はじめに
今日はグローバル化された社会の中での労働組合の役割を考えるというテーマで話します。
主な内容は上記の4つの分野です。中心は、2と4におきまして、1と3は経過等でふれる、あるいは理解を深めていただきたいと思うところに限ってふれることにいたします。
1.グローバル化の矛盾の顕在化と対応
2008年9月15日のリーマンブラザーズの破たんを契機にして、金融・経済危機が一挙に全世界的に拡がりました。G7やG20等の政府間会合がもたれて協調対応策もとられていますが、なかなかうまくいっていません。グローバル化された社会の中で経済の相互依存関係が非常に深く強いものになっているため、雇用の確保や賃金・労働条件の維持・改善など、労働組合のもっとも基本的な課題も、もはや一国内で自己完結的に解決するのが難しい状況になっています。このグローバル化は、1989年のベルリンの壁崩壊や1991年の旧ソ連邦解体に象徴される東西冷戦構造の終焉が世界に単一市場をもたらし、一挙に加速しました。それから約10年経った2000年前後に、グローバル化がもたらしたさまざまな矛盾が明らかになりました。
「全地球的にこのまま放置しておいてはまずいのではないか」「何か解決策を模索しないといけないのではないか」という観点から様々な取り組みがなされました。この点に関しては、1998年のILO(国際労働機関)の新宣言「労働における基本的な原則及び権利に関するILO宣言」の採択や、1999年に当時の国連事務総長のコフィ・アナンが提唱して2000年から開始された「グローバル・コンパクト」などがあります。「グローバル・コンパクト」は、人権、労働組合権、環境、汚職防止の4つの分野における10の原則を承認する企業を、国連のホームページに掲載することによって、他の企業と差別化をする取り組みです。いわば国連お墨付きの優良企業を示すことで、人権、環境、労働組合権、汚職防止の取り組みを督励しようとするものです。ILOで「ディーセント・ワーク(人間的で働きがいのある仕事)」を実現しようという提唱がなされるのも1999年です。2000年にはOECD(経済協力開発機構)の「多国籍企業ガイドライン」が大改正され、すべての加盟国にNCP(ナショナル・コンタクト・ポイント)設置が義務づけられました。加盟国以外ででも、加盟国を母国とする多国籍企業がガイドラインに違反した場合、加盟国以外の労働組合やNGOが加盟国の相談窓口となるNCPに対して解決を求めることができるというシステムが作られました。
このように、2000年前後に、グローバル化の急速な進展に伴い露呈した様々な矛盾が深刻な社会的問題を引き起こしたことに対する対応策が、国際機関あるいは政府間会合で取り上げられ、具体的な実施に向けた取り組みが進められました。
2.労働組合の最近の対応
次に、労働組合が現在何を行いつつあるのか、4つ紹介します。
(1)洞爺湖サミットと新潟の労働大臣会合への取り組み
一つ目は、2008年の洞爺湖サミットと新潟の労働大臣会合への取り組みです。洞爺湖サミットに向けて、G8各国の労働組合の首脳が集まって会議を持ち、G8首脳に取り上げるべき課題、出されるべき結論、その国際協力への反映について申し入れをしました。金融危機が雇用に与えるマイナス影響を払拭して、ディーセント・ワークを支えるため、各国政府の協調的行動、ならびに投機的な側面が非常に強くなっている金融市場に対する効果的な規制の実行および公正監査の促進を求めました。公正監査は社会監査の一環として位置づけられるものです。政策の立案から実施にいたるすべての過程で、すべての人に効果をもたらすような形で立案・実施されているかどうか監査することを通して、拡大する不平等さの克服を追求するものです。これはG8の国々が、「こういう取り組みをしないと不平等の拡大に対して歯止めがかけられない状況にある」という問題意識に基づいています。
