一橋大学「連合寄付講座」

2009年度“現代労働組合論I”講義録
Ⅰ労働組合とは何か

第9回(6/5)

働くということー今の時代性をどのように捉えるのか

ゲストスピーカー: 高木 郁朗(教育文化協会理事・山口福祉文化大学教授)

 こんにちは、私は労働組合のリーダーの方々と接触がありまして、いわゆる労働教育をずっとやってきました。そういう立場で今日は皆さんと一緒に論議することを大変に楽しみにしています。1時間少々話をして、あと皆さんのほうからいろいろな論議が出れば、それを中心にして話し合いを深めたいと思います。
  今日は、今までの授業の中間的な総括を行う、ということが1つの役割です。僕はすべてのゲストスピーカーの話を聞いたわけではありませんが、レジュメは全部基本的には読ませて頂いて、どんな話があったのかということは、僕の理解の範囲で把握しているつもりです。今日は、その中であまり出てこなかったと思われる論点を1つ付け加えたいと思います。今日の状況の下での労働の意味、というものを皆さんにもう一回考え直してもらいたいと思っています。この2つ目の論点の中に、今までの議論を組み込んでやっていきたい。これまでの論議については、各講師の議論を思い起こしていただき、場合によっては前のレジュメを振り返って頂くといいかと思います。
これまでの講義では僕は3つのポイントがあったと思っています。

