労働諸条件の維持・向上に向けた取組み
―直近の春闘における取組みを中心に―
皆さん、こんにちは。基幹労連の伊藤彰英と申します。本日はたくさんお集まりいただいてありがとうございます。
なぜ労働組合に入ったか
私は最初、証券会社に入社いたしました。その後、転職し、現在に至っています。はじめに、なぜ私が労働組合という組織で働くことになったのかについて、話をしたいと思います。
私の証券会社時代はバブルの頃で、とても忙しく仕事していました。当時の証券会社はセブンイレブンと呼ばれていて、朝7時に出社し、証券取引は15時に終わるものの、帰宅するのは毎晩11時頃といった状況でした。また、ノルマも要求される厳しい仕事で、早朝や夜間の営業などもありました。
その分、給料はとても高かったですが、わずか半年のうちに過労と自殺で2名の同期が亡くなりました。私自身は、入社から6年が経ち役職に就いて、同じ職場の女性と結婚しました。当時はどの会社も、夫婦が同じ職場で働けるような風土ではなく、そのことにも疑問を感じていました。
また、その頃から、人の為になることをしたいと思うようになり、証券会社とは正反対の世界でしたが、当時の鉄鋼労連が職員を募集していることを知り、入局して働くことになりました。そして、現在に至っています。
さて、本日の講義のテーマは「春闘」です。私たち労働組合が取り組む春闘や、皆さんの賃金がどのように決まっているのか、あるいは、給料がどのように上がっていくのかなどについて、本日は皆さんにお話したいと思います。
基幹労連とは
はじめに、私が所属する基幹労連について話をしたいと思います。基幹労連が組織している産業は、鉄鋼と造船と非鉄金属です。皆さんには馴染みがないかも知れませんが、これらはかつて、日本を立ち上げた産業でした。昔は鉄鋼会社だけで30万人以上の雇用を創出していましたが、現在では10万人ほどになっています。組合員数が減少する中、2003年9月に鉄鋼労連・造船重機労連・非鉄連合が統合し、基幹労連となりました。英語表記は「Japan Federation of Basic Industry Workers’ Unions」で、基礎的な産業という意味です。
現在の組合員数は約26万人で、連合の中で6番目の組織人員数です。現在の神津連合会長はかつての基幹労連委員長で、連合副会長も基幹労連から輩出しています。規模は大きくありませんが、様々な政策を打ち出している産業別労働組合です。
鉄鋼や造船産業の現場は力仕事がとても多いことなどもあり、女性比率は約10%です。かつては5%ほどでしたが、この数年現場で働く女性も増えてきており、女性用のお風呂や更衣室などを急いで整備している状況です。
基幹労連に加盟している企業は、新日鐵と住友金属が合併した新日鐵住金、日本鋼管と川崎製鉄が合併したJFEスチール、三菱重工、川崎重工、関西では神戸製鋼などです。
産業内ではいつも「ご安全に」と挨拶しています。労働災害が多いことから、今日も安全に家に帰ってください、という意味が込められています。これは、会社の電話の応対などにも使われています。
1.賃金について
賃金の決まり方
次は、本題の賃金について考えてみたいと思います。賃金はどのように決まり、どのように上がっていくのでしょうか。会社に入って最初に受け取る初任給は、20万円や25万円など就職した会社によって様々ですが、それらは相場で決まっています。就職氷河期といわれた頃、大卒初任給は20万円に満たないところもありましたが、現在は労働力不足で、優秀な学生を確保したいということから初任給の相場は上がっています。
そして、毎年給料が上がる定期昇給と呼ばれる仕組みがあります。一般的に給料は、歳をとる毎に上がる年齢給、資格に応じた資格給、仕事に見合った賃金が与えられる仕事給などに区分されています。年齢給と資格給はほぼ毎年上がり、給料の2%程度です。つまり、25万円の大卒初任給だとすると、翌年5,000円上がるということです。
他にも給料が上がるシステムがあり、ひとつは生活関連諸手当です。例えば、扶養手当(家族手当)などがあります。かつては配偶者手当などもありましたが、男女共同参画が進み共働き世帯が増える中、多くの会社でなくなりつつあります。家族手当以外では、住宅手当などがあります。