食料品の価格高騰に対する対策やHIV・エイズ対策、「ミレニアム開発目標」の達成に向けて、先進工業国の立場から途上国をどう支援するのか。これらの問題を解決しないと全世界的な持続可能な発展が困難です。2000年9月に国連が「ミレニアム・サミット」と称して特別総会を開きました。20世紀が戦争の世紀であった反省の上に、21世紀を平和な世紀として作り上げるために、基礎的な社会的状況をどうつくるか。そのために8つの目標と18のターゲット、48の指標を設定して、15年までにそれを達成することをすべての国連加盟国が誓い合いました。これが「ミレニアム開発目標」です。それからすでに半分の期間が過ぎましたが、その実現はなかなか困難な状況です。こうしたことに対して、先進工業国として共同して責任を果たしていく必要があることも、G8に対する要請の大きな柱として提示されています。G8要請項目の中で注目すべきもののひとつに、「グリーン・ジョブ」があります。これは2006年に提示されて、2008年11月のG20サミットの取り組みの中で中心的な項目に据えられた「グリーン・ニューディール」という考え方につながるものです。この「グリーン・ジョブ」はドイツにおける実際の取り組みを基礎にしています。ヨーロッパでの環境の負荷の少ない産業のあり方、生活の仕方というものをどう労働の現場から作り上げていくかというものです。ドイツの場合は老朽化して環境負荷の強い住宅を全部撤収して、環境負荷の非常に少ない住宅に作り替えるのを相当な規模で行うことを政府と労働団体、経営者団体が共同して推進し、一定の成果を上げています。その取り組みを基礎にして、これを全世界的に取り組んでいくことによって、「雇用の拡大と環境保護の促進を進めよう」「全世界共通の取り組みの目標にしよう」という内容です。
同じサミットに向けて財務大臣会合やさまざまな会合があります。労働大臣会合が新潟でもたれ、6つの重点項目を労働組合側から申し入れました。この多くは今説明した洞爺湖サミットと内容が重なるものです。ここではより労働問題に特化した課題に重点が据えられています。特に、「2007年のドイツ・ドレスデンでの労働大臣会合での成果をベースにした前進~グローバル化を社会的側面や企業の社会的責任及び義務に対するより一層の実効性あるアプローチの策定」が掲げられています。これは、G8だけではなくて、新興経済国の中国やインド、南アフリカ、ブラジル、メキシコ、ロシア(ロシアはG8に入っていますが、新興経済国の枠組みの中に入れています)が中核的労働基準の尊重・遵守にきちんと取り組むことを求めています。これは、新興経済国にG8諸国に比べて緩い基準が放置をされると、チープ・レイバーをねらう資本がそちらの方に流れてしまい、全体として効果が上がらなくなってしまうので、その枠組みの拡大を目指すべきであるという合意がなされています。
この洞爺湖サミットあるいは新潟の労働大臣会合に向けた取り組みは、各国政府に対して、各国のナショナルセンターが同時並行的に行っています。相乗効果の中で、課題の実現が図られる状況を作り出していこうとしています。しかし、すべての要請が受け入れられるわけではありません。残念ながら聞き置くというレベルにとどまるものもあります。他方、「グリーン・ジョブ」イニシアチブの提起が、後に「グリーン・ニューディール政策」の提起につながり、それをG8のいくつかの政府が具体的な政策に取り入れ、実施に向けて取り組みを開始するという成果を得ることがあります。
(2)ASEMへの働きかけ
ASEM(アジア欧州会合)は、アジアとヨーロッパとの会合で、毎年1回開かれ、今年はアジアがホスト役になって北京で開かれました。ヨーロッパを代表する形で参加したフィンランドのハロネン大統領は、政府・使用者団体・労働組合三者が協力をすること通じて問題の解決を図っていくことの重要性を強調しました。この会合の成果として、「持続可能な発展に関する北京宣言」が採択されました。その中で、ミレニアム開発目標の実現に向けた取り組み強化、気候変動とエネルギー安全保障、社会的統合の促進を共同で取り組む重要性がうたわれました。社会的統合の促進は、社会的弱者が社会からスポイルされてしまう状況を克服し、社会の一体性を確保するための取り組みをいかに進めるかということです。労働組合からの働きかけは一定の成果をあげたと評価しうると思います。ただ、宣言が各国政府の具体的な政策の立案、実施というところまでつながっているのかということを見ますと、まだまだそれについては限界があります。この宣言の採択に賛成した政府にその実施を求める取り組みが求められます。
