一橋大学「連合寄付講座」

2007年度“現代労働組合論I”講義録

第13回(7/25)

修了シンポジウム「労働組合の挑戦」

ゲストスピーカー:
髙木剛(連合会長)
高木郁朗(教育文化協会理事)
逢見直人(連合副事務局長)
高田一夫(社会学研究科)
司会:
浅見靖仁(社会学研究科)

浅見:今日これから始まるシンポジウムは前半と後半2つにわかれます。前半では正社員の人たちが直面している問題に対して連合はどういう取り組みをしているのか。どれくらい成果が上がって、どういう課題に直面しているかについてパネリストの方に話していただきます。後半は、非正規雇用の人たちに対して、連合はこれからどう取り組もうとしているのか、またこれまでに何をどれだけ行ったのかについて話していただきます。

1.正規雇用労働者の雇用慣行の変化と労働組合

浅見:6月2日の朝日新聞の特集記事では、横並び型の春闘は2002年で終止符を打たれたという評価がされています。この年の春闘で、トヨタはベアゼロの方針を打ち出しました。日本で一番お金を稼いでいるといわれているトヨタが業績アップにもかかわらず、ボーナスには反映するけれども、もうベースアップはしないということを打ち出しました。それに対して連合は抵抗したけれども、結局トヨタのベアゼロをひっくり返すことができませんでした。その後、春闘はまったく意味を失ったというわけではないけれども、これまでのように同じ産業だったら同じ賃上げ率を目指すということは現実的にも難しくなってきて、春闘が形骸化してきているという記事でありました。
  また、大手企業で成果主義賃金制度が導入されてきて、これまで通り労働組合が一括して賃上げ交渉をしていくことがやや難しくなって来ています。
  これらの点も踏まえながら、これまで連合の活動の大きな目玉の一つといわれてきた春闘を今後もこれまでと同じような形で進めていくのか、あるいは変えていくならどう変えていくのか。連合は正社員の人たちについて、どういう取り組みをしようと思っているのか。
  また、組織率については、正社員では比較的高いが、非正社員では非常に低いということを多くの人が指摘しました。しかし正社員の間でも組織率は低下傾向にあります。何らかの歯止めをかけようとしているのか、すでにかけ始めているのか。どういう方法を取ろうとしているのか。これらについても、お話をしていただければと思います。

逢見:正規雇用労働者の問題に関して、労働組合が果たしてきた役割は何なのか、いまどういう課題に直面しているのかということを雇用と賃金の2つにしぼって話します。
  まず雇用について、日本は終身雇用だとか雇用保障が厚いと言われ、いまそれが「新自由主義」の立場から批判を浴びています。もっと解雇をやりやすくすべきだという批判です。明治時代に民法ができましたが、その民法の627条には、いつでも雇用解約の申し入れをできると書かれています。元々は、解雇は自由だったのです。今でも民法を見る限りはそうです。しかし、実際には解雇は自由にできません。それは、労働組合が、勝手に経営者が解雇してはいけないというルールをつくってきたからです。
  第二次大戦終結から4、5年経ったときに占領下で、ドッジラインというデフレ政策が行われました。この時期、大企業と言われているトヨタや日産、東芝でも、大規模な人員整理が行われました。労働組合は激しく抵抗して、まさに血を流すような大争議がありました。そういう争議をへて、解雇についてのルールができあがりました。それがやがて労働判例として確立して、整理解雇の四要件といわれるものができました。それは裁判官が頭の中で空想的につくったのではなくて、実際に労使間でつくられてきた解雇についてのルールを判例にしたものです。だれしも、明日の雇用が心配では、今日がんばって働くという気になりません。これはほかの国でもそうです。日本はそういうルールを労使間でつくってきました。
  しかし、いま、新自由主義的な政策論の中で、解雇はもっと自由にすべきだという主張が出ています。労使間で決めたいろんな労働協約があります。しかし、労働契約の個別化が進み、協約でカバーしきれないいろんな個別の契約が出てきています。そういう中で解雇を巡る紛争も増えてきています。労働組合のないところでは解雇を巡る紛争が非常に増えています。去年から労働審判制度が始まりました。私も労働審判員をやっています。そこでも圧倒的に多いのが解雇を巡る紛争です。解雇が不当であるかどうかを考える基本的なルールとなっているのが、これまでの解雇事件の積み重ねで出てきている労働判例です。その労働判例をつくりあげてきたのは労働組合です。こうした働き方のルールを作るという労働組合の役割はこれからも変わらないと思います。経済環境の変化はありますが、働く人たちが安心して働ける、雇用についてのルールをつくる、特に解雇についてのルールをきちんとつくる、それを守らせていくということは労働組合の仕事として今後も重要だと思います。
  数年前まで不良債権処理ということが強く言われました。これが政策目標の優先順位の中で非常に高いものでした。その不良債権処理のもとで、いろんなリストラが行われました。その傷跡はまだ残っていますが、しかしそういうときでも、まったく自由に解雇が行われたのかというと、そうではありません。少なくとも労働組合があるところでは、今のままでの従業員全員を抱え続けていくことはできないという場合でも、解雇という手段をとらずに、出向してもらうとか、別の会社に転籍してもらうとか、摩擦をできるだけ少なくして雇用を削減していくということをやってきました。これまでの労使関係でつくられてきたルールの中でいろんな問題に対応してきました。これらのルールはこれからも大事にしていきたいと思います。
  次は賃金の問題です。みんなが経済的に豊かになっていくことを求めていた時代がずっと続きました。個別企業の労使間で賃金を決めると、どうしても企業の論理の中に埋没してしまう。そこで労働組合が産業別統一闘争という形をつくって、賃金を社会的、横断的なものにして、波及効果をもたらし、相乗効果をはかるという春闘方式をつくってきました。賃金は横並びであって当然です。同業他社と競争しているわけですから、他社より低い賃金でいい人が雇えるわけがありません。少なくとも同業他社に引けを取らない賃金を払いたいというのは経営者としても当然です。働いている側も同じ仕事をしているのに、なぜよその会社よりうちが低いのだと、せめてよその会社並みの賃金を出してほしいと思うのは当然のことです。毎年の春闘を通じて、賃金相場を社会的、横断的に波及させていく仕組みができあがりました。全体として、豊かさを享受できるような形になってきたわけです。しかし、90年代に入って、バブル崩壊後、ベアという形で賃金を一斉に上げていく方法が、だんだん難しくなってきました。それは企業自体の収益が悪化したことや雇用形態の多様化が原因です。成果主義的な賃金制度が入ってきたことも影響しています。
  国民経済の中で、85%の人たちが賃金を得て生活をしている雇用社会の中にあって、雇用された人々の所得がどれだけ増えるかということは、日本経済の動向を見る上でも非常に重要です。いま問題になっていることは、マクロ的に見ても労働分配率が下がっている、株主などのところに分け前が行ってしまっていることです。連合は、労働分配率を是正する必要性をここ数年ずっと主張しています。一昨年よりは昨年の方が、昨年よりは今年の方が、少しずつ改善はされてきていると思います。

