『私の提言』連合論文募集

第4回入賞論文集
佳作賞

「指定管理者制度」に抗して
―公共教育施設で働く労働者の想い―

山本 博
(全国一般 長崎地方本部佐世保合同支部 専門部長)

 私の職場は、長崎県所有の野外教育施設・「県立佐世保青少年の天地」である。1969(以下西暦は下2桁で表示する。昭和44)年に設立された。同施設の正面玄関に掲げられているプレートには、「天地開所由来」と題して次のように書かれている。「青少年の天地は明治百年を記念して建設した野外活動施設である。ここにつどう青少年が大自然に親しみ、心身を鍛え、自律、友愛、奉仕の精神をつちかい輝かしい次代のにない手に成長されることを期待する」。昭和44年は「明治100年」であった。
 佐世保市烏帽子岳の麓(海抜480メートル)、約10万坪(東京ドームの約7倍)の敷地をもつ同施設は、野外教育施設と呼ぶに相応しい。「どんぐりの森」、「野鳥の森」、「昆虫の森」、自然観察園、キャンプファイヤー場、テントサイト、野外炊飯場などの周囲には遊歩道、登山道が設置されている。多目的ホールではバレー、バトミントン、音楽演奏も可能で、またホールに隣接し、ソフトボール場、テニスコート、ジャングルジムなども併設され、それは、県民の貴重な財産であり、公共施設である。
 佐世保と同じような施設が、世知原・千々石にも存在する。三つの施設は73(昭和48)年以降「長崎県青少年育成施設協会」が運営してきた。事務局は県の教育庁生涯学習課が担当。同協会は県の外郭団体で、施設の労働は、施設が雇用した労働者が従事する。現在、3施設で働く労働者は25名(内正職員・11名、嘱託職員14名)。内組合員10名(正職員9名、嘱託1名)他は非組合員(本年6月現在)である。
 06年4月、施設の管理・運営は大きく変貌した。管理者は、NPО法人・長崎県青少年体験活動推進協会(以下 新協会と呼び、以前の協会を旧協会と呼ぶ)となった。それは、「指定管理者制度」の導入が契機であった。これまで、無数にある公共施設(県下でも5000箇所以上)の管理は、直営を除いても、公社、財団、協会と名称は異なるものの自治体が関与した公益法人とされてきた(地方自治法244条2項)。法人の幹部は公務員を退職した「上級職員」が就任し、実務は、法人が雇用した労働者で運営されてきた。道路公団や社会保険庁幹部と一様に論ずることは出来ないが、退職(退職間際)公務員の「天下り」先であることに間違いはなかった。ある種の羨望と顰蹙をかっていたのも事実である。が、「指定管理者制度」の導入は、「官」のみに委ねられていた施設の管理運営を「民」にも門戸を開いた。それは、施設で働く労働者の雇用と労働条件も直撃した。民間企業と同レベルで競争に打ち勝ち、公募された内容をクリヤーし落札しなければ明日からの生活が不可能になる事態が到来した。公共施設の運営が企業活動の一環にされようとしている。以下の拙文は、同制度が適用された自治体関連施設で働く労働者が直面し、呻吟している内容の一端である。

雇用を守るため決断した労働条件の切り下げ

 長崎県も06年4月から「指定管理者制度」への移行を明らかにした。旧協会も、入札の資格を得るため組織改変を行った。05年5月、旧協会の臨時理事会は、旧協会の存続を06年3月までとし、その間に新協会を設立、NPО法人化するとした。同時に、新協会は「民間企業との争いに勝ち抜くため」、と称して協会従業員の労働条件「見直し」(切り下げ)を組合に提案してきた。05年6月末のことである。「公務員に準ずる」、としながらも、公務員とは歴然とした差別の中で就労し続けてきた私たち「自治体関連労働者」の労働条件をさらに引き下げる、というものであった。
 組合は窮地に追い込まれた。「労働条件の切り下げ反対」と主張するのは簡単である。しかし、その結果は指定争いから外され、施設で働く組合員(非組合員も含め)は失職することを意味する。就職難の昨今、雇用はなんとしても確保しなければならない。苦渋の選択を迫られた。組合内部でも堂々巡りの議論を何度も繰り返した。最終的に労使交渉がまとまり、協定書を締結したのは制度実施直前の06年3月3日であった。賃金の10%削減、特別手当、期末手当(6月、12月)の廃止、定期昇給は2年に1度、55歳以上の昇給は廃止、そして退職金は、根本的に変更され「新退職金規定を新設し、各職員の年間給与額の10%を退職金積立金として確保し、退職時に支給する」、となった。断腸の思い、での決断であった。その結果、施設の管理権は落札した。年間所得20%の削減を甘受した代償として当面の雇用は確保された。しかし、5年後の保障はなにもない。一難去ってまた一難、組合員には複雑な想いが去来する。

