同志社大学「連合寄付講座」

2007年度“働くということ―現代の労働組合”講義要録

第4回(5/11)

労使交渉の最前線から②
―2007春闘で取り組んだこと―

ゲストスピーカー: 上坂 清次 島津労働組合 組合長

【はじめに~島津労働組合について】
  皆さん、こんにちは。ただいまご紹介いただきました島津労働組合・組合長の上坂です。本日は、「労使交渉の最前線から②―2007春闘で取り組んだこと―」というテーマをいただき、私が組合長をつとめる島津労働組合(以下、島津労組)における取り組みをご紹介し、企業別の労働組合が春闘を通じてどのような活動に取り組んでいるのかについてお話したいと思います。

 まずはじめに、島津労組について簡単にご紹介したいと思います。
  株式会社島津製作所(以下、島津製作所)は創業132年の企業で、研究所や病院などで使用される計測機器や医療機器、航空機のシステムや部品、半導体の製造関連装置などを製造しています。工場のほとんどは地元・京都にあります。島津製作所本体の従業員数は約3,000名ですが、約70あるグループ会社を含めると、従業員数は約9,000名です(含む海外勤務者)。
  さて、島津労組は、島津製作所で働く従業員約2,800名を組織する企業別の労働組合であり、今年(2007年)で結成61年を迎えました。全国に23の支部があり、中心は京都の三条工場です。組合員のうち技術職が約半数を占めており、同業他社と比べれば技術職の比率は高いです。
  労働組合の日常的な運営を行う執行部は17名で構成されており、うち6名が専従役員です。組合の運動方針や予算については、年1回開催される大会で決定されます。大会には組合員の中から10名につき1名の割合で選出される代議員が出席し、運動方針等について議論します。さらに、月に一回開催される本部委員会において、方針に掲げた具体的課題や、経営側から提案を受けた案件等について議論し、取り組み方や対応の仕方を決定します。本部委員会に出席するのは組合員の中から50名につき1名の割合で選出される支部・職場の代表です。

【島津の春闘の歴史】
(大幅賃上げの時代~オイルショック)
  次に、島津労組における、これまでの春闘の歴史について簡単にお話します。
  島津労組が結成された当時は、まさに低賃金の時代でした。当時の賃金ではとても生活もままならない状況でしたので、当然ながら、組合の要求内容は「食える賃金をよこせ」といった主旨のものであり、交渉の場において労使双方が激しく対立することも決して珍しいことではありませんでした。

 その後、長い期間をかけて労使関係も成熟していく過程で、労使間の交渉においても、除々に生産的な議論も行われるようになりました。そのような中、一つの大きな経済的な出来事が起こりました。1973年のオイルショックです。
  オイルショック以前は、実質成長率が10%を超えるといった今ではとても考えられないような、まさに右肩上がりの経済成長が続いていました。ただ同時に、物価上昇率が年約6%といった恒常的なインフレの時代でもあり、春闘で賃金を上げていかなければ実質的に賃金が下がっていくという状況でした。もちろん、労働組合としても、こうした時代の要請に応え、春闘において大幅賃上げを勝ち獲ってきたところです(島津労組としても、この当時の平均賃上げ率は約10%、最も高いときには何と33%の賃上げが行なわれたこともありました)。今から思えば、オイルショック以前は、「実質賃金の引き上げ→消費拡大→経済成長」というサイクルが上手く機能していた時代と言えるでしょう。
  ところが、オイルショックによってこうした状況は一変し、島津製作所においても1975年の決算で僅かですが会社はじまって以来の赤字を計上しました。これを契機に、会社側は減量経営にシフトし、その後徐々に日本経済も回復を果たしていきます。物価もやがて安定し、一定レベルで経済成長が続いていく時代に入っていきました。このような時代背景を受け、労働組合の戦略も変化していきました。賃上げ要求内容も、それまでの10%賃上げといった水準から、5%~6%といった水準に落ち着き、その後の80年代を通じて良好な状況が続きました。