浅見:今、「労働分配率」という、少しわかりにくい言葉が出てきました。多少の誤解を恐れずに単純化して言ってしまえば、GDPの何%を労働者がもらって、何%を経営者がもらうかということです。労働者側の取り分がここ数年下がってきているということを逢見さんから指摘していただきました。もしそうならばどうして下がってしまったのか。組合側がこういうふうに対応しておけば良かったということがあるのか、ないのか。あるとすれば今後、マクロ的な労働分配率を挽回するためには、戦略・戦術など、何か変えるべきところがあるのか、ないのかということについて2回目にぜひ答えていただきたいと思います。その点も踏まえて、次に高木先生、お願いできますでしょうか。

高木郁朗:逢見さんの話に非常に大切なことが出てきました。「ルール」という言葉です。アメリカのダンロップという研究者は、労使関係というのは「仕事をめぐるルールの網の目である」と言っています。労働組合は、当然社会システムを人間の幸せの役に立つように変えていくという任務があります。特に、労働組合は、企業や産業の中で、まさに仕事をめぐるルールをつくり上げていく主体です。
  ただ、いま企業の中を見ておりますと、多様性、ダイバーシティ管理が人的資源管理の1つの重要なポイントになっています。これは大変気をつけなければいけない言葉ではないかと思います。確かに人々がどんな幸せを求めるかというのは多様ですから、それに干渉するいわれはまったくありません。しかし、単純に多様性、みんなが希望する通りにやればいい、それぞれ個人が企業との間で契約を結んで働き方を決めていけばいいじゃないかとダイバーシティという論理だけで物事を片付けると、大変なことになります。多様性を通じて、どういう形でみんなが幸せになるかということを、労使関係のルールを決める中で考える必要があります。
  集団的なルールというのは、労働運動史の中でみるとミニマム規制です。つまり最低限のところをしっかりやる、ここから下の落ちこぼれはないというルールをしっかり決めていくことが一番大切です。ウェッブが『産業民主制』という本を書いたときに、産業民主制の2つの要素は、ミニマム規制と団体交渉であると言っています。賃金を考えてみますと、日本では本当の意味でミニマム規制を打ち立ててきたかと言うと非常に疑問があります。これは都道府県で最低賃金を決めるということだけではなくて、いろんなレベル、例えば職務のレベルでも決めていかなくてはならない。日本の労働組合運動はミニマム規制をいろんなところで打ち立てていくことをやって来ませんでした。やって来たことは、標準的な規制です。平均的なところが上がればいいではないか。でも平均点も非常に難しくて、天国と地獄を平均したら地上で、みんな地上に降りてきていいではないかというのですけれど、天国にいる人と地獄にいる人では全然違います。誰もが地獄に堕ちないルール、いろんな理由で地獄に堕ちる人がいるかもしれませんけれども、そういうルールをしっかり決めていくことはとても大切なことです。
  欧米における労働運動の課題を見てみますと、労働時間問題がルール形成の中で非常に重要でした。1919年にILOができたときに第1号条約は労働時間です。8時間労働制をやる。日本の労働組合の課題としては、労働時間のウェイトが少し低かったのではないか。今よくワーク・ライフ・バランスが言われていますが、労働時間の取り上げ方が弱かった。企業内でもそうですし、社会的にもそうです。確かに80年代後半、労働組合が一生懸命労働時間の短縮に取り組んだ時期はあります。しかし、90年代後半、再び労働時間が長くなって二極化していきます。要するに長時間労働の労働者とパート労働者のように身分的な差別を受けた短時間労働者。パートにも短時間とは言えない人たちもたくさんいますが、労働時間の二極化の中で、時間短縮の問題は取り残していったのではないかと思います。ダイバーシティ論のような新しいタイプの課題に労働組合がどう取り組むかということと同時に、労働組合の活動としては、取り残してきたことをもう一度見直して挑戦することが企業の中で大事なことなのです。
  「連合アカデミー・マスターコース」という講座(連合や産業別組合の組合リーダー養成講座)の中で、受講生の一人がホワイトカラー職場とブルーカラー職場を比較して、ブルーカラー職場では労働組合に対する信頼度が高くて、ホワイトカラーの人たちは信頼度が小さいということを書いていました。なぜこのような違いが出るのか一度皆さんにも考えていただきたいと思います。ルールをもう一度きちんと見直すことをホワイトカラーの人たちにも理解してもらう必要があります。労働組合の役割について、皆さんにもぜひ、考えていただきたいと思います。

