『私の提言』連合論文募集

第4回入賞論文集
奨励賞

CSR(企業の社会的責任)に関して
労働組合のこれからを考える

普天間 みほ
(同志社大学 社会学部産業関係学科 学生)

0 はじめに

 企業が不祥事をおこすと、「再発を防ぐためにCSRでコンプライアンスを確立していくべきだ。」「環境問題に対しての対処を我が社はCSRでしっかり提言しています。」というように、CSRという言葉を聞く機会が増えた。
 CSRとは‘企業の社会的責任’と訳される。企業の社会的責任として法律での基準以上に、自ら率先し環境負荷の低い製品開発を行っていくと提言するのは理解できる。しかし、法律を遵守することや、企業不祥事の防止は当たり前なのではないか。それをわざわざ企業の社会的責任として聞くのはどうしてだろう。これが、先日の(株)コムスンや(株)ミートホープ、最近だと「白い恋人」の石屋製菓の不祥事に関する報道を見た私の感想であった。
 また、同じ報道でCSRや企業の不祥事防止は労働組合にも責任があるということも聞いた。なぜCSRが問われるときに、労働組合が出てくるのだろう。労働組合は、組合員の労働環境改善・雇用の安定を図るためにあるのではないか。
 たとえばコムスンのニュースに関して1。介護事業所の指定を不正に取得していたことが発覚し、厚生労働省から全国すべての事業所の更新をみとめないという処分をうけた。その後、次々介護保険の不正受給や処分逃れが発覚し、コムスンは市場から全面撤退した。『介護』という公共サービスでの話であったこともあり介護サービスを必要としている人やコムスンの労働者だけでなく社会全体に多大な影響を与えた。
 ニュースを受けて、コムスンの従業員も所属するNCCU(日本介護クラフトユニオン)が加盟するUIゼンセン同盟のコムスンの一連の報道に関する談話2を読んだ。それは、「企業に対してのコンプライアンスを監視できなかったことに重大な責任を感じている。この事実を真摯に受け止め、クラフトユニオン型CSR体制を早急に構築する」とのことであった。労働組合側にもCSRがあるのであろうか。
 CSRは企業の課題であるし、労働組合は組合員の仕事と生活の為のものと思っていた私は、この対応に少し違和感をもった。
 機会があってその後、UIゼンセン同盟京都府支部支部長の佐藤さんとお話しすることが出来た。そこで佐藤さんは「今、労働組合に求められていることは労働者の雇用の安定や労働環境の改善などを求めていくことよりも、企業の法令遵守をチェックしていくということも含めた社会的貢献である。」とおっしゃっていた。CSRは企業の社会的責任という表面上の意味以上に、現在多くの方々が考えていること・考えることを求められていることであると知った。
 現在の日本においてCSRとは何か。CSRには労働環境や労働者の人権への言及も含まれているようだが、労働基準法などの法律とどう違う役割を担っているのだろう。そしてCSRの実行主体が企業だけでないのなら、そこに労働組合はどう関わっていくのか。
 本稿の課題は以下の三点である。先ず、‘CSRとは何か’ということを通して上記の疑問を整理・考察する。次いで連合総合生活開発研究所編『労働CSR―労使コミュニケーションの現状と課題3(以下本稿では『労働CSR』と書く)』に基づき、労働組合(特に本稿では連合に注目する)が現在CSRに対してどう行動しているのかということを述べる。最後に、これから労働組合がどう行動するべきかと、ささやかな‘私の提言’を行いたい。

  • 1  コムスンが不正請求していた問題。詳しくは朝日新聞 『コムスン介護、広がる不安 事業譲譲渡、突然の発表』朝刊 2007/06/07 34面 もしくは『介護市場から全面撤退!虎の尾を踏んだコムスンの愚作』週刊ダイヤモンド 2006/06/23号 14面参照
  • 2 UIゼンセン同盟 『コムスンの不正行為問題に対する談話』参照
  • 3 参考文献参照

1 CSRとはなにか

CSRに対してのイメージ

 企業の社会的責任と訳されるCSR。私は学生で特に意識してニュースを見聞きしているわけではないが、それでもよく耳にする。先にも述べたが、そうやってニュースなどで作られた私のCSRの印象は二つある。[1]環境問題に対して企業が自主的に行う努力のこと。[2]企業自身が内部の不祥事を防止する策。
 『労働CSR』によれば、今は‘第二期CSR’と位置づけられるそうだ。そして日本においてのCSRの意味を理解するには国際的な文脈と国内での文脈の両方を必要とするとあった。国際的な文脈が必要なわけは、CSRという概念を国際的動向の上に意義を明らかにしないと「外から降ってきたよく分からない議論」としてCSRの理解の妨げになるおそれがあるためだ。また、国内での文脈を必要とするのは、企業というのは宙に浮いた存在でなくその土地や社会に組み込まれて存在するからである。
 よって、[1]国際的な文脈[2]国内的文脈の2つをそれぞれおさえて、「日本におけるCSRは何か」をまとめたい。