(3)APECへの働きかけ
APEC(アジア太平洋経済協力)は環太平洋の経済協力機構です。APLN (Asia Pacific Labour Network)として労働側からの働きかけがなされています。APECの事務局長や今年の開催国であったペルーの大統領への要請が行われました。紹介した他の要請項目とかなりオーバーラップしていますが、環太平洋諸国においてもこうした事項について共同した取り組みをするよう申し入れをしています。その中で特に注目しなければならない課題は、輸出加工区問題です。外国からの直接投資を受け入れる条件として、特定の地域を指定して、労働法の適用を緩和するとか、税制上の優遇を与えるなどの利点を示して、外国からの投資を呼び込むという取り組みが一部の途上国によってなされています。その輸出加工区において、劣悪な条件で働かされる大量の労働者が出現するという深刻な問題が発生しています。これに対してきちんとした社会的規制をかけて、公正な労働の実現に努力していくべきである、ディーセント・ワークの例外としてはならないという申し入れです。輸出加工区問題というのは、国際労働組合運動の中では非常に古い重要課題ですが、未だ根本的な解決を見ていません。つまり雇用の機会が非常に少ない途上国にあって、外国から投資されて一定の規模を持つ生産施設が作られ、そこに一定数の雇用が確保されることになると、その国の経済発展に資する点が多いです。そのため途上国政府が輸出加工区や特別な優遇措置の設定をなかなか自制しようとしないという現実があります。労働側からの要請に対して、一部実現、一部聞き置かれるだけ、一部はなかなか進展しないという達成度合いです。しかし、粘り強い要請活動や働きかけを続けていないと解決しないということで、国際労働組合運動は、G8の場、APEC、ASEMの場などのあらゆる場を通じて働きかけを強めています。
(4)G20の金融経済危機の克服に向けたサミットへの対応
最後は2008年11月14日~15日に開かれたG20の金融経済危機の克服に向けたサミットへの対応です。G20各国の労働組合がワシントンに集まり、G20首脳に働きかけを同時的に展開しながら、全体としての考え方をまとめて、首脳会合にぶつけるという取り組みです。連合は高木会長がワシントンに赴き、麻生総理と意見交換をするという場を持ちました。麻生総理が日本経団連に対して、雇用の確保を最優先することや賃上げの必要性について訴える場面が報道されています。こうした麻生総理の対応も、その会談の影響があると思います。
労働組合の要請事項の重要な柱は5つです。特に重要なのは1つ目の「グリーン・ニューディール」です。29年のウォール街での株の大暴落で始まった世界恐慌は、最終的には第2次世界大戦にまで至ってしまいましたが、当時、ルーズベルト大統領がとったニュー・ディール政策になぞらえて、今の地球環境に与える状況を踏まえて、グリーンな中身をもった、つまり環境負荷の低い公共事業を各国で共同して取り組むことを通じて、雇用の場を増やし危機を乗り切ろうという提案です。あまりに規制緩和を押し進めたために、金融市場が無規制になって投機的な動きがどんどん拡大をしました。これがもたらした弊害は大きいので、再規制する方向を追求すべきである。そして、グローバル経済ガバナンス。IMF
や世銀が主な役割を担っていますが、それらの改革を含めた新しいガバナンスの確立をしていくことです。そして何よりも必要とされるのは、公平な分配です。それが今、損なわれており、この公平な分配をどう確保するかということを政策の中心におくべきだということです。これらを具体化するためには、「すべての情報公開、とりわけ労働組合の参画を通した透明性の確保と説明責任を果たすことが必要だ」ということを求めています。日本を含めてG20の労働組合はそれぞれの国の政府に対してこの実施を迫っています。12月4日、高木連合会長が麻生総理に会って申し入れを行いました。
3.ILOへの理解を深め、役割を考える
こうした一連の取り組みの中で、ILO(国際労働機関)はどういう役割をしているのか簡単に触れておきます。