髙木剛:日本は高度成長の時代を経て、景気のいいとき悪いとき、いろいろ取り混ぜながら、かなり長い期間にわたって経済の成長を続けてきました。そして、雇用に関するいろんなルール、働き方に関する慣行も順次整備されてきました。ところが、1990年代前半にバブルがはじけた後の1995年、当時の日経連が「新時代の日本的経営」という指針を出しました。この年は雇用慣行にとっては非常に節目になる年だったと私は思っています。
  「新時代の日本的経営」の最大のポイントは、これからの企業は、これから申し上げるような雇用のポートフォリオをぜひ組みなさいと指摘したことです。企業が永続性を持つためには、その企業にとってコアを形成する社員群、こういった人たちについては終身雇用とまでいえるかどうかわかりませんが、入社から定年までその企業にかなりの比率で居続けるだろうと思われる長期勤続型の社員というのが1つのグループ(長期蓄積能力活用型)。そして2つ目のグループは、それぞれの専門性は非常に高い、その高い知識なり技術、技能を、そういう仕事に必要なときだけ発揮してもらって働いてもらったらいい。例えばある専門性の高い仕事が向こう3年くらいあるとしたら、その3年間だけその人にその専門性を発揮してもらう。雇用期間が短いのでコストは多少高くてもいいから買おうという、いわゆる専門性に着目した雇用。但しこれは長期勤続の人も出てくるかもしれないけれども、そんなに勤続ファクターを強く意識しないというグループ(高度専門能力活用型)。3つ目のグループは、仕事がたくさんあって忙しいときにはいっぱい働いてもらう、不況等で仕事が減ったらもうその人は働いてもらう必要はない。仕事の量の繁閑によって働いていただく人の量や時間数も非常に柔軟にコントロールする、そういう働き方の人たち。要は忙しいときはたくさん来てくれ、暇になったらすぐクビ切らしてもらうよというグループ(雇用柔軟型)。
  このように、3つの人の使い方を考慮して企業の中で働く人たちを構成しなさいという方針を95年に日経連が出しました。雇用あるいは人の構成に関わるモデルについての指針であったわけです。時あたかもバブルがはじけて、多くの企業が3つの過剰(過剰な借金、過剰な人、過剰な設備)を抱えていました。不景気でそんなにたくさんものをつくらなくても市場の需要は満たせるので、たくさんの設備はいらない。設備を縮小して仕事もないわけですから、人を減らしなさい。それから借金をたくさん抱えていたら始末しなさい。多くの企業はこの3つの過剰を抱える中で、特にリストラと称して、人の削減にほとんどの企業が取り組んだ。そうした取り組みの中で、人数を減らすだけでなくて、1人当たりの単価も下げようとしました。人数が減れば労務費は減りますし、1人当たりの単価を下げても労務費は減ります。その両方を一斉に90年代後半から21世紀初頭にかけてやった。その間に、いわゆる希望退職や早期退職勧奨制度、定年は60歳ですけれども50歳過ぎたらやめてくれませんかと、その代りそれなりに退職金にプレミアムをつけますよといろいろ言いながら雇用を減らしました。
  整理解雇という人減らしも行われました。整理解雇のルールは、人を解雇する経営上の必然性が高いか(人員整理の必要性)、あるいは経営の状況がおかしいのをなんとかがんばって人を減らさなくて済むように相当な努力をしたか(解雇回避努力)、それからもう1つは労働組合ときちんと人を減らすことについての協議をしたか(手続の妥当性)、また、誰から辞めてもらうかについて合理的なルールがあったか(被解雇者選定の合理性)の4つが「整理解雇の四要件」として定着しています。こういった整理解雇がかなりの企業で行われました。グローバル化もどんどん進み、日本からどんどん工場が海外へ出て行きました。
  10人の正社員を、10人の非典型雇用、例えば派遣労働者、請負労働者、パートタイマー等に切り替えますと、労務費はそれだけで4%ぐらい下がると言われており、正社員から非典型雇用への切り替えも、正社員の人減らしと同時に行われました。その過程で言われたのが、成果主義賃金体系の導入でした。成果主義というのは何も今に始まったことではなくて、いつの時代にも、極端に言えば江戸時代の石田梅岩の経営学と言われる時代から成果主義はあるのです。平たくいうと、成果を上げた人に高く報いるというのは人情でもあります。がんばってくれた人をきちっと処遇するというのは当然のことです。しかし、最近の成果主義で、うまくいっている所はあまりありません。なぜうまくいかないのか。人間が働くことによって生み出す成果、高さをどんな物差しで計るのか、その物差しの作り方が大変難しい。もう1つは人が人を評価する場合、同じ物差しで評価しても、物差しの当てはめ方が人によって違うということを通じて、評価される側の納得性がどう得られるのか。納得できないときの苦情処理がどれだけ行われているかどうか。そんな問題がいろいろあるわけです。しかし、多くの企業は、成果をきちんと評価して報いるというよりは、リストラの手段として使いました。その結果、成果主義は多くの企業でまだ根づいていないと思います。

