同志社大学「連合寄付講座」

2007年度“働くということ―現代の労働組合”講義要録

第12回(7/6)

私のまとめ

石田光男 同志社大学社会学部教授

 今回の講義では、日本の社会がどうあるべきかについて、「労働組合の意義」を含めて考えたいと思います。

1.労働組合とは

  一言で言うと労働組合とは労働力の集団的販売組織です。とはいえ、この説明では、労働組合とはどういう組織のことを言うのかについて、具体的なイメージが湧いてこないと思います。そこで、今回はウェッブ夫妻が1897年に出した『産業民主主義』という本にそって、もう少し分かりやすく説明してみたいと思います。

1-1.労働組合の生成
  『産業民主主義』の第三篇第二章に「市場の駆け引き」というチャプターがあります。そこにおいて、ウェッブ夫妻は労働組合の発生原理とその必要性を説明しています。

1-1-1 自由競争の利点と厳しさ
  このチャプターでまず、ウェッブ夫妻は、自由競争の利点と厳しさについて述べています。皆さん自由競争が良いというのですが、実際にそこで生きている人たちは、自由競争は苦しいと感じているのです。実社会では皆さん、建前としては自由を尊重するのですが、実際は保護されたいと思っているのです。これが人間の矛盾です。市場に目を向けますと、そこで圧倒的な力を持っているのは消費者なのです。なぜなら、消費者は、好きなものを自由に買えるからです。いらないと思えば買わなければすむ話ですから、市場において消費者の持つ力は絶大なものがあります。そして、消費者の圧力が、小売業から卸売業、製造業へと繋がっていくのです。
  要約すると、自由競争の下では、買い手が圧倒的に有利であり、売り手はただ圧迫感を感じるのみであるということであります。格差が社会問題としてクローズアップされておりますが、私達がものを買う時、商品の値段や品質には関心が向きますが、それを作っている労働者の労働条件を気にする人はまずいません。ウェッブの言葉を借りて言うと、消費者は雇用条件に関するあらゆる道徳的考察に対しても、全て自由となるのであります。例えば郵便物や宅配物について考えてみてください。消費者はどれだけ早く着くのかについてのみ関心を持っています。ドライバーの労働条件について考えている消費者は殆どいないはずです。

1-1-2 消費者の圧力に対する防波堤1
  ですから、働いている人であれ、企業であれ、その圧力に抵抗するために防波堤を作ろうとします。例えば、企業は専売特許や商標(ブランド)によって圧力に対抗します。今最も効果的な防波堤はブランドではないでしょうか。ブランドを築くことができた企業は、価格競争から開放されます。デパートの一階にあるブランド商品を見てください。同じような鞄でもブランドものになればそうでないものに比べて、価格は4倍程度になります。それでも売れるのです。したがって、ブランドを構築するということは、消費者の圧力に対する最も有力な防波堤と言えます。
  ここで問題となるのは、労働者はいかにしてその防波堤を作るのか、ということです。そのための組織として労働組合がある、と19世紀にウェッブは観察したわけです。

1-1-3 防波堤2
  話の焦点を苦汗産業に向けたいと思います。ここでの防波堤は、労働者の低賃金である、とウェッブ夫妻は述べております。上のブランドの例は、商品の価格を維持するための防波堤でした。しかしながら、このもうひとつの防波堤は、商品の価格下落に対応するために、コストを下げる、なかでも、労働力の価格を著しく下げることで自由競争に対して防波堤を築こうとしているのです。後でも述べますが、このような産業に対して、ウェッブは否定的であります。

1-1-4 産業社会に確かに存在する防波堤
  ウェッブの産業社会を見る上での卓見は、企業であれ労働者であれ、皆が自由競争に対する防波堤を築こうと努力していると見たところにあると思います。つまり、産業社会は自然的自由(natural liberty)ではないのです。ですから、ウェッブは様々な防波堤とその是非を研究する必要があると述べております。私も社会科学は、社会の様々な防波堤について、研究を行う必要があると思います。そして、その防波堤の一つとして労働組合があるのです。
  また、ウェッブの労働組合に対する見方で優れていると思うのは、別に彼らは特別なことをしているのではない、と述べている所にあると思います。ウェッブは、労働組合は「慣習的消費標準」に固執しているだけであると述べています。ウェッブは、「慣習的消費標準」への固執は、誰でもが持っているものであると述べています。人々は、慣習としてこういう食事がしたい、こういう衣服が着たい、こういう暮らしをしたいというような標準を持っている、とウェッブは言っているのです。そして、その標準を維持するために労働組合がある、という風にウェッブは観察しています。まことに素直で素晴らしい観察だと思います。

