JIL「労働組合の現状と展望に関する研究」(48)




自動車・合併再編と労使関係

小田一幸
マツダ労働組合委員長

B5判/38頁 2002年7月 (社)教育文化協会発行 無料配布


 日本労働研究機構(JIL)は、1994年1月に「労働組合の現状と展望に関する研究会」(略称:ビジョン研)を設置し、1996年8月以降、順次、その研究成果を刊行してきております。
(社)教育文化協会はこのたび、日本労働研究機構(高梨昌会長、花見忠研究所長)のご厚意により、ビジョン研の研究成果を当協会の会員各位に頒布させていただくことになりました。ご尽力を賜りました皆様方には、この場をお借りしまして厚く御礼申し上げます。
本書には、ビジョン研の2001年11月19日報告(2002年6月刊行)を収録しました。どうぞご活用ください。

報告概要


1. マツダについて
1) マツダ・マツダ労組の概要
   マツダ株式会社は広島県に所在し自動車及び同部品の製造・販売をしている。前身となる東洋コルク工業(株)が1920年に創業、1927年に東洋工業(株)へ、1984年にマツダ(株)へ社名変更し現在に至る。資本金は、1,200億7805万円で、代表取締役社長はフォード出身のマーク・フィールズ(3代目)である。従業員数は20,320人(2001年10月現在)である。
マツダ労働組合は、1921年東洋工業従業員組合として結成1949年に東洋工業労働組合へ、1984年にマツダ労働組合へ改称し現在にいたっている。組合員数は、19,062人(2001年10月現在)である。
マツダ労組の組織体制の特徴は組合員が広島に集中、防府とも距離的にも近く支部制をひかない一極制(但し、防府には執行委員4名が常駐)である。執行部全体、全組合員を巻き込んで取り組みやすい・認識共有化を図りやすい組織体制・規模である。
2) マツダの歩み
   1958年に小型4輪トラック(ロンパー)を発売しトラック事業に参入した。以降、1960年の軽乗用車(R360)を皮切りに乗用車事業にも乗り出し、4輪車事業を本格化した。1967年には世界初のロータリーエンジン搭載車「コスモスポーツ」を発表、モータリゼーションの波にも乗り、順調に業績を伸ばした。
1973年の第1次オイルショックにより、看板車種のロータリー車が販売不振に陥り、経営危機が表面化した。1974年に住友銀行や財界から経営者を受け入れ、再建を開始した。1975年に170億円の赤字転落、1982年まで続く、延べ1万7千人のセールス出向がスタートした。1979年には、フォードとの資本提携25%が成立した。
その後、1981年には大ヒットしたファミリアがカー・オブ・ザ・イヤーを受賞、1982年に防府工場を稼動するなど、1980年代前半は順調に業績を伸ばした。1980年代後半は円高の影響により一時業績が低迷したものの、1987年には米国フラットロック工場(MMUC)を稼動、国内5チャンネル販売体制をスタートする等、拡大路線がとられた。
1990年代前半、バブル崩壊により再び業績不振から経営危機へ陥り、1994年~1995年の経営状況は連続赤字であった。1996年にフォードとの資本提携強化を発表、フォード派遣経営トップの下で経営の合理化を開始した。その後、円安や小型車デミオの大ヒットにより一旦は業績回復した。(1998年~1999年)
2000年11月、円高と販売不振により中間期において業績を大幅下方修正した。同時に、経営合理化計画を含む中期経営計画ミレニアムプランを発表、2001年3期は退職給付債務の一括償還を実施したこともあり、過去最悪となる単独1,200億円超の赤字を計上した。現在、ミレニアムプランの達成をめざし、現在2002年3期の連結ブレークイーブンに向けて取り組み中である。
3) フォードとの関係の歴史
  1960年代半ぱ~1970年代初
   1960年代半ば、1971年の資本自由化を前に当時の通産省主導のもとで国内自動車メーかの再編が進行した。そのなかで、マツダは1969年からフォードと提携を念頭に置いた接触を開始したが、出資比率で両者の折り合いがつかず、1972年に交渉は決裂した。
マツダからフォードヘの製品供給の面では関係が親密になった。1971年から小型ピックアップ(クーリエ)を開発・供給した。トランスミッション事業において、1969年に日産を加えた3社で自動変速機メーカー(現ジャトコ)を設立した。
  1979年に25%資本提携~1980年代
   1977年から再度、フォードとの接触を開始、1978年にヘンリーフォードIIらが来日、翌1979年7月合意した。提携は、輸出依存が高い東洋工業が独立独歩では、1980年代は乗り切れないとの経営判断によるものであった。内容は「東洋工業の経営自主性を尊重し、経営権をフォード社が握らない」とされ、焦点となった出資比率は両者主張の半ばをとる形で25%で決着した。
