一橋大学「連合寄付講座」

2007年度“現代労働組合論I”講義録

第4回(5/11)「労働組合とは何か」

「国際労働組合運動の課題と対応」

ゲストスピーカー:中嶋 滋(ILO理事)

自治労への就職からILOへ
  私は1944年生まれですから、皆さんの中に、ひょっとしたら私とほぼ同年齢のおじいさんやおばあさんがいらっしゃる方がいるかも知れません。学生運動の故に1年留年して、大学5年目の途中に、「全日本自治団体労働組合(自治労)」という市役所とか、都庁、県庁、町村役場の職員で作っている労働組合の中央本部に就職をしました。以来、37~38年、ずっと労働運動の中で生活をし、活動してきました。1999年に、連合の常任役員に選出され、2004年からILOの労働側理事を務めています。
  ILOは11ある国連機関の1つです。有名なのは緒方さんが高等弁務官をされていた国連難民高等弁務官事務所とか、UNESCO、UNISEFなどがあります。ILOは他に比べて大変古い歴史を持っています。ILOは、1919年、第一次世界大戦の終戦処理の過程の中で生み出された、国連機関の中でも最も古い組織です。また、三者構成主義というユニークな組織運営原則を持っている他に例のない組織でもあります。
  今日は、ILOがどのような活動をしているか、国際的な労働組合運動がどんな課題にどのように取り組んでいるのか、またそれらが日本の労働組合運動とどのような関係があるのか、日本がそうした運動の中でどのような役割を果たすことを期待されているのか、期待に応えられるような活動ができているのかについて、具体的な事例を紹介しながら皆さんと考えていきたいと思います。

国際労働組合運動の課題
国際労働組合運動は、第二次世界大戦後の東西冷戦構造に影響されてきました。大きく分けて2つの勢力ブロックが存在し、その微妙な関係の中で展開してきたという歴史があります。昨年、それを克服する、つまり対立・競合を克服する新しいインターナショナルな労働組合センター(国際労働組合総連合、ITUC)ができて、新しい局面に入りつつあります。
  その国際労働組合運動が取り組んでいる中心課題は、現在進行しているグローバル化の負の側面をどのように克服していくかという点です。その活動は、ILOでの国際労働基準の採択や尊重・遵守の取り組み、OECD・TUAC(労組諮問委員会)を通じた先進工業国の政策形成への影響力の行使、G8やAPECなど政府間会議レベルの協議内容に注文をつける、そこに政策的な提言を行うなど、ほとんどはグローバル化の負の側面をいかに除去し、克服していくかというところに焦点があてられています。

ディーセント・ワークとは
  国際労働組合運動は、ILOとともに「ディーセント・ワーク」(Decent work)の実現を提唱しています。「ディーセント」という単語の意味は、ぴったりしているとか、適切なというような意味です。卑近な例で言えば、今日私が出かける支度をしていると、妻が「今日はどこへ行くの?」と言い、「今日は一橋でしゃべらないといけない」「この格好でいいかな?」と聞いて、妻が「それでいいんじゃない」というようなときに、英語で言うとディーセントという言葉を使います。要するにぴったりしている、適切であるということです。それでは、ディーセント・ワーク、適切な仕事とはなにかということになります。ILOの定義は「適切な水準の社会保障や賃金・労働条件が確保されていて、社会的に意義のある生産的な労働」です。
  日本政府は、「適切な仕事」と訳しています。連合は「人間尊重の労働」、日本経団連は「人間らしい適切な仕事」と訳して使っています。いま、ディーセント・ワークを政労使の協力によって、日本社会に理解を深めてもらい、定着させていこうという作業が進められています。その作業を進めるにあたって、まず最初にぶつかったのが、この「ディーセント・ワーク」の訳語をどうするかでした。政府は現在開催中の国会で、昨年のILO総会で採択されたもっとも新しい条約である「労働安全衛生のための促進的枠組み」条約を批准しようとしています。恐らくILO加盟国の中で日本が一番早い批准国になるでしょう。今まで日本が一番早く批准をした条約というのはありませんので、今回一番早く批准することは、非常に前向きな取り組みで評価すべきことです。その条約の前文の中に、この「ディーセント・ワーク」という言葉が書かれています。これをどう訳して批准するかが議論になりました。結果として、政府の「適切な労働」という内容的な意味のよくわからない訳があてられました。外国語でつくられた条約を批准する場合、日本語に訳して批准します。ほとんど日本語に置き換えますが、日本社会でポピュラーになっている言葉の場合はカタカナ表記にします。例えばパート労働、これを部分労働なんて訳すと逆に何を言っているかわからなくなりますので、パート労働とします。カタカナで「ディーセント・ワーク」と書いて、説明を求められたらILOが提起している中身を説明する、あるいは「ディーセント・ワーク」の後に括弧を入れて、この中身を書いて、正式な文章に盛り込んでしまうという議論をしました。しかし、内閣法制局が「適切な仕事」でよろしいという判断をして、押し切られてしまったという経過があります。

