小池和男
『「非正規労働」を考える 戦後労働史の視角から』

新しい幸福論

名古屋大学出版会
3,200円+税
2016年5月

評者:金井郁(埼玉大学経済学部准教授)

 本書は、低賃金・使い捨てとの対象という通常の見解とは異なり、非正規労働者が存在する根拠として、その経済合理性を3つの観点から検討し、非正規労働をめぐる議論を再検討することを試みている。非正規労働の経済合理性とは、➀よい人材、またその素材を見極める人材選別機能、②誰が解雇されるか前もって決める手段としての雇用調整機能、③不熟練労働、技能向上の見込みの乏しい仕事を担当するという意味での低技能分野のにない手機能であり、正社員と同じ技能を前提とすれば、通常の非正規雇用をめぐる議論で強調される低コスト機能は否定されることを著者は主張する。多くの疑問点は残るが、労働組合が非正規問題に取り組むうえで考慮すべき重要な論点を提示しているといえる。

 本書の特色は、さまざまな時代(第1章)、さまざまな国(第2章)、さまざまな産業(第3章:製造業、第4章:三次産業、第5章:設計技術者)におけるさまざまな雇用形態の非正規労働を取り上げている点にある。
 それらの検討から著者は、2つの非正規モデルの仮説を掲げる。「恒久的短時間準社員」モデル(長期勤続パート)と「昇格可能型非正規労働者」モデルである。「恒久的短時間準社員」モデルにおいては、弱いながら人材選別機能をもち、パートや非正規の中でいくつかの技能階梯に分け、社内資格を設け、昇格・昇給があり、査定がある。しかし似た仕事を担当する正規労働者に時間あたり賃金でも及ばない。このモデルは、チェーンストア業界の非正規労働者に代表される(弟4章3)。「昇格可能型非正規労働者」モデルは、製造業など多くの産業でみられる。非正規のうちはあまり技能階梯や社内資格はない。その代わり、正規への昇格の途がある。希望者全員が昇格するわけではなく、そこに選別があるが、昇格はけっして例外的な少数ではない。
 2つのモデルが生じる理由は2つあると著者はいう。1つに労働時間の、時に起こる長時間化の必要の度合いで、その対応が非正規にも求められるかどうか。短時間準社員モデルでは変動時間分をあまり負担しない、負担したくない人たちが選択する途であるから、似た仕事を担う正社員より時間当たりでみて賃金が低くなり、それを甘受せざるを得ないと整理する。2つに、正社員に店のなかのひとつの分野のみの担当を要請するか、店の中で複数の分野、同じ分野にしてもさまざまな店を担当できるよう要請するかどうか、複数の分野や店の経験をもとに、一つの店から離れ一段上の地域組織や本部の仕事をも期待されているかどうかに分岐点があるという。これは正社員の幹部候補生としてのエリートを重視するのかと中堅層重視なのかの別である。エリート層にさまざまな移動を要請するのは当然として、中堅層にもそうした移動を要請するのかどうかによって非正規のモデルが異なりうる。中堅層重視の場合、正社員と比べていま店で似た仕事を担当していても、準社員の時間当たり賃金は低くなるし、非正規から正規への昇格は大幅に実施されない。この2つの条件の多少がチェーンストアと自動車産業の差異を説明するという。自動車産業は短時間を守る非正規では困る一方、ブルーカラーは工場間移動が稀であるため「昇格可能型非正規労働者」モデルとなる。一方、日本のチェーンストアの正社員は店舗、課間の移動をして、その移動をもとに昇格し、そのことがパートからの正社員昇格を妨げ、「恒久的短時間準社員」モデルとなると説明する。