高田:私は主として2年生向けに「市民社会論」という講義を夏学期に行っています。冬学期には、「福祉社会論」と「社会政策史」という授業を行う予定です。専門は社会政策です。社会政策というのは、大きな領域が2つありまして、社会保障や社会福祉といった、一言でいえば生活保障に関わる政策と、もう1つは労働、労使関係、労働組合、あるいは最近でいえばジェンダー問題、そういった社会的な平等に関する問題、この2つの問題を扱います。今日のシンポジウムのテーマは、「労働組合の挑戦」ということになっていますが、労働組合は何に挑戦するのか、というのを私なりにお話してみたいと思います。
  私は、労働組合は「個的社会」に挑戦しているのだと思います。どういう意味かというと、個的社会は10年、15年ぐらい前に初めて姿を現してきた新しい社会だと思います。21世紀を迎え100年に一度ぐらいの大変化をしている社会の中で、個人主義が強くなっています。実際に生活のあり方も、単身者が増えて家族形態が非常に細かくなっています。そういう中で、個人の自由を重んじるような社会をつくっていこうという方向性が個的社会であると思います。しかし、この個的社会というのはいきなり出てきたものではありません。19世紀から20世紀にかけて、この個的社会の前提となった「組織社会」というものが生まれてきます。この組織社会の中でいろいろな問題が認識されます。その1つが社会保障です。つまり貧困問題が発見されて、現在に至る社会保障制度ができた。
  もう1つは、19世紀の終わり頃から資本主義の発展に伴って、会社で働く人、つまり労働者が非常な勢いで増えました。この労働者が自分たちの社会的な地位を高くしていこうとして起きたのが労働運動です。その延長線上に現在の連合もあるわけです。この労働運動に対してどういう政策をとるべきかということは大変大きな摩擦を引き起こしたわけですが、その中で3人のパネラーが個別具体的に紹介してくださったような労使関係制度というのが生まれてきました。この労使関係制度と社会保障制度というのは、どちらも集団的な保障を整備するという点で共通性があります。
  組織社会は、集団的な保障を整備してきた社会、その下でさらにそれをバージョンアップして個人の自由をもっと拡大できるような社会をつくろうと動き始めたのが個的社会、というように私は認識しています。労働組合に対して、あるいは社会保障制度に対してさまざまな批判がされています。最近も年金問題が大きな話題になっていますし、労働組合に対してもいろんな批判があるのは皆さんご承知の通りです。
  高木会長はこうした状況に合わせていろんな所やマスコミにもよく登場されていて、先日は村上龍がキャスターをする番組に登場され、私も拝見しました。そのときに、村上龍は最後のまとめで、「高木さんはがんばっていらっしゃるけれども、労働組合は世の中の最先端ではないのではないか」というコメントをしていたと思います。村上龍は大変好きな作家ですけれども、はなはだ間違った考え方だと思います。最先端でなければどうしていけないのでしょうか。作家は最先端ではないと確かにだめだと思います。昔と同じ作品を書いている作家はくずです。しかし社会というのは、何も最先端のところだけで成り立っているわけではありません。大学、大学院教育というのは最先端かもしれませんが、小学校、中学校教育があって、初めて成り立つものです。労働組合が行っているのは個人の自由を拡大するという最先端の動きをつくり出し支えている舞台を形成して来たものです。それを現在も維持しています。大変地味な活動です。社会保障も大変地味な活動です。私の授業も大変人気がありません。けれども、これは社会を支える大変重要な土台です。先ほども言いましたように、個人の自由は大切ですが、保障があっての話です。保障もないところで、個人の自由が主張されたら、それは19世紀の社会と同じです。飢える自由もあるよという自由になってしまいます。21世紀の個的社会はバージョンアップされた自由でなくてはいけません。
  労働組合はその個的社会の中でどういう挑戦をしていくのか。私が思いますには、生産の場面で、つまり職場での労働組合というのはこれからも賃金、労働条件、雇用といった問題を中心に扱っていく必要があると思います。これは経済の動きと密接に関係していますから、必ずしも外から見て100点満点の活動ができるとは限りません。景気の悪いときに賃金を上げろと言っても無理ですが、今後も労働組合の重要な取り組みであることに変わりはありません。
  労働組合が新しい領域に適応し、労働組合の活動をさらに発展していくためには次のようなことが重要なのではないかと思います。それはひと言で言いますと、労働生活の質を改善するような活動です。現在課題となっている第一は、労働時間の短縮だと思います。これはいろんな意見がありますが私はそう思っています。なぜそうかというのは、実は次のプレゼンテーションのテーマになります非典型雇用の問題とからんできますので、後半でお話しをいたします。

