一橋大学「連合寄付講座」

2008年度“現代労働組合論II”講義録

II 非正規雇用と労働組合

第7回(11/21)

「産業・就業構造の変化と非正規労働者問題」

高木郁朗(教育文化協会理事/日本女子大学名誉教授)

はじめに―労働教育について
  これまで数回、非正規労働者問題の講義を受けたと思いますが、今日は一つのまとめになるように、「産業・就業構造の変化と非正規労働者問題」ということで、お話ししたいと思います。
  僕たちはいま労働教育の研究会を作って、大学でどんな労働教育をおこなっているかを研究しようと思っています。通常、大学ではキャリア教育、キャリア支援というのを一所懸命おこなっていますが、大切なことが忘れられているのではないか、というのが僕たちの考え方です。それで、「キャリア教育」ではなくて「労働教育」という言葉を使ったのですが、これには3つの内容が含まれていると考えています。
 1つは、労働というのは、単に生活していくために所得を獲得するということではなくて、それぞれの労働が社会的分業の中で社会的役割を持っているということを、どれだけ教育されているかということです。この点、現段階の教育ではずいぶん欠けていると思います。
 2つめは特に今日の社会は雇われて働くということが主流になっているわけですが、その場合には必ず働く上でのルールがあるということです。そして、そのルールが働く人々にきちんと教育されているかどうかということです。
 3番目は、働く上でのルールは、事業主あるいは使用者が一方的に決める、あるいは政府が決めるのではなくて、働く人たちや労働組合が参加をして対等に決めるということです。そこで、働く上での主体的な判断や、ルールを作る上での主体的な参加についての教育が大切ではないかと考えています。
僕たちが作った労働教育の研究会では、これら3つの点で、今日の大学教育がどこまでその役割を果たしているかを調べようと思っています。

1.正規と非正規という区別について
  そこで本題に入ります。今日、就業者全体に占める非正規の割合が非常に急速に拡大しています。1ページ目の表は(表1)、昨年の就業構造基本調査です。就業者全体を100としていますが、このうちには自営業者や家族就業者が含まれていますので、ここでは統計用語で「雇われて働いている人」のことを意味する「雇用者」に注目します。この雇用者総数の中で、例えば正規の職員・従業員がどれくらいになっているかということをみていくわけです。正規の職員・従業員は、会社の雇用役員を足しても全就業者の58%程度です。これに自営業者や家族従業者を加えて3分の2程度です。男女合わせていうと、約3分の1がそれ以外の非正規と呼ばれる人々です。特に女性についてみると、この非正規の比率は非常に高くなっています。正規の職員・従業員に会社などの役員をくわえても半分には達しません。

表1「就業者全体に占める、いわゆる非正規の比率」
表1「就業者全体に占める、いわゆる非正規の比率」
(就業構造基本調査、2007年)