1.3つのポイント

 1つは、日本と世界の労働組合の現状です。労働組合の活動がないと、社会でも企業でも、人びとの健全な生活を維持していくことはできない、という話がありました。これは第2回の高田先生のお話から、連合の山本副事務局長をはじめ、たいていの方がこの点にふれていただいていると思います。
  非常に具体的な例ですけれど、最近の世界的に大きな出来事の1つは、GMの破綻です。いったんは破産宣告を受けて、企業再生の段階に入り、事実上、国有企業、少なくとも短期的には国有企業として再建されていくことになるわけです。この再建のプロセスで、債権者が再建案に賛成するのかどうかが、1つの大きな問題でした。もうひとつ大きな問題は、GMを組織する全米自動車労働組合(UAW)が再建案を認めるかどうかが、とても重要なポイントでした。労働組合の行動が、世界経済の中で非常に大きな影響力を持っているということを改めて示したと思います。そういうことを含めて、労働組合の存在というのは、世界の中で大きな影響力を持っています。僕たちの生活に非常に大きな関わりをもつということを、講義を通じて聴かれたのではないかと思います。
  高田先生は、労働組合の中の「共同性」という言葉を使われました。ほかのゲストスピーカーの方々は、企業別組合の役割、すなわち交渉や協議、政策への影響などを通じて、社会や企業のあり方に労働組合が非常に大きな役割を果たしている、影響力を持っていると述べました。このことを第1のポイントとして、今までの締めくくりとして申し上げておいていいかと思います。
  第2の役割として、生保労連の加藤さんや電機連合の矢木さんは、企業別組合の役割について話をしました。団体交渉や労使協議などによって、賃金や労働時間などの労働条件を労使対等で決定していく。どこまで労使対等なのかは現実では非常に難しい問題ですが、少なくとも今日では建前として、労使対等で労働条件を決定していく機能をもつのが労働組合です。特に日本では、主流として企業別労働組合という形をとって行われている、ということが論議されたと思います。
  しかし、そうは言っても非常に問題なのは、第1回の講義で配布された資料を見て頂ければよくわかるように、労働組合の組織率、つまり雇用労働者の中に占める労働組合員の比率がだんだんと減っているわけです。1950年代の古い時代は別にして、それ以降でいうと1975年頃に最も組織率が高く約35%で、雇用労働者の3分の1が組合に加盟していました。ところが現在では、約18%、20%を切って5分の1以下になっているという状態です。
  今日ではこのように労働組合の衰退が非常に大きな問題です。昨今、日本の労働者はいろんな問題を抱えるようになっていますが、労働組合の衰退が労働者の困難を余計に引き起こしています。
  レジュメに、「産業民主主義」と赤字で書いておきました。これは非常に重要だと思います。政治の民主主義や社会の民主主義と合わせて、産業の中の民主主義を達成していかなければならないと、僕は考えています。労働組合というのは、この産業民主主義の手段です。産業上の民主主義を達成していくための手段であるということを、これまでの論議の中から皆さんはお気づきになっていると思います。
  「産業民主主義」という用語を最初にだれが使ったか。高田先生の講義で、ウェッブ夫妻の『労働組合運動史』と『産業民主制』という本が紹介されたと思います。これは皆さんにもぜひ読んでもらいたい本です。そのなかでウェッブ夫妻がまさにこの「産業民主主義」を使いました。産業民主主義の要件は2つあるとウェッブは言っています。1つは団体交渉をする、つまり両者が対等に労働条件を決定しあっていく状態です。労働条件というのは狭い意味でとってはいけないので、ウェッブは「雇用条件」というもっと広い意味でとらえています。これを労使対等で決定していくのが産業民主主義の1つの要件です。
