同志社大学「連合寄付講座」

2009年度「働くということ-現代の労働組合」

第13回(7/10

連合寄付講座「働くということ」の私のまとめ

石田光男 同志社大学社会学部教授

 今日は、連合寄付講座のまとめとして、いくつかの項目についてお話したいと思います。大きな流れとして、まず始めに労働組合とは何なのか、ということについて、その次に、日本の労働組合の苦難とその困難の中で日本の労働組合はどうあるべきなのか、ということについてお話ししようと思います。

1.労働組合とは

1-1.労働組合とは何なのか
  労働組合とは何なのかについて書かれている本で一冊をあげろと言われれば、私は、ウェッブ夫妻の『産業民主制論』をあげます。ウェッブ夫妻はこの本の中で労働者の心を「慣習的消費水準への固執」という風に述べています。これは物凄く単純なことでありまして、例えば昨日までご飯を毎晩二膳食べていたのなら、今日も明日も二膳食べられるような生活ができる賃金水準を維持したいということですね。つまり、労働者は、今までの生活水準を維持したいと願う、ということです。
  ですから、労働組合がなくても、労働者のこの性質によって、賃金水準はある程度は標準的な水準で維持されるというのがウェッブ夫妻の観察です。ただ、こうして作られる基準は、すごく曖昧なものだとも同時に述べています 。労働者個々人の性質に基づいていては、水準を明確に規定することができない、というのがウェッブ夫妻の観察であります。また、一度この水準が崩れ、賃金が低下すると、元の水準に戻らなくなる傾向があるとも、ウェッブ夫妻は述べています。そして、この欠陥を補う組織が、労働組合なのだ、とウェッブ夫妻は述べるわけです。
  労働組合が、慣習的生活水準を維持できるような賃金水準を、経営者と話し合い、きちんとしたルールとして定める。これこそが、労働組合の大きな役割なのであります。だから、労働組合とは少しも大それた存在ではないのです。ここが重要な点です。労働組合とは、生活水準を安定的に維持しようとするための素朴な組織なのです。

1-2.労働組合の経済的効果
  労働組合が上のような目的を持った組織であるとして、労働組合は経済の効率性を阻害するのではないか、という疑問が必ず投げかけられます。例えば労働組合が労働者の賃金をあげすぎると、その産業はつぶれてしまうのではないか、というような主張が必ずあります。こうした疑問に対してウェッブ夫妻はどのように答えているのでしょうか。要約すると、「競争を賃金から製品の品質に促す」ということが、ウェッブ夫妻の主張です。賃金を下げて競争力をつけるのではなく、製品の品質や生産性をあげることによって競争力をつけていくように、経営を仕向ける。こういう効果を労働組合は、国民経済にもたらすとウェッブは述べています。
  また、労働組合によって、労働者自身も自らの能力をあげるように刺激される、ともウェッブは言います。なぜなら、賃金がある程度高い水準でしかも一定ならば、経営側は少しでも優秀な労働者を採用しようとします。そうすると、労働者側も採用されるために、能力を上げなければならなくなるからです。さらに、ここがウェッブ夫妻の勇気ある点ではないかと個人的に思っているのですが、ウェッブ夫妻は、労働組合があることによって無能な雇い主の排除が進むとも述べています。組合と雇い主との間できめるルールの下で、会社を倒産させてしまう雇い主は、品質や生産性の向上ができないわけですから、無能である。こうウェッブは断言しています。
  このように、労働組合の存在によって、効率性の向上も促されるというのが、ウェッブ夫妻の主張であります。もちろん、今のグローバル競争の中でこの主張で良いのかどうかは、議論の残るところだと思います。ただ、ウェッブ夫妻の主張には今の時代においても耳を傾けるべき部分もあるのではないでしょうか。

2.日本の苦難の根拠
  視点を日本に移しましょう。日本の労働組合が直面している苦悩を理解する必要があります。

2-1.各国で異なるルール形成の仕組み
  労働組合にとって日本は、大変苦しい世界であります。皆さんもご存じのように産業関係学とは雇用に関するルールの研究なのですが、各国は、それぞれ異なった方法でルールを形成しています。例えば、日本では賃金は個別企業で決まっています。ところが、海外を見てみると、産業で決まっている国もあるのです。ここに日本の苦悩があります。何が日本の労働組合にとって苦難のもとになっているのでしょうか。

2-2.日本の賃金の個別化、海外の集団化
  日本では賃金は一人一人違うものだ、ということが当たり前になっています。知っておいて欲しいことは、ドイツ、スウェーデン、イギリス、アメリカなどの労働者にとっては、このことは当たり前ではないということです。日本の労働者だけが、賃金が個人個人で異なるということを、当たり前のことと思っているのです。ここが重要なことです。日本において、働く人が高い賃金を得ようとすれば、まず彼らが考えることは、上司から良い評価を受けたい、ということであります。労働組合に「賃金を高くしてくれ」、と頼みには行きません。
  何故でしょうか。賃金が個別化しているからです。スウェーデンやドイツは違います。こうした国々では、自分の賃金を上げるために、労働者は労働組合へ頼みに行きます。この点は、日本と大きく異なる点です。そして、この賃金の個別化こそが、日本の労働組合の苦難の根拠なわけであります。このような、労働組合にとって厳しい環境の中で、日本の労働組合はどうしたら良いのでしょうか。