第二期CSR・CSRの国際的文脈

 今第二期CSRといわれるのはなぜか。第一次は1960年から1970年にかけて、おもに公害・環境への配慮が問題になったときだ。このころに多国籍企業などがうまれ、一企業の影響力の大きさが格段に拡大した。そして、企業が商品を生産・販売することでの環境への影響力も格段に拡大し、社会問題化したことを受けてCSRが注目を集めた。企業の自主的な努力として環境に配慮した生産活動を行うことを、企業の社会的責任として取り組んでいこうという流れができた。
 そして第二期。それは1990年代末に本格化する。規制緩和が国際的に進み、国をまたいでの投資や市場競争が激化したことに端を発する。企業の国際社会への影響力が増加したのである。また規制緩和が進むことによって市場がグローバル化し、人権問題や労働問題だけでなく不正な商慣行がめだち、南北格差といわれるように貧富の格差が拡大した。そして市場のグローバル化の担い手である多国籍企業に批判的な関心が集まったのである。
 これらの不公正に対してどう対処するのか。様々な政府系国際機関などが国際的合意をめざして活動を開始した。そして提示されたのは「持続可能な成長と開発 4」という理念の共有であった。加えて国際的な労働基準として大きな力があったのがILOの『労働における基本的原則及び権利に関するILO宣言(1998年)』やOECD『多国籍企業行動指針(2000年)』である。ILOは1919年に設立された国際機構で、政労使の三者構成を取っているのが大きな特徴で、この条約と勧告は国際的な労働基準としての役割を担う。こうして、結社の自由と建設的な集団的労使関係の構築、強制労働・児童労働や差別の廃止といった点でも国際的な合意が生まれた。
 日本では企業の不祥事防止・環境への配慮としての印象が強いように見えるが、世界的に見れば労働条件や労働者の権利に関してもCSRのなかで注目されている。日本で「児童労働の廃止をCSRとして我が社は取り組んでいます。」といわれれば、そんなの当たり前では?と思ってしまうが、たしかに労働法が整っている先進国だけで企業は活動しているわけではない。こうして第二期CSRにおいて、環境問題や企業不祥事の防止だけでなく労働者の権利も労働CSRとして重要な位置づけをもつようになった。

  • 4 『労働CSR』によればこれはリオサミットからアジェンダ21まで遡及出来る理念だそうだ。地球全体としての大きな目線でそして長期的な目線での成長と開発を考える理念だ。

CSRの日本的文脈

 さて、国際的には労働CSRも重要だということを先に述べた。日本でCSRといえば、環境や企業不祥事の面が強調されるのはなぜか。『労働CSR』によれば日本経団連の会員経営者のトップ75.9%が報道される様々な企業不祥事に対して自分の会社でも起こりうる不祥事で危機感をもっていると調査に答えているそうだ(調査は2005年)。
 それは90年代後半からの10年、平成長期不況とデフレ経済の中、一方では資本効率を高めコスト削減にプレッシャーがかかり企業の不祥事が連発したことに起因する。現在の企業の不祥事は自らの会社の存亡をも左右するだけでなく、広範囲の関係者たちに影響を与えるのである。
 また、労働CSRは日本の企業にとって「今に始まったことなの?」という意識・自信も少なからずある。現代日本において労働法が整備されていることも影響しているが、たとえば三菱商事であれば創業(1934年)以来「三綱領」をすでに経営理念としてきたことに示される。三綱領とは‘所期奉公・処事光明・立業貿易’でそれぞれ‘事業を通じ物心共に豊かな社会の実現に努力すると同時に、かけがえのない地球環境の維持にも貢献する’‘公明正大で品格のある行動を旨とし、活動の公開性、透明性を維持する’‘全世界的、宇宙的視野に立脚した事業展開を図る’と説明されているそうだ(『労働CSR入門』)。日本の企業が欧米と違い労働CSRに対してゆっくりとしか反応しないのは、CSR概念が出来る前から、ただ儲けるだけではなく企業は社会にも貢献して当然というこのような風潮が在ったことも影響しているのだろう。
 このように日本のCSRの特徴は、労働環境・人権への配慮よりも企業不祥事への防止に重心が置かれていることである。