1980年代アジア地域への乗用車、商用車の供給が拡大した。1979年にアジア地域向け商用車ボンゴ・タイタン、1980年にアジア地域向け乗用車ファミリアを供給開始した。ユニットでも1980年に4速MTX、1982年に乗用車用AT、1986年に乗用車用ディーゼルエンジンを供給開始した。ノックダウン生産でも1986年に台湾・福特大和へのレーザー/トレーサー用、メキシコフォードヘのトレーサー用、韓国・起亜産業へのフェスティバ用をそれぞれ供給開始した。
  戦略的協力関係発表と1996年の出資比率33.4%
   バブルが崩壊した1991年以降、この頃マツダはフォードと新たな関係設立のため交渉を開始、1993年12月に戦略的協力関係を発表した。更に1996年にはフォードとの資本提携強化で出資比率が33.4%となり、フォードグループの一員になった。現在まで3人のフォード派遣経営トップを受け入れた。
2. マツダ再建に向けた組合の取り組み
   フォードとの関係は東洋工業・マツダの経営状況が悪化する度に深化した。フォードとの歴史は経営再建の歴史であり、雇用の安定を目指す組合の取り組みの歴史でもある。
1) フォードとの提携下における労使関係
  提携に対する組合の評価
   最初の1979年提携時、「強力な経営基盤の確立と労働諸条件の向上、雇用の安定の道につながる」という組合見解を表明した。労働組合との関係においては、近代的労使関係、事前協議制、労働条件、それぞれの維持について組合から会社へ申し入れをおこなった。会社も経営の自主性は損なわれないため労使関係は変わらず、との見解を表明した。
1996年の提携強化時、4月12日の公表にあわせ会社から組合に「関係強化により今後は、商品開発・製造・販売など全域における両者の戦略を調整。マツダは従来通り明確なアイデンティティを維持。両社の関係はそれぞれの利益向上を目指すもので、どちらにも犠牲をもたらすものではない」との説明がなされた。
これを受け組合は「これを契機に厳しい状況を切り抜けていくものと受け止める。社長交替があっても労使関係は不変、今後も会社との協議や交渉は是々非々で対応」との見解を表明、事態を冷静に受け止め、生き残り・雇用確保に向けて前向きに評価した。
なお、フォードグループの中で現在のマツダは微妙な位置付けである。マツダはあくまで外部のパートナーと位置付けられる(=フォードから切られる可能性もあり)と組合は認識している。すなわち、フォード内の一部門・ブランドである100%出資のジャガーやボルボとは異なる立場であり、更に、中小型車を得意とするマツダは、欧州フォードの商品セグメントとバッティングし、フォードグループ内でも競合関係である。
  労使関係について
   全てが上手くいっていたわけではないが、全般的に良好である。組合の基本的なスタンスは「期待」と「警戒」、相反するようだが、我々マツダ労組にとってどちらも欠くことはできない。
期待について:戦略的提携関係の強化と(フォード派遣役員を迎えた)新しい経営陣に対しては、素早い決断と精力的な遂行による、一日も早い業績回復を期待している。
警戒について:働くものに一方的にしわ寄せを求めるような施策や、これまで築いてきたマツダの労使関係を壊すことがないよう警戒している。市場経済万能主義・グローバルスタンダード・連結重視・格付けが注目を集めた時期には、財務偏重の政策となり、組合も「警戒」をより前面に出さざるを得ず、一時は労使関係がギクシャクした。
現在、月1回の労使トップのミーティングを実施する等、コミュニケーションを密にした良好な関係を堅持している。
2) フォード関連海外労組との連携
   今年も米国UAW Local3000(フラットロック AA1 工場)、欧州フォード・ケルン労組(欧州フォードの開発拠点)との懇談を実施し、情勢等の情報交換だけでなく、フォードの海外各拠点に駐在するマツダ組合員のケアもお願いした。外資と提携関係にある我々にとって、海外関連労組との連携は国内での自動車総連各労組との連携と共に重要である。
・反面、互いの利害も絡む。例えばフォードとのクロスプロダクション、マツダからフォード工場へ単なる生産移行を行えば、日本(広島・山口)での生産は減少することになる。国内生産(雇用)を確保した上で、+aで海外現地生産を行わなければ、我々は「イエス」とは言えない。既にフォードのスペイン・バレンシア工場での現地生産が公表されているが、ミレニアムプランで国内生産が確保されていることを確認した。
3) 経営対策活動の強化
 
