同志社大学「連合寄付講座」

2006年度“働くということ-現代の労働組合”講義要録



第11講(6/30)

まとめ(論点整理)

 石田光男 同志社大学社会学部教授
(石田) それでは時間がきましたので、始めたいと思います。お手元に、「働くということの私のまとめ」というレジュメがありますので、これに即してお話します。

1.労働組合とは?

 ずっと労働組合のお話を聞いてきた訳ですが、働くうえで様々な労働時間であれ、昇進であれ、仕事の配置であれ全てがルールメイキングになります。その当事者=労働組合です。ここが大事ですね。しかし、ルールを作るのは良いことですが、「企業だけで完結するだろうか。」という問題があります。日本は企業別組合という特徴があり、それが集まって産業別という組合を作ります。そこで、その産業について「低賃金での競争はやめよう。」「長時間労働での競争はやめよう。」「知恵だとか生産性で競争しよう。」というような役割を産業別組合が果たすようになりました。また、働くうえで重要なこととして、法律も無関係ではない訳です。職場でルールを作るといっても、最終的には法律の裏づけがある訳でありまして、法体系が変わるということに対して皆、発言しにくい。それゆえ、「労働組合が全部集まって政府に対してものを言おうじゃないか。」ということになりまして、ナショナルセンターというものが必然化することになります。

2.苦難の根拠

 現代日本の労働組合について、私は苦難の時期を迎えていると思います。ひとつは、日本におけるルールの特徴は、企業別に基本的に作られていることです。企業を超えた相場形成が作りにくい。我々は日本で生きていると、企業でルールを決めることは当たり前のことだと思うのですが、一歩諸外国に行くと特殊なことだと考えた方がいいと思います。

 そのなかで特に、個別化した処遇が広がっています。この中で「どうしたら集団的な、あるいは共同的なルールを再構築できるのか。」という問題が日本の労働組合に重くのしかかっております。皆さんはこれから入る会社が一律の年功賃金だったら文句を言うでしょう。あるいはヨーロッパのように職種によって賃金が決まっちゃいますという企業には、皆さん、「そういう会社は嫌だね。」と思っているんじゃないでしょうか。だって、評価がないのだから。したがって、日本の労働組合もそういう日本の普通の庶民の心情を政策化する以外ないのでありまして、「能力主義反対。」とはなかなか言えなかったというのが、40年前の日本の労働の歴史です。

 さらに、90年以降、先週の古賀事務局長のお話にもありましたが、グローバル競争が本格化したということは決定的に大きな事情の変化だと思います。企業の激しい国際競争のただ中にいるトップはまさにSense of urgency(切迫感)に生きているのですが、「普通の人はどうなのだろう。」というふうに考えますと競争社会にフィットした組織作りというのは簡単じゃないし、またすべきじゃない、という感じがよぎってきます。ただ単に競争で勝つということも大事ですが、他方では落ち着いた社会を作らなければ駄目だよね。そういった安定した社会秩序の形成を誰がするのだろうか。もっと、その間に人間らしいルール作りが必要ではないか。そういう問題意識で見た時に、やっぱり労働組合は大事だと思っている訳です。

3.基本に戻って

 これはいろいろな講師の先生から話があったと思います。やや社会思想的にみると、バランス感覚が今日本に非常に求められていると思います。規制ではなく自由へ、平等ではなく格差へ、こういうふうに持ってきたのですが、本当に大事なのは自由と規制のバランスの中にある秩序だと、あるいは平等と格差のバランスの中にある公正なのだと。このバランス形成力が日本の場合、社会勢力として非常に弱くなってきていますね。私は、それを労働組合がしっかりとした役割として受け止めなければならないと日ごろ思っております。

 アダム・スミスは面白い人で、有名なのは『国富論』ですね。その『国富論』に先立つところ、『道徳情操論』、モラルセンチメントという本を書いているのですが、『国富論』では自由競争こそが社会をよくすると言っておきながら、『道徳情操論』では他者に対するcompassion、あるいはpity、哀れみ・同情が大事だと述べているのです。大河内一男という東大総長も務めた社会政策の理論を切り開いた先生がいますが、その人が『スミスとリスト』という非常に面白い本を戦時中に書かれています。そこで、『道徳情操論』と『国富論』の関係について大河内さんは利己的本能を適宜さproprietyに納める、ということをアダム・スミスは一貫して言っていたのだと述べています。日本は今、市場原理のものの考え方や政策を非常に大事にしているのですが、その中に適宜というような観点を誰が埋め込むのだろうか。そういう、先ほどから言っておりますバランスだとか適宜っていうのは結局、職場のルールに基礎付けられる以外にはないのだということをこの講義からくみ取っていただきたい。

