CSR推進に向けた労働組合の課題──働く者にとってのもう一つのたたかい──鈴木 祥司(生保労連本部・労働局次長)
~はじめに~働く者にとって「しあわせ」とは何だろうか。それにはさまざまな要件があるだろう。仕事がやりがいのあるものであること、働く環境や条件が満足のいくものであること、生活が豊かでゆとりあるものになることなど、枚挙にいとまがないが、それらに大きくかかわるものとして近年重要性を増していると思われるのは、みずからの属する企業が「誠実な企業であるか」「さまざまな社会的責任を果たしているか」といった点である。社会的評価の高い企業に働く者であれば、自分が従事している仕事の一つひとつが社会的にも意義あるものと実感しやすいであろうし、日々の働きがいも大きく向上しよう。そのようにみずからの働く企業が社会的に評価されているか否かは、働く者にとって「しあわせ」に直結した課題となっている。 近年、関心が高まっているCSR(企業の社会的責任)は、利益を追求するだけの組織から「社会の公器」にふさわしい組織へと、企業のあり様を根本から変えるという点で大きな可能性を秘めている。労働組合にとっても、働く環境・条件の整備にとどまらず、働く者としての誇りを取り戻していく上で、「CSRは大きな武器になるのではないか」というのが本稿の問題意識である。ただし、それを真に実現していくためには、労働組合の運動のあり方・方向性をあらためて問い直すとともに、労働組合みずからも変わっていく必要があるといえ、それらの点についても私見を述べていくこととしたい。1.CSRとは何か(1) CSRの基本的概念 CSRの定義・概念は、国や地域によって異なるだけでなく時代とともに変化する性質のものであり、厳密な規定はないが、わが国の現状に照らした場合、おおむね(図表-1)の6つのカテゴリーに整理できるものと考えられる。これらは相互に関連性をもつと同時に、さまざまなステークホルダーを内包している。ここで挙げているステークホルダーは 主に顧客・従業員・取引先・株主・地域社会(住民)であるが、実際の企業活動には政府やNGOをはじめ、より多様な利害関係者が存在する。CSRとは、こうした幅広いステークホルダーから経営に対するチェックを受ける一方で、当該ステークホルダーに対してさまざまな責任(法的責任・倫理的責任・経済的責任など)を果たしつつ、着実に[1]~[6]を実践していくことに他ならない。 (図表-1)CSR(企業の社会的責任)の基本的概念
※筆者作成 なお、これら6つの概念は、CSRを実践していく上でいずれも欠くことのできない重要なものであるが、ここで強調すべきは、「[5]企業倫理の確立」と「[6]財務基盤の確立」がすべての基礎になるという点である。すなわち、[5]と[6]なくして[1]~[4]のいずれも成り立たないといえるほど、「企業倫理の確立」と「財務基盤の確立」はCSRの要諦・土台となるべきものである。 (2) CSRへの関心の高まりの背景 わが国でもかつて「企業の社会的責任」に関する議論が盛り上がりを見せた時期が幾度かあった。高度経済成長期における公害問題はその最たるものであろう。環境汚染を省みず企業利益の追求を優先した結果、多くの地域住民や自然に甚大な被害をもたらし、各方面から痛烈な批判を浴びたことは、けっして風化させてはならない事実である。1990年代に入ってからも、バブルとともに拝金主義に陥った多くの企業がバブル崩壊とともに不良債権化したが、これも「企業の社会的責任とは何か」が問われる契機となった。 ここ数年のCSRに関する議論の盛り上がりは、わが国におけるこうした「企業の社会的責任」論議とけっして無縁ではないが、これまでとはかなり異なる様相を呈している。今日的な特徴としては、今回のCSRへの関心が欧米諸国を中心に世界的規模で高まっている点が挙げられ、それは主に「CSRに関する規格化の動き」*1と「SRI(社会的責任投資)の顕著な拡大」に象徴されよう。
