働くグループです。高度専門能力活用型グループとは、必要なときに専門能力を持った人を市場から持ってくれば良いという考え方です。例えば、自動車のデザインですが、デザイナーをずっと雇っておく必要はありません。日本でやるよりもイギリスで、アメリカで自動車のデザインをやるとか、日産は一時期はイタリア人を向こうから連れてきてデザインをやらせました。そういう職種の人たちを、高度専門能力活用型として必要なときに、社外から呼んでくれば良いわけです。もうひとつは、雇用柔軟型です。自分たちで必要なときに雇い入れる、いらなくなったらやめてもらうという雇用柔軟型のグループ、この3つに切り分けるべきだと主張して、傘下の企業を指導していったことは、雇用にあり方に重要な影響を及ぼしました。
政府や経営者団体のこれらの政策が後押しをして、90年代後半以降、非正規雇用労働者が増大していきます。一時期は4割近くまで達していました。2008年暮れから非正規雇用労働者の雇い止め(契約期間満了による雇用の終了)や契約期間中に契約を解除(解雇)するという企業が相次いだので、現在は31%ぐらいにまで下がっています。しかし、これだけ多くの労働者が非正規雇用で働いているのはおそらく日本や韓国ぐらいです。
韓国では6割が非正規雇用労働者です。韓国は行っていただくとわかりますけれど、日本とまったく違います。財閥は解体されていません。最近、解体しようという動きがありますが、まだ解体されていません。旧経済体制が残ったままで、貧富の差、階層も固定化しています。労働者はその下に置かれているという状態が続いています。だから労働組合は今でも階級闘争をやっています。

(3)社会問題化した非正規労働者問題
最近、ワーキングプアという言葉が日本でも定着し始めています。ここ数年来、非正規労働者問題が労働について最も大切な課題として議論されてきました。その出発点がどうやら2006年ぐらいだったと思います。2005年の12月に毎日新聞が「縦流れ社会」という連載を始めました。NHKがワーキングプア特集をしていました。働いても、働いても豊かになれないというテーマで放送したのが2006年7月だったと思います。これまでは、一定の努力をして働いていれば人並みの生活ができるという前提に立っていました。ところが、この特集では、働いても、働いても豊かになれない、人と比べて自分がさぼっているわけではない、しかし、それにもかかわらず生活ができない人が増えていることを放送しました。真面目に働いているにもかかわらず、ギリギリの生活を強いられている人々の姿が紹介されて大きな反響を呼びました。この状況が、日本だけではなくて先進国でも広まっています。職に就いて真面目に働いていても人並みの生活をできる収入が得られない人たちが増大しているのです。
このNHKの特集の中では、過当競争で収入が激減したタクシー運転手などが取り上げられていました。タクシー台数は規制で制限されていましたが、ある需要に対して適正な台数でなければ儲かりませんから、参入を規制する許認可事業になっていました。小泉−竹中改革の時にその規制を撤廃してしました。届け出さえすれば、誰でもタクシー事業に参入できるようになりました。今、夜、銀座や新橋あたりを歩いていると、歩いている人間よりも客待ちしているタクシー台数のほうが多くなっています。昔、バブルの頃は、タクシーをつかまえようと思ってもほとんど止まってくれませんでした。12時に乗ろうと思っても、タクシーに乗れるのは3時頃でした。そのくらいすごかったです。その頃はタクシーの運転手さんは東京で1か月に100万円ぐらい稼いでいました。ところが今や規制が緩和されて、タクシー運転手はほとんど収入がないという状態です。台数が多すぎるからです。タクシー会社は儲からないのであれば、薄利多売で台数を増やして、全体の収入を維持しようとしました。しかし、1人あたり、台数あたりの収入はどんどん下がりますから、タクシーの運転手さんは一生懸命働いても賃金は上がらない、月に10万円ぐらいしか収入がない、タクシーの運転手だけでは生活できないという状態になっています。その結果、2009年6月にようやく法律が改正され、規制が強化されました。
ネットカフェで寝泊まりしている日雇い派遣の若い子たちには泊まる所がないわけです。泊まるお金がないと言った方が良いかもしれません。一泊500円で過ごせるネットカフェで見たくもないテレビをつけながら、真横に横になれないところで泊まっていいます。ネットカフェで寝泊まりする若者が後を絶たないと言われています。彼らは、一生懸命に働いています。それにもかかわらず、人並みの生活ができない状態に置かれているという現実があります。