(1)ILOの設立とフィラデルフィア宣言
ILOは1919年、第一次世界大戦の終戦処理のためのベルサイユ講和条約の「第13編労働」を基礎にして作られました。ILO憲章の11項目を達成することを通して社会正義を実現し、それを基礎に恒久平和をめざしました。しかし、20年経ってこの理想は見事に崩れ、第二次世界大戦が始まってしまいました。第一次世界大戦より悲惨な惨劇が繰り広げられます。そこで、もう一度ILOの原則を思い起こし、平和な社会に貢献できる組織としての役割を果たしていこうと、1944年大戦末期にフィラデルフィアで総会を開いて宣言を発します。そこで、次の4点を再確認しました。
最近開かれた非正規労働者の集会でも「労働は商品ではない」という言葉が多くの方の発言に使われていました。これはフィラデルフィア宣言で確認された最も重要な原則です。
(2)ILOの目的と活動
ILOの目的と活動を列挙すれば、次のようになります。
ILOの特性は、他の国連機関とは違い、運営の全てが政労使の三者の合意を基本になされており、三者構成主義と呼ばれています。
国際労働基準は条約と勧告で示されます。現在までに188の条約、198の勧告が採択されています。条約は国会で批准され、国内法が条約に沿うよう改正され、各国への適用がなされます。日本は、188条約のうち47を批准していますが、平均以下です。OECDの平均は60台の後半ですので、いわゆる先進工業国の中では、平均からかなり劣っているといわざるを得ません。しかも、188条約のうち約1割、19は労働時間に関する条約ですが、この分野の条約を日本は残念ながら1つも批准していません。労働時間の国際基準から見た場合、日本は最も遅れた国のひとつということができます。ちなみに、国際労働基準の採択のプロセスは11の段階を踏んでおり、基準は非常に厳格な手続きによる権威のあるものです。
条約をきちんと実施させるために、ILOは主に3つの監視機構をもっています。ひとつは、「条約勧告適用専門家委員会」です。国際法、労働法、社会法の国際的に権威ある専門家20人で構成され、毎年批准した条約の適用状況を審査します。2つめは総会の「基準適用委員会」です。専門家委員会報告を基礎に適用状況を審査(個別ケースも)します。3つめは「結社の自由委員会」です。理事会指名の委員長と政労使各3名の理事からなる理事会付属の委員会です。労働組合などからの申し立てに基づき87、98号条約違反を専門的に審査します。また、改善勧告を出せます。両条約を批准していない国に対しても審査できます。条約勧告専門家委員会には、前東大教授・現中央大学教授の横田洋三先生がおられます。
(3)新宣言
「新宣言」は、「フィラデルフィア宣言」に対して「新」ということで、「労働における基本原則及び権利に関するILO宣言」を指します。この宣言の採択により、中核的労働基準という4分野の8中核条約をすべての加盟国が尊重・遵守しなければならない義務を負うことになりました。この中核的労働基準の尊重・遵守はディーセント・ワーク実現の重要な柱のひとつになっています。第1分野は、結社の自由・団結権に関する87号条約と、団体交渉権保障に関する98号条約。第2分野は、強制労働禁止で29号と105号。第3分野が、児童労働の禁止で138号と182号。第4分野が、平等・反差別の実現で100号と111号です。
105号と111号は、日本は未批准です。この2つの条約を、182のILO加盟国のうち167国が批准し批准率は90%以上に達していますが、日本はまだだということです。なぜ、批准できないのか。ストと政治的自由に対する制約に違反した場合の制裁措置として懲役刑を科すことことは、105号の強制労働にあたります。日本の例で言いますと、日本の公務員法は一律全面的にストを禁止しています。ストを行うと公務員法に違反し、懲役刑を科せられる可能性があります。また日本の公務員は政治的自由が制限されています。これに違反した場合、やはり懲役刑が課せられる可能性があります。公務員法改正がない限り批准はできません。政治的自由や労働基本権に対して制約を加え、その制約を担保する措置として、制裁として懲役刑を課すのは先進工業国ではほとんどありません。