(バブル崩壊~デフレ不況)
  その後、90年代初頭のバブル経済崩壊により株価は暴落し、これに追い討ちをかけるかのように円高が進行しました。また、いわゆる価格破壊というものも起こり、「生産したものが想定した価格では全く売れない」という事態に陥りました。更に、競争環境もグローバル競争の時代へと拡がりを見せるなど、日本企業は、かつてない厳しい状況に晒されました。その結果、各企業の業績も大きく悪化し、人員の削減や仕事のアウトソーシングなど様々なリストラクチャリングが実施されました。労働者個々人の処遇も、それまでの年功序列型、あるいは能力主義といわれる仕組みから成果主義に基づく人事・賃金制度へと移行していきました。また、相次いだ人員削減により、個々人に課せられる仕事の負担は一層増大しました。
  こうした中、春闘における賃上げ率も2%~3%という低水準で推移しました。加えて、2001年にはデフレ不況と呼ばれる次のショックが日本経済を襲い、島津製作所も2002年には創業以来二度目の赤字を計上しました。売上高が1,500億円程度の島津製作所において、2002年の赤字総額は100億円を超えたのです。
  このような環境下にあって、労働組合に対し経営側は、緊急経営施策の中で、人員削減や労働条件の引き下げを求め、労使間で激しい議論がかわされました。協議・交渉を通じ、島津労組としては、組合員から声の強かった経営責任の追及もさることながら、労使間における議論の最大の焦点となったのは、「いかにして島津製作所を再建するか」ということでした。また、「希望退職を認めるのかどうか」についても組合内で大きな議論となりました。結果的には、「希望退職のみを認め、非自発的な退職は認めない」ということで意見一致をみたところです。

(3年間のベア見送り~06春闘)
  以上のような状況の中で、島津労組としては、2002年から2005年の3年間はベースアップ要求を見送るという決断をいたしました。とはいえ、この間、労働組合として何もしてこなかったわけではありません。定期昇給の維持や、業績不振時に後退した労働条件の回復に腐心するとともに、組合員の労働時間管理等に関しても会社と協議を積み重ねてきました。つまり、ベースアップ要求を見送りつつ、様々な課題について会社と協議や交渉を行ってきたのです。
  その後、2006年春闘においてようやく4年ぶりのベースアップ要求を行いました。あわせて、従来は秋に実施していた、労働時間や休日・休暇といった賃金以外の労働条件の改定についても、交渉時期を移行し、ベースアップ交渉と並行して行うこととしました。交渉時期を春に移行した背景には、それまでの交渉時期であった秋は、島津労組における2年に1回の役員改選時期と重なり、労使交渉を行う上で時間的制約があったという事情がありました。さらに、かつてのような大幅な賃上げが困難な時代にあって、ややもすると春闘に対する組合員の関心も薄まりつつある中で、賃上げ交渉と労働条件改定交渉を同時期に行うことで、少しでも春闘に対する組合員の関心を高めたいという思いもありました。

【2007春闘で取り組んだこと】
(賃金制度の概要~賃金項目、昇給方法、職群決定基準)
  ここからは、本題である島津労組における2007春闘の取り組みについてお話しします。春闘の主要なテーマはやはり賃金です。とはいえ、「賃上げ」と一言で言っても、全員の賃金が一律同額で上がるわけでもありませんし、労使間で締結されている賃金制度に則って賃上げが行われるわけです。その意味でも、定期昇給とベースアップの違いなど賃金制度に関する一定の理解が必要となりますので、まずは、島津製作所の賃金制度に沿って簡単にご説明したいと思います。

 まず、賃金項目についてですが、いくつかの項目に分かれているものの、賃金の大部分を占めるのが「本人給」と「職能給」です。
  「本人給」は個々人の年齢に応じて決定されます。この決定方法自体は必ずしも会社の意向に沿っているわけではありませんが、労働組合としては、この仕組みを維持させています。「本人給」は、個々人の能力や仕事の成果とは関係なく、本人の年齢に応じて一律額が支給されます。現在、「本人給」は平均して賃金の約50%を構成しています。なお、個々人の生活に対応するため、昇給額は若年層では高く、一定年齢を過ぎれば昇給がストップする仕組みとなっています。
  次に、平均して賃金の約40%を構成しているのが「職能給」です。「職能給」は、個々人がどのような仕事を行い、能力がどの程度あり、どれだけ成果をあげたのか、また会社の中でどのような役割を担っているのかといった点を総合的に判断して職群(1~8群)を決定し、その職群によって金額が決められています。

 毎年度の昇給は、「本人給」の昇給と「職能給」の昇給が組み合わせって実施されますが、これは、従業員一人ひとりが一年間、会社で仕事する過程において、能力の伸張が見られたということを前提にした仕組みであり、同一職群内の昇給額は、労使間の協定によって定められています。一般的に、こうした仕組みを定期昇給と呼んでいます。つまり、従業員個々人で見てみると、仮に、次にお話しするベースアップが行われなかったとしても、定期昇給によって昇給は実施されます。島津製作所における定期昇給制度は、労使間の協定で定められており、毎年の春闘であらためて交渉することはなく、協定内容に基づいて実施されることを労使間で確認するだけです。