  もう1つは、どの労働者に対しても最低限これだけのことを保障するということです。最低限をミニマムという言葉で言うと、「ミニマム保障」となります。ウェッブ夫妻が、これらの2つの機能を産業民主主義の基本的な要件として挙げたのは、もう90年ぐらい前の話ですが、まだ現代に生きていると思います。労働組合がそういう役割を、企業の中で企業別労働組合として具体的にどのように果たしているのか、特に現場の方からの話があったのは有意義だったと思います。
  日本でいま非常に大きな問題になっているのは、いわゆる非正規雇用の問題です。全国ユニオンの鴨さんの講義の中で出てきたと思いますが、パートタイマーや派遣労働者、あるいは期限付きの有期雇用労働者など、非正規労働者は企業別労働組合の団体交渉や労使協議などの対象になりません。つまりその枠の外に置かれてきました。結果的に、非常に多くのワーキングプアが生み出されました。2008年末からの派遣切りに対処して派遣村の活動が行われ、現在も東京だけではなく、例えば愛知県では派遣村的な活動がずっと続いています。日本の社会の中で、1つの大きな意味を持つ活動になってきていると僕は思っています。
  このように取り残された労働者をなんとかしていかなければいけない。これが非常に大きな課題になっていることを、3番目のポイントとして指摘します。
  この3番目の話と、先ほどの労働組合の衰退や組織率の低下は重なっています。現段階で、女性は50%以上がパート労働者を中心とした非正規労働者として働いています。男女合わせても3分の1が非正規労働者です。従来の日本の企業別労働組合は、正規の従業員、つまり終身雇用の社員を中心にした労働組合だったので、こうした非正規の労働者が増えてくると、当然組合に入らない、あるいは入れないので、組織率がだんだんと低下していきます。非正規雇用の拡大と労働組合の組織率の低下は重なっているのです。労働組合がその役割を十分に発揮していくためには、こうした非正規と呼ばれる人々の間に新たに労働組合の組織を広めていかなければなりません。各労働組合もそういう努力を一生懸命にしている段階です。
  東京大学の中村圭介さんがまとめた『壁を壊す』(教育文化協会/第一書林)という新書があります。最近の労働組合が非正規の分野でどのような組織化活動を行っているのかについて、実態調査をしています。今までは正規従業員だけの組合であると壁を作ってきたけれども、それをどうやって打ち壊していくのかについて、いろいろな例を挙げて書かれています。この授業の参考書になると思いますので、ぜひ読んで頂けるといいと思います。今までの話はその3点に集約できると思います。
  それならどうするのか。全体として向かうべき方向は、「ディーセントワーク」という言葉に象徴されると思います。「ディーセント」という言葉は、人間として快適な状態を示します。例えば、幼い子どもたちがどうしても働かなければいけないとか、男女の間で平等がないとか、こういう状態は決してディーセントではありません。ILO(国際労働機関)では1990年代末から、そういう状態を脱してディーセントな労働の状態を作っていくということを、世界中の労働に関わる人々にとっての共通の目標にしていかなければならないと取り組んできました。児童労働の禁止や男女平等の促進とか、団結権などの基本的な労働権の承認など、いろんなことが含まれています。要するに、人間的な労働が失われてきたことに対して、何とかしなければいけない、ということが今の課題であると思います。
  ディーセントワーク、要するに「人間的な尊厳のある労働」を、今までの労働組合だけでなく非正規の方たちも含めてみんなで求めていかなければいけない、ということを知って頂いたと思います。そのことを前提にして、いくつかのことを申し上げたいと思います。

