はじめに
次回以降の講義では、労働組合のリーダーが具体的な課題を取り上げて講義をしますので、今日はその前提となる話をします。
私は大学を卒業してからしばらく労働組合の調査部で活動をしました。その後、大学の教員になり、山形大学や日本女子大で教鞭をとりました。今は山口福祉文化大学で教えています。主たる関心領域は労働問題です。労働経済や労使関係、少し広くは社会政策を研究しています。
今日のテーマは、経済と雇用の関係についてです。経済学者やシンクタンクのエコノミスト、経営者たちは、雇用(就業)は経済構造の関数であると考えています。要するに、経済が良くなれば雇用は良くなるし、経済が悪くなれば雇用は悪くなる、経済構造の変化や経済成長が雇用の状況を決定すると考えています。多くの失業者がでたり、大学を卒業する人たちの就職先がみつからなかったり、内定した就職先から取り消しがおきたりすることは、もとになる経済に問題があるからだ、という考え方です。要するに労働のあり方は、経済構造が決定するという考え方です。
こういう常識的な考え方は全部間違っているとは思いませんが、非常に多くの点で問題のある考え方だと思います。 総選挙で民主党が政権をとりました。自民党と民主党の政策の非常に大きな違いは、自民党の方がいま申し上げた常識的な考え方を持っています。「就業や雇用、生活は経済によって規定されるから、まず経済をなんとかしなければいけない」と考えています。他方、民主党は「まず生活である。雇用や生活をきちっとしていくことが経済成長につながる。それが生活や雇用、就業に良い影響を及ぼしていくのだ」と考えています。「まず経済だ。経済がうまくいかなければ生活や雇用、就業はうまくいかない」という常識的な考え方は妥当ではありません。逆に、生活や労働のあり方が経済の中身を決定していくのだということで、これまでの常識に挑戦することを、今日は皆さんと一緒に議論していきたいと思います。
1.グローバル経済危機のなかの雇用~高まる失業率
2008年9月のリーマンブラザーズのショック以降、グローバル経済の危機は深まっています。2009年7月の労働力統計によれば、失業率は5.7%です。これは非常に高い水準です。実際の失業と統計にあらわれる完全失業率との間には違いがあります。完全失業率の定義は、ある週に一定の所得のある仕事についていないことに、仕事を探しているという条件が加わります。そうすると、完全失業率は、実際に失業している人たちの数より過少になる可能性が非常に高いです。
例をあげます。「会社都合によって、ちょっと売れ行きが悪いので仕事を少し休んでください」というのが会社都合の休業です。この場合、政府から雇用調整助成金や中小企業緊急雇用安定助成金が会社に対して支給されます。従業員を休業させると、労働基準法により賃金の60%以上の休業補償を労働者に支給しないといけません。それは企業にとって負担になりますから、大企業は2分の1、中小企業は3分の2を雇用保険から助成するのが雇用調整助成金です。これらの助成によって、実際には失業したかもしれない人が、働いてはいないけれども、雇用されている状態にあります。こういう人々が結構います。
加えて、仕事を探しているという条件が付きます。ハローワークに行って、求職票を出して、仕事を探さないと完全失業者として認定をされません。今までパートで働いてきた人が雇い止めになっても、今仕事を探しても不況で仕事がないなと考えて、次の仕事をしばらく探さないとすると、これは定義上の完全失業者にはなりません。失業統計の中には入ってきません。
このように統計に入ってこない失業者をカウントすると10%を超えているのではないかとの話もあります。私は7%を少し超えるぐらいの失業率になっているのではないかと考えています。
このようにグローバル経済危機という経済構造の変化は、就業や雇用の状態に非常に大きな影響を及ぼしています。
2.産業別の雇用・失業動向
どのようなところで失業者が発生しているか、産業別の動向を見てみると、非常に象徴的な事実が浮かびあがってきます。
