同志社大学「連合寄付講座」

2007年度“働くということ―現代の労働組合”講義要録

第1回(4/13)「パネルディスカッション」

「働く者たちの『いま』と『将来』
~若者が直面する課題と労働組合の対応」

ゲストスピーカー: 古賀伸明 連合事務局長
  高木郁朗 教育文化協会理事
コーディネーター: 石田光男 同志社大学教授

はじめに

石田 いまの若い人たちの悩みは何でしょうか。やっぱり恋愛問題ですね。つぎに、「人間関係がうまくいかない」とか、「自分は能力がないんじゃないか」という個人的な問題が来ると思います。しかし、他方で、「安定した生活ができるか」「どうしたら家族がもてるのか」という社会的な問題も抱えているのではないでしょうか。これらすべての問題を労働組合が解決できるとは、私はちっとも思っていません。しかし、残念ながら有り余る程にお金がないかぎり、働くということは誰しも避けられないんですね。避けられない以上、非常に個人的な問題から社会的な問題、そして公共的な問題に対して、どのようにバランスを保ちながら自分自身を形成していくのかという課題と対峙することになるんです。そのとき、働くということをどう捉えればいいのか。そのことをこの講座を学んでいただきたいと思います。
 では働く人たちの昔と今とでは、どのように変化してきたのでしょうか。まずは、この点について考えてみたいと思います。

1.若者の「将来」を語る前に~働く者たちの「昔」と「いま」

古賀 日本は世界に冠たる雇用社会といわれております。つまり、就業者数の85パーセント以上を占める5500万の人々が雇用されてお金をもらって生活をしているということです。私が大学を卒業した1975年は、企業に入れば、余程のことがないかぎり、みんな55歳や60歳という定年までその会社で正社員として働くという就労モデルが日本の雇用社会のなかにあったと思います。
 では、現在はどうでしょうか。1980年代後半から1990年代の初めにかけて、冷戦構造が終焉し、世界が単一市場化をしてきました。また、IT社会がどんどん進展し、日本全体の産業構造や企業行動がスピード感を持って変わっていかざるを得なくなりました。さらに、過去10年の間、規制緩和によって市場原理で秩序を保つという政策が、日本の社会に大きな波として現われてきました。その結果、どのようなことが起きたのでしょうか。
 非正規社員の拡大です。現在、非正規社員の数は1700万人から1800万人に上ります。この数字は雇用者全体の約3分の1を占めています。そして、この非正規社員と正社員の間には大きな賃金格差があります。そこから、「ワーキングプア」という新しい言葉も出現しているほどです。今日、競争や効率を最優先する社会になったことから、さまざまな問題が働く現場に現われてきています。

高木 働く者たちの「昔」と「いま」を考える上で、日本人がハッピーであるのかどうかという切り口から、1980年代の後半と今とを比べてみましょう。まず、いまの日本人の生活満足感は、OECD諸国の中でかなり低い方に位置しております。しかし、1980年代の日本人の生活満足感は高かったといえます。では、この20年の間に生活満足感が非常に低くなった原因は何なのでしょうか。それは、リスクの増大です。
 たとえば、雇用問題は典型的なリスクです。かつて、大学を卒業して企業に入れば、余程のことがないかぎり雇用は保障されていました。しかし、みなさん方のすぐ上の年代では就職機会が非常に少ない時期を経験しています。また、リスクの高さは自殺の増大にも示されています。OECD諸国の中で日本の自殺率の高さは上から2番目です。生活苦から、保険をかけて家族のために自殺する中高年が増えているとの指摘があります。また、非常に多くの世帯が無保険世帯となっています。病気になっても病院で看てもらうことすらできない。年金制度もみなさん方が高齢者になったときには、しっかりと整備されているのかもわからない。さらに、私たちの生活を脅かす企業不祥事も数多く見られるようになってきました。この20年間に、わが国はこのようなリスクの高い社会になってしまいました。

石田 古賀事務局長や高木先生がおっしゃったように、時代が変わってリスクが高くなってきました。いまの社会が私たち一人ひとりに投げかけている課題は、「選択肢は社会が用意します。しかし、あなたが幸福になるのも不幸になるのもすべてあなた自身の責任です」ということです。それは結局、個人の能力の問題に帰着することになります。だから、「自分には能力がないんじゃないか」と思ったら、ハッピーには生きられない。非常に暗く憂鬱な変化が起きたといえるのではないでしょうか。では、「どうしたら明るくなれるのか」「そのために何が必要なのか」ということを考えたいと思います。