そして、職務関連諸手当があります。土日に働く代わりに平日休みを取る場合などに支給される手当や、高い場所での仕事に対する高所手当、暑い場所での仕事に対する暑熱手当などです。その他、役職が付いたら支給される役職加算などもあります。
また、歩合給などもありますが、これは良くない面があります。例えばタクシーの運転手を例にあげると、走った分しか給料をもらうことができません。
これら以外に賃金を上げることはできないのかというとそうではなく、賃上げという方法があります。ベースアップと呼んでいて、これは労働組合によって毎年春に行われる取り組みです。
定期昇給とベースアップ
定期昇給とベースアップを図で示しています (図1)。
点線は皆さんが入社した時点で想定される賃金です。29歳から30歳になると賃金がAからBに移行しますが、これが定期昇給で約2%です。ベースアップは、点線のカーブを実線のカーブにシフトさせることで、BからCに移行します。これが、労働組合が取り組んでいる賃上げと呼ばれるものです。現時点でAの賃金が、定期昇給と賃上げによってCの賃金になるのです。このように、賃上げと定期昇給によって毎年賃金は上がるようになっています。
賃金の3大決定要素
さて、賃金の3大決定要素とは何でしょう。1つ目が経済成長の再配分で、2つ目が実質生活の維持です。物価が上がったらその分の賃金を上げてあげないと生活が苦しくなるので、その対応が必要です。それから、3つ目が世間相場です。現在、日本経済は成長しているとは言い難く、実質生活の維持についても、物価が上がらずデフレが続いています。しかし、世間相場については、労働力不足でどの会社も人材を必要としていることから、賃金を上げないと採用できない状況にあります。つまり労働市場の需要と供給によって、現在賃金が上がっているのです。
2.春闘について
春闘の役割と効果
では、賃金を決めている春闘について話をしたいと思います。2~ 4月頃の新聞では、春闘要求や春闘回答額などが盛んに報道されていますが、今やほとんどの労使が春の時期に賃金に関する交渉を行っています。労働組合のある企業が賃金を上げると、労働組合がない企業も同じ時期に取り組むことになり、結果として、多くの企業で4月に新しい賃金が決定します。これは欧米にはない制度です。
欧米では、労働協約改定交渉と呼ばれていて、およそ3年に1回、場合によっては6年に1回といった頻度で交渉を行います。3年間分あるいは6年間分の毎年の上げ幅をまとめて決めているのです。もちろん、春に各社が横並びで交渉することはありません。
なぜ、日本では春の時期に統一的な交渉を行うことになったのでしょうか。春闘は、英語で表記すると「Spring Offensive」です。1955年が春闘の発生した起源だと考えられていて、1960年代後半から70年代前半の高度成長期に定着しました。労使は雇う側と雇われる側ですので、なかなか対等に議論できる機会はありません。そうした中、年に一度、会社の経営状況も含めて労使で議論する場が設けられるようになりました。
春闘では、春の時期に金属産業などの労働組合をパターンセッター(相場づくりの旗振り役)にして、中小企業、未組織労働者、さらには人事院勧告を通じて公務員にまで波及させていきます。
最も重要なことは、それが未組織労働者にも波及するということです。労働組合の組織率は、現在約17%ですが、組織内の労働者だけが恩恵を蒙るのではなく、賃金相場が決まることによって、日本全国の労働組合がない会社も、人材を確保するために賃金を上げていくことになるのです。
かつて、労働者の賃金は毎年着実に上昇していました。(図2)1970年代までは毎年高い割合で賃金が上がっていました。オイルショック時に落ち着いたものの、その後も毎年約5%の割合で上がっていたのです。2000年頃からは長期にわたるデフレで、賃金が上がらなくなりましたが、高度成長期やバブルの頃までは、毎年賃金を上げるシステムとして春闘が有効に機能していました。
そして、春闘の効果として、賃金格差の縮小が挙げられます。春闘を行わないと、マスコミに取り上げられることがなく、他の会社の賃金がいくら上がったのか知ることが話題としてできません。そうすると、中小企業は何を基準にして良いのか分からず、結局賃金は上がらないということになります。春に各社が横並びで交渉することで、その成果が分かるようになり、中小企業は相場を把握して交渉を行うことができるのです。