産業別の就業者数を1年前と比較してみます。製造業では現在1039万人の就業者がいますが、この1年間に106万人減少しています。建設業では520万人で23万人減少しています。第2次産業を見ると、5%から10%の就業者の減少が見られます。サービス業(他に分類されないもの)は、461万人で29万人が減少しています。そのうち23万人は、職業紹介・労働者派遣業で減少しています。実際には労働者派遣業の23万人減少の中に、製造業への派遣や日雇い派遣と呼ばれる人たちが含まれています。他方、同じサービス業の中でも、医療・福祉の分野は622万人で36万人増加しています。第3次産業の中の卸売・小売業は増減がなくて1065万人です。このように失業者が増加していても産業ごとに非常に大きな違いがあります。
グローバル経済の影響は大きく、第2次産業は大きな影響を被って、多数の失業者を出していますが、他方、現在も労働力需要が相対的に強い分野、人がほしいと考えている産業、例えば医療・福祉産業があることを知っておいていただきたいと思います。
そこから出てくる結論は、国の政策で労働力需要の強い分野を積極的に支援するならば、これほど大量の失業はみられないということです。つまり、グローバル経済危機の影響だけでなく、制度や政策が失業動向に非常に大きな影響を及ぼすということを、この数字自体が物語っていると考えて良いと思います。
3.非正規労働者の急増
第1表 就業者全体に占める、いわゆる非正規の比率
第2表 非正規労働者の急増
就業者全体に占める、パートや派遣労働者などの「いわゆる」非正規労働者の比率は、2007年の「就労構造基本調査」によると(第1表)、雇用者総数86.8%のなかで、25%くらいです。会社などの役員、正規の職員・従業員が58%ぐらいです。統計用語で「雇用者」は雇われている人、つまり労働者を示します。この労働者のなかのだいたい3分の2ぐらいは会社役員を含めた正規従業員です。
パート、アルバイト以下のグループが非正規です。だいたい男女をあわせて3分の1くらいです。女性の場合は、雇用者の過半数の人たちが非正規労働者です。パートが一番多く、アルバイトや派遣社員などでも働いています。こういう人たちが雇用の不安定に悩まされています。
4~5年のタームでとったものが第2表です。最近、急速に非正規労働者が増えているのがわかります。全体ではだいたい3分の1です。女性だけでとってみますと非正規労働者が53%です。毎年1%近く増加してきました。グローバル経済危機のなかで一番大きな影響を被っているのは「いわゆる」非正規労働者です。
4.「正規」「非正規」の意味
なぜ、先ほど非正規の雇用に「いわゆる」という言葉をつけたかというと、働き方に正規も非正規もないということを言いたかったのです。
たとえば、介護が必要になった場合に、ある訪問介護の事業所からたまたま常用のヘルパーが来ました。ところが翌日は登録型のヘルパーでした。前者は正規の従業員で後者は非正規の従業員です。しかし、仕事の中身に変わりがあるわけではありません。つまり正規労働と非正規労働との間には、仕事の中身に区別がある訳ではなくて、雇用する立場からの区分です。日本では正規と非正規という区分は身分上の問題となっています。これもまた、経済構造とはあまり関わりありません。
1人当たりGDPで日本と同じような北欧諸国を調べてみました。私の個人的な体験でもありますが、スウェーデンの介護事業所へ行きました。スウェーデンの法定労働時間は37時間30分ですが、この介護事業所の所長の女性は、「私は30時間ですよ」と言っていました。「なぜそんなに短いのですか」と聞いたら、「残りの時間は大学にもう一度通って、介護職から医療職へ転換していきたいのですよ」と言っていました。圧倒的多数の人は37.5時間ではなくて、20時間や24時間、30時間のパートタイム労働者として働いていることを知りました。しかし、フルタイムの労働者であっても、パートの労働者であっても、時間当たり賃金の違いはありません。年次有給休暇の扱いも違いはありません。労働時間が違うだけで、その他の労働条件や身分は、まったく共通していました。