ILOの三者構成主義
  ILOの「三者構成主義」を理解いただきたくて、このディーセント・ワークの訳語の例を取り上げました。三者構成主義とは政府代表と労働代表、使用者代表、この三者が話し合いをして、多くの場合はぎりぎりの妥協点や一致点を見いだして、物事を決めていくことです。たまに、ぎりぎりの妥協が成り立たない、一致点が見いだせない場合に多数決で決める場合もあります。皆さんが日本の実態をみると、「多数決? それはおそらく政府と使用者が組んで労働側が孤立して、2対1で、必ず労働側が負けているのだろう」とイメージしがちなのですが、国際的実態は必ずしもそうではないのです。労働側と使用者側が一致をして、幾つかの政府や特定の政府グループが労使合意に賛成をして、それが多数になって意思が決まる場合も多々あります。必ず政使が一致をして労が孤立をするというわけではなく、むしろそれは少ない事例といっていいと思います。
  ILOの最高意思決定機関は年1回6月に開かれるILO総会です。各加盟国は政府が2名、労働側が1名、使用者側が1名の合計4名の代表を送ります。4名の代表がそれぞれ1票を持ちます。国際労働基準であるILO条約、ILO勧告は、このILO総会で2回の討議を経て3分の2以上の賛成をもって決定される仕組みになっています。総会で決められたことを具体的に実施していくために理事会があります。理事会は総数が56名、政府の代表が28名、労働代表が14名、使用者代表も14名です。政府代表は10の常任理事国を除いて、18の理事国が政府グループの中から選挙で選ばれます。日本は10大理事国の中に入っています。これは国連の安保理とは違うところです。労働側の14名は、私もその一員ですが、180の加盟国の労働代表が集まって選挙で選びます。使用者側もまったく同じく14名を選びます。この56名の理事会が、年3回の理事会の議論を通じ具体的なILOの運営の責任を負います。

