「男性中心」「正社員クラブ」からの脱却を
医療・福祉分野から始める労働組合改革
山岸 拓也
(一橋大学 社会学部 2年
連合寄付講座『現代労働組合Ⅰ』受講生)
1.はじめに
2008年のリーマン・ショックに端を発した世界的規模の経済危機により、新自由主義・規制緩和によって壊された日本の雇用システムの脆弱性が露わになった。ここで問題となったのが、非正規社員(とりわけ製造業従事者)が大量に解雇・雇い止めを受けて日々の生活すらもままならなくなるという状態に追い込まれたことであった。政府も緊急の雇用対策を発表しているが、事態は好転していない。総務省の発表では、2009年6月の完全失業率は5.4%、同月の有効求人倍率は0.43倍と過去最低水準である。
いまや非正規労働者は全体の3分の1にも上るといわれている。非正規労働者は一般に雇用が不安定・低賃金であることが多く、働いているにもかかわらず安定した生活が送れない「ワーキングプア」が社会問題化している。2008年から2009年にかけて東京の日比谷公園に「派遣村」がつくられたことは記憶に新しい。一方で正規労働者は長時間過密労働を余儀なくされ、メンタルヘルスや過労死、自殺などが社会問題化している。現代日本では、職のない人間がいる一方で、長時間過密労働に苦しむ人間がいるという倒錯した労働市場が成り立っているという現実がある。このような現状に対して労働組合・連合は何を期待されているのだろうか。
2.労働組合に期待されていること
今、労働組合は大きな岐路に立たされているといっていい。平成20年の推定組織率は18.1%と過去最低である。しかし、こうした事態は厳しい言い方をすれば当然である。先程も述べたとおり、現代日本では労働者の約3分の1が非正規労働者であるといわれている。労働市場における非正規労働者の比重の高まりは、そのまま正規労働者の比重が減少していることの裏返しである。そんな状態のなかで労働組合運動を正規労働者に限定していることは、社会への労働組合の影響力の低下をまねくことは当然である。さらに、非正規労働者になることを余儀なくされた若者世代にとっては、既存の労働組合自体が、既得権益集団化しているようにみえているという現状もある。このように労働者が正規・非正規という二分された状況で、政財界の資金力・政治力に対抗していけるのだろうか。労働者が政財界に唯一対抗できる方法が団結ではなかったのだろうか。事実、正規・非正規で分裂していることは、デメリットが大きい。正規・非正規の二分された状態は、労働組合の代表的な行為ともいえる「ストライキを打つ」ことさえ困難にする。例えば、労働組合でストライキを行うことが決定されたとする。しかし、非正規労働者は、ストライキに参加せず労働を続けた。この場面で、労働組合に加入していない非正規労働者の「スト破り」を誰が責められようか。彼は自己の利益を最大化するように振る舞っただけである。労働組合加入者ならば、ストライキに参加することが、自己の利益の最大化であるが、加入していない者にとっては何の意味も持たない。このような状態は、まさに使用者側の思惑どおりの状態である。正規労働者と非正規労働者を対立させることで、労働組合の権能を制限し、賃金条件や労働条件を使用者側の有利な状態に持ち込むことができる。このように労働者が分裂している状態は、使用者が利するだけなのである。しかし、日本の労働組合の多くが、正規労働者中心で「まずは自分の足元から」の姿勢を崩しておらず、非正規労働者が労働組合に参加できていない「正社員クラブ」なのである。正規労働者の多くが、雇用調整の際に非正規労働者がいることで、自らの雇用が守られると考えている。短期的にはこの見解は正しいといえる。しかし、長期的な観点では、低賃金・悪条件で働く非正規労働者の存在は、労働市場における正規労働者の賃金低下や労働条件の悪化を招くということを知るべきである。海外では、低賃金の移民が大量に流入したことによって、労働市場全体の賃金低下という問題がおこっている。日本の場合は、原因が移民ではなく非正規労働者になるだけである。正規労働者と非正規労働者という労働市場に存在する2つの労働者集団の労働条件はいずれ統合されるのである。そしてその結果は多くの場合、労働条件が悪い集団に合わせられるという労働者に不利な結末を招くのである。このような非正規労働者の増加という現状に対し、連合は非正規労働センターを設立し、非正規労働者問題に目を向け始めている。しかしそれだけでは十分とはいえない。連合は積極的に非正規労働者を組織化して労働組合運動に組み込む必要があるとともに、既存の「正社員クラブ」と揶揄される労働組合の体質を変え、労働者の相互扶助という、片山潜、高野房太郎の精神に立ち戻る必要がある。
