井手英策・古市将人・宮崎雅人
『分断社会を終わらせる――「だれもが受益者」という財政戦略』

『人工知能と経済の未来 -2030年雇用大崩壊』

筑摩書房
1,600円+税
2016年1月

評者:畠中亨(帝京平成大学 地域医療学部助教)

 日本に住んでいて、日本の社会福祉政策を高く評価する人は少ないだろう。むしろ待機児童問題や、介護労働者の低賃金、人口減少地域の医療従事者の不足など、否が応でも意識させられる問題が山積している。「北欧のように高負担でもいいから、福祉を充実させたらいいのに」とは、大学で社会福祉を教える評者が良く耳にする声である。社会福祉が身近となり、ほとんどの人たちが、福祉サービス抜きでは生活が成り立たなくなっている現代社会において、こうした意見は決して少数派ではないだろう。だが、日本がそのような社会に向かう気配は一向に見えず、まるで袋小路にはまったように社会問題の悪化を、ただ見守るだけの状態が続いている。
 本書は、日本がそうした袋小路に嵌まってしまった理由を、明快に説明している。問題の本質は、社会が分断化されてしまっていることにある。そのうえで、本書は日本が目指すべき道筋を示している。

 本書は序章、終章を含めて6章構成となっている。序章「分断社会・日本」では、現代の日本が陥った、分断された社会の現状を幅広く概括している。高度成長期に形成された「勤労国家レジーム」は、経済環境、社会構造、財政ニーズの変化を受けて不安定要因となり、日本は「三つの罠」により、人々が対立し合い不安を募らせる分断社会に陥った。
 第1章「不安の発生源」で、この「三つの罠」について、さらに詳しく分析している。三つの罠とは、再分配の対象を特定の人々に限定することで起きる「再分配の罠」、生活状況が悪化するほど、より自己責任化が求められる「自己責任の罠」、世代により求めるニーズが異なることにより対立が生じる「必要ギャップの罠」である。社会的分断状況の中、財政は「公平性の観点」から特定の階層に負担を課し、特定の階層の受益を削る「再分配」へと向かう。これにより、さらに対立は強められ、再分配の支持は低下する。本書では、これを「低位均衡の財政」と呼んでいる。
 第2章「恫喝と分断による『財政再建』」は、再分配の役目を果たすべき社会保障制度が、削減される根拠として用いられる財政再建論に対して、真っ向から意義を申し立てている。政府が掲げる財政の「健全さ」の基準には、一貫性がなく根拠に乏しい。政府債務残高が対GDP比で200%を超えているという指摘についても、政府債務残高と経済成長率には関係性が見られないと反論している。さらに、国債のほとんどが国内の機関が所有していることから、日本の財政はむしろ「健全」であるとしている。近年に向かって「財政再建」や「既得権者」といったキーワードがマスメディアを通して巧みに流布され、低位均衡の財政が作り上げられていった。日本の財政当局がこのように恐怖心を煽り、政府支出の削減を進める理由として、戦前から続く「総額重視型の予算編成」にあると指摘している。
 第3章以降では、こうした状況を脱するために目指すべき社会モデルが提案されている。第3章「不幸の連鎖からの脱却――『必要=共存』の社会へ」では、「市場原理」に対抗する理念として「必要原理」を打ち出し、「成長=救済型モデル」から「必要=共存型モデル」への転換を提唱している。戦後の日本は、経済成長が豊かさを実現し、社会的弱者を救済するという「成長=救済型モデル」を形成してきた。しかし、「弱者救済」という道徳的正義感が、格差是正の足枷となる。「弱者」という特定の人々を対象とすることが、社会の分断を招き、再分配の支持を失わせるからである。これに対し本書では、教育、医療、育児、保育、養老・介護といった、あらゆる人間が必要とするサービスの現物給付を拡充するべきと提案している。社会共通のニーズを満たすことで、人々の間の不要な分断線をなくすことが目的である。結果として格差是正が達成され、社会的信頼を高めることにもつながる。これが必要原理である。
 第4章「来るべき時代の胎動」は、必要原理に基づくモデルへと転換するための道筋を示す。まず、財政の転換を阻んでいる「総額重視型の予算編成」が、改めて批判されている。人間のニーズに応じて資源を配分するのではなく、形式的な平等を重視した画一的な予算編成は、納税者の要求とはミスマッチとなり、納税への強い抵抗感「租税抵抗」を生じさせる。「財政が厳しいから支出削減以外なにもできない」という思考停止状態を抜け出し、この苦境から脱出するための財政を展望するべきとしている。そして、地方自治体レベルでは既に、日本財政の限界を突破しようとする試みが見られ始めていることも示されている。