 ところで、定期昇給によって、個々従業員の賃金は定期的に上昇していくわけですが、皆さんは、「毎年、そんなに全員の賃金を上げて人件費コストが膨らんでしまうのではないのか」という疑問を持たれるかも知れません。私たちは、「定期昇給の内転」と呼んでいるのですが、そのカギは企業の定年制度にあります。企業においては、毎年一定数の定年退職者と新規採用者が発生し、人員の新陳代謝が行われます。大まかに申しますと、定年退職される方によって生じた人件費原資を、以降の年齢層の定期昇給原資とすることです。

 次に、ベースアップについてです。簡単に言えば、定期昇給が労使協定に基づき定められた賃金表上の移動とすれば、ベースアップは、個別賃金水準そのものを引き上げる、つまり賃金表そのものを上方向に書き換えることを意味します。従って、ベースアップを実施すれば、当然人件費総額コストは上昇します。

(ベースアップと定期昇給)
ベースアップと定期昇給

 島津労組の場合、先ほどもお話したように、定期昇給は既に労使間の協定として締結された制度であり、春闘における賃上げ要求は、ベースアップのみを要求します。よって、私たちの職場で「賃上げ」と言う場合はベースアップのことを指します。
 具体的な要求内容の決定方法ですが、まず執行部が、加盟上部団体の産業別組織であるJAMの要求方針や、経済情勢、会社業績など様々なデータを参考にして要求案を職場に提示します。この執行部案について各支部において議論した上で、本部委員会において最終的な要求内容を決定します。ちなみに、2007春闘の場合、「本人給+職能給」×0.3%と「各職群別の定額」を組み合わせて要求しました。

(個別職群・賃金分布図の開示、格付点検)
 さて、島津労組では、賃金制度の公正な運用のための取り組みも行っており、その一つが、個別職群、賃金分布図の開示です。
 島津の労使間では、職群ごとの氏名を公表することを確認し、毎年、会社のホームページに掲載しています。また島津労組として組合員個々人の賃金額を把握しており、その賃金分布などを賃金調査報告という形で公表(配布)しています。組合員個々人が賃金調査報告を見れば、「自分の賃金水準がどの程度で、どの職群に位置しているのか、たとえば同期入社者と比べてどうなのか」といったこが分かるようになっています。こういった取り組みは、組合員自身に自分の賃金を認識してもらうことと同時に、賃金制度がうまく機能しているか、組合員が納得できる運用がされているかなども見ていくことを狙いとしています。

 次に、島津労組が実施している格付点検についてお話しします。従業員個々人に対しては、毎年、会社から、自分が位置する職群が通知されます。労働組合では、本人に対して職群通知が行われる前に、個々人がどの職群に位置づけられているのかを点検し、その格付の妥当性について経営側と協議を行います。職群の変更がある者に関しては、経営側にリストを提出させます。ただ、8職群すべての職群変更者となると膨大な数になりますので、比較的高い職群である7群や8群のグループと6群以下のグループに分類して点検を行っており、例えば、7群から8群への昇群(職群が上がること)については、組合員の最高ランクへの昇群を意味しますので、該当する一人ずつ、昇群理由を経営側にきちんと提示させ、当該昇群が公正かどうか点検を行っています。点検方法についてですが、まず、支部レベルで経営側から示された格付が公正かどうかをチェックします。次に、執行部が支部長と確認・協議を行い、支部の意見を汲み取った上で、執行部が経営側と格付点検交渉を行います。6群以下については、多くの人がほぼ同じペースで能力が伸張することが見込まれることからも、勤続年数に応じて、実際にどの程度の比率で昇群しているかチェックします。例えば、若年層が多くを占める3群から4群へは、ほぼ90%以上の割合で昇群します。4群から5群への昇群は、約85%~90%の割合で昇群していきます。もちろん、個々人間で能力に差があり、昇群スピードにバラツキが生じることは当然のことですが、労働組合としては、これまでの昇群比率を維持するという方針で格付点検に取り組んでいるところです。
 なお、昇群だけではなく降群する場合もありますが、その場合はより入念なチェックを行っています。やはり仕事に応じた賃金、公正な賃金という観点からやむを得ないと判断した場合は、降群を認めています。

