『私の提言』連合論文募集

第4回入賞論文集
佳作賞

市民活動と地域の労働組合
-「新しい公共」をさがして-

鈴木 泰
(自治労 八王子市職員組合 八王子自治研究センター非常勤研究員)

 近年、行政の大きな課題として市民協働、行政の効率化などが取り上げられる中で、「新しい公共」という言葉が盛んに使われるようになった。
 このことについて、筆者自身がかかわったいくつかの市民活動の現場と成果からいわゆる「新しい公共」の問題点と将来展望、そして一自治体労働者として市民活動から学んだことについて報告と提言を行いたい。
 なお、以下の文章で「市民運動」と書いた場合は特定の目的と要求を持った個別の行動を示し、「市民活動」とした場合は市民運動に加えて、自治会活動や共同清掃なども含めたより広義の行動を示すこととする。

1.「新しい公共」をめぐる諸問題

(1)公共の新たな定義

 2000年前後から辻山幸宣中央大学教授(当時)を始め、多くの公共政策や社会政策の研究者から「新しい公共」およびそれに類似したことについての研究、考察、提言がいろいろ行われるようになった。これは、1970年代から続いた市民運動の歴史のひとつのメルクマールである1998年の特定非営利活動促進法(NPO法)の制定などにより市民活動の公益性が裏付けられ、この法律に基づいて各地に設立されたいわゆるNPO法人などの活動が発展することで市民活動に着目した研究がいっそう進んだためと思われる。
 それまで行政は地縁組織による自治活動などを除き、市民の自主的な運動の多くを「私的」なものとして位置づけてきたが、この間の市民運動の発展と法による裏づけなどの状況の変化が、従来公共の代名詞であった行政組織だけでなく、新たな公共の担い手としてこれら自発的な市民活動を位置づけるようになってきた。その成果について検証するのにはもう少し時間がかかると思われるが、これらNPO法人や市民の「公共(事業)」の担い手としての力量は着実に進歩しているといってよいであろう。さらに行政と法人格の無い市民団体の間で合意形成を文書に残して協定を結ぶ、パートナーシップ型と呼ばれる新しい形の協働も各地で行われるようになってきている。

(2)「新しい公共空間」の問題

 これらの自発的な市民活動の流れに対し、2002年ごろから総務省などを中心にした行政側から「新しい公共(空間)」が提案されるようになった。これは従来の公共事業とされてきたものを事業の担い手の視点から定義しなおし、行政経営の効率化のため「民で出来ることはすべて民へ」としてPFI、公設民営など従来進められてきた公共事業の民間移管、委託などの流れの中にこれらNPO法人などを位置づけ、組み込もうとしたものであった。具体的な政策としては「市場化テスト」などが挙げられる。
 行政も経営体であり、効率的な事業運営のために最適な組織が業務を担う必要があり、公共サービスであってもその実施責任者が最適な事業者を選ばなくてはならないことは当然である。しかし、1970年代から現在に至る行政改革の歴史は、第3セクターの破綻に代表される70年代から80年代モデルの失敗、省庁統合によりいっそう権限を増して肥大化した中央官庁とその外郭組織、その結果として税収で運営することが出来なくなった政府、道路・郵政など規制によって守られ、幹部の大部分が関係官庁の出身者で占められた巨大会社の出現など成功とは程遠いものであった。
 辻山氏が総括しているように、第二次世界大戦後の市民意識と社会経済の変化の中で発生した「政府の失敗」に対して行政改革、歳出抑制、規制緩和、民間開放、分権などの改革が次々に行われたが行政や政治は有効な解決策を示すことにいまだ成功していない。この「新しい公共(空間)」の概念がその何番煎じかにならない保証はまったくないといってよい。すでに、公共サービスのすべてを民間に任せるのは現実的ではない、国や自治体が非効率な「お役所仕事」を見直すきっかけになると期待する、などの意見が出始めていて実施後間もない現在ですら当初の目論見がうまくいっていない事が明らかになり始めている。

