ものがたり戦後労働運動史4

残された謎?高野の変身

 総同盟の総主事として組合民主化運動をすすめて総評の結成に大きな役割を果たし、その2代目事務局長となった高野は、国際面での方針を数年のあいだに、GHQとの提携と国際自由労連加盟→第3勢力論→中国を中心とした社会主義諸国との接近、というかたちで大きく変化させた。この総評運動のあり方にも大きな影響を与えた。この変化は何を契機におきたのかがここでのナゾである。
もともと高野は、労農派の学者でありながらコミンテルンに親近感をもっていた猪俣津南雄を師としていたという素地があり、また「民族」を重視した1951(昭・26)年の共産党綱領を支持していたが、それは直接の契機を示すものとはいえない。ここでは当時、高野の近くにいた清水慎三の証言をふえんして、直接の契機を1953(昭・28)年はじめのラングーン(現在のヤンゴン)でのアジア社会党会議への参加にもとめている。
清水によれば、高野はラングーン会議への参加を左社からもとめられて躊躇していたが、ラングーンへ行けば中国共産党と接触できるかもしれないといってすすめたら乗り気になったという。帰国後どうだったと聞くと、「薄笑いしただけで何も答えなかった。」というわけで真相はヤミのなかである。


戻る