4.貧困の質的変化

(1)パートとフリーター
ワーキングプアと非正規という雇用形態はきわめて密接な関係にあります。非正規労働者の割合はここ10年間に増えてきました。当時の非正規労働者は家事をしながらパートタイマーとして働く主婦パートと、勉強をしながら収入を得る学生のアルバイターが多くいました。補助的な収入を得るために働く場合が多かったです。夫が働いて、それでは少し足りないので、スーパーマーケットに行って働きました。さらに豊かに生活ができるようにと働いていました。その当時、彼らをワーキングプアだとは誰も言いませんでした。80年代はそういう時代でした。
85年のプラザ合意で、政策的に円高が進められます。それからバブルが始まります。そのバブルの頃に、リクルートの就職情報誌の編集長が「フリーター」という言葉を作りました。それまではそういう言葉はありませんでした。フリーターという働き方を新しいライフスタイルとして、もてはやしました。正規雇用労働者として会社に従属しながら、ずっとそこで働くよりも、働きたいときにフリーターとして働き、自分が楽しみたいときに楽しめる、余暇と生活、労働時間をうまく使っているのがフリーターであり、これが新しいライフスタイルだと煽りました。本当は真剣に考えなければいけなかったと思いますが、労働組合はこれを見過ごしてしまいました。これが非常にまずかったと思います。
91年にバブルが崩壊しました。それから「失われた10年」といわれる大不況期を日本は経験します。失われた10年だったのか、バランスシートを調整する時代だったのか、議論はいろいろあります。企業は新卒採用をほとんどしなくなりました。働くところがない若者たちが非正規雇用で働くようになりました。バブル崩壊のツケを若者だけにしわ寄せしてしまったと思います。労働組合も1つの原因を作ったと思います。自分たちの組合員、自分たち従業員の雇用を守るために、正社員の新規採用を絞ったとことも事実です。絞りすぎたために、若者が企業に正社員として入社できなくなりました。結果、若者がフリーターとして働かざるを得ない人たちが増えてしまいました。これが非正規雇用労働者の増加につながった大きな原因だと思います。
この時期に、社会の中で何が起こっているのかを的確に把握をし、分析をして対応していればこんなにひどい状態にはならなかったのではないか。取り組みが遅れたことが、深刻化する要因を作ってしまったと思います。

(2)新たな貧困の発生
ところが最近は少し違います。新たな貧困の発生についてお話ししたいと思います。ワーキングプアの若者たちは「ロストジェネレーション」と言われています。若者たちの新しい貧困が従来理解されていた貧困とはいくつかの点で質的に異なっています。ここをきちっと把握・分析をして、これからの社会政策を考えていかなければならないと思います。
従来の貧困は、さまざまな理由によりフルタイムで働くことができない人びとの貧困であったと思います。失業者や病気などで働けない人、幼い子を抱えてフルタイム就労が難しい母子家庭の人、無年金の高齢者世帯などが貧困に陥っていました。したがって、貧困対策は生活保護など働けない人に対する福祉と失業対策(就労支援策)の2つしかありませんでした。この2つさえやっておけばよかったです。
しかし、今は違います。フルタイムで働いている人、その機会や能力のある人、または彼らの扶養家族であっても生活苦に陥る人が出てきているという事態です。フルタイムで働いていても収入が低いから生活が苦しい。生活はギリギリでとても遊ぶお金どころでないという状態です。90年代の最初から非正規雇用で働いている人たちは中高年になり始めています。90年からずっとフリーターをしている人はもう、19年から20年経っていますから、当時20歳の若者も40歳になっています。そうすると、そのおやじとかおふくろは、60歳代になっています。おやじたちもリストラにあって、正規雇用から失業状態に陥っているか、もしくは、もっと年をとって収入を得られない状態かもしれません。これまでは、親が収入をきちっと得ている状態の中でその親と同居しながら住宅費は自分で負担せずにフリーターで働いているから人並みの生活を送れていました。ところが親の収入がなくなれば、自分の収入で生活をしなければなりませんから一気に貧困状態に陥ります。こういう問題が最近増えてきています。扶養家族であっても生活苦に陥る、というのはそういう状態を指しています。かつてはそういう状態でも、働く場さえあれば貧困から逃れられるという希望がありました。しかし、今は働いても貧困から抜け出せないという状態が出てきています。