111号条約、これは、職業・雇用上の一切の差別禁止に関するものです。これについても日本は批准する段階にありません。差別問題、たとえば賃金や昇進の問題で違反があった場合に、その是正を求める救済機関が確立されていません。「バリ原則」と呼ばれる「救済機関は、その問題を扱う行政機関から独立していなければならない」という原則があります。日本の場合は、その機関がないこと、また「人権擁護法案」で法務省の外局として救済機関を設置しようと「バリ原則」に反する措置をとろうとしているなど多くの問題点があります。いずれにしても、いま批准をするような段階に至っていません。
4.ディーセント・ワークの実現へ向けて
(1)ディーセント・ワークとは
ディーセント・ワークとは一体何か。「適切な水準の社会保障、賃金・労働条件が確保された社会的意義のある生産的労働」がILOの文書で読み取れる内容です。一言で言えば、「働きがいのある人間的な仕事」といえるでしょう。それは、グローバル化の負の側面である、「格差が拡大し、著しく平等を欠く状態が社会的にまかり通ってしまう」「そういう状況であるにもかかわらず社会的セーフティ・ネットがない、あるいはあっても足りない」という状況をいかに克服するかという課題に応えるもので、ILOも国際労働組合運動も、最重要視しています。国連ミレニアム開発目標の課題と多く重なり合うので、15年までの10年間をディーセント・ワーク実現のための10年と位置づけて取り組みを進めています。08年6月のILO総会では、このディーセント・ワーク促進と、関係する国際機関と共同の取り組みを進めることを含めて「社会正義宣言」を採択しました。
(2)ジェンダー平等原則
次に、ディーセント・ワーク実現に向け、1つの原則と4つの戦略目標について話します。
まず、ジェンダー平等原則です。ILOには、いくつかの関連重要条約がありますが、ここでは3つ取り上げます。1つは、100号条約。これは男女の同一価値労働同一賃金に関するもので、「男女の間で同じ質を持つ仕事をしているのに、賃金の上で差別をしてはいけません」というものです。日本の実態は、女性の賃金は男性の70%前後の水準です。先進工業国の中で最も格差の大きい国として知られています。基準適用委員会が、専門家委員会の指摘を受けてこの点について討議をした経過もあります。ILOの条約適用は、法と実際の両面において審査されます。法制度が整えばそれでよし、とはしません。「実際上うまくいっているから法的にはいいではないか」というわけにもいかない。日本の場合、100号条約については主に実態の面で大きな問題を抱えています。
111号条約は、雇用・職業生活上の差別禁止です。日本は数少ない未批准国のひとつです。いま雇用・職業上の差別が横行しています。雇用形態が違うからといって、賃金や労働条件に大きな格差があり、非正規労働者が簡単に解雇されてしまう実態があります。この111号条約の批准とそれを基礎にした国内法の整備が、実態の克服とともに急がれる課題です。
もうひとつは156号条約で、これは家庭責任を男女がともに果たしうる環境が保障されなければならないということです。日本はこれを批准しております。しかし実態はどうかというと、例えば単身赴任をめぐる問題があります。子どもの養育や両親の介護、社会生活の参画、地域社会への貢献などについて、遠隔地に単身で赴任すれば、それらの責任は果たしようがないわけです。その点で、単身赴任が本人の形式的な同意を伴うにしても、半ば強制的に実施されている実態は、156号条約の内容に大きく抵触します。実態上克服すべき課題はたくさんあります。
この点に関しては、ジェンダー監査の取り組みの推進が必要です。ジェンダー監査は組織の構成や運営、政策の決定、あるいは実施のプロセスのすべてにわたってジェンダー平等の原則が貫かれているか否かということを、具体的な基準を設定して監査を行うという、ソーシャル・オーディットのひとつです。ジェンダー平等実現のための有効な手段です。
(3)戦略目標1 中核的労働基準の尊重・遵守