施設労働者の想い

 82年3月、高校を卒業した私は、地元の農協に就職した。92年4月、現在の施設に転職、同施設の技術職員となった。社会教育施設で働けることで社会に少しは奉仕できるのでは、とある種の使命感みたいなものもあった。が、転職の主たる理由は、身分は公務員ではないが、自治体施設の「職員」であり定年までの就労が保障されている安心感、そして賃金をはじめ労働条件は農協を上回っていたからに他ならない。高校卒業から10年、自分の将来に、安堵感と期待をもっての再出発であった。
 施設での仕事に、私は、意欲を燃やした。仕事内容は多岐に渡る。施設で使用する水は飲料水を含め全て地下水である。だから、水の管理は特に慎重を要する。水質検査、残留塩素の量、使用量のチェック。ポンプや濾過装置、下水道浄化装置の点検、必要あれば補修改善も行う。ボイラー(風呂水の確保、冬場の暖房)の点検、館内のゴミ収集、芝刈、除草、植樹、遊歩道の整備、と仕事は際限がない。さらに、来館者へのアドバイス。多忙だが、充実感があった。「俺に合っている」、そう思ってきた。
 施設の利用者は、ここ数年、年間7万人前後(日帰り、宿泊を含め)である。幼児から高齢者まで各世代にまたがる。幼稚園児の「お泊り保育」から小、中、高、大学生などの合宿・キャンプ、サークル活動、企業の研修、高齢者を中心とした薬草教室など様々である。利用者の要望に応えながら計画立案の相談から始まり、炊飯活動や後片付けの手伝い、その全てが楽しいひと時であり、また、絶対に事故を起こしてはならない、という職務の使命から、神経が休まる暇のない時間帯である。でも、来館した人々との「心の交流」が出来、「また来るから」と謝意を表されたとき、疲労感を忘れ、喜びがこみ上げてくる。生きがいを感ずる。そんな仕事に誇りも持っている。
 佐世保市郊外の田舎町で育った私は、大自然を相手に自由奔放に育った。そんな私の体験からすれば、毎日塾通いを強要され、テレビゲームに夢中になる最近の「子どもの世界」を憂うる。そんな子どもたちに、たまには「施設に来てみんね。友達と一緒に飯盒炊飯で食事を用意し、大きな風呂にはいり、星空を眺めながら語り明かす、そんな時間も良いものだ!」、「君たちが体験していない『別世界』があるよ!」そう、呼びかけたい。長い人生で、必ず、思い出に残るひと時を過ごすことができる。そのために俺は働いている。そんなロマンを持ちながら毎日の仕事に従事してきた。