 ただ、僕はこういった統計を見ていて、正規とか非正規という言葉が当たり前に使われているということは、あまりよくないないのではないか、という考え方を持っています。先ほどの統計の中でも明らかなように、非正規と呼ばれる中には、パート、アルバイト、派遣社員、有期の契約社員、嘱託、その他が含まれていますが、非常に社会問題になっている請負労働者は含まれていません。これは、ある自動車工場のある工程を請負会社が全部請け負って、請負会社の労働者が働いているという形になると、形式上、その労働者は請け負った企業の正規従業員ということになるわけです。親会社のほうからみると、自分の会社の正規従業員ではない人が働いているけれども、統計上は請負会社の正規従業員ということになり、請負労働者はこの統計に出てきません。ですから、特に男性の場合、いわゆる非正規の実際の比率は、この統計より上がっていくはずだと考えて良いわけです。こういう労働者を含めて、正規とか非正規という言葉の使い方は本当に正しいのか、どういう意味で使っているのか、ということをきちんとしておかないといけないのではないか、と僕は考えています。
  僕自身の個人的な体験として、10年ほど前に高齢者に対する介護労働の国際比較の調査をしたことがあります。文部科学省の科研費の調査で各国をまわったのですが、スウェーデンとかデンマークへも行きました。ある介護事業所では40人ぐらい働いていましたが、全員女性でした。介護労働に女性だけが携わっているというのは、スウェーデンとかデンマークでは事情があります。労働における職業上のジェンダー分離ではないかという別の問題もありますが、ここではその議論は抜きにして、非常に興味深かったのは、この事業所の所長を含め、全員がパートだったことです。
  当時、スウェーデン、デンマーク共通で、労働時間は37時間30分がフルタイム、20時間ぐらいから始まって35時間までは全部パートです。仮にフルタイムがいても、フルタイムの労働者とパートタイムの労働者の間で正規・非正規の区別はまったくありません。日本ですと、例えば保育所の労働者で、公立の保育所の労働者が同じ保育士であっても、フルタイムで働いている人は公務員、それ以外の時間で少し短時間に働く人は臨時職員と呼ばれて、明らかに身分上の差があります。ところが、スウェーデンの経験でいえば、これは当たり前のことですけれども、同じ介護を受けるにしても労働時間が35時間の人と30時間の人、20時間の人の間に違った労働があるわけではない。
  それぞれの労働者の技能の差といったことは当然ありますけれども、今日は正規の人の労働を受けて、明日は非正規の人の労働を受ける、などといった区別はあり得ないです。つまり、正規とか非正規というのは、同じ労働をしている限り、社会的に有用な労働をしている限り、両者の間に正規と非正規の区別は本来あり得るはずがないと考えています。
  言い換えますと、正規・非正規は雇用形態上の、言ってみれば身分的な区分です。特に日本ではこの身分的な区分というのが大変大きいし、このことが非正規と呼ばれる人の問題を本当に大きくしていると思います。現在の世界的な金融危機の中、日本でも自動車会社で、期間労働者(一定の期間の契約を結んで働いている労働者)と呼ばれる人たちが雇い止めをされている。同じ自動車を造るのに、正規・非正規もないのですけれど、まず最初に期間労働者が雇い止めされるというのは身分の違いなのです。すなわち、雇用形態上の身分の違いということです。これが、今日の非正規問題の基本的な問題点です。労働のあり方に問題があるのではなくて、働く上での雇用形態上の身分としての非正規問題が中心にある、と考えねばならないと思います。
  「就業構造基本調査」の分類で、正規の従業員とか正規の社員という言い方は、企業の中で使用されている用語をそのまま使っている呼称です。いろんな条件があって一概にはいえないと思いますが、身分を決定する、いわゆる正規と非正規を区分する仕方は2つあります。1つは労働時間です。労働時間がフルタイムであるかどうか、ということの区分で、フルタイムが正規従業員、あるいは正規社員、これがひとつの分類です。もう1つは、契約期間です。労働基準法上の期間の定めなき雇用であるかということです。これがもう1つの区分になります。フルタイムで働く人々、雇用期間の定めがない従業員、というのが正規で、それ以外の人はいわゆる非正規という身分に分類されているということを、想定して頂ければ良いかと思います。フルタイムと雇用の期間の定めなき雇用の2つの部分が重なった領域の外に属する人たちが非正規です。