まとめ CSRとはなにか

 日本では企業不祥事への対策としてのCSRに重心が置かれる。しかし、「我が社は法律を守ります」とCSRによって宣言することにどんな意味があるのか。
 CSRは「社会的責任として企業活動・経済活動による環境や社会等への影響力に責任を持ち取り組んでいきます」という企業の自主的な宣言である。国や企業、時代によって様々な意味合いを持つが、その部分は代わらない。詳しくいえば日本の労働法には義務規定と努力規定があるが、努力すべき項目に対して法律遵守以上のプラスアルファの部分を充実していきます、と宣言し促進するのがCSRの役割なのだ。つまり、労働法という公的なものを補完・補強することが出来る。しかしこれは一方で既存の労働法体系や国際法労働基準を侵害しうる。なぜ侵害しうるのかは又後で詳しく述べる。
 労働CSR(労働基準を含んだCSR)は企業が独自に提示した目標であるから、法律ではないのか。確かに裁判で履行が担保され拘束力をもつハードローではない。では実際に経済社会においてCSRは何らかの拘束力を持つが、ソフトローなのか。労働CSRは労働法と違って法規範性を持つものではない。それはコンプライアンスやコーポレート・ガバナンスという実定法上の規範を踏まえた、あくまでも「プラスアルファ的でしかない自主的なもの」だ。
 しかしながら、労働CSRには法律のように見えてしまうややこしい性質がある。それは、労働CSRで保障する‘労働者の権利’の内容が、労働法として実定法で決められている規範なのかそれともCSRのプラスアルファの部分なのか、分離しがたい曖昧な部分が含まれるからだ。
 たとえばCSRとして、「私たちは基本的人権を尊重し、児童労働を認めません。労働者の団結権を守ります。」と掲げたとする。これは既にある憲法や労働基準法などを守るという姿勢を明示することで、コンプライアンスの領域に労働法を組み込むことになる。労働CSRの多くの部分がこのように既に法律で決められている労働基準であるので、労働CSRの殆どがコンプライアンスの問題になるのだ。
 ここにおいてCSRはやれるだけやりますという努力規定の程度を越えて守らなくてはならない当然の行為となる。‘児童労働を認めません’というCSRを守らないことは自主的な努力規定を怠ったというだけでなく反社会的な違法行為になる。このように労働CSRはその殆どが「プラスアルファ」ではなくて「コンプライアンス」の問題なので、それが法規範かどうか判りづらくなる。
 整理すれば、CSRはもともと企業の自主的な法令遵守以上のプラスアルファの活動であるが、そこに人権・労働基準を取り組む時、「コンプライアンス」の問題であるということだ。
 先に、CSRは労働法という公的なものを補完・補強する事が出来うるが一方で既存の労働法体系や国際法労働基準を侵害しうるとした。それは、労働基準をCSRに盛り込むことで‘我が社の労働CSRの遂行’として、本来裁判所や労働基準監督署がすべき判断の一部を企業が担いうるからだ。人権問題や労働問題において何が正しいのかというのを決めるのは国であるはずなのに、企業が労働基本権を勝手に解釈しCSRとして遂行していくことに成りかねない。なぜならば労働CSRで保護される労働基準はそもそも労働組合法及び労働基準法にすべて書かれているのを、企業が自主的に取り出し、確実に守りますと対外的に宣言し行動するからだ。
 労働基準を含んだ労働CSRが既存の実定労働法の補完を担うだけでなく、規範意識を持って実行され利用になるとすれば、一企業の判断であるCSRが法として機能し始める余地が在る。
 労働CSRが、今後もっともっと法規範として認知されればいつか労働協約としてとりこまれ、労働基準を決めうるかもしれない。そうなれば、本稿2章で論じるが、CSRと労働組合の間に微妙な問題を生むことが予想される。

2 CSRに労働組合はどうかかわっているのか。

労働組合とは何か

 労働組合の最も普遍的な定義は労働組合とは労働力の集団的な販売組織である、というものだ 5。自由市場経済のなかでは、労働者と企業が対等に交渉することが難しい。だから団結することが重要なのだ。このようにそもそも労働組合は組合員の雇用と暮らしを守るためにある。そんな労働組合が、企業のCSR体制に関わるのはなぜか。企業の自主的な法令遵守プラスアルファへの取組にどうして労働組合が関わるのだろう。