存在していた県職員(公務員)との差別

 職場には、つい最近まで、私のような施設に直接雇用された職員と小中高の教職員が有期(2年から4年)で出向して勤務する労働者が並存していた。教職員は学校の先生、地方公務員である。仕事の内容は協会職員が熟知していても管理職と指導職は県の職員が担当していた。当然、労働条件も異なる。賃金だけでも毎月3万円の開きがあった。加えて公然たる身分差。一緒に働く個々の労働者には何の恨みもない。が、制度として存在するこの歴然たる差別には、腹立たしく我慢が出来なかった。
 73年に施設協会が発足した当時から「青少年の天地」でも、所長、次長、指導主事3名(計5名)は県の職員であった。一方、施設直傭労働者の労働条件は、当初、労働基準法を下回る条件もあった、と聞く。諸先輩は、意を決して組合を結成、佐世保合同労組に加盟した。75年3月のことである。就業規則を制定させ、県職員との格差是正を目指した。組合が掲げたスローガンは、「同一労働・同一賃金」、「公務員との差別反対」、施設で働く労働者の偽りのない率直な意向が如実に表現されていた。
 だが、組合は少数であった。92年、私が就職した段階では、(退職で減少し)わずか2名。半年間の研修が終わり、正式に職員となった私は、他の一人と一緒にその少数組合に加盟した。4名になった。特段「崇高」な思想があったわけではない。毎日、忙しく活動する先輩の手伝いでも出来れば、そんな「軽い」想いであった。地道な活動は職場の共感を得、94年には組合員が10名になった。たまらなく嬉しかった。95年には組合結成20周年の祝賀会を退職した先輩や地域の仲間も参加、質素ながらも「盛大」に開催した。さらなる飛躍を誓った。94年から99年にかけ毎年1万円台の賃上げも勝ち取った。折から、巷ではバブルの崩壊が猛威を振るい始めていた。中小地場の組合にも、製造業やサービス業を中心に雇用調整(解雇)や賃下げ、昇給の停止が始まっていた。企業倒産で職を失った未組織労働者からの「労働相談」も相次いだ。そんな中で1万円台の賃上げは、仲間から「羨望の的」となった。「居心地の悪さ」を実感していた。が、それは、次には自治体労働者、とりわけ私たちのような自治体関連で身分の不安定な労働者に襲い掛かる、そんな予兆を肌で感じてもいた。
 小泉内閣の登場は「官から民へ」のスローガンを加速した。地方財政の逼迫を、公務員の怠慢、公共事業の「放漫経営」が元凶であるような喧伝がなされた。郵政民営化の「妖怪」が一人歩きし、自治体のスリム化が強調され始めた。自治体関係でも、例えば公立病院の給食・配膳の民間委託、水道検針・集金の業者委託、保育所・幼稚園の民営化・・・休むことなく続いている。最大の犠牲は、利用者とそこで働く非正規の労働者に集中する。公務員は、配置転換で雇用危機は免れる。が、嘱託や臨職、委託の労働者は、まさに職場を追放された。追放されないにしても、雇用を守るため、労働条件の更なる引き下げに応じねばならない事態が発生、受難の時代が始まった。
 03年6月の通常国会は、地方自治法の一部改正、と称して「指定管理者制度」の導入を決議、「2006年9月までに指定管理者制度に移行する」ことを決定、事態は加速した。私たちの職場でも、即刻、「施設の管理運営の見直し」、と称して県職員の総引き揚げが提案された。「人件費の削減」である。不足する人員は施設の嘱託職員として採用する、というもの。コストのみを優先する県の姿勢に根本的な疑問を感じた。団交を打ち切り強行しようとする県に対し、不誠実団交として、労働委員会に救済申立を行った。施設の近辺には、県の「管理運営見直し反対」、と明記した看板を設置し、施設利用者にも理解を求めた。04年2月末のことである。結局は県も団交に応じたため、組合も一定の妥協を図り嘱託制度導入を基本的には了解し収拾した。かつて、公務員と協会職員で差別されていた私たちが、今度は、協会の正職員と嘱託、という差別制度を容認せざるを得なかった。時代の趨勢とは言え、忸怩たる想いであった。
 事態はさらに進行した。「指定管理者制度」導入は、全員の雇用そのものを直撃した。

指定管理者制度の導入 利用者としての検証

 「官から民へ」、とのスローガンは多くの市民にある種の「共感」を呼んでいる。それは、旧来からの官僚的なシステムの閉鎖性(窓口のたらいまわしなどの役所仕事に象徴的だ)や市民を見下し、睥睨して振舞う役人の「偉ぶった行動」に対する批判が根底にある。こうした、役人の姿勢は公共施設の新設やその運営に関しても貫徹されてきた。市民や住民の要求とは無関係に、財政が「豊富」な時期には、豪華な「箱物」が競い合って建設された。その「箱物」がどのように活用されるか、には、さほど関心を示さない。極論すれば、決められた予算を、決められた通りに消化することが目的であって、市民のニーズとは無関係である。「作ってやった」ことを恩着せる。
 しかし、情勢の変化は、今度は一転して行政の「無駄」を声高に叫ぶ。「民間のノウハウ」が強調されコスト、が優先される。公共施設の本旨、切実な市民の要求は無視され、民営化される。保育所、幼稚園、老人ホームなど様々な公共施設が民間に委託された。予算は極度に削減され、不足分は受益者負担が声高に強調される。犠牲は利用者、「弱者」に集中し、そこで働く労働者の悲痛な叫びなど無視、歯牙にもかけない。
 昨年7月、埼玉県ふじみ野市で発生した女児のプール事故(排水溝に飲み込まれ水死)はその典型。市は、プールの管理を業者(民間企業)に委託していた。さらに、受託した企業は関連会社に丸投げした。プールの監視員は、人数だけは「確保」されていたが、全て、アルバイト。少しでも経費を安くするためには労務費の削減が手っ取り早い。ここに貫徹しているのは、まさに「企業の論理」(利益の追求)そのもの。両者に共通しているのは、市民不在であり施設で働く労働者無視の姿勢である。
 改めて、利用者の立場からも公共施設の存在意義を問い直さねばならない。その際、必要なことは何か。安達智則氏は、次の3点を挙げている。
「(1)情報公開制度の徹底化による開かれた行政を実現すること、(2)市民の参加をえて行政過程(たとえば入札や契約の市民監視)の民主的なコントロールを強化すること、(3)予算編成過程から事業を公開して誰の目にもその姿が明らかになり、そのうえで市民から予算へ意見が出せること」、当該労働者としても心して吟味したい。(注[1])