2.新しい公共の模索

(1)公共事業への市民参加

 この数年、志木市、我孫子市などでトップダウンにより大胆な「官から民へ」の仕掛けが行われた。志木市では第二の市役所として市民委員会を設置して市民による予算編成を実施、さらに行政パートナーと呼ばれる多くの市民が市の広報の編集や窓口業務など、職員に代わって行政の実務に携わることとなった。我孫子市では「提案型公共サービス民営化制度」により、市民、企業からの市の業務の民営化提案を受け付けることになった。マスコミなどには華々しく取り上げられたものの実際には志木市長は2期目には出馬せず、市民委員会は市長退任後1年で解散、広報の編集も再び自治体直営となった。我孫子市でも平成17年までに民営化可能なすべての公共サービスがリストアップされたが、実際に始まった平成18年度では76件の提案が会ったが実際に事業化されたのは公民館の講座など3件だけだった。
 それぞれ社会実験としての意味はあったかもしれないが実務としてはその準備と実施に時間と費用を要した割にその効果は少なく首長のパフォーマンスに終わった感が強い。他の地域では地縁型組織の延長として町村合併後の地域自治組織などでの成功事例はあるものの、都市部での既存行政組織への行政主導の市民参加は必ずしもうまくいっていないのが実情である。その理由はいわゆる「官」の非協力だけでは無く市民協働とこのような市民サービスのアウトソーシングがそぐわないことにある。

(2)行政の仕事の分担だけが新しい公共か

 コスト削減の一翼を市民が担うのを当然のように考えている行政サイドからの「新しい公共」への参加要請は現実に市民活動を行っている側から見ると魅力的でないことが行政にはわかっていないのであろう。従来行政でやってこなかったこと、出来ないことをやりたいから市民は自分の時間や費用を使って主体的に動いているのであって、行政の(下請)仕事をしたいからではない。行政が決めた仕事をするだけならば臨時職員と違いはないし、志木市のように意思決定や予算策定に市民が参加して行政事務をいっそう煩雑にするだけである。そもそも、協働の原則は行政と市民の対等性にあり、行政が自分で仕事を切り出してきて(仮に第三者の委員会などが判断しても最終決断をするのは行政トップの市長であるから実質的な違いはない)「さあ、誰かやってください」というのはこの原則から見て適切であるとは思えない。
 公共事業は、委託を受ける民間企業で働く労働者にとっても、本来コストダウンが目的の公共事業の受注は、短期の受託期間による雇用不安、低賃金による人件費の抑制を伴う低価格入札等が宿命となっており、「利益を上げて賃金を増やしたい」労働者、あるいは企業経営者にとっても決して好ましいタイプではない仕事となりつつある。

3.市民活動の現場から

 ここまで述べてきたように市民活動は行政の下請ではないし、またそうあってはならないものである。市民協働による「新しい公共」は行政の願望、幻なのだろうか。自分自身がかかわった市民と行政のパートナーシップで生まれた実際の「新しい公共」の事例をいくつか報告したい。