ILOの4つの戦略目標は、[1]中核的労働基準の尊重・遵守、[2]良質な雇用の確保、[3]社会保障の拡充、[4]社会対話の促進、です。
戦略目標の1は、「中核的労働基準の尊重・遵守」です。先に触れた4分野、8条約です。未批准もさることながら、批准をしているにもかかわらず条約違反状態が放置されているものが多々あります。そのうちのひとつが、団結権の保障に関するものです。87号条約の原則は、あらゆる労働者はなんの干渉を受けることなく自由に労働組合を結成することができるということです。ところが例外規定があり、「警察と軍隊の構成員については国内法で決めなさい」「国際条約としては保障すべきであるとも、すべきでないとも決めません」という趣旨の規定が盛り込まれています。日本の場合、1965年にこの条約を批准しています。このときにILOから「結社の自由に関する実情調査調停委員会」(ドライヤー委員会)が日本に派遣され、国内法と実態がどうなっているか調査が行われました。「日本の法律には条約に違反する数々の問題がある。とりわけ、消防職員の団結権を否認しているのは条約に反する」ということが、指摘され続けています。もちろん、私の出身の自治労(全日本自治団体労働組合)は組織化に努力しています。いま約11万人いる消防職員のうち、3万近くの人がプレ・ユニオンとしての「消防職員協議会」を結成して、「国際公務労連」(PSI、Public
Service International)に加盟しています。そういう活動を通じて団結権保障の実現を図っています。しかし、政府はなかなか法改正しようとしません。同じことは刑務所職員についても言えます。刑務所の業務の一部を民営化しているなかで、民間労働者、スト権も保障されている民間労働者が刑務所の運営に携わっているという実態が日本の中で生まれています。にもかかわらず、同じ職で同じ仕事をしている公務員の刑務所職員には団結権を与えないという実態があります。
団体交渉権についても同じような適用違反の事例があります。98号条約の日本語訳に、「この条約は公務員の地位を取り扱うものではない」という規定があります。これは国家の名において公権力を行使する職員は、団体交渉権を制限してもやむを得ないという規定なわけです。英文では、日本語で仮に公務員と訳したものは、public
servants engaged in the administration of the statesとなっています。国の行政に従事する公務員と明白に規定してある。ところが日本語訳では単に公務員とし、公務員全般、地方公務員も含めて団交権を制限しているという問題があります。これは、ドライヤー委員会の報告以降、一貫して改正が迫られている問題ですが、未だに変わっていません。度重なるILOからの改正を求める勧告を受けて、2008年10月から公務員の労働基本権を付与する方向で審議が開始されていますが、未だに解決はしていません。
また、第4分野の平等・反差別の促進については、多くの差別、平等に反する実態があることはご存知の通りです。とりわけ女性の昇進については非常に厚い壁があり、重要課題として追求し続けなければなりません。
(4)戦略目標2 良質な雇用の確保
戦略目標の2は、「良質な雇用の確保」です。日本の実態を見ますと、非正規労働者が急増し、会社側の都合でまさに雇用調整弁として簡単に雇用が失われています。一方、正社員の方は深刻な長時間労働が課せられて、メンタルヘルスや過労死など多くの問題があります。労働の商品化がまさに横行している実態にあります。派遣法の問題があります。少なくとも1999年の改正以前のように、16種の専門職種に限定して派遣労働者は使用されるべきであって拡大されるべきではない、一般化するべきではないと思います。特に日雇い派遣は非常に深刻な問題です。ILOの条約の関連でみますと、175号条約(パート労働条約・未批准)で示されている原則が関係します。同じ労働につく場合に分割可能なもの(時間給など)は比例が原則です。一方、不可分なもの、権利の付与などはフルに与えなければならないというのを原則としています。日本には正社員とまったく同じ労働をしているパート労働者が多くいます。ところが賃金も雇用保障も全く違っています。175号条約を批准して国内法を整備すれば、こういう問題は解決に近づきますが、それがなかなか進まず、ときどき無念さとか虚しさとか無力さを感じることがあります。ILO条約批准は万能ではないが、状況改善の一つの大きな力になりえます。現にヨーロッパの国は条約を批准し、それに伴う国内法改正を経て、格差縮小に成功している事例はたくさんあります。