1-1-5 労働組合の必要性
  「慣習的消費標準」は曖昧なものです。この曖昧さから生じる慣習の不確定性をウェッブは「慣習的消費標準」の欠陥と述べています。その欠陥を是正するために労働組合が生まれたというのが、ウェッブの主張であります。
  ウェッブによると、労働組合は、慣習的標準を維持するために①精巧な賃金表や出来高賃金率の制定、②標準労働時間の決定や残業の制限、③職場の安全に関する特別規則の制定などを行います。そして、それを実現させるために(ア)相互保険、(イ)集合取引(団体交渉)、(ウ)法律制定の三つの方法があると述べています。相互保険とは、例えば失業中に労働者が自らを安売りすることが無いように、失業期間中は失業保険を支給することです。このことによって安売りへの防波堤を築きます。次の集合的取引とは、話し合いで条件を決めることです。その時に労使の代表者が話し合いを行うことが重要なことです。一人一人が話し合いを持つ機会を無くすことで、個人が労働力を安売りすることを防止することが目的です。これも防波堤の一つであります。最後に、法律で最低基準を設定し、労働力の安売りを防止する方法があります。このような三つの方法を労働組合は駆使して労働者の労働条件を守っているのです。
  しかし、皆さんは、労働条件を守る、または向上させるということについて、懐疑の目を持っておられると思います。労働条件の向上が逆に失業者を生むのではないか、または、労働条件の向上が企業の競争力を削ぐことになるのではないか、このような疑問が生じるのはごく当然のことです。したがって、私達は最低賃金を上げるなどの規制が、産業社会にどのような影響を与えるのかについて考えなければなりません。ウェッブはその点をどう考えたのでしょうか。

1-2.労働組合の経済的効果
  これについては、第三篇第三章で描かれています。結論を先に言いますと、最低条件が引き上げられる、つまり自由な市場競争に何らかの共通規則(コモンルール)を設定することによって、市場での競争は賃金から仕事へ、価格から品質へ変換する、とウェッブは述べています。ウェッブはそうした規制に耐えることができない産業や企業は無くなっても仕方がない、とも述べております。そうした産業をウェッブは寄生産業と表現しています。これは、つまり、労働者の生活を犠牲にして辛うじて成り立っている産業は、あってはならない、ということであります。したがって、労働の最低条件を上げていくことが直ちに自由な競争を阻害するものではないのです。更に、ウェッブは賃金を引き上げることが、国民の品性、生活の向上につながり、それを通じて国家が豊かになるという見解を示しております。
  ウェッブの見解は、一方で残酷なことを述べているとも言えます。低賃金に依存している企業は淘汰されるべきであると述べていますから、その意味では非常に残酷と言えるでしょう。しかしながら、現実には寄生産業は存在しています。そういう産業に応募する、ウェッブ流に言うと「小なる能力とわずかな欲望」をもった労働者が、社会には一定の割合で常に存在しています。この人達には、相互保険や集合取引の団結は有効に機能しません。そこで、法律による国民的最低限を設定する必要があるというのが夫妻の見解です。
  まとめますと、団体協約であれ法律であれ共通規則という方法を選択することで、競争の圧力は賃金から品質へと移り、そのことによって労働者はより有能になろうとし、産業もより効率的な運営を目指すようになるというのがウェッブの主張の要点であります。

2.苦難の根拠(自由と平等の視点から)

  ウェッブの主張では、労働組合は当たり前の社会を実現するために様々な取り組みを行っているのであり、社会にとって必要不可欠な存在であると認識されています。しかし、現実の世界に目を向けますと、話はそこで終りません。特に日本では組織率が約18%に落ちていることからも分かるように、労働組合は苦難の歴史を辿っていると言えます。その苦難の根拠とは何処にあるのでしょうか。

2-1.日本の特殊なルール形成様式

2-1-1 労使関係の分析枠組み
  労使関係の特徴を理解するための分析枠組みは二つあります。一つは、共通規則を何処で決定するのか、という視点があります。共通規則を全国レベルで決めるのか、産業レベルで決めるのか、企業レベルで決めるのか、それとも職場レベルで決めるのか、この点に各国の労使関係の違いが現れます。全国レベルで決めるとすればその労使関係は、非常に集権的(centralization)な労使関係といえます。逆に、企業や職場レベルで決まっているとすれば、分権的(decentralization)と言えます。次に、二つめの分析枠組みは、賃金が個別で決められるのか(個別化)、それとも集団で決められるのか(集団化)という視点であります。

