I.本書の目的
いま、日本のみでなく、世界の先進国のあいだで、所得や機会の不平等化が進展し、労働者に安定と将来の展望をある程度までは保障してきた制度やルールがつぎつぎと壊れている。ドーアのこの作品は、こうした動向の背景をさぐり、さらにそこからの「逆転」の可能性を見出すことを目的としている。
II.本書の内容
第1章 労働の苦しみと喜び
近年、日本で起きている事態の本質は、「労働世界の変化」であり、それは、アメリカ、イギリスなどアングロ・サクソン諸国では20年まえから展開し、いまや世界中でひろがっている。具体的には、長時間労働化、失業と低賃金(失業者の多くは低賃金労働者で、低賃金→無賃金の循環が起きている)、能力があり希少な技能を身につけている人口の約30%の人と残りの70%の人との2極分化、「従業員主権企業」から「株主主権企業」への移行、などである。このような変化はグローバリゼーションとITを軸とする技術革新を背景として進展してきた。
第2章 職場における競争の激化
1990年代以降、日本では年功賃金に代わって業績主義体系が導入されており、それは個人間の差をつけることが目的となっている。諸外国および日本の経験から業績主義の導入が意図通りの結果をもたらしているとはいえないが、個人主義的志向は若い世代に広がっている。法的側面では、各国ともに整理解雇を容易にする、派遣労働者など臨時雇用契約をより自由にする、そして労働組合の力をそぐ法改定が行われた。仕事の有用性という観点からみると、財・サービスの生産といった実物経済にたずさわる人々により大きな便宜を与えるとはいえない金融サービス分野の威信が高まっている。
第3章 柔軟性
「労働市場の柔軟性」(flexibility)という用語は、もともとイギリスにおいて、職業別労働組合による「労働の慣習的規制」に対抗しようとするスローガンで、要するに労働組合の規制力を弱める意図をもつものであった。しかしこの用語には、[1]企業内、いいかえれば内部労働市場での配置を自由にして労働者がもっている能力をできるだけどんな仕事にも発揮しうるようにする手法、[2]経済全体のなかで採用・解雇の自由を拡大し、必要な能力を外部労働市場から導入することを容易にする、という2つの内容を含んでいた。たとえば日本では、前者の意味での柔軟性をもっていたが、近年の制度変革は、外部労働市場の柔軟性という方向に圧倒的に傾いてきた。これは労働者保護の考え方とは180度異なっている。
第4章 社会的変化の方向性
変化はグローバリゼーションと技術変化を背景としており、たとえば不平等は不可避的に進展していくようにみえる。しかし、変化はこうした条件だけでおきるわけではなく、重要な要素として「何が公正か」をめぐる人びとの規範意識の変化があることに注意する必要がある。たとえば、1960年代、70年代に成立した不当解雇を規制する「公正」概念は今日では別の「公正」概念に敗北している。このような変化は、労働組合の弱体化とも結びついていた。団体交渉力の低下は格差拡大の直接の要因であっただけでなく、労働組合の政治的影響力の低下とも結びついていた。また一国ごとの人びとの連帯の喪失、エリート層のアングロ・サクソン的価値観とのグローバルなレベルでの同質化、いいかえればアメリカの文化的覇権の確立も、規範の変化の大きな背景となっている。
第5章 市場のグローバル化と資本主義の多様性
市場個人主義の強い流れに「逆転」の可能性はあるのか。ここには2つの論点がある。1つは、ILO のいう「中核的労働基準」がグローバル市場で活動する企業の規範として確立されるかどうか、であり、もう1つはグローバリゼーションが進展していくなかでも、たとえば「公正」をめぐる価値体系や文化や制度をそれぞれの国で維持、あるいは発展させることができるか、である。それぞれに問題はあるが、いくつかの「逆転」の要素はみられる。日本にかんしていえば、株主利益を唯一の目標として労働組合も衰退しているアングロ・サクソン型と、とにかく社会的パートナーの制度を維持しているヨーロッパ型の中間にあり、前者からの攻撃の中心となっており、その帰趨が世界的にも今後の動向をきめるカギの1つとなる。
III.読むうえでのポイント
本書は新書形式の小冊子であるが、紹介した概要以上に、きわめて示唆的な多くの論点を含んでおり、直接ぜひ読んでほしい。ただ、未来への方向については著者自身、最後の一行で「予言をするのに躊躇します」と述べているように、現在進行している労働をめぐる事態のまさに的確な分析と比較すると、分量や明確さは充分ではないが、これは、読者自身が解決していく課題であることを示しているともいえる。
IV.著者について
ドーアは1925年生れの社会学者であり、80歳を越えているが、現在も元気で活躍されている。名著『イギリスの工場・日本の工場』(1987年)に示されているように、多くの聞き取り調査にもとづいて理論を構成していくという特徴をもっている。もう1つの近著である『誰のための会社にするか』(岩波新書)も、連合関係者も含めて、多くの聞き取りにもとづいてかかれたものであり、ぜひ読んでもらいたい本である。
(高木 郁朗)
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