グローバル化の負の側面をどう克服するか
  ILOは2002年に世界の賢人26人を集めて、「グローバル化の社会的側面に関する世界委員会」を設立しました。その委員会が2年間の討議、調査を経て2004年に報告書を出しました。グローバル化を克服するためにはディーセント・ワークを全世界に広め、定着させていく必要があると提言しています。委員の中には、政界、経済界の代表、労働界の代表、学者が入っています。スティグリッツというノーベル経済学賞をとったアメリカの学者で、新自由主義に対して批判的な見解を持って、クリントン政権の経済諮問委員会の委員長をやった方も入っています。日本からは、当時東芝会長でいま東証社長の西室泰三さんが経済界の代表(世界から2名)として入っています。労働側からはアメリカのナショナルセンターAFL-CIOの会長と南アフリカのナショナルセンターの書記長が入っています。理事会では、その世界委員会が出した報告書を、真剣な議論をへて、最終的には全会一致で受け入れました。その報告書の実施に向けた作業部会を全理事の参加によって設置して、理事会のたびに丸一日かけて議論をしています。ILOはDecent work country programをつくります。その元になるNational action plan for decent workという国別の計画は、日本で言えば、連合と経団連と厚生労働省の代表が集まって、日本におけるディーセント・ワークの推進のためにどういう具体的なプログラムが必要かということを議論しています。これを世界各国がやっているということです。
  確かに現在の日本政府のように、新自由主義的政策によって、「格差があっても公正な競争をやれば、かえって全体的な発展につながるからいいのだ」と格差を是認し、その拡大につながるような政策をとる政府は存在しています。しかし、ILO理事会は、それが行き過ぎた結果、社会的不安定さを全世界にもたらし、それが世界の平和に対して非常な脅威になっているととらえています。その行き過ぎをどうするかについて、政労使で協議し、それぞれの国で、あるいは地域で、正しい労働社会あり方を、つまり、それぞれがぎりぎり納得しあえる労働に関する法制度・政策のあり方を追求しようじゃないかという点においては、理事会は完全に一致をしています。

4つの戦略目標とジェンダー平等
  これらの実現のためにILOは4つの戦略的目標を掲げています。1つ目の柱である「雇用の確保」は質的、量的な両面の課題を含みます。2つ目の「中核的労働基準」は4つの分野の8つの条約[(1)結社の自由・団結権と団交権の保護(87号条約・98号条約)、(2)強制労働の禁止(29号条約・105号条約)、(3)児童労働廃絶(138号条約・182号条約)、(4)平等・反差別(100号条約・111号条約)]を尊重、遵守しようということです。3つ目の「社会保護の拡充」と4つ目の「社会対話の促進」、これらが基礎になって初めてディーセント・ワークが実現可能になります。しかもこれらの4つの戦略的な目標のすべてにわたって「ジェンダー平等」の視点がきちんと位置づけられていなければならないことを掲げています。これを含めますと5つの原則といってよいと思います。これを基礎にしたディーセント・ワークの実現について、政府代表でも反対するものはほとんどいません。
  ディーセント・ワークの定義に「人間的な」「人間尊重」という言葉を使うと、それを真っ向から否定する議論は立てがたく、同意が得やすいのですが、具体化するときに、その一致がきしみ出すという実態があります。いまILO総会の議題は、ディーセント・ワークをいかに推進するかという問題意識の下に決定されます。事務局が加盟国の政労使に、この議題についてお宅の国ではどういう状況にあるかを聞きます。それを全部集めて、分析・整理して、国際労働基準の設定につながるような叩き台、議案書をつくります。議題の決定から総会で議論するまで、最低2年かかります。今年3月の理事会で2009年の総会の議題が決定されました。2009年の総会の議題は3つあって、1つはディーセント・ワークの中心としてのジェンダー平等(Gender equality as a heart of decent work)にしました。2つ目は、労働現場におけるHIV/AIDSの問題に関する国別の政策を強化するというILOの取り組み、3つ目は、あらたな人口動態の下における雇用と社会的保護です。この3つに決めるに政労使間で激しいやりとりがありました。労働側の提案で通ったのはジェンダー平等だけでした。これに関しては最後まで使用者側が反対しました。実は2007年にも2008年にも取り上げるべきだと、5年も6年も前から言い続けてきたのですがなかなか通らなくて、最終的に基準設定に直接つながらない一般討議として扱うという妥協の下に、使用者側の賛成を得て、取り上げられました。
  逆に、新しい人口動態の下での雇用と社会保護に関して労働側は反対しました。一般論でいうと、どこの国だって高齢化や少子化の問題があります。そういう環境の下で雇用をどうするか、社会的保護のあり方をどうするかは非常に重要な課題です。しかし、新自由主義的な政府の下にあっては、少子化や高齢化を口実にして、雇用の柔軟化、労働市場の自由化を促進するような議論がILOの権威の下に進められる危険性、可能性があるのでのではないか。社会的保護に関しても、現役の労働者の数が少なくなって1人あたりの負担が多くなるから給付内容を切り下げようということがILOの基準として設定されてしまうと、労働者に対する被害がものすごく大きくなる危険性、可能性が高い。それ故に、敢えてこれを現時点で議題として取り上げるのは反対だというのが労働側の意見です。ところがこれは、使用者側と多くの政府が賛成することによって労働側は孤立して、最終的に押し切られて議題として決められました。

