JIL「労働組合の現状と展望に関する研究」(53)


職業キャリアをどう支援するか


諏訪康雄
法政大学社会学部教授
B5判/68頁 2003年6月 (社)教育文化協会発行 無料配布


 日本労働研究機構(JIL)は、1994年1月に「労働組合の現状と展望に関する研究会」(略称:ビジョン研)を設置し、1996年8月以降、順次、その研究成果を刊行してきております。
(社)教育文化協会はこのたび、日本労働研究機構のご厚意によりビジョン研の研究成果を当協会の会員各位に頒布させていただくことになりました。ご尽力を賜りました皆様方には、この場をお借りいたしまして厚く御礼申し上げます。
本書には、ビジョン研の2002年12月6日報告(2003年5月刊行)を収録しました。どうぞご活用ください。


報告概要
1. 日本での職業キャリアに関する意識

 日本でキャリアの問題が強く意識され始めたのは、1990年代、バブルがはじけた後で、それまではキャリアガイダンスという進路指導の観点から取り組んでいる人はいたが、その数は限られ視野も非常に狭かった。
日本青少年研究所が1994年に行った、高校生と家族に関する調査の中にある米国と日本の父子の会話内容の比較をみると、日本ではテレビやスポーツの話はアメリカよりしているが、人生をどう生きるべきか、将来の職業などに関してはあまり話していない。このような親と子の会話が学校教育におけるキャリア教育の欠如と並んで子供たちに職業キャリアを遠いものにさせているのではないか。
将来、どんな仕事につきたいのかを高校2年生の男女に聞いたリクルートの調査では、男子は1位国家公務員、2位地方公務員、3位アナウンサー/リポーター、女子は、女優、心理カウンセラー、歌手、モデルという結果だった。ひどく限られた情報の中で、安定した職業、または、社会的にかっこいい職業に就こうと考えている。
総理府(現・総務省)が行った世論調査の1999年版の中にある、生涯学習について具体的に何をしたかという質問では、趣味的なものや健康・スポーツが多く、職業上必要な知識、技能を勉強した人は全体の約4%に過ぎない。個人的なキャリア戦略を持って、そのための勉強を自主的にしないのは大人も同様であり、子供の勉強離れも、自らのキャリアが見えず何をやっていいかわからないという側面があるからだろう。
厚生労働省が三和総合研究所に委託して行った調査で、個人主体のキャリア設計をやるべきかどうか尋ねたところ、個々の従業員より企業のほうが意欲的だった。大人も子供も自分の職業キャリアを自らデザインしていこうとするより、寄りかかれる大樹の陰に入ることを考える。将来を自分自身でどうにかしようという考えは弱い。


2. キャリア形成の戦略主体の違いによる2つのタイプ

(1) 組織決定型
   組織決定型は日本だけの特徴ではなく、20世紀の組織の時代には欧米でもあった。責任の主体は使用者にあり、新卒を中心に採用して雇用は保障するが、組織におさまりがいいような人材、差し替えのきく部品になる金太郎飴的な人材養成を行う。一般的なキャリア準備、基礎教育は、学校や家庭、あるいは地域教育の役割だが、一般的職業教育や特殊的職業教育は、使用者が配慮して電話のかけ方やあいさつの仕方などさえ教育する。職種、配置は使用者が組織全体を最適化するように決定する。昇給・昇格も内部市場での勤続に依存する。処遇、労働条件は、日本の場合、就業規則等によって画一的に決定する。会社をやめるひとがあまりいないので競業避止や秘密遵守策などは特に意識する必要はない。労働者はともかく賃金をもらっていれば仕事につくことを具体的に請求できないという考え方が強く、就労請求権は必要性があまり意識されない。国家によるキャリア展開に対する支援政策は企業向けの助成金などにとどまる。環境変化への対応は使用者が組織戦略として行っていく。

(2) 個人決定型
   組織決定型の方向をひっくり返したのが個人決定型で、アメリカなどがそれに近いと言われる。責任主体は個人にある。企業は職業能力を保持している人、即戦力を採用する。雇用期間は短期、中期が中心となる。したがって雇用保障は最優先事項ではなくキャリアの保障こそが重要になる。キャリア形態は専門職が中心になる。一般的基礎能力は学校・家庭・地域教育など個人が主体となって決定し、一般的職業教育、汎用技能も個々人の責任が基本になる。ただし、個々の企業ごとの特殊な職業教育は企業ごとに行う必要がある。職種決定は個々の労働者がイニシアチブをとりむしろ使用者がそれに同意する。労働者の主体的希望を無視して配置転換することは原則できない。昇給・昇格は専門的能力の評価に依存し、処遇の決定は労働契約による個別決定が基本で、条件変更も個別処理が前面に出てくる。競業避止や秘密遵守は、特殊教育をした人が企業を移るときに、他社に漏れては困ることがあると適切な対応策がとられる。キャリア形成と展開の空白を作らないため就労請求権は非常に重要になる。苦情処理は、個々人ごとにキャリア展開の違いがあるので個別的処理が前面に出る。キャリア支援策は基本的に個人中心で一貫する。ただし、環境変化への対応責任も個々人にかかってくるので、もし自分のキャリアが袋小路に入っても、他人のせいにはできない。

