日本経済新聞出版社
2,800円+税
2018年1月23日
評者:鈴木祥司(生保労連 総合局長)
日本社会における労働組合の評価は低い。経営に対する姿勢は弱腰で経営の言いなりだとか、そもそも企業別組合だから飾り物に過ぎないとか、概してネガティブなイメージが定着している。著者は本書で、こうした通念に疑問を投げかける。労働組合は総じて企業経営にもしっかり発言してきたし、一企業にとどまらず日本経済の競争力にも少なからず貢献してきたのではないか。米国を真似て社外取締役に期待するより、企業内での長期の経験やそれにもとづく知見をもつ従業員代表の発言を活かすことこそ、真の企業統治改革といえるのではないか。これらを立証する調査データや事例は乏しいが、著者は限られた資料を丹念に読み取っていく。
そこから私たちは、会社を良くするために発言し、仲間の雇用を守ろうとしてきた労働組合や従業員の切実な願いと行動があったことを知ることができる。それらを歴史の中に埋もれさせまいとする著者の思いが伝わってくる。
従業員の発言が企業の生産性を高めるのはなぜか
第1章では、従業員の発言が企業の生産性を高める理由を考える。一つは、従業員の経験や知見である。企業にはさまざまな分野で知見をもつ従業員がおり、労働組合はこうした人たちの意見をまとめて発言することができる。企業には経営の専門家がおり、労働組合の意見など聞くまでもないという見方もあろうが、企業活動は不確実性に溢れており、想定しない問題やトラブルが頻繁に起こる。そこで、経験を積んだ従業員(とりわけ中堅層)の知見を活かすかどうかで、不確実性への対応や企業の生産性は大きく左右されると著者はいう。
もう一つは、長期業績への貢献である。ヘッジファンドの台頭などにより短期利益を重視する傾向が強まっているが、配当率を優先すれば設備投資や研究開発、人材育成は軽視され、企業の長期の競争力は低下しかねない。長期の雇用継続を重視する従業員の発言は、短期利益重視に抗し、長期の競争力や生産性を高めるであろうとする。
企業経営に対する従業員の発言の淵源はどこか
第2章~第6章では、従業員が戦後どのように発言してきたかを、節目ごとに3つの時期に分けて検証する。一つ目は、戦後直後の1946年をピークに1948年頃まで続いた「生産管理」を取り上げる(第2~3章)。生産管理とは、極度のインフレによる経営者の生産サボタージュに対抗し、労働組合が企業活動を掌握した行為をいう。ケースによっては激しい労使対立を示した企業経営への発言の高まりは、果たして一過性のものだったのか。労働組合の発言の淵源が生産管理にあれば、生産管理の沈静化に伴い、労働組合の発言も弱まったはずである。しかし、生産管理が静まった1949年以降も1950年代後半頃まで経営・生産について発言する労働組合の割合は低下しなかったことから(20~25%で推移)、著者は、企業経営に対する発言が「生産管理に強く依存するものではない」と見る。
第4章では、二つ目の節目として1970年代後半に着目する。生産管理の波が去って以降も第一次石油危機頃までは争議が相次ぎ、比較的穏やかな労使関係になったのは1970年代後半になってからである。この時期の経営・生産について発言する労働組合の割合は、戦後直後や1950年代と大差ないことから、著者は、企業経営に対する従業員の発言は継続的なものであり、「戦前の一部の労働組合の…生産への発言の傾向をひきついでいる可能性が高い」と見る。
企業経営に対する従業員の関心の高さは日本に特異なものか
より注目すべきは、この時期の個人票調査である。これによると、「経営方針・経営状態を知りたい」従業員の割合は高く、「経営方針に従業員の意思を反映させる必要あり」とする割合も高い(たとえば10年以上勤続者はいずれも90%超)。そこから著者は、自分たちの意思を経営に活かしたいとする、従業員の「熱い思い」を読み取る。
また、このように経営参加を重視するのは日本特異ではなく、先進国一般に共通するという。たとえば米国の労働組合は分配面のみ交渉し、パイの増大にまで口を出すと交渉力を弱めるとの考えから、経営に対抗的だとされる。しかし、1993年に米国で実施された調査で明らかになったのは、「経営情報を知りたい」とする従業員の強い要望であった。米国の多くの従業員は、パイの増大には口を出さないとする労働組合の考えに満足していなかったのである。そこには、米国の従業員は長期雇用など望まず、職を転々と替え、より有利な職を求めるといった思い込みがあるとする。
企業経営に対する従業員の発言は弱くなったのか
第5章では、三つ目の節目として、1980年代以降、従業員の発言は維持されたのかを検証する。労使協議機関のある事業所割合は大幅に減少しており、労使協議制の普及度の低下は明らかである。ところが「労働組合の発言の強さ」を見ると、経営・生産への発言にあまり衰えは見られない。1990年代に一旦下がるが、その後2000年前後から盛り返しを見せるのである。「労使協議への労働者の関心度」を見ても、労使協議制の普及度を反映して低下はするものの、その低下幅は労使協議制の普及度ほどではなく、「労働組合があるかぎり、関心はさほど衰えていない」と著者は見る。