それでは、CSRが世界的規模で求められる今日的な背景は何か。第一に、経済の市場化・グローバル化の進行により大競争時代に突入し、国家間・企業間の格差拡大や環境破壊への対応、さらには雇用の維持などが大きな課題となる中で、企業に対して節度と品格のある行動が強く求められていること、第二に、国内外を問わず企業不祥事が相次ぐ中で、企業倫理の確立やそれにもとづく公正な企業活動を求める機運が急速に高まっていることが挙げられる。第三に指摘できる点は、これら2点の背景・土壌ともいえるが、国民・消費者の意識が成熟し、企業の行動を経済的側面だけでなく、倫理的・社会的側面など多角的に評価する傾向が強まっていることであろう。 *1国連グローバル・コンパクト(2000年制定)やOECD多国籍企業ガイドライン(2000年改定)などの国際的な基準・ガイドラインが相次いで制定・改定されるとともに、国際標準化機構(ISO)においてもCSRの国際規格について検討が進められている。 2.労働組合がCSR推進に取り組む意義冒頭で「労働組合にとってCSRは大きな武器になるのではないか」と述べた。現状においては労働組合より経営サイドの方がこれに敏感に反応し、CSR実践への積極姿勢が見られることは否めない。CSRは経営課題そのものであるし、常に市場の評価に晒されている経営者にとって軽視しえない(対応せざるをえない)ものにまで影響力を高めていることも背景にあろう。しかし、労働組合にとってもCSRは、今後働く者のために果たすべき基本的な役割・課題と密接に関連しているだけでなく、みずからその推進に大きな影響力を発揮しうる立場にある。従って、労働組合がこれに後塵を拝することは、働く者の将来に禍根を残すことにもなりかねない。 以下、労働組合がCSR推進に取り組む意義について、現在と未来を見据えつつ述べていくこととしたい。 (1) 働く者が主人公となる経営への転換をめざす 私たちが今生きている時代は「ポスト産業資本主義の時代」といわれる。岩井克人によれば、「ポスト産業資本主義の時代」とは「・・・新しい技術の発明、・・・新しい製品の開発、・・・新しい市場の開拓、・・・新しい組織形態の導入といった形で、みずからを他の企業から差異化することによってしか、企業が利潤を生み出せなくなった時代」あるいは「おカネの支配力が弱まっていく時代」とされる。それでは利潤を生み出す差異はいったい何処から生み出されるのか。岩井は「ポスト産業資本主義においては、おカネで買えるモノよりも、おカネで買えないヒトの中の知識や能力の方がはるかに高い価値をもちはじめている」という。このようなことからも、21世紀の企業経営において利益を生み出す源泉としては、おカネ(資本)の提供者としての株主などよりも、価値としての「新しさ」を創造しうる「従業員」の位置づけ・重要性が高まるのではないか。
CSRは、こうした従業員重視経営の実践を経営に促すものである。利益拡大のみを至上の価値とする企業であれば、その目的のためには従業員を他の経営資源(カネやモノ)と同様に取り扱うこともありえよう。しかし、従業員は本来、利益の源泉である以前に、人間としての尊厳が守られなければならない存在である。CSRは企業に対して従業員へのさまざまな責任を求め、それらの責任を果たさない企業を市場から駆逐するものである。従って経営と労働組合の関係も、CSR経営の進展によっては、これまでの対立の構図から、めざすべき基本方向が一致する可能性がある。*3 *2 近年、商品の品質や安全性に関わる事故等が多発しているが、これについては、熟練技能者を減少させるなど、短期的視野から効率化や収益を優先した結果生じているとの指摘もある。 (2) 働く者にとって誇りのもてる企業にする ここに一つの調査結果がある。社会経済生産性本部が実施した「2004年度 新入社員意識調査」である。これによると、「会社のためにはなるが、自分の良心に反する手段での仕事の遂行を指示された場合、指示の通り行動する」とした者が、1990年の調査開始以来初めて4割を超えたという。同本部は「新入社員の倫理面での悪化傾向が伺える」と分析しているが、この調査結果はいったい何を意味しているのだろうか。一つは、倫理面での改革意識に乏しい従業員が将来的にも増える結果、企業による不正の放置・拡大につながりかねないということである。もう一つは、企業のあり様について従業員が仮に何らかの問題意識をもったとしても、それに一個人・一従業員として立ち向かっていくには、あまりにも自分の存在が小さく思えてしまうということを表しているのではないか。これは新入社員に限った話ではなく、むしろ勤続年数を重ねるにつれ無力感が大きくなるケースも多いだろう。 実際、企業による不祥事は後を絶たない。かつて名門と呼ばれた企業が不祥事を機に破綻に至るケースもめずらしくない。