2.非正規の労働が増加した理由
  日経連が『新時代の日本的経営』(1995年)という方針のなかで、雇用の弾力化を図っていかなければならないという趣旨で、(1)長期雇用の人たち、(2)専門的業務で一定の契約期間で働く人たち、(3)より雇用の期間を短くして弾力的に働いたり辞めたりする人たち、という3つの区分で雇用を考えていこうと、いわゆる「ポートフォリオ雇用」といいますが、そういうものが提唱されました。この提唱がおこなわれた1990年代の半ば以降、いわゆる非正規は急速に広まりました。
  現在では、ほぼ男女合わせて3分の1、女性だけをとれば50%以上の人が非正規と呼ばれる身分に入っています。先にも言いましたように、この中に請負は入っていませんので、電子機械の組み立てなどにみられる請負の多い業種などは、さらに比率が拡大すると考えて良いわけです。
  急速に非正規雇用が拡大していく原因としては、産業構造の変化が挙げられます。したがって、今日のテーマも「産業構造の変化と非正規労働者」という話になるわけですが、要するに、第三次産業化、特にサービス経済化と呼ばれる現象が非正規労働者の拡大を説明する要素として取り上げられることが多いのです。日経連の『新時代の日本的経営』の中にも、サービス経済化ということが上がっています。また、もう1つの領域としてグローバリゼーションということを掲げています。人件費を固定費用化していくとグローバリゼーション下の競争に耐えられないので、この面からも雇用に関わる費用を弾力的にしなければいけないということがあり、グローバリゼーションと産業構造の変化がこの就業形態の多様化、いわゆる非正規従業員の比率の増大を主張する根拠になってきたと言っていいと思います。
  でも、今日の話は本当にそうなのか。グローバリゼーションの問題は少しおいておきまして、産業構造の変化が雇用形態の多様化、いわゆる非正規従業員の増大に直接つながっているのかという点についての僕の考え方をいくつか申し上げたいと思います。
  否定する根拠の1つは、国際比較です。有期雇用(期間の定めのある雇用)は各国で急速に増えていますが、この有期雇用の比率を調べてみますと、2003年のOECDの資料によると国ごとに非常に大きな差があります。日本よりも経済のサービス化が進展し、第三次産業化が進展しているアメリカでは4%です。ところが日本では13.8%。これは2003年の数値ですから、それ以降さらに急速に増えています。この数値は何を物語るかというと、一律に産業構造や技術が変化しても、有期雇用、もっと広く言うと、非正規雇用というような雇用形態がただちに一律に広がっていくことにはつながらない、とみて良いと思います。
  OECDの結論は、OECDが編集した『図表で見る世界の社会問題』という本の中にありますが、「有期雇用に関する規制緩和が、…より多くの有期的な労働の発生に寄与した」と結論付けを行っています。つまり、産業構造や就業雇用の変化が、例えば有期雇用という形での、いわゆる非正規雇用の拡大に必然的につながるのではなくて、制度の変化がこういうものをもたらしているのだと理解するのが正しいということです。少なくとも僕にはOECDの言っている結論はそのように言うことができると思っています。
  ただ、引用したアメリカの非正規雇用の比率が低いので、「アメリカの方が良いのだ」と単純には言えません。なぜかというと、アメリカでは法律上は解雇規制が非常に緩やかなのです。例えば自動車産業における労働組合と経営者の労使関係など、実際には、解雇を規制する要素がありますが、ホワイトカラーなどは非常に解雇規制が緩やかです。統計的にみて、世界で一番解雇規制が緩やかなのはアメリカで、2番目はデンマークとなっています。デンマークは、法律上の規制が弱く、有期契約という形をとらなくても経営者の方から、「明日から出勤しなくてもよい」と言われれば、これで雇用契約が解除されてしまいます。実際には組合との協約がありますので、簡単に解雇できるわけではありませんが、雇用契約解除規制が弱いので、わざわざ有期雇用にしなくても良いのです。つまり、日本的にいえば、全員が非正規雇用であれば、身分的な差は発生しないということになります。
  国際的に比較すると、同じように有期雇用、経済のサービス化が進んでいる国でも非常に大きな差があるということは、一律に就業構造・産業構造の変化が非正規雇用の拡大に結びつくものではない、ということを意味します。むしろ、その前にどんな制度があって非正規雇用を拡大していくのか、という部分の方が重要な問題だと申し上げておきたいと思います。
  厚生労働省が2005年に行った「パートタイム労働者総合実態調査」の中に、「パート労働者を雇用する理由」というものがあります(表2)。もう1つ、厚生労働省がおこなっている調査で、「雇用の多様化に関する総合実態調査」というのがあります。これは派遣労働者、有期契約の労働者など、他の形態の雇用労働者について同じような調査をしたものです。パートタイムの調査結果と異なって、派遣労働者の場合には、「即戦力の人を入れたい」という理由の比率が高いなど、多少の違いはありますが、全体的にはあまり変わりません。

表2「パート労働者を雇用する理由」
表2「パート労働者を雇用する理由」
(パートタイム労働者総合実態調査、2005年、複数回答、単位%)