浅見:高田先生のお話に「人気がない」という話がでてきましたが、労働組合は人気がないとだめな部分もあると私は思います。この寄附講義に来て下さったゲスト講師の方々の多くが、組織率の低下を憂慮すべき課題として言及されましたが、人気がなかったら組合に入ってくれません。当然組織率は下がり続けます。村上龍の番組については、連合の高木会長が出演した回について村上氏が書いた編集後記が、その番組のウェブサイトに載っています。この授業のウェブサイトにもリンクが張ってありますので、後でぜひ見て下さい。私は労働組合が先端でなくても末端をしっかり担っていれば、そこそこ人気が出るのではないかと思います。現実はともかくイメージとしては、労働組合は先端だけでなく、末端も最低限も支えていない、ではどこを支えているんだという不満が世の中にあるのだと思います。その不満を解消しなければならないと思います。
最後にほんのひと言、労働組合や連合は何か変えなければいけないところがあるのかないのか。特に正社員に関してです。「基本的にはこれまで通りでいいのだ。労働組合に対する不満が世の中で高まっているのは、誤ったイメージを植え付けられているからで、そうした誤ったイメージを直せばいいのだ」と考えるのか、それともどこかを変えなければいけないのか。変えなければいけないとしたら何をしなければいけないのか。先ほど高木郁朗先生は、これまでは平均を重視してきたけれども、これからはミニマム規制を重視しなければいけないと話されました。これは非常に重要な考え方だと思います。どうしてこれまで日本の労働組合、連合は、平均的規制のほうを重視して、ミニマム規制を重視してこなかったのか。これはただ単に思い至らなかっただけなのか、何か組合、あるいは連合なりの構造的問題があるのか、あるとしたらどこをどう変えれば、これからミニマム規制にもっと取り組むことができるようになるのか。労働時間についてもこれまでどうして重視してこなかったのか。重視するためには、「よし重視しよう」と思いさえすればすぐ重視できるものなのか、この点を変えないとなかなか重視できないというのがあるのかないのか。要するに組合、連合はどこか変わらなければいけないところがあるのかないのか。変わらなければいけないとすれば何をすれば変われるのかということを1人1〜2分で簡潔にお願いしたいと思います。