皆さんが就職しようとする現在は、労働力不足であることから、売り手市場になっていると言われています。高度成長期も売り手市場で、給料はどんどん上がりました。しかし、企業の利益には限界点があり、必要以上の高い給料を払い続けると、会社は立ち行かなくなってしまいます。当時の春闘は、そうした過度なマネーゲームに発展することを抑制する効果もありました。
パート・アルバイトの時給
春闘の結果を元に、パート・アルバイトの賃金を決めるシステムがあります。最低賃金法と呼ばれていて、地域ごとや産業ごとにこの金額以下で働かせてはいけないというルールを決めています。春闘の結果を元に公労使で交渉を行い、昨年の京都であれば、最低賃金として831円が設定されています。一昨年から24円上がっていますが、これは公労使で議論し、最低賃金を24円上げようという目安を決めて、それに沿った金額なのです。最低賃金は都道府県によって異なっており、東京は932円で、京都よりも100円高く設定されています。
この交渉では1円がとても重要で、例えば831円ではなく830円だとすると、皆さんのアルバイトの最低賃金は830円になるでしょう。しかし、831円だと、広告欄では840円で募集する可能性が高まります。1円にこだわることが、10円上がることに繋がっているのです。この最低賃金も労働組合が力を入れて取り組んでいることで、私たちは現在、最低賃金を1000円まで引き上げようと全国的に活動しているところです。
3.春闘情勢の変化と基幹労連の取り組み
過年度物価上昇をもとにしたストライキ戦術
次は、基幹労連の取り組みについて紹介したいと思います。かつて、高度成長期と呼ばれていた頃は、物価が20%上がったとすると、25%の賃上げを勝ち取るまで生産を止めるようなことを行っていました。会社は大きな痛手になることを避けるため、交渉に応じることになります。しかし、日本が機械を止めていると、中国・韓国・台湾からの輸出が増加し、日本製品の市場は縮小してしまいます。こうしたことから、ストライキではなく、労使で話し合って賃金を決めるという方法が採られるようになりました。
個別賃上げ方式の導入
続いては、個別賃上げ方式についてです。これは技術論になりますが、春闘に関する新聞記事を注意深く見てみると、鉄鋼産業では35歳勤続17年の人の賃金を1,000円引き上げると回答しています。一方、自動車産業では、平均的に1,000円引き上げると回答しています。平均的に1,000円引き上げるとした場合、1人ひとりの賃金がいくら上がるのか配分によって決まるため、イメージしにくいのですが、35歳勤続17年の人の賃金を1,000円引き上げるとした場合、その水準を基準に自身の引き上げ分をイメージすることができます。
こうした取り組みを行うようになったきっかけは、1970年代のオイルショックの頃に端を発します。当時の鉄鋼産業の平均年齢が35歳で、電機産業の平均年齢は25歳でした。例えば、パターンセッターである鉄鋼産業が1,000円引き上げると回答し、その次に電機産業が100円上乗せして1,100円引き上げるという回答をしたとします。そうすると、100円の上乗せがあり、かつ、平均年齢が10歳低いので、若い世代の人達は、鉄鋼産業よりも電機産業の方が賃上げの原資が自分たちに多く配分されると受け止めます。こうしたことによって、鉄鋼産業は人材を確保することが難しくなり、賃金も目減りしていくことになりました。
賃金センサス(図3)で当時の鉄鋼産業の平均賃金を見ると、労務構成が高いことから、製造業を100とすると120~125の水準でした。平均年齢が高いことがその主たる要因だったのですが、他産業は、鉄鋼産業に追いつくためもっと賃上げが必要だと考えていたのです。
こうした状況に対応するために考えられたのが、ある年齢の労働者の賃金を基準にした個別賃上げ方式です。基本的な考え方として、当時は子どもが2人いて、会社で一人前と認められるのが35歳頃でしたので、ヨーロッパの35歳の労働者がもらえる賃金を目標に取り組むこととしました。