(1)国際チェロコンクールと市民運動…NPO法人チェロ・コンサートコミュニティ

 2001年、労働組合日本音楽家ユニオンの代表を務めた音楽プロデューサーでポピュラーギタリストの浜坂福夫氏を中心に、八王子で国際音楽コンクールを開催しようという人々が集まった。浜坂氏を除いては音楽界の有力者などは一人もいない、音楽が好きな普通の市民の集まりであった。八王子自治研センターがその初期の会合の場となり、非常勤の研究員として出入りしていた筆者も市民活動支援の一環としてかかわることとなり、実行の母体がNPOとなってからは理事となっている。
 この運動の初期は浜坂氏の強いリーダーシップと音楽界での人脈が運動を牽引していたが、徐々に「第1回ガスパール・カサド国際チェロコンクールIn八王子」の実現に向けた幅広い市民運動となった。カサドはカザルスなどと並ぶ20世紀を代表するチェリスト・作曲家であり、1966年の没後、夫人の日本人ピアニスト原智恵子氏の主宰によりフィレンツェで1990年まで10回のカサド・チェロコンクールが開催された。原智恵子氏は晩年日本に戻り、コンクールの再開を願いながら八王子市に近い青梅市の老人ホームで晩年を過ごしていたが、2001年に亡くなり、訃報を聞いた浜坂氏がその遺志を引き継ぎ、コンクールを再開することを決意したのであった。
 2003年には実行母体としてNPOチェロ・コンサートコミュニティー(CCC)を設立、名称を引き継ぐことについてのフィレンツェへの照会、特別後援(メインスポンサー)の依頼などの資金獲得活動も始まったところで浜坂氏が入院、2004年7月に亡くなってしまった。しかし、再びその遺志をついで「素人ばかり」のNPOと浜坂氏が指名したプロデューサー(専門家)がこの間にさまざまなプレコンサートを開催しながらコンクールの実施に向けて踏み出していった。
 コンクールは2005年に開催を予定していたが、組織の立ち上げに時間を要し、さらに活動の初期から自治体のかかわりの必要性は言われていたものの、大方の評価は「開催出来るかどうかわからない」であり、なかなか市の後援さえもらえなかった。しかし、事務局の維持も危うい状況の中で市民サポーターが徐々に増え始め、ついに市内に研究開発センターがある光学・医療機器の大手メーカーがメインスポンサーを引き受け、費用の約三分の一に当たる金額を支出してくれることが決まった。企業の決断は市を動かし、1年延長して2006年の市制90周年の記念行事に位置づけて実施することとなり、市長を名誉会長に、CCCの理事長(本人に言わせれば普通のおばさん)を実行委員長として「第1回ガスパール・カサド国際チェロコンクールIn八王子」実行委員会が結成された。心配された運営費用についても市の支出に加え、多くの企業、市民の寄附をいただくことができて無事8000万円超の資金が集まった。
 行政の参加を得て、コンクールは市民に幅広く認知されるようになり、運動は一気に広がった。結果としては無料の予選から合わせて3000名を越える市民が聴衆として参加、専門家からの評価も高くコンクールは成功裏に終わり、現在は第二回目の開催に向けて準備が進んでいる。そして、その中心はやはりCCCが担っている。
 八王子市には既存の芸術文化振興財団があり、市の公共ホールの運営等を手がけていたが、単発の事業がほとんどでこのような明確な目的、そして国際的な催しを実施することは出来なかった。コンクールの目的、内容は当初からのNPOの主張に沿って実施されて成功したといってよい。しかし、市や財団の全面的な協力がなくてはこのような全市的イベントとしての盛り上がりはありえなかったことも事実である。コンクールが今後開催を重ねていき、名実共に日本の音楽界そして市を代表する国際イベントになることが期待されている。

(2)市民環境科学の実践と広がり…身近な水環境の全国一斉調査

 八王子市が属する多摩地域は市民運動の盛んな地域であり、明治時代の困民党、自由民権運動にはじまり、戦後の高度成長期以降もさまざまな市民運動がこの地域で発生し全国に影響を及ぼしてきた。それらの市民運動の中でもっとも新しいもののひとつが「身近な水の一斉調査」である。筆者自身は市職員と市民で作った自主研究グループの一員として1991年ごろからこの調査の前身に参加している。
 多摩川水系では早くから環境保全のための市民運動が流域各地で盛んになっていた。例えば、1970年代から国分寺市を源流にする野川の流域では都市化による水質の悪化や湧水量の減少に対する市民のモニタリングが始まっていた。
 そのような多摩地域の市民運動の中から、同じ多摩川水系の支流、南浅川で1984年から始まったのが八王子市の浅川地区環境を守る婦人の会による南浅川の水質調査やアンケート調査、木炭による水質浄化などの試みであった。この活動は日野市にも広がり1986年の浅川の環境調査連絡会による浅川流域全体の水質調査、そして1989年から本流の多摩川水系全域で始めた「多摩川水系身近な川の一斉調査」、1995年には隣接する「荒川水系・新河岸川水系身近な川の一斉調査」も始まった。
 この間、事務局としての三多摩問題調査研究会やみずとみどり研究会、半谷高久東京都立大学教授、小倉紀夫東京農工大教授などの研究者による助言と指導、現場で使える簡易水質検査キットを開発した中小企業の共立理化学研究所ほか多くの研究者、ボランティアなどが一連の市民活動を支えてきた。
 これらの市民運動の流れが国を動かし、2004年から全国水環境マップ実行委員会(委員長小倉紀雄)が主催する「身近な水環境の全国一斉調査」が市民と国土交通省河川局、河川環境管理財団との協働により始まり、既に2007年6月に第4回が行われている。
 以下は2004年12月14日の国土交通省によるプレス発表の一部分である。
 「今年の6月4日(日)を中心に、簡易機材を用いた同一手法による第3回「身近な水環境の全国一斉調査」を、市民と国土交通省が協働して行いました(調査実施は市民、調査器材等の提供は国土交通省)。
 この調査は、平成16年から毎年実施しており、今年で3回目となります。平成16年の第1回調査(531団体、2,545地点)と比較すると、平成17年の第2回調査(1,000団体、5,018地点)で団体数、地点数がほぼ倍増し、大きな広がりを見せ、今年の第3回調査(944団体、4,923地点)では、第2回とほぼ同じ規模の調査となっています。」
 主催者である実行委員会は、北海道から沖縄までのそれぞれ水問題について粘り強く活動をしてきたNPO、財団法人、社団法人、任意団体などによって構成されるネットワーク型市民運動(参加者の中には異なる局面では国土交通省などと厳しく対立している市民運動の担い手も少なくない)であり、事務局は任意団体である。主催者の正当性は積み上げてきた運動がもつ「誠実、正義」とそれを支援してきた「科学」によるものといってよい。
 国土交通省が参加したことでこの調査への参加者は市民団体に加え、全国の学校や公共団体など大きく広がった。実行委員会では「100年」を目標に世界でも類の無い長期の広域環境モニタリングを目標としている。