また、ワークシェアリングはオランダでの成功例があります。オランダの労働者の8割以上はパート労働者です。1人が8時間働いていたものを2人で4時間ずつ働くとか、あるいは6時間と2時間働くといって仕事を分け合い、ワークシェアリングをして、全体の雇用状況を良くすることが可能になります。比例原則が適用されない、権利が平等に与えられないということではそんなことは成り立つわけありません。オランダのワークシェアリングの基礎には、この175号条約の精神と内容が裏付けになっています。日本のいまの状況を克服するために、この重要性をお互いに認識し、一日も早く実現したいと思っています。日本の状況は、例えば1000名の労働者がいる工場があったら、そのうち300名は派遣、日雇い、短期間契約労働者などの非正規労働者であるわけです。経営が悪くなると労働者数を少なくするとして、この300名だけをまず解雇するわけです。残った700名は、8時間労働では仕事をこなせず、多くの残業が課せられる実態があります。この人たちの労働時間を少なくして、300名の雇用維持は何故できないのか、という課題が突きつけられているわけです。「契約労働者だから、派遣だから、仕方がない」ということで本当にすまされるのか。彼らが住むところも失い、職場から放り出され、路頭に迷うということを社会的に放置しておいていいのか。そのことが社会に与える影響を考えてみた場合に、社会の安定的な発展のためにどういう措置をとるべきかをオランダの例は示しているわけです。オランダの例をひとつの良い事例として参照して、日本的な実情により合う形で適用するというのも労働組合運動の重要な課題です。雇用を失った非正規の人たちのほとんどは、雇用保険の失業給付をもらえません。「日雇い、短期雇用なので雇用保険に加入していない」という実例が多いからです。
(5)戦略目標3 社会保障の拡充
反貧困ネットワークの湯浅誠さんが、「日本はすべり台社会だ」と言いました。社会保障の網は穴が空いていて、そこにいったんはまってしまうと底まで落ちてしまうという意味で、「すべり台社会」ということを彼の『反貧困』という著作の中で書いています。皆さんは一橋大学という超一流大学に在学しているので、たぶんいま話しているようなことを、実感をもって理解できないかもしれません。「気の毒だし、社会的にはないほうがいいけれども自分には関係ない」と思っている人が多くいらっしゃるのではないかと思います。これは私の想像なので間違っているかもしれません。しかし、私の友人にも超一流大学を出ていい就職をしたが、たまたま巡り合わせが悪く底意地の悪い上司の下に配属されてメンタルヘルスに陥って会社を辞めざるを得なくなった人がいます。いったん辞めると、ものの見事に底まで行ってしまう事例はたくさんあります。日本の社会的安全網(ソーシャル・セーフティ・ネット)は十分に整備されていないので、いったん穴にはまってしまったら底まで落ちてしまうという状況は、すべての人にとって無縁ではないということです。したがって、この戦略目標の3、社会保障の拡充を急がなければならないと思っています。
連合は最低賃金・時給1000円を要求しています。現行は東京都でも800円に達していません。1000円は高いという指摘があります。ところがよく考えてみてください。日本の法定労働時間は週40時間・年間1800時間ですから、フルに働いても180万円です。いわゆるワーキング・プアの水準が年収200万円といわれていますが、それに届かないのです。特に深刻なのは母子家庭です。東京都でいま子どもが2人いて離婚した女性の場合、生活保護費は住宅補助や児童手当等を含めるとひと月24万円程度が受けられます。これに比較しても最賃の低さはよくわかります。24万円だって決して楽ではないと思います。また、最賃が生活保護の水準を下回っているなかで、「生活保護の水準を下げたらいい」という議論を平気でする学者もいます。