 これは複数回答ですが、産業構造や専門的な知識等が理由で非正規労働が増えているわけではないということがわかります。要するに、日経連が言っているようなことはないわけではありませんが、一番大きな理由は、一番右にあるように「人件費が割安である」、つまり、労働コストを効率化していきたいということです。常識的にもそうですけれど、パート労働者などの、いわゆる非正規労働を導入している経営者自身の圧倒的多数が、それを理由にしていることがわかると思います。IT化・サービス経済化の進展によって、業務内容が変化したためという理由が多少ないわけではありませんが、パートに関しては、わずか2.5%という数値ですから、少し違います。一般的に言われているような、産業構造が変化するから非正規労働者が増えるのではないということです。
  製造業とサービス業のどこが一番違うかというと、製造業の生産過程は定時的です。例えば8時に工場のエンジンが動き出して夕方5時に終わるとすればそれで退社です。ところがサービスの場合は、典型的には医療機関などの例でわかる通り、患者がいつ来るかという話です。緊急にいつ来るか、それに合わせなければならない。これが製造業における生産活動に従事する労働者と、医療、介護、保育のようなサービスの供給とは違います。
  また、製造業の場合には、物にもよりますが、だいたい作り貯めておくことができます。しかし、サービスは作り貯めておくことができません。このようなことで、労働の形態が変わっていくことは明らかです。明らかなのですが、その部分が直接、非正規労働を拡大していく理由にはならないということを、日本の調査自身も物語っています。

3.非正規労働と「身分制」の原型
  そういうことを前提にして、ごく簡単に非正規労働の歴史を振り返ってみます。非正規労働というのは明治の時代、実は江戸時代にもあるのですけれど、非常に古くからあったと言って良いと思います。ついでですが、皆さん小林多喜二の『蟹工船』という小説がベストセラーになっていると思いますが、蟹工船というのはまさしくこの非正規労働の問題です。カムチャッカ沖で操業する蟹工船に乗る漁船員たち、これは季節労働者でありまして、周旋屋と呼ばれる人たちが人を集めてきて、極めて悲惨な操業活動に連れて行く。小林多喜二の小説の中ではそれに対抗してストライキをやるわけですがうまくいかない、というようなことが出てきて、「将来これはもっと大きな問題になるだろう」というような話になります。そのような非正規労働は第二次大戦前、古くは明治の時代からありまして、一番最初にこれを取り上げているのは横山源之助という人の『日本の下層社会』という本です。小林多喜二の蟹工船は1929年に書かれた小説ですが、横山の『日本の下層社会』はそれよりも前の1890年代の日本の世界を描いています。工場労働者などは「細民」と呼びますが、それとは区別される貧民という人たちが出てきます。この貧民が今日言う非正規の労働者の原型になっていると言えます。典型的には「日稼ぎ人足」と呼ばれる人々で、これは道路工事とか物品運搬とかに従事しています。しかしこのような仕事は必要労働力が変化します。これは毎日変化するというものもあります。港湾労働者に多いですけれども、船が港に着いたという時には、港へ着いた船から運び出して運搬する労働者が必要で、当時はみんな人力でやっていました。船が着かないときは誰も要りませんが、船が着いたときには必要と、日々変化するわけです。これは典型的ですが、ひと月とかある季節とかで、必要労働が変化する業種に就いている人たちが多いというのが共通の特徴です。