4.考える切り口

 民間の委員長から「労使関係は協力、相互信頼が大事です。」というお話をききました。あるいは日産労連の委員長、それから新日鐵労連の委員長からも「団体交渉、労使協議この中での労使の相互信頼が大事です。」というお話をお伺いしたのではないかと思います。しかし、「相互信頼って何だ。」「どうしてこういう内容がはっきりしない言葉を皆さんおっしゃるのだろうか。」と私は昔からずっと思っていました。ところが、昨年GMに行ったのですね。コミュニケーションが無い世界を見たのです。アメリカはレイ・オフなんてすぐにできます。日本でしたら、前回、日産労連の委員長がお話されていましたけども、大変な労使協議が必要です。しかも、個々人の意向まで全部確認しなければならない。しかし、アメリカは労使協議制度というのは無いのですね。そこから、無い世界というのがどれほど大変な世界なのか、どれほど労使が毎日ギスギスした関係の中でやっているのか。こういうことは外国を見れば分かるのですが日本にいるとなかなか分からない。そこのところを私自身反省しながら考え直す機会となった訳です。日本の戦後的遺産としてしっかりと位置づけ直さなくてはならない。

 期間従業員ですが、まだ組織化がちゃんとできていないのですけども、受け入れ態勢、期間従業員に対する教育、職場環境、こういうことを経営側と労働組合が期間従業員の立場に立って協議していく。私はこういう地味な言葉をしっかり聞き分けていくことが大事だと思うのですね。それから、日本の難しさは企業を愛する心と私がここに書きましたbargaining awareness(交渉に対する感受性の高さ)ですね。労働条件をきちんと、自分の会社は好きなんだけど、好きな相手に向かってきちんと払えと言えるということ。日本の経営モデルでここが大事ですね。日本の場合は組合を認めて、その中で高能率経営を達成していくというbehaviorというか経営政策が、特に松下などをみるとよく分かりますね。日本の大手の企業は組合を認めながら高能率経営を推進している事態をよくかみしめて、自分なりにわかる必要があると私は思います。

 松下労組の山崎委員長の発言は非常に勉強になりましたよね。いくつかのことをお話になられましたが、まず、職務型の人事制度と成果主義を入れました。そういう中で労働組合は公平、公正な配置のルールを作り、それから評価の場合には、プロセスを正しく評価して下さいと。それから、評価のあり方そのものについて非常に入念な協議をしました。労働組合がいったいどういう発言をしたのだろうか。会社側が一方的に決めたルールではなくて、成果主義の中でどういうルールを設定したのかというのは、よくよく我々観察しなければならない重要な論点だと思います。

 大丸百貨店の労働時間問題については非常に面白かったですね。時間外労働を適正に処理するということに労働組合は邁進しています。特に、重要なことは上司の人事考課に部下の時間管理を入れたという発言が私はものすごく大事だと思います。こういうルール作りが大切なのですね。メンタルヘルスの問題も、これは正解が無いのですけども、現場で地道に声をかける、仕事のバランスがおかしければそれを直ちに修正するという、こういう細やかな職場管理というものが大事になってくるということのようです。

 同じ百貨店で有期雇用の社員についても、この春の賃金交渉で、我が社ではこの人たちが主力戦力なのだ、という基本認識を労使で共有することから交渉に入ったということをききましたね。主力となればそれにふさわしい人事賃金制度が整っているかという話しに進展する。この動きを強めていく必要があると思いました。

 賃金・人事ですが、要するに納得性とか透明性が大事ですね。しかし、それを具体的にやっていくには私は労働組合にとって非常に未開拓の領域がまだあると思っております。つまり、経営というものについて組合がきっちりと向かい合って経営者の戦略、経営計画これについて互角に議論していかなければ駄目だ、というふうになってくると思います。そういう条件が日本にはあるということなのですよね。労使協議が戦後的遺産だと先に述べましたが、その遺産をどう展開するかという知恵が求められています。

 それから、厳しい仕事管理と人間尊重の関係。人間尊重というと、しばしば仕事の管理が甘くなるというふうに思うのかもしれませんが、民間の経営は厳しいですね。厳しいという中で、しばしば間違うのは人権あるいは人間の尊重を見失っていくことで、ここの自覚はすごく大事になります。例えば、スーパーなんかでね、店別の業績管理。店長を全員集めまして店の業績順に並べる。座らせますね。そして、最後の5席はない。立つ。そういう会社はですね、息詰まる会社だと思うのです。能力発揮できないからです。労働組合はそういう社風みたいなものを徹底的に追及し、是正しなければいけないだろう。そう思っています。

5.社会改革

 私の理解した産業別組合の役割は、産業政策への関与であります。日産労連の会長がこの講義が終わった後、雑談の中でお話になった点ですけども、自動車会社が今非常に忙しくなったのは、もちろん先端技術の開発の問題もある訳ですけども、不必要にモデルが多いと。これは一社だけではできないのですよね。それは自動車総連が業界団体と「過当競争をやめましょう。」「もっと努力する分野に知恵を絞りましょう。」というような話し合いを労働組合が率先してリードしたということがあったようなのですが、競争政策への関与として重要だと思います。