マツダ労組で行っている経営対策活動は、経営トップに伝わりにくい・伝わらない情報、現場の第一線の情報を基に、組合の視点で加工・分析しての提言(状況に対処する方向性の提案・リスクヘの警鐘等)をおこなっている。
経営対策活動はマツダ労組単組にとどまらず、上部団体であるマツダ労連でも精力的に推進している。販売会社・サプライヤー・輸送等マツダグループの中核企業労組(メーカー労組)として、グループ全体の経営対策活動にも労連と連携を取りながら注力している。
会社からの提案に対しては、協力すべきは前向きに協力するが、組合員にとって良しと判断できなければ受け入れず、あくまで是々非々での対応をしている。
とくに会社の危機的な状況のもとでは、生産への協力は積極的におこなっている。
4) 経営合理化計画/早期退職優遇特別プランヘの対応
 
2000年11月17日、大幅な適期下方修正を行う中間決算の発表にあわせ、会社は早期退職優遇特別プランを含む経営合理化計画を発表し、労使協議会の席上で組合に早期退職優遇特別プランの申し入れをおこなった。
会社の申し入れに対し、組合は、臨時の労使協議会で早期退職のプランだけではなく、マツダの将来を示すミレニアムプランまで含めて論議した。組合は、ミレニアムプラン全体に対しては、従来から組合が求めてきたマツダの将来の方向性が示された内容であり、また、組合に応えたフィールズ社長の姿勢も前向きに評価した。早期退職優遇特別プランについては、こうした状況に至った経営責任は揺るぎ難いものの、これを受けざるを得ない会社の状況、ここで決断しなければ更に深刻な状況に陥る危険性(企業存続に関わる=全体の雇用を失う)から、組合として受け入れる苦渋の決断をせざるを得なかった。
早期退職優遇制度に基づく退職者募集には、2月19日の募集初日、予定の1800人を超える応募があり開始と同時に締め切った。2113名の応募が受理された。組合としても当初約束通り先着順の処理であり、これに同意した。
3月末、プラン応募者が退職、退職者の再就職状況は組合として現在もフォーロー中である。
会社のミレニアムプランをチェック・フォローすることが組合としての責任であるとの認識のもと、まず、人員減となった各部門のリエンジニアリングの実施について全部門単位の労使協議会を開催し、「人員減を単なる業務負荷増にすることは許されない。業務プロセスを変革するリエンジニアリングを進めること」がプラン受け入れの条件のひとつであることを表明した。
部門の労使協議会に先立ち、トップミーティングの場で「生意気なようだが、社長になり代わって各部門のリエンジニアリングをチェックする」と申し伝えた。
9月からの新年度スタートにあたっては、ミレニアムプラン達成に向けた今年1年間の重点活動を定期大会で決定した。職場の不安は、昨年までは将来の方向性が見えないことへの不安だったが、現在は示された将来=ミレニアムプランの実現に対する不安へと変化し、自動車メーカーの基本となる開発・生産・販売の部分に焦点を当て、職場の不安を払拭することに注力する活動を現在、推進中である。
  組合リエンジニアリング
 
早期退職プランの受け入れに端を発する組合自身の取り組みとして、組合自身のリエンジニアリングを実施した。
今年9月からの組合新年度開始にあわせ、組合費料率の削減、執行役員削減など財政面・組織体制面でのリエンジニアリングを実施した。
3. 「マツダ21世紀労使共同宣言」の締結
  1986年の「マツダ労使宣言」
 
オイルショックでのセールス出向を経て、事前協議・徹底した話し合いをベースとする労使関係への移行と、労使協調の精神の確認。労使互いが協力し合うことで、苦難を乗り切れることを確認し、闘争の時代から労使協調時代への転換を宣言したものである。
  成長と発展への決意を込めた今回の宣言
 
2001年3月、早期退職優遇特別プランの応募者が退職し、新生マツダとしてスタートをきった。共同宣言では、将来に向けた労使の決意、“(雇用に関わるような事態は)二度と繰り返さない、そうならない優れた業績の会社になる”を組合員(全従業員)に表明した。宣言の実現のためには、相互信頼に基づく強固な労使関係が重要であり、何者にも替え難い無形の財産である。
良好な労使関係は何にでもOKすると言う意味ではない。馴れ合いではなく、互いが緊張感をもって切磋琢磨しながら目標達成に邁進するもので、良いことには積極的に組合も協力、ダメなものにはノーを明確に意思表示する。
  内外の反応
 
宣言は、定期大会で決定し、大会の場で労使調印した。大会では代議員から「この宣言の内容に沿って、労使協力して早期の実現を期待する。組合員だけでなく幹部社員まで含めた全社員に認識してもらいたい」との意見もあった。マスコミも多数来場、終了後の記者会見では「会社の言いなりということか」「雇用に手をつけない約束を取り付けたということか」等々、興味本位の質問もあった。
4. 「マツダ車ありがとうキャンペーン」
 
地元広島・山口を中心とした販売拡大策「マツダ車ありがとうキャンペーン」を実施中である。
ほぼ時を同じくして、社員紹介販売とその意識付けを中心とした社内向けキャンペーンの会社提案があった。トップミーティングで組合も販売拡大提案を行い、労使一体による活動をおこなっている。費用(総額約1億円)も労使で折半。
紹介販売は目標(3月までに5000台成約)に向けて、順調に推移している。

 

目 次

報告概要

1. マツダについて
2. マツダ再建に向けた組合の取り組み
3. 「マツダ21世紀労使共同宣言」の締結
4. マツダ車ありがとうキャンペーン



報 告

1. マツダについて
2. マツダ再建に向けた組合の取り組み
3. 「マツダ21世紀労使共同宣言」の締結
4. マツダ車ありがとうキャンペーン



討議概要

1. 外資系メーカーとの資本提携、日本メーカーの海外現地生産に対する自動車総連の考え方
2. マツダに残った社員の精神的なダメージとそれに対するフォローについて
3. 組合は、経営悪化の原因をどう考えるか。また、フォードとの提携後4年たつが、経営が回復していないことはどう考えるか。
4. 中間管理職の対応


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