山崎憲
『「働くこと」を問い直す』

『「働くこと」を問い直す』

岩波書店
780円+税
2014年11月

評者:西野ゆかり(連合広報・教育局長)

かつて、労使関係は社会に大きな影響力を持っていた。労使関係で扱う範囲は「働くこと」だけでなく、社会すべてに関わることだった。どうすれば日本が世界に貢献できるのか、どうすれば平和な世界を実現できるのか、どうすれば貧困をなくせるのかという理想をめざす思いがあった。そしてその思いは労使双方に共通していた。しかしいつしか労使関係は、企業と労働組合だけの関係に閉じ込もってしまった。人々の生活をめぐる状況は悪化の一途をたどっていたにも関わらず、労働組合が職場の外にまで足を踏み出すことはなかった。そのため、労使関係には社会を変える力などないと皆が思うようになった。歪んだ形で日本的経営が進み、社会が支払わなければならない代償も大きくなった。この国が経済の発展を優先し続けた結果だ。
 本書は、迷走する労使関係の来歴をたどりながら「働くこととは」を読者に問いかけてくる。そのうえで、では私たちはこれからどうすれば良いのだろうか。労使関係を再び社会に向けて開かせねばならないだろう。一人ひとりが身の回りの問題に自ら参加することで社会を良い方向に変えていく「参加型民主主義」を取り戻していかねばならない。労使関係は、この参加型民主主義の最も小さな単位なのだ。さらにカギとなるのは「コミュニティ・オーガナイジング(CO)」という新しい手法を取り入れることであると筆者は提示している。

◆迷走する労使関係と処方箋
 第1話は「なぜ働くのか」という根源的な問いかけから始まり、生きていくために必要なことと働くことの関係を論じている。話は現代の働き方の起源である18世紀イギリスの産業革命まで遡る。人々は工場で働くようになり、作業の範囲が狭まったために、働く意味を見出すことが困難になっていったこと。一方、働く人にとって働くことは生きていくうえで必要な「拠り所」を確保することでもあると紐解く。

 第2話は、労使関係の歴史に焦点をあてる。労働者、企業、政府がおりなす利害調整のしくみと、そのしくみが日本でどのように、そして何を目的として発展してきたのかについてみている。高度経済成長と春闘の成功により、日本的労使関係システムが完成したものの、日本は一つの転機を迎える。
 第3話と第4話では、経済の発展に邁進してきた日本で労使関係が果たした役割と、先進国にキャッチアップすることを目的としたために壊れてしまったものが何だったのかを描き出している。日本企業が世界に進出した1980年代以降、労使関係のバランスが崩れていく。労使の力関係が経営側に傾いたことで、さまざまなほころびがみえてきた。すべてにおいて経営協力を優先することで、非正規労働者が増加し、正社員には働きすぎという状況を生み出し、働く人を精神的に追い詰めている。日本の労使関係は今はもう機能不全に陥っているとまで指摘している。
 ではどうしたらよいのか。第5話は、これまでに壊れたものを取り戻すため、その処方箋となるのは「従来型の労使関係」と「労働と生活の接合点」の2つであり、後者については、労働と生活をつなぐ手法として「コミュニティ・オーガナイジング」という新しいアプローチに学ぶべきと説いている。

◆「コミュニティ・オーガナイジング」とは
 これは1990年代以降、急速にアメリカ社会に存在感を高めた、社会を変えるための手法である。コミュニティでは企業、労働者、学校、教会などさまざまな利害をもつものが集い、それらの利害がせめぎ合っている。そんな利害関係者を探し出し、話し合いのテーブルにのせる。そしてコミュニティに集う人と人、組織と組織をつなぎ合わせることで、互いが助け合うしくみをつくる。つなぎ合わせることで得られた力を使い、一人ひとりが生きがいをもって暮らせるように社会を変えていくという仕組みである。様々な問題に多様なメンバーと共に向き合うことが重要と説く。
 アメリカ労働組合の全国組織であるAFL-CIOによって、2003年「ワーキング・アメリカ」という組織が設立された。この組織は、2008年の大統領選挙で民主党が不利とされたオハイオ・フロリダ両州の勝利の立役者となった。アメリカの労働組合はこのコミュニティ・オーガナイジングと密接な関係を保っている。それは企業と労働組合の関係だけでは、働く人の課題を解決できないという問題意識があったからで、労働組合とコミュニティ組織との連携が必然とみている。

 ところで、果たしてこの手法は日本に馴染むのであろうか。日本人は、国民性なのか比較的“内向き”で、自分の所属する組織や地域の外へ目を向けるよりも、内へ内へと向かう傾向が強いように感じる。著者が主張するように、かりに日本の企業の労働組合が密室化してしまっているならば、外へ目をむけよ、といっても、それはお説教におわってしまうだろう。総理大臣などに「働き方改革」などといわれるまでもなく、企業の組合が、あらためて「内」のもつ問題点を見直し、「内」なる人びと、いいかえれば組合員のあいだに民主主義の原点としての論議を復活させることなしに、「外」への主体となることはできないだろう。残念ながら、本書ではこの点についての検討は不十分だと思われる。
 それにしても、著者が主張するように、「外」に目をむけることの意味は大きい。暮らしのあり方をみればわかるように、自分が所属する組織・会社・地域だけでは解決できないことが多いからだ。さまざまな問題に多様なメンバーと共に向き合うことで「内」なる力も大きくなるだろう。ここでの「外」の第一線は地域だ。労働組合は地域と密接につながらなければならない。その意味で著者が紹介するコミュニティ・オーガナイジングは、日本の労働運動に対して少なからぬ刺激やヒントを与えている。


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