3. これから必要なキャリア支援策

 日本でのキャリア支援は、これまでもっぱら組織決定型を念頭に置いて行われてきており、個々の労働者に対する支援は1990年代後半になってようやく教育訓練給付金という制度が出来たが、最近の雇用保険財政の逼迫を受け、縮小して目前の失業者対策を優先すべきだと言う声が出てきた。日本では個々人のキャリアに対する配慮は安定した雇用が失われていく状況の前では後回しになってしまう。
これからのキャリア展開は、従来の組織決定型から自己決定型に少しずつ軸足が移っていく。若い人の間で資格志向が高まっていることもその流れの一環だと思う。高学歴化し、豊かになった社会の中で人々は自己実現を求め、職業キャリアも包摂する、より大きなライフキャリアの希求も高まり、その核をなす職業キャリアに多くの人が意識的になってきている。第2次産業中心の20世紀型から第3次産業中心の21世紀型の雇用に移っていくと、新たなタイプの職業キャリアの展開が問われていくという観点からキャリア準備から展開、収束期へ向けて
一貫した政策を考えるべきではないか。ただし、キャリアの主導権を個人がとることは、選択の自由が広がると同時に責任が重くなる。そこでこのリスクを軽減するための措置が必要になるが、スウェーデンなどのように奨学金を若い人だけではなく中高年にも出し、職業再訓練を受けられるようにする。キャリアカウンセラーなどキャリアに関する専門家がアドバイスできるようになることも重要だ。
多くの人は組織に属しており、企業側から見た労働者のキャリア形成のあり方を無視するわけにはいかないが、これからは個人の主体性をより配慮していく必要がある。金銭面、時間面、両方の配慮が必要になる。
労働市場全体のあり方がキャリア決定に大きく関係している。内部労働市場型で、しかも外部との遮断性が高い場合には、個人決定といっても絵にかいたモチになりかねない。また、外部労働市場での転職を繰り返す欧米でも35歳から40歳ぐらいになると、年金年齢になるまで安定的に働き続ける選択をすると言われる。

4. 個人決定型キャリアへどのようにして移っていくか

 組織中心型から個人のキャリア尊重に移っていく経過期間はどのようにしたらよいか。次の3点が大きな焦点と考えられる。
第1点目は、生涯教育という視点で捉えると、学校教育とリカレント・エデュケーションを一貫して捉えることが必要だ。
2つ目は、組織決定型から個人主体尊重型に具体的にどうやって移っていくか。
個人決定型キャリアへ移行しようとしている多くの企業は従来の制度をやめて直ちに新制度に移行しようとしているが、組織決定型から個人決定型に移ったり、また戻ったりしながらだんだんと全体の傾向として移行していくようになるのではないだろうか。
3点目は、中小企業の労働者は必ずしも長期雇用ではなく組織の安定性も弱い。
思い切ったキャリア戦略を立てて個人を支援していく必要があるが、現在は十分でない。その意味では中小企業だけでなく若者に対する具体的支援も弱い。

5. 「キャリア権」を支える法的根拠

 キャリアを中心とした政策を行うには、その根拠となる法的な機軸が必要になってくる。例えば、組織が決定するキャリアは、人事権という企業側の権限を根拠として存在してきた。それに対して労働者のキャリアを支えるのは個々人の「キャリア権」で、当然このキャリア権と人事権の間の調整も必要になる。そのために、個々人の労働者のキャリアを支える「キャリア権」という概念をできるだけ早く実定法化していく必要がある。
まず憲法27条第1項の労働権は、各人に労働が行き渡るようにすることを保障した権利で、非常に量的な側面が強いが、今のように成熟した社会では個人主体に考えると質的な側面が全面に出てくる。その質的要素は、憲法13条の個人としての主体性を尊重する、あるいは幸福追求権で、それが職業キャリアでは労働権と結びついてキャリア権になると思う。
また、憲法22条は職業選択の自由を与えているが、これによる自分の能力、適性、意欲、希望、夢などを反映して職業選択をしていく自由がキャリア権の基底になるだろう。
キャリア権は自分自身の営業をしていくような側面があり、自己投資が必要になる。憲法26条の教育権は国が教え育てるという考え方だが、憲法学者は個人が持つ学習権、これを国が支援するという意味に読みかえる必要があると言っている。これらの権利を雇用政策法に織り込み、キャリア権が労働者のよって立つ権利で、労働法はそれがよりよく発揮できるようにする法体系であると位置づけて労働政策をつくっていく。いずれにしても、組織と個人との間のキャリアの相剋は続いていくだろうが、個人に主体性を持たせ尊重していかなければ、企業や社会の活力が出ないし、若者も夢を持てないのではないだろうか。


目 次

報告概要

1. 日本での職業キャリアに関する意識
2. キャリア形成の戦略主体の違いによる2つのタイプ
3. これから必要なキャリア支援策
4. 個人決定型キャリアへどのようにして移っていくか
5. 「キャリア権」を支える法的根拠



報 告

1. 日本での職業キャリアに関する意識
2. キャリア形成の戦略主体の違いによる2つのタイプ
3. 公的なキャリア支援の変遷
4. これから必要なキャリア支援策
5. 個人決定型キャリアへどのようにして移っていくか
6. 「キャリア権」を支える法的根拠
7. 夢につながる職業キャリアの追求



討議概要

1. キャリア権が実定法化された場合、権利はどこまで認められるのか
2. 学習する権利としてのキャリア権と、就労する権利としてのキャリア権はどう繋がっているのか
3. キャリア権はだれがどのようにして守るのか


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