2-1-2 各国の労使関係の特徴と日本の労使関係の特徴
  この二つの視点を通じて見ると、例えば、私の知る限り、1970年代頃のスウェーデンは、全国レベルで共通規則が設定され、賃金は集団的に決められていました。それから、ドイツは産業レベルで共通規則が取り決められます。自動車、鉄鋼、造船などの金属に関わる産業が集まって労働組合が、それらの産業が集まった経営者団体と交渉を行います。ドイツは地域毎に産業別で賃金表を作るのです。また、アメリカでは、かつては、産業別組合と産業を代表する大企業数社によって規則が決められていましたが、近年日本のように企業別交渉のみを行う企業が増えています。
  ところで、日本はどのように特徴付けられるのでしょうか。日本は、個別企業レベルで規則が決められています。また、賃金は労働者毎に個別決定しています。私がいつも述べていますように日本の労働者は査定を受け入れているのです。
  しかしながら、グローバル競争という環境の中で、程度の差はあるものの全ての国の労使関係が、分権化、個別化の方向に向かおうとしています。つまり、企業レベルで交渉を行うような労使関係に向っていっているのであります。

2-2.日本の労使関係における防波堤構築の難しさ
  ここでウェッブの防波堤の議論に立ち返りましょう。労使関係が企業レベルで行われるとウェッブの言うような防波堤が効かなくなります。大企業で作られた防波堤は、中小企業においては支払い能力の差がありますから、適応されません。日本には、伝統的に賃金の企業規模間格差という問題があります。これは、労使関係が企業レベルで行われているために、おきてしまう問題です。また、賃金が査定によって個別で決まるということは、人々の賃金が各々の能力に依拠しているということを意味します。非常に厳しい社会だといえます。このような日本の特殊的風土の中で、労働組合をいかにして再建するのかということは、非常に難しい課題になるわけです。
  また、このような特殊性を一言で言うと、企業の自由が認められている社会であると特徴付けることができると思います。企業の支払い能力に沿って労働者の処遇を決定することができるのです。全国レベルや産業レベルで防波堤が構築されている所では、そのようなことはできません。
  ですから日本人は、何故スウェーデンが国家として成り立っているのかについて疑問を感じるわけです。何故、大企業と中小企業の賃金が殆ど同じなのに社会が成り立つのか、更には、どうしてそのようなことを企業は許しているのか、と多くの日本人は思うわけです。もちろん、スウェーデンにも様々な葛藤があると思います。しかしながら、同じ地球にそのような国が存在しているということは大事なことだと思います。

3.時代の変化と価値への希求の高まり

3-1.市場原理主義への反省
  現代の日本社会に対して、「少し問題があるのではないか」というような気風が出てきているのではないか、と私は感じています。この講義でも何度か出てきましたが、Decent workの追求などは、良き社会への希求の表れであると言えるのではないでしょうか。私なりの言葉で述べさせてもらうと、「市場と裁判所だけの社会の拒否」ということであります。社会の様々なことが市場の自由競争によって行われ、法律違反は裁判所で処罰される。このような社会は生きていくに値しない社会なのではないか、というような反省が日本の中でも出てきているように感じております。
  この間のライブドア事件や耐震強度偽装問題などを通じて、儲け主義だけでは健全な社会は構築されないということが、報道されてきたわけです。ところが、不思議なことに政治の世界では、「改革のスピードを緩めてはならない」ということが盛んに主張されているわけです。もし、その方向性がもっと自由を、もっと市場原理主義を、というものであるとするならば、私は非常に日本の未来に対して危機感を感じます。
  私達は、今の改革の行き着く先について夢を持って語れるでしょうか、この改革の先に待っている世界には、はたしてゆっくりとした時間の中で、生き甲斐や感動を感じながら、楽しい会話や団欒があるのでしょうか。私は、心の豊かさを追求するという道筋が、改革の別の方向としてあると信じているのです。

3-2.バランスの取れた社会へ
  課題は、やはりバランスだと思います。フランス革命の標語は、「自由・平等・博愛」なのですが、これを額面通りに受け取っては駄目だと思います。自由を追求しすぎると、それは放縦になります。また、平等を追求しすぎると、それは画一になります。したがって、自由には規制が必要なのです。それによって秩序ある社会が実現するのです。自由と規制によって秩序ある社会を実現しようとする、これこそが人間の知恵であると思います。平等も同様に、行き過ぎると悪平等になるのです。だから、平等を求めるのと同時に、格差もつけなければならないのです。平等と格差の間に公正があるのです。
  結局の所、社会って何なのかと言いますと、上のような異なる二つの価値の間をどう舵取りして進んでいくのか、ということだと思います。
  自由主義の始祖であるアダム・スミスの言葉に耳を傾けるべきだと思います。彼は、「利己的本能を適宜さに納める」とも述べています。自らの利己心を適宜に納めることなしには、自由主義も上手く立ち行かないということを、彼は述べているのではないでしょうか。