  それから、2つめの特徴は低賃金です。低賃金といっても、例えば当時の紡績労働者と比べて一日あたりの賃金が低いというわけではありません。計算の仕方は紡績労働の女性労働者とまったく同じですけれども日給制で、一日あたり幾らということでした。
  もう1つは、これも共通するのが、労働者供給事業で供給されるということです。先ほど蟹工船の中で出てくる「周旋屋」という言葉を使いましたが、仲介に入る「請負者」というのがいます。それにくっついていて「今日は仕事があるから来いよ」と言われて、一日35銭とか36銭とか受け取って、そのうちの8銭とか9銭を親方の手に納めます。納める金額はだいたい30%ぐらいです。30%ぐらいという数値は現在の派遣業にでも継続されていると思いますけれども、それを納めて仕事をして日々の生活をなんとか営む。こういう非正規というものが日本の産業の歴史にありますので、工場の中にもそのような労働者が多くいました。
  しかし、日本の産業が発達するにつれて、主として製造業の大企業ではこういう労働のあり方では困るということが、だんだん明らかになってくるわけです。いろいろ理由がありますが、例えば労働組合が少しずつ発展し、1910年代になると米騒動なども発生します。労働組合に入られては困るというように大企業の経営者が考えるようにもなって、正規従業員については長期勤続化が行われるようになりました。その長期勤続化のなかで、企業の中に身分制ができてくるというのが一つ大きな特徴です。
  僕が行った聞き取り調査でも、「いやあ、身分差があったんですよ」と言うのです。まず大きくは、「社員」と呼ばれる人たちと、「工員」と呼ばれる人たちの間の身分制があります。
  「社員」というのは、大卒あるいは高等専門学校卒業のホワイトカラーです。社員は会社に付属している食堂で昼飯を食べる。しかし「工員」は工場の中で機械をかけながら弁当を食べる。食堂には入れてもらえない。こういうような身分差がありました。「工員」のほうは高卒の大部分で、ブルーカラーです。技能を徐々に形成して、熟練労働者になっていくのを企業も期待し、だんだん長期勤続になる。このようにホワイトカラーを中心とした「社員」と現業労働者の「工員」との間では、はっきり身分差があったということです。
  高校卒の女性のブルーカラーも「工員」扱いです。産業によってはブルーカラーのほうが基幹的な職員で、あとは事務職員などですけれども、これはまた違う身分で、そのうちお嫁に行ってやめてしまうであろうというふうに取り扱われる身分ということになっていた。
  そして4番目に、その外側に明治の時代から引き継がれる「日稼ぎ人足」の系譜があります。「社員」でも「工員」でもないその外側に、運搬部門などで「日稼ぎの人足」というような呼ばれ方をされる身分が形成され、身分制が確立していく。
  製造業の場合には、ホワイトカラー社員や男性の技能労働者を中心に長期勤続をしていきますが、これは企業側による労働力定着化の反映です。要するに、企業に定着してもらって、技能を形成しながらきちんと仕事をしていく労働者を養成していきたいということです。その反面、そういう身分に乗らない人々が、親方や労働者供給事業者の手によって供給される不安定な労働者として、企業の中に供給される。これがいわゆる非正規従業員です。
  ですから、原型をたどりますと、非正規労働者というのは、日本企業の中の身分制に非常にはっきり根ざしているということです。むろん身分と言っても、封建時代における家(イエ)代々の、「お前は農民の子だ」とかいう身分ではないのであって、産業社会の中における人的資源を活用していく企業の政策の中に発生した身分であると考えなければいけない。この身分制というものが、非正規労働者を非常に多く作り出してきたと言って良いと思います。