5.ライフコースの不確実化とワーキングプアリスクの高まり

(1)ライフコースの不確実化
生活不安を加速させるもう一つの原因は、ライフコースの不確実性にあります。これは自分の将来のライフスタイルを描けないということです。この双方が同時に進行したことによって、相乗作用を引き起こして生活不安を加速させました。そして、従来の社会保障制度がうまく働かないという問題が出てきました。ライフスタイルの多様化自体は、選択肢が広がるので非常に歓迎されるものです。しかし、その多様化の選択肢の1つとして、ワーキングプアが含まれてしまうところに問題があります。
戦後から90年頃までの典型的なライフコースを考えてみましょう。まず仕事の面で行きますと、企業で働く男性は正社員として定年まで働きます。終身雇用という形で、定年が60歳であれば60歳までは働きます。そして自営業の経営は安定しています。こういうことを前提に税制や社会保障制度が成り立っていました。家族の面では、ほとんど全ての人が結婚をして、離婚しないことを前提に社会保障制度の仕組みはできていました。
しかし、90年代以降、離婚が増え、変わってきました。雇用形態も家族の形態も多様化し、バラバラになり始めています。自分ではそうなりたくなくても、結果的に自分にとって不本意な雇用形態や家族形態に陥ってしまうリスクが増えてきています。実際に、非正規雇用労働者は40%に迫ってきています。自営業の倒産・廃業はきわめて多くなっています。
東京にいると気がつきませんが、地方に行けば、街の中心部の商店街の店が閉まっていて、「シャッター通り」と言われます。みんな儲からないから、店を閉じてしまいます。農山村は「限界集落」という形でどんどん過疎化しています。私は田舎の出身ですが、バスが通わなくなりました。儲からないからバスをやめます。1日にバスは1本も走らない。そこに年取った両親がいます。そういう状態です。
一生結婚しない人たちも増え始めています。25%が一生結婚しないという予測が出ています。うちの娘も一番下が25歳で、「私一生結婚しないかもしれないわよ。覚悟しといてね」と言われています。独立して、西新宿に1人で住んでいますが、どうも結婚しそうもないという予感がします。それは選択ですからしょうがないです。しかし、結婚しても3組に1組は離婚します。かつては、そんなに離婚率は高くありませんでしたから、変わってきたと思います。
このように、ライフコースは変わってきました。特別な理由がなくても貧困状態になるリスクが高まっています。不安定で、低収入の仕事に就かざるを得なくなったり、離婚などによって自分の生活を支える人がだれもいなくなってしまうという状態が起こったり、そのような可能性が高まったりしています。それが以前の貧困と現在の貧困の異なっている点だと思います。したがって、労働組合も全部考え直す必要がある、と私は主張しています。