政労使三者構成と日本の場合
  日本の場合、政労使の協議は、他の国と比較してもよくやられている方だと思います。政府の労働条件に関する審議会は公労使の三者構成になっています。公労使の三者構成の審議会で議論をして、その出た結論を尊重しながら具体的な政策がつくられる、法律改正案等がつくられるというプロセスがあります。また、使用者側と労働者側とで日常的に労働政策をめぐる協議を行う環境にあり、日本は政労使の三者協議を他の国に比してもよく行っているといえます。
  最近の事例では、ホワイトカラー・イグゼンプション、ホワイトカラー労働者には労働時間法制を適用しないことを導入しようという動きがあります。これは使用者側の強い要求であったにもかかわらず、労働者側の反対と、政府も使用者側の意見に与しないという形で導入にいまストップがかかっています。また、パートタイマーに対する社会保障の適用があります。現行法制では、フルタイム労働者の労働時間の4分の3を超える(フルタイムを週40時間とすると、30時間を超える)パートタイマーには社会保障を適用するけれども、それ未満の労働時間の労働者には、健康保険や厚生年金など使用者負担を伴う保険の適用はしなくてよいことになっていますが、社会保障が適用されるパートタイマーの範囲を拡大する方向で現在協議が行われています。このように協議の結果、労働者の権利が守られる、あるいは増進されるという例もあります。
  しかし、日本の三者構成は、ILOのいう政労使三者構成とは違います。政労使は文字通り政府の代表と、労働者の代表と使用者の代表ということです。日本の公労使は、学識経験者を公的な立場として、「三者」の中に入れています。肝心の「政」は、事務局という立場で一歩下がっています。ところが事務局が原案をつくって提供するなど、陰に隠れて全体をコントロールする形になっていて、実質的には四者構成です。「政」の影響力が他の三者に対してもきわめて大きいです。事務局の意向を反映する学者や知識人が公的な立場として加わるというケースが多いので、労働側には非常に不利に作用する場合があります。これも非常に大きな問題です。ILOの政労使がグローバルスタンダードだとすると、日本はそれ以下で、4分の1の声しか与えられていないとも言えます。連合は日本的な三者構成に対しては、以前から文字通りの政労使の構成に改正すべきだという主張をしています。ILOからも日本的な三者構成のあり方は、本当の意味での三者構成ではないという指摘がなされています。