平均賃上げ方式は、会社から賃上げ原資をいくら引き出し、平均するといくらになるかということです。この方式では、後で配分を決めるため、人によっては賃金が上がらない可能性もあります。
35歳の賃金を決めて、他の年代もそれに見合った配分にしていく個別賃上げ方式は、他産業との差をなくす上で一定の効果がありました。そして、より重要だったのは、生活できる賃金を求める時代から脱却し、ヨーロッパ並みの賃金をめざしていくということでした。現在では、連合でもこの個別賃上げ方式がスタンダードになっています。
経済の整合性を重視した賃金決定
連合は2015年の7月に、15~23歳の若者に対してインターネットアンケートを行いました。15~23歳が対象ですので、高校生や大学生が中心になりますが、給料や賃金に対して、どの程度政治の影響力がありますか、との問いに対して、非常に政治の影響力があると答えた割合が47.3%。まあまあ影響力があると答えた割合が35.2%となりました。あわせて約8割の若者が、賃金は政治で決まっていると認識していたのです。ワーク・ライフ・バランスや働き方改革等の就労環境、物価、治安などよりも、賃金に与える政治の影響力が大きいと捉えられていたのです。
しかし、賃金は自分たちで決めるものです。会社では、労働組合が労働者の声を集約し、労使交渉によって賃金を決めています。政治で決まるのであれば、賃上げに対する労働者の希望や期待はなくなってしまいます。こうしてモチベーションが低下することは、賃上げが実現しないことよりも不幸なことであると感じます。
かつて、鉄鋼労連(基幹労連)は、経済の整合性を重視した賃金決定に取り組みました。 (図2)では、1974年に賃金が30%以上も上昇していますが、その背景として、1973年に第一次オイルショックがあり、石油の値段が高騰し、物価も急上昇していました。私も祖母とトイレットペーパーを買うために並んだことを覚えています。
物価が上がると、労働組合は物価の上昇分を補填できるよう、高い賃上げを要求します。すると、小売店の経営者は、給料が上がったなら、モノの値段を上げても買うだろうと考え、物価はさらに上がります。その結果、先進国で初めてのスタグフレーション(物価が上がる局面で経済成長がマイナスに陥ること)になりました。物価上昇によって、1974年の春闘は32.9%の賃上げでした。給料が1年で3分の1も上がったということです。皆さんの初任給が20万円だとすると、1年で27万円になるのです。通常であればあり得ないことが、当時は起こってしまったのです。しかし、実際の日本経済においては、そこまでの需要はなかったのです。
そうした状況下で、鉄鋼労連は、労働組合の立場からインフレを抑制することを考えました。政府からも、鉄鋼労連の委員長に対して、賃上げが物価に与える影響が大きいので考慮できないかとの要請がありました。鉄鋼労連は当時春闘のパターンセッターであり、鉄鋼労連が賃上げを抑制すると、他の産業にも波及していくからです。
物価上昇よりも低い賃上げを要求することは、組合員のことを考えると大変難しい決断だったと思います。ただ、今後の日本経済を考えると、マイナス成長にも関わらず賃金を上げていくと、破綻してしまうリスクもあります。当時は、物価上昇と賃上げの水掛け論になっていたことから、先ず、春闘の賃上げを抑えようと判断したのです。
当時の労働界からの風当たりは厳しいものだったと聞いています。インフレが進み、32%の賃上げを獲得した翌年に、15%以下に賃上げを抑えようとしているので、反対意見が挙がるのは当然かも知れません。しかし、そうした中で、造船重機労連、電機連合、自動車総連は、鉄鋼労連の考え方に賛同しました。その結果、1975年の春闘は13%台の賃上げとなりました。
経済成長と物価のグラフを見ると、1975年の賃上げ率が極端に低下していることが分かります。この取り組みによって、インフレは回避されました。当時の鉄鋼労連の取り組みは、経済に見合った賃金決定を行っていこうというもので、現在では大変評価されています。
その頃、欧米諸国では、戦闘的な姿勢でストライキを行い、物価上昇に見合った賃上げを求めていました。その結果、失業率が10%を超える状況に陥り、経済が悪化し、長期不況の時代を迎えることになっていました。