2.若者に明るい未来はあるのか

古賀 私は明るい未来があるのかということよりも、皆さん方が「明るい未来をつくっていこうよ」というスタンスをもつことが重要だと思います。そして、明るい未来をつくるために、取り組むべき課題はいくつかあると思います。
 1つ目には、世界に類を見ないスピードで進行していく少子高齢社会に対して、どう対応していくかということです。2つ目には、職場のコミュニティが崩れてきていることへの対応です。この職場コミュニティの形成は労働組合の最たる役割です。3つ目には、株主の価値を短期でどれだけ上げるかという株主主権主義をどう改めるかということです。かつての経営者は、株主、従業員、お客、地域というすべてのステークホルダーに対して利益を分配することによって企業の社会的責任を果たしてきました。しかし、現在は株主の利益を最優先に考える傾向になってきています。4つ目には、効率や競争を求めるあまり、協働・共生のバランスを崩した社会の軌道をどう修正するかということです。これらの課題を克服するためには、社会に一定の秩序やバランスを形成することが必要だといえます。

石田 古賀事務局長がおっしゃったように、秩序やバランスという観点から日本の1990年代以降をみますと、「かつての画一的な人事管理をもう少し緩めようじゃないか。いろんなライフスタイルがあってもいいのではないか」という、多様性や選択の自由に重きが置かれてきました。では、多様性を認める中でいかなる秩序を確保するのか。
 いま非常に大事なのは、多様性を繋ぎ合い、いかにひとつのコミュニティにするかという結節点の管理だと思います。つまり、正社員と非正規社員の結節点の管理をどうするかということです。この課題に対して、労働組合は従来のように平等主義一辺倒で解決することはできない。いま直面しているルール形成は、労働組合にとってみると、非常に決断を要する気がします。

高木 石田先生がおっしゃったように、働き方の多様性は非常に大きな問題です。この多様性の問題を考える際、日本国憲法のなかに、実は重要な指標が含まれていると思います。
 憲法13条には個人の幸福追求権が出てきます。ここには、一人ひとりが幸福を追求する権利は、公共の福祉に反しないかぎり妨げてはならないとあります。そして、もうひとつ、憲法25条があります。これは、国民に対して少なくとも最低生存権の保障があるということです。つまり、ナショナルミニマム規定です。要するに、憲法13条と25条は、「みんな自由に自分の幸福を追求しなさいよ。最低限の生活水準は国が保障しますよ」という構造です。これは、非常にいい構造だと思います。しかし、「でも」って私は思います。
 「でも」と思うのは、個人の幸福追求権と最低生存権の間に、ものすごく広い中間領域があるのではないですか、ということです。たとえば、生きていくための最低限の保障だけを行っていればいいのでしょうか。この中間領域には、労働基準法や労働協約があり、何とか人間的な労働を保障するルールがなければなりません (図1)。要するに、憲法25条が規定するようなナショナルミニマムがベースにあって、中間的なルールがあって、そのうえで多様な個人の幸福追求の権利がある。ここで労働組合との関わりで言えば、2つの問題があります。

図1 幸福追求の三層構造
個人の幸福追求権
人間的な労働を保証する諸ルール
最低生存権の保障
←←←
[1]お金・所得
[2]時間
[3]社会的サービス

 1つ目には、憲法25条の最低生存権に関わる最低賃金制度の問題です。日本では最低限のルールについて、しっかりと整備してきたのでしょうか。年間1800時間働いたとしても、1時間700円程度ではとても生活できません。労働組合は、「こんな最低賃金では生活していけませんよ」としっかりと発言してきたのでしょうか。
 2つ目には、中間領域を何で支えるかという選択の問題です。選択肢は3つあります。1つは、お金や所得で保障する。これは、労働組合が賃上げ闘争等を行うことです。2つに、時間で保障する。たとえば、男女を問わず育児時間を実質的に保障することが挙げられるでしょう。
 3つ目には、社会的サービスをしっかりと作るという問題です。
この3つの要素が、個人の幸福追求権を支える仕組みだと思います。日本社会では、この組み合わせをどうつくるかを論議してこなかったんじゃないでしょうか。労働組合もちゃんと論議していない。
 このように、国民が自由に幸福を追求することのできる社会の支えは何であるかということを、もう一度、すべての分野で見直す必要があるのではないでしょうか。

石田 高木先生のおっしゃった中間領域の問題は、「お金をどうするの。時間をどうするの」「どうやったら早く家に帰れるの」「どうしたら有給休暇が完全に取得できるの」という職場コミュニティでのルールをいかに形成するかということです。ここで、労働組合は、苦渋の選択が含まれるルール形成をせざるをえません。最低賃金の引き上げや非正規社員の処遇改善のためのルール形成において労働組合はしっかりと発言できるでしょうか。きちっと言い切れるでしょうか。企業別労働組合は、企業に体力あっての雇用、賃金という構造の中に置かれています。そして、社会的なルール形成という観点から、非正規社員の長期雇用や安定的な処遇を実現するためには、労働組合自らが痛みを分かち合いながら、世の中をよくするというビヘイビアに踏み込めるかどうかがきわめて重要になります。そのためにも、労働組合は具体的に何をなすべきなのでしょうか。