 連合。これはまさに先ほど言いましたように税制の問題から社会保障の問題からつまり立法に関わる対政府交渉ですね。そのための政策形成能力、これが問われている訳でありまして、ただ私はここよく分からないのです。私は講義の中で質問したのですけども、その交渉力、政府に対する交渉力って、どこでどうやって培うのですか。ヨーロッパとか現場が強いですね、産業別組合が強いあるいは職場が強いので、ナショナルセンターは私たちが政権につけば職場を納めることができます、職場の改革に責任を持てますと主張できる。これが僕はヨーロッパのコーポラティズムの原動力だと思います。なかなか現場の労働っていうのは先進国にとって処理しがたい難問でありますが、日本は先ほどから言っておりますように労使信頼関係、相互信頼関係。物分りのいい日本人であります。それゆえ、「現場が吹き荒れるのでこうして下さい。」という言い回しがとれないというのが、社会的なダイナミズムを改革に結びつける際の日本の難しさですね。私は信頼関係を尊重すれば、そこの力関係をどう確保していくのかということは日本なりに知恵をださなければ駄目だというふうに思っております。

 そういう全体として社会の基盤を変えていくには、結局は職場での価値規範を時間をかけて醸成する以外ないのではないか。その価値規範というもの、今の時代にそぐわないのですが、自分がもらう喜びでなくて、与える喜びとか人を助ける喜びとか、を大切にする、そういう心の習慣みたいなものを学校でもそうですし、職場でも培っていく必要があるのではないかと。それが日本の労働組合を強くするのではないかと、私は思っております。競争社会、自由というのは経済理論としてはまことに強いものがありまして、これをどうやって秩序なり公正に切り替えていくかというのは、それなりの心構えが組合にもなくてはならないし、働く人々にもなければいけないと思っている訳です。古賀連合事務局長が先々週「グローバル化を否定はしない。しかし、負の側面を直視しなければいけない。そこで新たな心の連帯の必要性があるのだ。」ということを強調されていました。私なりに理解すればそういう「自分が自分が」というのではなくて人を助ける喜びだとか、与える喜びを大事にする、そういう人間になっていかなければならないのではないかというふうに思います。いわば、利他的に生きる価値を身につけて、なおかつ、bargaining awarenessを鋭くする、そういう作風が求められている。

 組織拡大。組織化問題を考えると、組合ができるプロセスの萌芽状態での経営側のアクションっていうものを、どこまで日本の労働法が支えているのか。組織化の様々なプロセスに分け入って法的な保護がどうなっているのか。理想的には組織化を進める際には、中核的な人を確保するということのみならず、会社側の理解が無ければ駄目という訳ですが、仮に会社側の理解が無くても労働者が我々は作るのだと言った時に不利な扱いになるのであれば、「相当勇気いるね。」ということになります。後で、また専門の先生にお伺いしたいと思います。

 私は、多くの学生の皆さんにやがては経営の側に、経営職に就くということがあるにしても、産業民主主義の大切さを分かって、仮に経営者になるにしても良い経営者になっていただきたいと思います。働く個々人を大切にしたルールの設定と運用ができる人。何故こんなことを言うかというと、ロナルド・ドーア先生が盛んに言うのですね。「日本の労働組合は弱いが、日本の経営者は悪辣じゃない。」と。それはアングロサクソンの人から見たら、年収何10億とか何100億とか当たり前みたいな顔をしてもらっているアメリカのビジネスエリートと違い、日本の社長さんは、超一流企業でもない限り意外と地味な賃金なのですよね。日本をみた時に、故郷に帰れば小学校の同級会に出れば隣の席には大工さんがいてその隣の席には農業している友達がいて、「一緒に遊んだ仲ではないか。」というような感性がやはり日本の場合あった。それは経営者自身が節度を持ってproprietyですね、節度ある行動の原点になっているというのです。日本の多くの経営者は、実はしばしばあることですが組合の役員だったのですね。僕はこれは非常に重要な事実だと思います。ですから、手のひらを変えたような行動はとれない訳であります。そういう良き経営者になっていただきたい。

 最後に先ほど言いましたように今日本は大きく進路を変えようとしています。時間は無いのだと、切迫しているのだと。少しでも手を緩めれば企業は倒産します。という言葉に乗せてあらゆる改革が進められようとしている。今の今こそ、良心碑にある「良心の全身に充満したる丈夫」が必要なのではないかと。

 寺井先生、さっきの質問について補足の説明がありましたらお願いします。

(寺井) 石田先生からのご質問で「組合を作ろうとしているまさにその萌芽状態の段階で不利益な扱いを受けた場合、どういった法的な保護がありうるか。」ということですが、労働組合法でいきますと、労働組合を作ろうとしたこと、そのものが団結権として保障されていますので、したがいましてそれを理由に解雇あるいは配置転換をされた場合には不当労働行為ということで、地方労働委員会への救済申し立てあるいは、裁判所への損害賠償請求等、配置転換解雇無効等が申し立てることができる。ただし、実際には法的な手段ないしは行政への救済措置をとられるケースというのは非常に少ない訳でして、知識が少ないとか、そういう手間をとるよりは会社を辞めて転職した方がむしろスムーズにことが運ぶというオプションを選ばれる方が多いのではないか、と思います。

(石田) どうもありがとうございました。

 

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