逢見:変えるべきものと変えてはならないものがあります。今の風潮の中で短期成果指向、あるいは個人間競争を煽る人事制度、そして個人の価値や能力も市場価値で決める、そういう風潮があって、それを積極的に進めようという人たちもいます。しかし、そういう個人間競争を煽る結果が、民主的で、公正で、健全な社会ということをないがしろにしてしまっています。それに対する抵抗勢力として労働組合は、そうではない社会を指向して、いたずらに個人間競争を煽るような社会にはしないという旗を打ち立てていかなければならないと思います。そこが変えてはいけないところです。
変えなければいけないところはもちろんたくさんあると思います。いろんな指摘があって、例えば労働時間短縮の優先順位が低かったのではないかといわれている部分は確かにあります。もちろん労働組合は労働時間の短縮をやってこなかったわけではありません。80年代後半には前川レポートというのがあって、ゆとり豊かさを実感できる社会、これが政府の政策目標にもなったのです。そのために労働組合もずいぶんいろんなことを主張し、実践してきました。しかしそれが途中でどこかに飛んでしまったという感じがあります。そして、国際競争激化、生き残り競争、グローバル社会、そういう言葉の中で働き方のルールもないがしろになってしまっています。そういう部分を取り戻すための再構築策、それは今までのやり方を変えなければならないところもあると思います。
  働き方については、集団規制だけではカバーしきれない問題があります。個別の働き方とルールを合わせていくことが必要だと思います。ミニマム規制についても、最低賃金について取り組んできましたが、ルールそのものを見直してはこなかったために、つまり今の最低賃金法の枠内から出なかったために、1円引き上げるための徹夜交渉みたいなことをやってきました。そのため、最低賃金は国際的に見ても低いままに取り残されてしまいましたが、今それを取り戻すべく、制度の見直しをやっています。セーフティネットについても今までの制度ではカバーしきれない部分があって、生活保護と失業手当の間にいる人たち、そういうところのセーフティネットをつくり直さなければいけないと思っています。時代の状況変化に合わせて、特に弱者といわれている人たち、成長の恩恵にあずかれない人たちがに対して手を差し伸べる、これは労働組合しかできないことだと思います。これらの課題についていろんな対策をしていく必要があると思います。

高木郁朗:中身についてはいろいろ考えるところがあるのですけれど、そういうことをやれる人を労働組合は育てないといけないでしょう。リーダー養成は今の労働組合にとって非常に重要だと思います。高木会長や逢見さんは自分で育ってきたと思うのです。現在は、主体的意識を持って企業の中のことも考えていけるような組合リーダーを意識的に育成することが必要です。労働組合、連合はそれをやってほしいと思います。そうすれば、その中から優秀な幹部が出てくるのではないでしょうか。
  連合アカデミー・マスターコースというのをやっていて、未来の連合の幹部になってもらいたいと思って教育しています。その中で気がつくことは、企業の中のリーダーとして育ってきた人たちは、企業の中のいろんな問題は一所懸命やるけれども、世界や社会とのつながりを十分意識してやっていくという方向にはなかなか行かないということがあり、そのことを心配しています。

髙木剛:批判があるということは、どこか悪いところがあるのでこれは直していかなければならないということだと思います。労働組合の目標は、労働者や組合員の生活と権利を改善することと、日本の社会を民主的かつ健全に発展させていくことの2つだと思っております。
  皆さんご承知のように日本の労働組合は企業別労働組合という組織で、ヨーロッパ・アメリカのような産業別あるいは職種別の労働組合と少し運動の感覚が違います。組合役員が、会社がいろいろ提案したり、やったりすることについて、物わかりが非常に良くなりすぎています。日本の企業の多くでは経営者になる皆さんも若い頃は組合員であり、中には労働組合の役員をやったことのある社長、会長もいっぱいいます。組合役員と経営者の氏素性が一緒なのです。そういう意味では、もっとお互いに切磋琢磨して、おかしいものはおかしいといわなければいけないのだけれど、お互いによくわかりあった振りをして傷を舐め合っている。そういう中では、時には不合理なことがあっても、その抑止力になるエネルギーがなかなか形成されてきていない。お互いの共有のレベルが高いということはいいことですが、共有のレベルの高さにかこつけて本当の意味での切磋琢磨がないというところを非常に心配しています。そうした切磋琢磨をしないと、労働者や組合員の生活と権利の改善は進みません。
  もう1つの目標である日本社会の健全な発展という意味でも、世の中に不公正・不公平、不条理があったら、おかしいものはおかしい、これは直そうというエネルギーを私たちが一番先に発揮して活動していかなければならないと思っています。優しくおとなしく、ものを言わなければ、私たちの考えていることは世の中に浸透していきません。そういう意味では今ちょうど参議院選挙の真っ最中ですが、なぜ私たちが選挙を一所懸命やっているかと言えば、日本の社会を少しでも健全かつ民主的で不条理のない世の中にしたいからです。例えば税金がべらぼうに高いからといって、会社と税金の交渉をやっても会社は回答できません。日本経団連の言うことを聞きすぎたというのが、今回の選挙で自民党が苦戦した最大の原因です。私はそう思っています。 