3-3.労働組合に求められる配慮
  問題は、労働の防波堤を作る際にも、今述べたような配慮を行わなければならないということです。はたして、日本でそのような状況を作ることができるのでしょうか。秩序があり、公正なコモンルールを作ることができるのでしょうか。しかしながら、ここが日本の労使関係にとっての最難関であります。

4.ルール形成能力

 ごく簡単に言えば、ルール形成能力とは、よく話し合うことだと、私は思っています。ビジネス雑誌などを見ると分かるように、今職場の最大の懸案事項はコミュニケーションが欠落していることです。日本の優れている所は、確かに労使関係の形態は防波堤にとって心許ないものでありましたが、しかしながら、企業がコミュニティーとなることでその防波堤を作ってきたのです。コミュニティーとはよく意見交換を行う場所であります。私は、日本のルールが作られる場所はコミュニティーの他にはないと考えています。

4-1.労使関係の勉強から
  例えば、人員削減についてアメリカを見てみると、いとも簡単に人員削減が行われます。その過程に話し合いは存在しません。工場の掲示板に通達されるのみです。ところが、日本の場合は、何度も何度も話し合いが行われます。この事実から、私は日本においてルールが作られる場所は、コミュニティー以外にはないという結論に到りました。

4-2.日本が防波堤構築のためにできること
  日本の場合、何処が交渉の主体となっているかと言いますと、国レベルでもなければ産業レベルでもありません。企業レベルで行われています。したがって、企業レベルがルール形成力の根源を握っているのです。ですから、日本のコモンルール(共通規則)を考える場合、企業をおさえることが重要となります。
  日本は、驚くべきことに、自由主義市場経済を体現しているアメリカよりも労使関係の形態は分権化し、処遇は個別化しているにも関わらず、集権的で集団的な労使関係を構築しているヨーロッパと共に、調整型資本主義に位置づけられてきました。何故そのような位置付けになったのか、その理由は、企業の中で驚くほど調整機能が働いていたからであります。つまり、企業の中で労使が良く話し合ってきたのです。ここにこそ日本の強みがあるのです。ですから、日本においてよき社会を実現しようとすれば、企業コミュニティーを充実させる以外に道はないと思っています。アメリカ型にするのか、ヨーロッパ型にするのか、という問題ではないのです。
  Hall&Soskiceは、「調整的市場経済」の「自由主義的市場経済」に対する優位点の一つとして、「熟慮に基づく討議の仕組み(Deliberation)」の存在を指摘しています。具体的な利点として、まず、第一に、分配的正義(Distributive Justice)の実現であります。話し合いが日常的に行われている職場では、労働問題で最も大事な「どの仕事をだれが行うのか」、「これをどの水準で遂行したらどのように評価されるのか」という事前には正確に決定できない分配のルールが、経験に基づいて納得的なルールとして醸成されるのです。これが分配的正義の実現の意味するところです。
  第二に、戦略的行動への対応力の実現です。環境変化が激しい市場の下で、自らが出す経営戦略や方針に確信を持てる経営者の人は、殆どいないと思います。そうした中で、社内の従業員に対して、状況への共通理解、経営決断への心からの協力を引き出すためには、真剣で飾らない話し合いが組織全体で行われる必要があるのではないでしょうか。このような話し合いを行えるところが、調整型資本主義の優位性なのです。

5.日本らしさへの執着(社会改革に向けて)

 以上のような点が、日本の強みであるという自覚に立った上で、どのようにすれば、より良き社会が実現できるのでしょうか。一つには、企業内の濃密なコミュニケーションを核とした政策誘導があると思います。

5-1.政策
  一つの有力な方法は、企業内の濃密なコミュニケーションを核として、コモンルールを拡大していくということです。今盛んに話題となっている労働契約法案、ホワイトカラーエグゼンプション、パートの均衡処遇、最低賃金の改革などにせよ、その具体的なルールメイキングは、企業内の労使の話し合いによって行われるものです。