労働環境の改善は労働組合の本分である。現代では多様な働き方が出現している一方で、長時間労働や不払い残業はなくなっていない。不当解雇などの問題も多く、労働者が安定した労働生活を営めているとはいえない。このような問題は個人が使用者を相手に個別的に対処するのでは限界がある。政府や社会に働きかけ、安定した労働生活を送るためのルール作りが必要である。政府や社会に訴えるには組織力が必要で、そんなときにこそ労働組合や連合が現場で働く組合員の声を取りまとめて、現実の労働環境に即した対策を政府や社会に求めるべきである。一方で、政府の労働行政が積極的な対応をとっていない現状があるのは事実である。実際、ILOの中核的労働基準の8条約のうち、2つが未批准であり、国際的な視点でみると非常に遅れている。職場における男女平等も遅れており、男女の賃金格差や雇用形態の区別など様々な問題が多い。しかし「法律ありき」「政府頼み」の姿勢ではいつまでも変えることはできない問題もある。法律で認められているにかかわらず労働者の有給休暇の取得率は平成12年以降ずっと50%以下であるし、約7割の労働者が有給休暇を取得することに「ためらい」を感じている。ためらいを感じる理由には「みんなに迷惑がかかる」66.2%、「職場の雰囲気で取得しづらい」36.3%、「上司がいい顔をしない」17.3%、「昇格や査定に影響がある」10.1%というものが挙がっている。(i)これらは職場の現場意識を変えなければ解決できないものである。いくら法律が制定されても、有給休暇の取得や育児休暇などの制度を利用することを、働く労働者ひとりひとりが当然の権利として行使できなければ意味がない。これらの権利の行使をためらわないでいいような職場の雰囲気づくりが重要である。ワーク・ライフ・バランスの実現には、「ワーク・ライフ・バランス憲章」の理念を労働の現場にこそ広めなければならない。政府がワーク・ライフ・バランス元年を定めた所で、労働の現場に伝わらなければ何の意味もないのである。「24時間働けますか」という言葉に代表される日本の労働慣行は、労働者のひとりひとりに染み付いている。しかし、このような働き方は、労働者にとって大きな負担である。権利の行使を「慣行」を理由にためらっている現状は改めるべきである。そして、そのためには、労働組合の組織力を生かして、現場で働く労働者ひとりひとりに「まず自分が有給休暇・育児休暇をとる。そして仲間が有給休暇・育児休暇をとりやすくする。」ということを広めるべきではないだろうか。このようなキャンペーン活動も労働組合の重要な役割である。
また、労働組合は労働組合の理念、活動、意義など、自らについてもっと社会にアピールすべきである。労働組合は社会的に必要な組織であることは言うまでもないのだが、残念ながら労働組合の活動は、広く一般社会に理解されているとはいえない。若い世代には、その活動内容を知る前に「時代遅れ」というレッテルを貼られてしまう。そしてその幻想を払拭することができないまま、労働組合に加入しないという選択をしてしまう者が多いのである。また、女性は、その生涯において一度も労働組合に関わらないことも多い。そのため、労働組合の活動内容についても十分に理解されないことが多く、ストライキなどの男性的なイメージが強くなりがちで、結果として「疎遠なもの」と認識されてしまう。これは女性の社会進出が進んでいる現状に対して明らかに立ち遅れていると言わざるをえない。女性に労働組合も労働運動もなじみの薄いものであるというのは事実であるし、どのように女性をとりこんでいくかは今後の課題でもある。一方で、労働組合関係者の多くが、女性組合員は組合活動において男性と遜色がなく、場合によっては男性よりも積極的であるということを感じているということもある。女性を取り込むことが労働組合活動を活発にする方策であることは疑いようがないのである。また、現代社会で労働組合運動を必要としているのは、正規労働者もさることながら、労働権利に関する知識に疎いパートタイム労働者などの非正規労働者なのではないか。労働組合に加入していない非正規労働者は、使用者と交渉する場をもつことができず、一方的な解雇や賃下げを受け入れることを余儀なくされる現状がある。そのような非正規労働者に、労働組合の組織の仕方やユニオンへの加入などで自らの労働者の権利を守ることができることを知らせることも、重要な役割である。さらに、若い世代へのアピールは重要である。若い世代は今後の労働組合運動を担うという役目がある。労働組合活動を若い世代に普及させることは労働組合にとっては死活問題である。本論文の執筆の契機となった大学の寄附講義という形式も若い世代への労働組合のアピールとしては、大きな意味がある。しかし、このような機会を大学の講義に限定してしまっては、高卒での就職者に対してアピールできない。高卒就職者に対する働きかけも必要である。例えば、全国の高校3年生に対して労働者の権利に関する講義をしたりすることは社会にとっても有用なはずである。労働組合運動の未来のためにも労働組合は自らについて社会にアピールをして社会認知度を上げる必要がある。黙っていても組合員が増える、労働組合に加入するという時代は終わったのである。しかしながら、日本の労働組合は企業別組合の形式をとっているために、個別に労働組合についての情報を発信することは難しいかもしれない。その際には、連合がイニシアティブを発揮して、社会に労働組合についての情報を発信して、社会認知度を上げる努力をしてもらいたい。連合には自らをプロデュースする潜在力があるはずである。連合ほどの多様な人的資本と規模をもつ団体は日本には存在しない。それらの力を活用しない手はないだろう。
3.高齢社会と労働組合