 以下、本書の主張を批判的に検討したい。まず、著者が主張する非正規労働の低賃金利用機能の否定についてである。著者は本工に技能上の多少の優位があるならば、本工は完全に駆逐されず、正社員と非正社員の仕事の分業、異同の観察をすればそこに差があるのだから、非正規の低賃金利用機能はあまり重要でないという。しかし、評者(金井)の小売業や生命保険業の研究からは、90年代以降、勤続年数が伸びても昇進・昇格をせずに正社員の下位層の資格にとどまる(女性)正社員へのコストが高まっているという経営者の意識から、この層の(女性)正社員の新規採用を抑制・廃止し、非正規労働者の採用に切り替えるということが行われていた。著者はチェーンストアの正社員の中堅層重視が非正規の正規への昇格を大幅に実施しない理由というが、チェーンストアでは店舗間を移動しない正社員層を非正規に置き換えてきた経緯がある。つまり、非正規労働と正規労働の区分をどこに引くのかが時代とともに、また経営者のコスト意識のもとで移動している。これこそが、非正規労働の低賃金利用機能ではないだろうか。
 第2に、正社員と非正社員の間で技能差があるから賃金差があるのは合理的だ、という著者の主張についてである。賃金は技能向上によって上昇すると捉えるものの、「昇格可能型非正規労働者」モデルの非正規は技能が向上しても非正規労働であるうちは、多くの場合、賃金一定であることを説明しない。また技能向上がキャリアと一体化され、キャリア構造の違いが技能向上の違いという説明はトートロジーであり、正社員と非正社員でキャリア構造が異なるから技能が異なるとしか説明しないことになる。職場の仕事の違いをみる意味を自ら否定しているといえる。
 とはいえ、著者自身がチェーンストア業界におけるパートと正社員の賃金の「交点」について疑問を呈している点は興味深い。なぜチェーンストア業界ではパートの賃金が時間当たりの賃金で比べて高卒正社員の最初の賃金より低いのか。なぜ自動車産業の非正規賃金が高卒正社員の最初の賃金より20代前半まで高いのか、その理由は何か?というものである。この交点は労働需給により移動するため、製造業では労働力不足期に臨時工賃金がどんどん上がり、不足がはなはだしかった第一次石油危機直前には正社員の30歳代前半が交点となったという。この疑問について著者は検討していないが、非正規の賃金は「外部労働市場の需給によって決まる」ということと非正規の正規へと続く技能向上をいかにマネジメントするのかが、処遇決定上の大きな問題となることを示唆する。つまり、「交点」の揺れ動きと非正社員内および正社員を含めた従業員の秩序(社内格付け)をいかに保つのかが、非正規のマネジメント上の課題となるといえよう。いかに企業がこれらの問題に対処してきたのかを産業を超えて丁寧に考察することが今後の非正規研究に求められている。
 本書全体を通して、著者は入口(採用時)における情報の非対称性があるため、非正規労働者を必要技能が下位の仕事につけて、その仕事ぶりをやや長い時間かけて観察し、人材選別機能として非正規労働を用いることがミスマッチ問題解決にも寄与するとして推奨する。しかし、ここに経済合理性から見て、検討すべき課題がある。それは、非正規であるがゆえに離職の可能性があることである。離職可能性のある者に対して、企業が「人材育成」への投資を行うインセンティブを持つのか、それをいかに担保するかが非正規の人材選別機能を重視した際の重要な論点となろう。
 そのうえで、著者の主張でみるべき点は、非正規と正規を一本の仕事表上に表し、昇格基準を明記するといった同一線上の評価を求めていることである。正社員と非正社員を一本の資格制度の中でマネジメントすることの推奨は、現在の日本の非正規労働の固定化された身分を変えていく一つの契機となりうる。労働組合の側でも、雇用管理区分という差を越えて、正社員と非正社員を一本の資格制度を考案し、働くうえでのルール形成のなかに取り込んでいけるのかが問われている。
 なお同じ著者による『なぜ日本企業は強みを捨てるのか』(2015、日本経済新聞出版社刊)は本書をよりよく理解するためにも有益である。


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