金沢 紀和子(日本労働組合総連合会)
戦後長らく、個別労働紛争については、特段の仕組みはなく、通常の民事裁判によって解決をはかるしかない状況が続いた。使用者との関係で経済的に非対称な労働者にとっては、民事裁判の利用は時間と費用の点で非常に重いものだった。90年代に入るとバブル経済の崩壊等による経済状況の変化、従業員の価値観や雇用・就業形態の多様化、組合組織率の低下等の背景のもと、個別労働紛争が激増した。連合は個別労働紛争処理についての検討を本格的に開始した。
2000年代に入ると、100年に1度ともいわれる司法制度改革の議論が本格化した。当初「労働」は検討の俎上になかったが、髙木委員(連合副会長)の奮闘により「労働」が論点に入り、連合がめざした労働参審制(労働裁判)の導入は、労働審判制度の創設という形で結実する。
2000年代半ばからは、個別労使紛争処理システムについては、行政型、司法型が整備され、多くの制度が鼎立する状況となっている。制度開始後15年が経過した現在、労働審判制度は専門性の高さ、簡易迅速な解決という点で司法制度改革一番の成功例との呼び声も高いが、いまだ潜在化する事件も多く存在する。当面、現在労働組合が紛争処理に求められることは、潜在的泣き寝入り事案を減らすために、現在の紛争処理システムの改善と整理に取り組むことである。そして、司法制度改革において、将来的課題とされた労働参審制を実現させることである。労働参審制の実現は、90年代に連合が確認した「労働紛争は労使関係の外延であり、労使関係については労働組合の社会的機能として最後まで責任を持つ」という方針につながるものである。
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