2.人は何のために働くのか

 人は何のために働くのですか。皆さんは卒業したらどうするつもりですか。大学院にいって勉強しようという方もいると思いますが、大多数は就職をする。では何のために就職するのですか、と聞かれたら、どのようにお答えになるでしょう。1つの答えは、働かないと収入が得られないので、収入を得るために働くというものでしょう。でも、本当にそれだけですか、というといろんな答えが返ってきます。例えば、自分の能力を発揮して社会に参加していくためであるとか、社会の役に立つ仕事をして社会に貢献していくとか、いろんな答えが出て来ると思います。やはり働くこと、労働するということは、自分の利益のためだけではない、ということをしっかりと覚えておいて頂きたい。そのうえで、大学を卒業して就職する目的は何かということを、今から考えてもらいたいと思います。ペイドワーク、有償労働や有給労働といいますが、要するに就職をするというのは賃金をもらうことです。一方、林先生が関係されているNPOでは、アンペイドワーク、無償労働、ボランティアで働き、その仕事によって生きていく糧を得るわけではない、しかしその働きが直接に社会のために役立っている、という働き方もあります。
現在の圧倒的多数はペイドワーク、有償労働です。有償労働は自営業を含めていいますが、雇われて働くという言葉でいえば、有給労働です。この講義では、有給労働、雇用されて働くことを取り上げていますが、いろんな働き方があります。その結果として、人々に必要な財やサービスを提供していくことにつながっています。例えば、人々が一斉に何十日も仕事をやめて働かなければ、人間世界は壊れてしまいます。労働するということは、自分のためではなく、人間が生きていくための仕事を社会的に分業して、いろんな形で仕事をしているということを、考えてほしいと思います。
  先ほどのウェッブ夫妻の『労働組合運動史』の中に出て来る話ですが、世界で最初のストライキは、いつどこで起こったのでしょうか。『労働組合運動史』によれば、世界最初のストライキは、紀元前1300年頃、いまから3300年ぐらい昔に、当時のエジプトのファラオが、ピラミッドを造るためにいまのユダヤ人の先祖を連れてきて働かせました。最初のストライキは、ユダヤ人の先祖たちが行ったものだそうです。本当にストライキという言葉だったのかどうかはわかりませんが、ストライキ的な始まりであったとウェッブは言っています。この人たちは何のためにストライキをやったのかということが、興味深いです。彼らは仕事をやめてファラオの官僚たちに抗議をしました。賃金や労働時間のために抗議をしたわけではありません。石積みの労働者たちは煉瓦を焼いてピラミッドを積んでいくのですが、ファラオの官僚がお金を節約するために藁を入れないという命令をしたところ、それでピラミッドが作れるのか、というのがこのストライキの発端だったといいます。つまり、こうした労働者にとって大切なことは、自分が何のために仕事をするのか、誇りを持って仕事をしているのか、自分たちの仕事がどういう結果をもたらすのか、ということでした。これが世界の最初のストライキだったのです。
  近年でも、イギリスのクライドサイドに軍艦を作る造船所がありました。その造船所の労働組合の人たちは、軍艦を作ることは確かに経営に必要だが、自分たちは人々が平和に生きていくための生産に携わりたいと、いろんな活動を行って、企業に生産のあり方を一部変えさせる、ということを実現させました。
  つまり、人間的な労働というのは、結果として自分たちの仕事が人々の役に立っているのか、ということをしっかり認識することです。そこから、自分たちの仕事についての責任をもちたい、という気持ちが労働者に生まれます。経営者はそうはいきません。経営者は、経済学的に言うと利潤を拡大するために会社を経営していますから、売れればいいのであって、それがどんな結果を生もうとかまいません。GMもそうです。売れている限りは、ガソリンをこぼしながら走る大きな車を作っても平気です。そうではなくて、例えば、環境に優しい車を作りましょうとか、高齢者や障害者がきちんと使えるような車を作りましょうとか、自分たちのやっている仕事の内容について責任をもつということが重要です。
  自分たちの仕事がいったいどういう形で社会や人々に役立っているのか、ということを認識した上で、責任と誇りを持って仕事に携わっていくことの重要性が、世界の労働運動の中で示されている、と思います。その出発点が、ピラミッドをつくる労働者、たぶん当時の労働者は奴隷だったと思いますが、彼らの行動に表れていたのだと思います。
今は賃金労働者、すなわち、雇われて働くというのが近代社会の基本的な筋道です。近代社会で雇われて働くということは、つらいことです。自分たちが誇りを持って自動車を作り、生命保険のセールスをしている、銀行の窓口でローンの審査をしている、みんな社会に役立つことをやっているとはいえ、つらい仕事をしていると感じるのは、当たり前のことです。つまり、働くということは、人間社会に必要なことで、人間の本質的な活動ですが、だからといって、楽しいということにはなかなかならないのです。楽しい労働もあるかもしれませんが、楽しくない労働もあります。
  このあたりについては、ロナルド・ドーアさんという人が、仕事をするとはどういうことか、ということについて、『働くということ』(中公新書)という本を書いています。これによると、現在では2つの種類の仕事があって、自分で企画をしてある程度楽しく働ける仕事と、人に言われるだけで、言ってみれば命令された通りに働かなければならないつらい仕事の、2種類に分かれていると書いてあります。要するに、実際に賃金を受け取るために働くことは、楽しいことではなくて苦しいことになります。これは皆さんが働きに出ればわかることですし、アルバイトなどをやっている人はもうわかっていることと思います。
  経済学の父であるアダム・スミスは、「労働はtoil and trouble(苦労と骨折り)である」と言っています。苦労と骨折り、だからこそ代償として賃金が得られなければならない、ということです。しかし、賃金が得られれば何もなくてもいい、死んでしまうような危険なところへ行って働いてもいい、ということではありません。先ほど話したように、労働組合としては、労働のあり方の中にディーセントな労働を求め続けます。賃金だけ報われていればいいということではなくて、人間的な中身が、労働の中で少しでも多くなっていかなければなりません。
  なぜ、雇われて働くのがつらいのか。いろいろありますけれども、低賃金であるとか、仕事によってはまったく裁量権がない、パワーレスであるということがあります。例えば、今はコンベアー労働というのは非常に少なくなっていますが、コンベアーの前に労働者が配置されて、ある部品だけを組み立てているという状態を考えると、何の裁量権もない、しかも単調なものを長時間やらなければならない。それから、自分がやっている仕事がどういうことにつながっていくのかわからない。人間社会の中でみんなやってきたと言われても、自分の労働が今日どういう意味をもっているのかわからない。これは「ミーニングレス」という言い方をすることもあります。そうかといって、文句を言ってやめて失業したら生活できません。つらい条件に対して、それを少しでも人間的な状態にしていくために何が必要であるのか。働く上でのルールをつくること、ワーキングルールという言い方をしますが、働くルールを作ることが基本的に重要です。