3.労働組合は何をすべきか~若者の明るい未来を保障するために

古賀 私たち労働組合がすべきことは、雇用者の18.2パーセントの組合員の幸せだけではなく、80数パーセントの組織されていない圧倒的多数の人たちの働く幸せを求めていくことです。しかし、実際問題として、多くのハードルを越えねばなりません。
 1つのハードルは企業別労働組合の弱点をいかに克服するかということです。日本の労働組合は、企業別労働組合であり、メンバーシップの労働条件の向上や生活の安定や生活の向上を求めていく役割があります。しかし、一方では、企業別組合であるからこそ、自分たちの雇用や生活を安定・発展させるために、企業の存続や発展を願い協力することも役割となります。このような一対の関係になっているために、良く言えば、労使の関係はスムーズ、しかし、悪く言えば馴れ合いになってしまう。そして、メンバー以外のことに対する関心が薄れがちになります。いま、この弱点が表面化していると思います。この壁をどのようにやぶっていくのか。
 2つ目には、最低賃金の引き上げについてです。アメリカの民主党は、中小・零細企業の減税政策を行いながら、最低賃金を時給2ドル10セント引き上げようとしています。このように、私たち労働組合も労働条件を向上させるとき、何かの政策と組み合わせるという視点に立って検討しなくてはならないと思います。
 3つ目には、非正規雇用の問題です。この問題に対しては、法律をしっかりと整備させることが重要です。今回の166通常国会では、パート労働法が審議されています。これには、多くの課題はありますが、法案としての枠組を審議していくことが必要です。他方、賃金交渉や一時金交渉において、私たちは非正規社員のことも含めて、経営側に対して徹底的に求めていかねばなりません。その上で、最も重要なことは、正社員が非正規社員の人たちの幸せをどう考えるのかということです。これは、正社員の給料を下げて、非正規社員の給料を上げればいいという単純なものではありません。しかし、正社員が同じ職場にいる非正規社員の人たちのことに関心を持つという精神的なところから出発しながら、最終的には、具体的な議論を突っ込んでやらなければならないでしょう。実際、その芽は出かかっています。

高木 この非正規雇用の問題について、「正社員の賃金を削って非正規社員に回すべきか」というように考えると、労働組合はなかなか決断に踏み切れないだろうと思います。しかし、男性は過労死してまで長時間労働を行い、女性は差別的にパート労働をやっているという労働時間の配分を変えれば、賃金の配分も変わるんです。このような、基礎的な条件を考える必要があるのではないでしょうか。

古賀 労働時間の問題を考えてみると、日本社会には長時間の正社員と短時間の非正規社員という二極化が起こっています。この長時間労働のモデルを変えなければならないと思います。それから、正社員と非正規社員の賃金格差の議論については、細かな職務給ではなく、一定レベルで「こういう仕事をしている人は、こういう賃金だよね」という賃金体系にしないと、ただ声高に同一価値労働・同一賃金と言っていても解決は難しいと思います。
 また、いまの日本社会において、私たちは自身の暮らし方についても考える必要があるのではないでしょうか。運輸産業で働いている人は、「皆さんのわがままを運んでいる業界の者です」と自己紹介します。「何時に何処へ」というように、消費者は要求を高度化させていきます。その結果、働く側は非常に過密な労働を迫られます。私たちも、もう少し落ち着いた生活や暮らし方はできませんか?「2、3日遅れてもいいよ」、「デパートは元旦から開けなきゃならんのか」と。もう少し落ち着いた社会をつくることによって、多くの課題は解決していくのではないでしょうか。このことは、真剣に考える必要があると思います。

おわりに―若者へのメッセージ

高木 みなさんの身近には多くの問題があります。是非、様々な問題に対して関心を持ち、友人同士、家族、そして、先生と忌憚のない議論していただきたいと思います。

古賀 いつの時代にでもやっかいな課題や壁はあると思います。これらの課題や壁と対峙する際のキーワードは、「楽しくエンジョイしようよ」ということです。「おもしろいことやろうよ」という気持ちが重要でしょう。そういう気持ちでお互いにやっていければいいなと思います。

石田 私も卓球部の部長をしていまして、「苦しい試合のときには、楽しんだほうが勝ちだ」とよく言います。「『ううっ』と追い込まれたときには、楽しんでやる」と。同じ課題や壁を乗り越えるのなら、楽しんでやったほうがいいと思います。

ページトップへ

戻る