急激に雇用状況が悪化する中で、新たな雇用創出が見込まれる分野として注目が集まっているのが、医療・福祉分野である。「雇用安定・創出の実現に向けた政労使合意」にも盛り込まれていることからもその注目度の高さがわかる。とりわけ高齢社会が目前に迫った現状では、介護事業に注目が集まっている。しかし、医療・福祉分野は本当に「雇用の受け皿」になれるのだろうか。平成20年の労働組合の推定組織率は18.1%と過去最低であることは先述した。しかし、医療・福祉分野の推定組織率は7.6%
(ii) であり、医療業にしぼっても9.6% (iii) 、社会保険・社会福祉・介護事業では5.1% (iv) という数値になった。これは労働組合全体の組織率とくらべてもきわめて低いことになる。労働組合組織率が低いことは大きな問題で、実際、医療・福祉分野では賃金が低く抑えられている現状がある。特に介護従事者の月平均所得は約22万円で全産業の月平均所得約32万円とは大きな格差がある。さらに、労働基準法を超える労働時間によって、過労死や離職につながっている。実際に、介護労働者の2008年の離職率は18.7%
(v) という高い数値がでている。このような現状で、はたして「雇用の受け皿」として機能するのだろうか。低い賃金、過酷な労働条件ではたとえ一時的に従事者が増加したとしても、長期間の勤務定着は望めない。むしろ、このように労働環境の整備されていない分野に、なし崩し的に失業者や若者を送り込むこと自体、「当面の危機がしのげれば」という政財界の安易な発想が透けて見える。
現在働いている介護従事者の間でも、賃金や人材不足への不満が高まっており、離職の原因の多くが賃金の低さからくるものである。しかし、この問題の背景には介護従事者の賃金を上げたくても上げられない苦しい介護事業の経営状況がある。事業所自体の収益が上がらない現状では労働者の賃金上昇も難しい。政府に働きかけ、介護を取り巻く制度そのものを変えることが不可欠なのである。このような状況を変革するには、やはり医療・福祉分野に一刻も早く労働組合を普及させることである。労働組合を組織することは、単に組合員の相互扶助にとどまらず、社会へ働きかけることも可能にする。2003年、2006年に引き下げられた介護報酬を引き上げるように要請するなどの活動をしている労働組合も存在する。
(vi)
医療・福祉分野に労働組合が普及しない原因には、医療・福祉分野の従事者に女性が多いということが挙げられる。事実、この分野の労働組合員の約7割が女性である。さらに、この分野で働く女性従事者の多くがパートタイム労働者であることも挙げられる。以上の理由から医療・福祉分野の労働組合の組織率は低い。しかし、医療・福祉分野の労働組合の組織の手法は、女性・非正規労働者であっても積極的に労働組合に取り込んでいるという点で他の産業の労働組合の組織の手法よりも先進的であることは事実である。これは他の産業の労働組合も学ぶべき点である。医療・福祉分野の労働組合活動に学び、他の産業の労働組合活動も女性・非正規労働者を取り込むべきである。
女性・非正規労働者が多いという特徴をもつ医療・福祉分野は、非正規労働者や女性労働者の組織化、労働環境の改善、労働組合の認知度の向上など今後の労働組合運動の課題を多数含んでいる分野である。それゆえに、この分野に、労働組合を普及させることは、困難であるように思える。しかし、幸いなことに、医療・福祉分野に対する社会の注目度も高い。これは、労働組合改革のチャンスである。いままで「男性中心」「正社員クラブ」と揶揄されていた労働組合の体質を変え、今こそ積極的な行動をとることでこれらの批判を一掃できるのではないか。そのためのステップとして、まず、医療・福祉分野といった労働組合の組織が遅れている分野に力を注いでほしい。医療・福祉分野の労働組合の組織には女性・非正規労働者の組織化が不可欠であり、労働組合にはその組織化のプロセスを通じて旧来の体質から脱してほしい。この分野は今後、高齢化する日本社会を支える分野になることが予想される。この分野の労働環境を整えることは、日本の豊かな高齢化社会を創出することにつながり、社会に資する労働組合運動のモデルケースになるのである。そして、なにより、この分野の労働組合の拡充は、連合の目指す「労働を中心とした福祉型社会」の旗印になりえるはずである。日本社会が直面している高齢化社会という社会状況に対して、労働組合ができることは多い。高齢社会の開始までに残された時間も少ないことから、医療・福祉分野での労働組合の組織率の向上は急務である。
4.おわりに
労働組合が「開かれた」組織に変わるだけで、現在のすべての問題が解決することは難しい。しかし、労働組合が社会に対し積極的に働きかけることで、社会の労働観や労働の在り方を変えることは可能であるし、社会そのものをも変えられる。労働組合は自らに期待されていることを感じとり、自らの社会的責任を認識したうえでの行動を期待したい。社会に必要とされる労働組合運動を目指し、労働組合は自己改革を続けてほしい。そのためには、非正規労働者や女性といった従来の労働組合運動では重視されてこなかった存在が、大きなカギを握ることになる。労働組合には「男性中心」「正社員クラブ」といったものからの脱却を強く願う。
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