(2)前提を置き換えて考え直す必要性
連合は1989年に結成されました。そして、2001年に「21世紀ビジョン」を打ち出し、「労働を中心とした福祉社会」を提起しました。日本は会社に入れば多くの人が定年までそこで働きます。諸外国に比べればその割合が高い国と言われました。それが内部型労働市場です。そして終身雇用や企業別労働組合は、日本の労使関係の特徴点だと言われた時代がありました。これが大きく転換しています。1人稼ぎを前提に考えていたのではもう対応できなくなりました。1人稼ぎもあれば、2人稼ぎもあるということです。2人稼ぎは例えば正規と正規の人が結婚をして2人の収入で生活を営むパターンです。非正規と正規が結婚して収入を得るパターンや非正規と非正規の人たちが生活を共に支え合うというパターンもあるでしょう。われわれは、これらすべてを前提にして、どういう働き方、どういう組み合わせであろうとも生活できる収入をきちっと得られるような手段をつくっていかなければならないのではないか、連合はそのように考えて、労働を中心とした福祉社会を提起しました。
働く時間もそうです。仕事と家庭を両立するということが言われています。これも全部置き換えなければいけないと思います。1人当たりの労働時間をどうするか。週休二日制をどうするか。労働組合が長年にわたって要求して、交渉してきた結果、1960年代後半に週休二日制が実現できました。ただその前提には、1人当たりの労働時間をどうするかという発想しかありませんでしたが、これからはそうではなくて、家族あたりの労働時間をどうするか、という発想が大切です。2人稼ぎになる割合が一番高いわけですから、家族で妻と夫の2人が仕事もし、家庭生活も営む。そうすると仕事と家庭を両立する働き方を考えなければいけません。
日本の自動車産業の労働時間は長いです。自動車産業の年間の平均労働時間は1952時間です。トヨタとホンダは20時間か、30時間短いだけです。私の出身の鉄鋼でさえ、現場は1898時間です。電機は1800時間台半ばです。1人当たりの労働時間を短くすることに加えて、2人でどうするかということです。なぜ自動車産業について触れたかといえば、例えば1950時間で月あたり20時間か30時間でも残業すれば、年間2000時間を軽く超えます。2000時間働いている夫と2000時間働いている妻がいて2人で4000時間。そうすると家庭と仕事がとても両立するとは思えない。そのように視点を持つべきです。変えていくべきだと思います。
ドイツにIG-Metalという金属の労働組合があります。ドイツでは残業は年間で50時間程度で、総労働時間は1750時間ぐらいです。日本もそうすると2人で合わせて3200?時間ぐらいにしないといけない。そうすると2人で割ると1600時間になる。労働組合は1600時間労働社会をこれから作ると提起しなければならないと思います。思っているだけでなくて、労働条件闘争の最高責任者をしていますので、連合の労働時間短縮の考え方も全部改定したいと思います。そういう方向で労働社会を作り直すべきであると考えています。
厚生労働省が日本の貧困率を発表しました。2008年ベースで貧困率は15.7%でした。10人いれば2人は貧困だという状態です。年間収入が200万円以下の人たちは1200万人います。全労働者の25%に近い比率です。これは厳しい数値です。これらの人たちへの対策をきちっと打っていかなければならないと考えています。

6.2010春闘の取り組み:職場の非正規労働者の問題を取り上げる

 今、2010年の春闘について検討していますが、そこで提案することを話します。これまで労働組合は非正規雇用労働者の処遇問題に取り組んできませんでしたが、自分たちの働いている職場に非正規労働者が派遣もしくはパートタイム、契約労働者という形で入ってきています。特に派遣労働者は自分たちの会社が雇用契約を結んでいないために、自分たちとは関係ないと思ってきましたが、これではいけないと、今、訴えています。会社が自分たちの職場に入れて働かせている、職場で一緒に生活して仕事している仲間です。使用者責任があるはずです。そこで、自分たちの組合員であろうが、なかろうが関係ありません。自分たちの職場に非正規労働者が入ってきたときに、彼ら、彼女らがどういう収入で働いているとか、社会保険は派遣元が払っているのかどうか、雇用の位置づけについて経営はどう考えているのかどうか、を労使協議や労使交渉の場ですべて話しなさいと提起しています。2010年春闘からその運動のスタートを切りたいと考えています。これがひとつ目のポイントです。あらゆる課題についてきちっと労使協議・労使交渉すること、これを義務化しようと考えています。