(個別理由説明・苦情処理)
 以上のように、島津労組では、組織としての格付点検に取り組んでおり、こうした取り組みを経た上で、個々人に対して職群が通知されるわけですが、次の段階としては、個人の問題があります。つまり、島津製作所だけにとどまらず、何処の企業の職場においても、こうした通知を受けた場合、すべての方が納得するということはむしろ考えにくいものですし、通知内容について更に説明を受けたいと思う方も少なくありません。
 私たち島津労働組合では、会社から受け取った職群通知に対して、本人が希望すれば、その理由について説明を受けることが出来るような仕組みとしています。とはいえ、労働者個人が上司に面と向かって「説明して下さい」と求めるのは、正直、勇気のいることです。そこで、本人が所属する支部の三役が立会うことによって、個人が上司から説明を受けやすいようにしています。なお、こうした上司との話し合いを通じても解決できない場合は、苦情処理という方法によって解決を図ることになります。

 以上のように、単に「春闘で取り組むこと」と言っても、賃金の引き上げ額だけを交渉しているわけではありません。各職群に位置する組合員個々人の賃金引き上げを求める前提として、そもそも個々人が妥当な職群に位置しているのか、その評価に本人が納得しているのかなど、賃金・人事制度が公正に運用されているのかといった観点も含めて、春闘に取り組んでいるのです。時間の制約上、本日はすべてを紹介できませんが、島津労組では人事制度の公正な運用のために他にも様々な取り組みを行っています。ただ、どうしても労使間で解決が困難な課題として、人員構成の歪みがあります。通常なら、ある程度真面目にきちんと仕事をし、一定の成果を上げていれば順調に昇群していくはずのところが、例えば、採用数が多かった年齢層などでは、なかなか昇群しにくい状況も出てきており、特にバブル経済時の採用者などは年齢的にも管理職層に近付いていることもあって、現在、人員構成の歪みの中でどのような人事制度を構築していくのかが労使共通の課題となっています。

(労働条件改定)
 先ほども触れたように、2007春闘では、賃金引き上げだけでなく、賃金以外の労働条件の改定交渉にも取り組みました。具体的には、“組合員にとって身近な本音の労働条件改善”というものを目指し、アンケートなどを通じて組合員の声を吸い上げ、要求項目を作成しました。組合員の声として一番多くあげられたのが、やはり労働時間や休日・休暇に関する問題、つまり、働くことに直接関係のある項目でした。ですから、労働条件改定に関する交渉は、どのようにして労働時間を減らし、休日・休暇を確保するのかといったテーマが中心となりました。組合員の本音をベースに要求内容を作成したため、伝統的な労働組合の理念とは若干ズレていると思われる項目もあったことは確かです。しかしながら、何よりも、組合員の皆さんに春闘の意義を再確認してもらうためにも、組合員の生の声を活かし、経営側に要求したところです。

(交渉と妥結)
 労働組合は、自ら要求内容を作成し経営側と交渉するわけですが、経営側に対しては、組合要求に対する回答日も指定します。今年(2007年)の場合、3月13日を会社回答日と指定しました。そして、この回答指定日における決着に向け、要求日以降、労使交渉が重ねられます。今年は、回答指定日までに、2月27日、3月7日・9日・12日の計4回、交渉を行いました。交渉では、組合要求に対する具体的な数字は示されない中で話し合いが行なわれます。一方、組合側は上部団体であるJAMとの連携を図り、各加盟単組の交渉状況等を踏まえた産業レベルの交渉戦略を確認し合います。今年の場合は、3月11日にJAM京都で戦略会議を行い、更に、その日の午後にはJAM本部において、産別内で中心的な役割を果たしている加盟単組が結集し全国レベルの戦略会議が行われました。こうした取り組みを経て、いよいよ会社回答指定日である3月13日を迎えたわけです。