ヨーロッパではどこでもそうだという訳ではありません。最近、EUが派遣労働者と直接雇用労働者の間の均等処遇に関する指令を出しました。均等処遇を進めなければいけないという指令なので、実際に派遣労働者と直接雇用の労働者の労働条件に違いがあるからこのような指令が出ているのだと思います。しかし、日本のように正規従業員とパート、あるいは派遣労働者との間で身分の違いがあるわけではないということです。
日本で雇用身分を決定する要素は3つぐらいあります。1つは直接雇用か、間接雇用かです。派遣労働者は、働いている企業からすれば間接雇用です。パート労働者の場合には直接雇用です。2つ目はフルタイムか、パートタイムで働いているかということです。3つ目は雇用期間の定めなき雇用とか、それとも期間の定めのある雇用かです。要するに、正規従業員は直接雇用で、フルタイムで、かつ、雇用期間の定めがありません。この3つの条件がそろった時に正規の従業員となります。この3つの条件のうち、1つでも欠けた人が「非正規」と言われます。そこに身分的な違いがあるのが日本の雇用形態です。このような身分上の違いは、経済成長の程度や経済構造などの経済的な条件によって決定されているのではありません。人為的に作り出された制度がその雇用と就業のあり方を決定してきました。
5.サービス経済化の進展と「非正規」の増加
サービス経済化が進行し、非正規労働者を増やしていきます。これは最初に申し上げた常識的な考え方です。規制緩和にもつながります。要するにサービス経済というものが進展していくと、労働の弾力化をしなければいけない、という考え方です。これは確かに一定の真実であることは間違いないと思います。
2000年、2005年の産業別就業者について、国勢調査のデータを調べてみました。第3表の右から2つめの段の産業別割合のところを見てください。第1次産業が全体として低下しました。第2次産業も比率が低下しています。第3次産業は比率が増加しています。その中では先ほど紹介しましたように、「Q他に分類されないもの」の中に労働者派遣事業が含まれます。これが伸びています。それから「N医療、福祉」が増えていることがわかります。こういう状態をサービス経済革命と言います。労働の観点から見て、サービス経済の特徴とはなにかを考えていただきたいのです。
医療サービスを取り上げてみます。不整脈がおきたときにはタクシーか、救急車を呼ぶかして病院に行きます。それは真夜中かもしれないし、朝早くかもしれないし、日中かもしれません。つまり、サービス経済の特徴は需要に応じてサービスを生産することです。これは製造業と比較した場合に、そういう性格が非常に大きいといって良いと思います。製造業なら原則としてつくり溜めができます。たとえば、クリスマスケーキは6月ごろからつくりはじめて、冷蔵庫の中に保管してつくりだめしています。ところが、私が授業をするために暇な時に講義をしてつくりだめをしておくことができるかというと、できません。サービス経済は、そのときの需要に応じてサービスを提供していかなければいけないという特徴を持っています。
第3表 産業別就業者(率)
他のサービスでも、つくりだめをできることもないわけではありません。しかし、たとえば公共交通を考えてみます。朝のラッシュアワーは大変だと思います。需要に応じて、電車を増発して、サービスを供給しています。要するに需要に応じてサービスを提供することになると、そういう形で労働の編成を弾力化しなければいけない。これは規制緩和の根拠になっている議論です。卸売・小売業もそうです。スーパーで夕方の夕食時が非常に混みます。このときに、売り場についている労働者をたくさん増やさないといけません。このために労働の弾力化をしなければいけない。サービス経済化に伴って労働を弾力化するために、製造業で行っていた労働基準を緩和していこうということです。必要なときに必要な労働者が雇えて、働けるようにしていきましょう。こういう考え方です。つまり、これは経済の変化が労働のあり方を制御していくことの表れだと考えられます。スーパーなどの小売業では従業員の80%ぐらいがパート労働者となっていることもそのような変化を示しています。