日本の積極的な貢献を
  皆さんの先輩にTさんという方がいます。彼は一橋大学卒業後、PSI(Public Services International, 国際公務労連)という公務員組合の国際組織のアジア太平洋地域事務所(シンガポール)に職を得ました。アジア太平洋地域の公務員の賃金、労働条件、政策決定への参画を中心に活動し、その後、PSI本部に移りました。その後、ILO本部の労働者活動局に入り、現在事務局長官房の幹部の一員として活躍しています。
  ILOの分担金は他の国連機関と同様に加盟国のGDPに比例して払うことになっています。第一位はアメリカですが、アメリカだけで分担金の総額の4分の1を超えてしまいます。そのまま拠出するとアメリカの影響力が大きくなりすぎるので、上限が22%に設定されています。日本の分担金は、最近の日本のGDPが下がったので3%減になって、いまは16.6%になっています。2006年までは19.485%でした。分担金の比率から見て、ILOの職員のなかで日本人がいてよい規模は約100人です。ところが実際は30人前後しかいません。分担金比率から考えると、あと60人以上増えてもいいはずです。先ほどのTさんはDirectorとして活躍されていて、我々の大きな力にもなってくれています。この機会に国際機関も自分たちの1つの活躍の場だと関心を持っていただければと思います。
  日本は、ILO条約の批准数からいっても、財政的貢献度も非常に高いものがあるのですが、まだまだ残念ながら十分な役割を果たし切れてはいません。中核的労働基準4分野の8条約のうち105号条約(強制労働の禁止)と111条約(差別の禁止)を日本はまだ批准していません。この二つの条約は非常に重要な条約です。ILO加盟180カ国のうち165の国が批准をしている条約ですが、日本は批准していません。G8やOECD加盟国を見てもこの2つの条約を批准していない国は非常に少ないです。G8の中で、105号に関しては日本とアメリカ、111号に関しては日本だけが批准していないという状況です。期待されるような積極的な役割を果たしているとは言い難いのです。ディーセント・ワークの実現活動を通して、日本も国際社会の中で尊敬を獲ちうるような役割を果たしていかなければなりません。そのためにはまず、日本国内でディーセントな状況を作り上げることが必要です。もう一つはアジアを中心として、各国に日本企業が進出をして活動していますが、その進出先できちんとディーセント・ワークの諸要素が守られた企業活動ができるようにしていかなければならないと思います。

