みすず書房
3,200円+税
2017年6月
評者:麻生裕子(連合総研主任研究員)
原題は“Global Inequality : A New Approach for the Age of Globalization”、直訳すれば「グローバルな不平等?グローバル化時代のための新たなアプローチ」である。ルクセンブルク所得研究センターのエコノミストである著者は、「グローバルな不平等」をテーマとして取りあげ、過去2世紀、とくに過去25年間に世界で所得分配上の変化がどのように起こったのか、そして将来はどうなるのかを検討している。
本書は各国の長期データから導きだされた様々なグラフをみるだけでも面白い。さらには、グローバルな所得分布データの入手先、相対尺度と絶対尺度の違いなどについて触れられたコラムもあり、読みやすく工夫が施されている。本書の特徴は各国ごとの不平等だけをとらえるのではなく、グローバルにみた格差の展開を長期的な動向にそって分析していることにある。
世界のなかで日本がどのような位置にあるのかを知るためにも、労働組合関係者に一読を薦めたい一冊である。
本書の構成はつぎのとおりである。まず冒頭で、グローバリゼーションの利益を誰が得ているのかを示した興味深いグラフが登場する(第1章)。これは、横軸に世界の所得分布の二十分位、縦軸に1988年から2008年までの世帯1人あたりの税引き後実質所得の伸び率をとったものである。その折れ線の形状が象の鼻に似ていることから「エレファントカーブ」とよばれる(表紙の写真を参照)。ただし、このグラフの前提となったデータの取り扱いについては批判があることに留意が必要である(河越正明・高良真人(2017)「貿易が所得分配に与える影響について:「象の図」再考」『第43回中期経済予測』日本経済研究センター)。
このグラフから読みとれるのは、所得伸び率が最も高い、象の頭にあたる部分では、中国をはじめとするアジア新興国などの「グローバルな中間層」が台頭し、一方で所得伸び率が最も低い、カーブの底の部分では、欧米など先進諸国の「豊かな世界の中間層」が停滞していることである。そして、右端の象の鼻先にあたる部分は「グローバルな超富裕層」の登場を意味している。
しかし、「グローバルな中間層」の所得伸び率が大きく成長したからといって、絶対額としての所得増加につながっているわけではないことに留意しなければならない。世界全体の所得増加分の44%が世界で最も裕福な5%の人びとのもとに渡っている。
こうしたグローバルな所得不平等について、本書は各国内の不平等(第2章)と各国間の不平等(第3章)とに分け、経済的・政治的要因にも触れながら分析している。これらの結果から著者が導きだした主な論点はつぎの2点に集約されるだろう。
第一に、それぞれの国において、前工業化社会では不平等の拡大と縮小が不規則に現れるが、工業化社会、脱工業化社会になり所得水準が安定して増加すると、不平等はクズネッツ仮説を拡張した「クズネッツ波形」の第一の波、第二の波、すなわち不平等の拡大と縮小の繰り返しの規則的なサイクルとして現れるという点である。クズネッツ仮説とは、不平等は所得水準が非常に低いときには小さく、経済発展とともに拡大するが、所得水準が高くなると再び縮小するという考え方である。この場合、もともとのクズネッツ仮説では1回きりの逆U字形の曲線になるが、実際に1980年代以降の先進国ではこれと異なる動きが生じていることが以前から指摘されていた。これに対して本書では、実際に起こった不平等の動きを「クズネッツ波形」の繰り返しによって説明している。ただし、このサイクルは経済活動の自然の傾向として現れるのではなく、政策的対応などのさまざまな外部的要素をともなってはじめて出現するという。この外部的な要素としては、戦争などの「悪性」のものと、労働組合の成長や再分配政策の進展など「良性」のものとがあるという指摘も興味深い。
第二に、グローバルにみると、19世紀の不平等は、各国内すなわち「階級」の不平等によるもののほうが、各国間すなわち「場所」の不平等よりも大きかったが、その後の100年間でその状況は反転したと著者は主張する。現在では、どの社会階級に生まれたかではなく、どの国に生まれたかが決定的な差になるという。これをふまえて、裕福な国に生まれた人びとがもつ優位性、移民と国境開放をめぐる議論へと発展する。
最後に、結論としてグローバルな不平等に関する将来予測や政治的課題についての考察が示されている(第4章、第5章)。
なかでも労働運動にとって重要な示唆になると思われる点をあげるとすれば、ひとつは、グローバルな不平等を縮小するためのアプローチである。これまでグローバルな不平等の削減に貢献してきた中国の急成長は近い将来、反対に不平等を拡大させることが予測されると著者はいう。したがって、中国を除く新興国の経済成長がグローバルな不平等の縮小につながると言及する。
もうひとつは所得再分配機能についてである。著者は20世紀の先進諸国で不平等を縮小させてきたのと同じように所得への課税強化と社会移転のメカニズムが働くとは限らないと捉える。それはグローバリゼーションのなかで資本所得への課税がますます難しくなっているからである。これは、グローバルに展開されている税逃れなどによる。このため21世紀のアプローチとしては、課税や移転の前段階での介入がより有効であると説く。親から子への資源継承、とりわけ資産所有と教育の不平等を縮小すれば、市場所得の分配を改善することができるという。むろん、こうした解決策を推進する主体や方法論などについてはより厳密な検討が必要である。また、「豊かな世界の中間層」の貧困化と、開発途上国における新しい中間層の成長とがどうかかわりあっているか、についても論議が深められるべきであろう。
現在、日本の労働組合が組織している労働者は、まさに所得の停滞が起こっている「豊かな世界の中間層」に位置づけられる。現在の労働組合は、中間層の没落という世界的な問題に真剣に取り組んでいるといえるだろうか。一国レベルを越えてグローバルな視点から、不平等を縮小するための労働組合の役割をあらためて考えてみることが重要である。
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