4.非正規労働と「身分制」の再生産
  こういう労働のあり方は、一旦は戦後改革の中で改革されました。1945年、日本は第二次世界大戦に敗北して、アメリカ占領軍が入ってきます。その中で労働に関しても戦後改革(労働改革)が行われました。最初にできたのは労働組合法です。1947年には労働基準法と一緒にいろんな法律ができますが、このとき職業安定法(職安法)も作られました。この法律の中で、戦前の非常に悲惨な状態にあった非正規労働をなくするという基本的な考え方に基づいて、労働者供給事業を禁止することを定めました。つまり、それまでは、請負業者とか周旋業者とか呼ばれた人たちが中間に入って、賃金の30%、40%をピンハネしていましたが、この、労働者に悲惨な生活を強いる仕組みを改革しなければいけないということで、労働者供給事業の禁止が定められたわけです。
  但し、国の機関以外で1つだけ、労働者供給事業をやっても良いという組織が認められました。それは労働組合です。労働組合は民主的な組織なので、中間搾取などはしないであろうということを前提にして認めていました。僕は、労働組合がこれをもっと利用しても良かったのではないかと思います。利用した組合もありましたけれど、必ずしも積極的に利用されたわけではありません。
  それと、もう一つ職安法で大事なことは、有料職業紹介というものを禁止しました。有料職業紹介は、職業を紹介するという名目で、賃金の中から20%、30%を受け取ります。実は今でもありますが、有料職業紹介は、手持ちの労働者を2年か3年ごとに企業に紹介して、企業からも労働者からもお金を取ります。これはどちらかというと専門的職種に多いですが、このような有料職業紹介も禁止しました。
  今から言うと、前者の「労働組合以外の労働者供給事業の禁止(中間搾取の排除)」については、労働者派遣事業法で規制緩和されました。後者の「有料職業紹介の原則禁止」については、後に、有料職業紹介を認めるという職業安定法が成立したことで、認められるようになりました。どちらも第二次世界大戦後の労働者の、特に非正規労働者の中間搾取を中心にした悲惨な状態をなくするために作られた制度が、規制緩和によって変わってしまった。これが1980年代、90年代の実態です。先ほど言った1990年代半ば以降の急速な非正規従業員の拡大は、こういう制度改革の結果として現れてきたということも、覚えておいて頂きたいと思います。
  この間の途中の話をしますと、実は、労働者供給事業は禁止されたのですが、1950年代に「しり抜け」になりました。1950年に朝鮮戦争が始まって日本経済が復活していき、その後、1955年から日本のいわゆる高度経済成長が始まりますが、だからといって企業は、永久に経済発展が続くとは考えてはいません。いつまた不況に陥るかわからないと考えて、50年代に何をやったかと言うと、「臨時工」という、期間を定めて臨時的に働いてもらう職制を入れました。それからもう1つは、「社外工」という仕組みを作りました。僕が労働問題の研究を始めた頃、工場見学に行きますと、鉄鋼所の中で、高炉等での基幹的な作業をしている人たちはその鉄鋼会社の正規社員でしたが、その下で材料を運んだりする運搬労働者は下請け企業の労働者たちでした。この人たちはその鉄鋼会社の工場の中で働いているけれども、本社の社員ではありませんという意味で、身分的に区別されて「社外工」と呼ばれていました。
  「臨時工」もそうですけれども、本当に身分的な差別なのです。同じ工場内で働いていても、帽子の色が違うとか、一見してわかるようになっています。ある製紙会社では、「正規の社員」と「社外工」とで、入る門が違う。第二次世界大戦後の、いわゆる民主化を学んだ以降の時期においてです。身分的な差別がそういう形であったのです。自動車会社でもありまして、「期間工」や「季節工」と呼ばれています。これは鎌田慧さんの1970年代の本に、『自動車絶望工場』というすばらしいルポルタージュがあります。それから、1960年代の東京オリンピックの頃は建設業などで「出稼ぎ労働者」という形でありました。
  「臨時工」や「社外工」は、1960年代末から70年代初めにかけて、かなり減少します。これは、労働組合が一緒に活動して、臨時工集会や社外工集会などを開いて、社会に問題をアピールするということが起こったからです。また、「社外工」のような形では、身分も違う、賃金も低いということで、労働力不足の時代には応募しない人が出てきたからでもあります。さらに企業のほうでも、「社外工」とか「臨時工」という形で入ってきた労働者が技能を身につけてくると、いわゆる「本工」登用として正規従業員に変えていくということがあって、一時的には減少します。しかし、その後の時代に、今度はパート労働者が非常に増加してくるという歴史的変化を辿っていくわけです。
  要するに、こういう形で、サービス業を中心として、非正規労働が増加してきたのではなくて、それぞれの時代・産業の中に、身分の異なる労働者を雇用することによって、企業が人事管理を行うという制度として、非正規労働者はいつの時代にも存在してきたと考えなければいけないと僕は思っています。
  戦後改革に少し話を戻しますと、1945年12月に労働組合法という法律ができて、この後、企業別労働組合という形態の労働組合がどんどん作られていきます。当時を回想した人の話では、「カラスが鳴かない日はあっても労働組合ができない日はなかった」というくらい労働組合がどんどん結成されていきました。
  企業別に労働組合が作られるとはどういうことかというと、従来、身分的に差別されていた社員と工員、ホワイトカラーとブルーカラーが一緒の労働組合を作るということです。必ずしも一緒にならなかった産業もあります。今はもうないですが、例えば石炭産業の中では、ずっと後までブルーカラーの労働組合とホワイトカラーの労働組合とが違っているところもありましたが、全体的に言うと、工職一体化の組合が出来上がっていきました。日本で最初の本格的な労働組合についての実態調査をまとめた『戦後日本の労働組合』という本の中で、氏原正治郎先生が「企業別労働組合」という言葉を使いましたが、氏原先生はこの企業別労働組合について、「工職混合組合、つまり今まで身分的に差別されてきた社員と工員が一体になる、これは民主主義だ。従業員としての民主主義、これを確立したのは、大きな歴史的な前進である」と評価されました。しかしさらに、「でも…」と言葉を続けられたのです。ある意味非常に予見的な言葉だったと言わなければならないですけれど、「その民主主義は従業員の枠内にとどまっている」。つまり、“さしあたりは従業員ということで、社員であればみんなが民主主義になったけれども、臨時工とか社外工とか、社員の身分外の人たちが出てくると、民主主義がそこには及ばない”ということを予言されたわけです。実際に、いわゆる非正規の人たちには民主主義が及ばなかった歴史を考えてみますと、重要な予言が不幸にして当たったと言わなければならないと思います。
  要するに、日本の産業社会における身分制というのは、解体されないで次々に再生産されている、非正規の問題はそういう形で考えなければならないのではないかと僕は思っています。