指定管理者制度の導入 民間リストラ攻撃の公務員版

 同制度の導入は、施設で働く労働者に、これまで以上の「サービスの向上」と他方では「経費の節減」を求める。だが、と草加叔也(空間創造研究所)氏も、こうした前提そのものに疑問を呈する。「『施設整備の目的及び使命』を曖昧にしたまま、指定管理者の公募が実施されているのが現状である。極論すれば、山の高さやその特徴、危険度も示さないままに、如何に効率よく短時間で登れるかを問うているのに似ている。もともと、提示される与条件が曖昧なままであることから、自ずと示される答えも信頼性に欠ける懸念が拭えない」。また、次のようにも指摘する。「『サービスの向上』と『経費の縮減』は、そもそも相反する関係にあり、一方だけに偏った導入は、制度導入の趣旨を履き違える結果を招く可能性が懸念される」。(注[2])拙速そのものだ。
 著者は、制度導入に賛成の立場をとるが、それでも制度導入に疑問を提する。さらに肝心なことは、と私は言いたい。労働組合がなすべきことは、単に、その施設のサービス、経費のみならず、そこで働いていた労働者の去就こそしっかり検証してほしい。職を失った労働者は何名か。労働条件は維持されたか。そうした全容である。
 かつて、バブルの崩壊は、まず民間企業を直撃した。大企業も製造業を中心に、競って合理化を強行した。リストラ、という言葉が独り歩きし、「企業を守るためには労働者は死なねばならない」、そんな時代であった。確かに、大企業の労働者は「生首」を切られることはなかった(かもしれない)。しかし、大企業で「余剰」となった労働者は、下請け・関連会社に「丸投げ」された。「押し付けられた」中小企業は、やむなく自社の労働者を解雇した。玉突き現象である。以来10数年、大企業には「空前の好景気」が到来した。だが、その大企業でも労働者に満足感はない。正社員は減少し、パート・アルバイト、派遣、委託様々な名称を持つ非典型労働者が急増した。ノルマは厳しくなった。ましてや中小の労働者は「蚊帳の外」、景気回復の恩恵など論外だ。
 今日、「指定管理者制度」の導入、という現実を目の当たりにし、当該者である私たちは、かつて民間労働者が直面した惨状の「公務員版」であるような気がする。何の歯止めもなく「濁流」が襲い掛かっている。仮に、制度を容認するにしても、利用者の立場に立ち、当該労働者の意向を踏まえた「歯止め」位はかけたい。
 尾林芳匡氏は制度導入の前提に「労働条件や労働者の雇用を守ってゆくことを条件の中に明示させるべきです」(注[3])という。私たちの切実な要求である。いま、連合や民主党がしきりに口にする「格差是正」、という言葉は単なるスローガンではないはずだ。民間労働組合の苦闘を真摯に受け止め「轍」を踏まないでほしい。今からでも遅くはない。直ちに着手し、関係労働者に展望を示してほしい。願いは切実だ。