3.労働組合に課されている使命
  ここにきて、様々な問題が、出始めています。格差の拡大や、働き過ぎの問題などは、皆さんも良くご存じのところだと思います。いま、日本の労使関係のルール形成能力が問われています。

3-1.これからの日本がよるべき思想
  自由、平等、博愛という言葉があります。私は、この思想を長い間正しいと思っていました。しかし、この思想はよくよく考えるとおかしな点があることに気付きます。自由は行き過ぎると放埓になります。平等は行き過ぎると画一になります。博愛は、偽善になる可能性もあります。だから、私達は、自由・平等・博愛が、放埓・画一・偽善に陥らないようにするために、自由に対しては規制を、平等に対しては格差を、博愛には競合を置く必要があるのです。しかし、規制をやりすぎると抑圧になります。格差をつけすぎると差別になり、競合を推し進めすぎると、酷薄になります。では、どうするべきなのか。自由と規制のバランスをとり、秩序を生みださなくてはなりません。平等と格差のバランスをとることで、公正な社会を作らなければなりません。博愛と競合のバランスをとることで、活力ある社会にしていかなくてはなりません。この秩序・公正・活力ある職場や社会を、ルール形成を通じて作っていくのが、労働組合に課せられた主要な任務なのです。

3-2.ルール形成能力における日本の強みとは
  とはいえ、日本は労働組合にとって非常に厳しい社会であります。しかし、日本の社会が少し歪んできているのも事実であります。だからこそ、それを正すために、秩序・公正・活力という視点に基づいた新しいルールを作らなければなりません。そうしたルールを形成する能力は、日本にあるのでしょうか。このことに関する私の考えは、目の覚めるようなものではなく、非常に地味なものです。これまで培ってきた日本の良さの延長線上にのみ、微かに日本のルール形成能力が宿っているかもしれない、これが、私の考えです。ただ、このことを理知的に認識する必要があります。このことをこれからお話します。
①労使の信頼関係を大切にする
  これは、2005年に私が行ったGMの調査を経て強く感じるようになったことです。GMには労使の「話し合い」というような風土はありません。しかし、日本では、労使の「話し合い」という風土は、ごく自然なものとして受け入れられてきました。この一見すると平凡なことが、実は非凡であるということを、つまり、日本の話し合いに基づく労使関係の強みというものを、私達は認識しなければなりません。
②競争の中でこそ生まれるルール形成能力
  企業は、今グローバル競争の真っただ中にあります。確かに、派遣社員を禁止し、全員を正社員にするなどの言葉は、言葉として非常に美しいものであります。しかし、今の経営環境の中で、合意がとれるでしょうか。とれません。ですから、競争の中で、バランスをどう取るのか、という危なっかしい道を積極果敢に進んでいくしかないのです。そして、労働組合はそれを担う当事者にならなければなりません。このことを私は強く主張したいのです。
③日本の強みを活かす
  これからの日本が、新たなルールを形成していくために、具体的にどのような取り組みを行っていくべきなのでしょうか。時間の関係上、二つのことを述べたいと思います。第一に、経営管理者層の部門間及び部門内部での「熟慮に基づく討議の時間をしっかりと確保し、それをルールに落とし込んでいくこと」が何よりも大切なことです。これは、労働組合とは直接関係のないことですが、日本にとって重要なことです。今、経営にとって重要なことは、新しいビジネスモデルを構築することです。これができなければ雇用も危なくなります。このビジネスモデルは、外部のコンサルタントが作ってくれるようなものではありません。企業内で熟慮に基づく討議を通じて作っていく他ないものなのです。
  第二に、労使協議制の内容を大胆に拡大して深めていく必要があります。これからの日本は、経営方針や経営計画、部門目標とその重点、について丁寧に論じ合うようにしていかなければなりません。何故このことが重要なのでしょうか。さきほど、日本は、賃金を上げるためには上司の評価を得なければならないということを述べました。つまり、日本の賃金は、上司と部下の関係によって決定されていることになります。そうであるならば、この上司と部下の関係は一体何によって規定されているのかを考えなければなりません。これを規定しているものが経営計画であり部門目標なのです。だから、労働組合は、この経営計画や部門目標についてしっかりと理解し、おかしいと思うことはおかしいと言わなくてはなりません。
  そして、この討議において、単に目標のレベルといったことだけではなく、その目標を達成するために必要な労働時間などについても話し合っていく必要があります。経営が示す利益目標に対して、それはどのくらいの残業を想定した目標なのか等のことを、労働組合は経営としっかりと議論する必要があるのではないでしょうか。このように、経営計画や部門目標に対してしっかりと経営側と話し合いを行うことが、個別化という風土の中で労働組合が存在感を示すための一つの方法だと思うのです。私は、日本のように話し合いに基づく文化のある国では、このことは可能なことだと信じております。
  「失われた10年」を経巡って、調整型資本主義の再構築の手腕が問われる時節に日本はさしかかっています。新たなルールをどうやって構築していくのか、今が正念場なのです。

おわりに
  ぜひ学生の皆様には、有能な経営者になって欲しいと思っております。産業民主主義の大切さを理解し、働く人個々人を大切にしたルールの設計と運用ができるような人になって欲しいと願っております。冒頭に、これからの労働組合はどうするべきなのかということをお話ししたいと言いました。その答えを出すのは、皆さんです。今日はどうもありがとうございました。

以上

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