雇用の確保と中核的労働基準の尊重・遵守
  雇用の確保の問題に関しては、企業側は国際競争力の強化と称して、できるだけ労働コストを下げようとしてきました。賃金、労働条件の切り下げ、いわゆるリストラをやりすぎて、今、技術の伝承力とか技術力そのものの低下で、逆に日本の企業の地位が危うくなる状況が出てきました。そこで最近、正社員を拡大しようという動きが出ています。今年の就職戦線を見てみますと、正規雇用の枠がだいぶ広がってきました。初任給の上昇も顕著になってきました。しかし、楽観はできない状況にあります。企画立案をするエリートの労働者、高度な知識技能を必要とする労働者と、そうでない労働者、マニュアルに沿ってルーティンな仕事に従事する大量の労働者との間で、格差が広がりつつあります。ルーティンな仕事をする労働者をより安く確保するために、生産拠点を海外に移す企業がたくさんあります。国境の壁は日ごとに低くなり、薄くなっています。
  例えば、日系のM社のエアコン工場がマレーシアにあります。M1社でマレーシアのGDPの何パーセントを占めているか想像できますか。2%です。マレーシアのGDPの2%を1社で担っているように日系企業は、アジア諸国の中で非常に経済的貢献度が高いです。このM社と韓国企業、中国企業とのエアコンの原価を比較すると、M社はマレーシアでつくって単純原価で1台8500円、韓国企業がメキシコ工場でつくっている同じクラスのエアコンが5500円、中国企業は同じクラスのものを中国国内でつくって3500円。M社はブランド力と技術力を含めたアフターケア、それから宣伝力を持っていますので、3000円の引き下げ、つまり5500円まで下げられれば、3500円の中国のエアコンと国際競争で十分対抗できるといいます。しかし今のままではぜったい太刀打ちできません。会社は、3000円引き下げるために、マレーシア工場を閉じて、中国にその工場を移転する、あるいはベトナムに移転するということを考えました。そうすると1万数千人働いているマレーシアの労働者は完全にお手上げになります。失業してしまいます。マレーシア経済全体に対しても多大なマイナス・インパクトを与えます。
  マレーシアの金属労働組合は連合・電機連合・M社労組との連携の下、きちんと経営内容を情報開示させ、正確なデータのもとで、3000円下げて国際市場の中で十分競争できるのか否かをきちんとデータをつきあわせ、労使協議を進めました。そして賃金体系の改善や作業方法の大転換、希望退職を募って労働者数を減らす(ただし特別の割増退職金を獲ち取った)など、かなりのリストラをやって、最終的にはマレーシアに工場を残して5500円に限りなく近づける、コストを下げるという体制が維持できました。ある意味でwin-winの関係で結論は出ました。こういう形で企業の進出元の労働組合と、進出先の労働組合との提携によって問題に対応して、雇用を守り、賃金・労働条件を基本的に維持することが重要です。しかし、そういう関係がないところでは、中国はもはや賃金が高すぎる状況になったので、ベトナムへ移転する企業も出てきています。繊維産業などではカンボジアやバングラデシュに工場を移転して、中国の労働者も職を失うということが起こっています。もはや雇用・賃金・労働条件は一国内で自己完結的に決まるという環境にはありません。アジア諸国の中でも技術力をそれほど必要としない産業、例えば繊維産業や縫製については、どんどん低賃金、安い法人税、安い土地のところに移動することが顕著になっています。
  一番問題になっているのが、EPZ(輸出加工区)問題です。EというのはExport、PはProcessing、ZはZoneです。このEPZは日本政府の構造改革特区の発想の元になっているものです。政府が特定の地域を「輸出加工区」に指定して、そこでは労働基準や労働安全衛生などの法律を適用除外にします。直接投資でここに工場をつくってくれれば、この地域は、組合結成を禁止しているから面倒くさい労使関係はありませんよ、だから安心して投資してくださいという政策です。途上国の政府がこういう政策を採る場合があります。日本や他の国から投資が行われて、工場ができ、労働者たちが組合を作ろうとすると、現地政府が弾圧をして組合を作らせないという問題が起こっています。国際労働組合運動の中でこれは非常に大きな問題になっています。
  ではこれをどう克服するのか。先ほどのマレーシアの例にも見られるように、そこに労働組合があり、中核的労働基準(4分野の8条約)がきちんと実施をされていれば、劣悪化に歯止めがかけられます。その国の経済状態、社会状態の中で、人並みに暮らせる環境や条件が確保できます。そこで働く人々の声をきちんと集めて反映し、使用者が勝手にクビを切る、賃金・労働条件を劣悪にすると言ったときに、おかしいじゃないか、それは許されないと全体で立ち上がって阻止する力(労働組合)がないと、公平さは担保できません。そのときに重要なのは親会社の労働組合の役割です。自分たちの賃金が良好に維持される、雇用が安定的に確保される、そのためには進出先の労働者が不安定な雇用条件におかれて、賃金・労働状態が悪くなって会社が儲かる、その儲かった部分が自分たちの雇用の安定化と賃金・労働条件の維持改善に使われている、俺たちがよくなるために彼らが犠牲になっても仕方がないという立場に立ってよいのかどうかが問われるわけです。

国内の下請労働者・非正規労働者の雇用・労働条件の改善を
  労働組合の国際連帯というのは、進出先の労働者もまたその国の経済状態、社会状態の中で人間らしく暮らせる条件を確保できるように、一緒に取り組もうということです。それをきちんと自分たちのものにするためには、国内における下請・孫請の労働者に対しても同様な立場をとらなければなりません。いま連合の中では、正規労働者の賃上げを抑制しても、その分を下請・孫請労働者の雇用の安定化、賃金・労働条件の維持改善に回すべきだという春闘を追求しようという議論をスタートしています。悲しいことに、職場におけるいじめの実態とかを見てみますと、正規職員が派遣職員をいじめたり、労働者同士でお互いに雇用形態の違いを理由にして傷つけあうという、悲しい実態があります。そういう状況をどのように克服していくのかといったときに、雇用形態の違いを超えた労働組合のあり方も同時に追求されなければなりません。
  いまの正社員労働組合に、非正規労働者が加入することは非常に難しいです。多くの民間企業では、ユニオンショップ協定を労使で結び、「組合員は正社員をもって構成する」となっています。正社員でないものは組合に入れないということです。正社員の雇用、賃金・労働条件は安定的に確保されるけれども、そのメンバー以外の雇用の安定、賃金・労働条件の改善は非常に難しい実態があります。これをどう克服するかが非常に大きな課題です。