(3)労働組合が事務局を担った地域の公園作り…小田野中央公園を作る会

 八王子市では2002年、「行政と市民活動団体(NPO)の協働のあり方に関する基本方針」を策定し、それを受けて八王子市市民活動協議会を設立、2003年には市民活動支援センターを開設した。こうした基本方針の下、市は協働によるまちづくり推進の一環として、町会・自治会、市民グループ、学校、企業が、道路や公園などの公共施設の「里親」となり、清掃、除草などを行う、公共施設アドプト制度を行っている。
 八王子市の西部、恩方地区にある小田野中央公園は、面積約2.9haと市の管理する公園としては規模が大きいほうだが、未整備な部分も多く2004年に計画段階からの市民協働で公園整備を行うことが決まった。その受け皿になったのが市民団体地縁型自治組織、市民活動団体が一緒になった「小田野中央公園を作る会」だった。
 この会が結成された背景には、この公園に隣接する重度知的障がい者の福祉施設、東京都立福祉園の労働組合を中心に1997年から積み重ねられてきた地域市民活動「ゆうやけの里・地域福祉フォーラム」の活動があった。「地域でともに暮らす社会」を作るためのノーマライゼーション実現と地域市民としての労働運動の実現を目指し、地域の地縁組織の町会自治会連合会などの理解を求め、協力をいただきながらワークショップ形式で話合い、提案を行っていくフォーラムの開催を積み重ねて(平成18年6月現在で17回)地域に根ざした運動を形成していった。そして、八王子市から地域に公園整備の計画が伝えられたとき、ごく自然な形での協働が始まり、事務局は福祉園労働組合の中におかれた。
 会議、ワークショップ、各地への調査、事務局会議などが積み重ねられたが、市民活動協議会を通じて自然環境や公園整備の専門家、中学校のクラブ、公園利用者(犬の散歩、保育園、幼稚園など)など幅広い市民が参加し、隣接する河川管理者の東京都、八王子市職員と一緒に整備の全体方針、植栽や遊具の配置、使い方のルールなどが論議された。また、伐採された樹木や落ち葉を使った遊び、植樹などのイベントの時には多いときには200人を超える市民が集まって行われた。通常の公園整備では委託業者の管理が主な業務の市職員も、現場のワークショップの裏方として市民活動を支えた。
 筆者も縁あってワークショップのお手伝いで何回か参加したが、設計段階からの市民参加で整備開始は遅れ気味となったが、八王子市も行政のスケジュールよりも市民との合意形成を重視し、公園整備を当初計画から遅らせることを決断した。そして2006年の1月、八王子市と「作る会」の間でパートナーシップ協定が結ばれた。通常このような協定は整備に先立つ話し合いのルールとして結ばれることが多いが、この場合は行政と市民が徹底的に話し合いを行い、その結果として結ばれたところに大きな特色がある。
 2007年現在、公園の整備は進み、子どもたちがデザインして市が設置した日時計、川に下りられる親水デッキなどが作られ、市民の手で植えられた桜も育ち始めている。来年度からはその管理がいよいよ市民活動団体にゆだねられることとなっている。