 今次春闘における労使の争点について、ポイントだけをお話しすれば、まず一点目は「従業員への配分の問題」、つまり、労働分配率の問題でした。島津製作所においても、労働分配率は低下傾向にあります。このことは、財務的には会社の競争力を高めることにもつながるわけですが、一方で、「それでは、現在の分配率が本当に正しい比率なのか」、つまり、「働く者に本来支払われるべき賃金がきちんと支払われているのか」という点については、労使間で議論のあるところです。こうした観点を踏まえ、私たち組合側も精力的に交渉を行いました。
 二点目は、分配の問題とも関連していますが、「人に対する投資のあり方」です。現在、私たちの職場における最大の課題は、「人手がない」ということです。これに関し、経営側も交渉において「人を増やすことで人的投資のウェイトを高めたい」と応えてきます。この点は、組合側の問題意識とも一致しています。しかしながら、経営戦略に基づいて会社主導で実施される増員は、特定部署の人員だけを増やすことを意味します。従って、現場の組合員の立場からすれば、人が増えている実感が殆どないというのが実情です。組合側としては、こうした点も踏まえ、人員の増やし方に関して、現場の声を経営側にぶつけ交渉を展開しました。
 もちろん、交渉の過程において、労使の認識には大きな隔たりがありました。また、そうした隔たりを埋めるために、回答指定日までに計4回の交渉が行われるのです。例えば賃金に関して言えば、具体的な水準(金額)は回答指定日までは提示されません。回答指定日までの交渉は、労使双方が色々なニュアンスを出し合いながら、相手がどのように考えているのかを読み合う場です。何故、具体的な水準を示せないのかと言えば、当然ながら交渉事でもありますし、また、経営側の支払い能力、あるいは組合側がスト権を背景に交渉していることもあり、具体的な数字を出してしまうと労使双方とも後に引けなくなる恐れがあるからです。
 こうして迎えた回答指定日の3月13日は、交渉途中から労使数名どうしの代表交渉に切り替わり、その中で最終の詰めがされました。ただ、代表交渉の前には、執行部内で最終的な戦略をまとめるために議論を行うわけですが、執行部の意見を一致させることがなかなか難しいのです。執行委員は、それぞれの職場の声を反映したいという意識もあって、お互いに譲れないものを持っています。今年の場合も、具体的な賃金引き上げの水準を巡って侃々諤々の議論を行い、その上でようやく戦略がまとまりました。そしていよいよ代表交渉に臨み、やり取りの末、経営側から提示された回答を執行部として了承し、本部委員会に諮り、最後に妥結という形で決着したわけです。以上が、2007春闘の要求~交渉~妥結までの過程です。

【取り組むべき大きな課題~「もの作り現場を守る」、「格差問題」】
 最後に、ぜひ触れておきたいことがあります。
 今日お話ししたような労働組合の取り組みは、従業員の納得性やモチベーションアップ、企業の活力にも繋がるものですが、見方を変えれば人件費コストを高め、ひいては企業としての競争力を低下させかねないものでもあります。こうした現実も、労働組合としては、しっかりと認識しておかなければなりません。
 また、冒頭で申し述べたとおり、島津製作所は技術職の人が多く、技能職の人は、他社と比べると少ない会社です。しかし、島津労組が結成されて間もない頃は、技能職の比率が半分以上を占めていました。一方、個々人の賃金水準に目を向けますと、島津製作所の場合、技能職と技術職の間に大きな差はありません。このことは、他社と比較して、技能職の賃金が相対的に高いことを意味します。こうしたことも影響してか、技能職の人の仕事は、「ものを作る」というよりも、現場を監督・管理するといった性格のものに変化してきています。それでは、実際に「ものを作る」という仕事は何処に行ったのかといえば、製造子会社であったり、協力企業、また島津製作所内においては正社員ではない、派遣やパートの人、いわゆる非正規労働者として雇用されている方々によって行われているのです。このことが、労働組合にとって、更には企業にとって、またメーカーとして本当に望ましいことなのかどうか、という問題意識が労使双方にあり、現在、島津製作所の労使間で、例えば、経営協議会等の場において、このテーマに関する協議を行っているところです。
 そしてそのことはまた「格差」という問題をわれわれに突き付けています。これは、労働組合にとって悩ましい問題です。同じ職場で働いている方々の間に、時間当たり賃金に大きな格差が生じているのです。そして、この格差の是正に向けた取り組みの障壁となっているものの一つには、組合員の既得権やエゴというものもでてきます。ですから、私たち島津労組としても、理念と現実の狭間で苦しい舵取りを迫られているところですが、法律による国レベルでの規制、産業大における規制、島津グループ内部における議論やルール化といった三段階で格差是正に向けて取り組みはじめたところです。

 以上、本日は、「2007年春闘で取り組んだこと」について、私たち島津労組の取り組みをご紹介しながらお話してまいりました。私のお話が、少しでも同志社大学の皆さんのお役に立てれば幸いです。本日はご清聴ありがとうございました。

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