3.労働組合はどのようなルールをつくってきたのか

 労働組合がどのようにルールをつくってきたのかを、これまでの講義でそれぞれのゲストスピーカーが話しました。アメリカのダンロップという学者は、労働者と使用者に政府を加えた三者の関係で労使関係とは何かを定義し、それを仕事をめぐる「ルールの網の目」と呼んでいます。つまり、雇われて働く上で、ルールの網の目が形成されていかなくてはならない。まさにこのルールの網の目を作っていくための組織が、労働組合という主体だと言っています。それだけでは実は不十分ですが、労働組合の基本的な役割を示したものです。中間総括的にいうと、これまでの話はそういうルールの網の目をどのように作ってきたのかという話でした。

(1)簡単に失業させない
  労働運動はどんなルールを作ってきたのか。まず、簡単には失業させない、ということです。経営者は都合の悪い人をすぐに解雇したいでしょうが、簡単には労働者を解雇させないということが、ルールのいちばんの基本です。詳しく話す時間はありませんが、日本の労働運動史の中で、それぞれの時期にこうした解雇に対する反対がとても重要な位置を占めていたことは、指摘しておきたいと思います。
  そうしたルールは、日本だけではなく、アメリカの労働組合では先任権(セニョリティ)という制度があります。今度のGMでも非常にきっちりした解雇規制をもっています。先任権というのは、先に雇われた方がより強い権限をもつというしくみです。つまり、先に雇われた方が解雇の順番としては後からになります。実際に解雇された場合には、現在では各国ともに社会保険としての失業保険(日本では雇用保険)という制度をもっています。GMの場合は、これに企業が上乗せする制度があって、解雇後もきちんと生活が成り立つように一定の責任を企業がもたなければならない、というルールを作ってきました。
  日本の場合、こうした雇用保障は残念ながら非正規労働者には及びません。いちばん解雇されやすい非正規労働者に対する、雇用保険の仕組みの弱さがあります。昨年のリーマンブラザーズ以降の世界不況をどうやって克服していくのか、ということを提言しているILOの文書があります。その資料の中に、日本をはじめいくつかの国で、失業保険による失業手当が何%の失業者をカバーしているのか、という数値が出ています。日本では、カバーされていない人が実に8割近くです。失業した人で失業給付をもらえる人が約20%しかいません。ドイツなどではカバーされていない人が8%以下です。これは、日本では正規従業員になるとなかなか解雇されない、というルールを労働組合が作ってきたので、逆に言えば、日本の労働者全体をカバーするような失業に関するルールを、労働組合が十分につくってこなかったことを示しています。いずれにしても、失業させない、あるいは失業してもしっかりとその生活を守っていく、ということをルールとして確立することが第1の中身です。

