同志社大学「連合寄付講座」

2006年度“働くということ-現代の労働組合”講義要録



第5講(5/19)

「成果主義と能力主義」

ゲストスピーカー  逢見直人  連合副事務局長

はじめに

 みなさんはじめまして。ご紹介いただきました連合副事務局長をやっております逢見です。今日は成果主義と能力主義というものをどのように考えればよいか、特に労働組合との関わりはどうなっているのか、ということについてお話ししたいと思います。それから、労使間で紛争が起きた時にどのように解決するのかということも最後にお話したいと思います。

1.賃金はどのようにしてきめられるか

  まず、賃金とは長期と短期で考えているところがあります。長期というのは、基本賃金といってもいいと思いますが、月給としてもらう部分です。もう一つは、ボーナスというのがあります。たぶん、みなさんも会社に入るとボーナスをもらう。それは短期で成果を与えるものです。まず、賃金の成り立ちを考えるときには、長期で考える賃金と短期で考える賃金があるということをひとつ押さえておく必要があります。

 まず大事なのは長期で考える基本給です。ここでのルールとしては、内部公平性と外部競争性という概念があります。内部公平性というのは、同じ会社のなかでAさん、Bさん、Cさんがいたときに、その中で賃金の違いがありますが、それをどのようにして納得のいく形でルールを決めていくかということです。これに対して外部競争性は、新たに人を採用するときに、賃金がライバル会社よりも低いとそちらにとられてしまいます。一方、労働者の側からいうと、不当に安い形で賃金を下げられたくない。そのためには、交渉力をもって賃金を上げていかなくてはいけないという論理があります。要するに、雇う側と働く側の両方にとって、「いくらで雇うか」「いくらで働くか」という競争原理があるわけです。

  そして、短期の部分があります。短期の業績給です。これは、成果配分とかインセンティブとか変動給与とか利益分配とかボーナスとか、いろんなものがあります。これはあくまでもインセンティブとして、「これだけ働けばこれだけあげるよ」というものです。つまり、「より頑張って働こうという動機を使って仕事をさせよう」というしくみです。では、基本給という長期で考える部分の内部公平性は、どのように決まっていくのでしょうか。賃金というのは単純に分けると、仕事に対して払う、それから人に対して払う、という2つの考え方があります。

2.仕事を基準とする賃金決定

 仕事に対して払う場合は、仕事と賃金の契約関係といってよいと思います。この特徴としては、コスト対応力が高い点が挙げられます。仕事に値段をつけるわけですから、全体として仕事量が変わらなければコストは一定です。しかし環境変化に対応して組織や仕事の配分を変更することは困難です。たとえば、ワープロがない時代は、会社で文書をつくるために和文タイピストという人たちがいました。その人たちが手書きの原稿をカチャカチャ打って文書をつくっていました。技術革新によってこうした仕事がなくなった時に、その人たちを配転するといっても、「私はタイピストで契約していますから、タイピストとしての賃金を払ってください」ということになります。そうすると、環境変化に対しての柔軟な対応ができないという問題点があります。

  仕事に対して払うといっても、職種で払う、あるいは職務で払うという方法があります。職種は近代工業化社会以前からありました。たとえば、パンを作る仕事、大工さんの仕事、靴をつくる、洋服をつくる、それぞれに親方がいました。そして、親方が仕事を割り振るわけですね。それで、職人や熟練していない半熟練の徒弟のような人たちがいて、そこに賃金の差というものがあったわけです。そういう形で仕事を職種ごとに分けて、親方はいくら、職人はいくら、徒弟はいくらという形で決めていくわけです。

 近代工業化の社会になると、そういう部分は職務という分業した形で、それぞれのjobというものに分けていって、そこで賃金を決めていく職務給という形が出てきます。仕事に対して支払う場合は、今はだいたい職務給が使われるわけです。


3.人(能力)を基準とする賃金決定

 もうひとつ、人に対して払う賃金があります。これは、それぞれの人の職務能力を評価して賃金と結びつけます。その人のもつ能力で決めていきます。能力といっても、実は潜在能力と顕在能力があります。潜在能力は表に出てこない能力。「会社に10年勤めている人は、3年5年勤めている人よりもその企業での経験や熟練度が高いので、そういう人たちは能力が高いはずだ」ということです。