このような変化が日本の非正規雇用を拡大していることは確かです。先進国ではどの国でもサービス経済化が進んでいますが、同じように非正規化が進んでいるかというと、決してそうではないということが、OECD (経済協力開発機構:30カ国が加盟、先進国クラブと呼ばれている)の比較サイトからわかります。
産業構造の変化は反映していますが、同じように産業構造が変化しても、非正規比率は国によって非常に大きな違いがあります。OECDの2003年の数値では、期間の定めのある雇用の比率が、日本では13.8%ですが、アメリカでは4.0%です。OECDでは、有期雇用に関する規制緩和が、より多くの有期的な労働、つまり終身雇用的安定的な雇用ではなくて、期間の定めのある雇用の発生に貢献した、と結論づけています。経済構造ではなくて、制度というものが働き方に非常に大きな影響を与えているのです。つまり、経済構造そのものの変化よりも、それとかかわる制度のあり方のほうが現実の労働のあり方にはより強く影響を及ぼしている、ということです。
ここでは「制度」を広い意味で使っています。つまり制度は、国の制度や法律だけではなく、制度学派経済学がいう文化や職場で自主的に作られるルールも含めて、広い意味での制度が現実に大きな作用をしているということです。労働者の幸せを考える組織である労働組合は、経済のあり方もさることながら、雇用や就業に影響を及ぼす制度をどうしていくかを考えて活動していく必要が出てきます。実際にどのような活動をしているかについては、次回以降の講義で聴いてみて下さい。
アメリカは、有期雇用が少なく、比率が小さいです。しかし、アメリカの労働者の雇用は安定的ではありません。アメリカで有期雇用が少ないのは、解雇の自由があるためです。解雇規制がほとんどなく、有期雇用にする必要がないのです。したがって、有期雇用比率が低いので良いとか、悪いとかとはいえないです。経済構造のあり方、経済成長や産業構造のあり方がそのままそっくり働き方に反映しているのではなくて、制度がコアにあり、制度のあり方が大きくかかわっています。
6.非正規労働者を雇用する理由
第4表 パートタイム労働者を雇用する理由
経営者に非正規労働者を雇用する理由を聞くと、先ほど触れたようにサービス業で非常に弾力的に対応しなければいけないので、パートや派遣労働者を雇っていると答えがあります。第4表に「1日の忙しい時間帯に対処するため」ということがあります。しかし、一番回答数が多い「人件費が割安のため」が最大の理由です。つまり身分的な区分、正規労働者よりも割安な人件費で使えるということがこの非正規労働者を拡大しています。
パートタイム労働者は、パート労働法が定義をしています。それはその企業において1週間の所定労働時間が通常の労働者の所定労働時間よりも短い労働者をパートタイム労働者と定義しています。たとえば、1週間の所定労働時間を労使協定で週39時間と規定していれば、これより短ければパートタイム労働者になります。1週間38時間の労働者はパートタイム労働者になります。現実には、企業の中で、特に製造業の場合ですが、いわゆる正規労働者と変わらない労働時間を働いている労働者がたくさんいます。これは「疑似パート」とも呼ばれています。これが非常に多いのは、パートタイム労働者や派遣労働者は、産業構造や経済構造よりは身分制、しかもそれは低い賃金を維持するための身分制度として導入されているということを示すものだと考えておく必要があると思います。
産業構造の変化を理由とするものは少数です。ただ気をつけなければいけないのは、「簡単な仕事内容」という比率は結構多いですが、「一時的な繁忙」という理由もあります。これらの理由もありますが、圧倒的に多いのは「人件費を安くするため」に身分制をつくりあげたという制度的な要素と考えるべきです。