さて、現在の日本はデフレですが、官製春闘、政府主導の春闘と言われながら、2014年から2017年にかけて4年連続で賃金が上がりました。政府が経営者に対して、賃上げ要請を行ったことはもちろん影響していますが、労働組合が何もしなかったという訳ではありません。労使交渉は、オイルショック時の労組の対応も含めた過去からの交渉の積み重ねの上で行われています。私たちがかつて取り組んだインフレ抑制に向けた運動がようやく認められ、政府は現在、デフレからの脱却に取り組んでいます。私たちはこうした情勢も追い風にしながら、毎年の賃上げに向けて取り組んでいるところです。
運動の再構築(春闘の再構築)
環境変化への対応ということで、労働組合は春闘以外にもやるべきことがたくさんあります。例えば、少子高齢化が進み、少ない現役社会で高齢者世代を支えていく必要があります。年金をはじめとした社会保障関連の支出は、組合員にも大きな影響があります。
また、労働人口が減少しているということは、企業で働く労働者も減少しているということです。労働組合は、組合員の組合費で成り立っている組織ですので、組合員が減少しているのであれば、労働組合で働く人の数も減らす必要があります。そうなると、ヒト・トキ・カネの効果的な配分が重要になります。
基幹労連は、春闘を2年に1回の取り組みにしました。直近では2016年に春闘交渉を行い、2016年は1,500円、2017年はさらに1,000円の賃上げを行うことを確認・決定しています。
そして、春闘に取り組まない1年をその他の取り組みのために活用しています。特に近年は、大手と中小企業の格差、正規社員と非正規社員との格差などが大きな課題になっており、その是正に向けた取り組みに注力しています。これは、連合が掲げる「底上げ」の考え方とも一致しています。
私たちの産業の場合、1つの工場における本体社員の割合は3割程度です。10,000人の工場であれば3,000人の本体社員しかおらず、残りの7,000人はグループ会社や関連会社の労働者です。つまり、本体社員の賃金を上げても、他の7割の賃金を上げないと生産性は高まりません。そうしたことから、私たちはグループ会社や関連会社の労働者の処遇改善にも努めています。
「賃上げ」から「賃金改善」へ
かつては、「賃上げ」を「ベースアップ」と呼んでいましたが、基幹労連は取り組みを再構築し、「賃金改善」として取り組んでいます。「ベースアップ」は、各社が横並びで同じ水準の金額を勝ち取ろうとすることですが、バブルが崩壊した2000年以降の賃金の3大決定要素(経済成長の再配分、実質生活の維持、世間相場)を見てみると、経済成長はほとんどなく、成熟社会になりました。物価は消費税率が引き上げられた際に少し上昇しましたが基本的にはマイナスで、デフレが続いています。そして、今でこそ労働力不足で売り手市場となっていますが、2000年代初めは史上最高益を更新している優良企業でさえも、3年間賃上げを要求することができませんでした。「賃上げ」はもはや死語になりつつあったのです。
そうした中、物価が上昇していない状況下で賃上げを実施する必要がないという「賃上げ不要論」や、国際競争力を維持・強化するには賃上げをすべきでないという「賃上げ否定論」が経団連から示されました。そして浸透したのが「成果主義」です。「成果主義」と聞くと、自分は実力があるので賃金が上がると思うかも知れませんが、当時の成果主義は、100人いる企業の10人だけ賃金を上げて、90人は下げようというものでした。すると、大半の従業員の給料は下がり、コストも削減されます。
ある企業は、成果主義を導入した結果、従業員がどんどん流出してしまい、慌てて取り戻そうとしたものの、現在も厳しい状況に陥っています。
心ある会社の経営者は賃金を上げたいと考えています。日本経済は成長せず、物価も上がりませんが、会社の従業員のために賃上げを実現したいという思いはあるのです。そうしたことから、基幹労連では、横並びで一律の「賃上げ」を求めるのではなく、中堅層への重点配分など必要な部分に投資を行う「賃金改善」に春闘で取り組むこととしました。会社は中期経営計画の中で、設備投資や研究開発費に関する予算を組んでいますが、私たちは、人に対しても、中期的な視点で投資することを求めています。これが、「賃金改善」の考え方です。