  このようにすると、年功という形で賃金を決めていく、その会社に入った経験年数をベースにして賃金を決めていくということになります。しかし、これは、「能力が高いはずだ」という形でやっているけど、一人ひとり比べたら、「そうはなってないよ」ということがしばしばあるわけですね。そうすると、「年齢とか学歴とか経験年数とかを基準にして賃金を払っていくと、どうもコストパフォーマンスが合わないじゃないか」という問題意識が出てきます。「能力をもっとちゃんと評価しようじゃないか」というわけです。 

  その時に一般的に使われているのが職能資格です。企業のなかで資格という形でランク付けして、そこに人を当てはめていきます。そして、それぞれの能力の発揮度合いを毎年評価して、より高いレベルに移る場合もあります。また、同じレベルの中でも評価によって賃金の上がり方が違ってくるという形でやっていくわけです。それが職能資格というものです。

  しかし、これも問題を抱えるようになってきます。職能資格は運用しているうちにだんだん年功的になってきます。90年代以降バブルが崩壊して、日本の企業は厳しい競争の中でコストダウンを余儀なくされました。そのコストダウンをするときに、人件費をみると職能資格が年功的になっているために、なかなかコストダウンに手がつけられない。すると、「ここを変えなきゃいけないじゃないか」という問題意識が出てくるわけです。

  そこで、見直しというときに、「潜在能力の方から顕在能力の方へ移っていきましょう」という考えが、強い流れとしてあったわけです。顕在能力といった場合には、仕事の成果として発揮されたものになります。たとえば、営業であれば、いくら売り上げたのか目に見える形で出てきたもので評価しましょうということです。そこで成果や実績が評価基準のなかに強く出てくるようになったわけです。そして、賃金の成果主義化という場合には、従来の年功あるいは職能資格による運用から成果や実績を重視する形に変化するというのが一般的に言われる成果主義です。しかし、これも程度の差はいろいろあります。まったく年功的な部分をなくしているものも、そこを縮小して一部残してウエイトを成果・実績の方へシフトしているものもあります。一口に「成果主義」といってもひと括りにはできません。

4.外部競争性に基づく賃金決定

 前の内部公平性の問題もあるけれど、実は労働組合が重要な役割を果たすのはこの外部競争性です。これは、労働市場の特殊性というのがあります。カネ・モノ・ヒトという3つの要素があって、それぞれで市場がつくられるわけです。労働市場という場合には、特徴がいくつかあります。4つほど挙げておきましょう。

 1つ目は、「労働はストックがきかない」ということです。つまり、今日溜めておいて明日使うというのはできません。その時に必要な労働力が提供されなければならないのです。それから、働く側もそうです。働く側も「今日の仕事をやめて明日にしてくれ」ということは、簡単にできる話ではないです。

 2つ目に、「労働者と経営者の交渉力格差―情報の非対象性」があります。働く側と雇う側では、もっている情報が全然違います。働く側の方は、そんなにたくさんの情報をもっていません。そういう中では、交渉力の格差というのが出てきます。

  3つ目は、「労働力は単なる商品ではない」ということです。なぜかというと、そこには人権があります。たとえば、「安ければよい」ということで値段がどんどん下っていくと、「食べられない、暮らしていけない」賃金になります。そうすると、それは人権を侵害することになるわけです。

 4つ目は、「人は単なるコストではなくて、資源でもある」という点です。これはコストだとすれば、低ければ低いほど、安ければ安いほどいいのです。しかし、人には能力があって、それはどんどん高まっていくものです。だから、「まず最低生存ラインはちゃんと守ってあげよう」「これは法律で決めよう」ということで法的規制、つまり最低基準を法律で決めることになります。もう一つは、社会的相場形成という形で労働組合を組織して、労働者が集団で経営者と交渉して、労働条件を決めていく権利です。団結権や団体交渉権という労働基本権を保障して、労働組合が経営者と交渉できるようにしています。

5.相場形成機能

 市場による規制や労働協約による集団的規制などいくつかの方法があります。日本では賃金を決めるときに標労モデルをつくって、そのモデルに収斂していくという形でやってきて、それから、社会的規制や法的規制といったいろんな形もあります。相場といっても最低の相場や中間的な相場、それをどのような形でつくるか。これは国によるルールの違いやそれぞれの歴史的な成り立ちみたいなものもあって、いろんなやり方があります。