コンビニについて話します。コンビニは学生のアルバイト先として非常に多いです。消費者のために24時間営業していますが、本当に24時間営業が必要でしょうか。消費者は王様で、その消費者にこういうニーズがある限り無限に供給の柔軟化をはかっていき、人間が夜働いてでもなんでも消費者の要求に応えなければいけないということでしょうか。今は緩和されましたが、90年代までは、ドイツへ行きますと閉店法という法律があり、土曜、日曜の夕方6時以降は店を閉めなければいけない。それに対して、もっと営業の自由を認めろということで規制緩和が行われました。なんでも消費者にあわせて、売ることによって利益をあげるということで良いのでしょうか。これは経済のあり方が労働のあり方、深夜労働を強要するというやり方につながっています。医療のように大変貴重なものもあります。しかし、どんどん労働を柔軟にしていくことによって利益をあげていきます。人間的な労働のあり方をなくすることによって、すべての消費者のニーズを満たさなければいけない、という考え方に疑問があります。
非正規労働のような身分的な労働を導入しなくても、歴史的にいえば、やれてきたものがいくらでもあります。たとえば1980年代に今のJRの前身であります国鉄や私鉄には交番表というものがありました。交番表は作業指示書です。 つまり、電車の運転士に何時から何時まで乗りなさいという一覧表を交番表と言います。当時の国鉄の乗務員は全員が正規従業員でしたから、適切な労働時間になるように、全体として1週間の労働時間をコントロールしていました。持っている資源としての労働力を適切にフレキシブルに活用するというやり方は可能だったはずです。今のように忙しい時に人を入れて、そうでないとき人を入れないというやり方なら簡単です。
医療の場合は、労働時間の多様化が必要であるとしても、身分制でやる必要はどこにもない。労働時間が1人ひとり違っていても、働くという中身において、それに対する処遇についても全く変わりがない、というやり方をとることができるはずです。身分制的な非正規が多くなるという雇用形態の多様化は、産業構造の変化があるからといって、必然化される訳ではないし、正当化される訳でもないと思います。
7.日経連『新時代の日本的経営』の提唱
非正規労働の中では、派遣労働者が1985年の労働者派遣事業法という法制度によって、急増をしていきます。 1995年には、日経連(現在は日経連と経団連が統合して、日本経団連となっている)が、『新時代の日本的経営』という方針を打ち出しました。労働者の処遇を3つに分けて、「長期的蓄積能力活用型」という、いわば終身雇用型の労働者と、「高度専門能力活用型」という専門的な労働者を中心にして、3年なり、5年なりの、有期雇用契約の労働者、それから比較的簡単な業務を担っている人たちを対象にした「雇用柔軟型」、このように雇用を区分して管理していきましょうと、日経連は提唱しました。それ以降、非正規労働者は急増していきました。このように雇用のあり方、就業のあり方は、かなりの程度において人為的なもので、制度的なものであると理解していただくと良いと思います。
8.グローバリゼーションと労働のあり方
低賃金労働力を必要とする理由として、経済のグローバリゼーションという問題がよく掲げられます。グローバリゼーションとは、一言でいえばヒト・モノ・カネ・情報という4つの経営資源をグローバルに自由に移動することです。労働との関係でいいますと、ヒトの移動ですが、2つの方向があります。
1つは外国から国内に入ってきた外国人労働者を低い賃金で雇うことによって、外国の労働力を利用しています。もう1つの方向は、カネの自由化の影響で、今まで国内の工場で製作していた製品を海外の工場で製作するという海外移転によって海外の労働力を自由に使うという方向があります。
民主党のマニフェストの1つに、最低賃金の引きあげがありました。最低賃金を1時間1000円に引き上げたいと今の政府は考えています。すぐにそこまで引き上げられないから、まず1時間800円程度まで最低賃金を引き上げたいと考えています。経営者陣営は大反対です。なぜ1000円か。ワーキングプアと言われている人たちの年収は、200万円未満といわれています。労働基準法の週40時間労働制度のもとで、年間の標準的な労働時間は1800時間です。フルタイムで働いて自立して暮らしていくためには1800時間働くとして、時給レベルで1100円ぐらいにしないとできません。それよりは低いけれども、1時間1000円を最低にしたい。すぐ1000円にできないから、800円まで引き上げたいというのが連合の考え方です。