(2)自立して生活できる賃金を
  第2の中身はやはり賃金です。いまの連合は1989年に結成され、今年で20年になります。それより前の1955年以降、日本の労働組合運動の主流は、春闘という形で賃金交渉をやってきました。毎年春に、賃金はいくら上げますか、何%の賃金を上げますか、という形で労使交渉して賃上げをするのは、1つのルールでした。1990年代の不況、そして今年は、そのルールがいちじるしく弱くなっていると言えます。
  1955~60年代の賃上げ闘争の歴史を振り返ってみると、国民経済と非常にマッチしていました。1955年以降に日本の高度経済成長が始まります。その中で貧しい労働者たちが賃上げを要求し、賃上げが実現すると需要が拡大する。需要が拡大すると、規模の経営が働いて、企業のコストが相対的に下がる。下がれば輸出ができるようになって、さらに経済が拡大していく。こういう良い循環が、賃金闘争を1つの基軸として生まれたのが1950年代から80年代初めぐらいまでの4分の1世紀の歴史だったと言えます。
  ところが、90年代から現在を考えると、それは非常に難しい。企業がおかしいから賃上げできないと、企業別組合は思ってしまう。ところが、これが「合成の誤謬」と呼ばれる経済現象に発展します。つまり、景気が悪いから賃上げを遠慮したり、リストラを求めたりすると、個別の企業にとっては良くても経済全体からみると経済が縮小する、という関係が生まれていく。みんながいいことをやれば、社会全体がよくなるように見えるけれども、実はそうではない。1つ1つの企業がいいことをやっているように見えるけれども、全体を合計してみると悪くしてしまうという、こういう状態を合成の誤謬といいます。本当は政治と労働組合は、この合成の誤謬にくさびをかけなければいけないのですが、残念ながらその役割を果たせなかったという問題をはらんでいます。
  もう1つの問題点は、最低賃金の重要性です。日本の賃上げ闘争を歴史的にみると、去年に比べて標準的な賃金を何%上げますかという、賃上げに終始してきました。先に挙げた産業民主制という言葉を思い出していただきたい。産業民主制というのは、1つは団体交渉、労使が対等に交渉し合って決めていくことです。もう1つは、ミニマム規制です。つまり、どんなことがあっても誰かが地獄に堕ちるのを防ぐ、天国に行ける保障は難しいとしても、絶対に地獄へは行かせない、という話です。
  ところが、皆さんもよくおわかりだと思いますが、社会学などでいろいろな調査をして統計を出す時に、平均でものを言ったらとても危険です。端的に言うと、地上に100人いる場合と、天国に50人、地獄に50人いると、どちらも平均では地上に100人いるということになります。しかし、みんなが地上にいるというのと、天国か地獄にいるというシステムでは、全く違います。
  日本の賃上げ闘争は、今言ったような天国と地獄に関係なく、平均でどれだけ上げるのかということをやってきました。誰もが地獄に行かないようにするというミニマム規制が弱い。誰もしなかったわけではありません。例えばJAMの前身の金属機械労働組合などは非常にがんばって、ある水準以下の賃金の人をなくしましょう、という運動をやってきました。今はちゃんとそういうことをやらなければいけない。
  「均等処遇」という言葉を知っていますか。パートタイマーと正規従業員が同じ仕事をしながら賃金が違うのはおかしい。これを一緒にしましょう、というのが均等処遇です。労働研究者の中には、職務分析をして同じ点数であれば同じ賃金にしましょう、という「同一価値労働同一賃金」という言い方をする人もいます。しかし、こうした考え方だけでは均等処遇では狭い、ときには誤った考え方になります。
ILO第175号条約で、パートタイム労働者を含めた均等処遇に関する条文があります。これをお読みになるといろんなことをお気づきになると思います。インターネットで調べてみて下さい。
  まず第1に、均等処遇は賃金だけではありません。均等処遇の第1に出てくるのは代表権です。つまり、さきほど言った産業民主主義の重要な点、自分たちの代表が交渉するということです。しかし、現在パートの場合は誰か代表になっているでしょうか。これは均等ではないということです。2番目に賃金、それに加えて社会保険なども出てきます。賃金だけをとってみると、ある賃金を保障する、例えば同じような職種の範囲のいちばん低いものを下回ってはいけない、要するに最低保障の考え方になっています。しかし、日本の労働運動は、誰も地獄へ行かせない、という考え方にどうも馴染んでいないのではないでしょうか。その点が日本の社会を悪くしているという気がしています。いろいろな事情があって最低保障の考え方へ行かない、という問題点があるといっていいかと思います。