(4)まとめ

 ここで紹介した事例はおおむね成功した市民運動である。失敗事例も取り上げる必要があるかもしれないし、これらももっと深い内容があるものを表面的に紹介したに過ぎないが、この出来事は実はこの数年間に1つの自治体の周辺で同時に進行していた。筆者は職員としてではなく地域への愛着、自治研センターの研究活動の実践などの視点から参加したが、それぞれが無関係なように見えても実はその底流に共通した新しい動きを見出すことが出来た。3つの事例に共通している要素を挙げてみると
◎市民の粘り強い活動と実践の積み上げ
◎市民と専門家による説得力のある事業スキームの構築
◎市民が要求して行政が実施するのではなく実行に移ってからも担い手としての市民が主体的に参加している
◎市民が会話と現場での活動を通じて行政を納得させ、最終的には議会の議決を経て公共事業(サービス)として実施された
ことなど、「成熟した市民活動への行政の参加」が成功要因といえる。
 また、市民活動の中での市民相互の関係は立場を越えた「連携と信頼」であり、これは労働運動の本質と大きな差はみられないし、労働組合OB,活動の経験者などが中心にいるケースも多かった。また、福祉園のように人間的で民主的な価値観の表現としての組合運動を地域に率直に訴え、信頼を勝ち得たケースもある。
 ちなみに現在市民協働を担っているのは従来からの地縁型組織に加え、いわゆるシニア層、特に企業の経営者や福祉・環境などに関心が高い専門家の企業OBなどがNPOや任意団体の主要なメンバーやリーダーになっている。今後の団塊の世代の大量退職を迎え、このような人々のいっそうの増大が予想されているが、これらの人々や組織は専門家の育成や雇用を怠った上に、3~4年程度で異動する地方自治体の担当職員などよりも専門知識や経験で上まわっている場合も多い。

4.新しい公共を探しに

(1)市民活動から生まれる公共サービス

 これまで見てきたように先進的で成果を挙げた市民活動は従来の公共事業や事務をシェアするのではなく、まったく新しいことが「公共」の中に位置づけられた場であった。例えば、チェロコンクールの資金、公園整備における立場の違う市民団体の組織維持などのリスクが存在していたが、それらを克服して市民運動は公共性を獲得した。ここには、「古い公共」を独占している異常に高い給与の行政から天下りしてきた事務局長などはいない。ただし、無償で公共を作ってきたプライドの高い市民との協働が求められた。市民運動の最前線では従来の行政メニューには全く存在しなかった課題や事業が次々に発生し、行政の新しいサービスが生まれているのである。
 筆者は、全ての運動や活動に身分を明らかにした上で無償のボランティアとして参加したことで、市民の現状への苛立ちだけではなく組合や行政職員への期待もあることを肌で感じることが出来た。市民は行政を見捨ててはいないのである。

(2)新しい公共と労働組合

 筆者は、押し付けや既得権擁護ではない、真の「行政改革」のためには現実に自治体で働くものが、行政が現在行っている仕事が全て本当に必要なものなのかどうか、見直すことが欠かせないと考える。多くの公務員は自分たちの今、やっている仕事だけが「公共(サービス)」で、「改革」する側もこれを切り分けることが行政改革だと思い込んでいないだろうか。労働組合が既得権や先入観にとらわれている限り本質的な仕事の効率化や刷新は決して望めない。市民の望むサービスは、現場での市民との信頼と連携の中で見つかると確信している。

【参考文献】

  • ・「月刊自治研」2007年6月号
  • ・「月刊自治研」2007年8月号
  • ・「東京の自治」2006年6月号

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