2.非正規雇用労働者の増加と労働組合

浅見: 先ほど引用した朝日新聞の特集記事の中で、笹森前会長のインタビュー記事が載っていまして、2002年の春闘のさなか、東京都内で開かれた春闘パート集会で、人材育成コンサルタントの辛淑玉さんに言われたコメントについて笹森さんが紹介しています。辛口のコメントで有名な辛淑玉さんからこう言われたそうです。「経営者よりあんたたちのほうが悪い。正社員の組合員こそがパートの労働条件の上にあぐらをかいて経営者以上に搾取している」という辛口のコメントを連合の会長にしたそうです。「あんたたち」っていうのは、もちろん連合やその傘下の正社員中心の労働組合のことです。それに対して笹森会長は、「胸にグサッと刺さりました。だから、派遣社員らの全国ユニオンを反対を押し切って連合に加盟させた」と述べています。この授業でも非正規の組織化が遅れているということがたびたび指摘されました。そこで、これまでに何をやってどの程度成果があったのか、今後さらに進めていくためには何を変えなければいけないのか、非正規労働者として働く人たちのために連合は何をどう変えるべきかについてお話しいただきたいと思います。

逢見:非正規にもいろいろな働き方がありますが、ここではパート労働にしぼってお話したいと思います。パートのための労働法をつくるべきだと私たちが主張し始めたのは1983年、まだ連合ができる前です。全民労協の時代でした。実際にパート労働法ができたのは93年です。10年かかりました。その立法化を推進する力になったのが労働組合です。しかし、出来た法律は非常に曖昧な法律で、パート労働をめぐるトラブルがその後もたくさん起きたのです。経営者の中には、パートには労働基準法が適用されないから年休なんて与えなくて平気だと思っている人もいたくらいです。パートを雇うときに、労働条件などを口約束で示すとトラブルの元になるということで、書面で雇用契約を結ぼう、雇い入れ通知書をつくろうといった書面契約を勧めるルールも、労働組合が主張してできあがってきました。
  パートの人たちにキャリア形成や能力開発の機会を与えることも求めました。会社へ行っても更衣室を使えるのが正社員だけで、パートの人は着替えする場所もないということが以前はありましたが、そういう扱いをすべきではないと、福利厚生の適用も拡大してきました。これはそれぞれの企業別の組合がやってきたことなのです。決して今までパートをないがしろにしてきたわけではありません。ただ全体としてみると正社員中心で、パートの人たちにも少し恩恵をという程度のものでしかなかったことは事実だと思います。
  いまや、1200万人のパートの人たちがいて、産業や業種によっては、パートが働き手の中心になっています。スーパーなど流通のお店に行くと、実際にお店で主力になって働いている人はパートなのです。そういう人たちが職場の中心になっています。労働組合もそこに軸足をおいた活動をしていかなければならないわけです。最近は労働組合の組織構成もだいぶ変わってきています。すでにパートが労働組合の中心的な存在になっている労働組合もあります。政策的に残っている課題は「均等待遇」です。同じ働き方をしていたら同一の処遇をすべきです。しかし、日本では正社員の働き方とパートの働き方には違いがあるとの認識が強く、「均等待遇とは何か」という定義について延々とした議論がありました。今国会でパート労働法が改正されましたが、93年にできた法律を14年かけてようやく改正しました。ただ中身はまだ不十分です。均等待遇原則ということをもっと強化し、パートだからという理由で不当に低い処遇を受けることがあってはならないということを、法律にきちんと明記していきたいと思います。 
  有期雇用で働く労働者も多数います。有期雇用をめぐるトラブルも非常に多いわけです。有期雇用を巡る雇い止めに関するルールは、指針としてはできていますが、立法化されていません。この点についても、やっていかなければならないと思います。
  そして、ワーク・ライフ・バランス。正社員の働き方とパートの働き方が二極化して、片方は長時間労働、片方が時間は短いけれども低賃金という問題を抱えています。このワーク・ライフ・バランスをどのように進めていくか。ようやく政府も少しずつ動き出して、「ワーク・ライフ・バランス憲章」をつくろうというところまできました。これも労働組合が言って、少しずつ変わってきていることです。
  まだ遅々とした動きではあるけれども、これらを実現して今存在する問題を是正していきたいと考えています。正社員しか組織していない組合がたくさんある中で、そういうところには、パートも含めた組織化を進めていきたい。どうしても正社員の企業別組合が受け皿にならないのであれば、地域ユニオンを立ち上げて、問題の相談にのるとか、解決をしていくという活動を連合としてやろうと考えています。

