同志社大学「連合寄付講座」

2009年度「働くということ-現代の労働組合」

第1回(4/10

働く者たちの「いま」と「将来」~直面する課題と労働組合の役割

ゲストスピーカー:草野忠義 教育文化協会理事長
コーディネーター:石田光男 同志社大学教授
当日配布資料

Ⅰ.寄付講座開設の目的
 本講義は、連合の関係団体である教育文化協会の活動の一環で、寄付講座として開設された講義です。
 この講義の目的は、第一線で活躍する労働組合役員の方々から実体験に即した話をうかがい、それを素材にして「働く現場では今、何が起きているのか、何が問題なのか」、それらの問題に対して「労働組合はどう取り組んでいるのか」などについて自分で考える力を培ってもらうことです。
 われわれが社会問題に直面した際の落とし穴は、解決策を性急に求めてしまい、問題の現状把握が疎かになってしまうことです。問題を直視し、いかに考えるかが、問題の本質的理解にとって重要です。全14回の講義を通じて、社会問題をしっかりと考えられる力を身につけてもらいたいと思います。

Ⅱ.対談:働く者たちの「いま」と「将来」~直面する課題と
※1回目の講義のテーマは、『働く者たちの「いま」と「将来」』である。「労働とは何か」、「昔と今で、働き方がどう違うのか」、そして最後に「働く者の将来」について、石田教授と草野理事長が対談する形式で講義が展開された。以下は、草野理事長が語られた内容の要約である。

1.「働くということ」とは?
 私が大学を卒業して日産自動車に入社したのは1966年です。私は九州の出身で、東京の大学に入学したのですが、大学を卒業したら就職し、収入を得て生活していくというのが一般的なコースでした。やはり食べていくということが人間として必要なことですから、働くということの目的は、生活の糧を稼ぐということがひとつの要素としてあると思います。
 それから考えたのは、「自分はどういう仕事に向いているのか」ということです。父親からは、生活が安定しているので、「銀行にいけ」「役人になれ」、母親からは「商社にいけ」と言われました。しかし、私は漠然とではありますが、役人には絶対なりたくない、常に机に座っている仕事は自分に向いていないと思っていました。「では、お前は何をやりたいのか」といわれれば、やはり「ものづくり」をやりたいということで、自動車会社を選んだのです。
 そして、自動車会社に入って「何をやりたいか」という思いは、実は私の中にありました。私が大学生の頃、ある先生の経営学の講義の素晴らしさに触れて、将来、「人事・労務をやりたい」という思いがありました。入社後の配属面接を受けた時、私は希望部署について「人事・労務」と書き、人事部に配属されることになりました。
 要は、「何を自分がやりたいのか」を早く見つけることです。そのためには、いろんな人の話しを聞くことが大事だと思います。そして、仕事をしているうちに、これは誰のためになっているのか、自分が働くということは社会にどれだけの貢献ができているのか、ということを、常に考えるようになると思うのです。
 このように、自分の好きな「ものづくり」の会社に入って「人事マン」になる生き方を選んだのですが、結局、労働運動一筋の生き方をしてきました。では、「なぜ労働運動一筋だったのだ」と訊かれることが多いのですが、「虐げられている人びとを助けるために、誰かが犠牲にならなければいけない」とう気持ちが全くなかったと言えば語弊がありますが、そんな格好の良い動機ではなかったです。これについては、また後で触れたいと思います。

2.戦後の労働運動と労働組合
 第二次世界大戦が終わった後、GHQは、日本の民主化をはかる一環として労働組合設立を奨励しました。しかし、1950年には朝鮮戦争が起こり、冷戦構造が激しくなっていくなかで、GHQの方針が転換し、労働運動を抑圧することになったわけです。
 こうしたなか、各所でものすごい労働争議が発生しますが、なかでも1953年の日産自動車の争議は特に激しく、「100日間闘争」と呼ばれています。その時の労働争議は、「会社は潰れても、組織(組合)は残る」という運動でした。私たちはこれを「政治闘争至上主義」と呼んでいましたが、まさに100日間闘争という泥沼の闘争、血みどろの闘いに入っていくわけです。
 このような状況の中、「このままでは駄目だ」ということで最初は十数人で新しい組合をつくっていくのですが、これがまたたく間に拡がり、新しい組合の旗揚げ時には601人にまで拡大し、その後いわゆる「第二組合」が圧倒的な勢力になっていくわけです。この新しい日産労組は、その後、いろんないきさつもありますが、「労使でお互いに話し合いをする」「労使がお互いの立場を尊重する」という、それまでとは全く違った新しい労働組合運動や労使関係をつくっていきます。