5-2.日本の強みを活かす
  要点のみを述べます。まず一つめは、経営管理者内部での、あるいは部門間での「熟慮に基づく討議」の時間をしっかりと確保すること、そして、経営管理者は、その討議を楽しんでできるよう心がけることです。
  何故このようなことをわざわざ言うのか、それは、この当たり前のことができずにいる会社が、日本の中には少なからずあると思っているからです。代表的な例としては日産ではないでしょうか。90年代後半の苦境の原因を日産の社員は知っていたにもかかわらず、原因を酌みとり、打開策を生み出すことができるような組織形態や、責任を持ってその打開策を遂行する人物がいなかった。そこにこそ、日産の苦しさがあったと言えます。だからこそ、現在その評価はかつてほど高くはありませんが、ルノーからカルロスゴーン氏がやってきた途端に、驚異的なスピードで日産は、業績を回復させたのではないでしょうか。彼が行った部門の垣根を越えたクロスファンクショナルチームが状況の有効な打開策として機能したことは、彼自身も述べていることです。
  二つめは、労使協議制度の内容を大胆に拡大し、深めることです。これは、組合が、雇用の前提が経営方針の誤りなき展開にあることをこれまで以上に自覚し、経営方針や経営計画、部門目標とその重点について、経営と丁寧に論じあう、ということです。企業別組合が、調整型資本主義として呼ぶに値する労働組合になるためには、経営への本格的な参加が必要だと思います。したがって、どれだけ経営事項に関して労使が「熟慮に基づく討議」を行なっているのかが、労使関係を協調的と位置づけるのか、調整的と位置づけるかの境界線となるのではないでしょうか。
  三つめは、上の二つの「熟慮に基づく討議」があって、始めて「目標面接」も実りある内容になるということであります。
  企業で働いている方々は、毎年自らのチャレンジ目標を期の始めに上司との目標面接で設定しています。しかしながら、このチャレンジ目標は、個々人の間で秘密にされています。職場で働いている人々はお互いのチャレンジ目標を知らないわけです。ですから、皆どれくらいのチャレンジをすればいいのかが、全く分からないのです。職場における平均的なチャレンジの水準を設定するためにも、組合は職場のチャレンジの水準に対してもっと積極的に関わる必要があるのではないでしょうか。そして、それを通じてのみ、処遇が個別化している中で、職場にコモンルールを設定することができるのではないでしょうか。更に言うと、このことを通じてのみ、働いている人々の連帯感を生みだし、労働組合の存在意義が確認されるのではないでしょうか。
  ですから、成果主義の改革は組合の存在意義をもう一度取り戻す絶好のチャンスなのです。市場の競争に打ち勝つために、職場でどのような仕事がどのような水準で行われなければならないのかについて、職場の皆が話し合う。このことを通じて、分権化している日本の労働組合にコモンルールを制定する力が、備わるのではないでしょうか。
  最後に四つめは、非正規従業員の増加に伴う雇用の多様性について、労使はこれを「多様な選択肢の提供」という言い回しによって、問題を先送りにしないことがとても重要です。
  現在日本の職場の多くで、正規社員と非正規社員の余りにも大きな格差が存在することによって、職場の皆で腹を割って話し合うことが出来なくなってきています。このような職場で、日本の強みが発揮されるでしょうか。非正規社員を組織化することはできなくても、それらの人を含めて職場の皆で話し合えるような場を作る必要性は、あると思います。納得のいくような正規社員と非正規社員の処遇の格差を決定することや、非正規社員から正規社員への登用条件を決定する話し合いの場が、今の日本の職場には求められているのです。そのような場を作るために、組合が率先して行動を起こさずして、誰が起こすのでしょうか。ところが、このことに関する議論を組合は恐れて行わない。もしこのまま、恐れ続けているとすれば、労働組合に未来はないと思います。
  労働契約法案を巡る審議会の中で労使委員会というものが提案されました。これは、労働組合の組織率低下に伴って、職場に別の労働者の代表組織を法的に作ろうとしたものでした。実現は先送りされましたが、このような正規社員、非正規社員を超えた職場で働く者同士の話し合いの場の実現に向けて、労働組合が本気で取り組むべきだと思います。もし、それをしないのであれば、ウェッブ夫妻が言ったような労働組合には、日本の労働組合はなれないと思います。

6.学生の皆さんへ

  最後に、同志社大学を卒業する皆さんは、きっと将来有能な経営者になられる方が多いと思います。その時に、産業民主主義の大切さを理解し、低賃金によるのではなく、労働者にきちんとした処遇をした上で、効率的な経営を行っていく有能な経営者になって欲しいと思っています。良き経営者になれ、それが私の切なる願いであります。

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