その場合、従業員の生活基盤や国民生活に与える影響は計り知れないが、たとえ破綻に至らなくても、企業による不祥事や不正は、長年をかけて築き上げた企業イメージさらには従業員の誇りや尊厳を大きく傷つけることになる。 このような中、前章で「企業倫理の確立はCSRの要諦」と述べた通り、すべての企業にとって、コンプライアンスをはじめとする企業倫理の確立は極めて重要な経営課題となっている。不正が経営トップの主導によるものなのか、従業員の自発的なものなのかは、本質的な問題ではない。「競争に勝ち抜くために、ある程度の不正は当然」といった、企業倫理より企業利益を優先する意識・企業風土こそが問題なのであり、今まさに企業文化そのものが問われているといえよう。コンプライアンスの徹底にともなう業務やコストが増え、現場からも悲鳴があがっているとの指摘もあるが、コンプライアンスと利益の追求は本来矛盾するものではなく、むしろ利益を追求するためにもコンプライアンスの徹底は必要不可欠なものである。長期的視野に立てば、「コンプライアンスを企業文化にまで昇華している企業は、ステークホルダーとの信頼関係を確固たるものとし、持続可能性を高める」ということを確信し、その重要性を全社的に共有するよう努めるべきである。*4 確かに一人で不正に立ち向かうのは困難である。しかし、労働組合がコンプライアンスに重大な関心をもって後ろ盾となることで、働く者一人ひとりが安心してそれを担い、不正を放置しないことは可能である。皆で不正に立ち向かうことで、これまで一人では無力に思えたことを一つひとつ実現していくこと、そして企業のあり様(企業倫理・企業文化)を働く者にとって誇りのもてるものに変えていくこと、そのために労働組合は今何をすべきかが問われている。 *4法令等で定められているコンプライアンスの内容が、現場実態等に照らしてそもそも適当なものであるかという点については、他の議論に委ねることとする。 (3) 連帯の文化を育み 共生社会を創る CSR実践のめざすところは、企業によるすべてのステークホルダーへの貢献および社会との共生である。それは、企業を「社会の公器」にふさわしい組織へと再生させることを通じて初めて可能となる。そして、この実践を進めれば、(理想論かもしれないが)働く者だけでなく、社会の隅々にまで信頼と連帯の和が広がり、ひいては私たちのめざす「共生社会」に少しでも近づく可能性があるのではないか。 一つの例を挙げよう。流通業界のA社は障害者を積極的に雇用し、法定雇用率を大幅に上回っている。同社は、障害者を特別扱いしないし「生産性が下がる」とネガティブにも捉えない。むしろ障害者の存在が従業員一人ひとりの意識の中に助け合いの精神を育み、職場のチームワークを高めるとともに、そのことが顧客へのきめ細かな配慮につながると積極的に評価している。顧客サービスの向上は企業収益を向上させ、ひいては企業の持続可能性を高めるといった好循環をつくり出している。*5 A社の例から学ぶべき点は、単にA社によるコンプライアンスの実践ではない。コンプライアンスを一つの契機としながら、新たな企業文化の創造や顧客サービスの向上につなげている点こそ高く評価すべきである。ここには、企業が一つの社会的責任を果たしつつ、従業員さらには顧客をも巻き込んで信頼と連帯の和が広がっていく様子がうかがえる。このことは、CSRの実践が連帯の文化を育み、共生社会への架け橋になるということが、けっして夢物語ではないことを私たちに感じさせてくれる。 「競争」あるいは「企業利益の追求」それ自体を否定するわけではない。しかし、今日の企業に求められるものはこれにとどまらない。私企業といえども常に「社会の中の企業」「社会あっての企業」であることを意識し、私的な利益のみならず「公共の利益」をも追求することが求められているということを強く認識すべきである。また、わが国に張りめぐらされつつある「競争優位のシステム」が国民・勤労者の生活不安・将来不安を煽る原因の一つとなっているといった指摘もある中で *6、これらの不安を払拭し活力を取り戻すためにも、安心・協力して働ける企業社会の構築に向けたCSRの推進が強く求められている。*5 2004年5月3日 日本経済新聞「経営の視点-障害者積極雇用」 3.CSR推進に向けた労働組合の課題
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