2000年代初めの鉄鋼の賃金は、製造業の平均を100とすると、95近くの水準まで下がっていました。(図4)こうした状況を踏まえて、私たちは当時の労使交渉で、鉄鋼の賃金の水準を、中長期的に100まで回復させる回答を引き出しました。基幹労連の春闘は1,000~ 1,500円の賃上げ回答が続いており、自動車や電機産業と金額だけを比較すると低いですが、「賃金改善」に取り組むことによって、相対的な位置づけを回復しつつあります。
4.当面の課題(定年延長)
これからの課題は定年延長です。年金支給開始年齢は、今後さらに先延ばしになるかも知れません。現在は、60歳定年延長制のケースがほとんどで、私たちは、定年を65歳にしようと取り組んでいるところです。高年齢者雇用安定法では、65歳まで雇用の場を提供することを会社に課しているものの、これは週に1回の労働だとしても、働く場が与えられていたら良いということになっています。週に1回の労働では、賃金が大きく下がってしまいます。ましてや、これから第4次産業革命が起こり、さらに人が要らなくなるのではないかといった話もされています。正社員ではない60歳以上の労働者は、真っ先に人員整理の対象になる可能性があることから、65歳まで定年を延長し、簡単に解雇できないようにする必要があります。これは私たちの世代ではなく、将来世代のために実現させたいと感じています。
5.労働組合の役割
企業別労働組合は、職場の対応が主たる仕事ですが、私たち産業別労働組合は、働く人たちの10年・20年先のビジョンを描きながら、それを実現していくことが仕事だと考えています。65歳までの定年延長が必要とされる背景には、寿命が延びていることや、晩婚化、晩産化が進んでいることなどがあります。若い世代にとって、子育てに費用がかかるピークは60歳ぐらいになると言われています。そうすると、65歳まで安定して給料がもらえる社会にしていく必要があります。
もちろん、賃金や一時金は重要ですが、私が労働組合に入った経緯でもお話ししたように、ゆとりや豊かさを実現することも大切だと感じています。皆さんにも、ゆとりがある豊かな社会人生活を送っていただきたいと思います。
6.受講生の皆様へ
最後に、ブラック企業の見分け方について話しておきたいと思います。
1つ目は、人の入れ替わりが多く、定着率が低い企業です。
2つ目は、内定の際に、労働契約が明示されない企業です。人を雇う時は、初任給や休日、残業などに関する契約を明示することが法律で義務付けられているので、必ず確認するようにしてください。
3つ目は、賃金項目の中にみなし残業手当と書いてある企業です。みなし残業手当は、残業の有無に関わらず定額の手当を支給するというものですが、10時間残業しても100時間残業しても定額です。これは、労働時間が管理されていないので問題です。
4つ目は、モデル年収の幅が広い企業です。年収が300万~700万円で400万円もの差があるのは不自然です。過度な歩合やノルマがあるかも知れませんので注意が必要です。
また、実力主義、成果主義をアピールしている企業や、応募のハードルが非常に低い企業も、よく確認してから応募した方が良いと思います。
企業は若者雇用促進法という法律によって、就職活動生からの要請があれば職場情報を提供することが義務付けられています。これからインターンシップ等に参加される方は、労働時間や休暇、勤続年数などについて是非質問して欲しいと思います。
私の座右の銘は、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」で、これは、かつてのドイツの宰相オットー・ビスマルクの言葉です。人はどうしても、自身の経験だけで物事を判断してしまいがちですが、他者の失敗談やデータの蓄積などから学ぶことはとても大切です。私も先ほど、自身の失敗談を話しました。こうした話も含めて、皆さんの今後に是非活かしていただきたいと思います。ご清聴ありがとうございました。
以 上
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