7.均等・均衡処遇の取り組み

 もう一つの課題は均等・均衡処遇です。これは外部に研究会を立ち上げて、学識経験者の方にも集まっていただいて、検討を始めました。京都大学の久本憲夫教授と同志社大学の中田喜文教授、それから獨協大学の阿部正浩教授に参加いただきました。1か月に1回か2回の研究会をやっています。だいたい1か月6時間、徹底議論します。横に速記がいて全部その議論をメモしてくれます。それを積み上げていって、均等・均衡処遇をどうするかを整理したいと今一生懸命やっています。
同一価値労働・同一賃金については今までに習われたと思います。言葉はきれいですけれども、これを実現するのはきわめて難しいです。本当に同じ仕事がどこにあるのか、均等処遇はどことどこを均等にするのか、これらは全然整理されていないのです。理念先行型ですと、労働運動としては使えません。
まず、正社員は例えば5年ぐらい経つと、人に指示をされればだいたいのことが一通り自分でできるようになります。社内で協力を受けながら業務の経験を積めばだいたいそういう状態になります。これを1人前としましょう。非正規労働者も、同じ労働であれば5年経験すれば同じ仕事ができるようになります。そうすると、ここの時点では少なくとも均等・均衡処遇を実現しよう、という運動を始めたいと思います。当然、時間あたりの賃金については同一にしていきたいと思います。これに福利厚生も含めて考えるか、退職金はどうするか、一時金をどうするか、すべてイコールにはできませんが、基本は時間給をイコールにさせていく。こういうところから均等待遇の運動をスタートします。そして、労働協約を企業ごとに締結し、それを積み上げることによって、いずれは法制化につなげていきたいと思っています。

8.最低賃金の引き上げ

 日本の最低賃金制度には2種類あります。1つは県ごとの「地域別最低賃金」と、もう1つは「産業別最低賃金」です。最近、法律では産業別最低賃金という言葉は使われずに、「特定最低賃金」といいます。地域別最低賃金は県ごとにつくられていますが、現在は東京が一番高く791円(2009年10月1日発効)、低いのは鹿児島県の630円(2009年10月14日発効)や沖縄県の629円(2009年10月18日発効)です。これだけ地域ごとに最低賃金が違います。最低賃金以下では働かせてはいけない。アルバイトもパートもです。皆さんが東京でアルバイトをした時に、時給が791円を下回ると最賃法違反になります。ワーキングプアなどの低賃金で働いている人たちの最低の生計費を下から押し上げなければいけないという意味では、最低賃金はきわめて重要です。
私は、厚生労働省の最低賃金の審議会の委員もしています。小泉政権の後、安倍さんが政権を引き継いですぐ辞めてしまいましたが、彼は1つだけ良いことをしてくれました。それは最低賃金の引き上げです。最低賃金を引き上げるための円卓会議を作りました。政府と労働組合、経営者団体が3分の1ずつ参加した円卓会議をつくりました。この中で、最低賃金の仕組みをどうするのか、中小企業の収益状態について今後どうしていくのか、というテーマで話し合いをしました。その結果、この円卓会議で、最低賃金については高校卒業後の初任給や生活保護水準との整合性を考慮しながら、今後の5年間に、労使で努力して、最低賃金を引き上げていこうという確認をしました。この約束に基づいて、この3年間最低賃金を審議しました。本来、円卓会議が合意したから最低賃金が上がるという仕組みにはなっていません。しかし、政府が約束したので、最低賃金審議会への最低賃金引き上げ圧力がどんどん強まりました。
2009年はその効力が失われる寸前ですが、やっと10円上げることができました。07年が14円、08年が16円、09年が10円で、合計40円を3年間で引き上げました。民主党のマニフェストは、最低でも800円へ引き上げ、1000円を目指すと明確に謳っています。政権を取ったわけですから、この公約をどのような形で実現させるかが、私たちの大きな仕事です。政府とその点について話していく必要があります。今は民主党に働きかけてもだめなので、話をするためには、長妻厚生労働大臣か、細川律夫副大臣か、その下の政務官に直談判するしかありません。連合としては、これでは困るということで、民主党政権と協議できる「場」をきちっとつくるべきであると考えています。トップレベル、実務者レベルにそれぞれ会議をつくっていこうと申し入れをしています。そのうえで、例えば社会保障や税金をどうするかという問題をすべてトータルに議論する必要があります。そういう全体の話が一堂にできるような場を各レベルごとに作っていこうという働きかけをしています。おおよそそういう方向で菅直人副総理に直接申し入れをしましたので、早晩実現すると思います。
政策運営に政労使のそれぞれの代表者が参画をして、これからの方向を決めていく仕組みがあります。労働組合の役員も200に及ぶ審議会に労働側代表として参加しています。もう少し働く者の代表が参画をして、世の中が健全な方向に進むようにしていくことが労働組合の重要な役割だと思います。

ページトップへ

戻る