これらのことから著者は、1990年代に労使協議制の普及度が低下し、経営・生産への発言も弱くなった背景には、労働組合の組織率の著しい低下と、米国型の株主重視企業モデルへの崇拝があったと指摘する。また、2000年前後からの発言の盛り返しは、従業員の発言が弱くなると企業の生産性や競争力にも支障が生じかねないことに、経営も気づき始めたということではないかと解釈する。
労働組合が社長の進退にまで発言したのはなぜか
第6章では、労働組合が社長の進退に発言した事例を紹介する。具体的には、1980年代以降の3つの労働組合による社長の退任要求に焦点を当てる。いずれも労働組合による世襲批判あるいは同族経営批判として喧伝されたが、最大の理由は業績悪化に対する責任追及であった。どの労働組合も急進派ではなく、あくまでも普通の労働組合が仲間の雇用を憂慮し、社長の交代を迫ったのである。
ここで著者は、解雇されても同業他社に移ればよいとする「労働市場の流動化」論に反論する。不況期は同業他社も厳しく増員などできない。つまり、他業種への移動を余儀なくされる。これまで培ってきた技能は活かせず、待遇は下がる。だからこそ従業員は雇用を重視し、企業経営に強い関心を示すのだという。
役員会への従業員代表の参加はなぜ必要か
第7章では、役員会への従業員代表の参加の意義を考える。著者はここで一つのモデル(フリーマン-ラジア理論モデル)を紹介する。要点の一つは、従業員の発言力が強まりその取り分が最大化すると、企業収益が社会的に最適となる点からズレてしまうというものである。これに対して著者は、従業員が長期雇用の観点から長期の収益や競争力を重視した場合、このモデルは当てはまらないと指摘する。つまり、従業員の発言力が強まっても賃上げばかりを要求するとは限らず、設備投資や研究開発に回すことを重視し、結果として社会的な最適点とのズレはさほど生じないのではないかと推測する。
こうしたことからも著者は、その事業の知識に乏しい社外取締役などではなく、企業内での長期の経験にもとづく知見と、長期の視野をもつ従業員代表こそ、役員会のメンバーにふさわしいと訴える。西欧や北欧では従業員代表の参加が法律で義務づけられているが、日本では議論すらされていない。経営の意思決定が遅くなるといったことを懸念する声もあるが、ドイツに始まったこの制度は、産業民主主義の旗印として今や一種の国際相場となっていると指摘する。
労働組合の今日的課題は何か
本書に照らして労働組合の現状を見るとどうか。ここでは課題を4点指摘したい。
一点目は、労働組合の組織率の改善と株主重視からの脱却である。これらが労使協議制の普及度や従業員の発言の強さに影響している構図は今日も同様であり、これらなくして従業員の発言力の向上は望めない。とりわけ、近年の企業統治改革や労働市場改革の議論における米国追随には目に余るものがある。
二点目は、経営に対するカウンターパワーとしての役割発揮である。総じて高い関心をもって企業経営のあり方に発言する労働組合ではあるが、いざ企業不祥事が起きたとき、一転して経営と一緒に隠蔽する側に回るなど、カウンターパワーとしての役割を十分に果たせていないケースも散見される。会社を守り従業員を守るという意識が、内向きかつ歪んだ形で出てしまっているのだろうが、労働組合がこうした課題を払拭できていないことには自覚的である必要がある。
三点目は、賃上げの推進である。著者は、日本の労働組合が長期の雇用継続を重視し、時に自分たちの取り分を抑制すると指摘するが、一方で、1990年代後半以降、雇用継続を重視して賃上げ要求を抑制したことが、デフレをより深刻にしたとの見方もある。雇用あっての賃上げであり、労使の見極め・判断には難しいものがあるが、雇用がマクロの経済状況に大きく影響を受けることに鑑みれば、雇用継続を前提としつつ、賃上げについても可能な限り推進する必要があるということだろう。
四点目は、企業経営に対する労働組合の発言の中味についてである。著者は、労働組合を企業のインサイダーと位置づけ、発言の基準も企業業績と従業員の雇用に限定しているように見える。しかし、たとえば西欧では、従業員代表制を通じて非正規労働者やジェンダー、環境問題などの社会的課題についても発言している労働組合があるように、労働組合は社会正義に関わる課題についても、より幅広かつ積極的に発言していく必要があるのではないか。
最後に、本書は歴史の検証に主眼が置かれているとはいえ、役員会への従業員代表の参加に関する法整備をどう実現するのかなど、本書で指摘された課題の具体化に向けた道筋に触れられていないのは少し残念である。しかし、それには多岐にわたる戦略が必要であり、むしろ私たちの課題といえよう。いずれにしても、長年にわたり労働経済学の議論を牽引してきた著者が「最後の本となる」と記すに値するだけの入魂の作には違いない。
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