ガラスの天井~ジェンダー・オーディットの実施を
  労働組合では、各種集会や学習会に女性の参加率が高いところが組合組織の強いところだと言われています。ILOは「ジェンダー・オーディット」(Gender Audit、ジェンダー監査)の重要性を指摘しています。それは仕事の中身や組織運営について男女が平等に参画できているかを、尺度を設定して、オーディット(監査)することです。ジェンダー・オーディットの実施を政労使に呼びかけて、かなりのところで実施しています。一橋大学ではどうか、自分が属しているサークルではどうかを考えてみるのも一興かと思います。
  「ガラスの天井」という言葉があります。見えないけれども女性が昇進をするときに頭打ちになることをいいます。表面的には差別なく扱われているようにみえても、よくみてみると、女性はあるところで天井にぶつかっている、という現象です。日本の場合、かなり女性を登用してGender equality(男女平等)を実施していると評価されている企業でも、このガラスの天井問題を克服していない企業が多いです。ごく例外的に、そのガラスの天井を突き破ったかのごとく見える女性の存在を目にします。ところが、その女性はかなり男性化しています。つまり、仕事ぶりや人とのつきあい方に関して、男性と同じようにふるまうことによって、その天井を個人的に突破しているという例はあります。しかし、女性としての特性、いわゆる性差的にいっているわけではなくて、しなやかな感受性や包容力、男が持ち得ない特性、優雅さをもったまま、男中心社会の論理に屈せずガラスの天井を突き破った事例はきわめて少ないのがまだまだ日本の実態です。100号条約、111号条約などの中核的労働基準の尊重・遵守ということからしますと、日本はまだまだという感じがします。

貧困の拡大~社会保護拡充と社会対話の必要性
  子どもを2人もって離婚したシングルマザーは、子どもが2人もいるのでなかなか働くことができません。生活保護を年間いくらもらえると思いますか。児童加算を含めて、年間約250万円です。250万円ならたいしたことないなと思うかもしれません。東京都の最低賃金がいくらかご存じですか。1時間719円です。719円で働いて1年間に250万円稼ぎ出すためには、3500時間以上働かなければなりません。3500時間働くには1日10時間、1日の休みもなく365日働き続けなければなりません。つまり最賃で働いたら、そういう働き方をしなければ獲得できない水準です。連合は今年、最賃を1時間1000円にしようと提案しました。1000円にしても2500時間働く必要があります。女性のパートタイム労働者の平均時給はいくらかというと960円、約1000円です。こうした生活保護と最低賃金の実態をみますと、社会保護という面でも非常に遅れています。給食費未払い生徒が増加している問題もあります。足立区や江東区では全児童の40%に達しているといわれています。児童労働なんて途上国の話で日本は全然関係ない、日本はリッチだとお考えかもしれません。しかし、給食費未払いの児童のおかれている状況というのは、児童労働をせざるを得ない状況の一歩手前です。これ以上格差が拡大・固定化をして、その格差が世代を越えて移行するようになると、日本における児童労働問題というのは現実の問題になります。
  先進工業国30カ国が加入しているOECDは加盟各国の貧困率を出しています。貧困率はその国の平均収入の半分以下で暮らす人々が何%いるかという指標です。OECDの調査によれば、日本は15.3%の人が、平均収入の半分以下で暮らしています。これはワースト5に入っています。アメリカ、メキシコ、アイルランド、トルコ、それから日本の順です。OECD30カ国の平均は10.2%ですから、日本の15.3%というのはかなり高いです。ちなみにデンマークやスウェーデンは5%前後です。この点でも社会保護の必要性はどんどん拡大しています。これをなんとかすることが求められています。「社会対話」はそのために必要です。