6.個別賃金(賃金制度)の管理

 内部公平性に関わる個別賃金管理という部分に入ります。これは、個別賃金、賃金制度と言ってもいいです。
 どういう視点があるのかというと、1つは長期の労働意欲です。ある会社に入って、「よし、俺はここで頑張るのだ」という気持ちで働きます。それは働く人にとっても雇う会社にとっても、両方にとってハッピーなことです。そうすると、「長期にわたって労働意欲をもって働けるような賃金にしよう」。これは集団的な関係でいうと安定的な労使関係ということになるわけです。

  それから、「所得と生活の安定保障」というのがあります。生活の安定保障ということについてもちゃんとカバーできる賃金でなくてはいけない。
 それから、「地位や責任にふさわしい処遇」も必要です。地位や責任がちゃんと賃金面で保障されなきゃいけない。「こんな仕事やってられないよ」というふうに思ったら、よくないわけです。「この仕事をやってよかった」と思えるような処遇でないといけません。
 それから、「能力開発やキャリア形成に資する賃金にしよう」という視点です。これは今の仕事に満足しているのではなくて、より高いレベルの仕事を目指していくということです。そのために、会社がそういう意欲のある人には能力開発の機会を与えます。

 一方、短期で考えると、「これだけやったから、これだけ報いましょう」となります。それは成果配分であったりボーナスであったりするわけです。そして、一人ひとりの労働意欲の総和が企業業績に反映されます。労働意欲の総和によって技術革新が行われたり、新しい製品が生まれたりするのです。そういう賃金制度にしていかなくてはいけない。そこで日本では能力主義が強く言てきたのです。

7.能力主義賃金と職能資格制度

 能力主義賃金がきちんとした形で経営サイドから出てきた代表的なものに、日経連が1969年にまとめた『能力主義管理研究会報告』があります。ここで、「企業で働くということは単に労働を売って、その対価として報酬を受けるというだけの関係ではない。企業の下に集まったすべての人が、着実に自己完成への道を歩み続けているという姿にもっていくことが人事管理の目的である」としています。今年の報告書をみると、「人間尊重」「長期的視野にたった経営」ということが謳われていて、「多様な人材の能力を引き出すためには、年齢・勤続に偏重した人事制度から、能力・役割・業績評価と人事育成を主眼とする人事制度に移行することが不可避である」と言っています。そういう中で職能資格制度はできてきたわけです。

 「能力豊かな意欲のある人材を育成し、生活に十分な賃金を保障し、柔軟な組織対処する」ということで職能資格制度が導入されました。そして、職能資格制度は、「職務遂行能力を処遇の基礎とするもので、職務遂行能力の明細書(職能要件書)を基本」にしてつくっていくということです。これが日本の大企業を中心に広まっていったわけですね。ところが、90年代以降に、「労働力構成の高齢化、企業の成長力の鈍化」という壁にぶち当たりました。「とにかくコストを下げなきゃいけない」というのが企業の中に相当強い目標として出てきました。そうすると、せっかく定着してきた職能資格制度の年功的運用ということが批判されるようになって、これを変えようという動きが出てきました。そこで成果主義ということが出てくるわけです。

8.成果主義賃金

 成果主義が求められる理由としていくつか挙げてみましょう。一つは総額人件費の抑制です。「頑張った人は今までよりもっといい処遇になりますよ。しかし、頑張らなかった人はダウンしますよ」というのが成果主義の説明としてあるわけです。しかし、隠れた意図として「総額人件費を抑制したい、人件費を変動したい」というのがあって、そういうものが成果主義賃金の本音の部分としてあります。

 もう一つは賃金不公平感の解消です。これはホワイトカラーの仕事の仕方がこの10年20年で大きく変わってきたんですね。IT化が進んで仕事の中身がだいぶ変わってきました。中高年はなかなかついていけません。そうすると、職場の中で、「何であのおじさんたちは、仕事もちゃんとできないのにあんなに賃金もらっているの」という話になってくるわけです。そうすると、賃金の不公平感が出てきて、やはりそういうものはメリハリのつくものにしていかなくてはいけない、という声が出てきたということです。

 それから、外部労働市場との接合ということがあります。これはホワイトカラーの仕事が、だんだん細分化されるようになって、ホワイトカラーの専門職化というのが出てきて、そういう人たちを外部競争の中で獲得しなければなりません。そうすると、職能資格制度のような形で、企業の中で一本の人事制度でやっていくと、なかなか専門的な能力を持っている人は処遇できません。そういう部分でよりメリハリのついたものにするという理念で導入するわけです。