  • 5 石田(2003)195項

企業の不祥事と雇用

 企業が不祥事を起こせば従業員の雇用が不安定になる。先のコムスンの例でいえば、譲渡先が決まるまで従業員は不安な日をすごした。自分の働く先がどうなるか分からないという中、現場で問題発生以前と同じように介護サービスを提供するのは非常に辛かっただろうと思われる。しかも、自分が起こした問題ではなく経営者トップの不祥事であればなおさらだ。このような不祥事を防止するため企業のコンプライアンスを監視していくことは組合員の生活と雇用を守ることになる。
 しかしUIゼンセン同盟の京都府支部支部長の佐藤昌一さんは、労働組合は組合員だけのものではなく、経営側の行動に関してチェックしながら社会正義を追求していく団体なのだ、ということを教えてくださった。組合員だけでなく、組合員以外の人たち・地域の人たち等を含む広範な社会貢献を目的としている。たとえば、労働組合が率先して組合員の労働環境向上を企業に求めていくことは、労働市場全体の労働環境の底上げにもつながる。労働組合は経営者と働く者のあいだで互いにとって利害が共通しあう面であれば協力し(特に生産性の向上)、利害が反することは対立しうるが話し合いによって働く人々の地位向上をめざす。そしてやがては社会全体に対しても働きかけていく活動だ。その話をお伺いするまで労働組合は労働者の生活や権利の保護のために働いているというイメージが強かった私には違和感があったが、労働組合が企業のCSRに関わることは何ら矛盾しない。むしろ、労働組合の目的に沿っているということが分かった。
 日本の労働組合は企業別・産業別・ナショナルセンターという三層構造だ。UIゼンセン同盟は産業別労働組合にあたる。この三層構造であるからこそ、それぞれの目線にたった特徴的な意見が述べることが出来る。企業別労働組合であれば、その企業でみたときのCSRへの取組がある。CSRの実施主体は企業であるが、実質的な関わりを企業別労働組合が担っているので、それは産業別労働組合の取組よりも働く人の現場の目線にたったものである 6。また、企業別労働組合だけでは出来ないようなことも、産業別労働組合やナショナルセンターの縦横の団結によって可能になるだろう。ナショナルセンターは企業別労働組合よりもより国際的視野に立ったCSRへの取組が求められている。

  • 6 『労働CSR』の第四章『CSRと企業別組合の役割』では、S社の企業別組合が会社への経営改革に取組みその後積極的にCSRへも関わっている事例が紹介されている。

現在の連合のCSRへの取組

 現在の労働組合、特にここではナショナルセンターが企業のCSRへどのような取組をしているのか。連合もCSRへの関わりへ「2006年の重点政策」(2005年6月1日中央委員会確認)や連合総合政策局「CSR(企業の社会的責任)に関する連合の考え方」(2005年1月24日)などで提言し、その活動の中でも重要視していることが窺える。そのすべてを本稿で検証することは出来ないが、連合がCSRへの対応で何を重視・大切にしているのかということに注目して述べたい。

連合の現状認識と姿勢

 連合は日本の企業のCSRへの取組にはかなりばらつきがあると認識していて、特に環境報告書の作成や企業メセナへの社会貢献が重視され雇用労働分野の位置づけが遅れていることを指摘している。そして労働組合が企業利害と一体となってしまっていて消費者や住民などのステークホルダーの目線にたった十分なチェック機能を果たせないという場面を否定できないとしている。
 そう述べた上で連合のCSR政策は、国際自由労連の2004年12月の第18回世界大会でのCSRに関する決議にかなり影響された内容になっている。
 第18回世界大会での決議は、労働組合がどのような立場・態度でCSRへの関わっていくのかということに対して、労働組合は働く人々の代表としての役割に基づいてCSRの討議に参加するとしている。しかし労働基準を含むCSRは企業側や経済団体が一方的に決めることではなく、労働組合との協議交渉に基づいて決定すべきことであるとする。ソフトローとしてのCSRはハードローに代替できるものではないということを強調した決議であった。
 なぜこれらを強調する必要があるのか。それは1章の最後で少し書いたが、労働CSRが企業の自主的な取組だからとの理由で一方的に決めてしまうと、労働基準が労使協議なしで決められてしまう可能性があるからだ。労働基準が労使の協議の上のみに設定されるものだという前提が崩されている。そして企業が一方的にきめうるCSRが、ハードローに代替可能であれば政府の適正な役割や労働組合組織の代替としてCSR利用されることを危惧しているのだ。
 しかし、国際自由労連はCSRに完全に反対しているわけではない。CSRは上手く利用すれば労働組合がめざしているものを達成しうるので、労働者の代表としてCSRへ関わっていくという姿勢を示した。使用者側の一方的な「自発的宣言」であるかぎりは協力しがたいが、労使の合意の上に労働協約のような「準」法として提示されるかぎりにおいては積極的に協力していくという姿勢だ。