(3)労働時間短縮
  その次に、労働時間をめぐるルールです。これも、非常に長い有益な歴史をもっています。講義のなかで山本さんはワーク・ライフ・バランス、つまり仕事と生活のバランスということが、労働運動としても非常に大きな課題になっているといわれたと思います。それに反対するわけではありませんが、実は僕はワーク・ライフ・バランスという言葉が嫌いです。単にバランスをとるというだけではないのです。皆さんもご存知のOECD(経済協力開発機構)という機関があります。これはILOと並んで三者構成的な構造を持っています。つまり政労使の代表のうち、労使は諮問委員会をつくって、その組織がいろんな社会学的調査をしています。そのうちの1つが、仕事と子育ての関わりをどうつけていくのか、という調査をやって勧告をしています。仕事と家庭生活の両立、「バランス」ではなくて「両立」なんです。例えば、子育てのために仕事ができない、これはだめですよと。逆に、男女ともに仕事のために子育てができない、というのもおかしい。両立でなければならない。単にどちらかはどちらかを削ってやるという話ではなくて、政策論的にいうと、両立を実現するために、バランスではなくて両立という言葉のほうが、はるかにいいと思っています。そういう意味でバランスという言葉は嫌いですが、内容的にはバランスでもいい。そのための中心は、労働時間の短縮です。
  日本は先進国の中でもアメリカ、イギリスと並んで労働時間の長い国です。労働時間1時間あたりの労働生産性は、日本、アメリカ、イギリスは決して高くない、という数字が出てきています。日本、アメリカ、イギリスの年間総労働時間は1800時間台で、ドイツ、フランスは1500時間台です。しかし、同じような1人あたりのGDPをもっているということは、1人あたりの生産性で考えると、ドイツ、フランスのほうが高い。日本は輸出超過ですけれど、アメリカは輸入超過で結局、生産性格差でいうとヨーロッパのほうが大きい。これは少々ややこしい議論ですからやめますけれども、経済的にもきちんと裏付けがあって、労働時間短縮というのを示していくことが必要になります。
  現在では、労働時間短縮はワークシェアリングと呼ばれて、失業対策にとっても非常に重要だといわれています。実は30年前にもそういう時代がありました。第一次オイルショックがあった時期に、ヨーロッパ諸国が雇用を増やすために労働時間の短縮をしました。日本は各企業に任せたので、企業はむしろ労働時間を長くして、結果的に失業者を増大させて乗り切ったという違いが出ています。その二の舞をさせてはいけないと思います。ちゃんとしたルールを、いまだからこそ作る必要があると思います。
  いま申し上げたルールは、企業の段階で、雇用をきちんとして下さい、それから賃金をいくらにしますか、労働時間をどれだけにしますか、働き方をどうしますか、ということです。他にも労働税制をめぐるルールなど、企業がやらなくてはいけないことはありますが、一応企業のレベルで労使がルールを決めています。どうしても労使で決められないところ、例えば労働組合がないところは、労働基準法やそのほかの労働立法で、社会的なルールとして適用しています。