5.産業構造の変化とパートの問題
  先ほど「臨時工」「社外工」の話をしましたが、これは経済条件などが作用して、一旦は少なくなりました。その後、1960年代末あるいは70年代から急速に増えてくるのが女性パートの労働者です。
  元々、紡績産業などの女性型産業では、社員でも工員でもなくて、「お嫁に行ったらやめますよ」という身分の人たちがいました。ただ、これは企業の方が一定の定着をしてもらいたいということで、5年なら5年の有期契約を結びます。今は、柔軟に雇用調整できるよう、6カ月とか1年とかの短期的な有期契約が多くみられますが、当初の有期契約は若い女性労働者に長くいてもらうための有期契約でした。ですから、「5年なら5年の年期できちんと働いてもらいましょう、それに反したら罰則が与えられますよ」という契約が取り交わされました。しかし、一定の年齢になると辞めていくことを前提にしていたわけです。戦後の女性型産業の典型は、家電メーカー、松下電器などが典型です。僕が勉強を始めた頃、松下電器の工場も見せて頂きましたけれど、ずらっと女性たちが並んで順番にテレビを組み立てていました。こういう女性型産業が中心だったわけです。
  1960年代末から70年代に、この産業で問題になったのは、若い女性の労働力が不足するようになったことです。そこで導入されたのが、中高年の女性のパート労働者だったわけです。これはパートですから短時間と思われるかもしれませんが、実は短時間でもないのです。また、パートというと技能が低いというイメージもありますけれど、必ずしもそうではありません。
  少し一例を挙げますと、長野県に、アメリカの人工衛星の部品を作っている、かなり高技能の機械金属メーカーがあります。この会社で、中心となって高度の部品をつくっている労働者は実は一人なのです。その中心となる労働者は女性のパートです。助手を30年続けて、世間並みに賃金は上がっていますが、定期昇給などは一切なく、パートのままです。しかも労働時間はフルタイムで、現在では週40時間です。このことは、非正規問題が身分制以外の何ものでもないということを示していると僕は思うのです。
  疑似パートは電機産業でよくありますが、労働時間は正規社員とほとんど変わりません。パート労働法では、企業の中で1時間でも労働時間が短い雇用形態をパートといいます。これは一つの見解ですけれども、実際は正規社員とほとんど変わりありません。それにもかかわらず、パートは身分的に雇用の弾力的な調整対象とされています。また、景気の調整弁と賃金の低コスト化を目的として、かなり大量に登場しています。
  続いて1980年代以降、産業構造の第三次産業化によって、パートタイム比が急速に上がっていきます。これも僕は聞き取り調査をやらせて頂いたことあります。UIゼンセン同盟が、イトーヨーカドーやイオンのパート労働者を組織していますが、こういうところでは、80%以上の人がパートタイムです。
  就業者数で産業構造の変化を見ますと、第二次産業では、製造業はいったん比率が上昇してまた下がっています。第三次産業のほうはだいたい一貫して上昇しています。最新の国勢調査を見ましても、産業別就業者が第三次産業にだんだん偏っていることが非常にはっきり示されています。第二次産業、すなわち、製造業や建設業は、2000年から2005年の間に減少する傾向にあるのに対して、第三次産業のほうは増大傾向が示されています。アメリカを参考に考えれば、第三次産業が80%以上になる可能性が大きい。特にサービス業の比重が大きくなるでしょう。現在の就業者数で言うと、製造業、卸売・小売業、サービス業の3つが三大就業分野になっています。
  サービス業の特徴は、非定時制です。つまり、波があります。製造業は波をなくすことがある程度はできますが、第三次産業は需要の波があります。例えば、医療機関は夜間いつ救急車で人が運ばれてくるかわかりません。一部にはそうでないものがあっても、原則としては、必要なときに必要な生産が行われなければならないのがサービス業です。ですから、先ほど見ましたように、労働者を弾力的に雇用したいという気持ちが産業構造の変化とともに起きてくるのは、ある意味で当然のことと考えられますが、産業構造の変化を理由とする者は実は少数です。圧倒的多数は人件費が割安で簡単な仕事内容、非熟練で一時的な繁忙に対処するためにパートの労働者を必要としています(表2)。したがって、「産業構造の変化だから仕方がないのだ」「非正規の悲惨な人たちが出てくるのは仕方がないのだ」という議論は、歴史的に見てもそうではないと思います。いわゆる非正規と呼ばれる雇用形態が増えていった理由は、それぞれの時期の経営者や政府の政策など、制度的要素に求められるべきであると考えています。