 最後に、終章「縮減の世紀に立つ」で、大きく近代以降の人類の歴史を振り返り、危機の時代に立つ我々こそが、新たな社会を作り上げていくべきであることが唱えられている。
 まとめていうと、本書では「再分配」の意味が日本と高福祉諸国とでは、捉え方が異なっている可能性があること、「本当に困っている人」を救済しようとする試みが、社会の分断を深めてしまっていること、政府債務と政府の規模の大きさには明確な関係性がないこと、が説得的に示されている。そのほか多くの示唆を含めて、普遍性の原則の再確認は今後の社会運動や研究のあり方を、大きく変える可能性を秘めている。ただし、具体的にどのような取り組みが目指されるべきかについては、本書では十分に説明されていない。本書はあくまでも財政を議論したものであり、労働運動や教育、福祉の実践がどのように変わっていくべきかについては、本書をもとに当事者がそれぞれに検討していかなければならない。
 本書の結論は、社会の分断と低位均衡の財政の負のスパイラルを抜け出すために、「必要原理」に基づくモデルへと転換すべきというものである。本書ではこうした分断化した日本の社会状況の淵源を、「総額重視型の予算編成」にあるとして、財政の転換が社会の変革をもたらすとしている。転換の方向性そのものについては賛同できる。だが、現実に目を向けると、低位均衡の財政や社会の分断状況は、全ての人びとが望まないのではなく、一部の人びとはこれを歓迎してきたという事実がある。租税負担が低水準となることや非正規雇用が増加することで、利得を得る層は存在する。そして、そうした層の利得のために様々な制度改変や、社会心理の醸成が行われ、社会の分断が加速されている。本書ではそうした層については、言及されていない。そのような指摘を行うことは、対立を鮮明化させ、本書が批判する社会の分断を自ら招いてしまうおそれがあるからであろう。
 とはいえ、このことを無視して、先に述べた各当事者による実践の方針を検討しても、真に社会の分断状況を解消する構想には至らない。たとえば、子育て支援の現物給付を充実させることは、「必要原理」に沿っているし、現在、政府もその必要性を認め対策を打ち立てている。保育サービスを拡充する方策として導入された子ども子育て支援新制度は、母親がパートタイマーの場合でも保育サービスが利用できるよう、保育時間の柔軟化が図られた。だが、親の働き方や家族構成により、子どもに提供される保育サービスも「フルタイム」と「パートタイム」に分けられる事態となっている。このように、ニーズを満たすために行われた制度改正が、新たな分断をもたらすことも起こり得る。また、保育ニーズの多様化に対応するという理由で、規制緩和により保育時間の延長や、保育施設の運営形態の多様化が進められているが、規制緩和は非正規雇用の保育士や無資格者の雇用増加ももたらしている。このような制度改正の例は、教育や福祉の分野で非常に多く散見される。
 低位均衡の財政や社会の分断状況は、止むを得ず起こっているわけではなく、むしろ政府によって積極的に進められている。だからこそ現実の制度改正は、複雑で巧妙な形をとりながら、結果として公共サービスの利用者と提供者それぞれに、新しい分断が生じる方向で行われている。そのような中で、現物給付を充実させれば、それが社会の分断を解消することにつながると、牧歌的に考えることは危険である。「人びとにとって共通のニーズを満たす」という考えは、ともすると「多数派の利益」と混同しかねない。少数派が被る不利益を見過ごせば、結局は現状追認に落ち着いてしまうだろう。そのような失敗をしないためには、既存の諸制度や政府の新たな政策方針に対して、強固に批判的な視点を持ち続けなければならない。一方で、批判を前面に押し出せば、批判それ自体が目的化してしまい、本書が指摘する社会対立を生む罠に陥ってしまう。つまり、すべての人びとが受益者となる社会制度の構想は、社会の分断を招くような「隙」が常に狙われているという批判的視点を堅持しながら、しかし批判を目的とするのではなく、自らの立ち位置はもちろんのこと、自らとは立場の異なる様々な政治的社会的諸勢力の立場を理解する、態度と対話の上に成り立つ。本書が述べる理念の具体化は、このように容易ならざるものである。それでも、新たな社会の構築のため、労働運動、教育、福祉などの研究と実践のあり方について一歩ずつ、丁寧に検討を進めて行くべきである。


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