井上智洋
『人工知能と経済の未来 -2030年雇用大崩壊』

『人工知能と経済の未来 -2030年雇用大崩壊』

文藝春秋
800円+税
2016年7月

評者:鈴木祥司(生保労連 労働局・政策局局長)

 人工知能(AI)が新聞やネットで取り上げられない日は今やない。とりわけ、シンギュラリティ(AIが人間の知性を超えること)は起きるのか、それはいつかといった予測が耳目を集めている。想定されている年がそう遠くない将来だけに、私たちは焦りを感じつつも、今一つ現実感をもてないまま、漠然とした不安の中をさまよっている。
 本書は、AI技術が今どんな水準にあり、今後どの程度発達するのか、経済や雇用にどんな影響を与えるのか、今後どんな対策が必要なのかを考察することで、漠然とした不安に一つの輪郭を与えようとしている。しかし、そこで描かれているのは、根拠薄弱の悲観的な未来であり、私たちの不安を逆に煽るものとなってしまっている。刺激的で興味深い内容ではあるが、まだ見ぬ未来の話だけに、もっと謙虚で冷静な議論を望むのは評者だけではないだろう。

AIと経済成長
 著者はまず、技術革新が経済成長に与えた影響の歴史的な経緯を振り返る。これまでの数次にわたる産業革命は「汎用的技術(General Purpose Technology,GPT)」が主導した。GPTとは、補完的な発明を連鎖的に生じさせるとともに、あらゆる産業に影響を及ぼす技術のことである。第一次(18世紀後半から19世紀前半)では蒸気機関、第二次(19世紀後半から20世紀初頭)では内燃機関や電気モータ、第三次(1990年代以降)ではコンピュータやインターネットが、それぞれGPTとして経済成長を牽引した。第四次産業革命におけるGPTの候補としてはAI、IoT(Internet of Things)、3Dプリンターなどが挙げられるが、中でも「汎用AI」(人間に可能な知的振る舞いをひと通りこなすことができるAI)は最有力候補であり、その導入に成功した国とそうでない国とでは経済成長に大きな開きが生じると著者は見る。

人間と機械の関係
 第一次産業革命期にはラッダイト運動(機械打ち壊し運動)などが起きたが、既存産業の効率化による需要の拡大や新たな産業への労働移動によって、技術的失業(新しい技術の導入がもたらす失業)はさほど深刻な問題とはならなかった。AIの発達は人間の仕事に大きな影響を及ぼすが、それが「特化型」(例;チェスや将棋に特化)に留まる限り、AIに仕事を代替されても人間に優位性のある別の仕事に移動すればよく、技術的失業も一時的・局所的な問題におおむね留まると著者は予測する。その場合、「機械は人間の利便性を改善するための装置である」という人間と機械の関係は、基本的にはこれまでと変わらないことになる。

AIは人間の仕事をどこまで奪うか
 しかし、「汎用AI」は別物と著者は見る。それは人間の仕事を根こそぎ奪いかねないと警告する。現在のAIはすべて「特化型」だが、「汎用AI」の世界的な開発競争が始まっており、2030年頃には実現する見通しにあるという。「汎用AI」を導入した国では機械が生産の主力となり、人間の労働に対する需要はほとんど増えなくなる。ディフュージョン(拡散、普及)に時間がかかるとはいえ、2045年頃には仕事の範囲は、人間に優位性があるといわれるクリエイティビティ系、マネジメント系、ホスピタリティ系などに狭まるおそれがあるという。「2045年頃には全人口の1割程度しか労働していないかもしれない」という著者の予測には驚きを禁じ得ない。

著者への疑問
 しかし、ここで大きな疑問がわく。一つは、2045年という時期が示されているが、なぜそのタイミングなのかという点である。その頃には「汎用AI」の技術が普及しているだろうという理由だけで、根拠に乏しいといわざるを得ない。もう一つは、なぜ仕事がわずか1割程度になってしまうのかという点である。著者が示す根拠は、現在クリエイティビティ系、マネジメント系、ホスピタリティ系の仕事に従事している人の合計(約2千万人)のうち、半分程度(約1千万人≒全人口の1割程度)しか必要とされなくなるだろうという予測でしかない。しかも、そうなるであろうと著者が仮想する事態へのプロセスはいっさい考慮されていない。仕事が1割になるという事態は、生産しても消費する人間がいなくなることを意味するだけに、そうなる前に何らかの抑制がかかると考える方が自然ではないか。このように考えていくと、著者の予測はその根拠が薄弱であるばかりでなく、徒に不安を煽ろうとしているのではという疑いすら抱いてしまう。
 著者の予測が仮に現実になれば、そこに待ち受けているのはAIに仕事を奪われた多くの労働者の姿である。ほんの一部の人々(主に資本家)のための社会はディストピアというほかない。ただ、AIの過度な発達に何らかの歯止めをかけるのもまた人間の叡智である。人間の仕事を根こそぎ奪いかねない技術革新には一定の規制をかけていくことも、将来世代への責任として検討されるべきであろう。

ベーシックインカムの光と影
 著者は、労働が消滅していく社会への対応策としてベーシックインカム(BI)の導入を提言する。AIが高度に発達し、働いて所得を得ることが当たり前ではない社会がやってくれば、多くの人がBIの必要性を感じるようになると予想する。生活保護は救済に値する者と値しない者に選り分けねばならず、多額の行政コストがかかるが、BIは「普遍主義的」であるがゆえに、生活保護のこうした問題点を克服することができる。すべての国民があまねく受給するものであるから取りこぼしがなく、だれも屈辱を味わうことがないことからも、生活保護と比べて優れているとする。
 BIには、こうしたメリットがある一方で、労働意欲を阻害し働くことの意義を否定しかねないというデメリットがある。新古典派とも親和性が高く、BIさえ給付すればあとは自己責任に委ねるといった側面も有する。労働自体が消滅するような事態となれば労働意欲の低下を懸念するには及ばなくなるが、それはあくまでも「労働が消滅する」という前提に立った話である。ディストピアを前提としない限り、労働の尊厳や働くことそれ自体の否定につながりかねない議論は慎重に行う必要がある。

AIは何のためにあるのか
 私たちは何のためにAIを活用するのか。それは人間の生活を豊かにするためにほかならない。経済成長も人間の生活を豊かにするためにこそある。これらの点を押さえず闇雲にAIによって経済成長や効率を追求するなら、人間は置き去りにされかねないだろう。経済成長をめざすうえでAIなどによるイノベーションは重要だが、けっしてそれだけが経済成長の手段ではない。日本には女性や高齢者など多くの潜在的労働力が存在する。人口減少は避けられないとはいえ、それらの労働力が経済成長に与える効果を軽視すべきではない。女性や高齢者の労働参加を促し、経済成長につなげていくためには、BIなどの金銭の保障ではなく、仕事の保障こそが重要となる。
 労働組合としては、これからの社会を必要以上に悲観するのではなく、かといって楽観するのでもなく、技術の発達が経済や雇用に与える影響をしっかりと見極めることが一層求められてこよう。

 本書は問題の所在を見るうえで役に立つが、批判の目を光らせながら読むべき本である。なお著者は現在、駒澤大学経済学部講師。専門はマクロ経済学で、最近は人工知能が経済に与える影響について論じることが多い。


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