6.身分的格差の解消へ向けて
  1980年代の後半以降に、派遣労働者の急増が起きます。派遣労働は、専門的な業種についてはある程度納得できる点がありますが、いまや規制緩和によって、専門的業種に限らず一般派遣が認められ、製造業でも認められています。現在、派遣が許されていないのは建設業と港湾です。
  先にも述べましたように、第三次産業化が雇用形態の多様化を必然化するのではありません。別の理由の方がはるかに大きいのです。つまり、身分的な違いを作って、Divide & Rule(分割して統治する)、それによって雇用の弾力性と人件費の安さを保障する。こういう制度的な枠組みに、雇用形態の多様化の理由が求められます。
  確かに第三次産業化は、サービス業、卸売・小売業が、需要に対応するためにパートを入れるようなことをしなければなりません。正規従業員の8時間労働だけカバーできるとは限りません。サービス業の正規従業員は残業も多いですし、労働基準法の改正で女性も深夜労働が禁止されていません。そうすると、子どもたちを保育所に入れて、昼間だけでなく夜の時間も、パートタイマーでカバーするようなことが出てくるでしょう。しかし、そのようなことと、身分制的な非正規従業員というものとは、関連していません。
  一番最初に申し上げましたスウェーデンの例で、時間は違っていても身分は全く同じということは十分できるということを考えて頂きたい。それから、サービス産業化で惹起される需要に対応する必要が本当にあるのでしょうか。僕は消費者も王様であってはいけないと思っています。夜中の0時過ぎにコンビニに行くような生活をしていたらおかしいと思います。こういうことが例えば深夜労働や非正規従業員を増やしているのです。見方によってはそれで雇用機会を増やしているという考え方もありますが、他にも雇用機会を増やすべきところはいくらでもあるはずです。
  それから、非常にイレギュラーな仕事、例えば鉄道業などは昔から需要量がイレギュラーな業種ですが、労働者の交番表を工夫することによって、対応することもできるのです。そういう工夫をすることなく、身分の異なる職制をつくることによって非正規を拡大するということが、僕は日本社会の堕落ではないかと思っています。働く方からも「短時間労働が良い」「パートタイムが良い」という意見もあって一概には言えませんが、一般に言われているように、「グローバリゼーションだから、あるいは産業構造が変化したから、非正規労働が拡大しても仕方がない」という考え方には根拠がない、という考え方が十分あり得るということを、皆さんにぜひお考え頂きたい。そのような視点から非正規労働の問題に関心を持って頂ければ一番ありがたいということを、最後に申し上げて僕の話を終わりにしたいと思います。
  大変ありがとうございました。

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