(4)セーフティネットの形成
  最後のルール形成は少々性格が違います。リスクに対応するルールをどうするのか、ということです。小山さんの話のなかに倒産ということがありました。ほうっておけば失業してしまう。倒産というのはリスクになります。労働組合が個別に直接的に対応するのは非常に大変ですが、やられています。労働組合の専従の人たちにとって、非常に大きな課題です。
  僕なんか70年も生きていますからよくわかりますが、人生は生まれたときから死ぬまでに、多くのリスクがあります。「リスク」というのは危険性です。例えば、病気になるとか、失業するとか、歳をとってケアが必要になるとか、いろいろなリスクがある。市場経済の原理では、すべてそれは本人の責任ということになっています。否そうではない、というのが、労働組合が言ってきたことです。
人生のリスクは、実は社会的原因によって起こります。たとえばメンタルな病気にかかる人が非常に多くなっています。これをどうするのかは、労働組合の1つの大きな課題です。これは企業経営のあり方とか、仕事のあり方、生産性を上げるために長時間労働をさせられるとか、人との関係がうまくいかないとか、つまり社会的なレベルの原因が重なってリスクが発生します。そして、病気になって、放っておけば仕事ができないわけですから、所得を得られないということになります。そういうリスクに対して、どのようなルールを作るのか。
  労働運動の歴史を見ると、共助の世界があって、相互の助け合いのシステムをつくっていました。それだけでは間に合わなくなって、国に要求しました。例えば、失業保険の制度や健康保険の制度、介護保険や公的年金などです。現在では、労働者災害補償保険を含めて、5つの社会保険があります。このうちの失業保険(雇用保険)と労働者災害補償保険は、社会保険と区別して労働保険といいます。こういうものを作り上げてきた努力は、人が働く上でのルールの一環です。働いている間に、あるいは退職した後に陥る危険をどうするのか、というルールをきちんと制度としてつくっていくのが、労働組合の役割です。
  レジュメに「4段階のセーフティネット」ということで書いてあります。サーカスの時に空中ブランコをやっていて落ちてしまう、そのまま地面に落ちてしまったら死んでしまうので、途中にネットを張って安全を確保するというのが、「セーフティネット」です。これを社会的に作るのが、ソーシャル・セーフティネットです。これは社会のルールです。働いている人がリスクに遭遇したときに、どういうふうに対応するのか、どういう制度で対応するのか、ということです。どの程度の低さで作ったらいいのか、というのは大問題で、これから先の議論で出てくると思います。
日本では、生活保護が最低生活保障で、最後のセーフティネットです。でもそれに至るまでに何段階かのネットがあります。ネットにひっかかっていればいいわけではなくて、トランポリンのように、もう一度跳ね返って、通常の生活や仕事の世界に戻っていく、そのようなセーフティネットを作っていくのが、現代の労働組合の役割です。
  日本でも労働組合は一生懸命にこういう制度をつくってきましたが、十分ではないことは、さきほど申し上げた通りです。派遣労働者にしても、パート労働者にしても、雇用保険の制度からはずされている人が実に多いことははっきりしています。では、どうすればいいのか。これは社会学の1つのテーマです。社会制度をどのように作っていくのかというのは、社会学の学生にとって大きな任務のひとつだと思います。その場合にかならず労働組合の役割を思い出して、共同性を作っていただきたい。

(5)ディーセントワークの実現へ
  最後に、目標としてのディーセントワークについては、詳しくは中嶋さんの講義にも出てきたと思います。均等処遇の話はさきほど申し上げました。単に賃金だけを同じにすればいい、ということではありません。日本の非正規労働者は身分制の下に置かれていますから、全体の制度として、身分制をなくしていかなくてはいけない、と思います。 

4.市場万能主義の終わりとこれからの社会

 1990年代から2000年代の初めにかけて、日本の社会は非常に悪いイデオロギーや考え方に左右されてしまいました。政策自体もそうだと思います。それは、市場万能主義というイデオロギーです。それはまさに犯罪です。市場万能主義の特徴は、お金がすべてであるという考えですから、金を稼げるものが勝者であり、金を稼げないものが敗者である。売れるものなら何を売ってよろしい、有害食品でも売っていい、という社会になってしまったことです。
  それぞれみなさんの生き方は多様で、自由にやればいいから規制なんていらない、と規制を取り除いてしまった結果、実に多数の不安定な労働者を作り出してしまいました。これも市場万能主義の現れです。さらに、そういう競争の結果、労働者と労働者の関係は、社会の分業の中で互いに利益になるような財やサービスをつくっていくという協力関係にあるはずが、競争・対立の関係にされてしまいました。人間としての人と人とのつながりを失ってしまった。
このような苦い経験を経て市場万能主義の時代は終わろうとしています。しかし、そこから先にどのような新しい社会の仕組みを作っていくのか、という論議はまだ始まったばかりです。皆さん自身が、そういう論議に参加していただけるような知識と感性を磨いていただくことをお願いして、終わりにしたいと思います。ありがとうございました。

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