(6)戦略目標4 社会対話の促進
これが象徴的に表しているのは日本的三者構成の問題点です。三者構成主義とは、政府・労働組合・使用者の代表の三者がソーシャル・パートナーとして侃々諤々の議論の中から結論を見いだして、お互いに満足ではないかもしれないけれども、合意を尊重し実施していく、というものです。どこの国でも三者構成は政・労・使です。日本の場合、政・労・使ではなく公・労・使という構成がとられます。公益代表として、つまり公の立場からものを言うということで学識経験者が、政に代わり入ります。政は事務局として一歩ひく。ところがこの事務局が、公益代表を選び、原案を提案する立場にあります。もっとも強力な第4番目の参加者になり、強力な権限をもって実際上全体をコントロールするという構造になっていのです。これらは戦略目標の4、社会対話の問題に関係します。
日本企業のマネージメント・スタイルが短期の利益確保重視へと転換したと言われています。グローバル化の中で経営のあり方が、投機性が強い投資の影響の下で変わってきました。私は使用者の最大の社会的責任、Social
Responsibilityというのは雇用に対して責任を持つことだと思っています。それが薄れつつある状況の中で、日本的労使関係の基礎としてあった終身雇用制や年功賃金、企業別組合も大きく揺らぎつつあります。いまおきている自動車メーカーを中心とした非正規労働者の解雇に対して、世界各地で抗議デモが展開されています。日本の企業がグローバルに直面している問題を、国内で働く労働者との均衡を考えながらどう解決するか。つまり、国内で働く労働者の身分や賃金、労働条件を守るために、海外の生産拠点で働く外国人労働者を犠牲にしても構わないという姿勢には、立ち得ないわけです。ところが現実はどうか。非正規労働者が雇用の調整弁として使われているという実態の中で、正社員組合がどういう動き方をしているかということについては多くの批判や疑問が寄せられています。ここをどのように克服するかということが、これまで企業別の組合を基盤にしていた日本の労働組合運動の克服すべき非常に大きな課題です。
ILOはこういった状況を克服するために、ディーセント・ワークの実現に向けた行動を、行動計画などの設定を通して4分野の状況をきちんと把握して、政労使三者の交渉・協議を通じて実現するという方向性を提示しています。
最後に
最後にうれしいニュースを紹介して終わりたいと思います。ジュネーブから電車で15分位のところにあるニヨンという街に、UNI(ユニオン・ネットワーク・インターナショナル)という国際産業別労働組合の本部があります。UNIは流通部門や商業、金融などの労働組合が結集している労働組合です。11月11日に、UNIと株式会社・高島屋がGlobal
Framework Agreementという協定を調印しました。日本で初めてのケースで、世界でも70番目に当たります。この協定は、例えばスウェーデンの家具メーカーのIKEYAとか、最近銀座に出店して話題となったH&Mとか、自動車のBMWなどが結んでいます。環境、人権、労働組合権、汚職防止について、労使で協定を結んでその実現を協同して図っていこうというものです。問題が生じた場合に労使協議によっていかに克服しているかということを常にお互いに監視し、協議して進めていこうという協定です。その協定の最後に、高島屋は、「これを高島屋の一社内にとどまらせず、すべての取引関係、俗にいうサプライチェーンにこの協定の精神を広げていく努力を続ける。それが高島屋のCSR(Corporate
Social Responsibility)を果たして行く道だ」ということを宣言しています。調印式に、ILOのソマビア事務局長が立会人としてサインをして、私も日本の政府側の理事と一緒に立会いました。非常に感動的な場面でした。目先の利益のためにリストラを強行する企業が多い中で、一つでもこうした事例が出たことは非常にうれしいことだと思います。このうれしいニュースを最後にお伝えして私の話を終わりたいと思います。ご清聴ありがとうございました。
▲ページトップへ |