対話を通じて

 連合はCSRの具体的内容は各ステークホルダーとの対話を通じて確定していくべきとしている。CSRとは企業が社会的責任として社会・環境に対して自らプラスアルファへの提言なのだということを何度も書いてきたが、その性質からしても、CSRが企業の一方的な決定で決められないということは明白である。なにが社会のための貢献となるのかは、それを考える人がどんな社会をめざしているのかに大きく影響される。社会は企業だけではなくて、多くのステークホルダーの存在で構成されている。労働者、地域の人、環境、政府、国際社会、取引先…それぞれがそれぞれの理想を持ち、利害関係を持っている。だからこそ、CSRは企業の自主的な取組への提言だとしても協議の上に決める必要があるのだ。
 元々組合は多種多数の意見を持った、状況もそれぞれ違った人たちで構成されている。しかしながら、労働組合として交渉の場に臨む際は一つにまとまった意見を提示する必要があるため、内部でも絶えずお互いの承認・同意をめざして対話を行った。そして経営者と組合の双方向の対話を手法としている。CSRに対しても、対話を重視するというのは労働組合らしい姿勢であるように思う。

3 私の提言

労働組合はCSRに対してどう取り組んでいくべきなのか。

 今回、CSRの魅力と問題点を見てきた。それは労働組合がめざす「労働を中心とする福祉型社会 7」のビジョンのためにも大いに有効であり、労働者の代表として、労働組合が大切にしてきた『対話』という手法でステークホルダーと企業の労働CSRに関わっていくことに期待する。
 しかし一方で、今あるハードローとCSRとの棲み分けが混乱してしまいがちな状況があると書いた。繰り返せば労働CSRが企業によって推進される時、本来行政がすべきことの一部を、企業がハードローの補完以上に行ってしまうこともありうる。また、CSRが企業の自主的なものと、労働基準を含んだ労働CSRが経営者や経済団体によって一方的に決められてしまう可能性もある。さらには企業の行動に関する規制を回避するためにCSRが利用される可能性すらある。
 CSRに対して私たちは慎重になる必要があるだろう。特に労働基準を含んだCSRに対して。それがプラスアルファでの労働環境を改善する企業の自主的な活動なのか。それともコンプライアンスなのかまず見分ける必要がある。コンプライアンスなのであれば、企業がCSRとして抽出している既存の労働法の内容や意義を、正しく認識し実行しているのかを審判し監督する何らかの主体(その性質上行政の機関である必要があるだろう)が必要である。それらの整備なしに労働CSRをただ魅力的だから・イメージが良いから・他社も行っているからという理由で制定・実行するならば、既存の労働基準法・労働組合法の正当性が危うくなりうる。そのことが企業側・組合・ステークホルダーにどれだけ周知されているのか疑問を抱く。
 連合は日本のCSRに対しての認識は足並みがそろっていないという。労働組合は最低限、労働CSRを企業だけで決定することは労働基準を労使協議なしに決めることになりうるという点に特に注意して企業の労働CSRの動向に足並みそろえて関わっていく必要がある。
 最後に、本稿の執筆を通して労働組合のイメージがかなり変わった。それまで組合員の生活や雇用のために団結して経営者に対立しているものだとしか思っておらず、労働組合がどうして必要なのかよくわからなかった。労働組合の労働者の代表としての目線・対話という手法は現在においても有効であるし、労働組合が組合員だけでなく社会全体に貢献していけるアクターであることは今後のCSRに対しての対応で示していくべきであろう。

  • 7 連合パンフレット三項 『連合がめざす「労働を中心とする福祉型社会」とは』参照

【参考文献・資料】

稲上毅 連合総合生活開発研究所編
『労働CSR―労使コミュニケーションの現状と課題』 NTT出版 2007
吾卿眞一 『労働CSR入門』 講談社現代新書 2007
石田光男 『仕事の社会科学』 ミネルヴァ書房 2003
浪江巌 『人的資源管理論入門』 サイテック 2000
日本労働組合総連合会パンフレット 『INFORMATION RENGO』 2006
UIゼンセン同盟パンフレット 『NEW TREND』 2005
UIゼンセン同盟 島田尚信
「(株)コムスンの不正行為問題に対する談話」2007年6月11日


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