海外・アジアとの関係
  先ほどマレーシアの例を挙げました。FTA(自由貿易協定)、EPA(経済連携協定)の拡大、ASEAN+3+3というのは、ASEANと日中韓とインド、オーストラリア、ニュージーランドです。ASEAN+3+3の枠組みで、アジア太平洋地域に1つの自由経済圏を構築する動きが急速に進んでいます。少なくともASEAN+3のレベルでは、2017年までにその実現をはかろうと協議が進められています。その中でEPZ(輸出加工区)問題などが深刻化する懸念があります。それを克服する1つの鍵になるのがOECDの「多国籍企業ガイドライン」とILOの「多国籍企業と社会政策に関する三者宣言」です。とりわけOECDの多国籍企業ガイドラインは、例えば、マレーシアで多国籍企業ガイドラインに違反した事例があった場合に、その企業の母国である日本のナショナル・コンタクト・ポイントに問題を早く解決してくれと問題提起をすることができます。日本のナショナル・コンタクト・ポイントは、提起を受けた場合、実情を調査して、具体的解決策を労使団体と協議して示さなければならない立場におかれます。この事案についてはこういう措置をとったという全プロセスをOECD事務局に、毎年報告しなければなりません。OECD事務局はその報告を受けたら、それを公開するシステムになっています。このガイドラインとナショナル・コンタクト・ポイントの設置によって多国籍企業の行動がかなり規制されている、正しい方向で規制されています。
  Corporate Social Responsibility (CSR、企業の社会的責任)やGlobal Framework Agreement(GFA、グローバル枠組み協定)も重要です。この点では「IKEA」というスウェーデンを母国にする、国際的に展開する家具メーカーの事例があります。船橋や横浜にも大きな店舗があります。IKEAはGFAを「国際建設林産労連(IFBWW)」という国際的な労働組合組織と結びました。「児童労働を使いません。強制労働はもちろん使いません。環境に配慮します。労働組合と人権を尊重します」という協定を結びました。そして、「人権、労働組合権と環境に優しいIKEA」を売り文句にして、ヨーロッパで爆発的な市場拡大を果たしました。つまり、人権、労働組合権、環境に優しくてもそれが企業の負担にはならない、マイナス要素にはならないという生きた証拠です。日本ではこのGFAを結ぶ企業がまだ1つもありませんが、多くなることを望みたいと思います。
  国連が掲げる「ミレニアム開発目標」は、2015年までに貧困の数を半分にするとか、乳幼児死亡率を半分にするとか具体的な8つの目標を掲げて、その目標に対して18のターゲットを設定して、48の指標を使ってそれを達成していこうというものです。
  このミレニアム開発目標の取り組みとディーセント・ワークの取り組みをオーバーラップさせて、UNDP(国連開発計画)とILOとが協力してやっていこうと作業が進められています。去年の8月の末から9月に韓国の釜山で開かれましたILOの第14回地域会議で、アジア太平洋全域でその取り組みを政労使一致してやっていく結論を出しました。その具体的意思がいま日本でも求められています。連合は日本経団連、日本政府と実現に向けた協議をいま進めています。

[補足]
1.ILOにおける3者構成が、総会での代表権、理事会構成で、政府2、労1、使1の割合になっていることは、政府が、ILO条約・勧告に現される国際労働基準の実施に関して、法制度の制定・改革や政策策定・実施について、主な責任を負う立場にあるからである。
2.ILOは誕生の歴史、第二次大戦の経験から、公正な労働の世界の達成をはじめとした社会正義の追求を通じた恒久平和の実現を、組織の存立根拠に据えている。それは、基本文書である[1]ILO憲章、[2]フィラデルフィア宣言に表されている。
3.新自由主義に基づくグローバル化の進展は、「ホット・ウォー」ではないが、途上国のみならず先進工業国でも労働者とその家族に、二度の大戦に匹敵する被害を与えているとして、ILOはその克服を目指し、第三の基本文書「労働における基本原則と権利に関する宣言」(新宣言)を1998年に採択した。ディーセント・ワークは、この宣言を具体的に実現していく運動課題である。

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