指定管理者制度の導入に対する私たちの想い

 自治体関連で働く労働者(特に正職員以外)の権利は極度に限定されている。国(地方自治体も含め)の事業・施設だから、という漠然とした「安心感」は、しかし、現実には何の保障にもならない。そんな時代が来た。一応、(今のところは)法律で身分が保障されている公務員との違いでもある。公社・財団・協会であっても、実質的にはあらゆる計画の基本的な意志決定は行政の仕組みの中で遂行されて行く。加えて、議会の決定や条例が縛る。それは、民間での親会社と下請け企業との関係以上の「制約」である。「指定管理者制度」の導入は、さらに一歩踏み込み、自治体とは「無縁」な団体の管理に委ねることとなった。しかし、実際は今まで以上に監視を強め、財源の紐を絞る。直言すれば、これが「指定管理者制度」だ。そんな風に、私は思う。
 そうした制約下で、私たちのような組合に何が出来るのか。労働三権は、憲法で保障され法律でも守られている。そう教えられ信じてきた。だが、現実との乖離は否定できない。そんな中で私たちの組合は苦闘している。「指定管理者制度」に根本的な疑問を持ちながらも、(不本意ながら)限られた「制約」のなかで、しかも、制度を前提に組合員の、そして施設で働く非組合員を含めた労働者の生活を何とか維持したいと願う。至難の技である。その方途が見つからない。処方箋がない。やっとなしえた「落札」も、期限は5年。いや、すでに1年半近くは過ぎ去った。3年半後の雇用不安は募るばかりである。これでは、人生設計もままならない。「安定した雇用」を条件の一つに、15年前転職したあのとき、こうした現実は想像もしなかった。「先見の明」がなかった、ではすまされない。私たちと同じ心境の労働者が、県下に、全国に何万、何十万いるのだろうか。私たちは、率直な悩みを吐露し警鐘を乱打したい。処方箋はお互いの英知で模索する以外にない。当面、最大の願いは5年毎の更新を撤回し、安心して働ける雇用制度である。再三の労働条件切り下げ「レース」は、もう、ご免だ。

労働組合の社会的責任

 手元に、長崎自治研センターが調査した県下の「指定管理者制度の実施状況の報告」がある。その「指定管理者導入状況一覧」を見れば、県、市、町が保有する「公の施設」5269箇所のうち696箇所が「指定管理者施設」となっている(管理率・13・2%)。個別に見れば、県所有の管理率が85・2%、と圧倒的に高い。以下、大村市・43・5%、五島市31・2%と続く。各市町の進捗状況は特徴的である。私たちの施設を含め、県所有の管理率は異常だ。(注[4])。いや、今から他の施設も移行が始まるのだろう。全体の決着はまだ着いていない。公務員本隊を直撃する「市場化テスト法」も始まる。反撃体制の構築を急ごう。座して死ぬより反撃し活路を拓こう。
 そのためには、この間、職場を失い追放された労働者に県や自治体がいかなる対応をしたのか。新管理者に変更された職場で、労働者の労働条件は、どんな方法で決定したのか。既存の労働組合はどこまで機能したのか。労働法は守られたのか。組合が調査・介入すべき内容は無限だ。退職金ももらえず路頭に迷っている労働者もいるだろう。怒り心頭に達し、だが、結局は「泣き寝入り」している労働者も少なくないだろう。そんな実態を自治労は、連合はまず調査してほしい。制度改革に伴う犠牲者救済の方針を高く掲げ、呼びかけ、連合も辛苦を共にすることを宣言してほしい。「駆け込んでくる」労働者を例え一人でもしっかり受け止め対処してほしい。私たちも、その一翼を担いたい。「踏まれた足の痛みは踏まれたものしか判らない」。同じ当事者として、先頭に立ちたい。共に考え、活路を見出したい。衷心からの叫びである。
 労働組合の社会的責任が指摘されて久しい。が、現実の組合は、本来なら先頭に立って牽引すべき大企業や公務員の組合が、「自らのこと」のみに終始しているように思えてならない。勿論、「本隊」自体にそれ相応の難題が山積しているのも事実だろう。が、政府や財界がわが国の制度そのものを根底から変革しようと着手しているとき、個別に対処して勝てるわけがない。我慢にも限度がある。痛みを取り除く闘いの先頭に労働組合が立ってほしい。10名の弱小組合が大言壮語している感がなしとしない。だが、時には中小の労働者も「天下国家」を語り、連合に物申しても許されるのではないだろうか。そして、願わくば、拙文が喧々諤々の議論の発端になれば、そんな想いを込めている。

  • 注[1]安達智則著 「自治体『構造改革』批判」 旬報社刊 24頁
  • 注[2]中川幾郎・松本茂章編著 「指定管理者は今どうなっているのか」所収 水曜社刊 33、37頁
  • 注[3]尾林芳匡著 「自治体民営化と公共サービスの質」 自治体研究社刊 56頁
  • 注[4]「ながさき自治研」№45 所収「指定管理者制度の導入状況に関する調査(2006)」87頁

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