3.組合役員に就任した経緯
 先輩から「お前、組合の役員をやらないか」と言われた時、正直言ってものすごく悩みました。会社に入ったときは、「偉くなりたい」「社長は無理でも、役員ぐらいにはなれるのではないか」と思っていました。組合の役員をやるなんてまったく考えてもいません。しかも、私は会社に入るに当たって、人事・労務を選んだのですが、当時の日産の組合は、人事・労務から組合役員として出ると、最低10年、下手をすると定年まで組合専従というケースが多かったので、余計に考えました。私は夜も眠れないくらい悩みました。最終的には役員を引き受けることになったのですが、その要因は二つです。
 ひとつは、先輩に「お前しかいない」といわれたことです。そして、もうひとつは、人事・労務に関わることです。「自分が人事・労務をやりたいと思ったのは、なぜだったのか」ということを考えました。そこで、「会社の人事・労務も組合も、従業員の働きやすい環境をつくるなど、同じことをやっているではないか。見る立場が、経営側か労働者側かの違いだけだ。よし、ここは10年、我慢しよう」と思ったのです。前の年に結婚したばかりの妻に、「組合役員になるけれど、我慢してくれ」と伝え、決断したのです。しかし、組合役員をやっているうちに、組合活動がものすごく面白くなりました。 
 以上が組合役員に就任したときの経緯で、決して格好の良い動機で引き受けたわけではないのです。しかし、やっているうちに、組合が取り組んでいる内容が非常に幅広いことがわかり、とても面白くなりました。
 私は、最初はいわゆる企業別の単位組合である日産自動車の組合に所属していました。そして10年目から、労働運動の中央(連合の前身でもある政推会議、その後全民労協)で仕事をすることになり、そこで視野が広がりました。その時、教えを受けたのが連合の初代事務局長である山田精吾という方です。学歴は中卒ですが、ものすごく勉強して政府の臨時行政調査会の委員に就任するなど、すごい人で、労働運動の伝説上の人物です。この方の下で、私は視野が一段と広がり、会社に戻ることは考えなくなり、労働運動は天職だと考えるようになりました。
 先ほどの「働くということ」のなかで、働くことをとおして、「どんな形でもいいから人の役に立ちたい」という思いが必要だと述べました。そして、「その思いがここだったら実現できるのではないか」と思ったことが、労働組合の役員になり、それがずっと今日まで続いてきたことの一番大きな背景ではないかと思います。

4.「働くということ」と新たな貧困層
 1995年に日経連が「新時代の日本的経営』」というレポートを出しました。この中で日経連は、3つの働き方、すなわち従業員を3つのパターンに分けています。雇用の柔軟性という言葉を使って、①長期的に会社にいてもらって、将来、会社のリーダーになってもらう層、②専門的な技術を生かして必要な時だけ働いてもらう層、③今で言う臨時工とかパートタイマー、という3つの働き方で企業経営をおこなっていこうという提言が出されました。この提言で示されたことが、どんどん浸透してきています。
 この考え方の背景にあるのは、やはり1989年のベルリンの壁の崩壊が一番大きな引き金になっていると思うのです。ソ連邦が解体をされ、東欧諸国が市場経済に入り込んできたわけです。そこからまさに低賃金労働で勝負をするという時代になってきました。こうしたグローバリズムとか、グローバル化と言われている中で、日本の経営者においても、できるだけ賃金の安い人、そして不況になった時に何時でもクビにできるような人たちを雇いたいという思いが強まっています。それが、1995年の日経連のレポートに反映されているのです。
 非正規労働者の数は働く人達の約3分の1を占めているということですから、約1700万人がそういう状況になっています。そして、ワーキングプアという言葉がありますが、年収200万円以下の人達が、約1200万人いるといわれています。こういうことが今、大きな流れの中で出てきています。
 それでは労働組合は何をやってきたのかということです。いろいろ抵抗はしてきましたが、力不足で十分な抵抗ができませんでした。これは労働運動としては大いに反省しなければならないのですが、そういう流れを作ってきた基本的な考え方はどこにあったのか、ということを、もう一度みんなで考える必要があるのではないかと思います。
 例えば、小泉元首相、竹中元経済財政担当相が規制緩和を進めてきたことも、この流れを作っています。その結果、食べていけない層が増えています。国際基督教大学の八代教授などの新自由主義の人たちは、「給料が安くても失業するよりはましで、職が増えたのだからいいではないか」というのですが、私にしてみれば、それは違うのではないかと思います。ナショナル・ミニマム、セーフティネットというものを、どうしていくかということを考えなければいけないと思います。
 そういう流れのなかで、少し揺り戻しがきています。しかし、この揺り戻しも気をつけなければいけないと思います。昔に戻ればいいということではないだろうと考えます。これから先の日本の家族や働き方のあり方などについて、もっと深い議論を政治の場でやってもらわなければなりません。単にバラマキをやればいいということではないはずです。いま、大きな分かれ目に来ている、と思います。かつて日本は一億総中流と言われたのが、今、その言葉が全く消えてしまっています。アメリカもかつて中流が中心だったのですが、その中流がものの見事に、富裕層と貧困層に分けられてしまいました。こういう社会は決して長続きするものではないし、人間としての幸せな生活を送るという面で、マイナスにしか働かないと思います。こういう議論をもっとしていく必要があるし、これから日本を支えていく皆さん方には、そういうことについての勉強を是非していただきたいと思います。