高木郁朗:最近、北九州市で40歳代の男性がいったんは生活保護を受けられたのですけれど、病気が治って働けるじゃないかと北九州市役所から言われて、保護申請を取り下げて、結局働く場所もなくて死んでしまいました。その日記の最後に何が書いてあったかというと、「おにぎりが食べたい」。こういう人たちが日本の社会の中に存在しているのが現実です。たぶん北九州市の窓口の担当者は組合員だったと思います。いったい労働組合は誰を向いているのか。例えば100人の住民のいるところで99人の幸せな人たちと1人の不幸せな人たちがいたとします。労働組合や連合には、この世の中に1人の不幸せな人たちも残さないという基本的な原則をぜひ持ってもらいたいと思うのです。日本の労働組合員の多くを占める大企業の従業員は、よく3分の2社会と言いますが、暮らしぶりのなかでみると、上位3分の2のなかにはいる人が多いといっていいでしょう。その人たちがつくる労働組合が社会の中の本当に困っている人たちに対して、何をやっているのかが見えてこないところに1つ大きな問題があると思います。
  例えば雇用保険や社会保険と生活保護の間に何もないのです。例えば、雇用保険を受給していた人が受給期間の切れた後、今は非常に受給抑制がなされているので、簡単には生活保護の対象になれません。その間にほとんど何もない。この間を補っていくセーフティーネットの仕組みをつくり上げていく努力を社会的にどこまでやってきたかということが連合に問われています。
  それから、誰でも気軽に労働組合に行けば相談にのってくれる役割。OECD調査でいうと、日本は孤独感が非常に高い。いろんな活動の中に、個人として参加していけない人が多いのです。そうした中で、直接組合に入らなくてもちょっと相談にいったらのってくれるというのは、連帯と言いますか、インクルージョン、包摂と言いますか、重要な役割を果たすのだと思います。

髙木剛:どこに問題があるのか。いろんな指摘がされています。全ての問題にアプローチをしてみたい、しなければいけないと思っております。最低賃金の引き上げは今月いっぱいが山場と思って折衝をしています。パート労働法が改正されたけれども、改正が適用される人たちは、全パート労働者のおそらく1〜2%の人たちだけです。いま連合の加盟組合の皆さんには、自分らの職場にもフリーターの人も含めてたくさん非典型の人が一緒に働いているだろうから、そういった人たちにデュアルシステムというか、仕事をしてもらいながら訓練も受けてもらって、その企業の採用のステップに合うようなレベルに来た人はどんどん正規雇用化する努力をしてもらいたいということをお願いしています。また、来年の春闘に向けて、自分らの賃金はほどほどに抑えて、非典型の人たちの労働条件を上げるということができないかという議論を今始めています。
  それから、フリーターの人たちとも話をしていますが、寄る辺がない、何か困ったときにどこに相談したらいいだろうかという悩みを持っている方が多い。10月に連合の大会があるのでそこで提案しようと思っていますが、インターネット上の組合、eユニオンを立ち上げようと検討しています。eユニオンのサービスは共済活動といろんなご相談をお受けすること、とりあえずその2つだけを考えています。過剰なサービス提供をお約束しても結局はできるかというのがありますから、いろんな相談と共済をやります。ソクハイ(バイク便・自転車便の会社)で働いている人たちはみんな請負の労働者です。請負労働者というのは、最低賃金の適用もなければ、事故にあっても労災の適用がない。そういう人たちが事故にあったときどうするか。救済を受けるための仕組みを彼らは何も持っていません。そういう人たちに、最初はまずネットで申し込んでもらって、若干の経費もかかるけれど、企業がもたない分は連合で見ようと思っています。共済は月に500円ぐらいで募集して、そういうチャンネルがあることをみなさんに訴えて、参加をしてもらったらどうかと考えています。
  非典型の労働者はもう3分の1、1740万人といわれています。その中には非常にしんどい方がいっぱいいます。上からものを見ているとなかなかできないと思いますから、目線を低くして、下から現状をきちっと見て、できることから1つひとつ着実にやっていこうと思っています。

高田:私の話は、冬学期に「福祉社会論」という授業でやりますので、基本的にはそちらで聞いていただくことにして、論理も何もすっ飛ばして、簡単に申します。経済構造の変化、サービス経済化が現在、非常な勢いかつ着実に進んでいます。サービス経済化が進みますと、どうしても雇用のあり方は非典型雇用が増えざるを得ない。だから、非典型雇用というのは、単なる経済的な不況期におこってきた問題ではなくて、構造的な問題です。こうした労働生活のあり方に対して、どういう新しい社会をつくるのかということをいろんな面で考えなければいけない。その中で、労働組合が何をしたらいいのか。労働組合の役割とは社会的なニーズというものを掲げてプレッシャーを与えることだと思っています。そのプレッシャーを受けていろんな工夫が出てくるはずです。今具体的に1つだけ少し違った角度の例になりますけど、お話ししたいと思います。私たちの大学院の中に社会人院生がいますが、その1人が環境問題をビジネスにする面白い取り組みをしています。政府の規制が強くなるとますますビジネスができるようになっていくと思います。これは労働組合と直接つながる例ではないのですけれど、そうした社会的な規制を強くしていくことによって、社会のビジネスのあり方も変えて、新しい社会を誘導していくことができると思っています。

浅見:時間となりましたので、これで終了します。皆さんありがとうございました。

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