経営者陣営は最低賃金の引き上げに反対しています。グローバリゼーションで、そんなに賃金を高く上げるなら国内で労働者を雇うのをやめて、中国に行ってしまいますよ。中国もだんだん高くなっているからどうするか。いや次はベトナムがあります、とより低いところに動いています。要するに労働力の安いところに海外移転しますが、それでは雇用が喪失して困るでしょうという理由をつけて最低賃金の引上げに反対するのです。経営側はこういうことをいっています。
みなさんはこの意見に賛成ですか。私は、これは間違っていると思います。そういう経営側の考え方は、たとえば温暖化に対してCO2の削減目標を高い水準で課すことに反対するのと同じです。海外に移転してしまうぞといって、環境問題に対しても反対します。それから労働者の暮らしをよくする方向にも反対をする、ということにもなります。
CO2削減の場合も、厳しい目標が厳しい部分に設定されれば、それに見合って市場で活動をする企業が新しい技術を取り入れるとか、独自の技術を取り入れるとか、市場で競争していくために勝つ努力をすることが大事だ、ということになります。
人件費についてですけど、人件費が上がれば、それで内外で勝つためには、価格の安さだけで競争するのではなく、質の高い財やサービスを提供しながら競争していく必要があります。「高賃金は産業を破壊する」については、もう100年も前にウェッブ夫妻(シドニー・ウェッブとベアトリス・ウェッブ)というイギリスの労働問題研究者が『産業民主制』という本の中で非常にはっきりと言っています。きちんとした労働基準をつくり、それをしっかり実行していくことによって、産業が近代化をする、と考えます。
それとは逆に、高い賃金になれば産業が逃げてしまうというのでは、経営者としてはまったく無責任な話です。要するに、そこで働く人の生活を保障できないような賃金でなければ成立できないような産業ではなくしていかなければなりません。
つまり、労働基準が産業や経済の中身を決めていくことになるわけです。経済や産業が先にあって、労働条件や労働のあり方が決まるのではなくて、逆にしっかりした労働基準が、経済のあり方や産業のあり方を決める、という側面があるということをしっかり考えていかなければならないと思います。
低賃金で海外にもっていって価格を下げたほうが良いというのは、今、明らかに間違いです。デフレによって経済は悪循環になります。海外移転は企業の利益だといっていますけれど、これは非常に短期的な視点です。中国でも急速に賃金は上昇していますから、長期的な視点に立つと、決して低賃金労働力だけでうまくいきません。日本は輸出依存経済できました。海外市場に大きく依存している理由は、日本の家計貯蓄率が原因です。家計貯蓄率が高くて、なかなか健全な内需型の経済にならない理由は、セーフティネットが不安定だからです。いざ病気になった時にちゃんとした保障がないために、貯蓄をしていおかなければいけない。逆に社会的セーフティネットが整備されていれば、内需型の経済が発展します。
しっかりした労働のあり方、しっかりした生活のあり方が経済のあり方を決めていくように、社会のあり方を見直していきたいし、それを見直すために日常的に労働組合がいろんな活動をしています。
1980年代の半ば以降、4分の1世紀ぐらいの間、特に2001年の小泉内閣以後、規制緩和が急速に進展しました。お金のためなら何やってもかまわないということで、労働のあり方がとても悪くなって、そのことが日本の社会をより悪くしてきました。結果として、日本の社会を悪くしたことが、日本の経済の内実を悪くしてきました。最近もT社が数百万台の自動車をリコールしていますが、私たちは警告を発していました。非正規の労働者をどんどん入れることによって、自動車の質を維持できないからです。これは現場の労働者たちが指摘していることです。
労働の不安定さをもたらした規制緩和と市場万能主義のあり方を変えて、労働を基準にしてもう一度経済のあり方を考えてみることを、「労働の復権」と呼んでいます。ぜひ、みなさんにも考えていただきたいと思います。
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