9.成果主義がうまくいかない理由

 導入するけれども、なかなかうまくいきません。一つは、「成果主義は結果評価でいきます」ということにすると、結果を出した人は○、結果出せなかった人は×、という評価になるわけです。ところが、世の中いつも結果が○ということにはならない。一生懸命頑張ったけれども成果が上がらなかったというのは、本人の努力のせいじゃない部分もあるんですね。「プロセスを考えてくれていない、結果出したら○というだけでは、ちゃんと評価してもらってない」、という不満が出てきます。

 また、目標管理をやるわけですね。一人ひとりに目標を立ててもらって、「目標を達成したら払いましょう、目標を達成できなかったら駄目ですよ」と言われます。すると、「そんな高い目標を掲げるか」となります。目標管理というのは、達成したら払うということだけではうまくいきません。

  それから、評価する人が同じ基準で評価してくれるのか。たとえば、1万人の会社であれば、評価者が1000人ぐらいいるわけですよ。その1000人が同じ基準で評価するためには大変な労力がいるわけです。
それから、個人間競争になってしまうと、自分の同僚はライバルだということになり、チームワークとして機能しなくなります。「今までより難しいけれど、これで頑張ってみろよ」と言われて、「はい頑張ってみます」というのが人材育成になるわけですね。だけど、頑張ってみたけれどもうまくいかなかったら、仕事を指示した上司も責任を取らされることになると、そんなリスクを負いたくないので、人材育成にはならないわけです。

  また、評価の格差も問題です。「評価結果はこうでした」と言われて、「納得できません、なぜですか」と聞き返されたときに、説明がちゃんとできるかどうか。それと、情報公開と苦情処理システムが整っているかどうか。こういうことが成果主義のうまくいかない理由としてあげられるわけです。

10.賃金、処遇をめぐる労働紛争と解決システム

 そういうなかで紛争は起こってくるわけです。2004年の調査をみると、一番紛争が多いのは解雇です。それから、その次が労働条件の引き下げです。退職勧奨、出向・配置転換、その他の労働条件というのがあります。こういう紛争がものすごく増えてきています。

  こういう紛争をちゃんと解決する仕組みをつくらないといけません。以前は集団的な労使関係の枠組みでつくってきました。しかし、労働契約が個別化するとか、成果主義になっていくとか、一人ひとりの評価にからんでくると、なかなか集団的な労使関係のルールだけでは対処できません。そこで、「個別的な労働紛争解決システムをつくっていこう」となったわけです。システムとしては2つあります。

 1つは、私的解決システム。これは企業の中で解決していくということです。第一義的には、こういう私的紛争解決がちゃんと機能するようにしなくてはいけません。そのためには、労使によるルールの形成というのが必要なわけです。しかし、それだけではうまくいかないので、それを公的に解決しよういう仕組みがつくられてきました。

  2つに、公的解決システムです。まず、裁判所による労働審判員制度。通常の訴訟とは違って、比較的簡単でコストも安く、それから短期で解決できます。3回以内、長くても3ヶ月ぐらいで解決するという仕組みが回り出しています。これは職業裁判官だけじゃなくて、労使の各団体から推薦された人が審判員となって、その3人の合議ですすめていきます。そういう人たちで合議して解決しようというものとか、行政による紛争解決とかができあがってきています。

11.労働紛争解決に果たす労働組合の役割

 最後に、「労働組合の役割とは何なのか」ということについてです。日本の労働組合の特徴は、特に民間は生産性に対して労使で協力をしてきました。その基本になっていますのは、「生産性三原則」といわれているものです。雇用の維持、労使の協議、そして適正成果配分がそれです。この3つが今までの処遇のルールでしたが、これが揺らいできているのです。そこで、生産性運動を再確認しようという動きがあって、これは日本経団連も連合もそのことの必要性をちゃんと認識するようになってきています。単なる効率性ではなく人間性の概念、それから成果配分についての集団的ルールの確立、そしてマクロの生産性と国民生活の反映や福祉ということを考えて処遇していくとしています。こういう理念をもう一度共有して、「原点に戻って処遇しよう」と、現在、労使間で話し合っているところです。

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