5 働く者の将来のために、労働組合は今、何が必要なのか?
 働く者の明るい将来を開くためには、労働組合は、いま何が必要かという石田先生からの問いかけですが、いま何ができるかは非常に難しいのですけれども、先ほどお話しした「新自由主義は間違いではないか」ということを言い続けることが必要です。
 現代社会の誤りは、商品にしてはいけないものを商品にしたことにあると考えています。その一つは、「労働」です。ILOの「フィラデルフィア宣言」は、「労働は商品でない」と主張していますが、新自由主義の下で、労働は「いかに安く利用するか」という、商品のような扱いをされてしまっています。
 労働組合は一貫してこれに反対を言い続けてきましたが、労働の商品化を阻止できませんでした。では、どうすればいいかというと、やはり政治の世界が物事を決めるわけですから、政治の世界をかえていかなければなりません。10年後、20年後に自分たちや自分たちの子供たちの生活はどうなっていくかということについて、きちんと答えを出すのが政治の仕事だろうと思います。ですから、政治の場で提言していくことを通じて、政策を変えていくことが必要です。
 そして政治のあり方、経営側の対応をどうチェックをし、その間違っているところをどう正していくかが労働組合の仕事だと思うのです。そういう意味では労働組合も頑張らないといけないし、18.1%という組織率をあげていかなければなりません。当面の目標は組織率を少なくとも25%、就業者の4分の1が組合員であることを実現することであり、これを超えると組合の発する意見が政治の場に、より反映されるようになると思っています。
 もうひとつの課題は少子高齢化です。これからは、人口は減っていくので、皆さんが社会の中堅になった時は非常に大変だろうと思います。今日、女子学生の方もたくさんおられますけど、やはり子どもを産んで育てたいという思いは、おそらく多くの女性の方は持っておられると思うのです。しかし、きちんと働きながらそれができるシステムになっているかどうか、これが世に言うワーク・ライフ・バランスです。ワーク・ライフ・バランスが、女性の問題だと思ったら大間違いです。男性の働き方を変えないと、ワーク・ライフ・バランスは実現できないのです。だから男性・女性両方の働き方を見直すということです。ここをこれから取り組んでいって、少しでも人口が増えるようにしていかなければいけないと思います。
 ご存知の通り、労働力人口は1997年から減ってきています。人口が減って、世界で日本が太刀打ちしていくためには、ヒューマンパワーのシグマ(総和)を増やさなければならないと考えています。人口が減り、非正規労働者が約3分の1になっています。その人達を教育し、その人達の能力が上がらないということになると、ヒューマンパワーのシグマは減ってしまうわけです。これを上げるためにどうするかということを、労働組合が、経営が、という問題ではなく、日本全体で考えていかなくてはいけないと思います。

 そのときに、私が言いたいのは「合成の誤謬」をどう考えるかです。「合成の誤謬」とは、一つひとつは間違っていなくても、それを全部合わせてみたら、全体としては間違っていたという意味です。経営者が非正規労働者を使えばコストが安い、いつでもクビを切れる、わが社にとってはいい、と言っていることが、結果として日本全体をダメにしている。つまり、合成の誤謬を生み出すわけです。ヒューマンパワーのシグマの増加がきちんと達成されれば、日本の未来は決して暗いものにはならないと思います。

以上

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