NHK取材班
『外国人労働者をどう受け入れるか―「安い労働力」から「戦力」へ―』

NHK取材班『外国人労働者をどう受け入れるか―「安い労働力」から「戦力」へ―』

NHK出版新書
780円+税
2017年8月

評者:末永 太(連合 資料室長)

 日本で働く外国人は、2016年に初めて100万人を超えた。飲食業や建設業など外国人の労働力なくしては、もはや日本の産業は成り立たない状況にある。一方で、外国人労働力の活用がすすむと日本人の雇用が奪われるのではないかと懸念する声もある。本書は、外国人労働者の置かれた厳しい実態を浮き彫りにしたNHKクローズアップ現代の「シリーズ 新たな隣人たち」(2016)を制作したディレクターが、番組をつくるにあたって識者や企業に取材した内容を、書き下ろしたものである。

 本書は「はじめに」で重要な問題提起をしている。すなわち、「きつい・安い」という労働は日本人には敬遠され、そこでは、人手不足が深刻な状況にあり、現実には「留学生」や「技能実習生」という形式によって人手不足を補っていながら、「労働者」としての来日は認めない。こうした実態が放置され、そのことが外国人の「労働者」から多くの権利や機会を奪っているという状況である。
 第一章では、「使い捨ての実態」とあるように、「駆け込み寺」とでもいうような、不当な労働条件での労働の他、パワハラ、セクハラまで受けた外国人「研修生」たちのシェルターを運営して、彼女らを支援する中国人夫妻の話から、安価な労働力として搾取する日本の経営者の実態について浮き彫りにしている。実習生に「奴隷労働」を強いている経営者たちは、途上国から来た実習生を、正規の労働者とは全く見ておらず、実習生たちに現に自分が非人道的な扱いをしていても、自分が非人道的な扱いをしているという自覚すらなく、むしろ、本国で働くよりは好待遇に処しているくらいに思っているのかもしれない。
 代わりの人はブローカーに頼めば、いくらでも斡旋してくれるので、苦情を申し立ててくるような面倒な人は、さっさと強制帰国させて、文句を言わない他の人を雇えばいいという発想である。労働者の給与の一部を差し引いて貯めておいて帰国させるための航空券代に充てているなどという記述もあったが、あまりに非人間的で、あきれた行為である。近年、社会を破壊し、経済のみを重視する傾向が強烈にすすめられているが、そうした、拝金主義、勝ち組賞賛の風潮がこうしたブラック経営者をも、のさばらせるのだろう。
 第二章では「外国人受け入れの建前と矛盾」ということで、とくに技能実習制度について制度がどのような経緯でつくられたのか、なぜ存続しているのかについて解説している。著者は技能実習制度について人手不足を補いたい産業界の要望と治安維持、入国管理の必要性との間に折り合いをつけるかたちで考え出された制度であり、本来であれば就労ビザで外国人労働者として来日することが認められない単純労働者を屁理屈をつけて無理矢理、就労可能にしたものであると語る。
 実習生は日本人がやりたがらない低賃金で重労働な仕事を戦力としてではなく、安い労働力として働かされ、使い捨てにされている。ほぼ奴隷労働の状態で常に強制帰国される恐怖を抱えながら働かなければならない技能実習制度の負の側面は、偽装難民や不法就労、偽装結婚などの要因にもなっていることは明らかである。もはや時代遅れの制度を変えることが、喫緊の課題である。
 第三章では、「共生社会をめざして」ということで、これまで外国人受け入れに抵抗してきた政府が、人口減少社会に向け、或いは2020年の東京オリンピック・パラリンピックを前に外国人材を活用する道筋をつくる必要があると方針転換するにいたった経緯について、また、一方で、外国人労働者の定住によって新たに生じている多重格差の実態についてふれている。その上で模範的な外国人との共生の例として、バングラデシュ人が社長を勤める建設請負会社が紹介されている。
 バングラデシュ人のモバーグさんは、「日本で働く外国人を助けたい」と、会社を立ち上げた。社員の国籍は、日本、バングラデシュ、インド、パキスタン、ギニア、タンザニア、マリ、ナイジェリア、トルコと、実に国際色豊かである。すべて「正社員」として雇用し、社会保険に加入、健康診断も受けさせている。会社の掲示物は日本語とローマ字を併記し、言葉の壁を取り除き、また日本の慣習に馴染むよう、妻の宣子さんが「お母さん」役として生活の相談にのる。社内にモスクを設置し、礼拝後の食事会で、生活上の相談や助け合いの雰囲気を作る。お祭の時はみんなで神輿を担ぎ、地域社会に溶け込む努力もする。「未来のサンプルになりたい」というのが、モバーグさんと宣子さんの信念である。彼らのように「日本で働き、日本で子どもを育て、そして給料の中から税金も払い、日本の社会保障の恩恵も受けながら、そして日本で“生きて”いる」外国人は「日本人と何も違わない」のではないだろうか。
 「おわりに」で、著者は、アジアの労働力を使い捨てにしている日本の現状を「時代を読み違えている」とする。失われた20年といわれるなかで日本とアジア諸国との賃金格差は年々縮まり、中国などでは日本を追い越す賃金水準となっている地域もでてきた。「アジアの人たちが背を向けるようになってしまう前に、私たちは考え直す必要がある」と著者は語る。
 通常国会に「働き方改革基本法案」が上程され、その中で「外国人材受け入れ」についても、「高度外国人材の永住許可申請に要する在留期間を、現行の5年から世界最速級の1年とする「日本版高度外国人材グリーンカード」を創設するとなっているが、一方で肝心な「技能実習」制度の矛盾については先送り、事実上放置している。日本総研によれば「2020年の東京オリンピック・パラリンピックの年には、416万人の労働力が不足すると試算」されており、逆に、中国では同年までに2000万人の労働力が不足するという国連の推計もある。
 本書は労働組合運動にとっても重要な問題提起となっている。労働力不足だからといって、安易に外国人労働者に依存するのは誤りであろう。日本の社会システムの欠陥によって、就業機会を奪われている人びと、あるいは自らの選択の結果としてではなくパート労働を強いられている人びとはけっして少なくないからである。しかし、本書に示されるような外国人労働者の実態からすれば、外国人労働者の導入の可否を超えて、現に日本で働いている外国人労働者の労働がディセントワークの対象となるよう、労働組合が連携して活動すべき時期に来ていることは明らかである。本書はそうした論議をすすめるうえで有益な素材となるであろう。


戻る